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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
91/131

七十八 たけなわ 上

※グロくないように注意しておりますが、欠損表現があります。苦手な方はご注意ください。


 抵抗するように光を発していた不可視の壁が、四度目の斬撃を受けて致命的に歪んだ。


 閃光。そして四散。


 予想された破砕音ではなく薄い氷が割れたような儚い音を立てて、侵入者を(はば)み続けた白鳴山の結界は崩れ去った。


 おおぉ、と感嘆の声が上がった。

 それは()り合わさって地鳴りのような唸りになった。

 地に(どよ)もす呟きは直ぐに性質が変わる。

 驚きから喜びへ。百の猿が上げる歓声が、満月夜を控えめに広がった。


「よしっ」

「ついにときが来た!」

「鳥もどきめ!首を洗って待っていろ!」


 戦意は元より高い。

 口々に出た勇ましい文句は、その口調に似合わず音としては小さく、すぐに静まる。

 彼らは自分たちの役目を知っていた。これは始まり。ただの通過地点。叫び喜び合う暇はないのだ。

 静まっても、沈黙の底には荒々しい熱気が流れ、爆発寸前のように震えている。


 ずっと狙いながら近づくことさえ出来なかった。その原因は厳重な警戒体制にあると彼らは思っている。


 今夜の襲撃が決まってからはそれまでにも増して死に物狂いで狗の群れを探り、穴は調べあげられた。

 今夜に限り、本来その穴を埋めるために居るのだろう(わし)は、祠へ向かう人間を見張るためか山から遠ざかっている。

 まさしく天の采配であろうと、彼らは勇んで山を目指した。


 下調べが功を奏して、霧まで来るのは拍子抜けするほど容易だった。

 さらに、魔物が住む霧は心強い助っ人によって吹き払われ、最大の懸念だった結界もこうして破ることができた。

 結界と警備を信頼してか、天狗の配下は三手に別れて祠へ向かったのは見張っていた仲間からの報せで知っている。

 占いの結果でも、調査の結果でも、今山に残っているのは間違いなく少数。


 天狗一党の強者たる由縁は、同族で集まり連携し、劣勢と見るや次々に湧いて出て、集団で敵に対するところにある。

 だがこの山は周りには他の天狗の縄張りはなく、援軍が直ぐに来るとは考えにくい。

 孤立した少数の天狗など、攻めてくださいと言わんばかりだ。


 相手が(たの)みにしていただろう、やたらと頑強な結界も消え去った今、舞台はまるで(あつら)えたかのように整っている。

 興奮はいや増し、誰もが自分たちが波に乗っていると確信していた。

 この上は、百の手勢を以て山の主を(ほふ)り、山を蹂躙し、山の力を得て周りの邪魔者の全てを下し、この一帯の全てを一族の手中に収めるのだ。


 彼らの前に、とろりと白い靄が流れ込み始める。結界の内側に溜まっていた霧だ。


「ちと離れてくれます?今から消すさかい」


 声を上げたのは薬屋だという奇妙な男だ。

 猿たちは戦力として数えてはいないが、一族の怪我や病を甲斐甲斐しく処置して回り、種族の隔てなどないかのような気さくな言動もあって、信頼を勝ち得つつある。

 今回は大男の通訳が必要だと言って付いてきた。


 邪魔ではないが、期待もしていない。だが、相方である大男の力を存分に引き出すために必要だと知っているから、彼らの誰もが一応の価値を認めている。


「頼みます」


 代表として一頭の猿が声を掛ける。

 彼を含めた者らの顔には、喜びと等しく緊張が見て取れる。

 曲がりなりにも調べが付いているのは霧の外側まで。霧の内側は少し。結界の内側となれば…そもそも結界があることすら探り出せず、予想の域を出なかったのだから推して知るべし。


 この先は未知。しかし一族中から選りすぐられた強者である猿たちの中に臆する者は居ない。


 真剣な顔に頷いて、薬屋は相方に何か言った。

 大男が両手で得物を振り上げ、振り下ろす。


 閃光。


 じわりと間合いを狭めつつあった霧が、溢れる硬質な光に食い荒らされ、塗りつぶされて消し飛んだ。

 霧が消えて(あらわ)になった鬱蒼とした林を、もう隠れる必要はないとばかりに雄叫びを上げる猿の群れが駆け抜ける。

 進攻は始まった。






 身軽な猿たちは鬱蒼とした山を軽々と駆け上がる。

 目指すはただひたすら上だ。上に居る(・・)気配を彼らは感じ取っていた。


 彼らの長の薫陶を受け、多数の利を消さないように、連携できる間隔を保ちつつも一丸となって突き進む。

 地を行く者があれば、樹上の枝を跳び渡る者もあり、敵に相対すれば前方左右に加えて上からも強襲できる陣形が出来上がっていた。


 その速度は平地の馬と張り合えるほど。

 必然的に、"助っ人"の二人は陣形の後方へ下がることとなった。

 二人も流石と言えば流石なことに、術を使い、普通の人が見れば目を剥くだろう速さで駆けていたが、それでも猿を見失わないように付いていくので精一杯だった。


 誰もそれを責めることはない。

 彼らに期待されていたのは、霧と結界を通り抜けることへの助力だからだ。

 山へたどり着いた今、主力は一族へと移り、二人の役目は援護に変わっていた。


『へえ、見事なものを持ってる。上下まで使った立体的な陣形。移動で縦長になってはいますが、先頭が接敵すれば直ぐに後衛が前へ出て圧し包む算段ですね』


 多数が通った後の出来立ての道を走りながら、木場が相方に言った。

 帯に隠れている目は、後方からしげしげと猿たちを眺めていて、口調には面白がる色が見え隠れしていた。


 緊張感はあっても切迫感はなく、どこか楽しげですらある。

 場にそぐわないこと甚だしい。しかしそれより、夜の山を全力で走りながらも話すことを苦にしていない様子は異様である。

 先行する猿たちですら、人と比較にならないほど軽々と駆けていくが、走りながら喋る余裕はない。


『…平地では使えんな』

 世布が言葉少なく答える。


 鬱蒼とした山は深く、木々の下は闇に沈んでいるが、たまに枝葉を縫って届いた月明かりが、世布の額の汗で弾かれた。


 暗くはあるが、闇の中でも視える術を掛けてあり、夜闇は障害ではない。

 ただ、少し下草が倒れただけの道とも言えない木々の隙間を辿るのは、彼に相応の疲労を与えている。


『まあ、確かに。あの陣形の強みは木を使って頭上まで補う(カバーする)ところにあります。面で展開する陣形に比べてこの数でもあまり長く伸びず隙が少ないというのも利点ですね。それにそもそもこの国には平地が少ない。ならば十分有用と言えます。マシラは平地に行く気なんかないだろうし、平地で使えなくとも良いんでしょう』


 長々とした喋りの返事を鼻息ひとつで済ませた世布は、鼻柱に皺を刻んで前を睨んだ。


『マシラは勝つと、思うか?』

『さてねぇ』


 目で促す世布に苦笑を返す。


『マシラは多分、人が相手するなら手強い相手です。数が居て、身体能力は高く、連携や戦法を知っていて、多少の術を使う。しかしね、戦いっていうものは、彼我(ひが)が揃って初めて成り立つでしょう?』

『勿体ぶるな』


 苛立った相方に木場は『直球で言えば端折るなって言う癖に』と笑う。


『相手のテングは数百年もここを動いてないという話です。マシラが言うにはこの山は是非とも欲しい魅力的な土地です。襲撃されたのも数度じゃないはず。なのに長い間無事でいる。手強いはずです』

『…あの結界(シールド)は、硬かった』

『強い結界のお陰で落ちなかった、硬い結界に頼らなければいけないのなら守りはともかく強くはないだろうっていうのは楽観的過ぎます。強い術が使えるならそれに見合った実力だと考えるのが自然です』


 短い言葉の裏に込めた意味を正確に読み取った相方に、世布はひとつ唸った。反論はない。


『まあ、それでも多勢に無勢って言葉もありますし、場合によっては、ひょっとしていけるかも…』


 猿の背に注ぐ視線には、少しの期待が(こも)っている。

 百とひと言で言ってしまえば物足りない印象がしてしまうが、群れを成す猿を目の前にすれば、その迫力は凄まじいものがある。

 相手は多くとも十に満たない数で迎え撃つらしい。その数の差だけで勝てる気がするのは自然なことだった。


 だが、世布はさらに厳しい目で前方を睨む。


次祭(クフィス)が、やられた』

『まあ、そりゃそうですけど…鬼は知恵もなく真正面から行くしかできなかったらしいし、なんとかなる可能性も充分に』

『…闘いは、机でやるもんじゃない』


 重々しい響きに、軽やかに動いていた口が閉じる。


『…つまり、専門家(あなた)の目から見たら、この一戦の勝率は低いと?』


 世布は鼻を鳴らした。今度は笑うような響きがあった。


『確率など、知らん。相手も見ず、下調べも足りず、予測か?馬鹿馬鹿しい』

「じゃあなんで勝てそうかとか聞いたねんな…」

 思わず飛び出た愚痴を言い切らない内、唐突に世布の顔が跳ね上がった。


『来るぞ!』


 風が鳴った。





 ひょう、と高く風が鳴ったのを、誰もが聞いた。

 気紛(きまぐ)れな山風が鳴る、こちらに住み始めてから聞き慣れた音に良く似ていて、大多数の者が無意識に聞き流したのは不運だったとしか言いようがない。


 風は、広く吹いた。

 まるで壁が迫るように幅広く均等に。一丸となって進む猿の横様から、全体を包むほどに。


 風を切って走る中で、猿たちは皆、さらりと毛皮が横へ揺れるのを感じた。


 風は群を撫でて、ふわりと通り過ぎた。

 その直後に、灼熱の痛みが群を包み込んだ。


 後れ馳せながら、月明かりに黒々とした飛沫が煌めく。

 地を駆けた者はばたばたと倒れ、樹上を進んだ者はばらばらと落ちた。


 正しく事態を把握した者はいない。

 痛みと混乱の中で叫ぶ声が響き渡る。




 ある猿は、地に突こうとしてから、腕が半ばからないことに気付いて恐怖の叫びを上げた。

 後れてやって来た耐え難い痛みと喪失感が、混乱をさらに加速させる。


――――何が起きた、何が、なにが…


 腕を探してさ迷った目線の先に、虚ろな目をした生首を見つけ、さらに先を見て、絶叫した。


 地獄絵図がそこにあった。

 無造作にばら撒いたかのように、体のどこかしかを失った仲間や、その欠片が落ちている。

 (うめ)き声と叫び声が周りで渦巻く。ただ、さらに向こう側には沈黙があった。

 彼から遠いほど――風上に居た者ほど、残骸(・・)が小さかった。


「ひぃっ」

 喉が鳴る。目の前の惨状から逃れようと這いずりながら振り返る。


 果たして背後には、幾つか転がった体があって、その向こうに起き上がった仲間たちが居た。

 幸いにも彼らは無事な様子で、周りを見渡して身構えている。


 無事な仲間が居る。何も考えられないまま、本能的にそちらに向かおうとして、ぬかるむ地面に頭から突っ込む羽目になった。


「う、あ…」


 右の足首から先がなかった。


 彼の悲鳴は混乱の絶叫と苦痛の呻きに紛れて誰の耳にも届かなかった。

 その中に無情な高い風の音が混じる。


 助けを求めて見上げた目の前で、無事な仲間たちの周りに薄い光が点る。


 結界だ。山へ攻め入る者たちに、仲間が掛けた守りの術だ。

 掛けてくれたまじない師が、これは他の種族にはない式で、解くのは仲間でなくては出来ないから安心しろと胸を張っていたことが、ざっと意識の上を滑って行く。


 風が襲い掛かる。

 ひゅう、と短い音風の音がして、蝋燭(ろうそく)の火が吹き消されるように呆気なく、守りの光がぱちんと僅かな音を立てて壊れて消えたのを呆然と見上げた。


 まるで見えない獣が鋭い牙で引き裂くように、仲間たちが切り刻まれていく。

 けして長くはない間だったが、風が過ぎ去った後には、物言わぬ(むくろ)が散らばっていた。


 木々がそよぐ。倒れたのは猿たちだけで、それ以外は木も草も、一本の傷もない。

 どこに当たる先を選り好みする自然現象があるものか。


――――攻撃だ。


 事ここに至って(ようや)く何が起きたのかを悟った。


 この風は、天狗の術だ。自分にかかっていた守りの術も、ああして消えてしまったに違いない。


 術の守りは完璧だから、警戒すべきは刀だけ?解けない結界?

 完璧だなどとお笑いだ。敵の攻撃は渾身の護りを造作もなく壊せる威力を持っていて、しかも周囲を壊すことなく襲撃者だけを狙える恐ろしいほどの精確さなのだ。


 これほど強大な術をこんな風に完璧に使いこなすなど、猿の長であっても無理である。


――――こんな奴に勝てるわけがない。


 座り込んで思わず乾いた笑いを漏らした彼を、三度目の風が包んだ。






「走れ!走れぇえ!!」


 死に追いまくられて、猿たちが来た道を駆け下りる。

 奇跡的な幸運を得て、無事だった彼らは倒れた多数の仲間を置き去りに走り出していた。


「天狗は飛んでた!見えた!」

「少しでも木が多いとこへ!!」

「風が吹いたら木に張り付け!!」


 彼らは流石に精鋭だった。

 目の前で巻き起こった惨劇から、即座に意識を引き剥がし、僅かな情報をかき集め、共有し、曲がりなりにも対策を打ち出した。


 風が吹く。

 素早く猿たちが手近な木の幹にぴたりと張り付いた。

 枝葉がざわざわと鳴り、夜目に黒い飛沫が舞う。

 呻いて倒れ込んだ仲間は数頭。だが、大多数は掠り傷で済んでいた。


「クソっ、舐めやがって」

 あの凶悪な術は草木を傷つけない。それを見破っての策は見事に当たり、命を拾った。にも関わらず喜ぶ者は居ない。

 周りを壊さないように術を使うということは、それだけ手加減をしているということだからだ。


 全力で対抗されたならまだしも、手加減されてやられてしまったらそれは――自分たちの相手など片手間で済むということではないか。


 強者として選ばれたという矜持から、彼らは怒りを奮い立たせる。

 いつか(・・・)目に物みせてやると、呪いに近しい決意を怒りの中から引き出して、焦りと恐怖を遠ざけ、ただ走る。


 見回せば、百も居た仲間はもう三十いるかどうか。

 戦える者は二十いるかどうか。

 明らかな大敗だが、彼らは絶望的な状況でも必死に模索を始める。


 天狗を倒すか、逃げるか。

 生き残るにはこのふたつしか手がないからだ。


 それ以上の追撃がなかったことで、立ち止まって集まった。

 ひと纏まりになれば風のひと吹きで一網打尽になる。ある程度ばらけた上で数名が空を見張る。

 皆耳は良いから、この程度の距離であれば問題なく会話は出来る。

 その分流石に声は出さねばならないが、声が聞き付けられるより全員纏めてやられてしまう方が怖い。


「天狗は飛んでいた。木より高い」

「風をこんな広く使うなど…弓じゃ無理だ」

 

 持っている唯一の飛び道具は、飛距離や威力より取り回しに秀でた短弓だ。

 木々が密集していても使える短い弓は力に欠け、熟練者は連射もできる短い矢は重さが足りない。


 特別なまじないをかけて育てた竹と妖獣の筋で出来た短弓は、人が使うものとは比べ物にならないが…木に登って空へ射ても届かせるのでやっとだろう。届いたとしても、風を自在に操るなら、吹き飛ばされて終わるだろう。


「天狗は大風で吹き飛ばすとは聞いてたが、風で刃物みたいに斬るなんて、しかもこんな一気になんて聞いてねえ…!」


 その嘆きは全員の心中を見事に代弁していた。

 彼らが知る天狗の逸話にもこんな術の話はなく、先の鬼との一戦を偵察したときも、この山の天狗は(もっぱ)ら接近しては刀で斬る戦いをしていたはずだ。

 動きは速く、鬼でさえ両断する鋭い斬撃は手強いものの、近付いて来るなら打つ手はあるはずだったのに、蓋を開けてみれば手も足も出ずに壊滅寸前まで追い込まれている――近づくことさえ出来ず。


「泣き言言うな。先ずは帰って、この事を伝えなきゃならん」


 全員が悲痛な顔で頷き合う。

 ここで全滅すれば、群はこの山の天狗の恐ろしさを知らぬまま、もしかすればまた戦いを挑むかもしれない。

 賢明な長がそんな悪手を取るとは思わないが、他の一族が真相を探り出そうと無理をするかもしれず、長がそれを抑えきれるかは分からなかった。


 何としても(しら)せねば、また同じことが起こるかもしれない。


 危機に至っても彼らは一族を忘れない。

 気が狂いそうな焦りの上に、ぱんぱん、と手を打つ音が響いた。


「生きるか死ぬかの瀬戸際でも我が身より群のことを考えてるなんて、うち感どっっ」

 わっと多数の猿に飛び掛かられて言葉がぶった切られた。

 ついでにがちんと歯が鳴って、ふぐっとかなんとか悲鳴が上がる。どうやら舌を噛んだらしい


「手なんか叩くな!気付かれるだろう!!」

「…ふんあへん」


 殺気が漂う小声合わせて(ささや)き声になった謝罪に、一応場は落ち着いた。


「…あんた、無事だったんだな」

「お蔭さんで…」


 そこに居たのは薬屋だった。

 そこここが泥に汚れてはいるものの、四肢に欠損もなく、血の臭いもない…痛そうな顔で押さえた口元以外は。


 強運の持ち主だったようだ。それも、とびきりの。


「大変なことになりましたけど、どうしはります?逃げますか、戦いますか」


 即答出来る者は居なかった。

 目の前の猿から、見える範囲の一族へ、木場の目線が順繰りに渡っていく。

 

「…今、決めようとしてたところだ」

 やっと絞り出された返答は、言い訳じみて苦々しい。


「聞いた限りやと、逃げる方に傾いてたみたいやけど」

「まだ決まっとらん!」


 勢い込んで否定の声が上がる。彼らは曲がりなりにも強者として在った。逃走は恥だ。内心は一目散に逃げたくとも、すんなりと認められはしない。


 苛立ってぎらぎらと光る目を前にして、遥かに弱いはずの、只人(ただびと)であるはずの木場は、見下したように(わら)った。


「何が可笑しい…!」

 (にわ)かに殺気立って牙を剥き出した(妖怪)の集団を前にしても、一切(ひる)むことなく彼は嗤い続ける。


「そら可笑しいわな。何が"今決めようとしてる"や。こんな緊急時に悠長に相談なんぞできるかいな。緊張感足らんのと違うか」

「なっ…」

「こんなはずじゃなかった?聞いてへん?そんなん当たり前やん。相手がどんなもんか分からんのは先から知っとったことやろ。何想像してなかったこと起こったからってびびっとんねん。ここでうろたえるんは、あんたらに覚悟が足らんかったっちゅう証拠やないか」


 多数が黙り込み、数名が怒りを(あら)わに睨みつける沈黙の中で人間は、軽快に喋り続けた。

  喋る毎にさらに生き生きと、より刺々しく、実に楽しげに猿たちの痛いところを的確にえぐるように言葉を紡いでいく。


「どんだけ犠牲になったんや?相手を舐めてかかって痛い目見た上で、なんでこんなにのんびりしてるん?勝てる目はあるん?逃げるか戦うか選べる状況やと思っとるんか」

「黙れ…!!」


 ついにある猿が目を血走らせて腕を振り上げた。

 振り下ろされればひ弱な人などひとたまりもない。

 だが、誰も予想していなかったことに、木場は致命の一撃の下を素早く掻い潜り、逆に相手の襟ぐりを締め上げた。


「図星さされて怒るぐらいやったらもっとしっかりしい!自分らの上に一族の未来がかかっとるんちゃうんか!!」

 ぐっと詰まった相手を睨みつける木場はもう笑っては居なかった。

 非力な腕に締め上げられたとて、さほどのことはない。猿を黙らせたのはその気迫だった。


「ええか、ここは敵地で、相手はいつ仕掛けてくるか分からん。まずやるべきは落ち着くこと。何が出来るか知ることやろ。そこで一応仲間のうちを潰そうとするのは悪手って分からんか。そんなんで勝つ気あるんか?」


 落ち着き、ともう一度言って静かに手を離した木場は、先ほどまでと雰囲気が変わった沈黙の中、もう一度場を見回した。


「勝てる…のか?」

「出来んことはない」


 ざわり、と群はざわめいた。釣り込まれるようにして視線が集まる。


「馬鹿馬鹿しい」

 高まりかけた期待の中から、侮蔑の色濃い声が吐き捨てられた。

 木の上から一頭が飛び降り、木場に詰め寄る。


「あんたに何が出来る。あの風が吹いたら終わりだろうが。一族を天狗にけしかけて一体何を狙ってる!」

「終わり?何がや。うちはあの風を防いでここまで来たのに何が終わりやっちゅうねん」

「防いだ!?馬鹿なっ」

 驚く声は術符が目の前に突き出されたことで途切れた。


「特別製や。こいつを使った守りの術やったら、あの物騒な風なんか通さへん」

 指を擦り合わせるようにずらすと、さらりと見事に何枚もの札が扇型に広がった。


「但しこいつは使い捨て。これ一枚で防げるのは精々二回や」

 にかい、と囁きが波紋のように広がっていく。

「嘘だ…」

「嘘やあらへん。その証拠にうちは無傷、あんたらは傷だらけ。効果は一目瞭然やろ!」

 力ない否定は威勢良く笑い飛ばされた。


「お代は付けときます、毎度おおきに!」と目の前で黙った相手に札を一枚押し付けたのを皮切りに、木場はいつもの笑みで群の中を配り歩く。

 皆渡されたものを大人しく受け取っていく。それにつれて猿たちの様子は明らかに変わっていた。

 手の中にある紙切れを、見る目にあるのは驚愕と、微々たるものだったが希望だ。

 見張りに立っていた者も木から降り、自分から手を出して受け取っていく。


「さあ、皆さん最初はテングに勝てるつもりで来たんやろ?やったら相手に通じる攻撃はあるとしましょ。そしたら今回の問題はふたつ見えるな」


 顔の前で日本の指を立てた手が振られる。

 今度は一切口を挟む者は居なかった。

 目線は自然と木場に集まり、誰もがその言葉をじっと聞く。

 木場の声は高らかで淀みなく、その様子は理知的でさえあった。


「ひとつは退路」

 指は一本に減らされて、一方を指し示した。

 いくつかの視線がつられてその方向を見た。

 木々の向こう。斜め下。自分たちが登って来た山の口…消し飛んだはずの真っ白な霧に覆われていた。


「霧が戻ってるのか…」

「そう。さっき世布さんが一応消せるか確かめに行ってくれたんやけど、どうも霧の手前にも結界があって、それが破れんらしい。世布さんが無理なんやったらうちらじゃ無理やろ。だから、逃げて外へ報せるってのは無理」


 閉じ込められたのだと教え、張り詰めた周りに向かって木場は何でもないように肩をすくめた。

「ま、選択肢がひとつ消えて一択になったっちゅうだけの話や。どうせ結界もテングを倒せば消えるやろうから実質倒せれば問題ない。だから、逃げたい思ってた方々も腹括ってや」


 そう言えば世布が居ないと、大多数の者はここで気付いた。それだけ混乱していたのである。

 逆に言えば、やっと少し落ち着いて来たということだった。


「もうひとつは言わずもがな。相手に手が届かんことやろ。でもこれにも手はあります」

 がさがさと草が鳴る音が近づいてくる。

 瞬時に警戒感が高まり、数頭の猿が木に跳び上がった。

 あっ、と小さな驚きの声が降って来て、地上で身構えていた者たちが訝しく枝を見上げた。


 ほぼ同時にざざっと音がして、低木の茂みを突っ切って大きな影が姿を現した。

「世布さんやったら奴を撃ち落とせます」


 影に沈んだ巨躯が、頭を振って髪に着いた葉を振るい落とした。世布だと気づいた群が活気づく。

 世布はこの場での最高戦力だった。

 一族を阻み続けた魔物の霧を吹き払い、立ちはだかった結界を打ち壊したあの斬撃は、彼らの脳裏で空を舞う天狗を見事に撃ち落とす。

 彼が無傷で温存されていることは、希望を一歩現実に近いものに思わせた。


 世布を背に、木場は群に向かって芝居がかった仕草で両手を広げた。商人が目玉商品を紹介するように満面の笑みがにっかり浮かぶ。

「さあ、世布さんが撃ち落としたらあとは皆さんのお仕事や。一族の希望。マシラの英雄たち。手助けはうちらがしっかりしますさかい、思う存分やってくださいな」


 一族の希望。そう呼ばれたのは初めてではない。

 急襲隊に名乗りを上げたそのときから、彼らは一族からずっとそう呼ばれていたのだ。

 敗残者になりかけた勇士たちは、誇りを胸に、瞳に力を取り戻した。


「出発!」

 号令は小さく。だが力強く。

 彼らは進み始めた。

 逃げるためではなく、狩るために。


 




『詐欺師め』

 今度は木場と世布をも組み込んで、幾分ゆっくりと陣形が動き出したとき、世布がぼそりと呟いた。


 傍らの木場はにやりと笑う。

『褒め言葉と受け取っておきましょう』


 辺りを見回す目は満足気に、自分の言う通り動くようになり始めた群へ向く。


 こうなることは予想通りだった。

 彼らの仲間の報告で、結界を破る術を天狗が持っていることは知っていたのだ。

 仲間――来栖(くりす)の結界が猿のものに劣るはずもないと、彼らは知っていた。だが、そう思っていてなお、結界が破られるだろうと猿に告げはしなかった。

 お蔭で、手のひらで思い通りに踊る駒が手に入った。


『経過は順調すぎるほど順調だ。油断せずに最後まで行きましょうね、ゼフさん』




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