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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
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四十九 呼び出し



「失礼します主さま。お届けものですよ」

 荷物を抱えたキツネが、開いていた障子の陰からひょっこり顔を覗かせた。


「来たか」

 書き物から顔を上げた高遠は、どこかほっとしたように顔を綻ばせた。届け物を待っていたようである。


 受け取ったのは紙包みがふたつ、布包みがひとつ。布包みは厚手の布が使われているが、形からして中身は手のひらに乗る程の壺のようだ。一方で紙包みは、その両方とも何か物が入っている程には厚くはないが、紙だけだとすると中々の厚みである。


足柄(あしがら)と…恵奈(えな)か」

 布包みを一瞥だけで横に置き、紙の方に書かれた名をそれぞれ読み上げて、後者に目を細めた。


「主さま主さま、お遣いのカラスを待たせていますけども、直ぐにご返書なさいますか?」

「…」


 紙包みの中身は果たして手紙だった。文字で埋められた紙を広げてじっと目を落とした高遠は、問いかけに暫く答えなかった。

 ざっと二通ともを終わりまで目を通した彼が顔を上げたとき、それまでと打って変わって表情は厳しく変わり、手紙の中身が良いものでなかったことを言外に教えていた。

「直ぐに書く。もうしばし待つよう伝えておけ」

「はいな。主さま」


「…ああ、それと」

 一礼して出て行きかけたぎんじろうを引き留めて、高遠はほんの少し考えてから口を開いた。

「あの小天狗に会う。連れてこい」











 そういえば、とオレは懐から竹の棒を取り出した。

 柄の先に付けた筒を外すと、中から現れたのは薄茶色の毛束―――筆である。

 艶やかな細竹の柄は漆塗りの黒。貝細工の桜が控えめに象眼されている上品な物で、高価なものだという雰囲気をそこはかとなく漂わせている。

 値段こそ教えて貰えなかったものの、どう考えても子どもが持つには立派過ぎて、オレの手の中にあると在る場所を間違った感じがすごくする一品である。


 ついでに言うと使うときには当たり前のように墨が無限に湧き出してくる不思議な筆だ。最初に使うときに墨を擦って付けたのだけど、掠れもせずにずっと墨が続くので気付いた。しかも水で洗うと墨が抜けてすごくきれいになる。なんだこれ。術か。すごいな、術。


「これ、使えよ。勉強するんだろ?だったら書くのが一番だ」

 オレはそれを何気なく宜和(よしかず)に差し出した。


 反射的に受け取って、それから宜和は手の中のものに目を剥いた。筆は宜和の手の中にあっても『ここは自分に似つかわしくない』と抗議しているみたいに、強烈な違和感を発していた。そして宜和も『これは自分が持つ物じゃない』と思っている。そんな顔だ。

 それを見ているオレは真顔だ。オレもこれを初めて持ったときに、同じような顔をしたに違いないからその反応を笑えないし笑わない。


「こ、これをどうしたのだ!?まさか、山主さまが貸して下さったのか!?」

「違う違う。これ、師匠がオレにくれたやつ」

「おまっ、お前の!?」

 宜和は絶句した。


 くっくっと、座布団にどっしり腰を落ち着けたヤタさんが含み笑った。


「たかが筆一本で大袈裟よな」

「…左様でございますか。…あの、ですが…小生には分不相応な品でございまして…あの…」

 言いながら手の中に握ったままでは汚れるのではと気付き、あわあわと畳に置こうとして床に直接置くのにも寸前で躊躇した宜和は、助けを求めてうろうろと目を泳がせた。

 完全に挙動不審である。


「ふん。なんと気の小さいものよ。そこな小僧の方が肝が座っておるわ」

 カラスの黒い嘴がこちらに向いて、つられたように"途方に暮れた"と頬の辺りに書いてあるような顔もこちらを向いた。


 ヤタさんから見たら、初めてあの筆を受け取ったオレは落ち着いて見えたんだと今初めて知った。

 オレは言いたい。声を大にして言いたい。

 あれは落ち着いていたんじゃなくて、手の中の物に驚き過ぎて表情が抜けていたんだと。そしてそれをどうすれば良いか分からなくて身動き出来なかっただけなのだと。


 だから宜和の気持ちは分かっている。全部分かってる。そしてお前は忘れてるよな、宜和。今の状況、オレがその筆を持ってきたからなんだぜ?


 すがるような目を受けて、オレは遠い目をした。


「オレは…慣れたよ」

 そう、オレはもう慣れていた。オレのために(あつら)えたのだと差し出された物の数々。そしてその殆どが特注だという品々を渡される度に(おのの)き震えることに…。

 思い返せばその滑稽さにふふっと笑みがこぼれた。自嘲の笑みだ。


「何を悟ったように笑っておるのだ!?お前はまだ何事も諦める歳ではないぞ!まだまだこれからではないか!!」

 血相を変えた宜和が励ます。支離滅裂だが気遣いだけは伝わってくるそれに、オレは項垂れて力無く首を振って見せた。


「…いいや、オレは現実を知ったんだ。師匠に弟子入りした者の宿命なんだって…だってさ、『物を大切にする癖を付けるには良いものを長く使うことだ』とか言って…触るのも気後れするような高価なものをどんどん贈られてみろよ…」


「こんな品が、どんどん…?」

 ごくりと唾を飲み込んで、宜和は憧れや羨みを通り越して唖然とした顔をした。それを憂いに満ちた眼差しで捉えて、ふっと息をついた。


「もう、自分の持ち物にびくびくするのは、慣れたよ」

「そっちに慣れてしまったのか!?」


「…何をやっておるのだ」

 ヤタさんが呆れた様子でがあと鳴いた。


「えー。ヤタさん、ここは話の流れに乗ってくれなくちゃ」

「むっ、そういうものなのか?」

 表面上は泰然としながらもちょっと焦ったヤタさんに力強く頷いて見せた。

「そうですよ。せっかく先輩たちに大ウケだったのにー」

「むぅ…?」

 憮然として唸った声に、壁際から紀伊さんと武蔵さんの開けっ広げな笑い声がまた上がって、宜和も楽しそうに頬の羽毛を膨らませた。




 宜和に宛がわれた客間には、和気藹々とした空気が充ちていた。

 あれからまだ一日だというのに、部屋の雰囲気は大違いだ。


 宜和の土下座行脚の成果である。

 タチさんに謝罪を受け入れてもらったことで一念発起した宜和は、白鳴山(はくめいざん)のモノたちに謝って回ったのだ。

 変わろうという決意が本物だということはすぐに分かった。顔つきは真剣そのもので、最初に会いに行ったユミさんの絶対零度の眼差しにも泣きそうになりながらもめげず、一応の許しの言葉を得るまで謝り続けたのだ。それにしても隠れて見ていたオレの背筋まで寒くなるような、見たことのない冷たい目だった。ちょっとユミさんの見る目が変わった瞬間だったが、そんなことはまあ良いとして、宜和の根性には正直驚いた。本気で過去を悔いて変わろうとしていたのは十分に分かった。ならばオレも協力しない訳にはいかないと助力を惜しまなかった。

 いやあ大変だった。まず目当ての方を探して、会ってくれるように頼み込んだ後で宜和を連れて行くんだから、廊下を何往復したことだろう。

 鬼夫婦の家も行ったし、野外のジンさんも探し出した。


 もちろん宜和も必死に頑張った。

 米搗飛蝗(コメツキバッタ)のように何度も頭を下げる様子は下っ端の哀愁に充ちた姿だったが、許してもらえるまで謝り続けたその真摯な姿勢に、元々優しい皆さんは最後にはちゃんと許してくれたのだ。

 多少渋い顔の方はいたけれど、それでも許してくれたことで宜和の心の荷が大方降りたみたいだ。

 今もさっぱりとした顔で笑っているのを見ていると、良かったなと素直に思える。


 まあ、肝心の師匠はお忙しいということで、まだ会えていないんだけどな。




「無限墨の筆…ぽんと弟子に贈るとは…(おさ)位はやっぱり違うのだな…」

 ふっと遠い目をして宜和が黄昏た。

 顔は斜め上の天井を向いて…いや、屋根を突き抜けて空を見ている。空は青くて広くて、触っても傷つけたり汚したりしてはいけないものが何もないもんな。空って良いよな。良く解る。だけどな、お前が本題を忘れてるのも感じる。だから―――


「これで勉強できるな!」

―――現実逃避はさせ(にがさ)ない。


「いやっ…そのっ」

「ここまで揃ってるんだから、もう勉強が嫌だとかって言わせないんだからな!」

「あのっ、嫌とかそんなのでは…っ勿論有り難いと思っているとも!」

 有り難すぎて手が震える程であろうことは察するが、残念ながら有耶無耶にしてしまおうと思っているのも分かっちゃっている。


「嫌じゃないなら勉強するよな」

「あ、そそそ、そうだ!ほら、筆があってもだな、紙がなくてはな!教本に直接書くのは不味いな!!残念だな!!」

 震える手でこそっと筆を畳に置いたのをばっちり目撃して、オレは更に笑みを深くした。


「ああ、紙は心配しなくていいよ」

 置かれた筆を拾い上げて、客間を横切る。


「ほら」

「んぬぁあああ!!なに、なになに、何してるのだぁああ!壁!壁に!!おまっ」


 泡を噴かんばかりに慌てている宜和に、振り向いてきらめく笑顔を振りまいた。

 前の壁には『三太朗』と黒々とした文字があった。もちろんオレが書いたのである。我ながら中々良く書けた。


「うちの壁は文字書いても良いから紙はいらないんだ」

「そそ、そうなのか…?」

「うん。先輩の中には、壁で字の練習をした方もいたんだって」

「…それは果たしてどうなのだ」


 立派な館の、染みひとつない白い壁―――見るからに上等の白漆喰(しっくい)の壁に墨で書きこむということを考えたのだろう…更にもし万が一弁償しろとか言われることも想像してしまったのかもしれない。身震いしながら濃厚な心配と恐怖を放っている庶民な宜和。その震える手をがしっと捕まえた。


「そう思うよな!普通壁に書くのってどうかと思うよな!?」

「今まさにやった者の言うことか!?」

「いやだって、皆気にしないんだもん。壁自体も気にしてないし」

「壁が気にするとはどういう…あ!もしかして塗り壁の館か!?」

「え!?そんなに有名なのか!?」

「有名というか憧れだ。とにかく至れり尽くせりで、天狗をダメにする家と評判なのだぞ!塗り壁素材の家に住めるとは羨ましい!!」

「喜べお前も今居るぞ」

「あ!確かに!」

「という訳で、何も気にせずに書き取りでもなんでもしたらいいよ!」


 壁をじゃーんと示されて、天狗はやっと気づいたようだった。

 いつの間にか手は離されていて、手の中には、艶やかな筆が残されていたこと。

 そして、逃げ道は何処にも無いのだということを。

「のはぁあ!?」


 館に来てから周りとの価値観の違いに目を白黒させ続けてきたオレは、宜和ならこの気持ちを解ってくれることだろうと思っていた。だから普通の筆ではなくあの筆を持ってきたのだったりする。

 そしてその目論見は大当たりで、宜和は今オレと同じ気分を共有してくれている。理解者が出来て喜ばしい限りだ。目的を達したと見てオレは満ち足りた笑みを浮かべた。


「三太朗!何を満足げに笑っておるのだ!!」

「いやぁ、いつもはオレがそんな風に慌ててるからさぁ、たまには(はた)から見てみたいと思ってたんだよな。割と面白いもんだなー」

「そんな傍迷惑(はためいわく)な願いを持つな!!」


 先輩たちがまた噴き出した。

「あーもう相変わらずお前ら面白過ぎ!」

 武蔵さんがけらけら笑った。

「ほんと、お前ら見てると笑い堪えるのが苦しくて苦しくてさー。ちょっとは手加減してくれよなー」

 紀伊さんがくっくっと笑いながら目元を拭った。


 気持ち良く弾む彼らの感情(こころ)を浴びて、心地好さに思わず口元が弛む。

 ちらっと宜和を見ると、彼もこっちを見てにやっとした。―――筆は極力汚さないようにだろうか、指二本の上に乗せるという斬新な持ち方で掲げていたけれども。


――――楽しんでるひとたちの側に居るのはやっぱり良いな。

 ほわっと温かくなった胸の内でそっと呟いた。

 こういう喜びを同じ立場で分かち合える相手が居るのも格別だ。オレはとても恵まれた境遇に居るけれど、気安くてもやっぱり先輩は先輩だし友達とは違う。山に来てからこれだけは物足りなさを感じていた。

 友達がいれば楽しさが倍増するってことを、改めて実感した。



「へえ、三太朗って"朗"の方なんだな。"三太()"だと思ってた」

 笑い終わった武蔵さんが、聞くだけじゃわかんないもんだな、と呟く。

 だな、と頷いた紀伊さんは、そのままするすると宙に指を走らせた。

「俺らはこう」

 『紀伊』『武蔵』の文字が光りながら浮かび上がった。オレが思っていた通りの文字だ。


「そういえば、皆さんの名前は知ってても字はあんまり知らないですね…ヤタさんは?」

「我か?我はこうだ」

 にゅっと胸から出た三本目の脚が、どこからともなく取り出した筆を握って壁にさらさらと文字を書く。

『八咫』


 普段読まない文字に目を丸くしていると、紀伊さんが肩をすくめて口を挟んだ。

「烏って付けると八咫烏(ヤタガラス)。ヤタさんの名前は別にある」

「えっ、お名前じゃないんですか?」

「…うむ。名は別に付いているが、あまり好きではないから名乗っておらぬ」


 憮然としたように膨らんだヤタさんには悪いけど、ちょっと親近感が湧いた。オレだって今はけっこう慣れたけど、名前を付けてもらったときはちょっと抵抗があった。あくまでちょっとだけだけどな!

 ヤタさんもそんな気持ちなのかもと思うと、少し距離が近くなったように感じた。


「ほら、三太朗よ。ごんたろうは"権太郎"ぎんじろうは"釿次郎"、ユミの奴は"弓"と書くのだぞ」

 文字を眺めていると、誤魔化すようにヤタさんが文字を隣に付け足した。


「弓?」

 意外に思って思わず首を傾げた。"弓"と言えば列記とした武具の一種だ。女性の名前にしてはこれ一文字では無骨なような気がする。


「左様。ジンは"陣"、セキは"関"、タチは"太刀"とな」

 書き加えられていく字は、意味をとればどれもなんだか勇ましい。


「皆さん強そうですね…良いなあ」

 オレもそんな名前だったら良かったのに、とつい思ってしまう。まあ今の名前にも馴れて、最初程の違和感は無いけど、他の方の名前をかっこいいと思うのは仕方ないよな。


 惚れ惚れと文字を眺めるオレと反対にヤタさんは不服そうにがあと鳴いた。

「あまり良いとは思えぬ。奴の名付けの才では役割そのままを付けるのが限度であったということよ」

 オレにはかっこよく思えても、ヤタさんは気に入らないらしかった。"三太朗"なオレからしたら言いたいことが…ん?


「奴…ってことは、皆さん同じ方に名前を?それに、役割…?」

 ヤタさんは、重々しく頷いた。

「我らがあるじどのよ。あやつは新たな配下を迎えると名を付ける。毎度検討が足りんと言うのだが『分かり易くて良いだろう』などと開き直る始末。全く聞く耳を持たぬ。ただ深く考えるのが面倒なだけであろうにな!」

 ヤタさんはまさに憤懣やる方なしという感じでいらいらと額の赤目を光らせてむらむらと苛立ちを発している。相当ご立腹だ。


――――ていうかオレもしかしたら不味いこと聞いたのか?怒らせちゃった!?


 あわあわと焦りながら兎に角何か話しかけようと言葉を探していると、武蔵さんが肩をつついた。

「ヤタさんはさ、貰った名前に相当文句言いまくったらしい。お師匠もいくつか候補上げたみたいなんだけどどれも気に入らなくて、結局一番簡単な奴を付けられて根に持ってるだけでお前に怒ってるんじゃないよ。ちょっとしたら落ち着くからそっとしとけ」


 その言葉で少し落ち着いた。

 冷静に見てみると、ヤタさんはぶつぶつと苛立たしげに師匠に文句を言いながら、ふっかり膨らんで忙しなく羽繕いをしていて、確かにオレが聞いていようがいまいが関係なさそうだった。


 正直ほっとした…けど、こんな不機嫌になるんなら、ヤタさんの名前は聞き出せそうにない。

 今までのやり取りですごく気になっていたけれど、残念だが今回は諦めることにした。


「お前は?名前」

 気を取り直して、話に加わってなかった宜和を振り返った。


「え、あ!ワシ!?ワシの名な!ええと」

 どうやら自分に回ってくると思っていなかったらしく、ぽかんと光る文字を眺めていた天狗は、声をかけられて慌てて筆を壁に走らせた。

 さっきまでその筆を持つのもおっかなびっくりだったのは忘れてるのかな。と思って見ていたら、名前を書き終わった辺りでぴたっと動きが止まった。


「へばぁっ!?」

 素っ頓狂な叫び声を上げて壁から意外に俊敏に飛び退くと同時に筆を放り投げ…かけてお手玉した。不味い!


「ちょっ、あぶなっ!投げるなよ!?壊すなよ!?丁寧に扱えよ!?あとお前の悲鳴種類豊富で面白いな!?」

「前半は済まないと思うが後半はやかましいわ!!」

「他にどんなのがあるんだ!?」

「お前さては筆はどうでも良くなってないか!?」


 勢いのままにぎゃいぎゃい騒げば、筆を投げかけたのを見て一気に不機嫌が高まったヤタさんが嘴を挟む隙を流すことが出来た。

 オレだって褒められたことじゃないのは知っているけど、今はぎすぎすした空気を感じたくなかった。…感じて欲しくなかった。

 だって―――


「もしもし、宜和さんはいらっしゃいますかね」

 さらりと襖が開いて、たんぽぽ色のキツネがひょっこり顔を出した。

「は、小生に何か御用ですかな」

 釿次朗さんとは知った顔だ。宜和の態度も丁寧ながら緊張はない。だが、次の瞬間にその顔は石のように固くなることになる。


「主さまがお呼びです」


 オレはすかさず思いきり手を伸ばした体勢で頭から前方に滑り込む。鼻を擦るのと引き換えに、宜和が取り落とした筆を受け止めるのに成功した。いてぇ。

 だが宜和はそんなことにも全く気付かないで呆然と目を見開いている。宜和、と声を掛けたけど応答は無い。放心状態というやつだ。

 無理も無いかもしれない。こいつは良く頑張ってはいるけど、オレが見たところ基本的に気が小さい。気が緩み切ってる状態の所へ突然の長天狗、しかもてんこ盛りに負い目がある師匠からの呼び出し。師匠のことを怖い方だと思っているこいつは頭が追いつかなくて固まってしまったのだ。


 宜和だけだと心許無い。もう媚びへつらうようなことは無いだろうけど、今度は恐縮し過ぎて話にならないかもしれない。―――師匠はお忙しいのに。


「…ぎんじろさん、オレも行って大丈夫そうですか?」

 咄嗟に言ってしまって自分でもびっくりした。そこまでしてやるつもりは無かったのだ。けど、前言を撤回しようと思った気持ちは次の瞬間にはひっくり返って、これで良いと思い直した。

 宜和が顔をほっと泣きそうに緩めたから。がちがちに固まったものが緩んで、僅かな安堵が(きざ)す。これを無情に突き放すことなんてとても出来ない。


 釿次朗さんはちょっとびっくりした顔をしたけれど、次にはとても優しい目をした。

「もちろん大丈夫ですよ」

 そんな言い方で肯定してくれた。



キリが良いのでここで切ります。

次回は次の日曜日に更新できそうです。

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