… 寒気 …
「皆、寝ている所悪いが、サービスエリアに寄るぞ15分後に出発だ」
社長の声で目が覚めた。
俺はバスを降りて背伸びをして、それから用を済ませようと男便所へ向かった。
用を済ませていると…
背後に何かの気配を感じた…
ザワザワと背筋に寒気が走る …
「ヨゥ… 鉄治… 調子ハドウダ… ?」
えっ… 俺の声か?
振り向きたいけれど、小便が出ているから 振り向けない…
心臓がバクバクと踊る…
「だっ… 」
駄目だ声がでねぇ!
頼む!誰か来てくれ !
ザワザワ、ザワザワと背筋を走る寒気が、止めどなく全身に流れる…
グゥっと空気に背中を押されると言うか、背中に圧を感じる…
俺の…身体に入る気か…?
感覚でそう思った…
誰か!誰か 来てくれ!
「おぃ、鉄治、便所に悪いな、お前 …」
社長の声が聞こえた途端、ふっと背後の気配が消えた。
俺の躰は、冷や汗でびっしょりと濡れていた。
「はっ、はひっ…」
辛うじて返事を返せた。
「あっ、悪い悪い!便所出てからでいいの によ、俺もせっかちだな~」
「いっ、今出ます、待って下さい!」
用は済んだと言うか、止まってしまったので直ぐに手を洗い便所を出た。
社長は便所の出入口で、俺を待っていてくれた。
「何だ?鉄治、顔色悪いな … それと、今、中に誰かいたのか? お前の他に …」
「いっ、いゃぁ別にです … 」
俺は言葉に出せなかった。
「あぁ、そっか… 悪いな、何かそんな気がしてな… あぁ、そうだ、羽波行者が車で追いかけて来てくれてよ、ほらっ」
社長は俺の首にイラタカを掛けた…
「風呂場の籠の中に忘れてたって言って届けてくれた … けれど変だな … バスに乗る時 お前の首にイラタカ下がっているの見たんだよな … 俺の勘違いなんだな… 」
社長は微笑んだ…
違う … 俺、忘れてない …
脱衣場の鏡の前に立った時、ちゃんと首に掛けてた… ちゃんと鏡に映っていた…
何でなんだ?
あれっ … 何か躰が寒いな …
「鉄治、バス乗るぞ、あっ、羽波行者、すみません鉄治の奴、やっぱり忘れていたみたいで… お手数お掛けしました。」
社長は羽波行者に深々と頭を下げた
「いぇ、どうぞ顔を上げて下さい… 」
社長にそう言い、羽波行者は俺をギロリと見た。
うっ… 獸のように鋭い目 …
それにしても躰が寒い …
羽波行者はツカツカと歩き、俺の前に立った。
「鉄治さんと仰いましたね、暫くの間になると思いますが、イラタカを放してはなりません! 」
聴こえているけど、躰ガ寒クテ、寒クテ …
何だ … 怒り… そうだ、無性に腹が立つ!
「放したくて放した訳じゃねぇだろ!」
躰ガ寒イ … 凍エソウダ …
えっ、俺、何で怒鳴った?
「鉄治!」
バシッ!
社長が俺の態度を見るに見かね、俺の頭を張った 。
痛っ!… 躰ガ寒クテ …
… アイツガ憎イ …
「馬鹿野郎!鉄治!お前何言ってんだ!謝れ!頭下げるんだろが馬鹿野郎!」
社長は俺の首の後ろを掴むと、無理矢理頭を下げさせた。
社長の声に皆が、何だ何だと集まる。
「煩ぇ!コンナモン!」
冷テェ … 足モ … 手モ … 凍エル
アイツダケハ許セネェ…
俺が、俺の手が … 首に掛かるイラタカを外そうと手を伸ばす…
やめろ!やめろよ俺 … 何してんだよ!
「鉄治こらぁ、頭下んだ!こうやって ! 」
社長は凄まじい力で、俺の首の後ろを掴んだまま崩し落とし、俺の頭を地べたにつけた。
「すいませんでしたっ!」
腹の底から響くドデカイ声で、俺と一緒に地べたに突っ伏し詫びてくれた。
スーッ…
俺の躰から、何かが離れるのを感じた …
俺の躰に体温が戻る、熱い血が血管へ流れ出るのが解る …
「羽波行者、本当にすいませんでした! 」
俺が俺に戻り、俺は羽波行者にそう言えた
ふっと、社長が俺の首の後ろを掴む力が弛む…
「いぇ、間に合って良かったです… お騒がせ致しました、では失礼いたします… 」
羽波行者は会釈をし車に戻ると、帰って行 った。
「社長すいませんでしたっ!」
俺は頭を地べたに擦りつけ、社長に詫びた …
涙が零れ落ちる…
何だ俺 … 何やってんだよ…
てめえの事で、社長に頭下げさせてよ…
自分が情けなくて、情けなくて
顔を上げれねぇよ …
「鉄治 … 社長ってのはよ、頭下げてなんぼなんだ、気にするなっ!ガハハ!ほら、バスに乗るぞ!15分過ぎちまった … おら ぁ !皆もバスに乗れ!点呼だ点呼!」
社長はバスへ向かい歩き出した。
皆が心配そうに俺を見つめる…
「鉄さん … 大丈夫か ?」
「鉄治さん …」
天野に支えられ、俺は顔をぐしゃぐしゃにしたまま立ち上がった…
「泣いちゃ駄目っ♪」
矢野さんがティッシュで涙と鼻水を拭いてくれた
情けねぇ … 皆、すまねぇ …
何時にない俺の言動に、仲間達も動揺しているのを感じてはいるが、俺は自分で自分自身に何が起きたのかを呑み込めず、意識は俺ではあるのだけれど、抜け殻みたいに茫然としていた。
全員が戻ると、何事も無かったようにバスは走り出す …
俺は気持ちからなのか、何なのか …
躰の力が抜けグッタリとしながら、バスの座席に座っていた。
バスの窓に流れる景色を、只、見送る…
軈てバスは会社の前に到着した。
「皆、忘れ物ないようにな、事務所の中に真奈美が居るから、明日の現場確認して帰 ってくれ、気をつけて帰ってくれよ、さて 、来月は何処行くかな、ガハハ!お疲れさんっ!」
バスのマイクを使い社長はそう話しマイクを置いた。
「鉄治、天野、政に清、ちょっと社長室に 寄って行ってくれ… 」
社長は俺達に声を掛け先にバスを降りた。
俺の頭ん中は、まだ茫然としたままだ …
事務所の横にある階段を上り社長室のドアをノックした。
コンコンッ!
「おぅ、開いている入れ」
社長室の中から返事が聴こえ、ドアを開けた。
「失礼します…」
社長室には社長の他に、冴木さんの姿もあ った 。
「おぅ、まぁ… 4人とも座れ」
俺達は黒革のソファーに座った
「4人とも疲れているのに、来てもらって悪かったな、明日からの仕事の件でな、天野、政、清 、3人には熊谷さんの入っている現場に行って貰う、工事が遅れていてな どうしても人手が要るんだ… 明日7時集合だ、鉄治は冴木と、あの家の解体を始めて貰う… 明日6時に会社前に来てくれ、俺からは以上だ、帰っていいぞ… 」
「失礼します …」
俺達は社長室を出た …
仕事の割り振りは社長が決めている、勿論意見があれば聞いてくれるだろうけれど…
基本的に無理な配置はしない…
社長は従業員の事を考えてくれている、皆その事を良く知っているから、入る現場に文句を言う人間はいないんだ …
俺も社長の意見に賛成だった、皆は離れた方がいい現場だ…俺に現場を変えると言 っ たらモメる事になるかも知れないと、思ったんだろうな …
「冴木 … 本当に大丈夫か?」
「あぁ、鉄治に言ったって聞かないんじゃないか… それなら俺が入れば終わる…」
社長は苦虫を潰したような顔をし
「そうじゃねぇ!さっき話したろ!サービスエリアで鉄治の首触った時、真木の事思い出したって… 真木と首の冷たさが同じだ ったんだって …それに、あの時の鉄治の反抗的な態度 … 真木も現場で倒れる前日に… あんな態度しただろ?覚えてねぇのか?」
「覚えてるよ、だから何だよ、真木は病気で死んだ、癌で死んだんだろうが!情けね ぇな、社長だろうが確りしてくれよ … 俺が ヤるから黙って待ってろや…」
冴木は社長を睨みつけ
「臆病風に吹かれやがって、腰抜けが…」
「腰抜けでもいいさ、でもな冴木… 真木も 、曰く付きの現場入ってから体調崩して、それで … 死んだじゃねぇか … 」
社長は目を細め遠くを見た
「何言ってんだかな … 鉄虎、よく聴けよ、真木は癌で死んだんだ、その時、偶々、入 っていた現場が曰く付きだった、真木は解体中に現場で血を吐いて倒れた、その現場が曰く付きだっただけだ… 曰く付きの現場入 ったら皆、癌になって死ぬか?真木の癌は曰く付きの現場に入る前からだった、手遅れになったのは、真木自身の落ち度だろ ?あの馬鹿野郎 … 俺は幽霊なんて信じちゃいねぇんだ… もし、いたとして真木を殺した って言うなら、俺がぶっ壊してやる …そんなに心配なら鉄治を病院に叩き込めっ」
冴木は言い終えると、唇を噛んだ …
社長は、ふっと笑い
「冴木… お前が社長やった方が、会社儲かるんじゃねぇか?」
「俺は現場が好きなんだ、社長なんて真っ平御免だね … お前は向いているよ社長に… 俺なら自営で1人でやるだけだろうな 」
冴木は笑いながら応えた
「俺だって現場がいいさ… 社長やりたくな ったら言ってくれよ、何時でも譲る! 」
社長も笑いながら返すと
「嫌なこった、じゃ、帰るとするかな … 失礼しますよ、社長 … あぁ、それと … 鉄治… あいつは確かに真木に似てるな … でも、別人だ、心配するな… 幽霊とやらに連れて行かれるなら、俺が先に逝ってやるから …」
冴木は真顔で応えた
「そんな事望んでねぇぞ冴木!無事に戻れよ!出来ないなら、あの家の仕事は今直ぐに依頼主に断る!」
「… 解っている 、無事戻るさ…」
冴木はフッと笑い社長室を後にした。
冴木より先に社長室を後にした鉄治達は、会社の前で…
「じゃ皆、また一緒の現場になったら宜しくな、お疲れ!」
俺は、天野と政と清に言葉を掛け自宅へと歩き出した。
「鉄さん、そりゃ無いよ… 帰りに鉄さん家寄って話そうって …」
天野が俺に言う
「悪いな天野 … 今日俺、疲れちまってよ … それに、もう良いだろ?あの現場の事は … 忘れろよ… じゃ、またな!」
俺は言いたい事だけ言い、クルリと皆に背を向け自宅へ向かった。
「鉄さん … 」
天野はそれ以上何も言えなかった 。
「天野さん、鉄治さん変じゃないですか ? 」
政が不満そうに言う
「僕も政さんと同じで、鉄治さん、何か変だと思います… 」
清は悲しそうに言い、天野は
「でも、鉄さん、今日は疲れてるって言 っていたから、明日にでも鉄さん家行ってみないか? 運良く3人現場同じだし、鉄さんが何か変だって思っているのは、俺も同じ だ、でも1人になりたい時だってあるから 、今日は諦めて、明日行ってみよう、鉄さん家知っているんだからさっ、なっ!」
天野は政と清を説得し、今日の所は各々家に帰ったと言いたい所だが …
政は清の家に泊めて貰う事で落ちついた。
あぁ、もう今日は何もかんも嫌だな …
さっさと家帰って休みてぇ …
俺は早足で歩き自宅へ向かった。
オアシス横を通る、チラッと公園を見て玉五郎を探すが居ないようだ …
アパートに着き、鍵を開け家の中に入ると直ぐに、リュックの中の洗濯物と今着ている服を全部脱ぎ洗濯機に放り込み、ボタンを押した。
そのままクローゼットへ向かい、パンツにシャツ、スウェットを履いてベッドに躰を投げ出した。
ボフッ…
ベッドに躰を横たえ、今日の出来事を回想した。
けれど、思い出すのも億劫になり気分を変えようとTVをつけた。
そのまま、何時の間にか寝てしまい、ハッとして起きると、壁掛け時計は8時を示していた。
とっくに終わっていた洗濯物を干し終えると、又、ゴロッとベッドに躰を横たえた。
今日の事を、思い出そうと思えば思い出せるだろうけど … 俺の脳なのか心なのか…
思い出すのが苦痛だと言うので、明日の仕事の事を考える事にした。
冴木さんはロボだから、本来なら俺は必要ない … 冴木さん1人で重機解体も手バラシもこなせるからな …でも俺も入れると言う事は、冴木さんの技を見るチャンスだ!確り見て頭に叩き込まなきゃな …
俺は、気持ちを少しでも明るく持っていき 、前向きな思考になれるように努力した。
ニャン~ゴロ♪
猫の鳴き声が聞こえバルコニーを見ると、玉五郎が俺の赤いバンダナをモッコリさせ背中に背負いバルコニーに座っていた。
「玉五郎!今開けるぜ…」
俺はバルコニーの窓を開け、玉五郎を室内に招き入れた。
それから天野がしたように、玉五郎の前に小鉢に入れた水を置いた。
ぺチャパチャ、ペチャパチャ …
玉五郎は水を飲み終えると
「ハァ~生キ返ッタゼ、毎日暑イカラヨ、 今日ハ1人カニャン?」
「あっ、あぁ… 」
玉五郎が喋るのを聞くのは2度目だが、や っぱりまだ抵抗があり… 驚いてしまうな …
「兄チャン、先ズハTV消シテクレネェカナ 、アト、バルコニーノカーテンモ引イテクレ… 俺ガ引クト破レチマウカラヨ… アァ、ソレト、バンダナ外シテクレ …」
「あぁ、解った … 玉五郎、お前几帳面なのか?」
俺は玉五郎に言われた通りTVを消し、バルコニーのカーテンを端から端迄綺麗に引き
玉五郎の背負っているバンダナを外した。
「これでいいか?」
俺は緊張しながら玉五郎に聞いた
「オゥ、ソレデイイ… デハ、主カラノ伝言 イクゼ、アンサン達シツコイデンナー、マダアノ家ニ関ワリタインデッカ… ホンマモンノアホデンナー、厄介デスワ解体工事ハ中止シナハレ、ソレガ1番アンタラノ為デンネン… デモ無理デッシャロナァ… 玉五郎モ何トカシタリト鳴キマスシナ… マァ、近ヅクナ言ワレテモ何デカ気ニナルノガ人間イウモンデスワ… 」
その通りだ主 … 俺はコクンと頷いた
「アンサン、ソノ前ニ水デモ飲ミナハレ、 緊張シスギデンガナ… 玉五郎ニモ頼ミマス 、猫ナンデチョット喋ルト喉ガゴロツキマンネン…」
俺は言われるまま、玉五郎の前にもう1度水を置き、冷蔵庫から冷えた麦茶を出して一杯飲んだ。
ペチャパチャ、ペチャパチャッ
玉五郎は、美味しそうに水を飲みほし話し始めた。
「アノ家、アノ土地、2ツトモ普通ナンデス、住ンドッタ人達ノ業デ汚サレタンドス … ソヤカテ住ンドッタ人達モ不憫ナ話デッセ … ヘビーナ話デス… 先祖カラ呪イノ因縁背負ッテマンネン … 」
先祖からの呪いの因縁て …多田氏も洞窟の中でそんな事言ってたな…
これ以上は聴くべきじゃねぇ … そう思いつつも、俺は玉五郎の主の話を聞かずにはいられなかった…