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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
57/131

五十 再会の約束 上

本日二話投稿中、こちらが先です。

続きます。




 磨き抜かれた廊下にひたひたと足音が響く。

 昨日と同じように、歩くオレの背後には宜和が続いていた。

 ただ昨日と違うのは、宜和がよりいっそう気弱な様子をしていることだ。まるで館の静寂に溶けてしまおうとするように足音をひそめ、息も凝らして体を縮め、顔を強張らせて。

 だが哀しいかな。背筋を伸ばして前を歩くオレよりも立てる音は大きかった。静かな廊下を行けばその差は増々明らかで、背を丸めた宜和がまるで酷い失敗をしたように落ち込んでいるのが手に取るように分かる。歩くにつれて段々とうち沈んで行く後ろの気配が気がかりだった。


「…大丈夫。師匠は優しいから」

 そっと言えばそれだけでびくりと肩を揺らした宜和は、ややあってからどうにか肯定らしき音を喉から押し出した。


 やがて辿りついたのはひとつの襖の前。手振りでここだと示して、きちんと膝を揃えて床に座った。

 おっかなびっくり真似をする宜和が動きを止めるのを待って、師匠の部屋に向き直る。


「師匠、宜和を連れてきました」

「入れ」

 静かな声が促して、また宜和の肩が揺れた。




 そっと開いた部屋の中。文机に向かっていた師匠が振り返る。

 師匠の部屋はいつも通り静かな空気に満たされて、華やかな置き物もない実用的な佇まい。ただ、どんな煌びやかな宝物よりも美しい、桜舞い散る中庭の景色が一幅の絵画のように殺風景な部屋を飾っていた。


「来たか」

 師の黒い目が、頭を下げたままがちがちに固まっている宜和を映し、次にオレに向いた。


 師匠の気配はいつも通り静かだ。不機嫌もなにも感じない。だけど…なぜかいつもとどこか違う。どこをどうとは言えないけど、そこに浮かぶ色は普段の温かみが感じられない気がした。ただほんの少しのことだというのに、そこに漂う違和感に、初めて会ったかのような余所余所しさを感じてしまう。

 そこにあるのは、強いて言うなら拒絶だろうか。目が合った瞬間に黒い目がとある記憶の中のものと重なる。弟子入りを申し入れたとき、師匠はこんな目で駄目だと言った。

 オレはなんとなく不安な視線を返した。


「あの…もしかして、オレお邪魔でしたか…?」

 思いつく要因はそれしかなくて、問う声は我ながら随分弱々しく聞こえた。

 隣で宜和が息を詰める。流れてくる不安が強まった。もしかして自分の所為だと思っているのかもしれない。

 師匠の目はひとつ瞬いて、それから少し微笑んだ。冷たいような硬いような雰囲気はその瞬間に消え去って、そこに居たのはいつもの師匠だった。


 師匠が微笑んだまま手招くのに従って隣まで進む。傍らに正座すればいつもの重みが頭に乗った。

「お前が邪魔などということはない。寧ろ後で話そうと思っていたから丁度いいさ」

 聞き慣れた柔らかな声に、緊張で冷えかけていた心がふっと温かくなる気がした。


「顔を上げるが良い」

 次の声は宜和に向いた。その声に思わず見上げれば、師匠の眼差しは元のように静かな硬さを含んだものに変わっていた。

 僅かな変化。だが確かなそれに、身内とそれ以外を分けて接していたのだとそんな当たり前なことを今更気付いて愕然とする。


――――身内にはいつも通り師匠は優しい。けどそれ以外は…?

 分からない。そういえば師匠が宜和に冷たく接するのをやめたのかどうかさえ知らない。もしやめたのだとしても、オレは師匠が身内以外と接しているのを見たことがないということを思い出して、焦りがじわりと湧き上がる。果たして師匠は、宜和(たにん)をどう扱うんだろう。

 師匠なら大丈夫だ、そう思いはするものの、きゅっと胸の内側が縮むような心地がした。


 応えておずおずと身を起こした小天狗の顔を見て、師匠はふむと頷いた。

「傷は大分良いようだな」

「は、はい。て、手厚い治療を頂いたお蔭で、こ、この通り痛みも引きましてか、過分なご配慮に誠にきょ、恐悦至極…」


 言葉はしどろもどろ。顔は強張って目は泳ぎ、明らかに小刻みに震えている。緊張し過ぎである。開いた口から出るのは中身のない言葉ばかり。

 これでは師匠が気を悪くするかもしれない。

 それじゃ駄目だと伝えたくて、祈るような気持ちでこそっと首を横に振ったら、定まらない視線がオレの顔で僅かの間止まった。

 見開かれる目。嵐のような混乱と、恐怖に似た焦燥が渦巻くその中に、オレの姿が映り込む。


――――落ち着いて。

 ほら見ろよ、師匠はじれったい長話も根気強く待ってくれてる。少しの失礼をしたって怒鳴ったり手を上げたりなんか絶対しない。お前を責める者も、傷つける者もここには居ない。だから落ち着いて。

 言いたい言葉は長すぎて、とてもじゃないが伝えられないことが歯がゆい。せめて『落ち着いて』と声に出さずに口を動かした。


 ひゅっ、と息を飲むような音が嘴から漏れて、しどろもどろの声が尻すぼみになって途切れた。伝わったのかは分からない。ただ不安を内包した目がオレから外れて師匠を映す。

 言葉が切れた合間にも、師匠は口を挟まずにじっと宜和を見ていた。


「そ、その…言わなければいけないとずっと、思うていたことがあります…」

 震える声が、懸命に絞り出された。最大級の勇気を振り絞っているんだとオレには分かる。強張る肩。握り締められた手。必死に心を支えているのが痛い程伝わってくる。

 宜和が頑張ってるのを分かっているオレからすると固唾を飲んで応援せざるを得ないものだが、中身のないことを言いまくった挙句突然具体的なものが何もないことを言われたら、師匠からすると好意的にはとても思えないだろう。大丈夫だろうか。


 オレの心配を余所に、師匠は一度促すように頷いた。

 宜和はというと、却って口を開くのを躊躇(ためら)い、一度唾を飲んで恐れるように身震いをする。

――――頑張れ…!

 知らず知らず握った手にじわっと汗が湧く。口の中が乾いてきて唾を飲んだ。


 ついに宜和が意を決して口を開いた。

「小生は、白鳴(はくめい)さまに多くの無礼を働いてしまいました。それをお詫びせねばと、ずっと―――」


 伸びた背筋。苦悩を発して寄せられた眉根。先ほどのつっかえつっかえの早口ではなく、噛み締めるようにゆっくりと押し出される言葉。

 宜和が知らない他人のように思えてしまって、一度瞬いた。師匠を聞き慣れない呼び名で呼んで張り詰めた声で語る彼は、瞼が作る一瞬の闇を経ても変わらなかった。

 不意に目線が師匠ではなく此方を撫でた。


「―――いえ、ずっと小生は、それが恥だと気付くことも、出来ておらなかったのです」

 すっと、その目は真っ直ぐに師匠に向かう。

 焦り、恐怖、緊張。彼から発されていたそれらを押しのけて、もうひとつの心が浮かび上がる―――悔恨。


「己の勝手な想像を真実のように思い込み、他者の粗ばかりを探し、見つからなければときには作り出して、自分より下に見ようとしておりました。努力もせず、楽な道を探して、他がどうなるかなど考えもせず。それが当然だと、何も自分は悪くはないと…」

 ぐっと震える拳を握りしめ、今までの途切れ途切れの口調が嘘のように、滑らかに打ち明けていく。

 その相貌には―――覚悟。


「そうして何も考えることなく、命じられるまま白鳴山を不躾に見張りました。助けて頂いたのにもかかわらず貴方さまを侮り申し上げました。無礼な暴言を吐き、後先もご意向も考えず、捕らえられた鬼に手を出そうとし、更に配下の方々も…他の種族であるというだけで見下しておりました。今思えば赤面の至り。返す返すも、恥じ入るばかりにございます」


 必死に謝る宜和を昨日見た。何度も何度も自分が悪かった、反省していますごめんなさいと頭を下げて許しを請う彼を見てきた。

 昨日の彼も心から謝っていた。それは疑いようが無いのに、今の宜和はもっとずっと―――恐ろしい程真剣で、鬼気迫るものがあった。


「小生は愚かでありました。恩を仇で返さんとしてそれを恥じず、更に畏れ多くも長位(おさい)に在られる貴方さまに無礼を働きました…っ。許されざること…今更何を言おうと挽回できるものではございませぬが、お侘びしたく思います!」

 宜和は、折れた腕を庇いもせず、体を折り曲げるようにして額を畳に擦り付けた。そのまま大きく息を吸い、叫ぶ。


「申し訳ございませんでした!!そして長の口上をご清聴頂き、誠に感謝に堪えませぬ!この身この命を以てしても償いに足りるとは思えませぬが、せめてこの上はお罰を頂きとうございます…っ!!」


――――罰…?

 友人の後頭部を見下ろした。

 じわりと及ぶ理解。湧き上がる焦燥。

 彼が殊の外緊張していたのは―――罰を受けようと、覚悟を決めていたからだったのか。


 天狗は身分社会だ。そう聞いていた。人と同じだ。

 師匠は長天狗。一番上。オレ(ひと)の常識に当てはめるなら…一番上は、国主。仮に両者を同じ位置に並べて考えると、宜和は国主に無礼を働いたに等しい。

 普通に考えて、お咎めなしで済ますことなど出来はしない。

 宜和の位階は一番下。位階に照らして罪に罰を決めるなら―――『この身この命を以てしても』という言葉が耳の中で木霊する―――無事に済むことは無いだろう。そして宜和も、それを知っている。


 何か言わなければ。そう思うのに、震える喉は声を作ることが出来ない。オレが口を挟める問題ではないと知っているからだ。

 身分とは、上に立つとは、そういうことだ。(のり)を守るのにけじめは必要なものだ。何をしようと咎め立てされることがなくなれば、上下を絶対とする秩序は簡単に壊れる。悪しき前例を作るのは避けなくてはならない。そう教えられてきた。


 武家になど生まれるのではなかった。生まれて初めて切実にそう思った。普通の家に生まれていたなら、無責任に、無邪気に『宜和を許してあげて』と師に言えたのに。


――――だけど。


 知らず知らず詰めていた息を、意識して吐いた。


――――だけど、罰を与えるのが師匠だって言うんなら。


 今まで見てきた師匠を思い返す。知らない師匠を想像するんじゃなくて、オレの知っている師匠を丁寧にひとつずつ記憶から拾い上げる。焦りで空回り始めていた頭を一度止めて師匠を振り仰いだ。


 その先の師匠は―――目を細めて微笑っていた。

 こちらに機嫌良さげな眼差しが向いて、更に可笑しそうに笑みが増す。

 そして肩に力が入ったまま硬直したオレの頭をくしゃくしゃとかき回してから、同じく動きを止めた宜和に、顔を上げるようにと重ねて命じた。


「僅かな間に良い目をするようになったものだ。驚いたぞ」

 目を細めて、おずおずと身を起こした宜和に嬉しげに言う空気は、親しみに満ちて柔らかかった。


――――ああやっぱり。

 師匠はオレのよく知ってる師匠だった。同胞を大切にするこの方が宜和に酷い罰を下すなんて、そんな訳は無いんだ。

 体の力が抜けて行くのを感じて、思わず苦笑した。宜和を緊張し過ぎだと思っていたけど、この様じゃ他人のことを言えないじゃないか。


「お前の手柄か、三太朗」

 油断しているところに笑い含みの声がかかって、一瞬きょとんと見返した。


「え!?え、あの、いいえ!オレは別に何も!!」

 言われたことに一拍遅れて理解が及んで、慌てて否定する。

 オレがやったことと言えば、気に入らなくて

喧嘩腰で言いたい放題言っただけ。ちょっと相談に乗ったり友達になったりしはしたけど、特別なことはやってない。

 頑張って変わったのは宜和だし、オレの助力なんて大したことではなかった。


 そういうことを伝えようと、慌てる頭で言葉を組み立てようとしていると「は、はい」と後ろから震える声がかかった。

 嫌な予感がする。

「あ、過ちを気付かせてくれたのは、三太朗でございます。小生がお詫びすることができたのは彼のお蔭です!」

――――語尾が微妙に震えるぐらい緊張しながらも、こんな殊勝にオレのお蔭だって一歩下がるようなことを言うようになるなんて、オレちょっとびっくりしちゃって声が出ないよ。感動したよ宜和。嬉しいけどそれは師匠には言っちゃダメだ!


「やはりな。お前は聡いと思っていたが、天狗一羽を更正させるとは流石は三太朗」

「えっ、ちがっ…!」

――――ほらやっぱり!なんでやたらオレの自慢をしたがるかなこの師匠は!?オレの居ない間に晩酌しながら皆さんに色々言ってるらしいのは知ってたけど本人の目の前で言うか普通!


 何とか師匠を止めないといけない。このままでは友達にオレの自慢話を語るのに立ち会うという苦行が始まってしまう。

 だけど何か言う前に、いつも通り過ぎて避けられない程の自然さで撫でられはじめた。師匠はこれまたいつも通り非常に嬉しげににこにこしているので、さながら小さい子どもをいい子いい子している親だ。親の下に馬鹿が付く類の。


 そしてそんな光景を、宜和が見ているのである。


 顔に一気に熱が上がる。思わず師匠の手を捕まえた。

「ちょっ、やめてください師匠っ!」

 師匠は気を悪くするどころか更に笑みを深くしている。やめる気なんかこれっぽっちもないのは明らかだ。


「いかにも、お弟子さまは小生など比にならぬ程に聡くていらっしゃる」

「宜和も黙ろう!?」

 宜和がにやにやしながら口を挟んだ。さっきの緊張どこいったよ!何がお弟子さまだよこの裏切り者!あ、まさかこいつ筆の件の仕返ししようとしてないか!?



「うちの三太朗は子どもとは思えん程に賢いだろう?」

「そ、そんなことないですから!」

「ほんに、長天狗のお弟子になれる訳だと感心しきりにございます。まっこと将来が楽しみですなあ」

「宜和もやめろよ!」

「ほう、お前もやはりそう思うか」

「はい勿論」

「やめてってば!」


 大したことないことを大袈裟に褒めまくるなんて酷い子ども扱いだ。と、恥ずかしさを誤魔化す為に憤慨してみる。

 師匠はともかくなんで宜和までオレを年下みたいに扱うんだ…というところでそれ以上思考を進められなくなった。

 気が付いてしまったのである。

 中身はオレと同い年かそれ以下っぽい宜和だが、よくよく見るとなんと大人だったではないか!

 信じがたいことに、宜和は最初からあっち側(おとな)だったのだ!!う、裏切り者!


 オレはようやく不利を悟った。この場にオレの味方はいない。というか良く考えたらこの山には子ども扱いをされたくない十一歳の味方は誰も存在しなかった!

 たった一人でこの話の流れを修正するのは残念ながら不可能。援軍もない。勝ち目は見えない。ならば道はひとつ!


「し、師匠!お忙しいなら本題に入ったらどうなんですか!!」

 オレは更に盛り上がるふたりの話をぶった切った。


「あー、そうだったな。分かった分かった」

 師匠は胡座の脚の片膝を立てて座り直した。一応ちゃんと聞き届けて本題に入ってくれるようである。…二羽ともが顔に朗らかな笑みを残しながらこっちを見ているのは無視だ!しょうがないなぁもうこの子はふふふ、みたいな雰囲気も気にしたら敗けだ!


 何故かもう一度撫でようとしてきた手はすかさず腕で防御して、にらみながらふんすっと荒い鼻息で抗議しておいた。

 まだ顔が熱いのは気にしたらダメなんだってば!



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