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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
53/131

四十七 変化

またお待たせして申し訳ありません。

本日投稿二話の内の一話目。こちらが先です。

日常回。


「つめたーっ。すごいつめたーーっ」

 指先に感じる冷たさに歓声を上げながら、早足に廊下を歩く。


 左手に西瓜の皿を、腕も使って支え持ち、右の脇に本を挟み、右手に饅頭の包みを持つという、両手が見事に塞がった状態でである。正直重い。

 荷物が増えたけど、その内容がおやつだってことで、大荷物に反してオレの足取りは増々軽い。


 西瓜の冷たさとよく()れた赤さは、かぶり付いた時の爽やかな冷たさと優しい甘さを想像するのに充分で、否応なしに期待感を掻き立てる。

 また、饅頭の包みは大きさの割りにずっしりとした重さを右手に伝える。

 しかも貰う前にちらっと見た薄皮の饅頭はこし餡の予感がする!オレはこし餡派なのだ。つぶ餡も美味いけど、こし餡の舌触りは至高だ。けどお汁粉よりぜんざいの方が好きだ。餅はふたつ入れて欲しい。

 まあつまり、両方とても美味しそうだ。考えるだけで唾が湧いてくる。ああ、早く食べたい。


 そんな風なことを考えながら歩いていたら、宜和(よしかず)がいる部屋の近くまでやって来た。

 この角を曲がると病室までは直線だ。そしたらおやつだ!…じゃなくて本を届けてお見舞いだ!ついでにおやつだ!


「あれ?」

 角を曲がった先の廊下に、白い線が横切っていた。

 いや、線ではない。外から差し込む陽光が白く煌めき、対照的に暗く見える廊下の板の上に浮かび上がって見える純白は、ぴんと伸びた白いヘビ―――タチさんだった。

 タチさんはあまり館で見かけない。見かけるときには大抵師匠と一緒にいるから、ひとりで居るときはどこでどうしているのかをオレは良く知らなかったりする。

 そして見かけるときはいつもとぐろを巻いているか、身をくねらせて歩いて…這っている。

 とにかくタチさんはいつもくねくねしてる印象があった。くねらずにいるなんて、しかもこんなところで伸びているなんてタチさんには珍しい。


「タチさん?廊下に伸びてどうしたんですか?」

 みょーんと伸びきったまま、ヘビはちろちろと舌を出し入れした。

 特に強い感情は感じない…無気力だ。

 板張りの廊下はひんやりしてるだろうから、涼んでるんだろうか?でも館の中は適温なんだけど…あ、もしかして昨日の夜鬼退治に一緒に行って疲れたのかな?


「えっと、お疲れです、か?」

 取り敢えず聞いてみると、舌がしゅるると出て、ぴろぴろと舌先が二回動いてから戻った。

――――返事、だろうか。


「昨日は大変でしたね」

 しゅる。

「お疲れ様です」

 しゅるる。

「今日は師匠と一緒じゃないんですね」

 しゅるる。

「ここで休憩ですか?」

 しゅる。

「もしかしてどこかに行く途中ですか?」

 しーん。

「…えっと、この棟に何か用が?」

 しーん。

「…あの、お昼寝ですか?」

 しーん。


 うーん、困った。

 多分、舌を出し入れするのは返事だとして、一応やり取りが成立してるんだけど…どこで会話を切ればいいのか分からなくて、色々話しかけてたら返事が無くなってしまった。

 目を閉じていて、見た目からは起きているかもわからないし…。特に苛立った様子もないから、うるさく思ってることも無さそうなのが救いではあるけど、これからどうしていいのかを決めかねて、オレは廊下の真ん中で立ち尽くした。


 一番の問題は、タチさんが廊下を横切って寝転がってるということだ。タチさんは廊下の横幅よりも長いから、斜めに横切って尚余った両端―――首と尻尾が曲がってる。

 完全に廊下を封鎖しているのだ。

 つまり、ここを通るには、タチさんを跨がないといけない訳で、これでは言葉を濁しながら良い感じに退場するという、場を険悪にしない高等退場技が使えない。困った。


 それにそもそも跨ぐとかって失礼に当たらないんだろうか。

 家ではけっこうきっちり礼儀作法を叩き込まれたけど、ヘビに対する礼儀は生憎知らないんだよな。そもそも、実家の誰一人としてヘビに礼を以て接する機会があるとは思ったこと無かったのは間違いないから仕方ないんだけど。


「えっと、通って良いですか?」

 しーん。


 一応お伺いを立ててみたけど、やっぱり返事が無い。―――これは通っていいんだろうか?

 ちょっと考えた後、頭を避けて廊下の端の方を跨ぐことにした。


「ちょっと、失礼しまーす…」

 ひょい、ぺし。


「―――えっと…?」

 跨ごうとして上げた足に、持ち上がった白蛇の尻尾が当たっていた。

 そっと足を引いて下ろすと、尻尾もぱたりと落ちた。

 もう一度、今度は少し廊下の真ん中寄りの位置を跨ごうと足を上げる。


 ひょい、ぺし。


「…えぇ…?」

 またもや尻尾に阻まれて、オレは再び足踏みする羽目になった。

 これは恐らく、状況的に見てまず間違いなく…

 通せんぼというやつだろう。


 オレは困って立ち尽くした。

 何故ならタチさんは喋れないので、オレが向こうに行くのを邪魔する理由を尋ねようにも、答えて貰えない。いや、答えてもらったところで、ヘビ語を習得していないオレには分からないのである。

 しかし、強引に跨いでしまうのは気が引ける…。

 ということは、何とか頼んで通して貰うしかあるまい。

 オレは交渉を試みることにした。


「ここを通して貰えませんか」

 しーん。

「そこをなんとか」

 しーん。

「どうしても?」

 しゅるる。

「これでも?」

 しゅる、るる、るる。


 ダメだった。くすぐってもくねらない頑なな構えで、タチさんはひたすら伸びている。お、でも顎辺りをこちょこちょすると尻尾の先が微妙に動くぞ!ここか!ここが弱点なのか!!


――――そんなことはさて置いて、西瓜がぬるくならない内に目的地に行きたい。…ていうかタチさんってなんでオレを通せんぼしてるんだろ。


 そういえばと首を傾げた。

 いつもタチさんは師匠と一緒にいる。なのにこんな静かな場所で独りで伸びているのは、ちょっと考えてみるといかにも不思議だ。ユミさんと違って心配してる感じでもない。ただ伸びているだけ。


 ちょっと考えてみた。

 昨日一仕事あったから今日は疲れたとしよう。

 オレだったら独りで静かに休憩したくなるだろうな。それで、静かな場所に行って、ああやれやれとのんびりする。

 そりゃぐたーっと床に寝っ転がってみたくもなるな。それは分かる。


 だけど、と首を巡らせてみる。

 蝉の鳴き声も遠く、それ故に静けさが際立つ廊下。磨き上げられた床板に、ただ自分の姿だけが滲んでいる。


 ゆったりした時間を堪能して、ふっと静けさが耳に沁みる。いつも師匠と一緒にいるのに、独りでいるのに気付く…寂しいだろうな。

 そしてそこへ現れたオレ。となれば、引き留めたくなるのが自然か。


 ひとつの可能性として、あり得る…のかな。


「んー…じゃあ、一緒に行きます?」

 寂しかったら一緒にいたらいいんじゃないか。単純にそう思った。しかしながら提案は駄目元である。

 オレの行き先が宜和のところだというのは分かるだろうし、あいつは今現在印象が良くない番付ぶっちぎり首位だ。オレがタチさんだったら、まったり休みを満喫しているときに好き好んで会いに行こうと思う相手ではない。


 しかしながら、オレの思い付きに白蛇は即答せず、初めて顎を床から持ち上げて、ねじれるように頭を傾けた。

 首を傾げる仕草に見える。頭を傾ける為に、オレの上腕と同じぐらいの長さ分、胴体もねじれている。


 それを見て、オレは少しばかり感動を覚えていた。

 今まで蛇の首はどこまでなのかというのは答えの出ない疑問だったのだけど、あのねじれが始まる辺りから先が首ってことでどうだろう?ほら、首を(・・・)(かし)げる訳だし!

 密かに、解決することはないと思っていた謎に一応の答えを得て小さな感動を噛みしめていると、小さな頭が正位置に戻った。


「しゃーい」


 ややあって聞こえたのは、今までみたいな曖昧なものではない、肯定の返事だった。




「開けてーー!」

 着いた部屋の前、襖の奥に声をかけると、部屋の中で動く気配がした。


「ええ!?さんたろさんじゃないですか!」

 直ぐにさらさらと開いた隙間から顔を出したのは、どんぐり色のタヌキだった。

 こんなところで会うとは思わなかった。けど今はそれどころじゃない。

「ちょっと通して下さいもう限界なんです!」


 慌てて脇へ退いたごんたろさんの横をすり抜けて部屋へ入ると、桶や布を抱えたキツネと、その前に座った天狗の姿がある。

 こちらを向いた天狗…宜和が顔を輝かせた。


「三太朗!来てくれた、のは嬉しいが…一体何でそんなことになっておるのだ!?」

 宜和が驚いて声を上げる。

「宜和それに答えたり具合はどうかって話の前に色々置いていい!?」

「お、おう」


 彼の目線の先のオレは…簡単に言うと頑張っていた。


 左手で、大きな西瓜がふた切れ乗った皿を支え、その肘と脇腹の間に草子を二冊挟み、懐にどうにか突っ込んだ饅頭の包みは入りきらずにこぼれ落ちそうで、更に右腕にはなんとか出来るだけ手繰り寄せて尚抱えきれない長い白蛇が、無気力にだらんとしていた。

 脱力しきった尻尾がこぼれて床を擦ってしまっているんだけど、タチさんは長いから片腕ではこれが限度だった。

 オレの持てる量もこれが限度だった。量的にもだが重さ的にも限界を迎えていた。自分ではもうちょっといけると踏んでいたのだが、タチさんが意外に重かったのと、肘で本を挟んで西瓜の皿を持つと、変な力の入り方をするみたいだ。

 結果的に全身がそりゃもうぷるぷるしていたのだった。

 ていうかタチさん自分で歩いてよ!




 了承を得て荷物を全部下ろすと、自然に深い息が出た。


「手当てしてもらってたんだな」

 ぎんじろうさんが持っている布や薬と、宜和の衣の合わせから覗く真新しい白布を見て声を掛けた。

「…ん、うむ」

 ちらちらとオレが持ってきたものの主に一ヶ所を見ながら、宜和が返事をした。

「具合はどう?」

「あ、ああ…痛みが大分ましになってきたところだ…その、丁寧な処置のお陰で」


 オレは二度瞬きした。

 次いで、とても愉快な気分になって頬が緩む。宜和が躊躇(ためら)いながらも、ごんたろうさんとぎんじろうさんに感謝を口にしたのが嬉しかった。

 黙って片付けを続けていたタヌキとキツネが戸惑ったように動きを止めて、こちらを見る。それにおずおずと向き直った天狗はぎこちなく会釈をした。

 とても微笑ましいものを見た。あの宜和が、変われば変わるものだ。


「それで、これはどうしたのだ!」

 照れたように、宜和が急いで話題を変えた。恥ずかしがることなんてないのに、と思うけどここは乗っておく。西瓜を早く食べなくちゃいけないからな!

 "これ"と、並んだものを示しながら視線は一ヶ所に釘付けである。若干腰が引けている。


「えっとな、お見舞いに持ってきたんだ。一緒に食べようぜ」

「見舞い…」

 宜和は、見舞いと聞いて何やら涙目で感動し始めた。喜びが大袈裟なぐらい放射される。

 いつも思うけど、こいつの仲間付き合いはどうなってるんだ?


―――それを見たごんたろうさんとぎんじろうさんが、可哀相なものを見る目を向けた。

 そして、どことなく気不味そうにこっちを見て、そしてちらちらとタチさんを見ているその様子からは、後ろめたさが香るようだった。

 多分、これからはもうちょっと宜和に優しくしてあげようと思ってるんじゃないかな。

 オレだって優しい気分になった。こんなに喜んでくれるなんて、苦労して持ってきた甲斐があったというものだ。

 優しいこの方たちなら尚更だろう。きっとこれからは、会いに来たオレを見た宜和が泣きそうな顔で喜ぶなんてことはなくなるだろう。


 まあそれは良いとして、オレはいよいよ持って来たものを御披露目することにした。


「…って言っても、貰ったもののおすそ分けなんだけどな。先ずはこれ!ユミさんから貰った西瓜だ!きんきんに冷えてて冷たいぞ!!」

「うむ…それは分かる」

「それで、こっちが先輩たちに貰った饅頭!多分こし餡!!」

「おお、良いな」

「で、これがー。師匠から預かってきた教本!これで勉強できるな!!」

「うぐっ…約束の品だな、まあそれも良い。良いとしよう…そんな顔するな!する!勉強するとも!」

 明らかにたじろいで、(おのの)きながらも草紙を受け取る宜和は、なんとか自分を奮い立たせようとしているように見えた。そんなに勉強嫌かなぁ?

 それから、オレは満を持して、一番大事な紹介をした。

「こっちが廊下で休憩してたタチさん!」

「そこはちょっと待て!!良い笑顔で見舞いの品と一緒にヘビを突き出すな!そもそも明らかに無理して態々ヘビを抱えて来なくて良い!ていうか休憩中のをなんで連れてきてしまったのだ!!」


 宜和は、紹介の為に持ち上げたタチさんを指して絶叫した。一方タチさんは無抵抗に持ち上げられたままでろんとしている。

 文句を言う様子が無いタチさんは大人だ。宜和ごときの無礼に一々目くじら立てるなんてことはしない。

 しかし、オレはそうはいかない。挨拶を返すどころか指差して絶叫。しかもタチさんを只のヘビみたいに下に見た言い種。こんな失礼なことをするなんて、タチさんが許してもオレが許せない。


「こら宜和!指さすなんて失礼な!初対面なら先ず挨拶だろ!お前第一印象が無礼な勘違いヘタレなんだからちょっとは地位向上の努力をしろよ!」

「正論に混ざって色々酷い!というかワシとヘビの扱いが本来逆では!?」

「ほんとのことなんだからちゃんと自覚して(わきま)えろって!それにタチさんとお前の扱いが違うのは当然だっての!タチさんは師匠の配下の中で席が一番上座に近いんだぞ!!」

「のぁっ、なんだと、山主さまの配下で序列が一番上!?それを早く言え!というかそんな偉い方の休憩を邪魔してお前は何やっているのだ!!」

「お見舞い!」

「嬉しいがそれはどうなのだ!?」




 ごんたろうとぎんじろうは顔を見合わせた。

 目の前では三太朗と宜和がぎゃんぎゃん言い合っている。…とても楽しそうに。


「これは、びっくりしましたねぇ」

「ですねぇ…ちょいと、驚きましたねぇ…」


 こんなに明るい顔をして、元気良く楽しそうに喋っている三太朗は初めて見るものだった。


 最近は少々崩れてきたようには思うが彼はいつも礼儀正しく、一線を踏み越えて来ないような感じがする子どもだ。心に傷を負った子どもだ。それを隠してなんでもない顔をする我慢強い子どもだ。周りを頼ることが不慣れな子どもなのだ。

 そして、放っておくといつの間にか一人になって、どこか遠いところを見ながら静かな顔でじっと考え込む子どもなのだった。


 そんなときの彼は痛々しい程寂しげで、もっと無邪気に、遠慮なく甘えてくれてもいいのに、と思わずにいられない。

 それでも良いと思っていた。彼はここに来たときと比べれば、段違いに明るくなったし、自分たちにも懐いてくれている。これが三太朗らしさというものかもしれない。そして何より穏やかに日々を暮らしていて、未来への希望を持っている。それだけで十分だろうと、思っていたのだ。


 それがどうだろう。今、彼は生き生きと年相応に大きな声で喋り、笑っている。目の前にするとそれがとても自然に見えることに気付いた。

 それを喜ばしく思って浮き立つ心は、同時に何だか悔しいような寂しいような気がしてもやっと曇る。見守って来た子どものこの明るい顔を、自分たちでは引き出せないという現実を見つけてしまったからだろう。



「はい!ほらちゃんとして!」

 いつしか話は移り変わっていて、三太朗が差し出した白蛇に宜和が神妙な顔で向き合っていた。


「え、えー…申し遅れた上、先ほどは申し訳ございません。宜和と申します…その…」

 言い澱んだ天狗は、しばらく目をさ迷わせたが、ややあって迷う素振りを振り捨てた。目が真っ直ぐにタチを見、次にこちらを見て、またタチへ目を戻した。いや、一瞬間だけ、三太朗にも目を向けただろうか。それは余りに短い間のことだったので断言はできないが、微かに三太朗が頷いたのが見えた。


「…御存じないかもしれませんが、小生は山主さま、並びに館の皆様に…大変な失礼を致しました。返す返すも後悔しきり…誠に申し訳なく存じます。お許しになるかはまた別として、謝罪を受け取って頂きたい」


 呆気にとられて見守るタヌキとキツネの前で、宜和は深々と頭を下げた。


「申し訳ございませんでしたッ!!」


 しん、と静まった部屋に、天狗の浅く早い息だけが際立つ。


 謝罪の言葉は真摯(しんし)に響き広がって漂い、館の空気に溶けて馴染んだ。


 ぽん、と。

 下がったままの頭に、白い尾が乗った。


「しゃーぃ」


 やがて、ゆるゆると空気が動き出した。


 わしわしと、子どもにするように頭をかいぐってから、白蛇の尾は離れて行く。追うように頭を上げた宜和はきっと見たのだろう。それは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた友人の顔を。

 彼は目に涙を溜めて、三太朗に小さく頷いていたのだから。


「え、ちょ、タチさんっ!?」

 涙ぐんだ宜和に何か言おうとした三太朗が、ついでとばかりに白い尾に良い子良い子されている。いつもは恥ずかしがって仏頂面になるところだが、彼から笑みの名残は消えはしなかった。



「ちょいと、余計なことをしましたねぇ」

「…かもしれませんね。タチさんには悪いことをしましたなぁ」

「ええ、最初から乗り気じゃなかったですし」

「今度お詫びを持っていきましょう」

「それがいいですねぇ」



 いい加減に止めさせようとした手をすり抜けて、まだ灰色の頭はわしゃわしゃ撫でられている。

 段々本気で掴み掛かりながらも、つるりするりと逃げられる三太朗を見て、宜和が噴き出した。

 その隙を衝き、また白い尾が天狗に伸びてその頭をかき回す。

 くしゃくしゃになった頭を指差して、少年が声を上げて笑った。



 今度はタチも交えて和気藹々とし始めたのを眩しく見ながら、ふたつの溜息がそっと落ちた。


 タチにもし三太朗が来たら足止めしてほしいと頼んだのは彼らだった。

 あの天狗の無礼な物言いは、温厚な彼らをして不快にする程だった。だから、宜和に接するときには全くの無表情かつ冷たい態度で宜和に接してしまうのを、自分たちでは止められなかった。…止める必要を見つけられなかった。


 顔を合わせたくはなかったが、残念ながら手当ては彼らの仕事だった。いつも通り手際よく丁寧に処置はするが、その態度は歓迎していないのが露わになってしまうのは仕方がないと言えるだろう。

 彼らはそんな自分たちが正しいと、胸を張って言えないことを知っていた。だから、三太朗に見られたくなかったのだ。


「変わるものなんですねぇ」

「本当にねぇ」


 仲良く西瓜にかぶりついて、顔を綻ばせているふたりは、山に来た最初と比べると別物のように見えた。

 宜和もだが三太朗も、この頃の変化には目を(みは)るものがある。勿論良い意味でだ。


「ぎんじろさん、ぎんじろさん。ちょいと、道具の片づけを任していいですか」

「おや、それは構いませんけど、ごんたろさんは何をするんです」

「いやね、お饅頭かあるようですし、お茶を淹れて来ようと思って」

「ああ成程。西瓜でお腹が冷えるでしょうし、温かいお茶がいいでしょうなぁ」

「ええ、それがいいでしょうねぇ」


 彼らはひとつ頷き合って、そっと部屋を抜け出す。

 廊下に膝を突き、音を立てないように気を付けて襖を閉めるその直前に、密やかに頭を下げた。

 詫びと、そして感謝を込めて。


 キツネとタヌキは、少年の弾む声を聞きながら、それぞれの仕事を片付けに向かった。




 西瓜をすっかり食べ終わった頃、「そういえば」と宜和に声を掛けた。


「昨日の晩なんだけどさ、師匠が鬼を退治に行ったよ」

「鬼を?」

「うん。ジンさんとタチさんとヤタさん…オオカミとヘビとカラスをお供に刀一本携えてな」


 犬猿雉と違って団子がなくてもちゃんと働く家来である。

 鬼退治とか言うと昔話の定番だけど、どこぞの剣豪とか侍じゃなくて、主人公は天狗だ。

 主人公を妖怪にするだけで、昔話というよりお伽噺っぽくなるのは何故だろう。しかも物語じゃなくてこれが現実だ。そこに言い知れない違和感が湧いてくる辺り、オレもまだまだこちらの世界に慣れていないらしい。


 天狗は怪訝(けげん)に首を傾げて問い返した。

「鬼はもう捕らえていたのではないのか?逃げたとか?」


 オレは思わずきょとんとしてしまったが、直ぐに宜和は事情を知らされていないのを思い出した。

「あ、ごめん。知らないんだったよな。実はあの鬼にはたくさん仲間がいてさ、近くに隠れてたらしいんだよな。それで、オレたちが会ったやつはこの山を襲う下見のために、ひとりだけで来てたんだって」

「なぬっ!?」

 驚く声の後、音がしそうな程一気に宜和の血の気が引いた。―――羽毛で見えないから、そんな気がしただけだったが、急に放たれ始めた焦燥と狼狽(ろうばい)で、オレは予想がほぼ正しいと結論した。


「で、では…ワシはもしかしたら、もっと多くの鬼に襲われてもおかしくなかったと!?」

「そう言われれば、そうだけど…」

 つい同意してしまって後悔した。宜和が怯えてがくがく震え出したからである。

 性根は目覚ましく改善したが、相変わらず想像力は無駄に思える程豊かなようだ。

 まるでそこだけ地震が起きているように、小刻みに震えているのに驚いたタチさんが、落ち着かせようと背中を尾で撫でた。


「落ち着けよ!そうならなかったんだから良いだろ。お前は最後のところで運が良かったんだよ。それに師匠が追い払ったからもう鬼は居ないって!」

 そうだな、その通りだと言いながら何度も頭を縦に振るのを見て、なんかこういうおもちゃがあったことを思い出した。


 かくかくと動いていた頭が、最後にこきんと横に傾いた。

「ん?外のを追い払ったと言ったな」

「うん。そうだよ。夜の内に出発して、もう遠くに行ったんだって」


 宜和は、反対側に首を傾げ直して、考えるように顎に手を遣った。

「むぅ。では、あの鬼も逃がしたのか?」


 あの鬼とは―――問い返しかけて、納戸に捕まえていた鬼のことだと気付いた。

「え…?知らない」

 頭からすっぽ抜けていたけど、そういえばそんなのもいたのだ。


「確かに…どうなったんだろう?」

 外から攻めてくる敵にばかり気を取られていて、そっちが解決したから今度の件は全部終わったものだと無意識に思っていた。だからか…あれほど濃い初対面だったというのに頭から綺麗さっぱり消えていたのだった。


「あ、タチさんは知ってます?」

 鬼退治の当事者に訊いてみると、しゅるると舌が閃いた。

 これは、廊下でのやり取りを思い出すと…肯定?


「え、ご存知なんですか!」

「おお!どうなったのです?」


 ふたりして勢い込んで尋ねれば、タチさんは勿体ぶった仕草で、ゆっくりととぐろを巻き直した。

 そして、意地悪げににやりと笑った―――ヘビの顔は表情が変わるようにできていないので、気のせい…の筈だ。


 たっぷりとオレたちの注目を惹き付けた後、白蛇は重々しく口を開いた。


「しゃーしゅしゅしゅー、しゃー…」


 後に宜和に訊いてみると、あのときのタチさんはやはりにやっと笑っていたように思ったと答えた。






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