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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
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七十四 猿と祭りと人柱

会話回。



 師匠の部屋を訪ね、すかさず蹴り開けようとする次朗さんの前を取る。何か次朗さんが言う前に口を開いた。


「次朗と三太朗です。お呼びと伺い、参りました」

「入れ」

「失礼します」


 こうなるだろうと思っていたので完封だ。

 この頃次朗さん慣れしてきたオレに死角はないと思っていただこう。

 傍らの次朗さんは、オレの手並みに驚いたのか、何も言えずに口をぱくぱくしていらっしゃる。魚みたいだ。

 顔はさっきとはまた違った変な顔だ。今日は次朗さんの変顔が多い日である。


 オレに変顔を向けてる次朗さんは動く気配がないが、兄弟子よりも先に師匠の部屋に入る訳にはいかない。手振りで襖を示して、自分は道を空けながら襖をひらいた。


「来たか」

 微妙な顔の次朗さんに続いて入室すると、そっくりな半笑いの双子天狗と、微笑まし気に目を細めた師匠に迎えられた。


「あれ…?」

 思わず声を上げて、きょとんと部屋を見回した。


 室内には彼ら以外に、ヤタさんと弓さんが脇に座し、反対側にに鬼夫婦と定七さんが並んでいる。

 権太郎さんと釿次郎さんが間を回ってお茶を配っていて、外から気配がしたと思ったら、裏庭に(ジン)さんと(ハリ)さんが腰を落ち着けたところだった。


 外のお二方は別にして、師匠の部屋はこんなに沢山入れるほどに広くはなかったはずだが…多分、塗り壁に言って部屋を広くしたとかそんなのだろう。

 当たり前のようにそう思うオレは、この館は何でもありなのだということにすっかり慣れてしまっていた。


「おいで」

 手招きされて、恐る恐る師匠に近づいたが、師匠の懐から白蛇の頭がにゅっと突き出したのを見て肩の力を抜いた。

 先輩たちを差し置いて上座に着くのはどうかと思ったのだけど、どうやら改まった席ではないようだ。


「あの、皆さんお揃いですけど、どうしたんですか?」

 釿次郎さんがさっと師匠の隣に出してくれた座布団に座りながら訊く。


 周りを見回すのを止められない。

 師匠の部屋に、師匠の配下全員が集まっているのだ。

 全員揃うのを見るのは初めてだ。…あ、(セキ)が居ないや。微妙に全員じゃなかった。


「ああ、報せておく方が良いことができたからな。後で話しても構わないが、一度で済めば手間がない故呼んだ。今は何をしていたんだ?何かの途中なら、話を後にしても良いが」


 オレは大急ぎで首を横に振る。師匠のお話を逃すなんか滅相もない。

「特別忙しいことなんかな「なんもしねーでぼけっとしてたんだよなー」


 音がしそうな程の勢いで斜め後ろにあるにやにや笑いを振り向いた。

 意地悪な心と、面白がる気配。オレで遊ぼうとしている次朗さんだ。…オレはちょっといらっとした。こんなろう。


「あれは考え事してたんです」

「どーでも良いことをなー」

「どうでも良くないです!!」

「ぼーっとしすぎて沢に落ちるんじゃねーかと思ったぜー?」

「ぼーっとしてないし落ちません!」

「どーだか。てめーは危なっかしーんだよ。木からほいほい落ちるし、どんくせーよなぁ?」

「木から落ちたのは…っ」


 次朗さんの所為でしょ、と言おうとして、オレは急に我に返った。

 自分の失敗を他者の所為にしてはいけない。

 次朗さんと居るときに木から落ちたのは、次朗さんが下から鈍間(のろま)だのなんだの言いながら追い立てて来るからだ。でも、次朗さんに張り合って無茶をしてしまうのはオレ自身の責任なのだ。

 つまりはオレの失敗だ。


 そして今、あのときと同じ雰囲気がしている。

 挑発する次朗さんと、むきになっているオレ。このままでは二の舞だ。

 頭を冷やすために大きく息を吐いた。少し冷静な目で次朗さんを見る。


――――鬱憤晴らししてる…。

 思い出したのはさっきの暴露会。

 次朗さんは自分ばっかりかっこ悪いことをばらされた憂さ晴らしをしてきているのだと気付いた。

 そう思ったら、すっと熱が冷めるように落ち着いた。


 オレの目には、嬉々としてオレをからかって憂さ晴らししている次朗さんはとても子どもっぽく映った。

 それに言い返すのは、自分から次朗さん(子どもっぽいの)と同程度だと言っているようなもの。

 オレは子どもっぽいことはしたくない。

 それに熱くなれば次朗さんの思う壺なのである。

 次朗さんの思う通りになるのはすっごく癪だ。


 以上の理由が頭の中を駆け巡り、オレの熱をすっと冷ましたのだ。


 それと同時に反省した。

 オレが乗らなきゃ良い話だというのに反射的に言い返してしまい、要らない時間を取ってしまったということを。

 そしてこんなことで皆さんをお待たせしているのは良くない。


 早く収拾をつけねばと思ったオレは、経験上、最短で収まる方法をいくつか思い出して吟味した。


――――あの手でいくか。


「………」

 冷静になって、静かな顔で次朗さんを見上げた。

 じーーーっと。


「あぁ?何だ?文句でもあんのかぁ?」

「………」

「何も言えねーよなぁ?本当のことだもんなー?」

「………」

「おい?なんとか言えよ」

「………」

「なぁ…」

「………」

「……」

「………」

「……ちっ」


 満面のにやにや笑いが顔から抜けていくのを眺めた。


 ぱんぱんに膨らました紙風船を両手で挟んだときを思い出す。しゅーっと音をたてて(しぼ)んでいくのに似ていたのだ。

 何がって次朗さんの気分が。


 これは、どれだけ無心で見つめられるかが成功率を左右する、ちょっとコツがいる方法なのだ。

 少しでも照れて笑ってしまったら、空気が緩んで相手の興奮は一気に戻る。それで一緒に笑えるなら良いんだけど、経験上半分くらいの人はそのまま怒るので要注意だ。

 成功して良かった。


 次朗さんが完全に静かになったのを見て、よしと頷いた。――これで話が進む。

 そのとき双子が同時にぶふっと噴き出した。


「あっははははは!!次朗お前、三太朗に良いように扱われてんじゃん!!」

「あははははは!!あーはははははは!!もう、三太朗お前、あははははは!!!」

「はえ!?」


 大笑いされてきょとんと辺りを見回せば、さらに場が沸いた。

 みんな大なり小なり笑っていて驚いた。…いや、弓さんはうっとりと溜め息を吐いていたし、ヤタさんは呆れた心を抱えて羽繕いしていた。そして師匠はほっこりしていた。

 こちらは普段通りだ。


「うるせー笑うんじゃねぇよ!!」

 次朗さんががなるものの、和やかな笑いを煽るだけである。

 オレの所為で次朗さんを笑いものにしたのじゃないかと不安になったが、よく気を付けてみれば、次朗さんの気分はそんなに悪くはなさそうだ。

 怒った顔を保ちつつも、口の端が不自然に引き攣っている。


――――とりあえず、一応あとでご機嫌取っとこう。


 ともあれ、次朗さんのからかいは止み、部屋の空気は柔らかい。

 良いことだ。


「そうか、次朗と遊んでいたんだな」

「遊んでねえよ!!」


 次朗さんが怒鳴っても、師匠の顔は曇らない。とても楽しそうだ。

 遊んでいたんじゃないけど、否定するのも気が引けて、曖昧に頷いたら頬をつつかれた。…多分、師匠にはお見通しなんだろう。


「次朗と仲良くなったのは良いことだ。…お前たちも良いなら、始めるか」

 黒い眼差しが室内をぐるりと薙ぐ。


 たったそれだけで、(たちま)ち場が鎮まった。

 和やかだった空気がぴんと張る。身が引き締まる思いとはこのことか。

 表情はそう変わらないのに、気配がすっと変わった師を見上げて、自然と伸びる背筋を意識した。


 視線ひとつで空気を変える存在感。自然と周りを従える雰囲気を纏う。

 普段は全く意識しないけれど、紛れもなくこの場の主は彼だ。

 見上げたそこにあるのは、上に立つ者の横顔だった。


「そろそろ本題に入ろう。兼ねてよりの懸念のひとつ。ここ三月(みつき)の間、結界外の術に反応がある件に調べがついたことを周知する。知らぬ者も居る故、事のはじめより順に進める。先ずは陣」

「はっ」


 巨狼が外から首をのばす。

「三月程前、手の者より縄張りを侵す者が居るとの報あり。見回ったところ、見える跡はほぼ無く、しかし微かに臭いは残っておりました。恐らく最も踏み込んだところで人里がある辺りまで。臭いの殆どは頭上よりしております。あとは喬木(きょうぼく)の幹に少々。それらを鑑みて木に登る者と推察。その時点では何者か判らず、数も複数としか知れず。しかしそれ以前には覚えのない臭いであることは確か。未だに同種の臭いの者が、時折縄張りの端に現れます」


「ご苦労。次、張」

「はは」


 畏まった大鷲が師匠の方に首を向けて、オレは密かに緊張した。

 これは、この場は――報告会だ。

 それも、外の情報を報告する場。


 何者か、知らないモノが迫っていることの、報告。


『珍しいことではない』


 鬼か山を狙っていたあのとき、師匠がそう言ったのを思い出す。

 いつものことだ、問題にもならないと、何の気負いもなく語った。

 きっとあのときも、オレが知らない間にこんな集まりが持たれていたのだろう。


――――嬉しい。

 喜びが、浮かれた気分を伴わないなんて初めてだ。

 あのときは事前には知らされず、守られていただけだったのに、今日ここに呼ばれたことが、驚くほど誇らしい。


 例え何の役にも立たずとも、聞かせるだけの価値があると思ってくれたのが嬉しかった。

 オレは一言一句聞き漏らすまいと、いっそう耳を澄ませた。


「陣より報せを受けて上天より哨戒(しょうかい)。しかし確かな影は見えず。辛うじて縄張りに接する森に、人ほどの何者かが複数動く気配がありました。未だに目に捉えたことはなく、しかし動くものは今に至るも森の陰に時折出ます」


「ご苦労。次、ヤタ」


 淡々とした指名を受けて、カラスはふむと頷いた。


「報告を受けてより、我が天眼にて索敵。人ほどの大きさの、森に潜む者を確認した。その数、(おおよ)そ五百から九百。術の気配があり、気が弱められ、ぼかされてておったが故に潜む場の特定は出来なんだが、東は川向うより気配はあり」


 途方もない数だ。

 山を囲んでいるという三勢力、蛇、狐、鬼の合計が約二百だということを考えると、桁までは違わないが比べ物にならない数だ。


 動揺せずに居られたのは、ひとえにオレ以外の全員が、誰も動じていなかったからだ。

 前から知っていたのかも知れないが、それでも当たり前のような顔をして、上辺だけでなく気持ちにも乱れるところがない。

 おそらく、彼らにとって『珍しいことではない』のだろう。


「次に、ひと月ほど前、妙な気配が近辺の人里に出没。"視た"ところによると二匹の人。但し、先日追い払った鬼の背後に居った術師に似た気配があった」


――――術師。

 前回も、鬼に協力していたらしい勢力。

 油断はできないだろう。術師の作った道具は、師匠の封印を破ったことがあるのだ。


――――オレに出来ることはあるだろうか。


 他の妖怪よりも、人の方が実は油断がならないというのは不思議な気分だ。

 オレはこんなに無力なのに、数百年も妖怪たちの縄張り争いに勝って来た師匠たちを脅かす力を持った人が、確かに居るのだ。

 人だからといって、親しみを持つことはない。

 この山の妖怪たちに敵対するなら、人であってもオレの敵だ。


 オレは密かに、静かに、人…術師を敵とする覚悟を決めた。


 術師と聞いて様子が変わったのはオレだけではない。

 鬼たちや弓さん、次朗さんからも警戒と不快が濃くたちのぼっているのを感じた。他は元から知っていたのか、特に大きく様子は変わらない。


 この場の顔ぶれに、驚いた者はいない。

 当たり前だ。オレも含め、皆術師がいつか来るとは思っていたのだ。

 天狗の山がいくつか術師の手の者に滅ぼされたと、オレでさえ聞いて知っている。

 師匠は前回は上手く切り抜けたが、それから今日に至るまで、(ふみ)のやり取りが物凄く増えたし、何かと忙しくしている。


 鬼は遠くへ行ったから大丈夫だと聞いた。なら、師匠が忙しいのは術師の所為だと思っていた。


 術師の襲来を聞くのは不快だった。

 不快ではあっても不安ではない。

 弦造(げんぞう)さんが小声で「またか」と独り言をこぼして恐ろしい顔をした。それが、この場の総意を端的に表している。

 オレも、前回のように怯えはしない。

 出来ることが増えたのではないが、何だか不安が湧かないのだ。


 術師には以前憧れたこともあるというのに、悲しいとか寂しいとかは思わなかった。


――――何か手伝えることがあれば手伝いたい。

 そう思うと同時に、術師に対しては、もうちょっとこっちの都合考えろよ、と悪態のひとつも吐きたい気分があるだけだ。


「――ヤタ、ご苦労。次、紀伊、武蔵」


「はい」と揃って返事をした先輩たちは、いつも通り軽やかに話し始めた。


 だがその軽い調子とはかけ離れた、驚くべき話を聞くことになる。


「お師匠から命を受け、俺らは外へ出て術で潜みつつ索敵。その際、遠方へ出るふりをして敵勢力の監視を攪乱」

「九日前、ちょろちょろ手を伸ばしてきてた、蛇、狐、鬼を駆除。その三勢力はそれ以来動きはない」

「しかし、その折に不明な勢力の気配を察知。術で印を付けることに成功。結果、正体は(ましら)と判明」

「八日前、師匠と次朗の外出を機に、結界近くへ侵入してきた猿八匹に、印を付けたやつが合流。九匹を迎撃。印を付けたやつは追い立てて逃がした」

「その際、乱入者あり。見たことがない術を使う男で、恐らく人。猿の一匹と合流。戦力が未知数のため迎撃を中止」

「ヤタさんに確認したところ、ひと月前に察知した術師らしき者の内の一人と判明。印を付けて監視」

「七日前、未明に猿の(むれ)に"印付き"が合流。巣が判明。同日やや遅れて、術師らしき男が、助けた猿と群に合流」

「群の内側は、流石に見つからずに探れず、保留」

「同日朝、男は人に化けた猿と共に群を離れる。夕方より少し前に、二者は白鳴山の縄張り内外縁付近の村に入った」

「六日前、二者と共にもう一人の術師らしき人間が村を出発。一晩野宿し、五日前の昼頃に猿の群に合流」

「二日間は音沙汰なしで、一昨日(おととい)未明、人二人が群を離れて出発。日暮れ少し後に元の村に到着」

「そして昨日、また二人は村を未明に発ち、日暮れ前に群に合流を確認」

「今朝まで監視したけどそれ以上の動きはなかった」

「以上を以て、猿と協力関係にあると断定」

「術師らは以前鬼と共闘してたやつらとの接点は確認できず」

「しかし不明な術を使う点は同じ。術の気配も似通っているため、同勢力と暫定」

「二勢力が合流した現在、猿、人ともに敵対の意思ありと推定。現在も警戒継続中」


 すらすらと語られ、以上!と元気よく締め括られた話に、オレは呆然とした。

 だって、オレがいつも通りのほほんと暮らしている間、紀伊さんと武蔵さんは、外に来た勢力を監視していたのだ。

 敵かどうかをある程度判断できるまでの間、五百とか九百とか言われている数を相手に、見つからないようにずっとだ。――大変な役目だ。


「ご苦労。よくやった」

 師匠が初めて労いを口にする。双子は嬉しそうに笑って、どうってことないですよ!と誇らしげに返した。


 二羽の顔をじっと見る。 この頃あまり見かけないとは思っていた。

 だけど、紀伊さんと武蔵さんの代わりに次朗さんと一緒に居る時間が増えたから、彼らが居なくてもあまり違和感を感じなかったのだ。


――――あんなに、相手してもらってたのに。


 ある時期は毎日のように遊んでくれたし、一緒に布団を並べて寝たり、相談に乗って貰ったりもした。

 なのにオレは会う回数が減っても気にもせず過ごしていたのかと思うと、申し訳なくて泣きたくなる。

 オレが何かの役に立つとは思わないが、知っていればせめて彼らが帰ったときに労うぐらいはできたはずだ。


「三太朗どの…!」

 弓さんが素早く寄って来て傍らに座り、そっと手を握ってくれる。

「どういたしました?」


「おいおい、三太朗!そんな顔すんなよ!」

 続いて紀伊さんが気付いて慌てた様子で寄って来る。


「どうしたんだ、やっぱ怖かったか?」

 武蔵さんが焦った声を上げて、やや乱暴に肩を引き寄せた。


「え…ちがっ」

「そうだよなー、いきなり五百とか言われたらびっくりするよなー」

 武蔵さんが焦ったように早口でオレをあやす。

 真っ直ぐな心配と焦りを感じ取って、オレは出かかっていた強めの否定を飲み込んだ。


 拒絶と取られないように彼らを止めるにはどうしたらいいか即座には思いつけずに停止した間に、紀伊さんもオレを覗き込む。

「敵とか言われたら、やっぱ怖いなー」

「大丈夫だって、俺らのが強いからさー」

「みんな居るから大丈夫だぞー」

「ええ、何も怖くはありませんよ」

 口々にあやし付けるように言って、背を叩いたり頭をなでたりする彼らに、オレは慎重に首を振った。


「そうじゃないです…びっくりはしたけど、怖くなんかないです。オレ、お二方が大変なお役目のときに…何も、知らなくて……そんなことになってるなんて、思わなくて…気付かなくてごめんなさい…」


 謝りながら項垂れる。

 もっと気を付けていればきっと彼らが居ないのに疑問を持てた。疑問を持てば誰かに尋ねることぐらいはできた。訊けばきっと答えてくれただろう。

 だから、知らなかったのはオレの所為だ。


「まあ…」

 弓さんはすこし驚いたように目を見開き、ぴたりと二羽は動きを止めた。

 二羽はお互いに顔を見合わせて、それから「お師匠!」と弾む声を上げた。 


「聞きましたか今の!!」

「お師匠はこいつのこと舐め過ぎ!!」

「三太朗、良いんだぞ!お前が気付かないように気を付けてたんだから」

「そうそう、お前は知らなくて良いんだって言ったのはお師匠だし」

「全部お師匠が悪いんだから、お前が謝ることじゃないんだぞー」

「そうそう、お師匠の所為だからなー」

「…俺の所為なのか」

「「そうそう!」」


 二羽は屈託なく全責任を師匠に放り投げた。思わず師匠を見れば、ちょっと釈然としないものを感じたが、見た目には少しも出さずに「すまんな」と謝った。


「事態がある程度分かるまでは報せぬようにしていた」

「いえ…お考えあってのことでしょうから」

 そう言ったら苦笑された。


「お前はもう少し、思うままに口に出しても良いんだぞ」

「そうそう!」

「「お前はもう少し控えろ」」


 したり顔で頷いた次朗さんが、すかさず双子にどつかれる。思わず噴き出してしまった。

 申し訳なさは変わらないが、肩に入っていた力が抜けて初めて、力んでいたのに気が付いた。


「…はい、ええと、じゃあ、あの、ましら?は敵ってことでいいんでしょうか」

「そうだな」

 オレの問いに、師匠は簡単に肯く。

 怖くはないんですけど、と前置きをしてまた問うた。


「五百も敵が居るって、どうするお心算(つもり)なんです?」

 ふむ、と師匠は顎に手を遣った。

「そこか、そうだな、ではそこからだ」

 独り言ちて、「良し」とオレに向き直った。


「まず、数百の猿だが、これは当分動かないと見ていい」

「え…?どうしてです」

 五百や、もしかしたら九百も居るなら、準備を整えたら直ぐに攻めてきそうなのに。


「なぜなら、三月(みつき)もあの数で居ながら、他の種、即ち土鬼(どき)蟒蛇(うわばみ)妖狐(ようこ)を攻めようとせぬからだ」

「えと…」

 師匠は戸惑うオレに微笑んだ。


「そも、猿は長きに渡り白鳴山(このやま)を窺っている。とすれば目当てはここで間違いない。だが、周囲には既に三種の妖が居り、山を先駆けて攻めれば背後を突かれかねない。さて、戦力を仮に五百とするならば、お前ならどう動かす」

「オレなら…?」


 考えたことがなかったが、少し考えれば答えは出た。

 狙いは一箇所。周りには同じ狙いの他種族。相手は全部足しても自分たちの半分に満たない数ときたら。


「先ずは周りを片付けてから……あ」

 師匠は優しく頷いた。

「そうだ。しかし実際はそうではない。動きは様子見に留まり、どこに対しても攻めようとはしていない。故に、猿たちは今の想定とは異なる状況にあるのだろう。攻める気配がないが、数百も纏まっている。ここから考えるなら、最もあり得るのは、全てが戦力ではない場合。戦えぬ者も混じっている可能性だ」

「戦えない者が混じっている…?」

「ああ、女や子ども、年寄りや傷病者だな。弱きものを守るためには戦える者の数を揃えておきたいものだ。周囲には猿の同族は居らず、白鳴山(ここ)を狙う勢力がいくつもある。同じものを狙うのなら、奴らもまた敵。そんな中では油断などできんことだろう」

「確かに」


 師匠が言うことは妥当に思えた。

 けど、そうなるとオレには猿がどう動くのか分からなくなって、逆に困惑は深まる。


「でも師匠、直ぐに動かないっていうのはどうしてわかるんです?」

「それはな、奴らが人の里に出入りしているようだからだ。人に化けたと報告にもあったろう。人に化けて人里へ下りる。目当ては何だ?」


 またも来た問いに考え込む。

 いくら夏山だといっても、五百も食べる口があるなら食べ物も調達するのは大変だろう。

 それに、現れたのは三月前だという話だ。だとしたら、それ以前には別の場所に居たってことだ。なら、ここは知らない土地ということになる。


「物を売り買いしたり、道を訊いたり…?」

「中々良い線だな。そう、人は人から物を尋ねられれば、取り敢えずは答える。人里に下りたのは、情報を得るためだろう。だが、尋ねるのは道とは限らん。奴らの目当てがこの山なら、最も知りたいのは白鳴山についてだろうな」

「白鳴山の?」


 もう四月(よつき)も山に居るのに、人の間でこの山がどう思われているのかまるで知らないことに気が付いた。

 毎年法要に僧を呼んでるんだから、師匠が住んでることは知られてるのかもしれないが、里の人に尋ね歩いてどういう情報が得られるのかは見当もつかない。


「あの、人はこの山をどう思っているんです?」

「「神だよ」」

 それに答えたのは、にんまり笑った双子だった。


「紙?」

 こてんと首を傾げたら、二羽はずるっと転んだ。

「違う!薄っぺらい方じゃなくて、畏れ敬う方!!」

「神さまだよ!かーみーさーまー!!」

「神!?」


 びっくりして師匠を見れば、どこか遠い目をしていらっしゃった。

「そうそう、師匠は天流(てんりゅう)に乱れがあればそれを正すんだけどな」

「天流の乱れは災害を伴うんだ」

「つまり、師匠は災害が起これば鎮めてるって訳」

「それを見た農民はこう思う」

「「白鳴山には災異を払う神が住んでる」」

「…確かに」


 脳裏に、師匠が扇のひと振りで雲を割り、雨をやませた光景が浮かぶ。

 あれを見た人が居れば、神の御業だと思うだろう。


 師匠がこの山に住み始めたのは何百年も前だっていうし、そんなに長い間ずっと災害を止めてきたんなら、神として祀るのも当然だ。

 なにせご利益が確かにある神さまなんだから、人々はありがたがって拝むに違いない。

 流石師匠だ。


「そーそー!」

 ずいっと次朗さんが身を乗り出す。

「ししょーを祀った神社もあるんだぜ!巫女もそりゃ一杯いてだな、極楽かって感じでよ!こんな取り澄ました顔して実はむっつ「次郎どの。少々お話いたしましょうか」


 弓さんがにっこり笑って…なぜか物凄い寒気がした。

 次朗さんの顔が強張り、さーっと血の気が引いていく。


 向こうに引っ張られていく次朗さんからそっと目を逸らした。

 調子に乗った者の末路を直視したくなかったのだ。

 だが場所を選ばず下品な冗談を飛ばしてはならないという教訓は、しかとオレの心に刻み付けら

れた。きっと成仏することだろう。南無。


「…師匠って神さまだったんですね!すごい!」

「…そんなに凄いことではないぞ」

 さりげなく冷や汗を拭って、今さっきのことをなかったことにすれば、師匠は苦笑いを浮かべた。


「神なるモノは、ようは"祀られる者"だ。祀る数がただの一でも神格(しんかく)は得られるからな」

「しんかく…?」


――――深く考えずに褒めたら真面目に反応された。神格という言葉になぜか聞き覚えがあって、オレは首を傾げた。

 どこできいただろうか。


 師匠は大真面目に頷いた。

「神格とは読んで字の如く、神たる者の格だ。神格を持つ者が神、と言い換えても良い。神格を得る…つまり、神になるのは難しいことではない。誰でも良いから祀られて、少しでも拝まれ、祈られれば神だ」


 正直、なんだそれはという話だ。

 神さまって、もっとずっと、なんというかすごいものだと思っていた…のだけど、オレが"すごいもの"だと思っていた、例えば術なんかは、日常的に使われるようなものだったという経験がある。

 神も、彼らにとっては術みたいに身近なものなのかもしれない。


「えっと…実は妖怪にとって、神さまってそんなに珍しくないってことですか…?」

「そうだな」

 確かめてみると、師匠は当たり前のように頷いた。

 嘘の気配は一切しない。…本当なのだ。

 信じられない想いで見回せば、周りには微妙な顔が並んでいた。


「あのねぇ(ぼん)。確かにちょっと祀られてるだけの奴は多いよ。そんなには居ないけど、珍しがるほどじゃないのは確かさ。人ってのはあたしらみたいのに助けられたら、何かと言って神にしたがるからね」

 そう言ってお(しの)さんが苦笑いした。


「しかし、そういう者らと高遠(たかとお)さまは別格でございますよ」

 静かに戻って来た弓さんが、すらりと近くに座りつつ微笑んだ。因みに次朗さんは、定七さんの隣に座って疲れた顔をからかわれている。自業自得だ。


「別格、ってことは、やっぱり師匠はすごいんですね」

「左様でございます。高遠さまのように、祠だけでなく社をお持ちで、さらに神事を行う(かんなぎ)を持つ神はそれだけ高位の神格を持ちますの」

「神格は、数多くの者が祀ればそれだけ増す、と思っておけば良い。そして高位の格を持つ神はそれだけ大きな力を持つ、とな」

 ヤタさんが堂々たる口調で口を挟んだ。

 その声でふとひらめいた。


「もしかしてヤタさん、最初に自己紹介してくださったときに、神格を持ってるって言ってませんでしたっけ?」

 カッと真っ赤な眼が開いて、オレはびくっとした。


「おおお!三太朗よ、いかにも!我は天輝光火大神あまてるひかりびのおおかみの産み出せし七十七眷属しちじゅうしちけんぞくが一、生まれながらに神格を持つ天鳥!よくぞ覚えておったな!傾聴は教導を受ける大元ぞ!そなたは教わる姿勢というものが備わっておる!まことあるじには勿体ない弟子よ!!」

 がああ、と威圧感たっぷりな鳴き声混じりに、ヤタさんが吠えた。

「あ、ありがとうございます…」


 なんちゃらかんちゃらと長ったらしい口上は殆ど覚えていなかったので、神格について覚えていたのは偶然、というか、どうして覚えてるのか自分でも不思議なほどのまぐれなんだけれど、ヤタさんは感極まって羽を震わせている。

 ちゃんと自分の話を聞いて貰えていたのがよっぽど嬉しかったらしい。

 …ここまで喜んでるのに、実は全部ちゃんと覚えてるのじゃありません、なんて水を差すことは言えなかった。

 だから、他のことに目を向けることにした。


「師匠は神さまも従えてるってことですね!」

 配下のヤタさんが神格を持っている、ということはそういうことだ。

 師匠は、神さまを従える神さまなのだ。そろそろ神さまが飽和してきてありがたみが薄れてきつつあるが、これはすごいことに違いない。

 なんか嬉しい。


「そーそ!八咫烏(ヤタガラス)を従えてる天狗なんて、お師匠ぐらいさ」

 紀伊さんが誇らしげに胸を張る。

「三太朗、覚えとけよ。そこらの神は所謂(いわゆる)野良だ。お前が今まで考えてたみたいなすごい神さまってのは、国産みの双祖神(ふたおやがみ)の親族で、国津神(くにつかみ)って言う」

 武蔵さんが目を輝かせた。

「八咫烏ってのは、国津神の枠の中!」

「ってことは、どういうことかってーと!」


「「お師匠は、国津神よりもすごい方なのだ!!」」

 じゃじゃーん!と左右対称に師匠を手で示して、双子は声を揃えた。

「おおお!!」

 ずっとそうじゃないかと思っていたけど、やっぱり師匠はすごい方なのだ!国津神って聞いたことがあるだけで、どんな風にすごいのかはよくわからないけど、先輩がこんなに言うぐらい、兎に角すごいのだ!!


「やっぱり師匠ってすごい方だったんですね!!」

「……そんなにすごくはない」

 師匠が小さい声で何か言ったが、そんなのは聞こえない。

 オレは熱い胸の高鳴りのままに、両手を肩の辺りで握り締めて、すごいすごいと連呼した。 


――――これは師匠を祀ってるっていう里人は知っているんだろうか?

――――もし知らないなら、教えてあげたら喜ぶだろう。

――――だって、自分たちの神さまが思ってたより偉かったら、誇らしく思うに決まってる。オレみたいに!




 双子天狗と一緒にきゃっきゃっと楽しそうに騒いでいる末の弟子を、周りは温かく見守っていた。

 三太朗が子どもらしく大はしゃぎしているのは非常に微笑ましく、さらに主を褒められるのは例外なく誇らしい。

 ただ、当の高遠だけはとても居心地悪そうにしていた。

 何か言いかけようとしたところ、そうっと近付いた大鴉に「あやつの夢を壊すでないぞ?」と耳打ちされて、口を(つぐ)んだ後に溜め息を吐いていたのだが、はしゃぐのに忙しい少年は全く気が付いていなかった。


 因みに、次朗天狗はさっき貰ったきついお灸が効いていて、余計な口を挟みそうになっては口を閉じるを繰り返し、珍しく騒ぎに参加していなかった。

 いつもはお説教など意に介さないのだが、入室の折に年端も行かない弟弟子が、きちんと礼儀を(わきま)えてみせたのが次朗なりにこたえていたのである。

 自分より下だと思っていた少年が、自分よりもしゃんとしているというのは、礼儀知らずを恥じることがない彼をして、どうにも居心地の悪いものだった。


 そして、彼はお説教で言われた通り、茶化さず冗談でもからかうでもないことを言おうとして、結局黙り込むということに至り、普段自分が余計なことばかり言っていると(ようや)く自覚したのである。




「……そろそろ話を戻すぞ」

 師匠が仕切りなおすように言った。

 さっきまでの話は、猿が人と接触して、白鳴山の情報を得、猿が直ぐに動かない理由がそこにある、ということだったっけか。


「猿たちが人から話を訊いたのなら、秋に祭りがあることも耳に入ったはずだ」

「祭り?」

「ああ、秋祭りだ。畑の実りを喜び、今年の収穫を祝って来年の豊作を祈願する祭りだ」


 聞く限り普通の秋祭りだ。

 オレの故郷でもささやかながら毎年あった。

「秋祭りがあるから、猿が来ないんですか…?祭りを待ってるってことですか?」


 そんな馬鹿なと思いながら、それでも今祭りの話があるってことはそうとしか思えなくて、考え考え口に出す。

 そうしたら、師匠は真面目な顔で頷いた。まじか。


「そうだ。猿たちは、大群でありながら何処(いずこ)も攻めん。つまりは仕掛ければ自分たちが痛い目に合うのが分かっている。その程度の勢力だ。だが、この場を諦めずに居続けている。それは何故(なにゆえ)か」

「時期を待っている…?それがお祭り?それか…何かを狙ってる…とかですか?」

 釣り込まれるように、思ったことをそのまま言う。黒い眼差しが満足気に細められた。


「そうだ。祭りの夜を待っているに違いない。毎年の祭りには、里人(さとびと)らが祠に供物(くもつ)を捧げに来る。こちらはそれを回収するのだが、そのとき、当然山から出なくてはならない」

「それで待ってる…ってことですか。外に出たところを待ち伏せする気、なんでしょうか」


 少し不安になってオレは部屋を見回した。

 ここに居る面々はとても強いけれど、五百とはいかないまでも、例えば百も猿が襲い掛かって来たとしたらどうなんだろう。

 怪我をしてしまうかもしれない。…考えたくもないけど、負けてしまったら、死んでしまうかもしれない。


「それも有り得るやも知れんが、問題はない。複数で向かえば戦力としては充分。もしものときは逃げ帰って来れば良いのだし、供物ごときに命を懸けるような馬鹿はこの場にはいないさ」

 オレの不安を拭うように、師匠の声は穏やかだ。


「可能性としては他ふたつが有力だと見ている。ひとつは本命。あくまで山を狙う場合だ。山の外へ出るということは、出て来るところを見ておけば、出入口がどこなのかが分かる、と考えられるだろう。また、外へ出ている者が居るということは、その分こちらの戦力が割かれているということ。付け狙っている者からすると狙い目に見えることだろうな」

「…その仰り方だと、狙い目ではない、んですか」


 ああ、と師匠は不敵に笑んだ。

 配下たちもそれぞれ当然のように頷く。

「前にも言っただろう。我が山の結界は破られたことはないとな。味方は通り抜けられるようにしてあるが、敵はどこから入ろうとしたとて弾かれるようになっている。出てくるところを見ていても無駄だな」


「そうですか…」

 多少なりとも感じていた不安が鳴りを潜めた。保証はないのにきっと大丈夫だと思える。

 同時に「あれ?」と首を傾げた。


「可能性はふたつ、ってことはもうひとつは何ですか?」

「供物だ」

「お供え物?」


 故郷の秋祭りを思い出して、オレは反対側に首を傾げなおした。

――――うちの祭りでも祭壇を用意してお供えをしたものだけど、南瓜(かぼちゃ)や芋やキノコなんかがそんなに欲しいんだろうか。

 だったら分けてあげてもいいんじゃないかな。


 さっきはそんな馬鹿なと思ったことが本当だったのだけど、二度目はないようだ。

 平和なことを考えていたオレは、背筋を正して座りなおした。

 なぜなら、供物の話になった途端、誰もが――それこそ次朗さんもが真剣な顔をしているからだ。

 

「――梅雨の少し前、雨を止ませたことを覚えているか」

「はい。勿論です」


 今でもありありと思い出せる。

 黒々と鈍色(にびいろ)の空に浮かび上がった師匠。手にした緑の葉団扇。鮮やかな一閃。

 そして、線を引くように引き裂けていく分厚い雲。


「あの雨で幾らか人に被害が出た。それを止めたということで、今年は礼として特別な供物があるはずだ」

「特別な供物、ですか。猿はそれを狙ってるんですか?」

「そうだ」


 猿が欲しいもの。何だろう。

 食べ物…というのは違うだろう。それならみんながこんなに深刻な顔をしていない。


 オレが充分に考えられるだけの時間を置いて、師匠が口を開いた。


「人だ」


 直ぐには何を言われたのか分からなかった。


「は……人…?」

 やっと出たのはそんなこと。

 師匠からは嘘は感じなくて、疑う言葉は出てこない。でも直ぐには信じがたい。


 だが、誰からも聞き間違いだとは言われなかった。


「そう。人の娘だ。神にささげる人。人身御供(ひとみごくう)人柱(ひとばしら)。いつからか、俺が何かすればありがたがって次の秋祭りには人が供えられるようになった。礼の心算(つもり)なのだろう。あの雨を止めたことで、今回にも…」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 オレはいっぱいいっぱいだった。

 人が、それも女の子がお供え物にされる。そんなことはオレの想像の埒外だった。


「師匠は、欲しいんですか?」

 祈るように問えば「いいや」と静かな否定が返って来て、師匠は好んで人を浚うような(あやかし)ではないことに一先ず少し安心する。


「だったら…」

 貰わなければ良いじゃないか、と言いかけて、全然よくないことに気付いた。


「猿が狙っているのって…」

「そう。人柱だ」


 貰いに行かなければ、猿が浚いに行くのだ。


「もしも…もしも猿が人柱を…いえ、師匠も、人柱を貰ったらどうするんですか」

 尋ねながら、ふと可笑しいことに気付いた。


――――顔も知らない人なんて、どうでも良いんじゃなかったっけか。

「俺か」

――――いや、どうでも良くないのは師匠の方だ。師匠はそんな方じゃないって思いたいんだ。

――――あの口振り。人が供えられるのは初めてじゃない。

――――でも……この館にはそれらしい人は居ない(・・・)


 恐ろしい考えが頭を(よぎ)るが、努めて打ち消した。

 静かな目はいつもと同じく底が知れない。

 真っすぐな黒い眼差しの中に何かを読み取ろうと、食い入るように見返し続けた。


 不意にぽん、と頭に軽い重みが乗って、わしわしと大きい動きで髪をかき回される。――撫でられたのだと分かるのにひと呼吸必要だった。


「お前が不安に思うことは何もないさ。迎えた人柱は館で休ませ、後に町で暮らすか…社へ行くかを選ばせる」

「社…って、師匠を祀る神社ですか」

「そう。先に次朗が言ったろう。社には巫女が居ると」

「あ…そういうことなんですね」


 納得がいくと同時に少し緊張が解ける。

 あくまで、少し。


「では…猿は?」

 猿には、人柱を巫女として置いておく社はない。

 答えは元から見当が付いていた。

 この山に来るまでは、妖怪はそういうものだとオレも思っていたのだから。


「猿は、喰うだろうな」


「喰う…」

 人を食べる。

 見当がついていたのに衝撃は大きかった。


「どうして…そんな」

 殴られたような気分で、半ば呆然と呟く。


――――そんなに腹が減っているのだろうか。

――――いや、それなら秋までなんて悠長に待っていられないだろう。

――――でも、喰うって…


「力が付くからだ」

 師匠の声は、山の森閑とした空気と同じく静かだった。


「祀られれば、神になれる。それは、祈りという強い思いが向けられるからだ。人も、獣も、妖も、常に少しずつ"()"を取り込みつつ生きている。だが、祈りは霊ではなく、"()"だ。気を取り込めば、霊よりも力が付く。特別な力だ。故に神格が得られる。祈りを帯びた供物もまた、受け取る者に力を与える」


――――祈りが力になる。

「――じゃあ、猿に向けて祈っている訳じゃないのに、祈りを受け取れるんですか?…お供え物を盗み取れば、同じ力が得られると?」

「いや。供物を横取りしたとして、神格は得られん」

「では、なぜ」

「三太朗」


 師匠は言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返した。

気を取り込めば(・・・・・・・)力が付くんだ(・・・・・・)


 理由の分からない緊張が高まる。

――――気とは、生きもの全てにある力。

 教わったことを反芻する。

「じゃあ、何でも良いんじゃないですか。鹿とか、猪とか…人じゃなくても。というか、人柱を待たなくたって、普通の人でも同じ、なのでは…」


 酷いことを言っている気がして、語尾は小さくなった。


「人柱は特別だ。捧げた者らの祈りを背負っている分、得られる力は多かろう。自分に向いた祈りではないから、神格は得られぬとしてもな」

 師匠は淡々と、まるで感情を込めずに言った。


「だが、ただの人でも喰らえば力が付く。奴らが人を襲わぬのは、俺が周囲を荒らす者を許さぬからだろう」


――――人を喰らえば、力が付く。


「天狗も、人を食べれば…?」

「…知る限り、種族での例外はないな」


「じゃあ……人を、たべるんだ」


――――妖は人を襲って喰う。

 今まで何を聞いていたのか、と自分で思うほど、納得するまで時間がかかってしまった。

 ずっとその話をしていたというのに、今まできちんと呑み込めていなかったんだな、と人ごとのように考える。


「聞け」

 師匠は初めて身を乗り出した。

 オレの顔を覗き込む。その目に、呆けたようなオレが映る。


「お前は喰うな。これから何があっても、人だけは喰うな」

 黒い目の中のオレは瞬きをした。


「気を取り込めば力は付く。だが、その分己の気が濁る。喰われた者が、喰われたくないと思うほど、喰った者の気を乱し腐らせる。恨みつらみや怒り憎しみは、淀み溜まり、喰った者に纏わりつく。人はそのような負の思念が恐ろしく強い。気が乱れ腐るのは苦痛だが、一度喰らった者は力に酔いしれ、次を求めてしまう。大概の者はひと度喰らえばずるずると、何度も繰り返す行き着く先は、化け物だ」


「…化け物」

 鸚鵡返しの呟きに、師匠は真剣な顔でゆっくりと頷いた。


「そうだ。正真正銘の化け物。妖が化生(けしょう)と呼ぶ、忌むべき魔物。腐り切った気は"瘴気(しょうき)"と呼ばれるものに変わり溢れ出し、己自信を捻じ曲げ、周りの霊流を狂わせ、他の生きものを病ませ、自らの意思も理性も抜け落ちて、己が最も求めたものに向かう。――さらに気を得るために、他者を襲い続ける化け物に成り果てる」


 だから喰うな、と師匠はまたも繰り返す。

 生唾を飲みこんで、オレは頷いた。


「はい。天狗に成っても、絶対に人は食べません」

「良し」


 よし、と言われた。それだけで、ふっと力が抜けた。

 気が付けば、握った手のひらは汗でぬめっている。


――――もう少し、落ち着かなくちゃ。

 今話してもらっているのは、オレがきちんと受け止められると思ってもらっているからだ。

 だから、冷静に全部の話を聞いて、咀嚼して、受け入れたかった。

 大きく息を吸って、吐いた。

――――よし。


「師匠、猿はそれでも、人柱を浚って食べようとするんでしょうか。自分たちが化け物になるのに」

「それだけ追い詰められているんだろう。力を得て攻め込む算段を付けた心算だろうが…危ない橋だ。こちらもあちらも、望むところではない。だからこそ、こちらから誘いをかける」


 今日初めて師匠が悪戯っぽい顔で笑った。

 笑いごとではない場面だというのにまるで邪気なく笑う師匠を、初めて恐ろしいと感じた。

 何を考えているのか分からない。


「誘い…ですか」

「そう。供物の回収に、この場の殆どを向かわせる」

「!?」

「そうすれば、こちらに隙ありと見て、奴らはこちらへ来るだろう。誘い込んで討つ。なに、心配は要らん。奴らは中々周到に見張っているようだし、見逃すことはあるまい」

「そこは心配してないです!」


 そうか、と言って微笑う師匠は、何処からどう見ても普段通りだった。

「全員って!それって、猿を全部師匠が相手するってことですか!?」

「ん?ああ、いや、太刀(タチ)とヤタは残すさ」


 問題ない。と微笑む師匠には、気負いがなかった。

 大丈夫、と言われる度に不安になっては損をする。そのことを思い出して、無理やりにでも自分を落ち着かせた。

 そうして、ふと大事なことに気付いた。


「…この場の殆ど、ってことは、オレもですか?」

「嫌か?」

「いえ…!!」

 信じられない想いで見上げた。そこには、嘘の気配はない。


「オレも、手伝わせてもらえるんですね」

 嬉しくなって思わず口元が緩んだ。


「ああ。話を聞かせてお前がどうするのかで決めようと思っていたんだが、他からも反対はなさそうだからな」


 きょとんと二回瞬きした。

 戸惑ってぐるりと見回せば、この場の全員がオレを見ていた。

 にこやかな顔。したり顔。心配そうながら、微笑む顔。


 そうして気付いた。

 報告会だと思っていたのに、途中から授業のように一対一の問答が始まったこと。さらには脅すように、恐ろしいことも包み隠さず語られた。

 最初はともかく、思い返せば殆どの言葉はオレに向けて投げられていた。


 試されていたのだ。


 じわっと喜びが胸に灯って、顔がほころぶ。

 館の全員でオレを確かめて、そうして合格したのだと思うと、ものすごく嬉しかった。

 初めて、仲間として認めてもらったような気がした。


「さて、祭りまではまだひと月ある。それまでに幾つか新しいことを学ばねばならんぞ」

「はい!頑張ります!!」


 張り切ったオレの返事に、向く目線が和やかに緩む。


 その心地よさに(ひた)るオレはついに思い出すことはなかった。


 敵に術師がいたことを。



次はいよいよお祭り…の前に、幕外入ります。

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