六 名前
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帰ってきたのは父の随従が二人、一の兄上の馬、そして、父と兄たちの遺髪。
それだけ。
父上も、兄上たちも、帰ってこなかったということは、そういう、ことだ。
帰還した随従たちから知らせを受けたとき、一の方さまが顔面蒼白になって倒れた。
妹が泣きじゃくる。姉上たちが、倒れはしなかったものの真っ青になってよろよろと座り込んだ。
兄上は遺髪の前で、嘘だ、嘘だと泣き叫んだ。
二の方さまは呆然としてしまっていて、主人たちのありさまに、家人たちにも動揺が広がっていく。
父たちが帰ってこなかったことはまだ実感が湧かなかったものの、場の異様な雰囲気が恐ろしくて、無意識に傍らに立った母の袖を握った。
放心したまま妹を撫でていた母は、びくっと一瞬身を震わせて、まるで初めて見るようにまじまじとオレを見た。
そして、顔色が悪いながらも毅然と顔を上げると、動き出した。オレに妹を任せ、姉たちに手伝わせて倒れた一の方さまを介抱する。
オレがただ、それを呆けたように眺めていると、ぱぁん!と何かが破裂したような音が場に炸裂した。
音の元では、泣き叫んでいた兄上が尻餅をついていた。その頬が手の形に真っ赤に染まっている。
「下の者の前で無様な!しっかりなさい!!」
いつも声を荒らげることなどしない四の方さまが兄上の前に仁王立ちしていた。
次いで力の篭った目で周りを見渡すと、風呂の用意に食事の支度、領地の里長たちへの使者を出すことなど、矢継ぎ早に指示を出す。
戻ったばかりの随従たちへ、戦の従者を務めた功績に礼を口にし、ねぎらいの言葉をかけて休むように取り計らうなど、まるで十年続けたことのように、場を完璧に取り纏めた。
そしてそれからは、寝付いた一の方さまに代わり、四の方さまが家を回していくようになった。
高遠、と名乗った天狗は、反射的に自分の名前を返そうとしたオレを再び止めた。
「名というものは、その者自身を表す特別な言葉。いうなれば最も簡潔な呪言だ。妖にみだりに真名を名乗ってはいけない」
呪言という聞き慣れないおどろおどろしい言葉が出てきて戸惑う。それに『真名』は真の名前、呼び名やあだ名とは違う本名という意味だろうか。
「妖に名前を知られたらどうなるんです?」
「名を明かすということは、己の本質を詳らかにし、魂を差し出すということに等しい。妖だけではなく、力ある術者は名を以て力劣る者を支配することができる。名を取られて逆らえず、意に染まぬことをやらされる羽目にはなりたくなかろう?」
質問に返って来た答えは、これが本当なら洒落にならないものだった。
つまり何か。悪い妖怪に名前を名乗ると、それだけで相手の下僕に成り下がる可能性があると。自己紹介が自殺行為になるとか何それ怖い。高遠がそんな妖怪でなくて本当によかった。
同時にはっと気付いた。
「あの、名乗ってよろしかったんですか?」
もちろんオレには天狗さまをどうこうする力なんてないが、もしかしてオレから悪人に名前が渡るということが無いとも言えないだろうに。
まあ、今の話を聞いた以上、恩人の名前は墓の下まで持っていくつもりではあるが。
密かに決意を固めるオレに、高遠はこともなげに言った。
「これは真名ではない。勝手に名乗っているだけの名乗り名。言うなれば偽名だ」
そういえばさっきは『高遠と名乗っている』と言っていた。名乗っているだけで、高遠というのが本当の名だとは確かに言っていない。
ものは言いよう。言葉をどう捉えるかは各人の解釈ということだろうか。
「色々訊きたいことはあろうが、今は相手をしてやれん。すまないが、帰ってからにしよう。急いで帰るつもりではあるが、遅くなるやも知れんから、先に休んでいると良い」
「あ、お急ぎのところお邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした!!」
オレが高遠の予定を狂わせていることに遅ればせながら気付いて謝るも、高遠はふっと雰囲気を和らげて微笑んだ。
「お前が気にすることではない。色々と思うところはあろうが、今は休め」
こちらに背を向けて障子を開け放つ。
遮るものが無くなって、漸く目にした外の景色に、目が奪われた。
苔に覆われた地面。所々に配置された大小さまざまな岩。その合間にちょろちょろと涼しげな音を立てる流れはごくごく細く、控えめながらも途切れることなく長く。それらを内包した広い庭は、壁も無く山へと続く。
そして、開けた視界の殆どを埋めて尚全てを収めきれない、苔むした巨木。
うねり、捻じ曲がりながらも上へ上へと伸び上がった幹は太く、それに支えられた枝々もまた頑健に太く。
だが真に目を離せなくなるのは、屋根を越えて聳えたその樹に、霞がまといつくがごとく咲き誇る、無数の薄紅の花だった。
あるなしかの風に吹かれてさらさらと舞い散る花弁は、夜闇にまるで燐光を放っているかのように浮かび上がり、幻想的なその景観に、我を忘れてしばし見入った。
――――ん?夜闇?
今まで昼過ぎ辺りに思えていたのに、なんと外は夜だった。
視線を引き剥がすように部屋の中を見る。とても明るい。しかし、どこにも灯りが見当たらない。というか室内に灯りを用意して得られる限度を超えていた。そう、まさしく真昼のような明るさだったのである。
そしてついでに気がついたが、高遠はもうとっくに出かけてしまっていた。
「あ、あああぁぁぁ…また…」
また礼を言う機会を逸してしまったのだった。
灯りもなしに明るい部屋の謎など、もはやちょっと脇に置いておける程度のものである。だって、天狗の家だし。と思ってしまえる辺り、中々図太い神経をしていることにそのときのオレは気付かなかった。後から振り返ると、大変な目に立て続けに遭ったがために感覚が麻痺していたのだった。
そんなことよりも真っ先に言うべきお礼の言葉がまた言えなかったことの方が重大であった。
まあ、あの高遠のことだから、そんなことは気にするな、と言ってくれるのだろうと想像は付くが、きちんと感謝の気持ちを伝えておきたい。恩返しどころかお礼も伝えていないなどと知れたら、きっと父上が夢枕に立って、そんな子に育てた覚えは無いとかってめちゃくちゃ怒られるに違いない。
「さあ、用意が出来ましたよ」
「さっさと手当てをして、ご飯にしましょ」
がっくりと肩を落とした俺に、ふたつの声がかけられる。
「あ…え、はい…」
この二頭のことを失念していた。
どんぐり色の丸顔のタヌキ。たんぽぽ色の細面のキツネ。タヌキもキツネも、目が非常に細い。もう殆ど線である。その目が、タヌキは目尻が下向きに垂れて、キツネは上向きに吊りあがっている。
絵に描いたようなタレ目とツリ目の組み合わせ。
服は揃いの縹色の作務衣に赤い前掛け。前掛けには墨色も鮮やかに、タヌキには『あ』キツネには『ん』の文字が書かれていた。
見たまんま服を着て二本足で立つ獣な彼らだが、人間顔負けの手際でてきぱきと傷の手当を進めて行く。
「おやま、熱を持ってしまってますねぇ、冷やしましょうねぇ」
「皮の破れたとこにちょいと薬を塗りますよ、染みますよぉー?」
「見事に真っ青になりましたねぇ、これは張り薬をしておきましょう」
「おや、肩も腫れてるじゃありませんか!これはちと、縛って固めておいた方が良いでしょうなぁ」
交互に上がる声を聞きながら、そういえば台所から聞こえた声はこの二頭だったのかと気付いた。
「あの、タヌキさん…」
手当ての手が止まって、一瞬でぴたりと喋り止んだ。唐突に訪れた沈黙に、思わず緊張して身を固くしてしまう。
二頭は合図でもあったかのように、揃って顔を上げて見つめてくる。目が開いてるかどうかも怪しいが、多分こっちをみているので間違いない。
「坊や、坊や。わたしはごんたろうと言いますよ」
「あたしはぎんじろうと申しますですよ」
「ああ、坊やの名前は聞いちゃあ主さまに怒られちゃうので、言っちゃあダメですよぅ?」
「そんでそんで、坊や。どうしたんです?他にどこか痛いところでも?」
オレが驚いたのを察したのか、ごんたろうタヌキさんとぎんじろうギツネさんは柔らかい声で話しかけてくれる。
他人から与えられる気遣いが、無性に温かい。人ではないが、そんなことに拘るのは、この場では意味が無いことのように思えた。
黙ってしまったオレを気遣って更に心配そうに覗き込む彼らに、なんとか笑みを浮かべて見せた。
「いえ、他に痛いところはありません。……手当て、ありがとうございます」
やっと口に出来たお礼の言葉に、ごんたろうとぎんじろうは、嬉しそうに微笑んだ…ように思った。相手が獣なので自信は無いが。
「さあさ、たんとお食べ!!」
手当てが終わって、隣室に連れて行かれたオレは、卓上に目が釘付けになっていた。
どんどん運ばれてくる料理の数々。山菜、根菜、畑で採れる野菜に川魚。そのどれもが手のかかった料理として皿に盛られているが、どうしても目が行くのは、大皿に山盛りの、肉!!
「主さまが坊やに食わせてやれと仰って、みんなが張り切って獲ってきた鹿ですよ。いっぱい用意しましたから、好きなだけお食べ!!」
持ち込まれた焼き物の七輪の上に乗せられた網に、ぎんじろうさんが次々に肉を並べる。薄く切られた赤身からすぐに脂がじゅうじゅうと染み出して、食欲をそそる香りがふわりとたちのぼる。
もうずっと空っぽだった腹が、きゅうぅ、と哀れっぽく鳴いた。
「遠慮なんかしちゃあだめですよぅ?体を治すにはたくさん食べてたくさん寝ること。お腹がすいてちゃ良い考えも湧きませんし」
ごんたろうさんが湯気の立つ山菜汁と、ほっかりと炊いた五分づきの米をよそってくれる。
ごくりと喉が鳴る。
さあさあと勧められるままに、背筋を伸ばしてしっかりと手を合わせた。
「いただきます」
食後に薫り高いお茶まで淹れて貰って、やっと人心地ついた。
「ご馳走さまでした。すごく美味しかったです」
「それは良かったです」
「作った甲斐があったってもんです」
食べ終わる頃にはすっかり餌付け…もとい、二人とすっかり打ち解けて、和やかに話せるようになっていた。
こんな美味い料理を作れるものに悪いものはいるまい。警戒心などという無粋なものはどこかに飛んでいった。美味い食事というのは偉大である。
「みなさんは妖怪…なんですよね?妖怪ってもっとずっと怖いものだと思っていました。取って喰われるとか、騙されて殺されるとか…」
キツネとタヌキは揃って肩をすくめた。
「大体の者はそんな感じですなぁ」
「そうそう、うちは主さまが人間びいきなもんで」
オレは運がものすごく良かったってことらしい。高遠さまは妖怪に珍しく人間が好きだという。
「へぇ、確かに高遠さまは人間に良く似た姿をしたらっしゃいましたね。あれは化けていたりするんですか?」
天狗といえば、赤い顔に長い鼻か、鳥の嘴をもっていて、どんぐりまなこで薮睨み、というのが定番である。あくまで聞いた話では、だが。
「いえいえ、あれはそのまま本当のお姿ですよ」
「そうそう、主さまは元々は人の生まれであられまして、ほとんどその頃のままのお姿なんだそうです」
「へぇ、もと人でいらっしゃ…る…?って、え?ええええええええ!?」
人から天狗になるとか、そんなの有りなのか!?
唖然としたオレを見て、二人は自慢げに胸を張る。
「主さまはもと人なのに、生まれつきの天狗の方々に張り合うお力をお持ちなんですよ!」
「というか、そこらの天狗の方々よりも強い力をお持ちで、天狗族の長の方々にも頼りにされているんですから」
「そうそう、生まれだとか途中からの成りものだとか言うのは、主さまを妬む小物ばかり」
「あたしらは、あの方以上に立派なお方を知りませんよ」
「そうですよ!他の種族や敵方にさえ評判の高いお方なんですよ」
どうやら元が人であるというのは、普通ではあまり良いことだとは思われていないようだ。だがそれを差し引いても一目置かれる人物であるらしかった。
「へぇ、すごいお力っていうのは、例えば風を起こしたり雨を降らせたりとか?」
昔聞いた天狗の話を思い出して聞いてみる。
「そうですそうです!それこそ長く雨の降らなかった真っ青なお空を瞬く間に雲で覆って大雨を降らせたり」
「かといえば長雨をぴたりと止めて、氾濫した川を即座に鎮めたり」
「それだけじゃないですよ!炎虎や土鬼でさえ動かせなかった大岩でも片手でひょいっと」
「余越大河の水の上を歩いて渡り、赤四木山の大瀑布をさえ駆け上り」
「千里の空を半日で飛び渡り」
「万里の彼方の探し人もすぐさま見つけ出して」
「風をおこせば大木もひと薙ぎ」
「剣を抜けば万夫不当」
「軍を指揮すれば百戦百勝」
どんどんとすごい話が積み上げられていく。
盛っているんだとは思うけど、火のないところに煙は立たないというし、大雑把に『すごく強い』て感じで思っておけば良いだろう。
少なくとも、配下にすごく慕われている人物だというのは間違いなかった。
作中のぎんじろうさんの一人称「あたし」ですが、これは落語なんかで商人のおっさんが使う、『わたし』が訛った『あたし』です。
ぎんじろうさんがオネェとかそういう訳ではございません。
それと、サブタイトルをちょっと変えます。
今まで『少年、~。』で統一していたんですけど、なんというか一覧で見てみるとすごくくどく感じたもので、止めようかと思いまして( ˘ω˘ ;)
あ!あと、当作品がいつの間にか累計約百四十PVという(((( ;゜Д゜))))
書きはじめたときは、ラストまで行って百PVぐらいあればいいよな、と思っていただけに、嬉しい驚きでした。
これからも頑張って書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。
とりあえずまずは早いとこ弟子入りさせなくちゃですね。。。