七 決意
12/4 表現修正。
家中が落ち着いたのはそれから数日後だった。
落ち着いたといっても、嘆くことと混乱すること、呆然と立ち尽くすことをやめただけで、とりあえず目の前のことを片付けようと皆が動き出したということに過ぎず、様々な難題はまだこれから挑まれるべく積み上がっていた。
父は自分の跡は長男に継がせることを定めており、もしものことがあったときのために次男を教育はしていたが、三男と四男については将来のことについての言葉はなにもなかった。
今となっては遺言もなく戦に出た意図は解らないが、折悪しく残った男児は下の兄弟二人のみ。次期家長は結局家中の合議にて決定される流れとなった。
一般的な感覚からして跡継ぎは年功序列が適応される。三男は正室の息子であり、当主となった暁には貴族である母方の実家からの援助も期待できる。
順当に行けば次の当主は三男。それに何の問題も無い。
はずだった。
「我らは次の御当主に下の若様を推します」
会議の場で数人の家臣がオレを跡継ぎにと声を上げるまでは。
それに目を剥いたのは三の兄上の生母、四の方さま。
息子よりもその弟の方が主にふさわしいと言われたのだから当然だろう。理由を問う声は自然と荒くなった。
対してそれに答える男は笑みを浮かべて言った。
「下の若様は聡くてあられます。機を読み考えて次の動きをお決めになる。更に周りの者を気遣うことも知っておられる。上の若様は伸びやかで真っ直ぐなご気性であられますが、平時では美徳でもこれからは苦難の時。下の若様の御資質の方が今の状況に沿うと判断したまで」
この声に他の者も何人か頷くのが見えた。
違う、と叫びたかった。
機を読んでいるように見えるのは、他人の感情が読めるから。周りの者を気遣うというのは、異常な自分の周りに波風が立つと何もなくても槍玉に挙げられるのが解っているからだ、と。
当然それはできなかった。
男はオレが生まれる前から父に仕えていて、オレの異能を身近に知っているはずだ。しかしこの場に集まる者の半数以上は知らず、またはただ単に実体の無い噂として耳にした程度のはずなのだ。
あの頃を知っている者たちだって、もう記憶に実感を失うぐらいの時間は経った。オレは長年の努力によってもうすぐ『田舎武家の風変わりだが普通の四男坊』の地位を手に入れられるはずだったのだ。
なのに自分の異常性を声高に主張することはオレにはできなかった。
さりとて黙っていることなどできない。兄上を推す者たちは動揺し、意見を出せずにいるのだ。
あまりのことに絶句している四の方さまと、小声で意見を交わす他の家臣たちに向かい、訴える。
「父上の跡を継ぐのは兄上です!!私は、兄上を支え共に家を盛りたてて行きたく思います!」
ほう、とオレを推すと言った者たち以外にも動静を見守っていた者も小さく頷く。
「御覧なさい。この謙虚な御姿勢。我らはこれから弱い立場に立たされます。他へ噛み付くばかりではこの先生きてはいかれませぬ」
オレの必死の拒否は、大人たちの勝手な判断の材料になって、無かったことになった。
兄上は喧嘩っ早いところがあるのは周知の事実。でもオレはその怒りの原因が自分勝手なところにあったことはないと知っている。
そしてその相手にも、汚い手は絶対に使わず、例え相手が応援を呼んで取り囲んだとしても、オレには関係ないと言って一切の手出しを許さなかった。
褒められたことではないかもしれないが、欠点では決して無いと思っている。
だがそれをこの場で引き合いに出すのは得策ではないとも解っているから、黙るしかない。
家を纏める四の方さまの強硬な姿勢も、小さな領地には不釣合いなほど多い家臣たち、それも武闘派のものばかりの一派を相手取ってこの場で押し通すことは敵わず、母上が父上の喪が明けてからもう一度話し合うことを提案して、この件は保留となった。
四の方さまが一度、オレを恐ろしい目で一瞥した。
オレは今、ひとりで布団に横たわっている。
部屋は暗く、月明かりで障子の格子柄が畳に影を落とす。
最初に目覚めたあの部屋だった。そして理不尽なほど心地良いあの布団であった。
本当は高遠さまを起きて待っているつもりだったのだが、様子を見に来たぎんじろうさんに怒られて、やむなく布団に潜り込んだ次第である。
布団から出ていた理由は、この布団の中で寝ずにいるというのは途方もなく難しいだろうと思われたからである。
だが、布団に入った今も観念して眠気に身を任せるというのはもう少しの間は出来そうになかった。
手の中にあるものを目の前に持って来る。
黒っぽい、よく磨かれた丸いもの。指で探れば穴が開いているのがわかる。
これは、数珠の玉だ。
母上が、オレの無事と安寧を願ってあつらえ、見送るときに首にかけてくれたもの。
あの夜、山の中で逃げるうちに切れてしまったもの。
さっき様子を見に来たキツネは、枕元に置いていくつもりだったらしい。
どうやら食事のときに渡しそびれたようだった。
高遠さまが出かける前に、オレに渡すようにと言って置いて行ったそうだから、多分あの山に行って拾ってきてくれたのだろう。
――――わざわざこんな小さくて見つけにくいものを探しに行ってくれたのか。
お礼を言う事項がまたひとつ増えてしまった。
オレはため息を吐いて、枕元の盆に、つまんだ数珠玉を置いた。
玉は僅かに転がって、いくつか散らばった他の玉に少し近寄った。
ひびが入った玉が四つ。それと無事な玉がふたつ。
百八玉連ねて作られた数珠が、一度も使われることなくこれだけになってしまったことに、申し訳なさを覚える。
同時に、この数珠が守って代わりに飛び散ったから、オレはまだ命があるような気にもなった。
しかしそう思っても、仏ではなく母に守られている気になるのは、救い上げた手が仏ではなく妖のものだったからだろう。
『辛いことが数多くあるでしょう』
母は言った。まさかその後を予見していたはずはないが、まさに的中してしまった言葉。
『良いこともまた、必ずあります』
命を拾った。
傷は負ったし、怯えて逃げ惑うという醜態を晒しはしたが、今は安全で、空腹でもなくて、明日の朝日は確実に拝める。
『思い詰めず心安らかにありなさい』
良い人に拾われたと思う。いや、人ではないから、良い天狗と言うべきか。
彼の方から感じ取れるものは、人間相手に感じていたよりどこか曖昧にぼやけていて、細かな機微は区別がつかなかったけれど、伝わってくる気配は温かくて、不快感や怒り、警戒や苛立ちも感じない。守るべきものや傷ついたものを前にしたときの、慈しみ、気遣うようなものだけ。
顔を合わせて話したのはほんの少しだけだ。それでも、良い方だと素直に思う。
こんな子供を拾ってきて、どうしようというのか。裏があるのかはまだわからない。ただ、オレに向ける感情や語る言葉に嘘は感じられなかった。
信頼はまだ無理でも、信用は出来ると思った。
『澄んだ心で、成すべきことに向かえるよう』
成すべきこととは、なんだろう。オレが成すべき役目。向かうべき目標――
ゆっくりと身を起こして、部屋を見回す。
今座っているふかふかの布団が一組。枕元の畳に直に空の湯飲み、隣に四角い盆が置かれていて、その中には数珠が散らばっている。
床の間があり、文机がある。
床の間の掛け軸はなぜだか白紙。どうして飾っているのか全く不明である。
違い棚にも壇にも、花や壷はない。
ただ、ぽつんと小さな位牌が置かれていて、傍には線香がさしてあった。火はついていないが、微かに煙の臭いがしている。
文机には、硯と筆がほっぽってある。壁側の端には書物が何冊か重ねて置かれている。
中央には何枚かぞんざいに重ねられた紙に、重石としてか、大人の握り拳大の瑪瑙が置いてある。
因みに角は丸いのにもかかわらず、器用に縦に置いてあった。触れれば倒れそうな絶妙な均衡を保っている。なぜ立てたし。暇だったのか。
障子と反対側の隅には行灯が置いてある。
ただし、これを使わなくても部屋は明るくなる。どうやって明るくしているのかは知らない。
キツネもタヌキも、なにかしている素振りはなかったけど、おやすみ、と言って出て行ったときに、部屋はゆっくりと暗くなっていった。
というかどうして使わないのに行灯が置いてあるんだろう。気分か。
不思議な部屋だったけど、置いてあるものひとつひとつはありふれたものばかり。
見慣れたもので作られた、しかし今まで馴染んだ『当たり前』とは違うこの空間は、ここが常識の外にある場所だということを言外に主張しているような気がした。
今までの常識は、この世の全てではないのだ。
ならば、オレも常識の外へ行くことが出来るんじゃないか?
ぎゅっと目を瞑る。
脳裏に描くのは、馬上の父。
『家を頼むぞ』
手を握って、別れを惜しんでくれた母。
『御仏のご加護がありますように』
仏の加護は
「欲しくない」
心は決まった。
助けを願って祈る行為が、何かを解決してくれたことはない。
なにもかも置いてきた。
持っているのはこの体と命だけ。
一度なくしたも同然の命。何も成せずに散りかけた生。
ならば
「もう失うものはない」
逃げ続けるのは、もうやめだ。
高遠を高速と読んでしまった。。。
さて、主人公が次で動きます。
やっとですね。