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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
89/131

七十六 祭りの始まり



 薄暗い岩屋で、笑みと笑みが向かい合った。


 片方は人。

 頭から目元までを隠すのは派手な黄色の帯。間から跳ね出る髪はさらに異様な夕陽のような赤。

 顎のとがった口元に人懐こい笑みを浮かべている。


 片方は獣。

 小柄な大人ほどの体に古びた袈裟を着て、人のように行儀良く正座するのは、白茶けた毛皮を持つ赤ら顔の猿。

 こちらもまた、嫌に人臭い笑顔でにまりと笑う。


 それぞれの背後にはさらにひとつずつ影がある。


 人の後ろにいるのはやはり人。

 熊のような巨漢は、気のない顔で岩屋の入り口に下がる(むしろ)を眺めている。


 猿の背後に控えるのは、袈裟の猿よりも大柄な猿だ。

 頭に手拭いを巻き、草染めの小袖に股引きという動きやすそうな軽装で、静かにその場に控えつつも、目は鋭く場を見渡していた。


「では、山の突破はお任せしてもよろしいな?」

「ああ、かまへんで。陣頭にうちの相方が立って山の結界をこじ開けるさかい、一気に攻め上るのがええやろ」


 気軽な調子で猿の長が尋ね、変わらず朗らかに木場が応じた。

 話し合うのは大事(おおごと)だが、話す様子だけ見れば天気の話でもしているよう。


「山に百を向かわせる間に、(ほこら)も狙おうと思いましてな。こちらは六十ほど割きましょうぞ」

「おお、山も人柱も狙うとは一挙両得狙いですな。まあ、そちらさんの数から言えば無茶なもんでもないわな。けど先ず山を落とすんやから、祠は行かせる数は少のうてええんとちゃいます?余力があるならもっと山に手ぇかけてはどないやろ。それに、祠の場所もよう分からんのに…まさか数で手当たり次第探すんでっか?」


 いいや、と猿はゆっくりと(かぶり)を振る。


「祠は村人の話によれば、恐らく三つ。場所は占いにて大まかには分かっておる故、上手く行けば先回りできよう。ひとつの祠に二十ずつの手勢をかけ、さらに二十を十手に割いて、当たりを付けた周辺を探させ申す。最悪は祠へ向かう手下の跡を付けることになりましょうな」


「ほう。それで六十な。そんで、山には百っていうのは?」

「あの鳥もどきが(いぬ)(わし)以外にどんな軍勢を持っておるか知れぬが、遠目から窺っても多勢があの山に居る気配は見えぬ。居ても少数ならば真に備えるべきは術式による防備。数に(たの)んでは術の餌食になるのは目に見えておる。こちらも守りの術が用意できる程度の少数精鋭に絞るべきじゃろう」


 それに、と少し(ひそ)めたしわがれ声が緊張を孕む。

「抜け駆けなどすれば、何に背後を突かれるか分からぬ。こちらが此度(こたび)出せるのは百のみ」


 岩屋の外からは、控えめながらも歓声が聞こえる。

 襲撃に向かう百の勇士と六十の有志を静かに称え、鼓舞する仲間たちの声。

 選ばれた精鋭という誇りを胸に、それに応える(ささや)きも。

 彼らに背後の不安を伝えて気を散らす訳にはいかない。

 それは残る者が引き受けるべきものだ。


「ほほー。流石はお(かしら)さん!よう考えてらっしゃる!!」

 猿の頭の意を汲んだように、明るい声が上がる。

「いやいや、貴殿らが居てくれるからこそ取れる手じゃ。頼みますぞ…しかし、本当に宜しいのか。山を落とした暁には充分なお礼も用意出来ように」


 何気なさを装った慎重な問いは、にんまりと深くなった笑みに出会う。


「ああ、かまへんかまへん!うちらが欲しいのは、そちらさんとの繋ぎと、さっき言うた一人の身柄だけや。もしあの山に()ったらやけど」


 告げる声はどこまでも唄うように軽やか。


「灰白髪の、十歳ぐらいの男の子。天狗に拐われた可哀相な子。見つけたらうちらに渡してや。最悪死体でもええ」




 あい分かったと返事を貰い、満足気に頷いた二人が岩屋の外へ出たあと、猿の首領は傍に控えた側近を差し招いた。


千史(せんじ)よ、奴らは信用ならぬ。何か腹に持っておるぞ。ゆめ油断するでない」

「はい。では山へ?」

「…いや、真に守るべきは一族。そなたは守りにつくのじゃ。戦士たちが減ったところへ何かを仕掛けられるのが、最も恐ろしい」

「…御意」





















 山の()に顔を出したまるい(まる)い月を見て、オレはほぅっと息を吐いた。

 空にぽっかり浮かんだ白い月。まるで夜に空いた穴のよう。

 あの先は、天神の世界にでも続いているのだろうか。


「三太朗どの!ちゃんと脚絆(きゃはん)は巻き直しましたか!?」

「はい(ユミ)さん。二回巻き直して、三回弓さんに、二回ヤタさんに、一回師匠に見て貰いました」

「三太朗、きちんと地形は覚えたな?はぐれたらどうするか分かっているな?」

「はい(ジン)さん。地形と方角は頭に入ってます。はぐれたら、その場でじっとしていること。敵が居たら訓練通り逃げて、出来るだけ川沿いを目指すこと」

「さんたろさん。忘れ物はありませんか」

「さんたろさん。お茶でも飲んで気を休めませんか」

「はい権太郎(ごんたろう)さん。あとは布を巻くだけです。釿次郎(ぎんじろう)さん…お茶はもう三杯目ですよ」


 もし、あの月が穴なら、誰もこちらを覗いたりしないで欲しい。

 そわそわと落ち着かない周りを見回して、オレは何とも言えない気分でもう一度月を見た。


 オレの心配をして右往左往するのはわりといつものことだったりするが、普段はてきぱきと自分の仕事をこなす、頼りになる方たちなのだ。たまたま偶然こんな様子を見られたらきっと誤解されてしまう。


 月は相変わらず丸くて白く、誰も覗いている様子はなくて、オレはちょっと安心した。

 ……現実逃避だ。分かっている。

 オレは溜め息を心の中だけに留めるべく噛み殺した。


 りぃりぃと虫が鳴き、夏の夜空が頭上に広がるここは館の前庭だ。

 今日は祭りの日。これからオレは、祠の供物(くもつ)を回収に向かう。

 服装から心構えまで、すべて完璧にして出発のときを待っている。


 オレだけではなくここに居る全員が、きちんと用意を終えている。

 みんなが自分の準備を万端に整えたところで気になりだしたのは、他の者のことだった。

 正確に言うと、一番物慣れなくて、一番新顔で、一番歳が若い者のことだ。

 つまり、オレだ。


「ああ、三太朗どの…帯は解けないようになっておりますか?走って邪魔になるものはありませんか?いざというときに邪魔になってはなりませんから…」

「はい、大丈夫ですよ」


 もう何度目になるかわからない弓さんの確認を、オレは笑顔で受け流した。

 オレの準備は万端なのだ。こうなることを予想するのは、オレにとっては容易。心構えまで終えたオレに油断はないと思っていただこう。

 うんざりした様子など、毛ほども見せないでいられるとも。


 心配極まる様子でおろおろともう一度寄って来た弓さんに向かって、ほら、と立ってくるりと回って見せる。

 オレの今日の装いはいつもと違い、深い藍色の軽装だった。

 袴は裾に紐を通して足首で括り、筒袖ごと同じ色の手甲を巻いて手の甲まで隠している。

 夜の山でも白く浮いて見えないように、極力肌を隠すためのひと揃いだ。


 くるりと回っても翻るものがないのをじっと、それこそ目を皿のようにして確かめた弓さんが、大丈夫そうですね、と言いながらなおも心配そうに手を揉み絞る。

 その向こうでは、いつものようにゆったりと腰を落ち着けた灰色の狼が…一瞬たりともオレから目を離さずに凝視している。

 うろうろとその辺りを歩き回るキツネとタヌキが、何やら指折り数えては確かめるようにオレを見る。

 のっしりと草の上に座り込んだ巨大な鷲が、何も言わないながら落ち着かなげにくりくりと首を小刻みに動かす。


「…なんでおれさまが弦のおっさんと篠さんと一緒なんだよ…しかも(サダ)とは別だし…」

「仕方ないだろ。戦力配分ってやつさ。あんたもいい加減大人ならちゃんと聞き分けな」


 声が聞こえ、がさり、と下への道から草木が揺れる音がして、鬼の一家が上がって来た。次朗さんが仏頂面で後ろに続く。

「おう、皆さんお揃いで…っと、おお、(ぼん)も居んのか。大丈夫か?」

弦造(げんぞう)さんもですか…大丈夫ですよ」


――――頼りないって思われてるのは知ってる。…けど、ここまでなのか。

 ちょっと落ち込むかもしれない。だが、しょげていてはさらに心配されるだけだ。


「大丈夫ですよ、心配いりません。ひと月も今日のために準備してきたんです。師匠も大丈夫って言ってくれたし平気ですって!」

 自分を奮い立たせて、周りに聞こえるように大きな声で宣言した。

 ちょっと嫌になって来たとかそんなことはまさかない。ないったらない。


「そうかい!大将が言ってんなら大丈夫だろ。頑張っておいで」

 弦造さんの横でお(しの)さんが微笑った。


 誰も彼もがオレを心配するばかりで応援ひとつしてくれないのだと思っていたのにこの不意打ちの『がんばれ』。

 まさか嘘ではないのかとちょっと探ってみたけれど、彼女から伝わってくるものは揺るぎなくおおらかで、他から来る不安定に揺れる心配とは全く違う。

 こ、これは…!


――――期待だ。期待されている!!


 多少微笑ましく見守る感じがあるのは置いておくとして、紛れもなくそこにある信頼と期待に感動してしまった。


「はい!」

 返事は自然に元気になった。

 不安げな眼差しなんか全部気にならない。代わりに湧いて来たのはやる気だ。

 絶対に成功させてやるんだという強い意志だ。

 我ながら単純だけど、力が湧いてくるような気さえした。


 自然に浮かんだ笑みを見て、不安と心配を含んだいくつかの視線が互いを見交わして瞬くのには気が付かなかった。


「…さあそろそろこれを」

 弓さんが、黒い大きな布を持って来てくれる。

「ありがとうございます。…大きい布ですね」

 布は目が詰まっていて、とても薄いのに向こうが透けることはない。が、布団と同じぐらいの大きさはあるだろうか。


「薄いですからね。畳んでお使いなさいまし」

 言われるままに畳んでみると、頭を覆うのに丁度良い大きさにしてみても、風呂敷三枚重ねたより少し薄そうだった。

 これなら結べそうだ。


「…あれ?」

 ぐいぐい引っ張りながらぎゅっと結んだら、髪で滑って上にずれてしまった。

「あらあらまぁまぁ。貸してごらんなさい」

 弓さんはそっと解くと、丁寧に頭を包み、髪を隙間から入れて、最後に丁度良い力加減でしゅっと結び目を作った。


 夜目に白く浮かび上がる灰白の髪は、黒の布に全て覆い隠された。


「おおー」

 頭を振ってみてもずれない。きつくない。ゆるくもない。すごい。


「ありがとうございます!」

「いいえ。くれぐれもお気をつけて。…お気張りなさいまし」


 きょとんと見上げた先にあるのは、相変わらず不安と心配に揺れる眼差しだ。


――――聞き間違い、じゃないよな?


 オレは同じ色の目がいくつもあるのを見回して、不意にそういえばどれだけ心配でも、彼らは行くのをやっぱりやめろとは絶対に言わなかったのに気が付いた。


「はい!頑張ります!」

 屈託なく笑って見せると、彼らもまた少し笑ってくれた。


「へぇ、けっこー似合うじゃん?」

「次朗さんこそ!」

 にやにや笑って近づいた次朗さんもオレと同じ格好をしている。

 お揃いだ。ちょっと嬉しい。


「おう、てめーさっさと終わらせろよ?お前の組にゃごんとぎんが居んだ。つまり早く帰らねーとメシが遅くなんだって分かってんのかあ゛あ゛?」

「えっ…」

 戸惑って瞬きする。


「でも、次朗さん。そんなに早く帰って来れるんでしょうか…」

「あ?そっちにゃ陣も居んだから、行って帰って直ぐだろが」

「あの、そうじゃなくて…そんなに早く戦いが終わるんですか?」


 これからオレたちは祠へ向かう。同時に、師匠は敵を山に引き込んで迎え撃つ。

 山での戦いが終わらない限り、帰って来れない。


「てめっ…」

 次朗さんは、呆れたように何か言おうとして詰まり、そっぽを向いて頬を掻き、それからはぁあっ、とため息を吐いた。

 そして怒鳴られるんじゃないかと身構えたオレを、上からまじまじと見下ろした。


「何言ってんだばぁか」

「ぅえ?」

 弱気が嫌いで短気なはずの兄貴分は、にかっと笑ってオレの肩を乱暴に揺すった。


「ししょーが山まで使って罠張るんなら、何がどんだけ来ても一瞬よ一瞬!鼻クソほじってる間に終わらぁ!」

「次朗どの?」

「…つーまーり!!てめーは余計な心配せずに真っ直ぐ帰って来れば良いんだよ!!!」


 な!と言いながら頑なに直ぐ横に立った弓さんを見ないようにしている次朗さんからは、焦りだけで嘘の気配は少しもなかった。


「…そうですね、師匠ですもんね!」

「そーそー!ほらてめーももっと先のこと考えろよ!無事に食いもん持って帰りゃ今夜はうめーもんたらふく食えるぞ!!」

「おお!確かに!!」

「だろう!!さっさと終わらせてメシだメシ!!」

「おおー!」


 とりあえず乗って盛り上がりながら、次朗さんはよっぽど行くのが嫌なんだなと思った。




 からり、と館の戸が開いた。

「揃っているな」


 いつも通りの軽装に、腕に大鴉、首に白蛇。

 普段通りの穏やかな顔で彼は笑った。

 後ろに従えてきた双子の藍色の背中が前庭の集団に加わるのを待つ。


 前庭の妖怪たちは三つの組に分かれた。


 鬼の夫婦と弓、次朗の組。

 双子天狗と定七(さだしち)の組。

 そして、権太郎と釿次郎に陣、三太朗の組。

 最後に(ハリ)は、高空で待機するため、どれにも加わりはしない。


 高遠は、完全に昇った月を確かめた。


「ああ、そろそろ頃合だな」

 ぐるりとその場を見回して、末の弟子に目を止める。

 顔にあるのはやる気と、少しの緊張だ。


 止まった目線を受けて、自分はやれるとばかりの強さで見返した灰色に、黒い眼差しはほんの僅かに笑みが深くなる。


「行ってこい。期待している」

 目が見開かれたのを確かめて目線は切られ、さらに黒い面に覆い隠された。


「さて、頼むぞ」


 今度は全員を見渡して発された。

 出立の合図はそれだけだ。

 幾つもの声がそれぞれの響きで同じく応諾を返し、やがて妖たちは、祭りの始まりを示すべく、山を駆け下りて行った。




 後ろ姿を見送った天狗は、ふと空を見上げて軽く跳躍する。

 とんとんと微かに音を残してふわりと降り立ったのは高い位置にある枝の上。

 細い先に危なげなく立って、天狗は下界を見渡した。


「――ああ、戻ってくるまでには終わるさ」


 今回ばかりは遣いに出ない方が危険なことを、あの少年以外は知っていた。

 だから、全員がその身を案じながらも館に残れと言わなかった。――言えなかった。

 なぜなら


「狙いがあいつとはな。これで前回の(やから)と同勢力だと確定したか。…まあ、釣りが上手くいったというだけのことだ」


 先ず相手が探そうとするのは、この山だろう。

 探して初めて居ないと分かる。その後に外を探したとて、三手に別れて動き回るどれに目当てが居るのか分かるまい。

 そのために、三組のどれもに弟子を配置し、同じ格好をさせた。


 背格好が全く違う三羽とひとりの弟子たちだが、上の三羽が術を使って化けるのだから問題はない。


 だがその撹乱も、念には念を入れた備えだ。 

 山を勝手に探らせる気はない。

 外へ知らせるのを許すこともない。

 ましてや逃がしてやる気など一切ない。


 万が一、祠へ向かった彼らを術師が追って、何らかの手段で三太朗を見つけ出したらば、あとは護衛に付けた配下の仕事になる。


 だがそうなっても問題はない。

 高遠の相手が猿だけだと分かった時点で、山での戦いはそれこそひと呼吸で終わらせて、術師の追撃へ向かえば良い。


 そもそも高遠が行かずとも、白鳴山の力を受けた千の鴉と(いぬ)に同時に襲われ、さらに三名の配下を相手に回せばはたして勝つどころか身ひとつであっても逃げられるか。


「だが、嘘ではないぞ。あいつに期待している。やはり成長に合わせた課題は必要だ。きっとあいつはまたひとつ大きくなるだろう――ああ、勿論だ。忘れてなどいない」


 答える声がないままに、だが会話の間合いで独り言ちて、ふっと笑みを浮かべる。


 その手元に現した術陣を輝かせ、幾つか指先で書き換える。

「これでいい。さあ、結界はひとつに減らした。これぐらい破ってみてくれ。それが出来たら…狩りを始めようか」


 口元の笑みを消さぬままの顔を、麓で発された光がほんのりと白く照らした。

 どん、と腹に響く衝撃音が彼の耳に届くまでには、少しの間があった。


 結界が震え、僅かにたわむ感覚があって、高遠は喉の奥を鳴らして笑う。


 放たれた振動が消えない内に、またもや不可視の壁は与えられた衝撃に対抗して激しく輝いた。

 二度目の衝撃が大気を震わせる。


 読み通り、術師はこちらに来た。


「今度は逃がさぬぞ」





















 かーんかかん かーんかかん


 一定の拍を刻んで鐘が高く鳴る。

 太い太鼓の音を力強く合わせ、涼やかに笛の音が伸び上がる。

 祭囃子(まつりばやし)に人々は浮かれ騒ぎ、村の広場で配られる酒や料理に舌鼓を打っている。


 秋咲きの野花を飾った娘たちに、日焼けした若者たちが手を叩く。

 酒瓶を抱えた男たちが飲み比べをする横で、女たちが料理を運び、食べ比べて大きな声で品評し合う。横を走り抜ける子どもたちの甲高い笑い声が喧騒に混ざった。


 広場の真ん中の、見上げるような篝火(かがりび)が、周りに集った村人たちの素朴な踊りの輪を照らす。


 今宵は祭りだ。年に一度の収穫祭。

 今夜だけは無礼講。老いも若きも皆が皆、羽目を外して歌い踊る。


 この年の恵みに感謝を。次の年も豊かであれと。

 願いを込めて、祈りを込めて。

 彼らを災害から守り救う神に、畏怖と尊嵩を捧げる。



 からぁあん……



 あるとき、他とは違う鐘の音が、青い夕闇に延び上がった。



   からあぁん……



 寂しげに、しかし弱々しくなどない硬質な音色は、喧騒の上を響いて渡り、いつしか人々は口をつぐんでそちらを見た。



     からぁああん……



 粛々と、白装束の一団がやってくる。

 誰もが彼らのために道を開けた。


 先頭に鐘を叩く男がいて、白い旗を高く掲げた者が続き、荷車が一台。それから、輿(こし)


 日除けの布は全て上げられ、視線を遮るものはない。

 屋根のある輿の中、運ばれていく人物を、幾多の視線が凝視した。


 白い花嫁衣装は淡く輝くような白。

 夏になる前から屋根の下に入れられていた所為なのか、肌も幻のように白かった。

 一切の穢れを知らないような純白の姿は、夢のように儚く美しい。


 誰もが息を呑み、次には気不味く目を逸らした。

 それ程に人影は細く小さくて、今にも折れてしまいそうなほどに弱々しかった。


 輿が揺れる度に細い首もまた揺れる。

 茫洋と宙に据えられた目は虚ろ。

 顔は苦境の証のように、生気薄く、化粧で誤魔化しきれないやつれが透けている。


 年端もいかない娘。

 彼女はこれから、神に捧げられる。

 少女を人柱に立てたのは自分たちなのだということが、彼らの罪悪感を掻き立てた。


「…あ、あれならお山さまにあがるのに相応しかろ」

 鐘の音を縫って思いがけず遠くまで通って、呟いた本人は怯んで周りを見回した。


「…そう、じゃな。流石の花嫁よな」

「ああ…綺麗、だねぇ」

「月も恥じらうとはこのことだ」

「あれなら不足はあるまい」


 波紋が立つように、声が連鎖して広がっていく。

 後ろめたさには目を瞑り、役目にふさわしい役者だと、納得の声と喜びの声が生まれ、広がり、やがては祭囃子が再開した。

 喧騒は殊更(ことさら)に大きく、はしゃぐ声は(にぎ)やかに高く、病的に明るく。

 供物を運ぶ行列を送り出し、これで来る年も安泰だと喜びを(たた)えて。




 村を抜けて、目隠しの布が下ろされた。

 人の目がなくなった輿の中で、「分かってるわ」と人知れず衣織(いおり)は呟いた。

 運ばれていく振動を感じながら、ぼんやりと輿の天井を見るともなしに眺めて、それからぎゅっと目を閉じる。


「分かり切ってたことだもの…。誰も私を惜しんだりしないって」


 当たり前のことを気にするなんて馬鹿げている。

 そんなのはどうでも良いことだ。


――――どうでも良いと、思えていたのに…どうして今日はこんなに気になるの。


 月が昇る。まるい月が。


 閉じた目蓋の裏に、思い描いた白い円がぽっかりと浮かんだ。

 そこには余計なものは何もない。ただ月と、夜空だけだ。


 その冴え冴えとした孤独で、心が少しだけ休まる気がした。


 かくん、と一度大きめの振動があって、ゆっくりと輿が下ろされるのを感じた。

 そうしてぱさりと軽い音を立てて目の前が開けた。


 白装束に白い覆面をした大柄な女が、有無を言わさず、しかし丁寧に衣織を輿から抱き下ろす。

 地に付かないように、穢れが付かないように、細心の注意を払って運ばれる。


 ついに着いた。

 衣織は何も出来ないままに呆然と運ばれていく…何もすべきではないのに、何かを忘れている気がして、なぜだか"出来ないまま"と考えてしまった。

 運ばれているのが今はありがたい。もし歩けと言われても、震えて真っすぐ立てもしないかもしれない。――ゆっくりしか進めない方が、終わりまでの時間が延びるな、と思ったが、それが良いことなのかどうかは分からなかった。

 こんな気分でずっと居る方が、もしかしたら嫌なことかもしれない。


 恐る恐る目を向けた先には小さなお堂があって、今まさに白木の扉が開かれたところだった。

 女は衣織を抱えたまま、他の者に履き物を脱がされ、堂に上がる。


 灯りを持った男が先に立つ。

 扉を潜れば、古い木の匂いがふわりと身を包んだ。

 小さな火に照らされた室内は八畳ほどの板間で、最奥に小さな祭壇があり、四角を描くように四本の丸柱が立っている不思議な造りをしていた。


 衣織は祭壇の右側、柱の近くに下ろされた。

 目の前に屈んだ女をぼんやりと見返す。衣織の腕がぐいと引かれた。


「あっ…!?」

 思わず声を漏らして手を引いたが、女は一瞬手を止めちらりとこちらを見て、結局は力づくで腕を引き出し黙々と右手首に布を巻いた。

 その上から、夜目にも白々とした麻縄が巻かれ、結ばれ、傍らの柱にぐるりと回されていく。


 不思議な造りの建物の理由が分かってしまって、衣織は身震いをした。


 これ、この柱は――人柱を縛り付けるためのものだ。

 ここは、お山さまに供え物をするためだけの建物。そのために造られた場所なのだとはっきり意識した。


 片手では解けないほどに硬い結び目を確かめて、女は離れて行った。

 気が付けば、他の供物も衣織の反対側に運び込まれて並んでいる。


 衣織を運んできた者らは祭壇に深く礼をし、音を立てないように拍手(かしわで)をふたつ打った。

 そうして、役目は終わったとばかりにするりと出ていく。

 最後のひとりが扉を閉めるとき、こちらを見たような気がしたが、あっけない程簡単に、衣織は暗いお堂に独り取り残された。


 当の衣織はというと、半分夢を見ているような心地のままぽかんとそれを見ていた。

 それほどの手際だった。


「…大丈夫。これが私の望みだもの」

 見せかけだけの浅い心配や、申し訳なさそうな態度を取られても却って困るのだから、寧ろ良かったじゃないかと考えてみる。


――――そう。いつものように何も考えないようにして、ただ待っていればいいだけ。


 何を感じる必要もなく、何をする必要もない。そう思うのに、無意識に手が懐を探った。

 指先に感じたのは、小さな袋の絹の感触。

 そこにある、あの木場という薬屋がくれた"良く眠れる薬"。


 木場がくれたものだからなのか、お守り代わりだと衣織が言ったからなのか、潔斎(けっさい)だと言われて里から離れた小さな家に移されたときにも取り上げられなかった。

 捨てて行こうと思ったのに、結局はこうして懐に忍ばせて持ってきている。


『もっと生きたいと思えたらそのときは、今の話を思い出して欲しいねん』

 あの日の声が、耳に戻ってきて響く。

 ことここに至ってもなお、衣織は生きたいのかどうか分からなかった。


 これに触ると落ち着くどころか(むし)ろ緊張が高まるというのに、探らずにはいられない。

 だが、これを使って何をしようなどと考えられもしなかった。

 何かを決意したとしても、到底出来る気もしない。


 衣織は強く首を振って、左手を膝に戻した。


 灯火は持ち去られ、堂の中は夜闇が満ちている。だが、高い位置にある格子戸から、冴えた月の光が床に四角い模様を描いて、ただそれだけが意外なほど明るい。


「……やぁまのはーたから…むーらくもみぃれーば……かみなりさぁまのたいこがうーなる…」


 意識などまたぼんやりと解けて溶けてしまえばいいのにと思いながら、小さな声で口ずさんだ。

 一曲二曲。空虚な歌声が、ただ暗がりにとけて消えていく。

 歌うほどに無心になるようで、逆に何かが研ぎ澄まされていくような気もした。


 がたり。


 戸が揺れる小さな音が、耳元で手を打ち合わせたような衝撃で、肩が思わずびくりと跳ねた。


――――ああ…。


 小さな軋む音を立て、白木の戸が開いていく。


――――お迎えが来た。


 ゆるゆると目を向けた先、戸の隙間から覗き込んだ目が、衣織を捉えて笑った。




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