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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
肆夜・妖ノ夜
12/34

 ずっと、一人だった。


 母は、あたしを産む時に死んだ。

 胎内のあたしを抑え切れず、数百の肉片になって散った。

 当然、抱かれた思い出はない。顔も、温もりも知らない。


 父は、あたしを捨てた。

 抱かれた覚えは、ない。愛された、記憶もない。

 産まれた時から歩いてたあたしを、大金をはたいて買ったマンションの奥に閉じ込めた。


 水も、電気も使える。毎月、父名義の口座にお金が振込まれる。

 何処かで、管理だけはしているのだろう。


 生きる術を絶たないのは、それを求めて、あたしが自暴自棄になる事を恐れていたからか。それとも、親としてのせめてもの憐憫からか。


 そんな事、分かる筈もなければ、分かろうとも思わなかった。


 自我を得てから、あたしを満たし続けるもの。

 それは、飢え。


 飢えていた。

 いつでも。

 いつまでも。

 耐え難い飢えが、身体を満たしていた。


 まるで、身体の中心にポッカリと穴が空いたような喪失感。

 それを埋める事に、あたしは必死になった。


 マンションの中には、何百何千と言った、御札や封印が貼り付けられていた。

 あたしを、建物の中に閉じ込めるためのものだと思う。


 小さかったあたしは、それらを食べた。安物が多くて、美味しくはなかった。けれど、背に腹は変えられなかった。引き剥がしては食べ、舐めとっては食べ。昼夜の区別もなく、貪り続けた。


 けど、それがもったのも、ほんのしばらくの間だけ。


 いつしか御札も封印も底を尽き、あたしは空腹を癒すために外に出ざるを得なくなった。

 出入り口の鍵を壊して外に出たのは、新月の夜。


 昏い。昏い。たった一人の、夜だった。





 クラリ



 目の前の景色が、軽く踊った。



 「う……」



 足が縺れ、景色の輪舞が激しくなる。堪えきれずに、ガクリと膝が折れる。膝頭が強かに地面に打ちつけられるけど、その痛みも気にならない。


 身体の、奥深くから湧き上がる不快感。内臓が裏返る様な感覚。幾度となく、視界が回る。



 「ぐ……ぅ……!!」



 震える手で身を支え、なんとか立ち上がる。身体が傾き、思わず傍らの塀に手をついた。



 ジュウ……



 焼ける様な音が響き、硫黄の様な臭気と熱気が夜の冷然とした空気を侵す。



 「………」



 霞む目を向けると、手をついた壁がまるで熱せられた蝋の様に溶けてへこんでいた。赤黒く変色したその表面はぶすぶすと燻り、細い白煙を暗い夜空に向かって立ち上らせている。


 その白煙を焦点の合わない視界で追いながら、ふらふらと立ち上がる。


 限界だった。

 このままではいけない。


 このままでは、あの娘の元に帰れない。

 このままでは、あの娘と一緒に居られない。


 あの時は、危なかった。

 本当に、危なかったのだ。


 もしあの時、背に伸ばされた手を触れる前に祓えなかったら。

 もし、部屋を飛び出すのがあと一秒遅かったら。


 あたしは、きっと――


 自分の想像に、身体を苛む不快感とは別の悪寒が背筋を走る。


 早く、早く見つけなくては。


 マンションを飛び出して三日。あたしは、一人でさ迷い続けていた。

 昼間は、人目のない所で身を潜め。

 夜は、獲物のいそうな闇を渡って歩いた。


 けれど、求める獲物は見つからない。

 見つからない。

 見つからない。


 ダメだ。

 それじゃ、ダメなのだ。

 この街にいないのなら、隣街へ。そこにいなければ、その隣の街へ。


 見つけなければ、あの娘の所へは帰れない。

 帰れない。

 帰りたいのに。

 嫌だ。

 嫌だ。

 だから。

 早く。早く――



 チリン



 不意に、鈴の音が耳に飛び込んできた。


 朦朧とした意識。なのに、身体は律儀に反応する。重い頭を無理に持ち上げると、強張った首の筋肉が軋みを上げ、熱を持った頭蓋は割れ鐘の様に喚きたてた。しかし、そこに連結する眼球は、これまた律儀にその前方にある光景を忠実に写し出す。


 外灯だけが照らす、昏い道。その灯りの下。夜闇に浮かぶ、淡い光溜り。そこに佇む、一つの人影。


 細く、華奢な身体。それを包む、夜色をしたレトロな外套。そして、黒蛇の様に宙を舞う、長い髪。


 とても、見覚えのある姿。


 長い前髪の間から覗く右目が糸の様に細まり、薄い唇が言の葉を紡ぐ。



 「辛そうだね」



 性別の判断がつきにくい、中性的な声。それが、呆れた様な響きを持って夜風に流れる。



 チリン



 鈴が鳴り、“彼”が光溜りから夜闇の中へと抜け出る。気がつくと、もう目の前に立っていた。



 「だから、言っただろう?早く手をつけろって。それを望んでいたのも、君自身だろうに」



 長い外套が、夜風に捲かれて舞う。途端、彼の纏う“香り”が風に乗って流れた。



 「………!!」



 それは、酷く虚ろな香り。

 あの娘の様に甘くもなければ、蟲惑的でもない。

 無機質で、透明で、空虚な匂い。

 けれど、ただ一つだけ確実に言える事。



 ――人以外の、もの――



 それだけで、十分だった。


 身体の内で、歓喜を持って“あれ”が唸る。

 その唸りが、咽喉を通って溢れ出す。

 噛み閉まった牙がギチギチと軋み、熱の篭った頭蓋の中に喜びの悲鳴を喚き散らす。熱く、酸っぱい唾液が口内を満たす。それが歪に引き上がった口の端から溢れ出て、落ちたアスファルトの上でジュウジュウと白煙を立てた。


 赤濁した視界で見下ろすと、彼は突っ立ったままこちらを見上げていた。



 「やれやれ、呆れたね。獲物とそうでない物の区別もつかなくなったのかい?」



 何か言ってる様だけど、知った事ではない。もう、限界だった。文字通り、裂ける程に口を開ける。そして、その歯牙の列を彼めがけて振り下ろした。


 ――瞬間、目の前で火花が散った。





 食べた。目につくもの、手当たり次第に。食べて食べて、食べまくった。

 けれど、空腹が癒される事はなかった。


 食べても。食べて食べても食べても。

 足りない。足りない足りない足りない。


 身体に空いた空虚な穴。

 埋まらない。

 埋まらない。

 埋まらない。

 その感覚に怯える様に、貪り続けた。


 昼は閉め切った部屋の奥で飢えに耐え、日が落ちると糧を求めて歩き回る。そんな毎日が、いつ果てるともなく、続いた。





 「難儀な事だね」


 暗い視界に、声が聞こえた。



 「自我の曖昧なうちに、その有様とは。よく、暴走しなかったもんだ」



 目を開くと、逆さにあたしを覗く彼の顔が映った。



 「………?」



 訳が分からないまま起き上がろうとすると、頭の中がグワァンと揺れた。左の頬がズキズキと痛い。口の中は、鉄錆の味と臭いに満たされていた。



 「正気に戻ったかな?」



 外套の中から、白い手がするりと出てくる。つきなの手も白いけれど、こいつの手はもっと白い。そして、細い。こんな細くて華奢な手に、“あの時”の自分が殴り飛ばされたなんて、いまいち実感が沸かない。


 白い手が、近づいてくる。


 汗で濡れた額に、ゆっくりと。撫で上げる。酷く、冷たい。滑稽なくらい。


 昔、蛇を触った事がある。

 冷たくて、サラサラしていた。

 ちょうど、この手の様に。



 「戻ったのなら、行くよ」



 薄っぺらい声で、蛇が言う。



 「何処……へ……?」

 「君が、望むものの所へ」



 与えられた答えにも、濁る思考は追いつかない。

 彼が、あたしの身体を担ぎ上げる。



 「さ。舌ばかり噛まないでおくれよ」



 それだけ言うと、あたし達の身体は宙に待った。


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