表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
92/131

七十九 たけなわ 下

引き続き戦闘回です。

グロくないように気をつけていますが斬ったりする表現があります。

苦手な方はご注意ください。


 邪魔な客たちが方向を変えて進み始めたのを感じ取り、高遠はらしくなく舌打ちをひとつした。


 先ほど降り立った枝から、再び宙へ身を躍らせる。

 夜風を翼に受けて、落下の垂直ではなく鋭く水平に、夜を切り裂いて飛翔する。


 猿の大半は排除したものの、残りが行って欲しくない場所に近付いたため、少し様子を見ていたら案の定、あちらへ向かって動き始めた。

 その動きは予想とは少し外れたもので、こうなるならば少々後片付けが面倒でも、木ごと岩ごとやってしまうのだったかと、ちらりと考えてはみたが、そちらもやはり得策とは言えないと結論する。


 山の様子が変わるのは、彼にとって歓迎できないことのひとつだ。


(急げ、あるじよ!奴らこのままではあちらへ行ってしまうぞ!)

「言われずとも分かっている!」


 耳を介さず直接届けられる声に叩きつけるように返事をして、翼をひとつだけ羽ばたいた。


 たった一度の羽ばたきだけで、天狗は一気に加速する。

 風を切り裂き、木々の直ぐ上を掠めるように一直線に飛んでいく。

 あるところでもう一度羽ばたいて今度は勢いを緩めると、枝葉の間に突っ込んだ。


「来た!?」


 途端上がった驚愕の声は、山に乗り込んで来た猿のもの。

 いくつかの弓弦(ゆづる)が鳴り、矢が飛ぶ。

 だが矢は、狙いが甘かったものか、掠りもせずその全てが逸れた。


「外したっ!」


 悔しがる猿の反応を一切無視して、群の背後から追い越す形で突っ込んで行った天狗は、猿たちを飛び越えてその先へ降り立った。


 進行方向を変えようとして崩れかけていた陣形が、速やかに元に戻る。

 後ろから強襲するとでも思っていたのか、猿たちは身構えながらも、何もせずに高遠が通り過ぎたことに驚きを隠せない。


()え!」

 だが、ぼうっと見ているほど間抜けではない。

 号令と共に、十数本の矢が一斉に高遠の背に向かって放たれた。


 僅かな弧を描いて襲い掛かった鉄の(やじり)は、狙い(あやま)たずその黒装束の背に向かう。

 しかし、今度は全員が、矢の軌道が変わるのを目の当たりにした。

 狙いは逸れ、土に突き立ち、もしくは木に刺さる乾いた音がばらばらと鳴る。


「馬鹿な…!」


 大粒の雨のような音を背景に、高遠はゆっくりと振り返った。

 間髪入れず一斉に飛び掛かろうとしていた猿たちは、思わず(たたら)を踏んで立ち止まった。

 誰も彼も、一番遠くに居る者でさえ、天狗は自分を見ていると錯覚し、隙を見つけられずに居たのだ。


 壁などない、猿にとっては拓けた場所に等しい林の中で、天狗はその存在感でもって、正しく猿の群の前に立ちはだかっていた。


 身構えた前衛の猿たちが、気圧(けお)されたように僅かに身を揺らす。


 (おもて)に浮かぶのは隠しようのない恐怖。


 先の矢は、まるで自ら避けるように逸れて行った。明らかに何らかの妖術。だが猿たちはそんな術を知らない。

 何の素振りなく理解の外の力を振るう敵への恐怖が湧き上がる。

 さらに、天狗から滲み出る不機嫌を感じ取った恐怖。

 そればかりではない。実は高遠よりも(ヤタ)の方が苛立っていて、猿たちには三割増し恐ろしい形相の面に見えている。


 怒りの形相のカラスの面をつけ、怒気を漂わせる天狗が…数多の同胞を軽く血祭りにあげ、何もせずに必中の矢を全て逸らせる、理解の埒外に居る強者が、強い目線で――面に隠れて見えないが――ひたと彼らを睨んでいるのだ。


 怖じ気づいた猿たちを眺めて、高遠は密かに息を吐く。




――――致し方ない。こればかりはこちらに進んだこいつらが悪い。

(同感だ。やれやれ、風刃で全て倒れてしまえば良かったものを)


 毒づくヤタに全くだと返しながら、懐に収まった白蛇が身動(みじろ)ぐのを感じた。

 どうやらタチも同意らしい。


 苛立ちは大きいが、何をするにしろ先ず、高遠は口を開いた。


「ここから先に通しはしない」


 凛と響いた声に応えて進み出る者が居る。

 面の下で高遠は僅かに目を眇めた。


「偉い血相変えて出て来はりましたなぁ?」


 三日月形に釣りあがった大きな口が動いて喋る。

 小柄な高遠より少し背丈があるぐらいの矮躯(わいく)。派手な帯を頭全体に巻き付けた奇抜な恰好。

 ぴんぴん跳ねた髪は夜目には黒く見えるが、報告によれば鬼灯(ほおずき)のように赤いはず。――高遠が探していた者。その片割れ。


――――もう片方は…。

(居た)


 群の後ろで気配を殺し、隙を窺う大柄な男もまた容易く看破する。


――――油断は出来んな。

 高遠は冷静に相手の力量を読み取って、心中で呟いた。得たのは、高遠が僅かに驚くほどの手練(てだ)れであるという直感。


 いっそ無感動にその事実を受け止める。

 気負いはない。


「お前が、術師だな」

「まあ少しは使えますけど、術よか(あきな)いの方が得意ですわ。薬屋の木場、言います。よしなに」


 高遠は、大きな動きで慇懃(いんぎん)に一礼した人物に目を遣りながら、後衛に居た猿たちが素早く物陰を伝って、広く展開するのを手に取るように感じ取っていた。


(無駄なことを)


 苛立たし気に吐き捨てるヤタに内心で同意しながら、高遠は慎重に目前の相手を測っていた。


――――名は、流石に偽名。だが、"呼び名"だな。

 "手応え"と呼べるだろうか。口に出さずに木場を呼んだ高遠は、返った直感を確かめて断じる。


 高位の妖は、それが真名ではなく呼び名であろうと使い道を知っている。知らなかったのは木場の油断であり落ち度だ。

 木場は名前(弱み)を手渡したことに気付かない。

 高遠もまた、気付かれないように一切の反応を返さなかった。


「さてさて、急いで出て来はったってことは…この先、何か触られたくないモノでもあるんやろか?」


 ぴくり。


(…おい)

――――…なんだ。

(何を図星さされた程度で動揺しておる)

――――…動揺じゃない。腹が立っただけだ。

(だからそれを動じたと言うのだ)

――――ちがう。

(負け惜しみは見苦しいぞ)




 口に出さない主従の口喧嘩は、幸か不幸か他には気付かれていない。

 面で顔が隠れた天狗が黙ったまま、ほんの僅かに反応を返したのが見えているだけである。

 それは、必死に動揺を押し隠し、相手の出方を窺っているように見えていた。


 反応が薄いのは、実は言い合いに忙しいだけだったりするのは知らぬが花だ。


 そんなことを知る(よし)もない相手方は、ある意味的を射た確信を得た。

 この先にあるのは天狗にとって大事なものだと。


 他者の大切なものを想像するときに、己の最も欲するものを思い浮かべるのは自然なことだ。

 木場の笑む口が動く。


「例えば…この山の結界の"要"とか?」


 囲みの外縁に居る二頭の猿が、身を翻して駆け出した。大回りで天狗を避け、ひた走る。

 目指すは立ち塞がった天狗の向こう。


 この結界を打ち砕けば必ず、外で見張る者たちにも伝わる。

 群の仲間を始め、その他――この山を狙う他の種族にもだ。

 今宵白鳴山に変事があるのは知られているだろうから、多かれ少なかれ様子を見ているに違いない。


 喉から手が出るほどこの山を欲しているのは皆同じ。霧が一時でも晴れ、彼らが手を焼いている結界がなくなれば必ず動き出す。自分たちが狙う獲物が横からかっ浚われるのを黙って見ているはずもないから。


 そうなれば、直ぐに四方八方から多数の敵が雪崩れ込み、きっとこの近辺は戦場になる。


 天狗は猿のみを相手にしていられなくなる。多数を相手取って天狗が戦うなら、漁夫の利は充分に狙える。


 敵の敵を増やす妙手。彼らの長が与えた知恵である。

 直ぐに乱戦が始まらずとも、結界が破れた隙に散開して逃げれば生き残る者も居るだろう。

 いや、隙が出来るならもしかすると逃げずとも勝てるかもしれない。


 絶望的な状況で勝ちを拾うため、彼らは駆け出したのだ。


 だが動いたのは、猿の動きを読み切っていた天狗も同じ。

 左手で帯の背中側に差した団扇を、右手で腰の刀を抜いた。

 その速さは神速の域。誰の目にも抜かれたと気付かれる前に両手は振り抜かれていた。

 何かあれば天狗を妨害しようと身構えていた猿たちでさえ、反応出来はしなかった。


 酷く高い音を立てて、先へ進もうとした猿たちに突風がふた筋(・・・)吹き付けた。

 横の木葉は殆ど揺れず、なのに二頭は大嵐に遭ったように軽く吹き飛ばされて舞い上がる。

 思わず目で追った残りの者たちの目線の先で、二頭の姿がぶれた(・・・)

 さながら水面の底の小石が揺れて見えるように、月明りの下でも確かに分かるほどの揺らめきが、振られた刀から飛び、瞬く間に宙にあるふたつの影に達し――彼らを球形の薄青い光が包み込んだ。


 金属を打ち合わせるような甲高い音が響き渡る。

 一瞬、ふたつの影は空中で静止して――そのまま群の中に落ちてきた。


「あぐっ」

「ぐぅっ」


 落ちて呻き声を上げた二頭は…無傷だった。


「防げる…!」


 渡された未知の術札の威力を知ったのは初めてで、猿の群がざわめいた。

 一度は絶望をもたらした風を見事に防いだという事実は、結界の効果に半信半疑だった彼らの不安を拭い去り、恐れを減じた。

 襲撃者たちの目に戦意が戻る。薬屋が笑みを深くした。


「――要?」


 聞こえたのは、勢い付いた猿たちが身震いするほどの温度のない声音(こわね)だった。

 己の術が防がれたというのに、天狗には一切の動揺がない。


「下らん。そんな物(・・・・)のためにこんなところまで来たのか」


 取るに足らないもののように吐き捨てる。苛立ちを表すように、風がゆるく渦巻いて、辺りの木々を揺らす。

 星の粒のような月光が、抜き身の刀にちらちらと弾けた。


「結界など、例え破れたとしてもさほどの意味もない。我が山を守るのがあとは結界のみとでも思ったか?」


 ゆっくりと踏み出した一歩は、敵対者をじりりと下がらせた。

 猿に動揺が広がる。結界を解いても意味がないと天狗は言ったのだ。

 真実である保証はどこにもないが、その声には嘘を勘繰る者にも無意識に信じさせてしまう力があった。


「折角場所を選んでおいたというのに…素直に彼処(あちら)から登って来れば良かったものを、こんなところまで入ってきて厚かましいにも程がある」


 木場までもが笑みを消した。

 結界を破って侵入(はい)って来たのだ。入る場所を教えておいたり、指示されてはいそうですかとやって来たのではない。

 なのに、今の口ぶりでは、猿たちは天狗の思い通りに動いていたようではないか。


「行く先を換えたのは何故だ?撒けるとでも思ったか?それとも何か、目的あってこちらへ来たのか?」


 ずんずんと、無造作に距離を詰める黒衣の天狗から、猿たちは無意識に後退(あとずさ)る。


 方向を換えたのは、確かに敵の目を眩ますためだ。

 だが数が減ったことを生かし、木々が生い茂る間を縫うようにして、上空から見つけられないことだけを意識して進んできたのだから、こっちへ来たのはただの偶然だ。


「…へえ、なら何があるんです?」


 口を開いたのはやはり木場だった。

 敢えて猿より前に立ち、近付く天狗に商売のときのように笑みを向ける。


 天狗が微かに木場に顔を向けた。

 薬屋に注意が向いている間に、猿たちは必死に隙を探った。

 だが、刀を構えるでもなく無造作に立った天狗は隙だらけに見えるというのに、どうしても踏み込めない何かがある。

 見えない壁にでも阻まれているように、前への一歩が動かない。


――何か、と形容しながらも、彼らは心の底では気付いていた。

 足を止めているのは恐怖。生き残るために、強者を避けんとする本能だということを。


「何かだと?」


 静かな中に刺を含んだ声が問い返す。

 天狗の足が止まる。


「ええ、そう。血相変えて飛んで来るほどの大事なもんって何ですのん?結界よりよっぽど大事なものとは。冥土の土産に教えてや」


 駄目で元々の時間稼ぎだ。そんなに大切なものなら簡単に教える訳がない。

 しかし天狗は、予想に反してひとつ熱い怒気をため息に乗せ、吐き捨てた。


「良かろう」


 天狗の秘密を知れば、何かの役に立つかもしれない。猿たちは次の言葉を待って耳を澄ます。

 その中で、猿が三か四ほど、決死の覚悟でじわりと横へ動く。――天狗はそちらを見ていない。


「この先は」


 風に煽られて、落ち葉がふわりと舞う。

 猿が傍らの幹に寄って手をかけた。


 高まる緊張感など気付かな気に、天狗は重々しく秘密を明かした。



弟子(うちの子)の、遊び場だ…!」



 ごうと音を立てて風が吹き抜けた。

 その音はやけに大きく響く…それもそのはず、その場から他の音が消えていた。


 皆一様に、聞いた言葉の意味を受け止めかねて、声もなく動きを止めていたのである。


「はい…?」


 流石なことに、最初に恐る恐る口を開いたのは木場だった。


「あの、すんません。ちょーっと聞き間違ったかもしれんのですけど………遊び場?」


 はっきりしっかり聞こえたのだが、あまりに日常的かつ平和な内容だったので、寧ろ間違いであって欲しいと望まない者は居なかったが、返ったのは、非常に力強い頷きであった。


「そうだ。遊び場。小物を掬って遊ぶ沢、競って登る木、菓子代わりに摘まむ実、駆けて回る道。どれも壊されては直しても完全に元には戻せん。変わってしまえば、行く度今夜を思い出してしまって無邪気に遊べぬようになるやも知れん。断固として、この先に通す訳にはいかん」


 彼はきりりと言い切った。

 凛と立つその姿は、真に山を護る気迫に満ち、張るでもないのにはっきり耳に届く声は、明瞭に意思を届けた。


――そして、命を掛けてやってきた来襲者と日常感覚でいる彼の認識には、千尋の谷ほどに深い溝があるようである。


「…なんやそら!?」


 木場の突っ込みは見事にこの場の空気を代弁していた。

 このときほど、ひょろい薬屋が頼もしく思えたことはなかったと、後にとある猿は語った。


「山の結界より子どもの遊び場の方が大事とかアホな!?」

 魂の叫びである。


「阿呆とは何だ。庭先まで上がり込んでおいて。上って来るのに散々荒らしたのみならず、この上うちの繊細な弟子の健やかな成長を妨げるなど許しはせん」

「正論!!けど待て本気か!?この非常時で結界より遊び場なんか!?」

「何を言ってる。本気に決まっているだろう」

「嘘やろ!?」


 弟子がいつも楽しく遊んでいる場所を荒らされそうになって、保護者は激怒していたのだ。


 近隣にその名が轟く霊山、白鳴山を数百年守り続ける(ヌシ)、高遠天狗は、こんなときでも一切揺らぐことなく、ぶれない。


 ただただ力強く、思い切りいつも通りであった。


「うちの庭先を荒らし、あまつさえうちの者に悪影響がある奴らなど容赦する気はないから覚悟しろ!」

「せめてもうちょい真面目な理由入れて…!」

「何を言う」


 非常に不愉快そうに口元を歪め、彼はのたもうた。


「この上なく真面目だ」

「なお悪いわああ!!!」


 誠に残念なことに、この上なく本気だった。

 声高らかに叫んだ木場はがっくりと肩を落とした。


 ド天然の無作為ボケに笑いも取れないのに突っ込んで行くことほど虚しいものはない。笑いを取る場面でもない。

 なのに本能的に突っ込んでしまったツッコミの敗北であった。


「――冥土の土産はもう良いのか?」


 風の合間に、底冷えのする静かな声が響いた。


 天狗の姿が掻き消える。同時に甲高い音と眩い青光が席巻した。


「くっ…無理か!!」


 木場が思わず歯噛みする前に、木に密かに駆け登った三頭が落ちてきた。


 急襲せんと完全な死角を選び、無音で枝に上がったにも関わらず、瞬時に肉薄した天狗によって斬り落とされたのである。

 いや、未だ狂ったように発光する結界に護られて、その身に傷は見当たらない。


「いけるぞ!囲め!!」


 護りの術が有効だと知るや、幾つもの雄叫びが上がる。

 停滞していた状況が一気に動き出した。


 そこからの動きは流石に精鋭と言えるものだった。寧ろ極限の状態に於いて(たが)が外れたような、普段以上の動きである。


 枝上に立った天狗へ向かい、三頭が幹を駆け上がり、更に何頭も周囲の木から枝を伝って飛び上がる。


 下に残った者と同数の矢尻が(くう)を裂いて迫り、下から横から更には上からも、抜き放った小太刀と矢尻が全く同時に襲いかかった。


――――()った!!!


 まさに一心同体。動きと共に思考も重なり、かつてない自らと仲間の連携に勝ちを確信した瞬間――


「――はっ」


 気合いかともすれば嘆息にも取れる短い息が聞こえたそのとき、銀の光が(ひらめ)いた。


 刹那の間、飛び掛かった猿の群は、何の支えもないまま宙に留まった。

 風さえ止み、音が絶えたその一瞬。時さえ止まったような極小の間に、何が行われたのか見て取れた者は居なかったが、光はくっきりと目に焼き付き、模様を描く。


 止まったかに思えても、やはり時は動き続けている。


 宙に在った体が一気に弾け飛んだ。

 幾つもの鐘を滅茶苦茶に鳴らしたかのような耳障りな音が響き渡り、目が眩むほどの青光が(ほとばし)って夜闇を束の間塗り替えた。


 襲撃者の中に何が起こったのかを知る者は居はしなかったが真実は、銀の光と思えたのは天狗が振るった刀の軌跡。場を満たした光は猿を守る術の発光。


 縦横無尽に(はし)った刀は、前後左右上下に至るまでの襲撃者を全て叩き落し、一度に発動した術光が纏まって、眩いほどに光量を増したのだ。

 半ば目眩ましの心算(つもり)で放たれた矢は、当然のごとく無視され、ひとりでに的外れな方へ逸れていった。


 天狗は未だ無傷。


 体が落ちる重い音と小さな呻き声。

 だがそこは選りすぐりと言うべきか、無様に転がった者はほぼ居ない。殆どは咄嗟に受け身を取ってくるりとすぐさま起き上がる。


 猿が落ちたのを追うように、黒い天狗もひらりと飛び降りていた。


 笛のような音と共に強風が吹き付ける。

 攻撃は狂暴な勢いで猿の群へ迫り、弓を構えていた者の周りにもぐるりと青白い光の壁が現れた。


 追って落ちてきた天狗は下方へ向けて、団扇を仕舞って空いた左手をすいと差し伸べた。


「……消えろ」


 ぱん


 軽く手を叩いたのに似た、軽くて小さな音を残して呆気なく――猿たちを覆った守りの術が消え去った(・・・・・)


「は……?」


 その驚愕は隙を生み出し、元々絶望的だった形勢の不利を一気に傾けた。


 地に降りた天狗がふっと掻き消え、ほぼ同時に少し離れたところで矢をつがえかけていた一頭の首が飛ぶ。

 倒れる体を避けて軽やかに走った黒装束は、振り返ろうとした者三頭ばかりも手にした(やいば)で斬り捨てた。


「あああぁぁああ!!」


 雄叫びを上げて遮二無二突進した者は、突き込もうとした腕が、刀を握ったまま斬り飛ばされるのを虚を突かれた顔で見送り、そのまま頭がごろりと地に転がった。


「良くもやっ…!!!」


 横から得物を振りかぶった者は、相手がすっと消えた瞬間に喉ごと声まで斬られて事切れた。


 次々に上がる血飛沫。その度に重い音がして、動かなくなった体が、自ら作った泥濘(ぬかるみ)に沈む。


 仲間が斬られる間に必死に纏まり、幾らかの猿がなんとか体勢を立て直したとき、残っていたのは僅かに五頭。


 構えていようと関係なく、正面から風のように白刃が迫る。


「おぅらぁあああああ!!」


 天狗と猿の間にひとつの影が滑り込んだ。

 同時に展開された青い障壁に阻まれ、刃が止まる。

 眩い光が激しく明滅し、爆竹でも鳴らしたような破裂音が連続した。


 だが青い壁はそこにあり、刃は先へ届かない。


「ほう?」


 意外そうに天狗が呟く。


「はっはァ!どうや!!」


 勝ち誇ったようにその人影――木場が叫んだ。


 だが勇ましい口調とは裏腹に顔は強張り、前へ突き出した両腕は、握ったものごと手首から先が見えないほど強く発光していて、まるで光に押されるのを堪えるように、支える腕が渾身の力を振り絞って震えている。


「結界を破れんように思わせといて油断させるとか!ほんまずる賢いやっちゃなあ!ま、この"改良型"は破れんやろ!!」


「いいや?」


 斬り下ろした刀はそのまま、片足を軽く引くと、松笠(まつかさ)でも蹴るような気軽さで結界へと爪先を突き込む。


 つるりとした球面の全体に、雨降る水面のような縮緬皺(ちりめんじわ)が現れる。

 (たちま)ち凹凸は不規則に動き、歪み、(ねじ)(よじ)れ、深く大きくなって――


「なぁっ!?」


 かしゃ…ん


 光の粉を散らして割れ砕け、消えていく結界。術が破れた反動でよろめいた木場の横面(よこつら)に、軽く跳び上がった天狗の片足が叩き込まれ、木場はたまらず地面に倒れ込んだ。


「がッ!?」

「ん…やはり傀儡(にんぎょう)か」


 倒れた薬屋の背に片足を掛け、つまらなそうに天狗が呟き、左腕を振る。


 背後から迫っていた猿が一頭、風に刻まれて倒れた。


 無理矢理首を捻って片目で見上げた薬屋の横顔が、細かくひび割れてぱらぱらと欠片を落とす。

 それでも彼はにぃっと笑った。


「あ、やっぱご存知なんやな。ほんま、この障壁まで壊されるとは……思わんかった、でッ!!」


 手のひらで地面を叩く。その場所にふわりと燐光が立ち昇り、意思持つように天狗に絡み付こうと迫る。


「呪法まで使うのか」


 呆れたように呟いて、何もないように、纏わり付かれた片足を軽く振り抜いた。


「ぐッ」

 その爪先は、術を使って地に突いた腕を蹴り砕く。

 同時に術は霧散して、粉々になった腕は土塊(つちくれ)となり、細かな粉塵となって舞った。


「ん?」


 腕だった破片はそのままざらりと動き、天狗の片足首を巻き込んだ。


『ゼフさん!!』

 横から肉厚の剣が唸りを上げて迫った。


 きんっ


 場違いなほど澄んだ音がして、天狗を包んだ真白い半球が凶刃を受け止めた。


 巨漢は盛大な舌打ちをすると、大きく後ろへ跳んで距離を取る。


『キパ!離脱しろ!!』


 言いながら構えた剣に、ギラつく光が収束する。

 木場まで巻き込んで一撃入れる心算である。


『無理ですゼフさん!』

 だが、悲痛な声が上がって踏み込みかけた足を止めた。


『"経路(ライン)"が繋がりません!!』


 さらに凶悪に歪んだ表情で、自分より遥かに小柄な敵を睨んだ。




「何処の言葉だ…?」


 高遠は片足を捕まえられたまま、呑気に困惑して呟いた。

 二者の会話は彼の知らない言葉でされていて、内容を知ることは出来なかった。


(我も覚えはないな…)

 どこか悔しげにヤタが言うのにそうかと心で返して、半ば崩れながら必死に高遠の足を押さえている傀儡を見下ろした。


――――逃がした方が得だと思うか。


(ふむ、ここで仕留めても良いが…此奴(こやつ)の逃げた先にまだ敵が居るなら、その方が得る物は多かろう。対抗の(すべ)は見つかったことであるし)


――――ああ、(からだ)が壊れても逃げ出さない(・・・・・・)ということは、術の何れかは有効、だな。


 前回の接敵からこちら、講じてきた対策を幾つか思い出して、高遠は内心で頷く。


 高遠は、鬼の討伐に出たときに居た術師、来栖(くりす)と呼ばれていたあの女の結界に手間取ったことから、あの系統の術をまた使われても破れるように研究していた。

 また、傀儡(くぐつ)の核になっていた呪物を術に詳しい仲間に調べて貰い、仕組みを大まかに解明。器に魂魄(こんぱく)を憑依させる状態に近いものだと突き止めて、結界に捕まえておける(・・・・・・・)ように幾つかの術を掛けたりと、準備を万端整えて待ち受けていたのだ。


 あとは、どちらかを――剣を構えた男の方は、もしかすると生身かもしれないのでこちら――を捕らえて、傀儡の方はどうするべきかというところ。

 準備をしている段階では、思い通りに行くかはやってみなくては分からないと様々な場面を想定しておいたが、蓋を開けてみればこの状態だ。


 今のところ、場が少々こちら側に寄ってしまったこと以外は、とても上手く事が運んでいると言える。


――――残りも…あと()か。


 術師ふたり以外に残る猿は四。

 己の姿を餌にして気を引き、散開される前に片付ける手を採ったが、こちらも目論見通りに進んでいる。


 流石に怖気(おじけ)づいたのか、距離を取ったまま動かないが、風のひと吹きでもすれば終わる。

 先にこれを終えてしまおうと左手を団扇へ伸ばした――と、発光纏った剣が横薙ぎに叩きつけられた。


 きんっ


 巨漢の一撃は先と同じく淡く輝く結界に阻まれて止まる。

 それでも諦めず何度も刃を振るう男に、先ずは対処はこちらからと刀を向けようとしたそのとき、足元で傀儡の術師が身動きするのを感じて、高遠はそちらに刃を振り下ろした。

 刀は狙い(あやま)たず、木場の残った片腕を、握った何かごと斬り落とす。


(あるじよ!)


 ヤタが警告するまでもなく、意識が下に向いたのはごく僅かの間。それももう片方にも油断はしてはいない。だが、少し気が逸れたのは確かなことでもある。

 その隙とも言えない極小の機会を突いて、巨漢は未だ見たことのない動きを始めていた。


「おぁあああああァ!!!」


 剣を引き身を低くして、(はす)に構えたまま突進する。肩から結界に突っ込んで来る。

 無謀で非常識に思えた力業だが、着物の下で肩が薄く光を発し、ましろい火花が激しく咲き散る。


『*********っ!!!』


 時を同じくして木場が聞き取れない言葉で何かを叫ぶ。その声に籠った()を感じ取り、呪文だと直感して――


――カッ


 斬り落とされた手の中で、何かが強烈な光を発し、次いで灰色の煙が勢いよく噴き出した。


「…っ!?」


 すぐさま煙は風で散らした。結界は風を遮るものではない。

 煙幕は一瞬にして濃さを失い流れて行くが、その瞬間、ふっと結界の光が弱まった。


「あああああァア!!!!」


 気勢を発して更に男が踏み込む。ぎらつく光が目を射る。

 ぎしりと軋み、そして弾ける結界。


 高遠もまた鋭く踏み出した。

 刃を突き込み跳ね上げる先は男の左腕。

 だが、その程度では突進の勢いは殺せないと予想を付け、足の拘束など軽々と振り払って前方上へ跳び上がった。


 斬り飛ばされた太い腕が血の筋を引いて舞い飛ぶ。

 だが男は止まらなかった。


 腕を犠牲に高遠を退()かして、邪魔がなくなった前方へ胸元に引いていた剣を渾身の力で突き出す。


「がァああああああああああ!!!」


「…見事」


 剣に溜まった力が斬撃となって飛ぶ。

 それは斜め上方へ伸び、山を包み込んだ結界のただ一点へ突き刺さり、突き抜けた。


 途端、地に伏す木場が形を失ってざらりと崩れ去る。

 それを見届けて、ぐぅっと(うめ)いた男が膝を突いた。


 高遠は(ようや)く地に足が付いた。

 男へ向かって駆け出そうとして


「ぁああああ!!!」


 四頭の猿が決死の形相で四振りの小太刀を突き立てた。

 高遠は軽く一歩退き、その刃は空を切る。


 一旦退いたその動作が稼いだ時は僅かでしかなかったが、戦闘の結末を決めた。


 ぶ……ん


 蜂の羽音に似た唸りが耳の底で鳴る。


 同時に足元に円形の術陣が展開した。いや、高遠の足元ではない。

 膝を突いた男、四頭の猿たち、転がっている猿の死骸の下の地面にそれぞれひとつずつ、見知らぬ術が現れて光り――瞬きの間に、その全てが掻き消えていた。





 一瞬にして静まり返った場を見渡して、高遠はふと息を吐いた。


「――逃げられた…追えたか?」

(うむ。そちらは任せておくが良い。だが、大事ないか)


 何時になく気遣わし気なヤタに、己の状態を顧みる。


 傷はない。いつも通り衣に埃ひとつない。戦闘の名残は僅かに刀を染めた血糊のみ。

 しかし、鼻の奥に嗅ぎ慣れない苦い臭いがこびりついているのに気付いて僅かに顔を歪めた。


「あの煙幕か。術が乱れたのはあれの所為だろうな…。もう影響はないようだ」


 言いながらそっと懐を押さえた。

 襟首からするりと白蛇(タチ)が顔を出して舌を閃かせた。

 どうやら問題はないようだ。


(全く不意を突かれたものだな。術を乱す道具があるとは)


「そうだな。――それに、良い覚悟を持った戦士だ」


 思い出して思わず笑みを浮かべてしまう。


 思うに、あの木場という術師が離脱出来ないことを知って、瞬時に結界が怪しいと見たのは直感だろうか。

 それから己が高遠に容易く止められない力を持っていることと、しかし退かせるには不意を突くしかないことを冷静に判断し、己が欲する結果を買うのに犠牲を躊躇わなかった。


 自らが出来ることと望むことを秤にかけられる気概がある者は、嫌いではない。


(ふん。あるじはああいう馬鹿な手合いを好むな。…ああ、奴らは猿の群落に居るようだぞ。追うか)


 頼れる部下は喋りながらも敵の逃げた先をきちんと割り出して報告する。


「そうだな。今夜で終いとしよう…ん?」


 飛び立とうと翼を上げかけたそのとき、遥か遠くから何度も木霊しながら、遠吠えが響いて来た。


(ジン)か。やはり何かあったな」

(やれやれ、大人しくしていれば良いものを)


 ふたつの声は対照的な響きを持った。

 高遠の呟きはどこか嬉しそうで、ヤタは呆れたようなぼやきだ。


「では行くのは辞めにしよう。不測の事態があってはならん」


 そこに危機感はないが、高遠はあっさりと前言を撤回する。

 彼の中では猿よりも、術師よりも重要な案件だったので、至極当然なことだった。


 そうして代わりにするりと宙に術を組む。


「俺の代わりに行ってこい。深追いはするな」


 術陣は天狗の声が落ちる度に明滅し、言い終わるとふっと掻き消えた。


 それを合図に山が騒めきだす。

 風もないのに山中の枝葉が揺れ動き、軋むような唸りまで混じり、そこに無数の小さな声が重なり、高まっていく。


「行け」


 夜闇に黒が爆発した。


 もし昼間のように夜目が利く者が居て、白鳴山を見ていたのならそう思ったかもしれない。

 主の号令に従い、山中に居たカラスが一斉に飛び立ったのだ。


 それは黒い嵐のような勢いで山の上を荒れ狂う。

 そうして全体でひとつの生きもののようにうねりながら、一直線に飛び去った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ