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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
肆夜・妖ノ夜
13/34

 その頃、光貴(みつき)は飛び出した先で捕まえた深夜タクシーの中にいた。

 声を荒らげ、運転手に叫ぶ。



 「何してんだ!!もっと飛ばせ!!飛ばしてくれ!!」



 あまりに必死なその様子と、告げられた場所が病院であるという事。それに、何か只ならぬものを感じたのだろう。運転手は、言われるままにアクセルを踏む。


 法律上、そして安全上、非常に問題ある行為ではあった。しかし、天が味方をしたと言うべきか。警察に咎められる事も、事故を起こす事もなく、程なくタクシーは病院へと着いた。





 無茶をしてくれた運転手に、礼と共にメーターに表示される額に倍する料金を渡すと、光貴はタクシーを飛び出した。


 関係者専用の出入り口をキーで開け、院内に転がり込む。エレベーターなど、待ってはいられない。非常階段を、駆け上がった。


 そうやって、ようやく着いた最上階。足音を忍ばせる事もなく、廊下を駆け抜ける。やがて見えてくる、見慣れた病室の扉。たどり着くと同時に、開け放った。





 明かりの落ちた病室は、淡い月の光に満たされていた。その中で、ベッドに横たわっていた梨沙(りさ)が、力なく振り向いた。


 それを見た光貴は、汗だくの顔で安堵の息をついた。



 「梨沙……良かった……」

 「……光貴……?どうしたの……?」



 彼の鬼気迫る表情を、怪訝に思う様に梨沙は訊ねる。

 しかし、それに答える事なく駆け寄ると、光貴は梨沙の身体に繋がれていたコードの類をむしり取った。



 「……光貴……?」

 「梨沙、逃げよう!!」

 「……え……?」

 「俺がおぶるから!!早く!!ここから、少しでも離れるんだ!!」



 戸惑う梨沙に懇願する様に、光貴は言う。



 「説明してる暇はないんだ!!頼むから、言う事を聞いてくれ!!」



 そんな彼の様子に、何かを察したのだろう。梨沙の表情が変わった。



 「……分かった……」



 頷くと同時に、自分の腕につながっていた点滴の管を掴む。そして、残されていた力を振り絞る様にして、引き抜いた。


 刺し傷からこぼれる血を毛布で拭うと、光貴は梨沙をベッドから抱き起こす。



 「しっかり、捕まれよ!!」



 梨沙を背に乗せながら、言う。頷く彼女の、羽根の様な軽さ。それに不安を覚えながら、光貴がそっと立ち上がろうとしたその時、



 「何処へ行くの?」



 突然、声が響いた。



 「!!」



 思わず振り返った、窓の外。



 「ヒ……!!」



 梨沙が、短く悲鳴を上げた。


 窓の外で、長い黒髪が踊る。ガラスに張り付く、二つの手の平。その間から、逆さになった白い顔がこちらを覗き込んでいた。



 「何処へ、行くの?」



 薄い唇がパクパクと動き、もう一度同じ言葉を紡いだ。途端、



 ピシリ



 窓ガラスに入る、一筋の亀裂。それを見た光貴が叫ぶ。



 「梨沙!!落ちるなよ!!」



 パァンッ



 二人が病室を飛び出すのと同時に、窓が大きな音を立てて割れ砕けた。



 スルリ



 砕け散った窓から、白い影が病室内に滑り込む。ユラリと立ち上がった影――つきなは、開け放たれたままの病室の扉を見て、蛇の様に目を細めた。



 「無駄、なのに……」



 呟く口の中で、光る牙がカチリと鳴った。





 「う……うぅ……」



 流れて行く夜気の中に、か細い呻きが千切れ流れていく。

 それを聞いて、煌夜(こうや)は背に負ったあやなに言う。



 「キツイかい?もう少し、辛抱して欲しいな」



 そんな彼の言葉に、あやなが苦しい息で応じる。



 「お願い……ちょうだい……少しで……少しでいいから……」


 彼女の爪が、掻き毟る様に煌夜の背に爪を立てる。その喘ぐ様な声に、



 「駄目だよ」



 煌夜はあくまで、淡々と答える。



 「僕が、そんなんじゃないのは、知ってる筈だよ。見境なんて、失ったってろくな事になりゃしない」

 「………」



 その言葉に抗議する様に、背中でえずく音がする。



 「やれやれ。一張羅なんだ。汚さないでおくれよ」



 溜息をつきながら、夜色の少年はまた宙を舞った。





 ハア ハア ハア……


 荒い息をつきながら、光貴は走る。



 「梨沙、辛いだろうけど、頑張ってくれ」



 病身の身には負荷が大きいのだろう。己の背中で苦しそうに息をつく梨沙を、光貴は必死に鼓舞する。



 「……光貴……あれ、何……?」



 絶え絶えの息で、梨沙は光貴に問う。けれど、それに答えている余裕は光貴にもない。



 「後で話す!!今は……」



 「逃げよう」と言いかけた時、天井を何かが駆け抜けた。



 「!!」



 何事かと振り仰ぐよりも早く、光貴達の前でスタンと言う音が響いた。



 「……!!」



 梨沙が、引き攣るように息を呑んだ。光貴が視線を戻すと、そこには幽鬼の様に髪を揺らすつきなの姿があった。



 「お前……」



 背負う梨沙をかばいながら、光貴はつきなを睨みつける。そんな彼を冷めた目で見つめながら、彼女は言う。



 「久しぶり……」



 静かな声の向こうに見える、明確な殺意。それに背筋を凍らせながらも、光貴は声を振り絞る。



 「今更……何の、用だよ……」

 「何の、用?」



 つきなが、小首を傾げる。



 「用があるのは、貴方の方でしょう?」

 「………!!」



 光貴の動揺を見透かす様に、つきなは言う。



 「これは、貴方が招いた事」



 冷たい眼差しで光貴と梨沙を見つめながら、淡々と言の葉を紡ぐ。



 「本当はね、こんな事する気はなかったんだよ。放っておいてくれれば、それでよかったの。けれど……」



 つきなが、ス、と右手を上げた。その手に、何かを摘む様に持っている。それが何かを見とめた瞬間、梨沙は「ヒッ!!」と悲鳴を上げ、光貴は息を呑んだ。


 白魚の様な指に摘まれたもの。それは、一個の眼球だった。乾き干からびた血糊がこびり付いたそれは、正しく人間から抉りとったもの。



 「貴方は、”こんな真似”をした」



 言いながら、眼球を手の平の上に転がす。



 「貴方が、そういうつもりなら仕方ない」



 眼球を弄びながら、わざとらしく溜息をつく。



 「わたしも、それなりの事をさせてもらう」



 冷たくそう言って、つきなは眼球をグシャリと握り潰した。





 あたしが街を徘徊する様になって、しばし。

 いつしか、街に一つの噂が流れ始めた。


 夜闇を彷徨う、少女の姿をした怪異。

 何の事はない。あたしの事だ。

 だけど、噂は語り継がれるうちに尾鰭が付いて肥大していった。


 曰く、その少女に会ってしまった者は、二度と帰れない場所へと導かれる。曰く、その姿を見た者には、近く大きな不幸が起こる。


 全く、無責任でくだらない話。けれども、そんな子供だましを信じる者もいる。

 怯えて黄昏とともに家に引きこもる者もいたが、好奇の思いからその姿を追い求める輩も多くいた。蔓延する噂。濃さを増していく、人の視線。


 そんな中で、それでもあたしは夜を彷徨い続けた。どのみち、あたしに選択肢などない。人に存在を知られる事など、この飢えに比べれば酷く些細な事だった。


 人との接触は、必然的に多くなっていった。姿を見られる事はざらにあったし、たまには声をかけられる事もあった。その度に、逃げたり適当にあしらったりした。けれど、そんな中で別の問題が頭を掲げてきていた。


 ”獲物”が、見つかりづらくなっていた。


 あたしの”獲物”達は、闇と静寂を好む。一人二人ならともかく、複数の人間がウロウロしていると、身を隠すなり消えるなりしてしまう。まだ、狩りの術が拙かったあたしには、それが結構こたえた。


 責める様に荒ぶる空腹感。

 糧を得られない焦燥感。.


 それらに苛まれる中、一つの興味が頭をもたげてきたのは当然の事。

 その内容は、至極単純。


 ――人は、どんな味がするのだろう?――


 いつしか、そんな思いが頭を離れなくなっていた。





 人間。

 本来なら、食欲の欠片もわかない存在。


 けれど、そんなものにも食指を動かされるほど、あたしは追い詰められていた。まるで、飢餓状態の人間が、普段は気にもかけない雑草や木の根にすら齧り付く様に。


 人間。この世に、一番満ち溢れる存在。


 食べる事さえ出来るなら、それは尽きる事を知らない糧となる。この飢えを、満たし続ける事が出来るかもしれない。

 そんな思いが、日々あたしの中で大きくなっていき、そして――


 あたしは、食べた。


 獲物は、若い男。

 髪を極彩色に染めて、ジャラジャラとした装飾で身を飾った、いかにもと言った風体。

 夜に一人でいたあたしを見て、下心も露わに言いよってきた。無防備に、つきまとってきた。


 その時、あたしはいつにもまして飢えていた。何日も獲物が見つからず、限界が近かった。採餌を邪魔される苛立ちも、その衝動の背を押した。だから、決めるのに時間はかからなかった。愛想笑いを浮かべ、誘いにのったふりをする。すると、男は下卑た笑みを浮かべながら、あたしを人目につきそうにない場所に誘ってきた。


 その先にある、自分の行き着く場所も知らずに。


 事は、一瞬で終わった。

 食事は、ほんの一口。

 悲鳴を上げさせるなんて、間抜けな真似はしない。

 相手が事態を理解する前に、髪の毛一本、血の一滴残さずに口に放り込んだ。


 結論。


 酷い、味だった。


 否。味なんて、上等なものじゃない。砂を噛む様な異物感と、ピリピリする不快な感覚が口中を駆け巡る。あれほど食べ物を欲していた身体が、明確に拒絶するのが分かった。あたしは急いで近場の公園に転がり込むと、水飲み場でガブガブと水を飲み、口をすすいだ。何度も何度も。いつまでもいつまでも。それを、繰り返した。けれど、嫌な血脂の味は呪いの様に消える事はなかった。


 以来、あたしは人を食べていない。





 「まあ、そうだろうなぁ」



 彼が、呆れた様に言った。



 「そもそも、人間自体が君の糧としては不向きだし。加えて現代の人間は、種々雑多なもので汚染されてるからね。さぞや、不味いだろうさ」

 「………」



 返す言葉はない。もう、それをする事も億劫だった。



 「方法が、ない訳じゃないだろうに」



 彼も、その事を察しているんだろう。

 無理に、答えは求めてこない。

 独り言の様に、言葉は続く。



 「糧が不足してきたなら、別の地に渡ればいいんだ。”昔”みたいに。どうして、それをしないのかな?」

 「………」



 やっぱり、答えないあたし。

 けれど、今度の言葉は些か意地悪だった。



 「やっぱり、嫌かい?少しでも、親との絆が残るこの地を離れるのは」

 「………」



 答えない。

 答えられる、筈もない。

 苦笑する、気配が伝わる。



 「全く。難儀な事だね」



 溜息混じりに、彼は言う。

 その声音を、少しだけ優しく感じたのは気のせいだろうか。


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