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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
61/131

五十四 真昼の流星

時間差ながら、本日二話目。

こちらが後です。



「せいっ!」

 短い気合を発する。同時に思いきり左足を振り抜いた。

 だが、するりと躱されて爪先が空を切る。すかさず迫る右の掌底をなんとか腕で受け流し、間髪入れずに軸足を入れ替えて後ろ蹴りを放つ。


「中々良し」

 満足げな呟きと共に、蹴りの足が防がれる。しまったと思ったときには、脚を掴まれていた。


 手繰るように帯を取られ、ぐるんと視界が回ってオレの体はふわりと宙を舞う。

 投げられた。そう気が付く頃には、反射的に体を丸めて備えている。

 背中に衝撃。勢いに逆らうことなく前に転がり、一回転半して大の字に伸びた。

 詰めていた息を大きく吐く。

 今更ながらに息が上がり、朝から動き続けた体はずっしりと重く、立ち上がりたくても動けなかった。


――――ああ、畜生。今日も投げられた。

 一体いつになったら投げられずに終れるのだろうか。今日こそと思ったのに、やっぱり投げられてしまった。


 しかめっ面に影が射す。

「今日はここまでにしよう。大分良くなってきたな」

 日を遮って覗き込んだのは、楽しげに目を細めた高遠師匠だ。

「ありがとう、ござい、ますっ…っはぁっ」


 まだ息が整わない。いつもより疲れた気がした。

 荒いままの息を吐き出しながら、オレは何日かぶりの武術の鍛錬を終えた。

 用事が一段落したとのことで、やっと修行を付けて貰えたのだ。

 前回から実に丸三日も空いての四日目。数日の空白は大きかったのだと思うと、寝坊した日があったのがいっそう悔しい。


 師匠は仏頂面のままいつまでも倒れているオレに微笑うと、楽しそうに頭をぽんぽんと撫でた。

「お前は日毎に伸びるな。よく動けるようになってきた」

「そうそう!中々コツを掴んだ動きになってきたぜ。今日は一回しか投げられなかったしな!」

「うんうん、中々足さばきも安定してきてたぞ!もうちょっとで一本とれるかもな!」

 ひょいひょいと、師匠の隣に頭がふたつ並んで笑った。

 邪魔にならないところで観戦していた、武蔵さんと紀伊さんだ。


 口々に褒められ、ちょっと照れ臭い気分が湧き上がる。ようやく落ち着いて来た息を(こら)えて、起き上りながらお礼を言った。

「ありがとう、ございます!」

「最初の組み手でもびっくりだったけど、このひと月でぐんぐん伸びるんだもんな、俺らも負けてらんない」

「そうそう。ほんとにお前、見違えたよ。ま、そんだけ頑張ってるってことだな。偉い偉い!」

「褒め過ぎですよ、また紐、取れなかったのに」

 師匠が解いてくるくると纏めている紅い紐を見遣る。通された玉がじゃらりと鳴った。

 手のすぐ傍を、まるで意志があるかのようにいつもひらひらとすり抜けて行く、オレの成長の証。


 むぅっと口を結んだオレを見て、そっくりの笑顔が並んだ。

「おいおい、たった何か月かで、後ろの結び目が取れるかよ!」

「俺らだって最初の結び目を解くまで半年かかったんだからな!」

 オレはきょとんとふたりを見返した。そういえば、最初に師匠が、お前は何か月かかるかな、みたいなことを言ってた気がする。

 確かにめちゃくちゃ考えて、目一杯頑張ってやっとぎりぎり出来たのだけど、先輩たちがオレよりかかったなんて思わなかった。


――――オレって実はちょっとすごい?

 ほんの少し、ほんの少しだけ自惚れてみる。

 ちょっと誇らしい気分になって、不意に、師匠たちはずっとこれを喜んでくれていたのだと直感した。むず痒い気分で頬を掻いたら、ふたつの手がぱしっと背中を叩いた。


「ま、いっこ解けたらもうひとつ行きたいのは痛い程わかる。一年以内に解けたらこれはすごいぞ!」

「この調子で身軽に動けるようになってったら、取れるようになるだろうけどさ…あとでこっそり助言やるよ」

「え、良いんですか!?」

 こら、と師匠が笑いながらたしなめた。

「俺の前で言っておいて何がこっそりだ」

「でも止めないんでしょ?お師匠は」

 師匠はそれに答えずに、ただ紐を懐へ仕舞った。

 笑みは消えず、無言ながら雰囲気で問いに肯定している。

 双子はもうお互いに目配せして、どうやら何を教えてくれるのかを確かめ合っている様子。


 わくわくするような期待感が高まり、彼らが自分のことのように喜んでくれているのが分かって嬉しくなった。

 照れ臭くもあったけれど、心がほわっと温かくなる。思わず口元が緩めば、双子も笑って手を差し出した。

 そのふたつの手を握って、ふざけて体重をかけて引っ張ったけど、先輩たちはびくともせず、逆に息ぴったりの動きで一気に放り上げるように立たされた。

「うわっ!?」

 反対にオレの方がよろめいてたたらを踏めば、笑い声がふたつ上がった。

 そんな俺たちを、師匠が嬉しげに見守っている。

 憂いはどこにもなく、オレを囲むのは味方ばかり。暖かい空気は穏やかで、怖いことも辛いこともどこにもなかった。


「師匠」

 全部許されているような雰囲気に誘われて口を開く。延ばし延ばしにしていたことも、今なら言えると思った。

「なんだ?」

「刃物が怖いの、何かもっと出来ることはないんでしょうか」


 ふと笑みを収めた師匠を目にして、ぽろっと言ってしまったことの意味に気が付く。そして慌てた。これでは任せろと言ってくれた師匠を疑っているようではないか。


「最後にはなんとかなるって解ってるんですけど!それでも、ちょっと焦るっていうか…内経(ないけい)の修行はいつ始められるか分からないし…あ、でも師匠が大丈夫って仰るなら大丈夫なんでしょうけど…っ」 

 焦って急いで言い募ったら、ぽふっと頭に手のひらを感じた。そのままぐりぐり撫でられる。

「分かったから少し落ち着け」

 目にある光は優しげで、気分を害した気配は見つけられない。知らず肩に入っていた力が抜けた。


「気が()くのは、わかる。あのようなことがあった後なら猶更だろう。しかしことはお前の内側の問題だ。時をかけるのが必要なこともあろうと、俺は思っている」

「…すみません。今は気を乱さないことが一番だって分かってるんですけど…でも」


 いつもなら聞き分けるところを食い下がったオレに、意外そうに黒い目が瞬いた。

 その反応にちょっとひるむ。だけど、目を逸らさずに真っ直ぐ見返し続けた。


 見送った後ろ姿が脳裏に(よぎ)る。ヘタレた駄目なやつだった癖に、最後には真っ直ぐ前を見て、格好良く旅立っていったその姿。

 たった数日で生まれ変わったようになったあいつ。見ながら内心ずっと驚いていた。

 驚かされっぱなしは癪だから、いつかまた会ったとき、今度はオレが驚かせてやりたい。…オレがのんびり足踏みしてる間にもあいつは前に進んでるなんて、我慢できない。


「何か、無いんでしょうか。出来るだけのことはしておきたいんです」

 師匠は答えない。ただじっと深い眼差しを弟子に注いだ。

 拒絶は無い。否定も無い。ただ考え込んでいるようであり、何かを推し量ろうとしているようにも見えて、オレは勢い込んで頭を下げた。

「お願いします!心配してくださってるのは分かってます!だけど、少しでも早く治したいんです…!」


 ふぅっと、腹の底から吐いたような深い息が聞こえた。


「……心当たりはひとつある。そこまで言うなら、試してみても良いだろう」


 ややあって聞こえた声に、ばっと顔を上げた。

 師匠の顔は真剣だった。そこに漂う心配を読み取れなければ、気分を害したのではないかと思う程。

「ただし、無理だと見たら即刻止める。それを心得ておけ」

「はい!ありがとうございます!」

 師匠の考えた筋道とは違うだろう。無理を言ったと知っている。だけど、オレの意見を()れてくれたのが嬉しくて、返事は自然に弾んだ。


 師匠はやれやれと溜息を吐いた。

「お前はもう少し、ゆるりと構えていても良いのに」

「刃物が使えないの、本当に不便なんですよ。髪もずっとこんなだし、ちょっと着物がほつれたのだって、いちいち頼んでかがってもらうのも申し訳ないし、お手伝いだって、大したことできないし…兎に角自分で出来ることもお世話になりっぱなしなんですもん」


 薪割りぐらい手伝いたいと、ばつが悪そうに言った少年に、三羽は思わず苦笑した。

 館のモノは寧ろ、あわよくば彼の面倒を見たいと思っているので、申し訳なく思う必要は全くないのだ。

 実は高遠ら三羽とて、急いで大人にならなくても良いのに、と思っている口だったりする。


「まぁま!ほんとに急いでも仕方ないことなんだから、そんなに気にすることないって」

「そぅそ!今は面倒みられてて良いんだぞ。またいつかお返しすればいいんだから」

「うー。はい」

 解り易く唇を尖らせた末の弟子に、天狗は笑みを深くする。自立心があるのは良いことだ。もう少し構いたいのはこちらの勝手なのだ。答えは最初からひとつしかない。

「近いうちに用意しておく。だからしばらく待っていろ」

「はい!」

 今度は元気よく返った返事に更に何かを続けようとして―――突然三羽は同じ方向の空を振り仰いだ。



「え…うわっ」

 突如として烈光が炸裂した。

 師匠たちが仰ぎ見た上空。見上げた空の真ん中が、眩い光を発していた。黄色く赤く揺らめく炎とは違う。もっと硬質で真っ白なその光は、夜空に輝く星の煌めきを思い出させた。

――――星が落ちてきた!?

 一足飛びに思考がそこに行き着くが、そんなことに構っていられず思わず目を閉じた。瞼ごしにも視界が白く染まる。僅かに拍をずらして襲ってきたのは轟音。(いかずち)でも落ちたような音は、圧力さえ伴って押し寄せ、体の芯を震わせた。


 何が起こったか分からなくて止まりかける頭の中を掻き回し、敵襲という単語を引っ張り出した。

 外の何かの勢力が、山に突然襲撃を仕掛けたのか。立て続けに何かを叩き続けるような音は続いている。結界が防いでいるのだろうか。

 轟音、白光。けれどそれ以上のことはない。痛みも、衝撃も。


 目を庇って手を翳したまま、無理やり瞼をこじ開けた。

 瞳に最初に映ったのは、真っ黒な影になった師匠の後ろ姿。この一瞬に立ち位置を変え、光とオレの間に立ちふさがっていた。その腕がいつもの手合せの比ではない速さで動き、オレを手のひらで強く押す。

 息が詰まる。相当強く押された。ていうか飛んだ。空飛んだ。吹っ飛んだんだけど!?


 後ろ向きに吹っ飛ぶ自分を自覚したが、悲鳴を上げる前に目を見開いた。色々なことが一度に起こった。


 背後から巻き付いた二本の腕に抱え込まれる。白い光がすっと弱まり、いや、一点に寄り集まって一塊になる。師匠が腰を低く構えた。突然師匠とオレの間に出現したのは、双子天狗の片割れのどちらか。どちらか見分けるより先に、光の塊が長く尾を引きながら一直線に師匠へ伸びていく。

 浮遊が終わる。視界が転げた。


 背後の気配がオレを深く抱え込み、自分でやるより数段上手く衝撃を流して一回転する。

 空が見え、桜が舞い散り、地面を越えて、師匠が再び視界に戻るのはほんの一瞬だったが、その刹那の間に、光は黒い天狗の目の前にまで迫っていた。


 一瞬の躊躇も無く師匠は―――光を引っ掴んで鋭く投げた。見惚れるような鮮やかな巴投げだった。あれって投げられるものだったのか。


 しゅんっと何かを擦るような音をしながら、光は師匠のところで僅かに角度を変えて突き進み、ずごぉんとかなんとかすごい音を立てて、桜の太い幹へ一直線にぶち当たった。

 桜吹雪がひと際大量に降った。


「師匠!?」

 起き上るより先に、先輩の腕の中から声を上げた。

 師匠は、巴投げで背後に倒れた勢いを利用して、くるりと器用に起き上って身構えていた。

 その視線の先には桜の巨木。舞い散る薄紅(うすくれない)の花弁の奥で、突如として見上げるような影が起き上った。あれだけの勢いで突っ込んだにも関わらず何ごとも無かったかのように。


「しっしょーーーーーーっっ!!」

 そいつはそう一声鳴いて突進した。

 黒衣の天狗は退かずに一歩踏み込むと、すっと身を低くして片腕を取ると同時に半回転して体をさばき、背負った相手の片足をひっかけ、一気に肩上から投げ落とした。

 いわゆる体落(たいおとし)である。

「ぐほっ!?」

 腕を取られたままのため、半回転して仰向けにひっくり返ったそれを見下ろして、師匠は深く溜息を吐きながら手を放した。


「こら、結界に突っ込むなとあれ程言っただろう。もう忘れたのか、次朗」


 オレはぽかんと口を開けて固まった。次朗、と師匠は呼んだ。この頃話題の次朗さんといえば、オレのひとつ上の兄弟子だ。そういえば、"ししょーー"って叫んでいた。得体のしれない何かだと思っていたから鳴き声かと思ったけど、あれはどうやら"師匠"と言っていたらしい。

 抱え込んでいたのを解くついでに、よっこいしょ、と紀伊さんが立たせてくれたけど、それに反応するのも忘れてその方をまじまじと見た。

 だって、想像していたのとは全く違っていたのだ。


 先輩たちはまだ幼さを残した少年の姿をしているから、彼らの下になるのならもう少しオレと背格好が近いかと思っていた。

 だが、目の前にした次朗さんは、先輩たちより背が大きかった。ついでに言うと、人基準で小柄な師匠よりも大きかった。というか、充分に高身長だと言えた。

 その上、師匠たちが飾り気のない、動きやすい装束を選んで着ているのに対し、次朗さんはすごく派手だった。

 着ている羽織は左の前身頃(まえみごろ)(だいだい)と白の格子柄なのに、右は黄色の無地だった。更に左右の袖は朱殷(しゅあん)色で、ひじ下あたりから先は淡黄に染め分けられている。腰には飾りっぽいものが下がってるし、袴は鉄紺(てつこん)。髪はちょっとくすんだ明るい茶色で短く、なんだかつんつんと後ろから前に向かって立っていた。しかも左耳がきらきらしてると思ったら、ちょっと豪華な(かんざし)についてるような、金のしゃらしゃらした飾りに似たのがひとつ付いていた。

 今まで見たことが無い程派手である。


「ししょーーっ!!」

 急にがばっと起き上った次朗さんは、目の前の師匠に飛びついて、するっと避けられてすっ転がった。

「どうした、急に」

「どうしたじゃねえだろ!ししょーが、ししょーが死にそうだってあれ?え、ししょー無事だったんスか!?」

 混乱した叫びの内容には身に覚えがあって、はっと顔が強張った。

 次朗さんは懐からくしゃくしゃになった紙を引っ張り出してがさっと広げた。間違いなかった。


「この文に!ほら!」

 そこには、走り書きで『師匠危篤 至急戻られたし』と書かれていた。というか書いたのはオレである。

 後から見ても、止めが甘い文字の崩れ方といい、勢いでちょっと斜めになった行といい、慌てて書いた感が滲み出るような素晴らしい演出だったと自画自賛しておく。


「ああこれか。ここを見ろ」

「え?」

 師匠が紙の隅っこを指さした。そこは、次朗さんが力いっぱい握り締めていたためによれよれになっていたが、小さな文字でこう書いてあった。というか、書いた。


『ということになる前に帰って来て下さい』


「…なんだこりゃああああ!!!」

「ひっ」

 突然響いた怒声に思わず肩が跳ねた。小さく漏れた悲鳴が聞こえたのか、次朗さんが師匠の頭の上からこちらをにらみつけた。立って並べば次朗さんは師匠より頭ひとつ半程大きかった。

 怒気がこちらを向くのが分かって思わず一歩後退る。駄目だこの方、洒落とか冗談が通じない部類だ。よく見てくださいね、なんていう言い訳は立ちそうにない!!


「あ゛ぁあ゛!?んなふざけた真似しやがったのはてめぇかごるぁあ!!」

「うぁっ」

 気が付くと、次朗さんは元居た場所から十歩も離れていたはずの目の前に立っていて、オレの襟首を掴んで吊し上げていた。

 初めて浴びる鮮やかな怒気に身がすくむ。こんな風に怒鳴りつけられたのは初めてで、目を見開いたまま吊りあがった目を凝視した。

「これはししょーでもアニキたちの字でもねえ!んなら新顔のてめぇだな!?驚かせやがってどう落とし前付けてくれるってんだぼふっ」

 らりるれろでものすごく舌を巻きながら凄むその頬に、横ざまから武蔵さんの跳び蹴りが突き刺さり、オレの襟を掴んでいた手を紀伊さんの手刀が下から打ちあげて放させた。全く容赦がない。

 よろめいたオレの背を支えたのは師匠の手だった。


「次朗!三太朗を怖がらせるんじゃねえ!怒るぞこら!!」

「新顔がどうしてここに居るのかぐらい察しろ!挨拶代わりに何も考えず威嚇すんな馬鹿!!」

「うぇ!?」

 目を白黒させる次朗さんに、師匠がいつもの涼しい声で次朗、と呼びかけた。


「案ずるな、俺は無事だ。これはお前の弟弟子で三太朗だ。ほら、三太朗も挨拶を」

 師匠はこの大騒ぎをまるっと無視していつも通りの調子で言った。ていうかこの怖い方に挨拶しなきゃいけないのか。確かに初対面なら挨拶は必須ではある。

 どちらかと言えばのほほんとしていて、過保護なぐらい大事に扱ってくれる白鳴山の面々とは全く違う種類の存在に、何をどう言っても怒られるような気がして、オレは殆ど涙目でおずおずと見上げた。

 仕方なく紀伊さんの陰から出てぺこりと頭を下げる。


「…初めてお目にかかります。この春に弟子入りしました、三太朗、です」

 見上げた先の、猫に似た目尻が吊り上がった目は、大きく見開かれていて、そこに怒りは何故か感じ取れなかった。というか、別の感情がどんどんと高まって行く。

 ほわっとして、あったかくって、弾むようなこれは…。


「弟……おれに、弟…!!」


 あ、この方も確かに白鳴山の方だった。

 ちょっと上気した顔で目を輝かせた次朗さんを見ながらすとんと納得した。

 やはり師匠の弟子に悪い方はいないのだろう。というか、オレもいつかもし下ができたら、こんな風に甘々になってしまうのだろうか。それはちょっと遠慮したい。


 一瞬でころころ変わる場面に着いて行けずに思わず遠い目で現実逃避を始めたオレを余所に、次朗さんがはっと顔を引き締めて咳払いをした。

 もうばっちりでれでれの顔を見てしまったので今更だったが、せっかく機嫌が直ったのをまた悪化させたくなかったので、オレは黙って高い位置にある顔を大人しく見上げた。


「おうおうおう!おれさまが白鳴山の弟子の三番目、次朗だ!てめえ三太朗っつったか?しゃーねぇ今回は大目に見てやらあ!ありがたく思いやがれ!!」

 ふんぞり返って偉そうに宣言する次朗さんに、なんだか苦笑しか出ない。期待に胸を膨らませ、非常に歓迎してくれているのが手に取るように分かったからだ。

 多分、後輩がずっと欲しかったとかじゃないだろうか。その気持ちは分からないでもない。オレだって妹はいるけど弟はいない。妹は文句なく可愛かったが、弟がいればどんなに楽しいかを考えたことは勿論ある。


 そう思えばちょっと親しみが湧いた。改めて見れば次朗さんは、悪そうな見た目に反して、その目は子どものように無邪気だった。

 最初に怒鳴りつけられて怖かったけど、師匠を心配して大慌てで帰ってきたのだし、根は良い方なのだろう。

 そう思えば、自然な笑みを浮かべることができた。

「はい、ありがとうございます。これから宜しくお願いしますね、次朗さん」

「良い心がけだ。だが次はねえぞ!てっ!」


 上から凄んで見せた次朗さんが、後ろから頭をはたかれた。

「元はと言えばお前がいくら文を出しても帰って来ないのが悪い。全くお前は…」

 深いため息を吐いた師匠は、困ったように笑った。

「お帰り、次朗」

 しょうがない奴だとでもいうように、それでも優しく言われた言葉は、次朗さんの目を見開かせた。

「…ただいま」

 師匠から目を逸らした兄弟子は、怒ったようなぶっきらぼうな口調で言ったが、オレが感じ取ったのは、照れくささと少しの申し訳なさだった。



「さて、互いに挨拶も済んだようだし、三太朗はそろそろ戻るが良い。お前は向こうで少し話そうか、次朗」

 ぽんとオレの頭に手を置いて、師匠がにこりと笑って言った。

 何故だがオレの背中に寒気が走った。

――――可笑しいな。今夏だぞ?


「え゛。し、ししょーったらほらあ、おれは新しく出来た身内と親睦を深めるとか、挨拶回りとか色々あるし…」

 次朗さんも同じものを感じ取ったのか、脂汗をだらだら流して後退った。さっきまで自信満々だったのにもう目がうろうろと泳ぎっぱなしだ。本当に忙しい方である。

 対する師匠はいつも通りの笑みを浮かべている。ていうかこの方、今日の騒動の間も全く動揺せず、いつも通りを貫き通した。流石は百戦錬磨の長天狗。

 因みに双子の先輩たちはいそいそと玄関の方へ向かって歩き出していた。関わりたくないんですねわかります。


 次朗さんと師匠が相対する。

 絵面は大型肉食獣に相対した小型草食獣に似通ったところがあるが、実際の力関係と表情は真逆だ。

「ん、そうか」

 草食獣(ししょう)はいつもの穏やかな眼差しで、怯える肉食獣(じろうさん)を眺めて小首を傾げた。


「後の楽しみがあって良かったな」

 その手が問答無用で獲物の肩を捕まえて、死刑宣告が穏やかに発された。

 途端、瞬時に翼を出した次朗さん。師匠の手を振り払い、飛び上がるが。


「こら」

 軽々と跳躍だけで追いついた師匠が、易々とその身を捕まえた。

 真っ黒な翼が翻る。

 捕まえてはじめて翼を広げた師匠が、力強く一度だけ羽ばたいて次朗さんの均衡を崩すと、空中でくるりと振り回し、情けも容赦も無く次朗さんを地面に投げ落とした。


「往生際が悪い」

「……すみましぇん」

 落とされたとき、結構な轟音がしたのだけど、次朗さんは無事に生きていた。


 ちょっとだけ安心する。けど、当然のことだと思っていたからあくまでちょっとだけだ。

 だって師匠が力加減を間違うはずはないもの。


 けど、と、連行される次朗さんを見ながらオレは大人しく館に向かって踵を返した。


 オレは師匠を怒らせることが無いように気を付けようと思いました。まる。



次朗さんの着物の色について。

朱殷は暗めでちょっと渋い赤色で、淡黄も少しくすんだ明るめの黄色です。鉄紺は少し緑がかった紺色をイメージすれば近いかもしれません。気になった方は検索かけてみてください^^素敵な色です。


あと、活動報告にて、4000PV記念ラフ画を公開しております。

今回はユミさんです。

宜しければどうぞご覧になって下さいませ。


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