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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
51/131

四十五 戦いの後



『白い?灰色の?髪の、男の子。知ってます?』

 高遠は、もうすっかり土の山に戻った傀儡(くぐつ)を睨んで、耳に残る言葉を何度も反芻した。

 その言葉からは、ひとりの顔が否応なく思い浮かぶ。

 白味の強い黄灰色の髪を持つ少年。高遠自身手元に置くことを決めた末の弟子だ。


(こちらに目的が知れるのに構わず態々(わざわざ)問うたのは、あるじの反応からあやつを知っておるかどうかを測る為であろうよ。あやつのことを、知られていると見て間違いなかろう)


 声なき意志が直接頭に響いて、配下の大鴉の声を作る。

 それに心中だけで、そうだろうなと返した。


 あの奇妙な女術師の傀儡は、高遠が知っているかどうか判断が付かないようなことを言ってはいたが、見当が付いていなければあんなことは言うまい。

 三太朗を拾ったあの夜、少年を襲っていたのも傀儡だった。

 傀儡の術は、術師の間でどれ程珍しいのかは知らないが、高遠の感覚で言えば『たまに見かける』程度だ。術師と出会う機会自体少ない中でたまに見るというのは、運もあるだろうがそこまで(まれ)ということもあるまい。

 複数の流派が使えると考えて妥当。しかし、傀儡に襲われていた少年のことを傀儡使いが探しているという現状を見れば、あの女の属する勢力の仕業だった可能性は高い。

 そうでなくとも何らかの繋がりがあるので間違いない。 


――――そうであっても、なぜ場所を知っている。


 三太朗を拾ったのは、白鳴山の近くと言えば近くだが、それは空を飛ぶ翼を持つ者にとっての話。あの場所からここまでは山を四つは間に挟む。

 そして、白鳴山よりも他の勢力や人里の方が近い。

 あの夜は面を付けていたはずだ。あの傀儡から何か情報を得ていたとしても、突然の襲撃者が高遠だと判断できたとは考えにくい。ましてや妖が人の子どもを手元に置いておくなどと、人が考えるだろうか。


 三太朗を弟子に取ったことを知るのは、館の者以外では高遠自身が最も信頼を置く仲間に限られる。

 彼ら自身は無論のこと、滅多な者に情報を漏らすことは無いと断言できる。ひとつずつ顔を思い浮かべても、疑わしい者は浮かんではこない。

 では何故三太朗が白鳴山に居ると、見当を付けられたのか。


 何にせよ、知れてしまったのなら今更のこと。どこから知られたのかは、今この場で考えて答えが出る筈も無し。


――――追えたか。

(いいや。済まぬな。どのような手立てか知らぬが、操り手への糸は結界が破れると直ぐ手繰る前に消えた。あるじが斬らねども、じきに土塊(つちくれ)へ戻っただろうよ。見通すにも途中で色々と妨害があった故、こちらに気付かれずに探るには時が足らなんだ。やれやれ、死骸も残らぬでは情報が取れぬ。当てが外れたな)


 問いへの(いら)えに、全くだ、と思いながら、土の山から、目についた水晶玉を拾い上げる。

 相手が死んで口を閉ざしても、それをこじ開ける(すべ)はあるが、只の土になっては、何も訊くことはできない。

 術師の女を見つけて直ぐに、ヤタには女から余所へ通じる術の気配がないかを探らせていたが果たせなかった。

 だが、勘付かれなかったのならまあ良い。


 謎は多く、結果は最上とは言い難いが、得た物は大きい。


 頭になっていた辺りの土から、赤い石が付いた飾り物を見つけて摘まんだ。それを付けていた女の顔が(よぎ)る。

 高遠は強く口元を引き結んだ。


『白い羽の、テング』


 天狗の山を幾つも襲ってきた者たちの目的が知れた。それは天狗にとって大きな意味を持つ。

 そして、三太朗を狙った者が、天狗の山を狙う勢力と暫定で同一。


 三太朗は最早(もはや)身内のひとり。

 それを狙う者は何処の誰であろうと敵である。


――――どこから知ったかは知らないが、渡すものか。


 意外なところで結びついたふたつ。両方が高遠にとって元から敵。

 容赦は無用。


(無論よな。久々に我らが敵とするに不足なき相手と見受ける。確実に仕留めねばならぬ。焦るでないぞ)


 不敵かつ不遜に(のたま)うカラスに、それこそ愚問だ。と返した。

 下手を打って仕損じるつもりはない。


 そのとき、黙っていた狼が、すっと静かに近寄った。

「…勝手を致しまして、申し訳ありません」

 律儀な狼は言葉少なく先ず()びた。


「いや、良い。早く済ますにはあれが最上の手だろう。機を逃さず正しく判じたのを誉めこそすれ、咎め立てなど出来る筈もない」


 彼が詫びるのは、周囲の敵は任せろと言い置きながら鬼の族長を高遠の(もと)まで通したことだ。

 族長を通した後も傷ひとつなく、その他の鬼を牽制していたのを見れば、察するのは容易い。

 やらんとしたことを正しく察し、よくやったと誉めた主に、獣は恭しく頭を垂れる。


「御心有り難く。…あれらは逃げました」

 それまでと違い、高遠以外に聞こえないように絞った声量で付け足される。


 戦闘の最中、戦場近くに見つけた気配があった。

 こちらに干渉してくる様子はなかったので一先ず放っておいたが、巧妙に姿を隠していたために、何かが見ていることしか判らなかった。

 だが問題はないだろう。こういうことは配下たちの方が高遠より得手だ。彼らが代わりに何か掴んでいる。

 聞こえた印に軽く頷いておいた。

 そこにあるのは、もう意識に上ることもなくなった程に自然な、しかしそれ故に厚い信頼だった。




 ごぼっ、と水気(みずけ)の物が動く音がした。


(かしら)ぁ!気を確かに!!」

 痛い程の緊張を伴って静まり返っていた場が俄かに騒然とする。口々に呼び掛ける声が上がり、咳き込む音が合間に聞こえた。

 見れば鬼の一団は族長を運んで少々の距離を取って布陣していた。

 遠巻きに睨んでいた鬼たちが、振り向いた天狗に向かって決死の顔で武器を構える。

 ここに至っても頭領(とうりょう)を守ろうと全員が立ちはだかり、誰ひとりとして逃げ出そうとはしない。


 敵ながら、その統率力は素晴らしい。

 

 やがて、断続的に聞こえていた咳が止んだ。その後に続く荒い息は、異音が混じってはいたが虫の息と言うには力強い。

 急所を外しておいたのが功を奏したらしく、鬼の族長はなんとか黄泉路を辿るのを踏み止まったようだった。

 相手が天狗や人ならば、急所がどうのと言っていられない程度には傷は深い筈だが、鬼は生命力が強い種が多い。


「よう…天狗どのよ」


 この鬼も例に漏れなかったのか、掠れてはいても落ち着いた低い声が、存外にしっかりした調子で響いた。

 声がかかると同時に、正面にいた鬼たちが左右に退く。割れた群れの間から、抱え起こされ、口元を血で汚しながらも、しっかりと目を開いた鬼が見えた。


「流石に頑丈だな、鬼」


 かはは、と笑った声は、不自然に途切れる。痛みを堪えて顔をしかめた鬼は、ややあってまた太い笑みを浮かべた。


「そりゃ、あんたが、手加減したんだろう。その上で、負けた。ざまあねえもんだ…」

 頭、と悲痛な声が上がるのを目線ひとつで黙らせて、支えられて身を起こしたまま、鋭く光る目が高遠に向かう。


「儂ぁ負けた。正面から負けたんだ。この首ひとつ、自由にしやがれ」

 また騒めく周囲を「だが」という声が圧した。


「儂の首は、やる。だが、それで手打ちに」「断る」


 更に何か言おうとするのを遮る簡潔な一言を残し、天狗は興味を失ったようにまた土山へしゃがみ込んで、見つけ出した小さな水晶玉を拾い上げた。


 場の者は全員残らず固まった。

 決意を込めて語りだそうとし、出鼻を挫かれた鬼の族長も、それを止めようと口を開きかけた鬼たちも時が止まったかのように動きを止め、傍らで見守る狼でさえ呆気に取られて僅かに口を開けていた。

 ただ一羽、天狗だけが土を掻き分け、何かを探している。


 妖の戦いは種族でただひとつの共通の認識がある。

 どのような理由があっても、勝てば全てを得るが、負ければ命を含めた全てを勝者の好きに出来るという単純なもの。

 負けを認めてしまえばそれは全ての終わりを受け入れたに等しい。


 そしてこの一戦も雌雄は決した。後の処遇はは天狗の匙加減ひとつで如何様にも変わるというこの状況で、自分の首で他の者の命を(あがな)おうという提案が一蹴された。

 それが示すのはただひとつ。


「…確かに、確かに我らはあんたの山へ攻め入る気でいた。虫のいい話だ。だが、鏖尽(みなごろし)は、今一度考えちゃくれんか!」


 頼む、と切羽詰って言い(つの)る。

 そこには意気揚々と仲間を鼓舞した面影はなかった。


 族長は支える手を振り払い、両拳を地に突き立てて頭を下げる。

 正しく敗者が勝者に慈悲を乞う光景。

 敗者は鬼で、勝者は天狗だ。

 ここに来て、その単純な構図が鬼たちの胸に刺さった。


 自分たちは、負けたのだ。


 溜め息が(さざなみ)のように場に寄せた。落胆が、虚しさが、鬼たちの上に去来する。

 最強を自負した自分たちが、だだ一羽の天狗と一頭の狼に歯が立たなかった事実。


 勝者は敗者の生殺与奪の権利を得る。敗者は勝者に許しを請わねば全てを失う。

 その実感より彼らの頭領が敗けを認めて仲間の命を乞う、その光景が、彼らの心をより一層うちひしがせた。


「頭ぁ…もう止めてくれ…そんな…」

 力なく地に膝を突いた鬼が、悲嘆の籠った呻きを上げる。


 彼はもう見たくないとばかりに瞑目した。

 命を捨てて敵に縋る、強く大きかった族長の姿も、それに背を向けた理不尽な天狗の姿も。


 だが、


「あんたに頭ぁ下げさせて生き延びたとして、どんなツラで生きて行けってんだ!」


 絶望が漂う、気迫の抜け切ったその顔の中で、やがてその相貌が見開かれた。激しい光が瞳に宿る。

 じりじりと大気が音を立て、雷の気配が混じる。


「そうだ、我らも死ぬ覚悟はできとる」

「ああ、最期にあんたに泥被せられねぇ」

「それぐらいなら、一矢報いて見せよう!」

「未だ、終わりじゃねえ!!」


 手の武器を握りなおし、場の鬼たちが次々に呼応する。

 その眼は爛々と輝き、全身から戦意を漲らせ、捨て身で最後の特攻をかけんと決意を固め。


「馬鹿!止めろ…!」

 叫びかけた族長が、また血が溢れた傷を押さえて呻く。


「お前らが居なくなったら、誰が残りのもんへ報せに行く。これ以上、数を減らしちゃ、氏族が終わるだろうが…!」

「だからって、はいそうですかとあんたの首渡したってぇあいつらに言えるか!!」

「止めろ!ッ…お前らじゃ、敵わんのは、分かっただろうが!負けたもんが、これ以上恥を重ねるな!」

「関係ねえ!!ここで引き下がれるかぁあ!!」


 鬼は熱しやすい気性を持ち、思慮よりも力を重んじる傾向がある。

 負けたという事実は燃料となり、屈辱は彼らの興奮に薪を投げ入れた。先を見るように諭す族長の言葉でさえ、その血みどろの姿を眼に映せば、それをした相手に対する敵意を掻き立てる結果にしかならない。

 ましてや天狗は族長の申し出を蹴り、自分たちを許すつもりはないのだ。

 黙って大人しくしていても死ぬならば最後まで抗うのみという結論に至るのは、ある意味当然の流れだった。


 加熱した空気は燃え上がり、狂気を孕んで膨れ上がる。

 必死に止める族長の声さえも届かず、いざ最後の戦いが始まる。



 そのとき、天狗が動いた。


 振り向き様に白い刀が一度閃く。

 突風が駆け抜けた。


 風は逆巻き、武器を掲げて一歩踏み出そうとした鬼たちに襲い掛かる。

 勢い込んで間を詰めようとしていた巨体が煽られてたたらを踏む程の強風は、地の埃と枯葉を巻き上げ、燃えさしと灰ごとそこ此処の焚火をも吹き飛ばし、族長の守護に就いていた鬼たちをもよろめかせて―――仲間を止めようと声を上げていた頭領の前で唐突に消えた。


 突然闇の底へ叩き落とされては足を止めざるを得ない。

 鬼たちの前進は止まり、不意打ちの闇が敵意の波に穴をあけた。


「何の話をしている?」


 風音と灯の消えた夜の闇の中、静かな声が言った。

 ひょう、と高い音がして、ふっと白々とした光が差し込んだ。


 白い刃が煌めく。それは天を指し、雲の割れ目から顔を出し始めた月がその(きっさき)を照らしていた。


「断る、と言ったはずだが」

 そう言った天狗に、我に返っていきり立った者たちに先んじて、掠れた声が血の滲む叫びを上げる。


「そこを何とか!儂の首ひとつで、収めてくれんか!元はと言えば、こいつらは儂について来ただけのこと!」

 更に食い下がる鬼を前にして、天狗は微かに首を傾げた。


「…ああ、大体想像は付いていたが…」

「長!もう頭下げる必要はねえ!」

「まだ言うかッ!てめえらは黙ってろ!!例え何の価値も、無いとしても儂は…ッ」

「…価値?誠意は大事だと思うぞ…?」

「誇りを棄てて命を取る気はねえんだよ!!」

「そこは命を取れ!ことは、お前らだけで終わらんのだぞ!!」

「まあ…両方大事だとは思うが、命あってのことだしな…」

「貴様がそれを言うか!!」

「あー…まあ、確かに」

「納得するなぁあ!!」


 何名かは、漸く何かが可笑しいと気付き始めた。

 一部の者は興奮がまだ冷めておらず、族長は何とか仲間を守ろうと必死過ぎて分からないようだが、先ほどから天狗はその場を動いていない。その上よく見てみれば、左手に持っていた刀はいつの間にか鞘に納められ、右手の刀も雲を裂いて以後はただ下げられているだけで、構えも何もない。


 敵意で狭まっていた視界が緩んでみれば、天狗の左手には、何か武器とは思えない土まみれの物で塞がっており、更に隣の巨狼は、なんと鬼の方を見ても居なかった。

 背を向けて、姿を現した月を眺めている。

 そこには敵意も何もない。狼に至っては戦う気どころか、もう関わる気も無いのでこちらはお構いなく、という無言の主張であった。

 これはどういうことか、とじわじわと、鬼の陣営に困惑が広がって行った。



 ジンは早々と勘付いて、黄昏ていた。

 主の悪いところが出てしまったのだと。


 高遠は、必要ならば非道な真似も躊躇わないが、本来信義に厚く慈悲も深い。例えこちらを攻めようとしていた者たちだとしても、戦意の絶えた相手を理由なく殲滅するようなことはするだろうか。

 予想外の言葉に惑わされて一時は唖然としたが、そこに違和感を覚えると、直ぐに真実が見えた。


 ああ、あれか。と思うと同時に鬼が気の毒になった。ジンも高遠に仕えて長い。嫌と言う程体験したことだ。


 即ち、いつもの説明不足である。しかも高遠(ほんにん)はそれで通じた気になって、この話は片付いたと思っているので性質が悪い。

 そして出来上がったのが、鬼たちばかりが必死かつ真剣に命をかけて、それぞれの最善を尽くそうと覚悟を決め、当の天狗が置いて行かれているという現在の状況。


 もう分かる通り、高遠に戦う気はない。完全な鬼の空回りである。

 白鳴山に弟子入りした者と、高遠の配下になった者が残らず直面する残念体験が今、余所の者にも飛び火するという事態に、ジンと、それから密かにヤタは遠い目になっていた。


 彼らは気付いたものの、一応は敵対した者なので、止めに入ってやる気も起きず、丁度綺麗に見えるようになった月でも眺めて時間を潰していたのである。




「…さっきから、何か可笑しいような気がするんだが、あんた、悪いがもう一度、最初から言ってくれねえか。"何を"断るってんだ?」

 広がり続けた困惑は、やっと最も熱くなっていた中心地まで達したらしい。少し落ち着いた族長が、違和感の正体にあたりを付けて問いかけた。


「ああ、俺も何か可笑しいと思っていたところだ」


 取り敢えず仕切り直そうとする鬼に、天狗もまた同意した。

 そうして天狗が言ったことに、場が一気に脱力した。


「首などいらん。"断る"。そんな面倒な物貰っても、処理に困る」


 思い詰めた反動で、開いた口が塞がらない顔を見渡して、しゃあしゃあと天狗は更に(のたま)った

「そんなことをすればどうせお前たち、弔い合戦だのなんだのと言ってくる心算(つもり)だろう?そんな無駄なことも止めろ。此処に倒れたお前らの仲間も全員連れて帰れ」


 鬼の頭領は暫し遠い目をした。

 その心中は、この場の天狗以外の者は察して余りある。彼らもまた、酷い覚悟の無駄遣いをした同士であった。


 やがて、鬼は義務感に駆られて大きく息を吸った。皆、誰かがこれを言うのを待っているという直感があったからだ。

 彼は空気を読める男であった。


「紛らわしい言い方すんじゃねえええええ!!!」











 一連の騒ぎが収まり、鬼と天狗の間で、少々の話し合いが持たれることになった。


「騒がせて済まんかった」

 倒れた者たちを、まだ動ける者が介抱しているのを横目に、鬼が改めて頭を下げた。


「それはもう充分聞いた」

 対する天狗は、あくまで静かな声を返した。

「このまま大人しく出て行くと言うのなら、此方としては追い討つ気はない。その代り聞きたい。お前たちは何処から来た。何故に故郷を離れたのか」


 手首を断ち落とされた者が、自分の手を見つけ拾い上げて、断面を合わせて押さえているのをなんとはなしに見ながら、鬼の族長は溜息を吐いた。


「我ら氏族は、東領は北東沿岸、競賀瀬(おいがせ)に棲んでいたんだが、あるとき(やまい)が広まってな。(まじな)い師の(ばあ)が、土地の病だと言うので逃れて来た」

「土地の病?流行病(はやりやまい)ではないのか?」


 訝しむ天狗に、鬼は力なく笑った。

「ああ、土地の病だ。体が重く感じて段々動けんようになって、皮が手先足先から黒く染まってく奇病だ。進むと顔やら胸やらも黒い(まだら)になって、手足が付け根まで染まった辺りでそいつは死ぬ。死体になっても病は進む。寧ろ加速して、死んでから全身真っ黒になるまで二日もかからん」


 はっと身動(みじろ)ぎした天狗に、鬼は首を振って見せた。

「心配せんでも故郷を出て後、発病したもんはねえ。今は氏族に病のもんはひとりもいねえ。みんな死ぬか治るかした。あんたの土地に広まることはありえんだろうさ」


 そろそろと押さえた手を離した鬼が、血まみれの指先を僅かに動かしてみて、安堵の息を吐いた。―――手首が繋がったのだ。

 一度断たれた手足が暫く押さえていれば繋がる程、出鱈目(でたらめ)な生命力を持っていてさえ、病には勝てなかった。


「病を治したのが、あの女という訳か。あれは何者だ」


 族長は、来栖(くりす)のお蔭で病も傷も癒えたというようなことを、確かに戦いの前に言った覚えがある。

 あのときから、声が聞こえる範囲に潜んでいたのか。そう思うと、もう苦笑しか出てこない。

 誰一人として、気付くことが出来なかった。力ばかりを追っていた自分たちと、こんなところにも差が出る。


「…恩を仇で返す気はねえ。儂があんたに言うのは、我が氏族があいつに大きな恩が有るということだけだ」


 その気になればこの場の者を殲滅するのが容易い相手。

 問いに答えるのを拒否するのは流石に逡巡はあったものの、結局は正直に言った。


「そうか」


 僅かに緊張した中で、待った返事はあっさりとしたものだった。


「悪いな」

 するりと出たのは、侘びる言葉だった。

 何故自分は敵に申し訳ないと思ったのか。自分でも判断の付かない気持ちに疑問が浮かぶ。


「良い。お前は意地でも口を割らんだろうからな。そんな目をしている」

「…そいつは、どうも」


 鬼はなんとなく、この天狗のことが解ったような気がした。

 名も知らず、顔も見えない。

 自分より強い、ということ以外の殆どを知らない。

 それでも、どこがどうとは確かに言えない部分が、通じた気がしていた。

 そして恐らく相手もそうなのだろう。


「言わずとも良い。だが、聞け」

 だから、この天狗が自分に嘘を吐かないことも、なんとなく分かっていた。


「…ああ」


「この頃、天狗の山を選んで妖を(けしか)ける術師が出る。あの女は、どうだ」


 一瞬息が詰まる。

 天狗は敵対するには厄介な相手だ。

 殆どが集団で行動し、一羽でいる者はある程度以上の実力者。妖術は侮れず、空を飛ぶ故に神出鬼没。おまけに一度手を出せば直ぐに種族全体に情報が広まり、一羽を相手する心算で始めたとしても、気が付けば天狗という種全体を敵に回していることもざらにある。


 軽い気持ちで山を攻撃し、集団で反撃され、逃げても追跡された末についには滅亡した鬼の氏族の逸話は族長も知っていた。

 余程のことがない限り、天狗を相手に喧嘩を仕掛けようなどと思うものではない。

 確かに魅力的な山だが、そこに棲むのが天狗だと分かっていたとしたら、自分はどうしただろう。

 

「根拠を、訊いても?」

「このところ、天狗の山を襲う妖の群れがしばしばある。その中には、ほぼ例外なく人が紛れているという話を聞いた」

「それは…ッ」


 余りに自分たちに近い描写に、驚きが隠せない。


「だが!あいつは…」

 反射で異議を唱えていた。来栖は自分たちに指図などしたことはないのだ。

 しかし、言いかけて言葉に詰まる。


 どの方角に行こうかと会議をしていたそのときに、来栖が意見を出してはいなかったか。

 そしてその方角に、自分たちは進んで来はしなかっただろうか。

 だが、あの女はあまりに自然に溶け込んでいた。思い出そうにも印象は薄く、どんな流れでここまで来たのかはっきりとは思い出せない。


「良い。聞かぬと決めた。お前は言わぬと決めたのだから、言うな。大体予想は付くしな。俺はお前の恩人のことは知らん。だから、俺の持つ情報を伝えているだけに過ぎん。それを聞いてどう考えるかは、お前の自由だ」

「…そうだな」


 前言を翻すのは許さない。情報は与えるがそちらに干渉する気はない、しかしお前の言い分も聞かない。そう言われれば黙り込む他ない。

 只でさえ温情で命を助けられた手前、楯突くことなど出来はしなかった。


「まあ、お前たちは命を懸けて戦いに向かおうとしていたというのに、己は傀儡を操って高みの見物、というところが俺は好かんがな」

 そう言って、天狗は左手に持った土にまみれた何かを(もてあそ)ぶ。

 土人形だったものから拾い上げたものだろう。

 一緒に居たのが生身ではなく、術で操っているだけの人形だった。その事実を象徴する品を、鬼は顔を顰めて睨んだ。


「さて、お前らがこれから行く方角だが、南は止めておけ。此処から先は我らの縄張り。今、天狗は鬼に過敏になっている。命が惜しくば、近づくな。そうだな、行くなら西が良いやもしれん」

「…忠告、感謝する」

 鬼は、奇妙な気分で礼を言った。


「…あんた、我らを今気遣うなら、なんで問答無用に襲ってきたんだ。一言あそこが天狗の山だから止めろと警告を入れても良かったんじゃねえのか。奇襲なんぞしなくとも、あんたなら我ら程度軽く捻れただろうに」

 命を案じて忠告をくれたのは有り難いが、言っていることとやったことが余りにも違うように感じて、族長は首を捻りながらつい言った。


「お前の仲間が、俺の身内を傷つけかけたからな。只で済ましてやる気になれなかった」


 堂々と言われて、族長は頭を抱えた。

 傷つけかけたということは、傷つけるに至ってはいなかったのだろう。


 あたりを見回せば、倒れていた者の幾らかは起き上り、他の介抱に動いている。

 だが流石に倒れ呻いている者も多い。黙っている者―――首を討たれた者が、助かるかどうかは今は考えたくはない。

 無事に動き回る者たちもどこかしら傷があり、全体を見れば満身創痍と言うに不足ない有様。


 これが、八つ当たり紛いの報復の結果だなどと、知りたくは無かった。

 そしてそれに文句を付けることは出来ない。

 自分は負けた側なのだから。


「…そいつぁ、済まんかったな」

 そう言うしかなかった。




「ああ、そうだ。最後に言っておこう。いつまでも近くに居られては鬱陶しい。明日中に移動を始めろ」

 立ち去りかけたのを振り返って、天狗は初めて鬼に命じた。

 口調は落ち着いていて、命じることに慣れている声だった。


「明日中…か」

 是と言うしかなくても、否とも言い難い。

 離れた場所に護衛を付けて隠している、留守番の連中を説得せねばならない。

 故郷を失くした氏族の者の、山攻めへの期待値は高い。

 血の気の多い仲間たちの顔が次々に思い浮かぶ。説得は容易くはないに違いない。


 渋面を作った鬼に、天狗は事もなげに付け足した。

「明日中に移動を始めなければ、"東の谷まで出向く程度の手間は仕方がない"と思っている」

「!てめえ、そこまで知って…!?」


 ではな、と言い置いて、天狗は巨狼に跨った。

 止めようと声を上げたときには、巨狼は(はやて)の速度で駆け去った後だった。


「…お前ら、兎に角傷を縛れ!紐が無けりゃ鞘の下げ緒か、鎧をばらせ!一刻も早く引き上げるぞ!!」

 慌ただしく支持を飛ばし、次に己の体を見下ろす。

 出血は何とか止まった。立てばふらつくが、歩けない程ではない。


 焦燥の滲んだ目が、東の方角を向いた。

 木立の奥を見た族長の目線はしかしそこを視てはいない。

 その遥か先、女子供を含めた氏族が待っているはずの、谷を想った。































 オレは何を思う間もなくがばっと身を起こした。


「え?」


 そこは自室だった。

 部屋は明るく、外からは相変わらず蝉の鳴き声が聞こえてくる。


 朝である。


 拍子抜けするほど、いつも通りの、穏やかな朝が来た。

 いつも通り、片づけた通りの場所に、片づけた通りの物が収まった部屋に、障子に遮られて刺々しさが取れた夏の日差しが穏やかに差し込んでいる。そしてオレは、いつもの自分の布団の中に居たのだ。

 いつも通り。まさにいつも通りの光景。


 だが、オレの心中はいつも通りでも、穏やかでもなかった。


「あれ?布団!?ええ?あれ!?」

 蝉の騒々しさに負けないぐらい、混乱しきった声が部屋に響く。


 だって、オレは部屋に布団を敷いた覚えがなかったのだ。

 もっと言うと、部屋に帰ってきた覚えもない。ていうか寝た記憶もないんだけど!?


 焦りでぐちゃぐちゃになりかけた頭を振って、深呼吸した。

――――落ち着け落ち着け。こういう時は、分かるところから手繰って行くのが一番だ。


 昨夜のことを分かるところから思い出す。


 そうだ、晩ご飯は食べた。里芋の煮っ転がしに、三つ葉と椎茸のお吸い物、菜種の煮浸しに焼いた目刺し…ぎんじろさんがオレたちの食い気漲る叫びを聞いていたのだ。美味しかった。じゃなくてええと、食卓には先輩たちもいたっけ。

 そうそう、起きていようとしたオレに、武蔵さんが手を(かざ)して『ねむくなーるねむくなーる…』とかなんか適当な感じで言ってた。

 それで本当に眠くなってすこんと意識が無くなったんだった!うわオレって実は単純なんじゃ!?って、今はそれは置いといて、ええと、オレはどうして起きていようとしてたんだったか。えっと……あああ!!


「師匠はっ!?」

『昨夜の内にお帰りだ』

 思い当たると同時に叫んだ声に、打てば響く調子で壁から返事が来た。


 オレは思わず部屋を飛び出した。



 いつもは歩法を使って足音も殆ど立てないけど、今日は盛大に廊下の板を踏み鳴らして走る。

 走る途中で、くしゃくしゃの普段着を来てることに気付いた。昨日の服のまま寝ていたらしい。

 寝巻きじゃない分走りやすいとだけ考えて、普段気にする色んなことを頭から弾き飛ばした。


 息急き切って辿りついた師匠の部屋の前で止まろうとしてつんのめる。

 裸足が廊下を擦って、きゅきゅーっと高い音が鳴った。


「師匠ッ!?」

 姿勢を立て直すと同時に叫びながら障子を開く。


「ああ、早いな。三太朗」


 机について振り返った体勢で、いつも通りに、師匠がこちらを見ていた。

 本当に、いつも通りに。


「ししょう…」

 気の抜けた声が出た。ついでに体の力も抜けて、廊下にへたり込んだ。


「どうした」


 いつものように話しかけて、身軽く立って歩いてくるのを、食い入るように見る。


 腕にも足にも、顔にも胴にも、傷は見当たらず、どこかに痛みを感じている様子も無い。

 姿勢はまっすぐで、足の運びは確かで、目線は柔らかい。


――――いつもの、師匠だ。


 そう思うと同時に、自分でも訳が分からないぐらい、安堵していた。


「そんなに不安だったか」

 目の前に膝を突いた師匠が、覗き込んでくる。


――――そうかもしれない。


 前、戦いに行くのを見送った時のことを思い出す。

 そして、再び出迎えることがなかったことも、思い出す。


「師匠…」


 穏やかな黒い目には、泣きそうな顔が映り込んでいた。

 それがぎこちなく、強張ったままではあったが、笑顔に変わる。


「お帰りなさい。…こっちは、何事もなかったですよ」


 あのとき用意して、ついに使うことがなかった言葉が、やっと言えた。

 師匠はただ少し目を細め、いつもの重みが頭に乗った。


「ああ。ただいま」


 聞きたかった言葉が、微笑むように掛けられた。




高遠「うちの子怖がらされたからかっとなってやった。後悔も反省もしてない」

鬼「(絶句)」


10/28 次回更新について、活動報告にお知らせ掲載しました。

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