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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
76/131

六十八 盆 八

当作品における仏教は、日本の仏教をモデルにアレンジした別物です。

なお、あえて色々と我慢せず書いておりますが、キャラクターの内面と世界観を表現するためのものであり、何物も貶める意図はありません。


 次朗は、一度わざと大きな音を立てて翼を鳴らす。

 驚いて顔を上げた明然に、これまたわざと風を吹き付けながら目の前に降りて、禿げ頭を埃だらけにしてやった。

 どれも天狗同士であれば無礼にあたる。

 だが次朗は後ろめたく思うことなどひとつもなかった。

 急降下して一発食らわせてやっても良かったほどだが、三太朗に免じて奇襲をやめたのが、次朗の最大級の譲歩である。

 なお、ちょっかいを掛けないという選択肢は最初からない。


 汗に濡れた頭に枯れ葉がくっついたのを見て愉快になった。

 驚いた顔もまた良い。

 次朗はにんまりして気持ちよく笑った。


「はっはっはっ!ざまぁ「良いところに!!」

 みやがれ、と続く筈だった台詞を遮られて、次朗はむっとした。

 折角の嫌がらせも無視だ。面白くない。


 一方の明然は上方に向かっていた天狗の気分がかくんと直滑降したのにも一切気付かない。

 まるで救い主が現れたかのようなすがる眼差しを向けるのだが、その目はちょっと血走っていた。

 なんかこいつやべえ、と野生の勘に従って次朗が一歩引いた距離が、ずずい、と即座に詰められた。


「あの子を追ってください!急に酷く取り乱して走って行ってしまったのです!!私は見失ってしまいましたが貴方なら追えるでしょう!?」

「おいっ、ちょ」

「話の途中でしたし原因は私にある筈なのですがなぜあのようになってしまったか判らぬのが申し訳ない!!咎めは後で如何様にも!ですが今はどうか彼の元へ!」

「こら、おまっ」

「本当に酷く錯乱していたのです!急に拙僧にも追い付けないほどの勢いで走り出して!!山を無闇に駆ければどのようなことになるやも知れませぬ!!天狗のお弟子とはいえ子どもを放ってなど置けませぬ!!」

「わかったわかったわかったからやめろ!!近いわ!!」

 ぐいぐい迫りながらの矢継ぎ早の訴えに、已む無く次朗は降参した。

 迫力負けである。

「ちったあ落ち着け糞坊主!」


――――ていうかこいつこんなんだったか!?

 もっと『妖怪死すべし慈悲はない!』系の血の気が有り余った武僧だと思っていた。

 次朗のことも警戒心満々の危機感びんびんで睨み付けていたはずだが、血走った目でとはいえ自分から近づいてきて願い事など、たった半日余りで予想の斜め上を行く変わりようである。


 それは置いておいて、驚かされてばかりの次朗はむかむか来ていた。

 嫌がらせに怒って喧嘩をふっかけてくる筈だったのにそんな気配がないのも気に入らなければ、押されに押されてつい『わかった』と言ってしまったのも負けたようで苛々(いらいら)する。

――――あー、そもそもこいつの言いなりになってやることなんざねぇよなぁあ!?


 熱しやすい次朗の考え方は単純だった。

 身内相手や借りがあるなら多少の我慢もしてやる気にもなるが、目の前の生意気な僧は余所者の上に借りどころか既に色々我慢してやって(一方的に)貸しばかり。

 頼みを聞いてやる道理もなければ心算(つもり)にもならない。


「てかてめえあんなガキに追いつけねえほど鈍足なのかよ鈍臭(どんくせ)ぇえ!!」

 思い切り馬鹿にして指差して笑う次朗に、明然は苛立たしげながらも怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。

「私も驚きましたが彼は天狗の秘技にて飛ぶように駆けて行きました。私でなくとも人であの速さに追いつける者はそう居らぬでしょう」


「あ?秘技?」

 今度は次朗が首を傾げた。

 師が走法の秘技を持っていても驚かないが、それを三太朗に授けたという話は聞いたことはない。なんじゃそりゃ?


 しばし僧侶と天狗は首を傾げたまま見つめ合った。

 お互いに『何言ってんだこいつ』と顔に書いたまま、相手が首を傾げていることを更に不思議に思っているというおかしな光景が見られた。


「私のことなどどうでも宜しい!」

 先に我に返ったのは明然だった。伊達に仰天尽くしの半日にどんぶらこと揉まれていた訳ではない。


「こうしている間にもあの子が転んだりぶつかったり棘の茂みに突っ込んだり草にかぶれたり蜂に刺されたりあまつさえ崖から落ちたりしていたらどうするのですか!!」

 我に返ったのと落ち着くのはまた別であった。


 明然は混乱の渦中でかつ少々よれよれになっていても義の人だった。

 只でさえぼろぼろだった子どもを心配する余り、悪い方へ向かって豊かに想像が膨らんでおり、十割が善意でできた力説は力強かった。

 語尾で声が若干裏返り、身を乗り出した所為で血走った目元の辺りが影になるなどの小技も効いて切迫感は満点。真剣味は十二分。聞く者に『よく分からないけど不味いんじゃね?』という気分にさせる説得力と、何か分からないが押し流す勢いがあった。


「!?」


 只でさえ三太朗を案じていた次朗である。元来の性格もあって、明然がざっぱーんと起こした波にしっかり乗っていた。

 三太朗がもう落ち着いたというのは知っていたが、その身が無事なのかはそういえば知らない。『まさか、とは思うが知らない間にもしかして…?』とつい思ってしまえば、滑って転んで崖から落ちて、擦り傷切り傷青タン捻挫に骨折までした三太朗が涙目になって『じろうさん…』と呟く想像まで一気に進んだ。

 実際にそんなことになったら涙目どころでは済まないが今の彼はそこまで気が付かない。


「どうしても私が気に入らないというのならどうなさっても宜しい!しかし、直ぐに彼のもとへ行っていただきたい!!」

 自分の想像に青くなっている次朗にじれて、明然が急かす。


「はんっ…言いやがったな?」

 次朗は目を眇めて片頬を上げた。

 次朗は指図されるのが嫌いだ。頼み事でも強い調子で言われれば腹が立つ。ましてや明然は元から気に食わない。

 苛立ちは高まり、ぎらりとその目が剣呑(けんのん)な光を宿す。

「その意気やよし」

 ゆらり、と身を揺らしながら一歩を踏み出した。目はひたと相手に向けられたまま。


 明然は一時身を固くしたが、覚悟を決めて目を伏せた。

 先の発言は少々勢いに任せて言ってしまった感はあったが、心は真実だったのだ。


――――元はといえば自分の蒔いた種。どうなっても恨む気はない。


 心の内でかの少年に仏の慈悲あれと祈り、題目を唱えたそのとき。

 突如として巻き起こった突風が明然に襲い掛かった。


「っ!?」

 衣の裾がばたばたと鳴る。周囲の枯れ葉が巻き上がり、木々が騒々と啼いた。

 目を開けていられず、思わず顔を庇って身を低くする。


「てめえなんぞに割く時間はねえんだよ!精々勝手に泣き言ほざきながらそっち下ってすぐの川で汚れたツラぁ洗って下流の道を鈍々(のろのろ)帰るが良いぜ!!」


 風を巻き起こして飛び上がりながら、次朗は捨て台詞らしきものを上から落として去った。

 急いでいたので適当に思いついたことを叫んだだけだが、格好良さげに聞こえたので次朗的には全く問題ないものとして、何を叫んだのかはすぐに忘却の彼方に消えた。




 明然は、しばらくぼんやりと、天狗が去った方向を眺めていたが、やがて緩慢に歩き出した。

 言われた通りの方向にはちゃんと川があり、顔を洗うついでに喉を潤して人心地付き、やっとまともな考えが浮かんだ。


「…彼は良い方なのだな」


 まだ少し想像の彼と現実の落差に呆然としながら辺りを見回し、下流に小道を見つけてふむと頷く。

 天狗はちゃんと願いを聞き入れた上、『汚れてるから洗ったら良いよ』と親切に川の場所を示し、考えなしに追ってきて実は迷っていた明然に帰り道まで教えてくれた。


 結果だけ見ると次朗は"とても良いやつ"だった。






















 ざっくざっくと、オレはいつもより重い足を引き摺って歩いた。

 考えてみれば長距離の全力疾走が今日に限っても二回である。そろそろオレの体力では辛い。

 もう年じゃのう、とかちょっと言ってみたが、聞かせる他人が居ない冗談は心を(むな)しくさせるだけだというのを覚えたのでもう言わない。


「あー、ここにいたのね!!」

 高くて柔らかい声が実に嬉しそうに弾んで、真っ黒な鳥が目の前に滑り込んできた。他とあまり違いはないのに、オレには彼女がちゃんと見分けられた。

(ツテ)さん」


 ずざざ、と勢い余って地面をちょっと滑りながら急停止したカラスがぴょこんと頭を上げて…喜色満面だった顔が驚き一色に染まった。

 あくまで比喩だ。鳥の顔面はそう大きく動かない。ただ、大きな驚きが感じ取れて、大きな嘴がぱくぱくしたのでそう思っだけだ。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょーっと!なんでこんなぼろぼろになっちゃったの!?」

「ああ、うん。ちょっと、転んで」

「ちょっと転んだんじゃないでしょ!?あたしが最後に見たとこと全然違うとこにいるし!それになぁにこの包帯、血が染みてるじゃない!!さては走ったんでしょう!!」

 オレはそっぽを向いて返事とした。


「ああもう、今朝怪我をしたところなのにもうやんちゃをするなんて、あなたって本当に目を離せないのね…何を笑ってるの!」

 向こうを向いていても口元が緩んだのを目敏く見咎められて、怒られてしまったけれど…今は怒られても気にならない。

 おば…お姉さんが口やかま…とても気に掛けて色々心配して言ってくれるのが、虚しくて寂しかったオレには賑やかで嬉しかったのである。

 ただ、もうちょっとだけ早く来てくれたらよかったなーと思わないでもない。

 独り言は寂しかったのだ。


「別に。オレは目を離せないやつだから、伝さん勝手に居なくなれないね?」

 ちょっと仕返しをしてみると、今度は伝さんがぎくっとする番だった。

「え、えーっとね?あ、そうそう!!ところでね!!」

 何がそうなのだろうか。慌てて話題を変えるが、にーっこりと微笑むオレを見上げて、ふっくらしていた体がしゅんと細くなってしまった。が、その目はいたずらっぽく煌めいている。


――――何か仕掛けて来る心算だろうけど、ふっ、甘いな。オレにはお見通しなのだよ!


「黙って離れたのは悪かったわ。でもそーんなに寂しかったのー?」

「うん」

「…」

 思惑に乗ってやるものかと、あえて正直かつ大真面目に(うなず)くと、続きがなかった。


「すごく寂しかったよ?」『冗談を聞いてくれる相手が居なくて』を省略して追い打ち。『"気が付いたら伝さんが居なくなってて"すごく寂しかったよ?』とでも自己補完しているのだろう。

 伝さんは若干おろおろと目をさ迷わせている。

 そのままじぃっと、内心で面白がりながら見つめた。普通の顔を装うのは得意なので、真剣に反応を待っているように見えるだろう。

 黙って置いて行かれてオレはちょっと怒ってるんだから、伝さんは少しの間居心地が悪い気分を味わったら良いのだ。


 やがて伝さんはがっくりと頭を落として降参した。オレの勝ち。

 勝者の当然の権利として、もふもふを抱っこした。

「もう…あなたってば。…末恐ろしいわ」

「?」

 なんだかちょっと照れてる伝さんが不思議だったが、もふもふが気持ち良かったのでどうでも良くなった。 


「そういえば、どこに行ってたんです?」

「お屋敷よ。ヤタさまとお屋形さまにお会いしに…ちょっと、約束は破ってないからね!!ぎりぎり!!」

「ぎりぎりだったの?」

「あっ」

 後ろめたさの余り、語るに落ちてる。

 気まずいならやらなきゃいいのに、と思ったが、黙っていてあげた。


「えっとね、そう!三太朗さんが言ったんじゃない!償うならあなたに償うのが良いって!だから、あたし、あなたの付き添いのお仕事を貰ったのよ!!だから今日から一緒に居られるのよ!!」

「え!?」


 それは予想だにしない話だった。

 これからは伝さんが、オレに何かあったときのために一緒にいてくれるのだそうだ。

 とはいっても、オレが山にいる間は普段とあまり変わりはなく、オレがいつか山の外へ出るようになったときのお目付け役の意味合いが濃いらしい。

 師匠の目が届かないところで何かあったとき、直ぐに報せを運んで飛ぶ役目ということだ。


 山に居る今は周りにカラスや他のみんなが居るので、普通に師匠の文を運んだり、言伝(ことづて)をしたりと、今までと同じ仕事をしつつ、仕事がないときにオレのお守りまですることになったのである。

 ぶっちゃけオレは午後から結構色々歩き回るので、忙しいのに付き合うのは大変なんじゃないかと心配になったのだけど

「ふふふー。これで当番関係なくいつでも会いに来れるわー」

 ととても嬉しそうに膨らんだので、オレも嬉しくなってなでなでしておいた。


 オレはいつでも伝さんのふかふかを堪能できて幸せだし、伝さんも嬉しそうだし、ひとつお詫びの気持ちが形になって伝さんの罪悪感も薄れたようなので、万事上手く収まったという感じだ。

 伝さんはどんな風に話を持って行ったのだろうか。ほんとに上手くやったと思う。


――――オレも上手くやらないと。


 歩きながら、考えを詰める。

 今回のことがあってから、心に引っかかっていたものがひとつ、形になっていた。

 それは、ずっと片隅にありながら、考えることも抵抗があって知らないふりをしていたことだった。

 人でいる内にやっておきたい、オレの心残り。


「さんったろぉおおおおおお!!!」

 おー、おー…、おー……。

 山彦が返ってくる声量で、オレを呼ぶ声がした。このでっかい声は――でっかくても術で増幅された様子はなくてほっとした――間違いない。


「あら?次朗ちゃんよ。飛んでるわね。呼び止めてくるわ!」

「え、はい」

 オレも用があったし、どう呼び止めようか考えていると伝さんが腕から抜け出した。


 そうか、伝さんが居ると上空の知り合いを呼び止めてくれるのか。これは地味にありがたいかもしれない。

 その辺りのカラスに頼むのはちょっと気が引ける。

 まあ、今まで用があって空から探されることなんかなかったし、探されてもオレと遊ぼうとしている次朗さんだったので、呼び止めるどころか木の陰とか茂みに隠れていた。意地悪とかそんなんじゃなく、隠れん坊である。

 あれは結構楽しい。


――――そういえば、次朗さんの声…なんか必死だったような?

 飛び立った伝さんを見上げながら、何かあったのかと首を傾げた。


 頭上の枝葉を突き破って、次朗さんが真っ逆さまに降ってきたのはそのときだった。

 明らかに枝が何本も折れる派手な音を立てて落ち、息を呑む暇もあればこそ、木々の合間を縫って黒い翼が勢いよく広がった。

 ばんっ、と翼が宙を叩く音と共に突風が吹き付ける。

 次朗さんと一緒に落ちてきた木葉や小枝が吹き飛び地の枯れ葉が舞い上がるが、風はオレの前で失速して、不思議と団扇(うちわ)で扇いだ程度に弱まっていた。


 音を立てて着地した次朗さんは両足だけでは衝撃を受け流せなかったのか、両膝に片手まで突いて姿勢は低い。いつになく荒い着地だ。


「次朗さんそんな急いでどうしっ」続きはほぐぅ、とかなんとか変な音になった。

 熱い心配と興奮の籠った抱擁に押し潰されたのである。


「うおおお!無事だったんだなぁああ!!」

「おぶぁぐぅ」

 無事って、怪我とか増えたんだけど。ていうか痛い痛い痛い!

「きゃああ!!次朗ちゃん怪我人!この子怪我人!!」 

「お?あああ!三の字!白目剥いてどうしたしっかりしろ!!」

「揺さぶっちゃだめぇえええ!!」




 遅れて降りてきた伝さんが止めてくれたけど、オレは酷い目に遭った。

 ちょっと次朗さんとの距離を開けてしまうのは仕方がないだろう。

 一気に賑やかになったけど…こうなるんならちょっと寂しいぐらいでも良かったかもしれない。


「なんでそんな離れてんだ?」

「…お構いなく」

 完全に取れてしまった布を、近くのまた血が滲んだ傷も覆うように適当に巻きなおしつつ、僅かに近づいた距離をじりっと調節する。びびってない。正当な自己防衛だ。

「それでオレに何の用です?」


 探されていたのだから、用件を尋ねるのは当然のことだとオレは信じている。

 だが、返ってきたのは「ああ?」という不思議そうな顔だった。

 …なんで変な奴を見る目を向けられなきゃいけないのか。オレは当然のことを訊いただけなのに。解せぬ。


「別に?てめえが無事か確かめに来たんだよ」

「…はぁ」

 怪我とは別にちょっと頭が痛くなった。どこの世界に安否を確かめに来て怪我を悪化させる兄弟子がいるのか。ここにいた。非常にありがたくない。


「うん。まぁ、次朗さんですからね。もう良いです」言っても無駄だろう。

「なんか引っかかる言い方だなおい」

「…次朗さんはとても素直に好意を表現する方だなぁってことですよ。美点です」

「びてん?良いことってことか?」

「そうです」

 ということにしておいた。

 次朗さんはあまり深く考えない性質だし、読書なんかは性に合わないようなので語彙は少なめ。ちょっと普段聞かない言葉を使って褒めておけば大概のことが誤魔化せる。


 そろそろ扱い方が分かってきたなぁと、少し疲れた気分になって照れている兄弟子を見上げた。畜生離れても結構仰ぎ見なきゃいけないこの身長差よ。首が痛い。


「しっかしてめえ、また怪我増えてねぇ?」

「…まあ。転んだので」

 目を逸らして言ったオレをまじまじと見て、次朗さんは苦笑を浮かべた。

 馬鹿にされるんじゃないかと身構えていたのに、不意にこんな大人らしい笑い方しないでほしい。

 虚を突かれた隙に間を詰めた兄弟子の大きな掌が、乱暴に髪をかき回した。


「まー、元気なら良いんじゃね」

 いつもは子どもっぽいのに、こういうところがずるい。

 咎めるでもなく、案じるでもなく、にっと笑って受け入れられれば、やっぱり敵わないなぁと思ってしまう。


「ねー、次朗さん」

「ん?」

「お願いがあるって言ったら…どうします?」


 慣れないことで、おずおずと上目遣いに見れば、兄弟子は一瞬驚いたように目を見開いたが…直ぐに我が意を得たりと良い笑顔で拳を握った。

「やっぱあの糞坊主をぎゃふんと言わせてやりてぇんだな!!よっしゃわかった!んなら早速」

「ちがぁあう!!」

 やっぱり次朗さんは次朗さんだった。


「まあ冗談はさて置いて、何だ?何でも言ってみろよ!」

――――嘘だ。今のは絶対に本気だった。

 明日のおやつを賭けても勝てる自信と確信があった…まぁ、今は関係ない。


「お願いはふたつあって…ひとつ目は、師匠にお願いしようと思ってて…でも、聞いてもらえるか分からないので、師匠が了承してくれるか相談に乗ってほしいんです」

「何言ってんだ。てめえがやりてぇってことならししょーがダメだっつー訳ねーだろ」


 内容も聞かずにあっけらかんと断言されてしまったが、そう思えないから相談しているのだ。

 だが、中身を聞いた次朗さんはオレの逡巡を笑い飛ばした。


「そんなもん、断るわきゃねーよ。例えししょーがダメだっつってもおれさまが叶えてやらぁ!」

「…ありがとうございます」

「任せろ!!」

 そうなったときはいつもの次朗さんばりに怒られそうだなとは思ったが、正直肩の荷が下りた気分だった。


「もうひとつは…次朗さん、前の約束覚えてます?」

「あ?約束?」

「ほら…胡麻団子と干し柿くれるって言いましたよね」


 その瞬間、次朗さんは石になった。

 思わず感心してしまいそうになるぐらい、見事にすべての動きが停止して、顔が若干引き攣る。絵に描いてしまいたいような"これぞ!"と付けたいほど分かりやすい焦りがそこにあった。

「お、おう!覚えてたっての!!」

「そうですかーよかったですー」

「あ゛あ゛?てめえ信用してねぇな!?何なら今から用意してきてやんぞごるぁあ!!」

「あ、じゃあお願いします」

「あ゛?お?おう…」


 喧嘩腰の勢いで誤魔化そうとした次朗さんは、勢いが削がれて失速した。

 これが重要なのだ。オレは真剣に兄弟子を見つめた。

「何なら、干し柿だけでも良いんですが、どれぐらいで用意できますか?日暮れまでにほしいんですけど…」

 ふーん、と呟いた兄弟子は、おそらくどこがどう繋がるのかを正しく理解した。


「好物か」

「はい。すごく」

「ん。なら安心してろ」

 ばっすんばっすんとオレの頭を叩きながら、欠点だらけでも頼りになる兄弟子はやんちゃなお兄ちゃんそのものの明るくて野性的な笑顔を浮かべた。


「直ぐ調達してきてやるよ!!」





















「お帰り」


 玄関で(ユミ)さんが出待ちならぬ入り待ちをしている気配を察してこれを回避し、庭伝いに裏庭へ向かうと、師匠が障子を開けて穏やかに微笑んだ。


「…ただいま戻りました」

 オレの有様を見ても顔色を変えずに手招きする師匠に、ほっとして駆け寄ると、いつも通りに温かい手がぽんと頭に乗った。


「中々思い切りやったな」

「まぁ…あ、でも顔面は死守しました」

 代わりに腹は打ったけど、間違いではない。

「そうか。次はもっと上手く転べよ」


 他ではあまり聞かない言い回しに噴き出した。

「そこは"もう転ぶな"って言うところでは?」

 師匠はあくまで冗談っぽくない顔つきで答えた。


「"もう転ぶな"というのは"失敗をするな"というのと同義だろう。何事にも失敗はつきもの。失敗を禁ずることは(すなわ)ち"何もするな"ということだ。そんなことは言えんな。お前には思うままにやりたいことをやって貰いたいと考えている。その分山ほどしくじるだろうが、それは仕方がないし失敗から学ぶこともまた多い。故に失敗するなら少しでも被害を少なくする方向で努力するのが望ましい」

「…流石、師匠」

 聞いてみると非常に納得のいく理屈が通った台詞で、思わず真顔で「成程」と唸ってしまう。


 あくまで大真面目な師匠の顔を眺めて、師匠だなぁと変なところで実感した。

 失敗も成功も全部肯定して、オレが望む方向へ行けるように、考え方にほんの少しだけど大きな意味のある軌道修正を加える辺りが。

 それは助言だったり、気遣いだったり、もしかするとオレが全然気づいてないところでも多分色々と。

 今みたいに、訊かないと意味が分からないようなことだって多いし、訊かれない限り意味を教えてくれないことも多々あるが、意識に上らない小さなものを含めて、日々散りばめられている小さい(しるべ)を使ってオレを導いてくれている。

 当たり前だけど、普段と変わらず気に掛けてくれているんだと実感してほっとする。


「でもまぁ…もう転ぶのは当分いいかなぁ」

 師匠の教えはとてもありがたいものだったが、根底はそこである。失敗は嫌いだ。痛い失敗は一番嫌だ。

――――なるべく失敗は減らして、それでもって失敗するときは上手く失敗できるようにすれば問題ないだろう。目標なんだから良いとこ取りでも問題ない。


 うんよし、と自分の中で結論付けると同時に師匠が小さく笑った。

「いや、お前は意外に顔に出るから」

「え?出てましたか!?」

 思わず赤面して地面にしゃがみ込んだら、追うように濡れ縁に胡坐(あぐら)をかいた師匠が含み笑った。

「そんなところに屈んだら傷が開くぞ。こちらに座れ」

「うー…はい」

 濡れ縁に腰掛けると、もう一度わしわしと撫でられる。


 子ども扱いが癪だ。だけど…この手はオレをいつも安心させる。

 不満がどうしても出て唇が尖る。頬もまだちょっと熱い。顔は師匠と逆側に向けたまま。でも心地良い重みを拒めずに、しばらくそのままでいた。


 向こうの木の枝に、心配そうにこちらを窺う伝さんがちらっと見えた。

 師匠とは自分で話すからと、席を外すようにお願いしたのだ。

 大丈夫、と頷いて見せる。


「ねぇ、師匠」

 気持ちが解れていて、声はとても楽に出た。


「何だ?」

「昨日から、訊きたかったんですけど」

「ああ」


 背後の部屋をちらっと振り向く。――床の間の壇に飾られた小さな位牌。今は、その左右に花が飾られ、正面には線香とささやかな供物が供えられている。


「師匠は、仏を、信じているんですか」


 仏を、オレを見捨てた(・・・・・・・)ものを。


 法要があると聞いて、最初に『裏切られた』と思った。

 オレを助けてくれなかったものを、オレを助けてくれた師匠が信じているなんて、なんだか酷い裏切りのように感じてしまった。

 当然法要は仏の教えを信じる者が執り行うもの。でも師匠の口から聞くまで分からないと悪足掻きをして、天狗が仏教徒なんて想像できないし、と無理やり自分に言い聞かせて、目を逸らした。

 信じてもいないものを祭るなんて、普通はないと思っても、怖くて訊けなかった。


 極端に言えば信じていた味方が敵と繋がっていたようなもの。

 肯定されれば、この先師匠を信じられなくなりそうで、怖かったのだ。


 全然知らない場所で道標を見失うような、そんな不安。

 事実はオレが知らないだけで変わらないのに、知らなければないものと同じだとして、知ろうとしなかった。


 今はそう、馬鹿だったなと思う。

――――例え何を信じていたって、師匠の何かが変わるわけじゃない。

 優しい手も、心からの気遣いも、変わらずこれからもそこにあるだろう。

 変わるとしても、それは師匠じゃなくてオレの方。

 オレの師匠への見方が変わったって、他は何も変わらないんだ。

 重要なことは、実は結構少なくて単純だと分かったら、もう答えを聴くのは怖くなかった。


 師匠はオレの目線を追って、位牌の方を振り返った。


「いいや?別に信じてはいないな」


「……え、はい…?」

 今なんて仰ったのかな。


「何百年生きても仏らしい者に会うことはついぞなかったし、会ったという者も知らん。夢で逢ったとかいう者も稀に居たが、そんなものを会ったと数えるのも馬鹿らしい。居るのか居ないのか分からぬ者を確かなものと断ずる気は全くない。頼る気も縋る気も起きんな」


「うっ」

 ずばっばさっ。

 オレは確かに、自分の中に残っていた仏教徒の部分が、現実主義者の無自覚の刃で切り刻まれる音を聞いた。


「でも、じゃあどうして法要を?信じてないのに!?」

 十中八九は肯定が返ってくると思っていたところにまさかの全否定。からのばっさり。

 なんとか衝撃から立ち直っても声は素っ頓狂に裏返った。

 師匠は不思議そうにオレを見た。


「居ると思ってはいないが、居ないとも言い切れないからな。そうだな…居たら儲けもの、といったところかな」

「儲けもの…?」

 これまた熱心な仏教徒の皆さんが聞いたら怒りだしそうだ。


「…生きて傍に居るなら、例え何があっても守ってやれるが、死んでしまっては何もしてやれんからな」


 言葉を失ったオレから目を移して、師匠は桜の古木を眺めた。


「仏が居るか居ないかは知らんが、仮に居たならば、熱心に拝んでいたあいつを見捨てはしないだろう。仏の救いには念仏と法要が要るとかなんとか言った僧が居たからな。余り多いなら煩わしいが、盆だけでも構わんと言うので、毎年盆だけは坊主を呼ぶことにしたんだ」


 言っていることは、仏を何とも思っていない言語道断の極みだが、"あいつ"と言う師匠の横顔は真摯だった。

 亡くなって後にも大事な存在に苦難がないように願う彼は…今までで一番、人間らしく見えた。


「奥方さまは、仏教徒だったんですか」

 天狗にも仏教は浸透しているのかと驚く。

「ああ。あいつは家が信心深くてな。まあ、初詣で(やしろ)へも行けば、彼岸に寺へも参るよく分からん家だったが…手あたり次第に始終(しじゅう)何かを拝んでいたな」

「…天狗にもそういう家ってあるんですねー」

 逆に感心してしまって、へー、と相槌を打ったら変な間が開いた。

「師匠?」

 

 桜に向かって何度か瞬きした師匠は、言ってなかったな、と呟いてオレに微笑った。

「あいつは、天狗ではなくて人だ(・・)

「へぇ」

――――…うん?


「はい!?人!?」

「ああ」

「天狗って人を嫁に貰うんですか!?」

「そういうやつもいるな」

「居るの!?」

「居る」


 最大級の衝撃。

 いや、確かに誰も師匠の奥さんが天狗だってそういえば言ってなかったけどでも普通天狗の嫁だったら天狗だと思うじゃないか…!


「どうした?」

 頭を抱えたオレに、不思議そうに師匠が呼びかけた。

「…なにも。ちょっと思い込みが深かったので修正に苦労してるだけです…」

「?」


 確かに、奥さんが人だとすれば色んなことがしっくりする。

 そりゃ惚れた相手が人だったら人贔屓(ひいき)にもなるだろうし、一つ屋根の下に居る配下とはいえ女性が弓さんだけというのももしかしたら奥さんに気を遣ったのかもしれない。それに奥さんが仏教徒だから盆に法要するってのは天狗が仏を信仰してるより何倍も自然だよな!


 こんなにたくさん手掛かりがあったというのに、天狗だと固く信じていた自分の頭の固さが浮き彫りになって嫌だ。

――――ああもう。…なんてオレは馬鹿なんだろう。

 馬鹿だ馬鹿だ大馬鹿だと、心で何度も呟けば何だか可笑しくなってきて、オレは腹の底から湧き上がってくる笑いに肩を揺らした。


「三太朗?」

「いや、だって…オレってすっげー馬鹿!!」

 込み上げてくる笑いのままにあははと声を上げ、勢いをつけてぽんと庭に飛び出した。


「そんな"いい加減"に扱ってもいいのにすっごく悩んだりとか!」

 軽い扱いにしていいなんて思ってもみなかった。仏は、信心はもっとずっと重要なものだと重たく思っていたのだ。


「小さいことばっかに気を取られて、一番大事なことを忘れてたりとか!!」

 それひとつが色鮮やかなら、他はもう褪せてしまっても構わない。オレの心を形作る一番のものがあることを忘れていた。


「それに、勝手に、師匠の奥さんが天狗だってなんで思い込んでたんだろうって!」

 天狗は仏を信じないと思っていたから、動揺した。仏を信じなくなって、天狗に成ることは決別だと思っていたから、新しい場所にも別れた筈のものが居るのかと驚愕したのだ。


「全部騒いでたのも悩んでたのもオレだけだし!!」

 (はた)から見たらどれだけ滑稽だったことだろう。

 そう思えばまた可笑しくなって、ひとしきり笑いながら軽い足音を立てて二三歩。

 桜の根っこの手前でくるっと振り返って、ねえ師匠!と叫んだ。


「いっこお願いがあるんですけど!」

「何だ?」

 オレの奇行も師匠の顔色を変えるには足りないらしい。

 いつもと変わらぬ穏やかな顔で、師匠はオレを見守っていた。


 収めきれない笑いの余韻を口元に残して、目元に浮かんだ涙を払う。



「今のままじゃ天狗になれないから、山を下りても良いですか?」




ナ、ナンダッテー!?

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