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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
肆夜・妖ノ夜
14/34

 「………」



 発する言葉もなく、ただ立ち尽くす光貴(みつき)梨沙(りさ)

 手を汚す眼球の欠片と粘液を弾きながら、つきなは言う。



 「そんなに、怖い顔しなくても大丈夫。大人しくしてくれれば、二人共痛くない様に送ってあげる」



 その言葉に応じる様に、長い黒髪がサワリと蠢く。

 恐怖と緊張で強張る声音を絞り、光貴が叫んだ。



 「梨沙は、関係ないだろ!!」

 「関係ない?」



 もう一度、小首を傾げるつきな。黒い瞳が、ポウと蛍緑の光を放つ。



 「どうして?貴方がわたしを求める理由は、その娘でしょう?」

 「!!」



 途端、返す言葉を失う光貴。



 「……何……?何の、事……?」



 戸惑う梨沙。しかし、光貴は答える事が出来ない。

 そんなやり取りを見て、つきなは瞳を細める。



 「知らないんだよね。教えてあげようか?」

 「………?」

 「よせ!!」



 つきなの意図に気づいた光貴が叫ぶが、彼女の口は止まらない。



 「貴女、その子に飲まされてたものがあったでしょう」

 「………!」



 唐突に向けられた言葉。けれど、それに梨沙は覚えがあった。





 数ヶ月前から、光貴が滋養をつけるためのものだと言って、週に一回、特製のドリンクを持ってくる様になっていた。


 味はエナジードリンクの様だったが、花の様な甘い香りがキツくて、正直あまり好きではなかった。ただ、飲んでくれという光貴の顔がひどく真剣だったので、何か大事なものなのだろうと思って口にしていた。


 何処か親しげな声で、つきなは言う。



 「どうだった?あれ飲んで、身体、楽にならなかった?」



 確かに。あのドリンクを飲む様になってから、身体の不調は鳴りを潜めていた。


 失った健康が戻る事こそなかったが、日に何度も襲ってきていた苦痛からは開放されていた。


 件のドリンクの効果かと思い、あれは何なのかと幾度か光貴に訊ねた。けれど彼は笑って言葉を濁し、答える事はなかった。



 「あれは……」



 梨沙の思考を読み取る様に、つきなは言葉を紡ぐ。



 「時を、留める」

 「……時を……留める……?」

 「そう」



 苦しそうに息をつきながら声を発する梨沙と、それを労わるように優しい声音で応じるつきな。


 二人が会話をしている間、光貴は必死に退路をさがしていた。つきなの目的を知っている事もあるが、今は何より、彼女に真実を明かされる事が怖かった。


 梨沙は心根の優しい娘だ。自分がしてきた事を知れば、軽蔑し、嫌悪するだろう。光貴は、彼女にそんな目で見られる事が怖かった。何よりも怖かった。だから、つきなが真相を口にする前に、隙を見つけて逃げようと試みていた。けれど、相手はそう易くはなかった。


 光貴が少しでもその素振りを見せれば、つきなの身体がユラリと揺れた。注意を逸らしてはいない。その事が、酷く明確に分かった。もし、光貴が動けば、その瞬間につきなは自分達を八つ裂きにするだろう。


 動く事は、出来なかった。


 そして、成す術もないまま、会話は続いていった。



 「――あれは、飲んだ者の時を止める。飲んだ者は、その時の状態のまま時が止まる。老いる事もなくなるし、容姿が変化する事もない。当然――」



 つきなの指が上がり、梨沙を指差す。



 「患う病が、進行する事もなくなる」

 「……そんな事……!!」



 ある筈がないと言おうとして、梨沙は言葉を呑み込んだ。


 目の前の少女が言う事は、自分の身に起こっていた事を如実に表現していた。


 思えば、初めて光貴にあれを飲まされたのは、珍しく小康状態が続いている時だった。彼女が言う通りなら、自分の身体はあの小康状態のまま、時が止まっていた事になる。


 そんな絵空事の様な話、ある筈がない。

 ある筈のない事だけれど――

 それが真実だと、自分の身体が証明していた。

 ならば、認めるしかない。



 「………」

 「……(さか)しい娘」



 梨沙が己の言葉を受け入れた事を察した様に、優しげに笑むつきな。けれど、その笑みはすぐに酷薄なものに変わる。



 「ご褒美に”あれ”が何だったのか、教えてあげる」

 「!!」



 その言葉に、光貴の身体が強張る。



 「よせ!!」



 たまらず叫ぶが、つきなが聞く道理もない。彼女は左腕を上げると、手首に右手の人差し指を添え、素早く引いた。



 パッ



 鋭い爪が肌を切り裂き、赤い滴が散る。瞬間――



 フワリ



 金木犀の様に、強く甘い匂いが漂った。



 「!!」



 その香気に、梨沙が息を呑んだ。



 「どう?覚え、あるでしょう?」



 一瞬で消え去る傷痕。それを撫でながら、つきなが言う。



 「そう。貴女が飲んでいたのは……」

 「梨沙!!聞くな!!」



 悲鳴の様な声を上げる光貴。それをせせら笑い、つきなはその言葉を口にした。



 「わたしの、血」



 ドクン



 梨沙の中で、何かが蠢いた。





 ウッ……



 背中で、梨沙がえずく気配がした。絶望に近い恐怖が、光貴の足を震わせる。

 こみ上げる嘔吐感を、必死の思いで呑み込んだ梨沙。震える声で、問う。



 「……光貴、どう言う事、なの……?」



 光貴に返す言葉はない。震える唇。噛み締めた口内に、鉄錆の味が染みる。



 「……その子はね……」


 代わりに、つきなが口を開いた。



 「わたしに嘘をついた。わたしの探してる”もの”の場所を知ってるって、わたしを騙して、わたしを捕まえた」

 「………」



 背中で、梨沙が身を固くするのを感じる。光貴には、もうどうする事も出来ない。それを嘲笑う様に、言葉は続く。



 「捕まえたわたしを、縛り付けたの。動けない様に、逃げられない様に」



 夢でも思い出す様に、つきなが宙を仰ぐ。



 「暗くて、狭くて、寒かった……」

 「………」



 梨沙は、何も言わない。ただ、その身が微かに震えているのが感じられた。彼女が今、何を感じ、何を思っているのか。それが、光貴にはただただ恐ろしかった。



 「そんな所で、毎日血を抜いてたの。動けないわたしに、何回も何回も針を刺して」

 「………」

 「貴女に、飲ませるために」



 淡い蛍緑の光が流れ、梨沙を見つめる。そして――



 「酷いね。ねぇ、酷いよね」



 同意を求める様に、語りかけた。



 「………」



 梨沙は、何も答えなかった。ただ沈黙だけをもって、それに返す。

 光貴もまた、何も言わない。ただ黙りこくったまま、審判を待つ罪人の様に立ち尽くす。

 誰も、何も言わない。

 動かない。

 常夜灯だけの、薄暗い空間。窓から差し込む月明りだけが、ユラリユラリと時を刻んでいた。


 しばしの間。

 そして、動いたのは”彼女”だった。



 「光貴……」



 光貴に背負われた梨沙が、彼に向かって呟いた。その声の透明さに、光貴はビクリと震える。



 「降ろして」



 梨沙が、言った。



 「け、けど……」

 「いいから。降ろして」



 静かな。けれど、強い意志の篭った声だった。光貴に、止める術はない。深い絶望を感じながら、彼は背に負っていた梨沙を降ろした。


 床に足を着いた途端、ガクリと傾ぐ細い身体。光貴が咄嗟に支えようとするが、梨沙は顔を振って拒む。震える足に、なけなしの力をこめて身体を支える。そして、光貴とつきなが見守る中、梨沙は己の足でしかと立った。



 「梨沙……」

 「光貴、黙ってて」



 厳しい声音で制され、言葉を失う光貴。そんな彼を置き去りにする様に、彼女は一歩前に出る。真っ直ぐに見つめる、視線の先。その先には、つきながいた。



 ハア……



 かすれる息を、もう一度強引に束ねる。一拍の間を置いて、梨沙は問うた。



 「……さっきの話は、本当、ですか……?」

 「嘘は、つかない」



 その問いを知っていた様に、つきなは間を置かずキッパリと答える。その言葉に、ほんの一瞬悲しげに目を伏せると、梨沙はもう一度視線をつきなに戻す。



 「……そうですね……。そう思います……。そして、酷いとも、思います……」



 光貴が、ビクリと震える。



 「本当に、(さか)しいね。手間が省けて助かる」



 つきなが、声だけで笑う。



 「貴女は、人間じゃないんですね……?」

 「『時無(ときなし)』と言うの。人間(貴女)達が、勝手にそう呼んでるだけだけど」



 言葉と共に、蛍緑に光る瞳が揺れる。それに見つめられる度、強い目眩が襲う。それを必死にこらえながら、梨沙はその瞳を見つめ返す。


 その様を見たつきなが、光貴を示しながら言う。



 「辛そうだね。その子に支えてもらったら?」



 光貴が思わず梨沙を見るが、彼女は身を寄せようとはしない。つきなが、わざとらしく問いかける。



 「どうしたの?貴女達は(つがい)じゃないの?それとも、愛想でも尽きた?さっきの話で」

 「さっきの……」



 梨沙の顔が悲しげに歪む。身体の痛みではない。心の痛みで。



 「……光貴が、やったんですよね……?」

 「そう」

 「……あたしの、ために……?」

 「うん。貴女の、ため」

 「………」



 幾度かのやり取りの後、またしばしの沈黙が下りる。そして、梨沙がゆっくりと口を開く。



 「……ごめんなさい……」



 そこから出た言葉に、つきなは苦笑する。



 「謝ってるの?」

 「……光貴が……貴女にそんな事をした、のは……あたしの、ためです……。なら、罪は……あたしにあります……」



 それを聞いたつきなの瞳が、よりいっそう強く輝く。



 「よく、分かってる」



 言葉と共に、漆黒の髪がザワリと蠢く。



 「だからわたしは、元凶を無くしに来たんだよ」



 数本の髪がシュルルと伸びて、梨沙の頬をサワリと撫でる。鋭い刃で触れられる様な感覚に、細い肩がビクリと震えた。



 「な……!?」



 静かな声音で呟かれた宣告に、光貴が血相を変えて叫ぶ。



 「何言ってんだよ!!梨沙は関係ない!!俺が、勝手にやったんだ!!」



 言いながら、梨沙とつきなの間に割って入ろうとする。しかし――



 ドンッ



 「ぐっ!?」



 突然強い力に突かれ、もんどり打って転がる。



 「わたしはこの娘と話してるの。少し、大人しくしていなさい」



 光貴を突き飛ばした髪の束を蛇の様にうねらせながら、つきなは言う。



 「……光貴に、酷い事しないでください……」



 血の気のない顔をさらに青ざめさせながら、けれど悶絶する光貴をかえりみる事なく、梨沙は言う。



 「そうだね。貴女がいなくなれば、その子がわたしを求める理由もなくなる。だったら、後は放っておいてもいい」



 ザワリ ザワリ



 無数の髪が、蠢きながら梨沙に這い寄る。



 「やめろ!!やめてくれ!!」



 光貴が懇願するが、つきなが聞く耳を持つ道理もない。



 「動かない方がいいよ。動くと、余計に痛いから」



 髪の群れが、獲物に食いかかる様に鎌首をもたげる。光貴が、絶望の悲鳴を上げようとしたその時――



 「……貴女は、人を殺せるんですね……」



 梨沙が、呟いた。

 その言葉に、髪の群れの動きが止まる。



 「うん?」



 小首を傾げるつきな。彼女に向かって、梨沙は続ける。



 「人を、殺せるんですね……。簡単に……」

 「何が言いたいの?」



 その問いには答える事なく、理沙は問いをかける。



 「光貴は、知っていましたか……?その事を……。貴女が、人を殺せるものだって言う事を……」

 「……変な事を、訊くね」



 そう言いながらも、つきなは答える。



 「一応は、知ってたみたい。噛み付く獣を捕らえるくらいの覚悟は、あったと思う。それでも大分、甘くは見てたけど」

 「……そうですか……」



 瞬間、梨沙の気配が変わった。


 見た目が変わった訳ではない。血の気のない肌はそのまま。時折小枝の様に揺らぐ、痩せた身体もそのまま。けれど、彼女の中で確かに何かが変わっていた。それを察したつきなの顔から、表情が消える。



 「……お願いが、あります……」



 梨沙が、乞う。



 「何?何か、遺したい?」



 つきなが、問う。

 その問いに、梨沙は答えた。



 「あたし達の所に、戻ってくれませんか?」



 強い言葉で、そう言った。

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