四十六 親の心を子は知らず
お待たせいたしました。
丸ごと日常回です。
掻い摘んで今夜の流れを話して聞かせた後、鬼は思ったより大したことはなかったな、と弟子二羽を前に高遠は語った。
威力が高い雷術も、同士討ちを恐れてか乱戦では使って来なかった。術の精度が低い証拠である。弓と矛で連携していたが、戦い以外のこと、例えば不意打ちを狙うなど、自軍に有利な条件を整えようとする工夫は見られなかった。
余り戦いに慣れた様子は見られず、程度が低いという感覚がした。
だが、だからこその薄気味悪さを感じて、高遠の眉根は寄ったまま。弟子たちの顔も険しい。
「意外ですね。術師が背後に付くぐらいだから、もっと手強い相手かと思いましたよ」
「幾つか山がやられたのだから、あんなものばかりではなかろう。奴らの狙いが狙いだ」
「はい」
「…それに、鬼が逃げてきたという奇病…躰が黒く染まる病だというが、三百年程前に流行った病に似ている」
「!三百年前…ってことは」
場の全員の目が、傍に控えた大鴉に向く。
「聞いた限りでは、充分にあり得る。あれは濃い瘴気に源がある病。今度のものが同じかは分かりかねるが、病そのものよりむしろ、瘴気が濃いかが気にかかる。知っておく方が良かろうな」
天狗は頷いた。
「方々に報せて問うてみよう…こちらが動く訳にはいくまいな」
高遠は、手の中のものを弄んだ。
術を書き込んだ布を巻きつけ、組み紐で封をしてある小さな包みだ。中身は敵の術師の傀儡が付けていた赤い石の耳飾りと、傀儡の核になっていた呪物だ。
その両方が、高遠の知らない術式で出来ていた。厳重に封印してあるのは、仕込まれたものがどんな働きをするか分からないからである。
小さな品で、大きな力は感じないが、過信する気にはなれない。何しろ、同胞の山が幾つも落ちているのだから。
今回程度のもので天狗の山が制圧されることはあり得ない。
術師があっさりと手を退いたことが、高遠の警戒心を否応なく高めていた。
包みをくるりと手の中で回して、ぐっと握り込んだ。
「…こうなっては、手が多い方が良い。今までは遊ばせていたが、もうそういう訳にはいかないな」
「じゃあ、次朗を呼び戻すんですね」
彼らはこれ以上ない難題に出会ったように、揃って今までよりもずっと難しい顔をした。
「文を書いても応えがないなら、誰か遣いに出しますか」
「いや、昨日の夕刻にハリを遣ったんだが…」
「だが…?」
珍しく歯切れの悪い師の言葉に、嫌な予感を感じながら、双子は恐々と次の言葉を待った。
高遠はそれは深いふかい溜息を落とした。
「…今日の昼に帰ってきたハリが言うには、あいつは不意に幻術を食らわせた上に煙幕を投げて、ハリが驚いた隙に縛術を掛けて動けなくしてから逃げて行ったそうだ」
うああ…と紀伊は呻いて天を仰いだ。
のああ…と武蔵は呻いて頭を抱えた。
「ああもう!あいつは何やってんだああ!!いくらなんでもそれは無いだろあの馬鹿!!」
「あいつを探しに行ってる暇なんか無いし…文を出すしかないですね」
それぞれに弟弟子の顔を脳裏に描いて嘆いた双子を、高遠は見遣り、徐に―――
「じゃ、任せた」
―――丸投げした。
「は…」い、と反射的に続けそうになって、双子は口を閉じた。鍛え上げた直感が働き、何かがおかしいと勘付いたのである。
頭にその意味が浸透するまで、一呼吸の沈黙があった。
「「ちょっと待ったぁあ!!」」
ふたつの声がぴたりと重なった。
「じゃ、って何ですか!?お師匠も文面を考えて下さいよ!」
「各方面に出す文書で手一杯だ」
「だからって考えるぐらいできませんかね!?」
「もう十通は出したから、流石に書く内容が思いつかん」
「あー!さてはお師匠もう考えるの面倒になってるでしょう!!」
「なに、お前たちならできるさ」
「この場面で言われても嬉しくない!嬉しくない!!」
幾らぎゃーぎゃー騒いでも、高遠が忙しいのは事実である。
結局は、弟弟子への手紙は兄弟子の仕事になった。
オレは鼻唄混じりに廊下を歩いていた。
時間は朝。
普段通りなら、朝餉を取った後、師匠と手合わせしている時間なのだけど、師匠がご多忙とのことで鍛錬が休みになった。
いつもなら、武術の訓練をしてもらえないことを嘆きもするけど、今日は暗い気分になりようがない。
昨夜、この山を襲撃しようとしている鬼を退治しに、師匠が出掛けた。
『追い払いに行くだけ』と言ってたけど、話し合いで終わるなんてことはあり得ないだろうって、オレでも分かる。
大丈夫ってみんな言ってたし、オレも師匠が負けるなんて思ってなかったけど、不安で心配で仕方なかった。
何があったにしろ、結果として師匠の鬼退治は何事もなく終わったみたいだった。
一緒に行ったヤタさんとジンさんにタチさんもみんな無事って聞いて、ほっとした。
鬼は夜のうちに引き揚げて、もう山の近くには居ないと言うから、きっとそんなに激しい戦いにはならなかったんだろうと、そう願望混じりに考えた。
――――引き揚げたってことは、全滅させたとかいうことはなかったんだろうけど…一体何がどうなって事態が収束したんだろう。
ちょっと考えてみる。
とはいえ、オレの前で師匠たちが本気で戦うことなんか無いから意外に難しい。
取り敢えず沢山の鬼の前に立った師匠を思い浮かべた。
えっと、戦う前には何か言うだろうな…『これこれ、そんな乱暴なことは止めなさい』とか?そしたらヤタさんが『止めなければ正座で説教を聞かせるぞ』とふんぞり返りそうだな。ジンさんは『それでも止めなければ噛みつくぞ』と牙を剥き出し、タチさんは師匠の隣で『しゃーぁしゃーぁ』と言う…。
うん、それで『はい止めます』って鬼が帰ったなら、凄く平和的だよな。それが良いな。…無いか。
実際どんなことがあったのかはわからないままだ。聞いても多分、答えてくれないだろう。
前は答えをくれないことに、不満があったしがっかりもしたけれど、教えてくれない理由を知ったから『今は』教えてくれないだけだってちゃんと理解した。だからもう、オレの為に黙ってくれてることを無理に訊き出そうとは思わない。
それがちょっと誇らしい。
だって、やっと師匠を信じられるようになったってことだから。
まだ館のモノたちがするみたいに、丸ごと全部とはいかないけど、師匠が大丈夫だって言ったら大丈夫なんだな、って思えるぐらいには。
それも、師匠が宣言通りに無事帰ってきてくれたからだ。
不安な夜が明け、無事な師匠の顔を見て、普段通りの景色を見渡せば、不安は溶けてなくなった。
そこにあるのは、いつもの夏の白鳴山。いつもの蝉の合唱を背景に、いつもの師匠がいつものようにオレの頭を楽しそうに撫でてた。そっと止めて貰った。ちょっと残念そうな顔してた。それもいつも通りだった。
そして気が付けば、オレもいつも通りに戻っていたのだ。
安心して、ほっとして、みんな無事なのが嬉しかった。ああ平和って素晴らしい。
だから、いつも通りをちょっと通り越して朝から浮かれ気味なのはご愛嬌。それに加えて、これから行くところを想像すれば、鼻唄なんかもつい出てしまう。
歩きながら、抱えた二冊の草子を見下ろしてにんまりした。
草子の表には『要点解説 鴉天狗試験演習』『実力養成 此処から始める術式基礎』と書いてある。
師匠が書いたという、試験対策必読書の内の売れ筋の二冊らしい。
師匠に挨拶するついでに、館に保護されてる小天狗、宜和が使う、昇位試験の教本を貰えないか頼んだらくれたのだ。
流石は師匠。草子は中々高価だっていうのに、ぽんと出してくれるんだもんな。太っ腹だ。
このことも含めて色々話せば、まだ師匠が怖い方だと思っている宜和も、本当は優しくて立派な方だって分かるかな。
オレは歩く調子に合わせて、小さく調子外れの浮かれた音を出した。
二冊を宜和に渡すことを思い浮かべると、思わず意地が悪い笑みが顔に出るのを止められない。
散々勉強を嫌がっていた宜和だけど、『教本があれば勉強する』と言質を取ってあるから、これがあればもう逃げられないだろう。
――――あいつ、オレが本当に教本を持ってくるなんて全然思ってないだろうから、これを渡したらどんな顔するかな。
驚く顔を想像しながら、ちょっと近道に縁側を通ろうとしたときだった。
ふと、爽やかな気分のオレと対照的な、物憂い沈んだ感情を感じ取って、オレは足を止めた。
――――これは、心配?
あとは色々と混ざりあって、悶々と悩んでいるようだとしかわからない。
見回せば案の定、井戸端からこちらを眺めるユミさんがいた。
オレが気づいたのを見て、微笑んで手を振ってくれるのだけど、やはり何かしら気掛かりがあるようで、その目が沈んだ色をしているような気がした。
「ユミさーん!そんなとこで何してるんですかー?」
みんな無事で迎えた朝に、何を心配しているのか気になって、オレは声を上げた。
ユミは悩んでいた。深くふかく悩んでいた。
――――どうしたら良いのでしょうか。
考えても考えても結論は出ず、思考は霧の中にでも迷い込んだようにうろうろと彷徨う。
今回の襲撃しかり、術師の接近しかり、この頃の白鳴山周辺は騒がしい。
外のみならず、彼女の主が属する天狗一党の内部でも不穏な気配がある。
春には一時、山が見張られ情報を切られ、無実の主が危うく裏切り者の疑いを掛けられそうになり、最近では何らかの陰謀があってか、山の近くで小天狗が鬼に襲われた。
外に憂いを見、内側を患い、未来は暗雲立ち込め見通しが立たない。
しかし―――
「あんな者と三太朗どのが友などと…!」
―――だがしかし、ユミの心の中は、主の末の弟子たる三太朗のことで一杯だった。
情勢上のごたごたなどそれに比べれば瑣末である。
そんなことより、素直で可愛く賢く優しい三太朗が、無礼千万で手前勝手な木っ端天狗と友達になったことの方が、彼女にとっては遥かに大問題であった。
しかも、申し出たのは三太朗から。
あのときあの木の下で、その現場に居合わせたユミは「もう少し友達は選べ」とそれはもう言いたかった。叫びながら間に割って入りたかった。…彼らがあんまり楽しそうだったので、水を差すことはできなかったが。
「友が多いのは素晴らしいこと。でも…悪い知り合いを持つと…あの子も歪んでしまうやも……ああ、でもいけませんね。こちらの都合であの子の付き合いを狭めるのは」
彼女の主で三太朗の師、高遠は、基本的に弟子たちに余程のことがない限り自由にさせる。配下にもよく見守るようにとだけ言うのだ。
いつもは主の判断に絶対の信頼を置くユミだがしかし、三太朗が悪い友達に影響されて、万が一にも非行に走ってしまったらと思うと居ても立ってもいられない気持ちになる。
ぶっちゃけて言うと育児の悩みであった。
古今東西の、子どもを想う親たちと同じもの。ただ少しばかり他より行き過ぎている感はあったが。
因みに、彼女はまさに目に入れても痛くないと言える程可愛く思っているのだが、三太朗にはちょっと苦手に思われているのは彼女は気付いていなかった。
ふと顔を上げた先に、当の三太朗が通りかかった。
珍しく、どことなく楽し気な弾む足取り。よく見れば口元には微かに笑みを浮かべて、大切そうに書物を持って、客間がある棟の方へ歩いて行く。
あの居候に会いに行くのだと直感した。
――――あんなに楽しそうなのに、あの子を止めるべきなのでしょうか。
外からの悪影響は無い方が良いが、三太朗の行動を制限するのは良くないだろうし、彼の楽しみをひとつ奪うことになる。
そうなったら、三太朗はどれ程がっかりするだろう。
悩ましい溜息をそっと落としたそのとき、不意に三太朗が立ち止まった。
はっと身動ぐユミに引き寄せられるように、ふっとその目が此方へ流れた。
たまに、三太朗にはこういうことがある。
普段なら、気配に敏いのは優秀な証拠と嬉しく思うのに、今は少々決まりが悪い。
なんとかいつもの通りに微笑んで手を振った。
「ユミさーん!そんなとこで何してるんですかー?」
手を振り返してくれながら、彼は此方に進む向きを変えた。
裸足のまま庭に降りようとしたら、縁側の下から下駄がにゅっと出てきたのにちょっと驚いた。
いや、吃驚したとかじゃなくて、館がこんなとこまで気が利くことに関心した。―――ここはぎょっとするべきなんだろうか。
「…ありがとうございます」
今は兎に角ユミさんだ。
お礼だけ言い置いて、井戸の向こうへ下駄を鳴らして小走りに近付く。
足元に見つけた小振りの盥には、縁に布巾が掛かり、中には洗ったのだろう皿が重なっていた。
「まあまあ。そんなに急いでは転んでしまいますよ」
「もう転けませんよー。それより、これお片付けするなら、お手伝いします」
返ってきたのは、感極まったようなため息だった。
さっきまで悩んでいた様子はどこかへ消えて、目がきらっきら輝き、ちょっと頬が赤くなった、いつものユミさんである。いつもの、ユミさんである。
急な病気とかそんなんじゃない。筈だ。
毎回思うけど、お手伝い程度で大袈裟過ぎやしないだろうか…そして悩み事は良いんだろうか。
取り敢えず、ユミさんの気分が浮上したなら良かったと思い直す。
本を脇に挟んで、早速盥に手を伸ばそうとしたら、白い手にやんわりと留められた。
「良いのですよ。お気持ちはとても嬉しく思いますが、これは今から使うものですの。さあ、いつも偉い三太朗どのには、ご褒美を差し上げましょうね」
「やった!」
ご褒美を貰うためにやってる訳じゃないけど、そう言われるとやっぱり嬉しい。
ユミさんが、何やら井戸の中へ垂らされた紐を引いた。
引き揚げられたのは網だった。勿論空じゃない。冷たい井戸水が滴るそれに、思わず歓声を上げた。
「西瓜だ!」
網の中には、立派な西瓜がふたつ入っていて、夏の日差しに水滴がきらりと輝いた。
「ええ、ようく冷えた頃合いですから、美味しゅうございましょう。さ、切り分けましょうね」
細い手で、しかも片手で軽々と大きな西瓜を持ち上げるユミさん。うわ意外と力持ち…あっ!包丁使うならオレここに居たら不味い! って、あれ?
慌てかけたけど、とあることに気付いてオレは首を捻った。
「ユミさん、切るものが無いようですけど、どうやって切るんです?」
包丁もまな板も、何処にも見当たらないのだ。
きょとんとしたオレに含み笑いを返して、ユミさんはそっと一番大きな皿を反対の手で構えた。
「こうするのですよ」
ぽん、と西瓜が投げ上げられた。
声を上げる暇もなく、真っ直ぐ天へ向かった西瓜を追って、ひょう、と鋭く高い風の音が鳴り、西瓜がぶれた。
まるで水面に映った像のように、ゆらりと一瞬揺らいだ西瓜は、直ぐに上昇を終えて落下に移る。
すると、空中で花が開くようにばらりと切れて、狙い澄ましたように皿の中へと落ちた。
名残のように微風が広がって、前髪がそよいだ。
「え?」
見ると、西瓜は綺麗に八等分の櫛形になって、皿の上に収まっている。
「さ、ひとつどうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます…」
勧められるままに一切れ貰った。―――断面は刃物で切ったように滑らかだった。
「え…えええ!今何!?何したんですか!!西瓜が!切れた!?」
今更ながらに驚くオレを見て、ユミさんはころころと笑い、今のは風の術の一種なのだと教えてくれた。
「風の刃を作り出す術ですの。果物や魚程度であればこの通り。綺麗に切るには少々練習が必要なのですが、習得してしまえば簡単な調理や、野外で刃物が無いときにとても便利なのですよ」
「へぇ、確かに便利…って、術をそんなちょっとのことに使って良いんですか!?」
「ええ勿論ですよ。便利なのですから、使わなければ損というものですよ」
術っていえば、厳しい修行を経てやっと身につける特別なものだと思ってたんだけど。オレとしては『良く切れるから』と言って包丁代わりに名刀で魚を下ろすような感じに思えちゃうんだけど…だけど、違うらしい。
オレが思っているより、術っていうのは身近で手軽なものなんだろう。この辺りの感覚はまだよく分からない。
「へ、え…すごいですね!」
取り敢えずそういうことにした。
「ふふふ。三太朗どのも天狗になるのですから、出来るようになりますよ」
「あ、そっか。じゃあ出来るようになったらオレがユミさんに果物を切ってあげます!」
「まあ」
ユミさんはそれは嬉しそうに目を細めて微笑った。
「楽しみにしておりますね」
さて、ユミさんの気分も晴れたようだしもう良いだろう。
そろそろ行こうか…あ、宜和も西瓜食べるかな?
「ユミさん、もうひとつ頂いても良いですか?」
すっと、空気が重く澱んだ気がした。
軽やかで楽しそうだったユミさんの感情が、黒くもやもやしたように思えて、オレは思わず目を瞬かせる。
「…勿論ですよ。でも沢山いただくとお腹を壊してしまいますから気を付けて下さいまし」
一瞬真顔になった後、元のように優しげに微笑んで、皿の一枚に一切れ移して渡してくれる。
「ええと、宜和…怪我した天狗にもあげようと思って」
そう、ですか。と呟いたユミさんの表情が、明らかに曇った。
伝わってくるものがざらついた。間違いない。ユミさんの悩み事はここなんだろう。多分宜和とオレが会って話すのが嫌だ、とかそういうことなのかな。そりゃ、師匠のことをすごく悪く言ってたし、気に入らないよなあ。
宜和、お前の評価はこの館でどん底みたいだぞ。
あれだけ最初に滅茶苦茶言ってたんだから仕方がないかもしれないけど、心を入れ替えるって宣言したのを一回ぐらいは信じてやりたいと思う。
オレはユミさんに笑い掛けた。
「ユミさん。宜和は反省してます」
はっと驚いた目がオレを見た。言い中てられると思わなかったのかもしれない。
「他を見下すのは止めるって言ってたし、まさかあんなこともう言わないと思います。また滅茶苦茶言うようなら、またオレが怒っときますから大丈夫ですよ!」
きっと、優しいユミさんは、またあんなことを言われればオレが嫌な気持ちになるって心配してるんだと思う。
例えあいつが何言ったってどうってことないって伝えたくて、大丈夫、の所をちょっと力を込めて言った。
「反省、ですか。三太朗どのはそう思っているのですね…」
「はい!だって、誰でも間違うことはあるんだし、一度ぐらいやり直せるって思ってやろうかなって。それぐらいあいつ反省してたんです。そりゃ頼りないし思い込み激しいしうじうじ悩むけど、嘘も下手だし大逸れて悪いこと出来る奴じゃないし、」
友達だし、と付け加えて、ちょっと楽しくなった。
あいつは莫迦で気弱だけど悪い奴じゃない。まあ、話してると年上に思えないってのがちょっとあれなんだけど、遠慮なく言い合えるのが楽しいし、オレの話をちゃんと聞いてくれる。オレもあいつの話を聞いてやりたいと思う。
そんな対等な関係なんだと思うと、なんだか凄く嬉しかった。
「だから、心配しなくて平気ですよ!」
なぜだかちょっと呆れたような笑みが帰ってきた。あれ?何か外しただろうか?
あれ?何か間違った?「心配してくれてありがとうございます?」と付け足したら、しょうがないなあという雰囲気のままでよしよしと頭を撫でられた。う、本と西瓜で両手が塞がってる所為で手を防げない…。
「ええ…分かりました。どうぞ仲良くお食べなさいまし。でも何かあったら直ぐに、誰かに言うのですよ?良いですね」
「はい、わかりました!ありがとうございます」
兎に角ユミさんの気持ちは軽くなったみたいだし、お許しは出たから、良いってことにしとこう。
オレはお礼を言って引き返した。
「賢いとはいえ、やはりまだまだ子どもなのですねえ」
そこが可愛いのですけども、と呟く声は、楽しげに去る後ろ姿には届かずに消える。
敏い子どもはそれでも当然、大人の心を察することは出来なかったようだ。
案じる気配が残ってはいても、見送る目は優しく細められて、満面ではないにしろその顔は確かに微笑んでいた。
「お?三太朗じゃん」
「おー、いいところに」
廊下の角を曲がったところで、障子どころか軒吊り簾も巻き上げた、風通しを最大にした部屋で書き物をしている先輩二羽に呼び止められた。
日の向き的に、日陰になってるとはいえ、虫とか入らないんだろうか…それともあるのか、『虫除けの術』が。
「え、何か御用ですか?」
「うん。ちょっと困っててなー」
「ああ、少しで良いから相談に乗って欲しいんだよなー」
先輩たちがオレに用があるなんて珍しい。しかも相談事だなんて初めてだ。西瓜があったまらない内に行きたいんだけど、無視して通り過ぎる選択肢は初めから用意してない。
「はい、オレで良ければ」
オレは二羽が間に置いた座卓に近寄って、西瓜の皿と本を脇に置いた。
「ちょっとな、お前の先輩で俺らの後輩にあたる、次朗って奴がいてな。そいつに帰って来るようにって文を書かなきゃいけないんだ。その文面を考えるの手伝って欲しいんだよ」
不審に思ってオレは首を傾げた。
「普通に『帰って来て欲しい』じゃダメなんですか?」
「それがさ、師匠が十通以上書いたんだけど、帰って来ないんだよな」
「ええ?何でです?師匠が呼んでるのに帰って来ない程の理由があるんですか?」
普通そう思うよな、と言いながら、そっくりの顔が同時に溜息を吐いた。
「それが分かんないんだよなー。文は律儀に全部受け取る癖に、連れ戻しに行ったら逃げるし、返事は来ないしさ」
「昔から馬鹿ばっかりやってる奴だったし、今度も何か馬鹿な理由なんだろうけどなー」
馬鹿だ、と言いながらもその声は呆れていても怒った様子が無いのを、オレは不思議な想いで聞いた。
次朗、という名前は何度か耳にした覚えがある。確かオレの前にあの際昊水を飲んで天狗に成ったひとで、壁に漢字の書き取りをしたり、鬼夫婦の家に行くのに道を辿るんじゃなく、毎回斜面を滑り降りて行くっていう話の、オレのひとつ前の弟子だ。
次朗さんの情報に『帰って来いって言われても無視する』と『迎えに行ったら逃げる』を付け加えてみる。…遊びに行ったら家に帰って来ない悪ガキ…いやいやそんな、仮にも先輩に失礼だ。
それにしてもちょっとしか聞いたことが無い割に、聞く話が殆ど武勇伝である。先輩たちの様子を見る限り、憎めない性格をしているみたいだけど…ほんとにどんな方なんだよ。
二羽もそれぞれ手元に紙を置いて認めているんだけど、その内容はなんだか自棄糞気味だ。武蔵さんは泣き落としで、紀伊さんは脅し文句が書き連ねてある。―――そこまで行き詰ってるんだろうか。
「えっと…師匠と仲が悪かったとかは?」
「無い無い。逆に昔からべったりでなー。離れたがらなくて苦労してあやしたこともあったな」
「まあ、大きくなってから今度は反抗ばっかし出したけど、甘えてるのがばればれだったんだよなー」
師匠が嫌いで帰って来ないとかでもないみたいだ。
ううん、と唸って考える。次朗さんは先輩たちから見たら、師匠が嫌いっていうよりむしろ、懐いてたっぽい。
――――要は、帰ってくれば良いんだよな?だったらひとつ、思い浮かぶものはあるんだけど…ちょっと酷いかなぁ。
まあ、ダメだったらそう言ってくれるだろうと思い直し、オレは筆を取った。
「…オレだったら、これ見たら間違いなく急いで帰って来ますけど。流石にこれは不味いですか」
どれどれ、と覗き込んだ二羽は、揃って噴き出した。
「ちょ、お前…くくっ、確かにこれは帰ってくるわ」
「あっはははは!いいじゃんこれ、これにしようぜ!」
「え、本気でこれにするんですか!?」
半分冗談だったのに、意外な好感触で逆に不安になる。
「良いって良いって!まあ、師匠に許可取ってからなー…っははは」
「いやもう、これは帰ってくる!間違いない!うん、ありがとな」
「そう、ですか?だったらどうぞ…あ、ちょっと待って」
オレは面相筆を使って、端っこの方に小さく書き足して差し出した。一応の予防線ということで。
「助かったわ。はいこれお礼ー」
「あ、ありがとうございます」
机に置いてあった茶菓子の饅頭をふたつ、紙に包んで武蔵さんがくれるのを有り難く受け取る。
「あ、西瓜ぬるまっちゃったな、悪い悪い。冷やしてやるよ」
「冷やすって?え、うわ!すっごい!!」
紀伊さんが西瓜の上に、手早く術を描いた。
描きあがると、西瓜に見る見るうちに薄らと霜が降り、少しだけだけふわっと冷気が白く床を這う…術ってすごっ!
「おおお、きんきんだー」
皿を触って歓声を上げるオレに、二羽はちょっと済まなそうな顔をした。
「こんだけ冷やしとけば向こうに着く頃には食べごろだろ。時間取らせてごめんな」
「あの宜和ってやつに苛められたら遠慮なく言えよー」
「大丈夫ですよ!宜和に負けたりしません…え、あいつのとこに行くの知ってたんですか?」
きょとんと見返すと、双子は揃って温かく笑って言った。
「そりゃお前、友達のとこに遊びに行く顔してりゃ、分かるって」
みんな三太朗を見ると何かあげたくなっちゃう。