七十一 合流
本日二話投稿の一話目。
もう一話は夜投稿予定です。
「はぁぁ…ああああ!!あーもう!どこ行ったっちゅーねん!あのアホゥ!!」
ため息のついでにこの場に居ない人物を罵って、木場は頭を掻きむしった。
頭に巻いた帯がずれて、元からあちこちぴんぴん出ていた真っ赤な髪が、もっと盛大にぐちゃぐちゃになる。
痩せた体、大きな口は乱杭歯が覗く。頭に巻かれ、目元まで影にしている黄色の帯に、夕焼けのように真っ赤な髪。
年齢も性別も不詳の、ひと言で言えば怪しい人物である。
その異様な風貌は、長閑な夏の農村の風景の中で、毒々しくくっきりと浮かび上がって目立つ。
「あれまあ、まだ世布さんは戻らしゃってねぇんですか」
通りすがりの野良着の男に声を掛けられて、木場は飛び上がった。文字通り、座った姿勢からびくっと立ち上がったのだ。
「そ、そうなんです。ほんまに、四日もどこで何しとるんか分かりませんけど、ちょっと遅いですな」
驚いたのを誤魔化すように頬を掻いた木場に、男は心配そうな顔をした。奇妙な風貌は気にかけもしない。
「そりゃあ、心配ですな。ここらじゃあんまし野盗やら山賊の話はねぇですけど、ひょっとしたら…」
深刻そうに言った男に、木場は慌てて首と手を振る。
「いやいや、あの人腕は確かやさかい、山賊の五人や十人どころか熊でも猪でもどうともありゃしません。多分戻って来ぇへんのは、道にでも迷っとるんですよ!」
「それも大変じゃねぇですか。人に会ってもちゃんと道を訊けるんですかいね」
世布が言葉に不自由なのを考えて、益々心配そうになった男に、木場はにっかり笑った。見た人に、不思議なほど木場の印象を人懐こく、温かく感じさせる笑みだった。
「連れを心配してくれてほんまにおおきに。世布さんは確かにあんまり喋られへんけど、地名と方角はちゃんと覚えとるし、ちょっとは話も出来るさかい大丈夫や。でもまあ、もし隣の村まで行く人があるんやったら、出先でなんやけど世布さんのこと聞き込んでもらえませんですやろか…」
申し訳なさそうな木場に、男はそういうことならばと大きく頷いた。
「それぐらい、なんでもねぇこった。確か吉佐が買い物に出るって言っとったんで、伝えときます」
「すんませんけど、よろしくたのんます」
頭を下げた木場に、男は早く見つかると良いですな、と言って早足に立ち去った。どうやら直ぐに伝えてくれるようだった。
その張り切った背中を見送って、木場はまた元のように道端の石にどっかり腰を下ろした。
顔を上げた先には、山々の峰の合間から、白い靄をまといつかせた霊山、白鳴山が見える。
木場は一緒にここまで来た隊商と別れ、先日倒れた女を助けたあの村にいた。
村の者たちは、高価な薬を惜しみなく使って仲間を助けた木場に感謝し、幾らでも泊まっていってくれと、村長の家の部屋をひとつ、木場たちの専用として空けてくれた。
村人の態度は柔らかく、排他的な傾向にある農村部で長期滞在がし難かったという状況では、とても嬉しいもので、ありがたくお言葉に甘えることにしたのだった。
宿代の代わりに惜しみなく必要そうな常備薬を格安で分け、病人の元へ精力的に出掛けて症状に合わせて生薬を処方したのもあって、今や木場は村人からの信頼を不動のものにしていた。
そんな木場だったが、村に滞在しているというには些か語弊がある。彼はずっとこの村に居座っているのではなく、村を拠点に白鳴山の周辺の村々を巡っていた。
表向きは白鳴山の周辺に他には殆どない貴重な薬草が群生しているから、採取のついでに集落を廻って商売をしているというもの。
本当の目的は、白鳴山の調査だった。
白鳴山には天狗が住んでいる。しかも、仲間の一人が手酷くやられて退却を余儀なくされるほどの狂暴な魔物だ。
木場たちのとりあえずの目的は、その天狗を捕らえることだった。
一筋縄ではいかないことは分かっている。慎重を期して、先ずは周辺の人里で聞き込み調査をすると決めて活動していたのだが、その探索もこの四日ばかり止まっている。
木場の相方である世布が帰ってこないからだ。
「はぁああ…だぁから言葉はちゃんと覚えとけっちゅーたねんあのすかたん…」
顔が厳つく、言語に不自由な世布は、聞き込みの役に立たなかった。そしてあねさんかぶりの巨漢は悪目立ちもした。更には、世布は気が長い方ではけしてなかった。
金魚のふんのように木場について回り、自分では半分以上解らない言語をぼけっと聞いて、その愛想が良いとはとても言えない顔と、山のような体躯、ついでにあねさんかぶりの頭をちらちら見られてひそひそこそこそと陰で言われるのに、苛立ちが限界に達するまでは四日もなかった。
別行動で現地調査に行くと言い張る彼を宥めてすかして引き留めるのは二日が限度。我慢が限界に達してちょっと見てくると、制止を振り切って飛び出していったのが四日ばかり前。
世布の足と体力を駆使すれば、二日もあれば充分に行って帰って調査もしてくるのに足りる道のり。長く留まれば天狗に気付かれる可能性が増すから、そんなことはないと思いたいが、仮に調査が長引いてもざっくり考えて三日。四日となると、何かあったと思わざるを得ない。
例えば、森に分け入りすぎて道を見失ったとか。
「はぁあああ…」
木場は言語こそ達者だが、ここは異郷の地だ。一人で出歩くのは流石に心細い。
薬というのはどこへ行っても需要がある。それに他の日用品に比べて高価だ。一人で大量の薬を抱えて街道をほけほけ歩いても安心していられるほど木場は図太くないし、腕に覚えがあるとは言えない。
それだけでなく、現地の人間も村の外へ行くのには用心して必ず何人かで連れ立って行くのだから、一人で集落を廻ればいつもより余計に目立つ。人と話さなくてはならないのに悪目立ちは避けたかった。
慎重な性格の木場は、護衛役が居なくなった所為で足踏みを余儀なくされていたのだ。
「他の人柱には会われへんかったし、この村の嬢ちゃんにも会わせて貰われへん、山の祠とやらの場所も秘密やって言われるし…」
上手く行っていないことを指折り数える。
村々を訪ね回って白鳴山…"お山さま"に捧げる人柱の娘たちに会おうとしたのだが、どうやっても面会は叶わなかった。
供物を運び込む祠は禁足地で、祭りの夜以外は村人も立ち入らない場所なのだそうで、余所者の木場が頼んでも、申し訳なさそうながら教えてはもらえなかった。
それだけでなく、この村の人柱の少女も、祭りが近くなったとかで、会えるのは世話係に選ばれた女たちだけだと会わせて貰えなかったのだ。
前は村長の家に居たはずなのに、いつの間にかどこにも気配がないことからして、木場が知らない内にどこか別のところへ移されたのだろう。
もう一度会って話しておきたかったのだが、今怪しまれるのは避けたい。
なぜなら、木場が捕まえようとしているのは、この村の者らが信仰している『お山さま』なのだから。
それを知られれば、村から叩き出されるなら良い方だ。捕まり、殺されても不思議ではない。信仰心はときとして人を過激に走らせることを、木場はよく知っていた。
「ああもう、なんでうち、裏山で薬草とか茸ばっか採ってんやろ…」
そういう訳で村で迂闊に動けない木場は、暇潰しに村人も子供連れで分け入る近所の山に採取に行っていたのだ。
目的が沢山あるというのに、どれもこれも進められない案件ばかり。にっちもさっちもいかないままに、意味のないことをしていることを思って溜め息を吐いた。
「蓬、車前草に甘草はもうようけ採って干したし、野苺採ったり、山桃食うたり…沢蟹採って帰ったときの素揚げは旨かったなぁ。母子草の草餅とか、蕨の煮つけとか…」
採取の成果を愛想よく『お世話になっとるお礼ですぅ』と渡せば一品増えたその晩のおかずを思い出してにやにやする。
上手く行っていないことはそれはそれとして、結構日々を楽しんでいる木場だった。
『おい、何一人でにやにやしている。気持ちの悪い奴め』
「うぎゃっ!?」
ごつん、と背後から一撃入れられて、蛙がつぶれたような声を上げてすっ転んだ。
「いきなりなんやねんコラ…ってゼフさん!?自分一人が言葉分かれへんからってガキ臭く癇癪起こして勝手に飛び出していった挙句道に迷って帰って来られへんようになった迷子の迷子のゼフさんやないか!!やっと帰ってきたんか!!」
背後の茂みを割って立っていたのは、木場の相方であるあねさんかぶりの巨漢だった。しかめっ面を怪訝そうに歪めて、木場を胡散臭そうに眺めている。
続いてがさりと茂みが動いて、もう一人男が顔を出したのを見て、木場は思わずはっと息を呑んだ。
『まい…?何だそれは。分かる言葉で話せと言っただろうが』
「人の居るとこで変な言葉使ったらあかんやろ!…こんにちは、世布さんを送ってくれておおきに、ありがとうございますぅ!」
故郷の言葉で喋る世布を慌ててたしなめて、巨漢の脇に立った人物にぺこぺこと頭を下げた。商売人らしい腰の低さである。
『気にしなくて構わん。人じゃない』
「こら自分が人でなしやからって人さまを人じゃない呼ばわりするアホに育てた覚えはないで!いつからそんな人になってしまったんや嘆かわしい!」
『…貴様、実は馬鹿にしてるだろう』
世布が言葉を聞き取れないのを良いことに、早口で鬱憤晴らしをしていた木場は『そんなことより』と真面目な顔をした。
『ゼフさん、この方が人じゃないとは?』
世布に分かる言葉に切り替えて問いながら、目の前に居る男をまじまじと見る。
動きやすそうな紺色地のくたびれた絣の着物を着て、錆朱の股引に、使い込んだ茶色の脚絆を巻いた男だ。
この村の者ではないが、特に奇妙なところもない平凡な顔だ。ただ、何かに警戒するように、しきりに周囲をちらちらと気にしている。
『言葉通りだ。テングと敵対している種族で"マシラ"と言うらしい』
『テングと敵対?』
マシラ、という言葉に反応したのか、男が二人を向いて会釈した。
慎重に辺りを見回して、人の気配が遠いことを確認すると、ふっと息を吐いて目を閉じた。
「なっ!?」
思わず木場は驚きの声を上げた。
唐突に男の様子が変化したのだ。
ぶわり、と茶色がかった暗い灰色の毛が、肌からあふれ出すように生え、顔は真っ赤に染まった。
時間にして一呼吸も無い間に、そこに居る者は、服を着て二足で立った猿に変わっていたのである。
木場は改めてまじまじと見た。
そうしてやがて、その大きな口がにぃっと弧を描いた。
「……へぇ、おもろいやん。詳しく聞かしてもらおか」
『分かる言葉で話せと言っただろうが!』
すぱん!と後頭部に巨大な手のひらを食らって、木場は軽く吹っ飛んだ。