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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
伍夜・籠ノ中
16/34

 「この……化物……!!」



 光貴(みつき)は呟く。絞り出す様な、怨嗟の声。けれど、それもつきなには届かない。



 「そうだよ。わたしは化物。でも、それがどうしたの?」

 「ちく……しょう!!」



 堪えていた疲労が、ドッと噴き出した。震えていた足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。腕の中の梨沙(りさ)が落ちない様に支えるのが、精一杯だった。


 その様を見た、つきなが言う。



 「そう。さっきも言ったけど、じっとしていれば、痛くない様に終わらせてあげる」



 ザワリ ザワリ ザワリ



 つきなの髪が、再び蠢き出す。



 「片割れだけ残すと、可哀想だね。ずっと一緒に、いられる様にしてあげる」



 それが、彼女にとって最高の憐憫の現れなのか。髪は、二人を一緒に巻き込む様に取り囲んでいく。このまま刻まれれば、二人の身体は微塵となって混じり合い、二度と分かれる事はないだろう。


 それも、いいか。


 疲弊しきった思考の中で、光貴はそんな事を考えていた。もう、どんなに足掻いても、逃れる術が思いつかなかった。どうせ、最後には殺される。それならいっそ……。


 幸い、”あれ”は自分たちに復讐としての苦しみを与えるつもりはないらしい。梨沙と共に、穏やかに逝けるのなら、それもいい。


 そして、彼が全てを諦めようとしたその時、



 「―――っ!!みつ、き……!!」



 苦痛に満ちた声と、腕に走る痛みが彼を我に戻した。


 思わず下ろした視線の先。苦悶に喘ぐ梨沙が、震える手で彼の腕を掴んでいた。痛みをこらえる故か、掴んだ指は、その爪先を光貴の腕に深く深く食い込ませていた。まるで、必死に生にしがみつく様に。まるで、自分はまだここにいたいと訴える様に。


 それを見た瞬間、彼の中で何かが弾けた。



 ガシャンッ



 突然響いた音に、つきなが軽く目を見開いた。


 光貴が、傍らの窓を拳で叩き割っていた。砕けたガラスに裂かれ、その手からは鮮血が流れている。しかし、それを気にかける様子もない。そして、



 バキンッ



 そのまま、ひび割れたガラスの一片を掴み、むしり取る。ガラスの破片と血の滴が飛び散り、キラキラと夜闇の中へと消えていく。



 「………」



 つきなが凝視する中、梨沙の身体をそっと床に横たえると、光貴はユラリと立ち上がった。



 「梨沙……少しの、辛抱だからな……」



 そう言うと、鮮血の滴るガラス片の切っ先をつきなに向ける。



 「……何のつもり?」

 「……分かるだろ……?」



 色の消えた顔で見つめるつきなに向かって、光貴は言う。

 酷く、底冷えのする声だった。



 「血が、いるんだよ……」



 ギラギラとした双眸が、つきなを凝視する。先刻までの、疲れ果て、絶望した眼差しとは全く違う光。そこには、狂気の色さえ伺える。



 「お前の血がいるんだ……。梨沙のために……」



 しゃがれた声で呟きながら、光貴が前に出る。それに威圧される様に、つきなが一歩下がった。



 「……怖いね……」



 つきなは言う。その声音には、今までにない緊張が見て取れた。



 「そうなった人間は、怖い……。よく、知ってる……」



 つきなの記憶が巡る。長い、永久とも言える彼女の生涯の中で、幾度かあった危機。

 それをもたらしたのは、永劫に目の眩んだ権力者でも、名誉を求める武人でもなかった。

 誰かの為、守る為に、己を捨てた者。彼女を追い込んだのは、いつもそんな人間だった。



 「そうなったら、もう駄目……。便宜は、図れない」

 「うわぁああああああ!!」



 ガラスの刃を構えた光貴が突っ込むのと、無数の髪が彼に襲いかかるのとは同時だった。





 最初から、戦うという選択肢が浮かばなかった訳ではない。ただ、理性と本能の両方が拒絶した。


 件の存在は、自分が宿ったプロ五人を返り討ちにしている。ただの小僧でしかない自分が立ち向かった所で、意味のない事は明白だった。


 自分が死ねば、梨沙を守る者はいなくなる。そう思っていた。けれど――


 そんな事は所詮、言い訳に過ぎなかった。ただ、怯える自分を肯定するための口実に過ぎなかったのだ。今、目の前で、この腕の中で、梨沙が戦っていた。己を蝕む病魔のもたらす苦痛と、己を殺めんとする存在への恐怖と。


 それに比べれば、自分の抱く恐怖など、幾ばくのものでもなかった。今はただ、梨沙の苦痛を取り除きたかった。せめて、病魔の戯れから開放したかった。


 そして、そのためのものは、そこにあった。





 つきなは、冷静だった。

 残酷な程に、冷静だった。


 今、自分に向かって突っ込んでくる人間。


 先刻まで、取るに取らないと思っていた存在。それの豹変と、危険さを正確に把握していた。


 自分を見つめる、狂気と、そして強い決意に満ちた瞳。それが、つきなの記憶を呼び起こす。


 それは、初めて彼と会った時の記憶――





 その夜、つきなは人の気の失せた街中を歩いていた。


 何か、明確な目的があった訳ではない。ただ、そうすべきである事を、彼女は知っていた。教えられていた。


 それが、己が求めるものを手に入れる唯一の”(すべ)”であると。


 曖昧な結果を求め、月明かりの下を歩く。


 どれほどの刻を彷徨ったのか。彼は、彼女の前に現れた。


 彼は努めて穏やかに話しかけてきたが、その心が怯えている事は明白だった。自分が、何者かを知っている。


 ああ、これか。


 確信した。


 彼の目は、ギラギラと燃えていた。


 ――危険な人間――

 即座に理解した。


 本来なら、出来うる限り接触を避けるべき存在。けれど、今ばかりはそうすべきではない。そう、知っていた。


 ――欲しい”モノ”が、あるんだろ――


 震えを堪えながら、彼はそう言った。

 肯定する。それも”(すべ)”。すると、彼は畳み掛ける様に話し出した。


 ――俺は、お前の欲しいモノを知っている――

 ――頼みを聞いてくれれば、それの在り処を教える――


 嘘だった。

 命あるものの思考を見通す彼女の目は、如実にそれを教えていた。

 けれど。

 あえて、それに乗った。

 何の事はない。そうするのが“(すべ)”だと、知っていたから。


 その答えに、彼は狂喜した。表面は平静を装っていたが、彼女の前では無意味だった。

 それでも、彼女は知らぬふりをした。それが、示された“(すべ)”だったから。

 彼は、ついて来てほしい欲しいと言った。言われるがままに、ついて行った。


 道程は、長い様にも短い様にも思えた。途中、タクシーに乗ったりもした。運転手は、二人の組み合わせに不審げな様子を見せたが、彼が少し多めの金を見せると、それ以上詮索する事はなかった。


 タクシーを降り、またしばらく歩いた。


 やがて、大きな豪邸と隣接する倉が見えてきた。彼が彼女を誘ったのは、古びた倉の方。促されるまま、中に入る。それを見届けた彼が、扉を閉める。瞬間、



 バチンッ



 空間が途切れる感覚。結界が張られた事を理解すると同時に、意識が遠くなる。堪える事はしなかった。それも、教えられている“(すべ)”だから。


 それから、どれほど経ったのか。気が付くと、部屋の中心に鎖で縛られ、横たわっていた。


 普通の鎖でない事は、すぐに分かった。自分の膂力や髪を使っても切れない。まあ。それもどうでもいい。見上げる先にある格子の間から、月が見える。それが、まだ時ではない事を教えていた。





 囚われの身になってから、数ヶ月が過ぎた。放置されても、飢えも渇きもない彼女にとって問題はない。加えて、時間に対する概念も曖昧な身。さしたる苦痛も感じず、ただ横たわって月を数えた。


 時折、件の少年が来ては注射器で血を抜いていく。最初の頃こそ、手が震えていたが、慣れたのだろう。そのうち、平然と作業を済ませるようになっていった。一度、好奇心から記憶を覗いてみたが、さして珍しい理由でもなかった。


 いつの世でも、人間の死に対する恐怖は変わらない。自分に対するものでも。他者に対するものでも。





 それから、また幾つかの月齢を数えた。そして、月が6度目の下弦を数えた時、彼女は行動を起こした。


 自由になっている髪を使い、自身の表面を削り落とした。体積の減った身体を、血の(ぬめ)りを利用して鎖から抜き出す。その辺りに積んであった荷物から古着を引っ張り出し、身にまとう。


 大量の血が白い服を染めるが、気にもしない。蔵を覆う結界は粗雑で、ちょっと力を込めるだけで切れた。そのまま倉を抜け出し、敷地を出ると、遠くの方に川が見えた。



 ――ああ、あれか――



 そこに向かって、歩き出す。あとはそのまま、”そこ”で眠ればいい。眠るのは嫌いだったが、今回ばかりは仕方ない。


 そう。全ては、与えられた“(すべ)”の導くままであるべきだから。





 ザグゥッ



 鋭利な物体が、肉に食い込む音が響く。飛び散った赤い滴が、白い肌に模様を描く。突き出されたガラスの刃を、手の平で受け止めた。鋭い切っ先が肌を破り、手の甲まで突き抜けるが気にしない。そのまま、ガラス片ごと光貴の手を握り込んだ。



 「――――っ!!」



 その痛みに、光貴が声にならない悲鳴を上げる。



 「あの時はね、特別だったの。必要だったから、黙って貴方に従っただけ」



 もう一方の手を伸ばし、光貴の首を掴む。そのまま、もがく彼を仰向けにねじ伏せた。



 「はな……せ……よ……!!」

 「放さない。貴方は、もう終わり」



 必死で抵抗する光貴に、冷酷に言い放つ。



 「貴方には、感謝してる。貴方がいてくれたから、わたしは求めるものに行き着けた。でも、それとこれとは、話が別」



 ミシリ



 手の中で、彼の骨が軋む。無意味に苦しませるつもりは、なかった。一息に首の骨を握り潰そうとしたその時、



 グィッ



 床に広がっていた髪が、急に引かれた。


 手を止め、視線を上げる。床に伸びる髪を掴む、白い手が見えた。

 梨沙だった。


 彼女は動かぬ身体を引きずり、つきなの髪を掴んでいた。鋼線にも等しい切れ味を持つ、つきなの髪。握り締め、引き絞る手からは鮮血が滴っている。


 苦しい息をつきながら、梨沙は言う。



 「みつ……き、を……放して……!!」



 病魔に侵され、生気を失っていた筈の瞳。それが、ギラギラとした輝きを放っていた。



 「貴女も、同じ……」



 その輝きに、つきなは明確な脅威を感じる。



 「……貴女達は、やっぱりいては駄目……」



 ザワァ



 伸びた髪が蠢き、梨沙の身体に巻きつく。



 「あぅ!!」

 「り……さ……!!」



 苦しい息の下、光貴が手を伸ばすが、どうにか出来る筈もない。このままつきなが髪を引けば、梨沙はズタズタに切り裂かれるだろう。



 「おやすみ。楽になりなさい」



 梨沙に巻き付いた髪が、ギュルルッと締まる。光貴が思わず目を閉じた、その瞬間――



 ズバンッ



 黒い閃光が走り、梨沙に巻きつく髪を断ち切った。

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