劇中作品への転生転移、と言うテンプレについて考えてみた。
通称どころか俗称なろう系やなろテンと呼ばれる、なろうによくあるテンプレートな作品や展開。
その中には、主人公がプレイしてたゲームの世界や主人公がよく知る物語、今回は纏めて劇中劇って呼びますが、その中の誰かに転生するって言うのがあります。
悪役令嬢が代表例ですかね。だいたいこの手のテンプレートでは、シナリオに抗って、主人公の知るシナリオとは別の生き方をすることを目標にします。
さて、このテンプレシナリオ。実は突き詰めていくと成立しないんですよ。
「なにゆえ?」と思われる人はきっと多いと思いますので、俺が辿り着いた結論を吼えてみたいと思います。
ただこれは、個人的にこう思ったぞ、って言う話なので、
こんなこと考える奴もいるんだなぁ、めんどくせえ奴もいたもんだ
程度に思っていただけると幸いです。
もしかしたら、俺が元々悪役令嬢物って言う名前に対して、
他ジャンルと違って物語を俯瞰した視点で見てるジャンル名で違和感があったから、
こういう○○警察みたいな着眼点になったのかもしれないですね。
では、本題へ。
この手のなろテンは、劇中劇キャラに成り替わったって言いきるんですよね。
実はこれ、言いきっちゃったら、もうその時点でテンプレとの矛盾が発生します。
なにが矛盾かと言えば、ゲームにせよ物語にせよ、出来上がったストーリーの中に入ったら書き換えが利かないからです。
このテンプレの特に悪役令嬢物の、キャラに憑依する形で転生した主人公は、総じて劇中劇上で元キャラに起きる災厄を回避することを目標にしますよね?
でも、上でも書きましたけど、出来上がった物語である劇中劇です。それに入り込んだってことは、主人公がどうあがこうと物語の強制力に抗うことはできません。
既にストーリーが固まってるわけですから、登場人物なんてそのストーリーに沿う以外の行動は許されないわけじゃないですか。もしテンプレみたいに自由が利いてしまったら、もうそれは完成した物語じゃなくなります。
なので自由が利いたらその時点で、劇中劇の中であるって言う前提が崩れることになります。
テンプレは、主人公がよく知る劇中劇であるがゆえに、憑依してしまったキャラに起きる災厄を回避する、ことに意味があるわけじゃないですか。
でも劇中劇世界に「変化を起こせる」なら、主人公がいる世界は「変化できない」劇中劇の中であってはならないわけです。
劇中劇の中にいなきゃいけないテンプレなのに、劇中劇の中にいること自体が、テンプレにおける主人公の目的と矛盾するわけですよ。
で、上記を踏まえて主人公や登場人物たちに自由を与えると、今度はテンプレである劇中劇内って言う部分がなくなって
自動的にシナリオを改編して災厄を回避する、って言う要素も消滅します。
つまり、どう転んでも劇中劇のシナリオに劇中劇の中で抗う、って言うテンプレは成立しないんですよ。
っとまあ、辿り着いた結論はこういうことでした。
劇中劇世界転生転移が増え続けてるところを見るに、設定の根幹部分だけど 読み手も書き手も特に気にならないみたいですよね。
劇中劇の中であるか否かはものすごく大きな違いになるんですけど、どうでもいいんでしょうかねその辺?
なお、初めにも言ってますが、これはあくまでなろテンのバリエーションとしての、劇中劇内転生転移についてであります。
古今東西存在する、絵本の中に入って冒険する系の話とは切り離しての論法でございます。あしからず。
そして、我ながら隙がでかいなぁと思います。
やれやれ、劇中劇がゲシュタルト崩壊するところだったぜ(誰だ)。




