九 名付け
山の神さんのいうことにゃあ
年に一度は祭を開けよ
歌に踊りに笛太鼓
野菜に山菜 川魚
みんなで騒いで遊びの一夜
行く年大安 恵みに感謝
山の神さんにお供えせにゃあ
祭もたけなわ満月夜
畑の野菜にぼたんにもみじ
米に牡丹餅それから地酒
きれいなべべ着た生娘ひとり
来る年大安 豊作祈願
座敷には、物の怪ばかりが並んでいる。
見上げるほど大きな灰色の狼。並のものを三羽合わせたぐらい大きなカラス。美しい人の体に鳥の足を持った女。真っ白で手首程の太さの大蛇。とぼけた顔のキツネとタヌキ。
「この度こいつを弟子に取った。皆良くしてやってくれ」
師の声に、オレは背筋を伸ばした。
おお!と湧く場に反比例して、少年の心は寒々としていた。
やっぱり少しはゴネておくべきだっただろうか、と。
玄関から入ったそこは、普通の家だった。
いや、庭から回ってくるまでに見た外観では普通の家というには語弊があるほど広くはあったけど、少なくとも今居るのは普通の土間で、普通に見える廊下が続いていた。
玄関を見るのは初めてだったオレは、無限に続いたりせず、普通に移動する分だけ様子が変わる廊下を師について歩きながらきょろきょろした。
昨日散々逃げ回った無限廊下はなんだったんだろう。
「とりあえずは朝餉と、顔合わせだな。それから館を見て回ると良い」
「はい。顔合わせというと、家来の方ですか?」
「ああ、そうなる。出払っている者も外に住んでいる者もいるから、とりあえずいる者だけだがな。後は来たものから追々で良いだろう」
「もちろん、全員妖なんですね?」
「ああ」
当たり前のことを確認したに過ぎないから、オレはびびったりはしなかった。ただちょっとこれはオレの見ている長い夢説の信憑性について思考が行きそうになっただけだ。
今まで一切見たこともなかった妖怪がわんさかいる場所にいるんだなって思うと真実味がなかっただけだ。
真実味というと、目の前の人が天狗だというのも信じ難い。
目の前の背中には癖のない黒髪が揺れているだけで、さっき背負っていた翼は影も形もないのだ。
まあ翼は突然生やしたりできるんだから引っ込められるのも分かるんだけど、それにしても人外の要素がない外見だ。
顔かたちは整っていると思うが、人並み外れた絶世の、という訳ではないし、背も然程大柄ではない。というかむしろ小柄だ。
……というか今気づいたけどこの人、けっこう小さいぞ?
もちろんオレより高いけど、絶対父上の方が背は高かったし、その父上も周りの大人の中で言うと中ぐらいだった。
その父上よりは、頭半個分ぐらいは低いんじゃなかろうか。
ただ、姿勢は良く、身のこなしは無駄なく隙もないし、包容力に気遣いに温厚な性格。若さに似合わない落ち着き。やたら子ども扱いして頭を撫でるのはあれだが、人望厚いのは大雑把に見て同点。それに加えて見ず知らずの人ひとりを助けるために刀持った山賊の集団にひとりで飛び込む度胸とそれを鮮やかに撃退した腕っぷし。あ、ダメです父上。背以外に勝ってるところが思いつきません。
失礼ながら父親と師を比べて密かに師匠に軍配を上げていると、高遠が立ち止まってひとつの襖を開けた。
ほら、と促されて覗いたそこは、昨日の夕餉をいただいた部屋であった。
「ああ来た、早起きだったんですねぇ、坊や。それとお帰りなさい主さま」
「いつの間にか寝床が空だったから、どうしたのかと思いましたよ。でも主さまとご一緒だったんですね、お帰りなさい主さま」
待っていたのかごんたろうとぎんじろうが揃って頭を下げる。
「ああ、今帰った。着替えと、何か食わせてやれ。終わったら連れてこい」
「「はいな」」
それだけ言って出て行きかけた高遠は、ああ、と呟いて付け足す。
「あとこいつは今日から俺の弟子だ。そのつもりで要るものを書き出しておけ」
早速、とオレを座らせて怪我の具合を見ていた二人がぴたっと止まる。
一度高遠を見て、続いてオレを見て、最後に顔を見合わせて。
「「ええええええええええええ!!!!」」
高遠に向って大絶叫した。よほど驚いたのか、揃ってぴょこんと軽く飛び上がってちょっとのけ反ってだ。
因みにオレは予め察して耳をふさいでいた。
今までこの感覚の所為で苦労してきたけど、もしかしたら結構役に立つのかもしれない。
「それはまた!もう当分弟子は取らないって言ってらしたのに!!!」
「いやはや!あんなに弟子にしてくれって頼んできた方たちは袖にしたってのに!!」
その驚き様に、高遠は苦笑を返す。
「あいつらにはその気が起きなかっただけだ」
急にぐりん、と二人が身を捻ってこちらを見たので、蚊帳の外で油断していたオレは反射的に身を強張らせた。
「まさかこの子にそんな素質が!?」
「そういえば人並みならぬ感じがするような!?」
「顔立ちも凛々しい感じがしますね確かに!!」
「眼も真っ直ぐで姿勢も良いですね確かに!!」
今気づいたように褒めはじめる。これまでの坊や扱いにここまであからさまに取って付けられると逆に清々しい。
「あの、ええと……近い近い近い!」
ふんふんと臭いを嗅ぎながら迫ってくる。実際にはないと分かっていても獣が鼻息荒く近づいてくると噛まれそうでちょっとびびる。
「あ、そういえば主さま」
ごんたろうがひょいっと身を引いて天狗を振り返った。
「弟子入りってことは名無しじゃ不便ですよぅ、この子のお名前はどうするんです?」
ふんふんぐいぐいと迫ってきていたぎんじろうも退いて高遠の方を見る。
出来得る限り上半身を引いて避けていたオレは傾きが限界に達してひっくり返った。
「うん…そうか、そうだな…」
師がこちらを見て考え込む。
そうだ、本名を名乗るのが不味いのであれば新しい名前が必要なのだ。
オレはのそのそと起き上って姿勢を正した。
これからずっと名乗っていく名前なのだ。重要なのに間違いはない。だとするとどのような由来の、どんな名になるんだろう。
都の方では占者を呼んで占ってもらったり、画数や字の音や意味を調べて縁起の良い組み合わせを考えたりするらしいけど、天狗はどんな風に決めるんだろう。
オレとごんたろうとぎんじろうの期待の籠った眼差しを受けて天狗は思考を巡らせる。どうやら今考えているらしいとわかるが、調べたり占ったりはしないらしい。
待つことしばし。ついに彼はよし、と頷いて微笑んだ。
「お前の名は」
するりと指先が空を撫でる。その軌跡は光となって何もない空間に線を残した。突然の妖術に驚き、またそのきらきらと光る線に見惚れるオレの目の前で、それは直ぐに書き上がる。
すい、と指を揃えて線を払うと、まるで見えない紙が裏返るように光は回転し、こちらを向いた。
それは光の線で出来た呪術的な記号だと思っていたのだが、正しい向きに直されると、三つの文字であることに気づく。
それには右側にご丁寧に振り仮名まで振ってあった。
『三太朗』
「さんたろう、だ」
オレの頭はその瞬間真っ白になった。
天狗の妖術にかかって酩酊状態に入ったとか、昏倒した。めのまえがまっしろになった。とかではない。それは確かだ。周りの様子はちゃんと見えている。よかった。けど、よくない。
停止した思考に昨日の高遠の言葉が飛来して木霊する。
名というものは、その者自身を表す特別なもの。もの、もの、もの…
つまりオレ自身を示す言葉っていうのが、これからはこの、上に二人いたから三人目だしこれで、みたいな字面の…
『三太朗』
…さぶろうとかだと誰かと被っちゃうだろうからちょっと捻りましたっていうのが透けて見えて、ちょっとそこ捻るんならもっと別の考えてよと思わなくもないようなこの…
『さんたろう』
「のああああああ…」
少年は突っ伏した。急速に大きく育った期待は、輪をかけて急激にしぼんでいき、その落差に絶望のうめきを上げたが、その表情が見えない周りの三人は、おおこんなに喜んでいるぞ、よかったよかった的な解釈をしてにこにこした。
彼は切に同胞を欲した。生まれて初めてのことである。少なくとも同じ能力を持った者がこの場にいたなら、このやり場のない悲しみを正確に読み取ってくれただろうから。
師匠は『高遠』である。少なくともその名と同程度の感性で名付けてもらえるだろうという無意識の安心が、にやっと邪悪に嗤って横っ面を引っぱたいた。多感な年ごろの少年の心に少なからぬ衝撃を与える一撃であった。
(いや…オレは、オレは諦めない…!!)
今まで自分を隠して生きてきた。波風を立てぬように細心の注意を払い、起こった争いの波に立ち向かうこともなく、それどころか巻き込まれまいと逃げ、迫る暴力からも逃げ惑い、実際は危険のない妖の影に怯えて更に逃げるしかできなかった弱い自分。
(変わるって、決めたじゃないか)
もう弱いのは嫌だと最初に挑んだのがこの目の前の師。弟子入りを申し入れるのは決闘に赴くのと同等の覚悟が必要だった。
そうして意志を酌んだ上で弟子に認めてくれたのだから、ここで退くのは高遠を裏切ることと同義であろう。
(母上、父上、嫌ですと言える勇気をオレに…!!)
持ったままの巾着を探る。母が持たせてくれた数珠は、己を第一に案じてくれる人がいた証拠。望む未来へ手を伸ばす決意を後押ししてくれる気がした。
意を決して顔を上げる。必ずやもっとかっこいい名前を得てみせるという決意を胸に。
目の前の三人を見て怯んだ。
高遠はもう菩薩もかくやというような慈愛の顔をしていた。喜んでいる子どもを前に、我が事として喜ばしく思う優しい顔であった。
ごんたろうとぎんじろうは、輪をかけて強烈に喜びと歓迎の意を放射しながら目を輝かせていた。相変わらず目は非常に細かったのでもちろん比喩である。
(…っ、ここで負けては…!!)
歯を食いしばって意志を保とうと足掻く。しかしそのまま本題を口にしては角が立つ。何か良い枕はないかと微妙に及び腰の思考が高速回転した結果、彼は気づいてしまったのである。三太朗。その名前の由来の可能性に。
目の前のタヌキ。ごんたろう。
その隣のキツネ。ぎんじろう。
そして自分は、さんたろう。
少年はその思考をすぐさま閉じた。これを突き詰めてしまっては大恩ある師匠に悪い印象を持ってしまいそうだったからである。
いや、目の前の優しくて気のよさそうな二頭をただの獣と貶めている訳では断じてない。ただちょっと、ほんの少し、気の抜けたような顔とちょっと抜けた言動の彼らと同列に扱われることに思うところがあるような気がしたりしなかったりするような。
ごんたろうとぎんじろうに意識が行ったそのときだ、彼らの心の内が伝わってきたのは。
気のよさそうなタヌキとキツネは、事実として気のいいタヌキとキツネであった。
少年が主に弟子入りを認められた幸運を心から喜んでいた。そして自分たちに連なるような名前を与えられた少年を、正しく守るべき同胞として受け入れていた。
これから始まるであろう日々を健康に過ごせるように気を付けてやらねばならない。飢えぬように、また健やかに成長できるように食事に気を付けてやらねばならない。高くなる背に合わせて衣をあつらえてやろう。ときには甘いものもあげれば喜ぶだろうか。汚れて帰ってきたら洗ってやって、傷をこしらえてきたら手当てをしてやって、親元を離れ故郷を離れて心細いだろうこの子供に、何より優しくしてやろう…。
これからの日々を思い描く青写真が直接少年の心に伝わり揺さぶる。
彼は畳に両手を突いた。
決まった心が変わらぬ内にと、運命を掴む意志を声に乗せる。
「ありがとうございます…」
彼は屈した。
これからよろしくお願いしますねさんたろさん。ああめでたいことだ、よかったですねさんたろさん。と俯いた背中を優しくなでなでしてくる肉球の感触に黙り込みながら、彼は敗北を噛み締めていた。
敗因はここに味方しか居なかったことと、彼が他人の喜びに水を差すことを良しとしない優しい子だったことである。
他人から奇異の目ばかり向けられてきた子どもは、善意と優しさに飢えていた。
そしてせっかく現れた慈しみを惜しみなく注いでくれる存在の心に影を差すことなどできなかったのだった。
ままならないものである。
こうして密かに繰り広げられていた戦いは当人以外知ることなく幕を閉じた。
真新しい着物に身を包み、背筋を伸ばして居住まいを正す。
新しい服は、嗅ぎなれない匂いがして、自分がまるで他人になったかのような錯覚を招いた。
「本日高遠さまに弟子入りしました………三太朗と言います。これからよろしくお願いします」
三太朗に、口々に歓迎の言葉が投げかけられる。
その中に髪の色や目の色を忌避する感情はひとつもない。
少年は、密かに心の中でさめざめと泣きながら、天狗の配下に快く受け入れられて、この先三太朗と名乗っていくこととなったのだ。
しゅじんこうは なまえを てにいれた!
日常回はこんな感じのノリで進んで行くつもりです。
シリアス回もこれから増えて行くと思いますが、多分これから数話続けて日常回。
エンディングまでの流れが一応出来たので、そろそろちょっとずつ仕込みをしていこうかなーと思います。
ちゃんと全部回収できるのか不安ですが(;¬_¬)