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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
69/131

六十一 盆 一


 むう、と口をへの字に曲げて、オレは世の中の儘ならなさを想った。


「そんなに欲しいなら俺らのをやるよ」

 苦笑いして皿を差し出す双子の先輩に、決然と否と返し、オレは自分の皿に乗った最後のくるみ餅を匙で掬った。

 決然としてはいたが、返事までに幾らかの間が空いたのは余談だ。


「もうちょっとで勝てたのが悔しいだけですから。くるみ餅は勝負に勝って次朗さんから貰わないと意味無いんです!今回は勝負がつかなかったから貰えません!!」


 オレは未練を振り切って高らかに宣言した。

 三羽の先輩に、権太郎さんに釿次郎さんが「おお」と軽く手を叩いて正々堂々とした心意気を称え、弓さんがとびきり立派な行いを見たように感極まって涙ぐむ。


 今は昼時。オレは館で先のような顔ぶれと食後のおやつをつついていた。


 帰って来て直ぐのことは、ほんの少ししか経っていないというのに良く覚えていない。

 自覚はなかったけどそれだけ気が動転していたんだろう。できるだけいつも通りの顔を装うので精一杯で、何を訊かれてどう返事したのかも余り記憶にない。

 ただ、井戸で手足の汚れを落とし、風呂場で丁寧に体を洗い、囲炉裏端で手当てを受けて、いつもの部屋に行って食事をするまで、ずっと手を引かれて、何をするにも代わり番こに誰かが手伝ってくれていたのは覚えている。


 帰った館はいつもの雰囲気で、双子の先輩たちが大急ぎで帰ってきた以外は騒ぎのひとつもなかった。そう気付いたのは、昼餉の箸を置いてからだった。

 オレが帰り着く前に報せがあったのだろう。ぼろぼろの姿を見ても皆心配そうにはしたがそれだけで、何も訊かれることは無かった。

 何も知らないのなら、何があったのかを根掘り葉掘り問い詰められたことだろう。次朗さんが。

 そして色々と怖い目に遭っただろう。あのお坊さまが。

 血相変えた皆が大騒ぎしても不思議じゃなかった。目の前の和やかで平和な光景を見渡し、ほうっと息を吐いた。


 オレを気遣ってくれたからだろうか。あっさり矛を収めてくれたのだろう。オレの予想では割と大乱闘の修羅場を止めることになる可能性が高かった気がしていたので、気づいてから正直すごく意外だった。


――――オレは皆さんを何だと思っていたんだろう。こんなに穏やかで優しいのに。

 密かに反省して、申し訳なく思った。


 兎にも角にも、いつもののんびりした雰囲気のお蔭で食事が済む頃には雑談にもちゃんとした受け答えも出来るぐらいには落ち着いた。

 そして思い出してしまったのだ。


 オレがなんであんなに全力で走っていたのかを。

 次朗さんから逃げ切ったら勝ちという勝負、そしてその賞品。くるみ餅を…!


 もし何事も無ければ勝てていただろう勝負だった。というかもう半分勝っているようなものだった。

 そう思うと物凄く悔しくなったが、それでも勿論勝ってもいないのに次朗さんのくるみ餅を貰う訳にはいかない。

 そこは男の意地と誇りの問題である。

 しかし返すがえすも惜しい。


 にやにやしながらこれ見よがしにもぐもぐしている次朗さんを恨めしく見ていたら、みんなにどうしたのかと訊かれ、そして冒頭に至る。




「さあーてと!」

 空になった皿に匙を放り出した次朗さんがぐっと伸びをして肩をぐるぐる回した。

「ちょっくら行ってくるかぁー」


 立ち上がった次朗さんをきょとんと見上げて、オレは首を傾げた。次朗さんはオレの木登りについてくるのが好きなので、この後一緒に来るものだと思っていた。


「あ、俺も行こうかなー」

「あ、俺も俺も!」

 そうこうしている内に、楽しそうな紀伊さんと武蔵さんまで立ち上がって次朗さんと笑い合った。

 オレは疎外感を味わってちょっと不満になった。楽しいことならオレも誘って欲しい。


「ねえ、どこ行くんです?」

「んー?ちょっと野暮用(やぼよう)

 一羽ずつ顔を見ながら訊くオレに、紀伊さんが素っ気なく言った。


 オレは更に首を捻った。紀伊さんにしては答え方がさらっとし過ぎているように感じたのだ。

 いつもならもっとこう、なんというか口数が多くて、もっと丁寧に教えてくれる。…それに、話をするときは必ず意識がオレに向いて、真摯に耳を傾け応答を吟味する感じが伝わるのだが、今は心はどこか別のところを向いて、オレへの答えに重みが足りない気がした。


「次朗さん、野暮用って何しに行くんです?」

 双子天狗は大体において全く同じ反応を返してくる。同じような返事では埒が明かないので、武蔵さんではなく次朗さんに向かって尋ねてみる。

 先に部屋を出ようと振り向きかけていた次朗さんは、んあ?とか言いながらこっちを見た。


「そりゃ決まってら。ちょっと礼しに行くんだよ」

「礼?お礼?」

 頷く兄弟子を見上げながら、益々疑問符が旋回する。

――――お礼って、誰かにありがとうって言いに行くってこと?三羽で連れ立って?


 オレの知る限りで、次朗さんたちが今日お礼を言うべき存在は直ぐには出てこない。強いて言うなら山のカラスたちだろうか。ほら、師匠に報せたり加勢してくれたりしたし…。


 しかし、その可能性は余り無いだろう。

 個人的にはお礼を言おうと思っているけども、先輩三羽で連れ立って態々行く程のことではないのだ。


 そもそもオレたち、師匠の弟子はこの山に於いてかなり上位の立場にあるらしい。

 普段は意識しない程和やかで親しい間柄の館のモノたちだけど、砕けた態度をしていてもその辺りはしっかりしていて、気を付けて見てみればきちんと立場に依って礼儀と対応を変えている。

 はっきり教えて貰ってはいないけれど、おぼろげにオレたちは師匠の下で、配下の中の上位者と同じぐらいの扱いになっているのを感じていた。

 先輩たちに対してカラスたちは、師匠の配下のヤタさんのそのまた配下という、所謂末端に位置する。

 上位者である先輩たちが、しかも三羽揃ってカラスたちに態々出向いてまでお礼を言うとは考えにくい。それくらいならば、あの場でよくやったと言うか代表で一羽呼び付けるとか、ヤタさんを通して後日、というのが妥当だろう。


 であれば、誰に―――

―――三羽揃って(・・・・・)お礼に行く(・・・・・)。オレはひとつの嫌な予想を見つけて顔を引き攣らせた。


「…もしかして、礼参り(ほうふく)?」

 ぱっとお三方はばらばらの方向に顔を逸らした。


 ――――すごくあっさり済ませたと思ってたら全然済ませてなかった!!


「ちょっ!やめてください!!もう良いんです!」

 オレは焦って声を上げた。確かにオレは嫌な想いをしたけれど、仕返しをしてほしいなんてことは欠片も思ってはいなかった。

 何故なら…


 やれやれと首を振った双子の動きがぴたりと揃う。

「お前がそう言うんなら仕方ない」

「仕方ないから…命ぐらいは助けてやるよ」


 何故なら皆物理的に解決しようとするだろうと思ったからだ。


「命!?オレが何も言わなきゃ命()ってたってことですか!?」

「うん」

「まあ」


 その上やたら武闘派で腕が立つ方が揃っているため、その結果がさらっと洒落にならないだろう予感がびんびんしていたからだ。


「駄目です!絶対駄目!!オレはもう良いですからそんな物騒なことしないでください!!」

「でもお前が苛められたんだから仕方ないじゃん。やられたらやり返そうぜ」

「仕方なくない!全然仕方なくないですからね!?仕返しってそもそもオレ暴力は受けてないですよ!!」

「これも可愛い弟弟子を想うがこそだから」

「全然オレの為になってないですから!悪口の仕返しが命とか重すぎますから!!」

「うるせぇ!てめーはすっこんでろ!そっちが良くてもこっちは(はらわた)煮えくり返ってんだよ!!あんの糞坊主コケにしてくれやがってぜってぇ地獄みせてやるぁあ!!」

最早(もはや)それ私怨ですよね!?」


 妖怪たちにとって人の命は斯くの如く軽いのかと天を仰いだ。…けれど直ぐにこの方たちがぶっとんだ思考の親馬鹿予備軍であることを思い出して今度は俯いて顔を手で覆う。


 きっと同じことが起これば種族なんか関係なく、それこそ同族に対しても同じ反応をするに違いない。

 そしてそれが冗談でもなんでもなく本気なのだから性質が悪い。

 これをどうやって宥めるべきか。

 どうしてみんなこんなに過激なのか。

 なんで正直言って嫌いな相手を必死に守ろうとしなくてはいけないのか。

 何を間違ってオレがこんなことになってるのか。

 あれか。やっぱり道でかちあったのが間違いなのか。

 なんであそこを通った過去のオレ!!


「おいどうした?」

「頭でも痛いのか?」

 オレが苦悩しているのを見て非常に心配そうに訊いてくれる双子の兄弟子。その心はとても温かい。そう、彼らはオレを心配してくれる余り暴走しそうになっているだけだ。

 本質はとても温かくて優しいのをオレは知ってる。

 だから、オレの為に野蛮な行いをしてほしくは無かった。


 ―――優しい先輩たちの横で、はっと高い位置の頭が上がった。

「あいつの所為だな!?よっしゃ任せろおれさまがちゃっちゃと行って()して来てやらあ!!」

(むし)ろ貴方の所為ですが!?」

「なん…だと…!?」


 本気で衝撃を受けた様子に酷く疲れた気分になって、オレは特大の溜息を落とした。


「オレを想って言って下さってるのはとても嬉しいです。でも、オレは無事だし、大勢で仕返しなんてそんな卑怯なことして欲しくないんです。オレも許してて師匠も何も言わないんですから、先輩たちももう気にしないでください…」

 不満そうにしながらも、『して欲しくない』の言葉に仕方ないとやっと頷いてくれたのにほっとした。…のだけれど、まさかとは思うけれど思い至る物があって、そうっと振り向いた。


「あの、解ってるとは思いますけど、(ユミ)さんもですからね?」

「…………ええ。解っておりますよ」


 たぁっぷりの間を置いて、オレの視線に耐えかねたように、警備の仕事をしている(武闘派)と話に聞く美女は頷いた。


 そしてオレは悟らざるを得なかった。

 オレが話さなければならないのは、この場の者で全員ではないことを。




















「頼んだぞ、明然(めいぜん)

「は。必ずや」

 明然は、師の法要の準備を手伝い終え、天狗に深々と一礼を残して部屋を出た。

 無論、あの少年を探すためである。


 師である恵然(けいぜん)はそもそもの勤めを果たさなければならず、共に探しに行くことは出来ない。

 本来ならば明然も師の傍に控えてお勤めを手伝うべきなのだが、二人共にそれよりもあの子どもに会うことの方が重要だと結論していた。


「どのような訳があろうとも…人をやめるなど」

 明然は決意を新たに歩き出した。

 どういう経緯でこの山に行き着いたのかは分からないが、どんな出来事を想像しようとも、それが正当な理由に成り得ると思う物はついぞ思いつくことはできなかった。


 あの子どもは冷静さを欠いて早まってしまったのだろうと明然は考えていた。

 どう早まれば天狗に弟子入りして人をやめようと思うのかは分からないままに、彼は時と共に様々な想像を巡らせ、その度に彼を哀れに思う。それと同時に彼を責め(さいな)んだことに後悔を深めていた。


――――償いが出来れば良いが…。せめて詫びて、次はきちんと話を聴かねば。…聴かせてくれれば良いのだが。


 自分の仕出かしたことを思えば、拒絶されても可笑しくはない。あれだけの言葉を叩きつけながら、今更謝りたいというのがそもそも身勝手なのだ。許してもらえなくとも彼を責められはしない。

 苦い溜息を吐いたとき、ふと違和感を覚えて明然は瞬いた。


「妙だな…随分歩いたように思うが」

 行きに歩いてきた廊下の長さを思い出して、考え事をしつつもそれより明らかに長い距離を歩いたと感じるのに、同じような廊下が延々と続いているのである。

 先ずは玄関へ向かおうと歩いてきたが、方向を間違ったとしても流石に屋敷の端なり部屋なりに着いても良い頃だ。


 試しにもうひとつ先の角まで行って先を覗いてみる。

「これは…!?」

 思わず驚きの声を上げていた。


 見たその先は、ずっと先まで廊下が続いていた。

 途中途中に、(おびただ)しい数の分かれ道をも覗かせて。


「――よもや、化かされているのでは…」

 外から見た館の広さをゆうに超える長さの廊下を見渡して、明然は眉間にしわを寄せた。

 自ら少年を探すのを許した天狗が邪魔をするとは考えにくいが、相手は物の怪である。人とは考え方が違うとしても不思議はない。


「だが、足踏みをしている訳には行かぬ。そちらがその心算(つもり)であるならば拙僧(せっそう)もまた、やらせていただく」


 明然は背筋を伸ばして目を閉じると、躰の芯に意識を向けた。

 手に持った数珠を打ち振るう音が、静まり返った廊下に大きく響く。


 身の内にある命の力。それを腹の底で練り上げ、躰の中心を通して天へ送ることを思い描く。

 そうしてその流れに乗せて全身全霊を込め、仏の慈悲を信じ念じる。

 あらゆる(よこしま)なるものを打ち消し、降り注ぐ大慈(たいじ)を念じれば、自然と口から修行の日々で親しんだ文言が滑り出た。


 淨根律正目じょうこんりつしょうもく


 これを一身に念じれば世の汚濁(おだく)(はら)い、正しき者を守り、迷いを晴らすとされている。


 手のひらを擦り合わせながら一身に唱える内に、明然の内に清浄な力が充ちていく―――


 見る者があれば、明然の体が薄らと光を帯びて見えたことだろう。

 それほど、彼が発する力は力強く、そして清らかだった。


 光は段々と強さを増し、だが目を射る鋭さではなく包み込むような柔らかさを持って広がる。

 明然が信仰する仏の慈悲深ささながらに、優しく、あらゆる影を染めていった。




















 読経の声が止み、部屋に静寂が戻る。

 恵然はふと息を吐いて部屋の主に向き直った。

「…終わり申した」

「ああ、御苦労」

 障子を開け放ち、柱に凭れて庭の桜を眺めていた高遠(たかとお)がちらりと振り向いて言った。


 彼が眺めていた外はまだ日が高い。

 盆の法要のお勤めは丁寧に全ての行程を行えば数日もかかる長いものだが、この山では経こそ長く改まったものを上げるがその他の儀式は殆ど省略されるのが常だ。かろうじて焼香がされるばかりの法要は、始めたのが昼前であったが、まだ日が高い内に終わった。


 本来ならば読経が終われば法話(ほうわ)をして、故人を想う者に現世を健やかに正しく生きよと説くものだが、相手は数百年を生きた天狗である。先代たちはどうか知らないが、恵然の代では読経の後はぽつぽつと雑談をすることにしていた。


「高遠どの、改めて申し訳ありませなんだ」

「…全くだ」

 天狗は畳に手を突いた恵然を横目で見た。


「何故あのような者を連れて来た。お前の目も曇ったか」

 恵然はおやと内心で軽く目を(みは)った。

 天狗の言葉こそ厳しいものだったが、今までの彼からは聴いたことのない、どこか人間臭い響きがあるように思った。


「確かに、拙僧の弟子は若く未熟ですな。しかしあのようなことになるとは露にも思いませなんだ…」

 切ない気分で溜息を吐く。

 明然は本来ならば間違っても子どもにあのような口を利く男ではないことは、目を掛けてきた恵然が一番よく知っていた。


 天狗は恵然の寂しげな顔に、何かを探すような目を向けた。

「あれは傲慢で無礼。人を至上としてそれ以外を見下(みくだ)す。…それが子どもであれ容赦せず、本質を知るより先に見た目で断じて、非道を行う」


 恵然は瞬いた。

 彼の声にある人間臭さは…この何かを迷うような、自分の言葉に自信が持てないような印象から来ているのに気付いて戸惑う。

 恵然の知る高遠は、いつも飄々と静かに構えて迷いも気負いも無く、相手の意見を受け入れながらも己を揺るがすことは無い。そんなどこか超然とした存在だったのだ。


 だが今は声にいつもの張りがなく、言葉は厳しくとも刺が無く、どこか自身なさげに躊躇(ためら)いがちに聞こえる。

 彼を迷わせているものは何なのだろうか。


 どう返せばいいのか迷う老僧を前に、黒い目はまた舞い散る薄紅に戻る。

「…だというのに、何故、必死に」


 恵然はああ、と納得の声を漏らした。

 自分の愛弟子が決死の覚悟で地に頭を擦り付けて、あの少年と話したいと頼み込んだあの光景。あれが、ただ非道だという印象を少し違うものにしたのだろう。

 そして、天狗は弟子を想うが故に明然を憎く思う心と、己の行いを反省し他者の為に身を(なげう)つ彼を認める心の間で戸惑っている。


 それに気付くと同時に感嘆した。

 己の憎しみに囚われることなく相手の行いを認める高遠の心と、曇ることなき眼に。


 恵然はふと微笑んだ。

「あれは真っ直ぐな気性と正義感を持っておる男でしてな。それ故気付いてからは己の非道を許せなんだのでしょう。せめてもの罪滅ぼしとして、お弟子どのに一番良い形の決着を望んでおるのは本心でありましょう」


 天狗はじっと耳を傾けている。

 その顔は僅かに(しか)められているものの否定の言葉は無いようだ。

 次の言葉を待っているように思えて、恵然は弟子の話をすることにした。


「明然は一門(いちもん)の中でも才に恵まれた弟子でしてな。それに驕らず努力を惜しまぬ勤勉で真面目な者です」

 それだけであれば自慢の弟子と言えるのに、と残念に思いながら、恵然は「ですが」と言葉を繋いだ。


「己を(りっ)しようと気負うところがありましてな…斯く在るべしと理想を描き、それに沿おうとする。正しさを求め、真っ直ぐ進もうとするのですじゃ。若いが故の青臭さよ、と微笑ましく思っておりましたが、此度(こたび)は悪い形に出てしもうたのです。昨日(さくじつ)狐に化かされたのも余程(こた)えたのでしょうな。恐らく酷く気に病んで、繰り返すまいと気を張っておったのでしょう。(あやかし)を悪と感じ、失態を取り返そうと気負った…」


 考え込むように手元に目を落とした高遠に気付いて、言葉の最後は溜息で結んだ。

 言い並べてみれば、不運だったと思えて仕方がない。

 けれども残念ながらそれを理由にしようとも、許しを請う言葉は出ては来なかった。余計な言葉はただ高遠の思索を妨げる雑音であろう。


 高遠は(しば)しの間を置いて、ぽつりと呟いた。

「あれはお前から見て良い弟子か」


 僧は間を置かずにゆったりとした笑みを浮かべた。

「確かに未熟ではありますが、力と才を持ちながら己を律し育つことが出来る彼奴(あやつ)は、拙僧の自慢でもあります」

「力、か」

「左様」


 僧の笑みは年輪を刻んで深く、その目は真剣な色をしていた。

「これまで多くの退魔僧(たいまそう)を育てて参りましたが、あれ程の法力(ほうりき)を秘めた者は初めてでありました」





















 すぅっと光は余韻を残さず消え去って、廊下に影が戻る。

 しんと静まり返った空気に、小さな息が殊更大きく響いた。


 御仏のお力を以てすれば、人を惑わす妖術を打ち破るのは容易い。

 その証拠に、自分を包む空気は清浄に澄んで、妖気の穢れは欠片も感じない。

 明然は改めて少年を探すべく目を開いた。


 目の前には、先が見えない廊下が、無数の枝道を備えて広がっていた。


「…え?」

 明然は信じられない光景の前に立ち尽くした。


 明然の法術は強力なもので、並の幻術であれば消し去るに容易い威力があった。

 しかし塗り壁は幻術を使ったのではなく、ただ単に館の構造を変えたというだけで、残念ながら妖術破りの浄化の法術は意味が無かったのである。

 ただ、それを知らない本人は、自分が太刀打ち出来なかったと思い込み、衝撃を受けて呆然とした。


「馬鹿な…」


 彼は知る由もなかったが、妖怪屋敷の洗礼は始まったばかりだった。


動き出す弟子たちと語り合う師匠たち。


活動報告に更新について少々のお知らせがあります。気が向いたら読んで下さいませ。

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