五十一 再会の約束 中
本日二話投稿中、こちらが後です。
なぜか書き終わらなくてまだ続きます。
「さてと、今日はお前たちに話しておかなければならないことが出来た故呼んだ」
長い前座がやっと終わり、師匠が真面目な顔で話し始める。
「白鳴山を見張らせる命を下した飛天狗及び色天狗の取り調べが終わった」
思わず宜和と顔を見合わせた。オレも宜和も驚きを禁じ得ない。命じられた宜和でさえ名前も顔も知らなかった者たちが見つかっていたのも知らなければ、調べが進んでいただなんて全く想像だにしなかったことだ。
「両名ともに『山を見張るようにと明言はしなかった』と証言している。見張らねばならないかもしれないとは言ったような気がするが、命を下してはいないので、下の者が勘違いして先走ったのだろう、とな」
「小生は、小生は決してそのような…命が下ったから来いと確かに…!」
「分かっている。少し落ち着け」
師匠が宥めるのに続いて、身を乗り出しかける友の肩に手をやって落ち着かせる。今の話を鵜呑みにしているのなら、師匠がこんな風にオレを同席させることはない気がしていた。
そんなオレたちの様子に少しだけ表情を緩めた師匠は、「そのような言い分が認められることはない」と言った。
「お前たち、覚えておくが良い。上位の者は下の者を使うが、同時にその者を預かるということでもある。下のしたことは上のしたこと。位に応じた責がある。下の者、つまり宜和、お前は任務に就いていた間に負傷した。我が山の付近には敵勢力があることを知っていながら何の手も打たず、助けも無く小天狗を単独で置き去りとはどのような道理も通らん。更にあれらは長たる俺を見張らねばならんと思ったことを認めた。この件は上の方で決着が付いているにも関わらず己の分を弁えんとは驕りも甚だしい。罰を以て当たるに然り。そもそも全て下の者が勝手にしただなどということはそれが例え真だとしても言い訳にもならん。下の者を御しきれぬ者を上に置いておく訳にはいかん。故に両名ともに降格の上十年の留置きの処分となった」
「降格、ですか?」
オレは思わず口を挟んだ。眉の辺りに力が入るのがわかる。
目の端で宜和がぎょっとした顔で首を振って止めようとするのに構わず、オレは師匠に向き直った。
「宜和は騙されてしかも置き去りにされた上に、傷だらけになって骨まで折ったっていうのに、その方たちは降格処分だけなんですか。宜和は命令されたら断ることなんて出来る立場じゃないって聞きました。逃げられない危険に放り込んでおいて、反省もしないで逃げようとしたのにそんなのでつり合うとはとても思えません。だって、ちょっと何かが違ってたら宜和は…死んでたかもしれないのに。あんなに、痛くて、苦しくて…怖くて!っなのに…!」
脳裏に過るのは、騙されていたことを知って呆然とする顔。鬼に圧し掛かられていたときに発された背筋も凍る程の恐怖。木の枝まで飛び上がったときのふらふらと頼りない動きと痛そうな表情。
宜和は苦しんでた。すごくすごく苦しんでいた。体も心も、すごく痛かったに違いない。命の危険は、あれは、そんなに軽く済むものなんかじゃないはずだ。
それなのに、原因になったやつらは『勝手にやったことだ』なんて、反省もせずに悪びれなく言い逃れようとする。そして下されるのは降格なんていう罰だという。
宜和の痛みを少しも知ることなんてなく、想像だにしないで罰を受け取って終わるに違いない。そうして、いつかまた同じことを繰り返すんじゃないか。そのときに苦しむのは誰だ。また宜和かもしれない。他の誰かかもしれない。もしかしたら…オレかもしれない。
憤ると同時に悔しさが滲む。
オレなんかじゃどうにも出来ないことだった。
「納得…できません」
こうして師匠に抗議したって何も変わらない。だというのに、オレにできることはこれだけなのだ。
唇を噛んで俯いた。無力が苦かった。
ふふっと、鼻から抜けるような柔らかい含み笑いが落ちてきた。
「どうだ、宜和。俺の弟子は。これほどの者は中々居るまい?」
何故か得意気に、機嫌良さ気な声がして、オレはばっと顔を上げた。
いや、機嫌良さ気なんかじゃない。紛う方なき上機嫌で、師匠は宜和に笑みを向けていた。そして、何故かその先の宜和もまた、酷く嬉しそうに照れていた。…どうでも良いけど、カラス顔とはいえおっさんの照れ顔というのはちょっときつい。
何故こうなっているのか理解が出来ていないオレにもまた、師匠は慈しむような目を向けた。
「三太朗、お前はやはり変わらんな」
「は…?」
増々謎なことを言う師匠の目は、酷く優しくて底知れない深さがあった。
――――どうしよう、師匠がいつも以上によく分からない。
「お前にはまだ分からんと思うが…」
はいと言いそうになって、咄嗟に言葉を飲み込む。心を読んだかのような頃合いだったけど、ただの偶然…のはずだ。
「降格というのは中々重い。昇格も降格も、隠し立てされることなく広く衆目に知らされるのが常だ。今回は俺も絡んでいるということで両名共に小天狗への降格が言い渡された。これで己らが粗雑に扱っていた者らに大きな顔は出来なくなり、更には自分が使っていた者に使われる立場となった。周りは降格とその理由を知る者ばかり。俺に楯突いたということで、俺の知己からは…まあ不当な扱いをする者はいないが白い目で見られ、更にその周りの者たちからも煙たがられる。逆境にあって頼れるのは本来は同格の者らだが、同僚となる者からどう接されるのかは、彼奴ら自身の日ごろの行いで決まるだろう」
下された罰の本来の意味を悟って合点がいった。
「つまり…これからその方たちは針の筵に座る訳ですか」
「更に、十年の留置きだ。留置きとは昇位を認めぬということ。つまり奴らは十年の間、特に理由が無くば小天狗のまま過ごさねばならん」
「十年…」
その長い日々を加味してみれば、罰の重みが罪とつり合う気がした。
「そうか、自分たちが軽く扱ってきた者と同じ立場に立たせる罰、ということですね」
「その通りだ。得心いったか?」
正直、まだオレには位階というものの重みはよく分からないけれど、周りからの当たりが強いというのがどれ程辛いかは察することができた。
下の者の恨みを買っていればいる程、罰は重くなる。周囲の当たりが強い十年の長さは…良く知っている。しかも罪を犯した者という評判は長く付いてくるだろう。長天狗に迷惑をかけたということも向かい風になるのだろうし。
「はい。納得がいきました。…生意気な口を挟んで済みませんでした」
師匠が認めている様子なのを考えず異を唱えてしまったことを反省した。疑問をぶつけるにしてももう少し言い方があっただろうに。
「生意気だなどと思うものか。他にも納得できんことがあるなら遠慮なく訊くと良い」
寛大に微笑ってくれるのが有り難い。もっと深く考えるようにしなくちゃと決意を新たにしながらも、温かい師匠の雰囲気につり込まれて微笑み返した。
「白鳴さま」
宜和が背筋を正して、張り詰めた声をだした。
「…小生の罰は、如何なものとなりますでしょうか」
「此度のこと、お前に責は無い。故に罰を下すにあたらぬ」
返された答えにオレはほっと胸をなで下ろした。本当によかった。
「何故にで、ございましょうか」
「先に三太朗が言った通り、お前は命じられれば従う他ない。その上此処が白鳴山とは知らされなかったという。ならば責める方に理が無かろう」
「…小生の言を全て信じてくださり誠に感謝にたえませぬが、例えば小生が騙されていたというのが偽りでない証拠は在りませぬ。なぜ罪なしとのお沙汰を頂けるのでしょうか」
雲行きが怪しい。
どうして宜和はこんなに食い下がるのか。無罪放免を素直に喜べばいいのに。
「ここがどこか知っていながら来たということは有り得んとの判断だ。白鳴山の周辺は故なき立ち入りを禁じられているからな。飛天狗ごときの一存で覆せるものではないのは末端の者も知っているはずだ。故に命じられても禁令を盾として拒むことができる。逆に協会へ報告すれば命じた方が罰されることとなるのは自明。お前が騙されていたと考えるのが自然だと結論された」
「白鳴山は立ち入りが禁止なんですか?」
――――普通に入ってしまっているのだけども。
「ああ。以前も言った通り、この辺りは多勢力が集まっているからな。山に入ればともかく周囲は安全とは言えんから、近づくのは原則禁じられている。まあ、知らずに来てしまったのならば仕方がない。今回の場合は、知らせず連れてきた者たちが責を負うのが筋だ」
最後の一言を聞いて、オレはほぅと息を吐く。公正な裁きに安堵してのものだった。だが、対照的にぐっと緊張を増す気配を感じて思わず振り返る。
「それでは、小生が納得参りませぬ」
「宜和?」
驚いたことに、無罪とされた彼こそが、不服を主張していた。
「そも、今のお話では小生が貴方さまに働いた無礼は勘定に入っておりませぬ。これでは我が罪を無かったことにしようとの仰せのように聞こえます」
黒い目に面白そうな光が閃いた。
「ほう、そう言ったのだとしたらどうする?」
「罪を知りながらそれを揉み消すのは、上の方のなさることでは…いいえ、小生が納得いかぬだけなのです」
一度口を閉じて目線をさ迷わせた宜和は、情けない顔で再び口を開いた。
「その、上手くは言えぬのですが、小生は正しくないことを致しました。簡単に許されてはならぬことをです。長位たる貴方さまのなさることに意見するというのも…正しくはないことですが、このまま有耶無耶になって終わるのはもっと、ずっと間違ったことのように思えるのです…」
語り口は拙くたどたどしい。だけど、今までで一番の覚悟と率直な心が籠っているように感じた。
「故に、自ら罰を望むのか」
「…はい」
「そうか」
声が元の硬さを帯びる。師匠に呼びかけかけて、思い直して黙り込んだ。
宜和の言うことは一理がある。覚悟があって申し出たことだと分かるからこそ止めるのは憚られた。
例えこの声の硬さと冷たさが、友達を刺し貫くものなのだとしても、止めるべきではないのだとなぜだかすとんと理解した。
理由はまだ、思い浮かばないけれど。
口出しできないなら、どんな罰を下されるのだとしてもせめて見守っていようと、微かに震える宜和を見ていた。
「……くっ」
――――はい?
緊迫感が高まる空気の中で、似つかわしくないものが聞こえた気がしたのだけども。
「くっははははは」
しんと静まった部屋を震わせたのは、楽しげな笑い声だった。
「…師匠?」
「ああ、良い覚悟だ。本当に短い間によくぞここまで伸びたものだ。見違えた。久々に良い若天狗に会った。驚いたぞ」
笑い収めた師匠は、珍しく開けっ広げな楽しさを放っていた。鮮やかな喜び。こんなに上機嫌な師匠は見たことが無い。
「宜和!」
「え、ははっ!」
オレと同じく呆気にとられて呆けていた宜和が、呼ばれて慌てて畏まる。
「良かろう。償いたいというのなら、俺からひとつ仕事を申し付ける」
「な、何なりと!」
師匠は満足げにひとつ頷くと、顔を引き締めて傍らの文机にあった紙束を取り上げた。
「順に話そう。これは知り合いが寄越した最新の敵勢力に関する報せ。こちらが天狗勢力の内部情勢の報告だ。これによれば、最新の調査によって我らが天狗の一党は数を減じつつあるとの結果が出たとある。このところは他種族による襲撃も多く、各地で争いが頻発。中央はいっそうの警戒を決定したが、減った数では戦力が心許無い。これを重く見た久那は、同胞を増やし育てよとの命を下された」
「久那が…」
ぽつりと呟く宜和に重ねて、口の中で「久那」と呟いてみた。
天狗の一族の長。不可侵の最上位者。二羽の声はどこか恭しい響きが帯びて、敬う気持ちが濃く在った。
「同胞を増やす…というのは、まさか人を天狗に?」
オレの疑問に、師匠は何故だか顔を顰めて是と頷いた。
「具体的には弟子取りを奨励し、下位者と雛の保護を徹底させ、際昊水を多く作ることを命じた」
うげっ、と思わず顔が歪む。天狗に成れる薬、際昊水で死にかけた身としては、どうしてもあのものすごい不味さを思い出してしまう条件反射だ。
仰け反ったオレの肩をぽんと叩いて、師匠は大真面目に苦い顔をした。
「際昊水は古いものほど良いと言われていたが、最近になって古すぎるものは毒であることが判明し、調査と審議を経て三百年よりも古いものの使用が禁じられた。古いものは廃棄され、その代わりとして新しく作るようにとのご下命だ」
非常に身に覚えがある。
思った以上に大事になっていた。師匠が際昊水を扱う手つきがとても丁寧なものだったのを思い出して、罪悪感から滝のように冷や汗が噴き出す。
ごめんなさい。大事な薬を棄てさせた原因はオレです。
「…久那の宣下は妥当であられる。だが、世の中には愚か者がいるものでな。どうやら際昊水の効果を高めて一儲けするために溜め込んでいた者が居たらしい。それだけなら良いのだが、古い薬が使えないと知るや、人に毒薬として売り払った」
「え?」
目が点になる、ということはこのことだろうか。
しばらく頭の中身がまっさらになった。ええと、つまりどういうことなのかな。
師匠を見上げれば、何とも言えない苦々しいお顔をなさっておいでで、そこには嘘を言った様子はひとかけらもなかった。
…つまり?
「……なんつぅことをぉおお!?」
思わず両手で顔を覆った。宜和がぎょっとしているけどそんなのは構ってられない。
「つまり何ですか!?あの味だけで人が死ぬ薬が大量に人の間に出回ったってことですか!?」
「…そうなる」
まさかの肯定にがくりと両手を畳についた。誰だか知らないけど飲まされた人ごめんなさい。毒の成分じゃなくて味で死ぬなんていう冗談みたいな死因を振り撒く原因になったの、ある意味オレです。
ていうか毒薬の売買なんてなんであるんだよ。そんな汚い商売してんじゃないよ畜生。そんな奴は際昊水飲んでくたばれ。
「ええと、白鳴さま…」
どんよりと影を背負ったオレをちらちらと気にしながら、宜和がおずおずと呼びかけた。
「小生はその、出回った薬の回収をすれば良いのでしょうか?」
わしわしと弟子の後頭部を掻き回しながら、師はいいや、と首を横に振る。
「そちらは他の者が追っている。実はな、出回った際昊水は、危険性はあれど効果は絶大。飲まされた者は多くは死ぬだろうが、天狗に変転する者が稀に、だが必ず出る見通し。それに加え、久那の御命を曲解し、人を山に誘い込んで霊に馴染ませ、際昊水を盛って変転させた挙句に支部に置き去る者が出たと、此度の報せにあった。多くの天狗は同族となった者を害しこそしないが、未だ天狗としての自覚が薄い者を仲間と認めたがりはしない」
「…酷い」
無自覚に呟いてしまって、理解は後からついてきた。
望まぬままに物の怪にされてしまって、頼れるものも無く、妖怪の只中に放り出される。どれ程の不安だろう。どんなに酷い苦痛なのだろうか。そして心の準備もなくあの薬を飲まされるなんて、なんて酷い。
「そうだな、酷い。まさに無情。非道の行いだ。だが、嘆こうとも事実そのようにして成ってしまった者が居るのは変えられぬ。この上罪なき同胞を打ち捨てることなど出来ぬ。故に頼る者無き者たちの救済の策が今、各地の支部で急ぎ進められている。しかしながら、変転には時がかかるのが通例。これから不幸なものは確実に増えるだろう。とても手が足りぬ。そこで、宜和」
「…は」
「お前は、救済の助力となれ」
「御意に従います…」
畏まった返事は、尻すぼみになった。自信なさ気にオレを見てくる。そんな、助けを求められても困るんだけどな…。
そんな宜和に師匠は破顔した。
「宜和、自信を持つが良い。此度のことにお前は適任だろう。何故ならお前は、三太朗の友だからな」
「師匠…意味が解りません」
自信満々な師匠をジト目で見てしまうが、師匠は更に笑みを深くする。
「三太朗は人だからな。お前は人に偏見を持たぬだろう?ならば、まだ人らしさが抜けぬ者たちにも、同胞として接してやれるのではないか?」
はっとオレたちは顔を見合わせた。
「そういう、ことでしたら。ええ、お任せ下さりませ!」
にわかに自信を持って頷いた宜和に目を細めて頷いて、良しと呟いた。
「悪いが、今このときも手が足りぬ。直ぐにでも発って欲しい」
「え…ちょっと待ってください師匠!」
焦った勢いのまま、宜和を指し示した。
「宜和は、大分良くなったとはいえまだ傷も完全に治っていないし、腕も折れてます!こんな状態で…「三太朗」
穏やかな声が遮ったのを、信じられない想いで聞いた。
「宜和…」
振り返った宜和は、声と同じく、酷く穏やかな眼差しをしていた。
「気遣ってくれるのは本当に、とても嬉しいぞ。だが良いのだ。三太朗。ワシが役に立てる場所があるというのなら、直ぐにでも行きたい。命じられるまでも無く、ワシが行きたいのだ。なに、聞けばワシに求められておるのは、労働ではないようであるし、傷を負っておっても話し相手には成れよう。話を聞いて少しの言葉を返してくれる、それだけで救われるときというものはあるのだ。お前がワシにしてくれたように、な」
まあお前のように上手くやれるかわからんが、と笑って言うのを、なぜだか見られずにオレは俯いた。
「だって、片腕だったら、何をするにも不便だぞ…?助けてくれる仲間は、いるのかよ…」
不安げな、弱々しいオレの声。対する宜和の声はどこまでも快活だった。
「むぅ、それを言われれば少々痛いが、どうとでもなろう。何故ならな、ワシはこれから、新たな同胞に会いに行くのだぞ?仲間ならば、助け合うのが自然なのではないか?で、あるならば、頼めば少しの手伝いをしてくれる者も居ると思うのだ!」
頼めば、なんて考え方が、自然に出来るようになったんだな、なんてことを、殆ど止まったような頭の片隅でぽつりと考えた。
同時にずきりと胸が痛む。体じゃなくて、心が。
同時に、オレは自分が何故こうも暗く沈んでしまうのか、その原因に思い当たって息を吸った。
そうして半ば無理やりではあったが、気合を入れた。
――――笑え。
自分に命じて顔を上げる。宜和の目に映ったオレは、呆れ混じりに笑っていた。
「…まったく、その自信はどこから湧いてくるんだよ?今まで根性ねじ曲がりすぎて友達居なかったんだろうに、見ず知らずの奴とちゃんと仲良くできるのかよ?」
「むむっ、その言い草は心外だぞ?現に、ワシとお前は今ちゃんとやれているではないか」
「ばーか。オレなんて例外中の例外だっての。オレ基準で考えたら絶対失敗するぞ!」
「そんな自信たっぷりに言って、分かっておるのか。自分で自分を変わりものだと言っておるようなものだぞ?」
「そう言ってるんだよ!」
「ほんとにそうだった!?」
くっくっと、抑えた笑い声が耳に届いて、オレたちは揃って声の主に目を向けた。
「ああ、良い友ができたのだな。さて、腕の話だが、俺からの餞別だ」
とん、と小さな壺が畳に置かれる。
手のひらに乗ってしまう程の、茶色の壺だ。普通の蓋が付いていて、呪術が掛かっている訳でもなければ、怪しげな気配を撒き散らしている訳でもない。
「これは…?」
興味深げに首を伸ばした宜和に、師匠は「薬だ」と答えた。
「砕けた骨を治す薬"填骨練"丁度切らしていたのだが、先ほど届いた。これを使えば一刻程で腕は治るだろう。それと、少し待て」
師匠は身を捻って文机の紙にさらさらと何かを書き付けると、それを壺の横へ並べた。一通の書状だった。
「これは、東都の支部長をしている知り合いへの紹介状だ。実は、彼の支部では師無く変転した者を教育するために、学び舎を作ろうとしている。お前も師を持たんのなら、そこで学べるように取り計らってくれるように頼むものだ。良く学ぶが良い」
じわり、と目に光るものを溜めて、感極まったように宜和は頭を下げた。
「何から何まで!誠に、誠にありがとうございまする!!」
良いさ、と笑った師匠の顔は、見慣れた笑みがうかんでいた。
「お前が気にすることはない」
オレは、胸がいっぱいになって、もう限界だった。
「師匠」
いつものような声を心掛けて呼びかければ、師匠はやはりいつものように何だと返してきちんとオレの目を見てくれる。
「もう宜和は平気みたいだから、オレ今日の分の木登りしてきますね」
そう言って、返事を待たずに立ち上がった。
「え、おい、三太朗…」
やはり遥か上位の方と一対一というのは避けたいようで、宜和が不安げにおどおどと何か言っている。それに「大丈夫だって」と明るく笑って見せた。
「もう平気だよな。師匠は優しい方だってお前も分かったろ。オレもやんなきゃいけないことあるんだよ。じゃ」
そう言って、反論できずに黙った宜和の脇を通って部屋を出た。
振り返らずに襖を閉めて玄関へと向かって歩き出す。
段々早足になって行くのを止められなかったが、努めて足音は殺して歩いた。
「宜和」
取り残された気分で襖を眺める宜和に、高遠が声を掛けた。
「は、はい…」
恐る恐る振り返った彼が見たのは、神妙な面持ちの長天狗だった。
「先に、言っていなかったことだが…お前を連れて来た鴉天狗だが、実は行方が分かっておらん」
「は!?」
驚愕して見開かれた目に向かって、事実だ、と静かな声が掛かった。
「支部に帰還したところは、何羽かの者が見ているのだが、その先の足取りがとんと追えぬ。今なお調査中ではあるそうだが、何かが起こっていることは確かだ。重々、用心するように」
重々しく齎された忠告に、宜和はぶるりと一度身震いをした。
「は、はい。承知いたしました…」
ああ、と難しい顔で頷いた高遠は、珍しく何かに迷う素振りで目を泳がせた。
「あと、もうひとつ…頼みたいことがある」
「…小生にできることでありましたら」
半ば怖がっているような顔をした小天狗に、高遠は静かに頷いた。
「お前にしか、頼めぬ。…三太朗のことだ」
一瞬の間を置いて、宜和は居住まいを正した。
「なんなりと」
その答えに、黒い目がふと微笑んだ。
「あいつは、将来強くなるだろう。俺がそのように育ててみせる」
凛と言い切った言葉は、他の者が言えば傲然と響くのだろうが、高遠の声には気負いも驕りも無かった。
「だが、詳しくは言えぬが少々厄介な事情を抱えていてな。必ず、大きな困難に遭うことになる」
ふと、黒い目が外れ、弟子が出て行った襖を悩ましげに映す。そのときに、と続く声は、どこか祈るような響きを帯びた。
「気が弱っているようなら傍にいてやって欲しい。悩んでいるようなら声を掛け、困っているようなら力になってやって欲しい」
「…それは、友であるならば当然のことでございます」
困惑したような答えに、ふと高遠は瞬いた。
「そう、だな。そう…」
再び宜和を向いた目は、しっかりと宜和を映した。
「あいつの、友のままでいてやって欲しいと、思う」
対する小天狗は、初めて遥か格上の天狗に胸を張って堂々と答えた。
「畏れながら、言われずとも当たり前のことでございます」
※作者は三十一歳はおっさんじゃないと思うんですけど、十一歳の三太朗から見るとおっさんなのです。
作者は、おっさんじゃないと思ってます。(大事なことなので二回)