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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
一章  人
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八 弟子入り志願

12/4 表現修正。




 風が枝を揺らし、花弁が舞い散る。


 白々と浮かび上がる花枝に対して、その背後に控えた空にはまだ星が居座っている。

 ただ、とうに月は沈んで去り、追って東側の山頂はその輪郭を現し始めていた。

 山の早朝は少々肌寒いが、その静謐な大気を吸い込むと、体の内側まで浄化されていくような気がした。

 オレはただ一人、古木の根元に立ち竦んで、頭上の絶景を見上げている。


 昨夜は体は疲れていたものの眠りは浅く、夜明けよりもずいぶんと前に目が覚めてしまった。

 というよりも、固めた決意と高遠を待つ緊張の中、少しでも眠れたことが自分でも意外に感じる。

 眠い眠くないに関わらず強烈に引力を感じるあの布団の所為だろうと見当はついているが。


 ゆっくりと息を吸い、吐いた。手の中にひとつだけ握りこんだ数珠を指先で探る。


 またさらさらと枝が揺れて、季節外れの花が舞い散った。

 じわり、と夜の紺が明けの白を帯びて、星もいつの間にかその数を減らしている。

 そこへ、不意にばさりとひとつ羽音が響いた。


「早いな、眠れなかったか」


 奇妙なことに一度だけしかしなかった羽音の後、背後から声がかかる。  

 驚きもなく落ち着いた自分を確かめて、ゆっくりと振り向くと、そこには待ち人が翼を畳みながら歩み寄るところだった。


「少しは眠りました。昨日あれだけ眠ってしまうと、目が覚めてしまって。あの、お帰りなさい」


 目を細めてただいまと返す高遠は、昨日見たままの姿をしている。帰ってきてすぐなのだろう。

 オレが次の言葉を発するより先に、天狗はひょいと手に持った巾着を差し出した。


「悪いな、これだけしか見つからなんだ」

 思わず両手で受け取った赤い巾着。中を覗くと、黒くて丸いものが数粒。


「悪いだなんてそんなことは!また探してきてくださってありがとうございます。それと、あの晩も、昨日も、助けてくださってありがとうございました。今も生きているのは貴方のお蔭です」


 深々と頭を下げるオレに、ああと頷く気配、それと、ぽんと後頭部に乗せられた手が、オレの頭をかいぐりかいぐりする。

 ……言葉も態度もきちんとするように気を付けているのに完全に子供としか見られてないのは何故だ。


「あまり気にするな。元気になったならそれでいい」

 手の重みが消えて顔を上げる。憮然としないように気を付けたが、顔を合わせた途端に苦笑された。むぅ、ばれてる。


「お前、家はどこだ。動けるようになったのなら送ってやろう…まあ、着替えと朝餉が先だがな」

 微かに微笑んだ顔で、善意を滲ませて告げられた言葉に、オレは背筋をただした。


「家はあります。でもあそこにはもう、帰ることはできません。あそこにはもうオレの居場所はありません」

 真っ直ぐ見つめた先の目は、笑みを消して、ふたつ瞬いた。


「では、どこかへ向かう道半ばだったのだろう?そちらへ送ってやろう」

 理由を掘り下げて問われはしなかった。気遣いか、深入りを避けたか。


「七明門院です。でもそちらへも行くことはできません。紹介の文書(もんじょ)をなくしてしまいました」

 七明門院は、戒律が厳しいので有名な寺だ。同門の巡礼僧の紹介状が無ければ、奥の堂へ入ることは何人たりともできない。例え貴族が金を積んだとしても、突き返されて叩き出される。オレが持たせてもらった文書は、あの時投げてしまった財布に入っていた。

 七明門院を知っていたのだろう。高遠はふむ、と唸って考えるように顎に手をやった。


 オレは一度大きく息を吸うと、意を決した。

「助けていただき、色々とお世話になった身ですが、無礼は承知の上で、お願いがあります」

「…何だ」


 声は疑念を含み、今度は無礼など気にするな、とは言ってはくれない。それを察してもオレは、続ける。

「オレをどうか弟子にしてください」

「駄目だ」

 にべもなかった。声は色を無くして、感情が消えてしまったように感じた。


「俺の弟子ということは、天狗になりたいということだな。人としての生を棄てるというのはお前の思う程軽くはない。お前は若い。今は行くところがなかろうともまた居場所は見つかる」

「行先がなくなって自暴自棄になってるんじゃありません!!」

 オレは反射的に叫んでいた。


「オレには元から、居場所なんて無かったんです!これを見た人はみんなオレを化け物だと言った!!」

 いつの間にか星は姿を消して、一条の曙光が刺した。

 オレの手が引っ張る髪を、光が照らす。


 それは、白かった。

 否、白髪ではない。長く日にさらされて渇ききった藁のような、黄土色がかった灰白(はいじろ)。睨むように高遠を見る瞳は、もう少し茶色が強い灰色。


 黒髪黒目の母と、茶黒の髪に黒い目の父から生まれた異色。奇妙な色を見た人は皆、眉をひそめて後ろ指を指した。まるで化け物のようだと。


「こんなオレでも、家族は受け入れてくれました。受け入れようと努力してくれました。それはとてもありがたくて、感謝してもしきれないことだけど、帰る訳にはいかないんです!オレが居たらダメなんです!!」


 手の中にある球をぎゅっと握りこむ。あの日常から持ち出したもの。

 昂った心を、冷たい大気を吸い込んでどうにか少し鎮める。できるだけ冷静に話したかった。そうしなければ喚き散らして台無しにしてしまいそうだった。


「父は、上の兄たちと共に戦に出て帰ってこなかった。だから、下の兄が家を継ぐことになりました。でも、オレを当主にと言う者もいて、家は二つに割れました」


 四の方さまは、都の貴族の出だ。そういう争いのいろはを心得ていて、対するオレに付いた者たちは、武芸の腕はあっても水面下の戦いはまるで素人だった。周到な手際で追い込まれていった。いずれこちらが潰されるのは自明だった。


「オレはそこから逃げました。父と兄たちの御霊を弔うために出家すると言って。それで家中が収まるならって!」

 それは半分は口実だった。正直に言うと、仲の良かった兄と争う立場になったのが耐えきれなかったのだ。物静かで教養豊かな四の方が睨みつける目が、その豹変の気配が恐ろしかったのだ。

 そして、自分の異常さが知れていない土地で、新しい生活を始めることを夢見なかったといえば嘘になる。


「事情を聞いて迎えに来た僧は、オレの姿を見て、経を唱えたんです」


 夢は夢だった。オレの髪と目は、例え異常性を知らない者でも、その実態を知らなくても、異常と決めつけるに足るものだったのだと思い知った。それは、どこかに安住の地があるという微かな希望をかき消した。

 皆が見慣れている分、生まれ育った里が最も住みよいところかもしれないという予感に戦慄した。


「……人は皆、オレを化け物だといいます。家に居られなくなった今、オレはどこに行っても受け入れられることはないんです」


「…それで仕舞いか」


 静かに話を聞いていた高遠は、ゆっくりした動作で腕を組む。

「僧になるというのは悪くはない。髪は剃ってしまえば色などわからん。経を読むのに目の色など誰も気にせん。俺も永く生きていてな、まっとうな寺の心当たりがあるからそこへ「もう仏を信じることがオレにはできません!」

 高遠の言葉を遮って声を叩きつける。顔が歪むのを止められない。

「山で追われて!刀を持った賊に追い回されて!付き添いの僧は、斬られる最後まで経を唱えてた!オレだって逃げ回って捕まって、刃を翳されてもその最後まで祈って願って縋り続けた!だけど、この世の弱いものを救うという神仏は助けてくれることなんかなかった!!仏罰の雷はあいつらに落ちたりはしなかった!!助けてくれたのはあなただけだった!!」


 いつの間にか涙で曇った視界を、乱暴に袖で拭って振り払う。

「…オレの祈りが足りなかったんですか?死ぬまで信じてたあのお坊様の願いが足りなかったんですか?あの山賊たちの方が信心深くて、オレたちの方が罰を受けるべきだったとでも?それとも救いというのは死ぬことだったんですか?だとしたらオレはもう何の救いも願わない…!」


 落とした視線に力を込めて、今度は静かに天狗を見た。


「もう逃げるのは嫌です。力が無くて泣くのは嫌です。自分を偽って生きていくのはたくさんだ。もう後ろ指刺されて俯きたくない。オレはたくさん失くして、色んなことが辛かった。それをやったのは全部人間だったんです。だから、もう――」


 顔がゆがむ。同時に涙が一筋頬を伝った。


「――あんなのと同じものでいたくないんです」


 天狗はしばし瞑目する。そしてややあって目を開いてオレを見た。その眼差しは凪いで、次の波紋を待ち構えている。


「ひとつ、聞く。人を棄ててまで生きるというなら、それはなぜだ。人外に堕ちてまで何を成す」


 それは、オレを知ろうとする問い。本音を聞きたいと言ってくれているのが、オレの心を知りたいと言ってくれているのがわかって、ただ純粋に嬉しかった。やっとこの人がオレと向き合ってくれた気がした。


 答えは昨夜決めた。迷うことはなかった。


「父は最後に、オレと兄に言いました。『家を頼むぞ』って」


 予想外だったのだろう。虚を突かれたような顔に向って、自然と笑みが浮かんだ。


「家には兄がいます。母たちもいます。母たちがいるなら、家は大丈夫です。兄はちゃんとやっていける」

 泣き笑いで酷い顔だろう。それでも、顔を逸らしたりせずに、オレは努めて堂々と高遠を見返した。


「オレは天狗になって、兄たちの手が届かないところを補います」


 日照りが続けば、雨を呼ぼう。長雨が続けば、雲を晴らそう。大風が吹くなら、それを弱めよう。

 そんなことができるようになるかは、わからないけど。

「オレは家族を守ります。父との、最後の約束なんです」


「…人が憎くはないのか」

 彼はなんだか複雑な顔をしていた。感情は伝わってはこなかったが、オレは臆することなんかなかった。


「最初は恨みました。憎く思っていました。でも、オレが家を出る前の日に、兄が『済まない』と言ってくれましたから、もう良いってことにしました。もとから家族を憎んではいませんでしたし。オレはそもそも一回死んだようなものですから、オレを白い目で見てた奴らもオレはもういないものだと思っているでしょう。相手がこっちを見てないひとり相撲に縛られることはないかなって」


 高遠は一瞬きょとんとしたが、ややあって非常に可笑しそうに笑い出した。

「やれやれ、(なり)はまだまだだが、器は中々だな」

 彼の言葉に、感情が戻る。とても温かくて優しい色が戻ってくる。 


「面白いやつだ。恨んで暴れるでもなく、人をやめても義に走るか。良かろう。お前を弟子にしよう。俺が責任を持って天狗にしてやる」

 

 ぽんぽん、とやっぱり頭を撫でられながら、オレは得た師を見上げる。

「ありがとうございます!!」



 こうしてオレは、天狗の弟子になったのだ。
















 裏庭に、手を引かれてまろび出る。

 家を出る旨を皆の前で宣言したあの合議から数えて七日。出発を翌日に控えて、準備をしているところに兄上が話があると訪ねてきたのだ。

 実に七日ぶり、座敷で顔を合わせたときには、話す余裕なんかなかったから、もうずいぶん長く話していない。


 兄は敵方だと、周りの者が引き離した所為だ。

 四の方さまの手の者が、証拠を残さないようにオレと母上に妹までも危害を加えようとすることが幾度かあったからというのが理由だ。


 問答無用で引っ張り出された庭先で、久々に兄を見上げた。

 なんのつもりかと訝しむ目で、じっくりと観察する。

 兄は、少し見ない間に、やつれて見えた。


「……明日、出ていくんだな」

 押し殺したような声だった。鬱屈した何かが底でぐつぐつ煮えたぎっているような、どろどろしたものを感じて、オレは警戒を強める。

「…はい。付添いの方がお着きになりましたから」

 他人行儀に返した返事に、兄の顔が歪む。

 煮えたぎる何かが、兄の中で爆発的に膨らんで、今にも溢れだそうと荒れ狂う。

 思わず身構えたオレを前にして、兄上は。


「…済まない……!!」


 呆然と見返すオレの前で、ただ一言だけ言って、頭を下げる。見えない顔から、一つ二つと雫が落ちる。

 溢れだしたものは、苛烈な怒りだった。燃え上がるような苛立ちだった。


 ただ一人の弟も守れない、己の不甲斐なさを恨んで憎んで、自分自身に向いた怒りと嘆きだった。


「…顔を上げてください。兄上」


 オレは何を思っていたんだろう。生まれた時から傍にいたこの人を、どうして何をするかわからない見知らぬ人みたいに思ってしまったんだろう。

 真っ直ぐで、やんちゃで、意地っ張りで、負けず嫌いの上人並みの矜持を持った兄が、自分の弱さと無力を認めてオレに詫びている。

 きっと兄のことだ、真っ向から母君に噛みついたに違いない。

 ただひとり、弟を守ろうとして、どうすればいいかも分からないまま、不器用に孤軍奮闘していたに違いない。


 ここにいるのは、オレの良く知った兄だ。


「こちらこそ、家を留守にするのを謝らないと」

 だからオレは努めて明るく語りかけた。


「まあでも、ずっとお待たせはしませんって。ほら、七明門院って格式高いところだから、いろんな学問も学べるらしいじゃないですか。父上たちの弔いのついでに色々と勉強しようと思ってましてね!たくさん勉強して、真面目に修行したら、きっとオレだって偉くなれるでしょ?そしたら帰ってきて、兄上の手伝いをちゃんとしますから、それまで一人で家をお任せするの、勘弁してくださいよ」

 ね、と笑って首をかしげて見せると、兄もまた、ほんの少しだけ笑い返してくれた。


「…はっ、なんだよ、俺がお前なしじゃ不安がるとでも思ってんのか?生意気だっての。お前こそひとりで修行なんかに出られんのか?泣いて逃げ帰って来るんじゃねえだろうな?」

「ばっ…バカなこと言わないで下さいよ!そっちこそオレを呼びながら夜中に泣いたりするんじゃないですよ!?」

「へっ!言ってろ!夜が怖い泣き虫野郎!」

「何おぉ!?」

「あぁ!?」


 にらみ合ったのは数秒。相好を崩したのは同時だった。

「兄上…母と妹をお願いします」

「おう、任せろ。安心して行ってこい」


 打ち合わせた互いの掌が、小気味良い音を響かせた。




やっと、『天狗の弟子になる少年の話』は『天狗の弟子になった少年の話』になりました!!

脱タイトル詐欺!

次から弟子になった後のお話として、第二章に入ります。

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