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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
50/131

四十四 討伐

題の通り、鬼の討伐戦です。

思い切り斬ったりなんだりしています。グロくないように書いたつもりですが、苦手な方はご注意下さい。


「では行くか」

 朧月(おぼろづき)を見上げて、黒衣の青年が気負いなく伸びをした。

「うむ。さっさと行ってさっさと終わらせるに限る」

 ばさり、と翼を鳴らして飛び上がった大鴉が、差し出された腕に乗った。

「主なれば、然程(さほど)の労もなきことと愚考しますが、くれぐれもご油断召されぬよう」

 傍らに畏まった灰色の巨狼が、首を下げて主が動くのを待つ。

 ずるり、と足元に這い寄った白蛇が、脚を伝い上り、天狗の肩を一巡りして、その懐に這い込む。上る間に太く長かった体躯は縮み、懐に辿りつく頃には小蛇と言って過言ではない程になっていた。


 高遠は、狼の首に手を掛け、肩の辺りに足を掛けると、馬具をつけた馬に乗るように、軽々と巨狼に跨り腰を落ち着けた。

 かちゃりと小さく音が立つ。

 腰に下げた太刀が鳴ったのだ。


 そのまま視線を巡らせると、その場にいるのは山の守りを命じた配下たちと、弟子が三名。


「直ぐに戻るが、留守を頼むぞ」

 声を掛ければ、そっくりな二羽から異口同音に了承が返る。打てば響くような返事に頷き返し、彼らより一歩下がったもう一人を見た。


 背後に立った鳥女が、促すように肩に手を置いて初めて、はっと刀から目を上げたその顔は固い。

 しかし、目が合うと、気丈にもぎこちなく微笑んで見せる末の弟子。

 流石に武装せず出る訳にはいかず、無理をするなと言ったのに、見送りに出ると頑として譲らなかった。


 しかし高遠の武装は太刀が一振りのみで、他は武具も防具さえ身に付けてはいない。

 普段着に太刀だけ下げているというその恰好が、三太朗の新たな不安を掻き立てていることに気付かず、高遠は、不安にさせているということだけを確かめて、自分もまだまだだな、などと的外れなことを思った。


「…御武運を」

 ややあって、固い声で不安げに差し出されたのは、そんな堅苦しい定型句。

 精一杯の背伸び。案じる心を込めた初々しいそれに少し笑みを浮かべて「ああ」と返した。


「直ぐに戻る」

 もう一度、今度はひとりの目を見て言う。

 それを合図に、腕に居た鴉がふわりと体を浮かせた。

 黒い鳥は、色はそのままに輪郭を崩す。ふっと縮み、ぐにゃりと歪みながら天狗の頭を飲み込んで、変化が始まって一呼吸の後には、ひとつの形に落ち着いた。


「行ってくる」

 言うその顔は、鴉の面に隠された。

 面の下で、密やかに目元を引き締めて、高遠は狼を促した。

 一組の妖は、軽やかに夜闇を駆ける。











 白鳴山を取り囲む山々、その一角。

 天狗の山から死角になる山間(やまあい)では、本来眠りの底にあるべき刻限にも関わらず、未だに音が絶えることなく、密やかに火が燃やされ続け、眠りと程遠い、だが静かな熱気が渦巻いていた。


 橙に染まった光を浴び、林に作られた広場を埋めて幾つもの影が蠢く。

 人ではあり得ない程の巨躯に、鈍く炎を照り返す一本角、丸太のような太くかたい四肢。

 鎧が擦れる固い音の主は、鬼。


 最低限の灯りの下で、戦支度も万端に、手に手に矛や槍を持ち、数十の襲撃者が今、最後の休息を終えようとしている。

 夜闇を越えて、その先に、彼らの新たな拠点を築くために。

 その場の空気は掻き立てられるのを待っている熾火のように、密やかに、しかし熱く。燃え上がるときを今か今かと待っている。


『今のところ順調です。夜明けには例のテングとやらに会えるわ』


 低くさざめく鬼たちの声の中から、鈴虫の音のような高く軽やかな声が浮かび上がる。厳つい鬼の群れで聞こえるには明らかに場違いな、若い女の声だ。


『尤も、テングさんが逃げてしまっていたら、会えないでしょうけどね』


 恐ろしげな巨躯の間を、まるで散歩するかのように軽い足取りで抜けながら、女が喋っている。


 その様は、一言で言えば異様だ。


 筒袖の地味な着物の上から肘までの手甲を付けて、細身の野袴(のばかま)の上から脚絆(きゃはん)を巻く。東領では山越えの旅人が好む動きやすい服装だが、まずその女は東領では珍しい程背が高かった。

 巨躯を誇る鬼の中である今でこそ小柄に見えるが、比べるのが人の男であれば遜色ないを通り越して勝ることが多いだろう。その長身は、普通の旅人と同じ格好をしても、人波に溶け込むことはまず無いに違いない。

 だがその女を見た者が驚く第一は、その身長ではありえない。

 彼女の髪は、量が豊かな上に優美に波打って、その色は火に照らされているのを差し引いても、黒色では持ち得ない煌めきを備えている。

 異色は髪だけではない。少なくは無い数の鬼が、通りがかる女を振り返るが、それに愛想よく会釈する彼女の微笑む瞳は、炎の橙色を透かしてさえ消えない青味がある。


 極め付けは、女が話しかける相手である。


『だってこの方々、斥候がひとり戻らなかったというのに、準備が整うまで行かないとか言ってぐずぐずしているんですもの。本当に攻め落とす気があるのかしらね。もしかして、人数を揃えて威嚇して、戦わずにあの山を奪い取ろうと思っているのだとしたら…いいえ、あり得ません。忘れて下さい。だってこの方々、正面から戦って勝つことしか考えていないんですの。……ええ、ええ、確かに、戦いが無ければ私も安全なんでしょうけども。それだとテングを間近で見られませんし、このオニという種族の力任せしか知らない戦い方が、この国でどこまで通用するのかを確かめられませんの。それでは本末転倒ではなくって?』


 隣に相槌を打つ者は居らず、発される声は一人分だけ。

 そこには誰も答える者が居ないにも拘らず、まるでそこに会話相手が居るように、語り、相手の言葉を聞くような間を取り、また微笑みながら話し続ける光景があった。


 ただ、耳に付けた赤い石の飾りが、弱く明滅を繰り返している。

 それを注意深く見る者が居れば、女の言葉に応えるような間隔であることに気付くだろう。


『…え?まあ、ふふふ。勿論、そんなことはありません。オニたちはとても興味深いわ。現にこの方々が使う"ライジュツ"というものは私たちには無いものでした!他にも、彼らの独特な文化や、体の仕組みや、お料理なんかもとてもとても面白いのですよ!これも神のお導きでしょう!彼らのお蔭でまた我らが"識域(シキイキ)"は拡張されました!!何て素晴らしいことでしょう。…ただ、少々、お馬鹿さんだとは思いますけれどね』


 どこか恍惚とした表情で語られる話はけれど、所々に刺がある。

 煌めく笑顔を振りまきながら、しかし毒を含んだ言葉を潜めることをしない彼女に向けて、鬼たちは遠巻きに視線を投げるだけで怒りを覚える様子はない。


「おう、来栖(くりす)どのよ」

 そのとき、野太い声が女を呼び止めた。それを聞いて来栖と呼ばれた女は髪を舞わせてくるりと振り向く。


「ハイ、何かごようですか、オサ?」

 答える声は何処かたどたどしく、発音に奇妙な部分がある。

 その言葉は豊芦原(とよあしはら)で標準的に使われるもの。対して先ほどまで女が流暢に口にしていた言葉とは別ものであった。

 それが指す事実は、鬼たちは、今まで女が語る言葉を鷹揚に許していたのではなく、聞いても理解できなかったが為に怒ることがなかったというものである。


 鬼の族長もまた、その例に漏れない。来栖を特に咎めることなく、寧ろ上機嫌に、その一際(ひときわ)大きな体躯を屈ませて覗き込んだ。


「あんたのお蔭で傷は癒え、病は去った。今や我が部族の戦士隊は万全の態勢だ!今の我らに恐れるものは何もねえ!!あの山を仕切ってやがるのが何であれ、明日にはあの山は我らの物になるだろう!!」


 来栖に話しかけて始めた言葉だが、最後は高らかに空へ宣言し、それを聞いた部族の戦士たちが意気高く武具を掲げて歓声を上げた。

 その声は(とどろ)くように周囲に響き渡り、驚いた鳥が何羽か夜空に舞い上がった。


『…ここまで仮にも隠れていたというのに、そんなことはもう覚えていないのね…気の毒な頭だわ』

 にこにこと笑顔を絶やさない女が、小声で呟いた言葉を聞き咎める者はこの場には勿論居ない。


 仲間を見渡して満足げに頷いた族長は、表情を真剣なものに変えた。


「あの山を狙ってる奴が他にも居るのは見つけた。先を越される訳にはいかねえ。ただ、何が居やがるのか分かりゃしねえが、あれだけの山には何か護る為の仕掛けがあるに違いねえ。煮炊きの煙が上らんのは確認した。だったら居る数は少ないか、火も使えん妖獣の類だろう。様子を見に出た祥助(しょうすけ)が戻らんかったところを見ると、油断出来ん程度にやる(・・)上鼻も利く奴だ。妖獣だったら何とかなるが、少ない数で守ってる上にそこまでのもんなら、妖術も使うかもしれん。そしたら厄介だ」


 朗々と部族に語りかける声は落ち着いていて良く通る。

 その力強い声に鬼たちは引き込まれ、いつしか勝利を予見して湧いていた場は、緊張を孕んだ静けさが支配した。


 女は絶やさぬ笑顔の裏で嘲笑する。


 たった一度斥候を(はな)ってそれが帰らなかった。それだけで相手を測り、大雑把に過ぎる目算で『万全の態勢』とやらを整えて、これで負けないなどと。

 彼らが敵を測るのは、相手が『弱い』か『強い』かという二種類に区別するためでしかない。その種族が何であるかとか、防衛手段がどのようなものであるかでさえ、興味の外。他にも狙う者が居るのにそれがただ手を(こまね)いて見ている現状から、何かあると推測するだけの思慮は無い。

 妖術の危険性を仲間に解く族長は、この中で最もましなのだ。他は自分がどれだけ力を込めれば相手を粉砕できるか、それが如何に容易かを語るのに忙しく、相手の力量に興味を示したりはしない。それがこの鬼の一団の普通なのである。

 相手に自分の力が通用しなかったときのことなど、考えたこともないのだろう。


 斥候が始末されたにしろ、捕まったにしろ、相手にこちらの存在がばれた時点で、隠密行動の優位性は失われている。時間を置いて警戒を解くには短く、相手の不意を衝くには長すぎた。この上で夜陰に紛れて移動して、夜明けの薄闇という視覚が混乱しやすい時間を狙って奇襲しても、本来の効果は期待できない。

 元から退く気がないなら、せめて斥候が戻らなかったときに即座に急襲するべきだった。来栖はふとそう思う。


 悠長にこちらの備えを、それこそ出陣前の決起会に至るまで入念に済ませるという族長に、周りの者もそれを支持しこそすれ反対意見などついぞ出なかった。

 彼らにとっては相手が油断していても、準備万端整えて待ち受けていても、力で捻りつぶせる瑣事でしかないのだ。


 戦略的に見て、敵に備える時間をたっぷりと与えるのは愚の骨頂である。それを知らないどころか理解の必要性も感じていない。そして自分たちの力が通用しない可能性など、考えても居ない。それが彼らの知能の限界であろうとあたりを付ける。


――――だからこそ好都合なのだけれどね。

 力任せの稚拙な戦略が、豊芦原(このくに)でどれだけ通用するのか。それを知るのに彼らは丁度いい。

 熱気の真ん中で笑みを浮かべながら、来栖は一歩外に立つ視点で周りを眺めていた。


「…そこで、栗栖どのよ」

 不意の呼びかけに隙のない笑顔を返す。


「ハイ!オサ。ワタシは何をしましょうか?」

 頷いた族長は、強面の顔を更に引き締めて迫力を増した。

「あんたにゃ充分でかい恩が出来ちまったが、もう一働き頼みたい。相手が数で押してくるなら望むところだが、結界なんぞ張りやがったら、こっちの手が届きやしねえ。そんな場合に結界を破って欲しい」


――――あらまあ、オニらしく抽象的で素敵な無茶ね。

 来栖は溜息をかみ殺した。

 結界術を破るのは、硬い物を力任せに粉砕するのとは訳が違う。

 結界は様々な種類があるが、押し()べて防御の為の術だから、当然攻撃に対抗し得る強度がある。今回問題になるのは、物理的な障壁としての結界だろう。なら、術的な耐性は低い可能性があるが、それでも弱点を探り出して衝かねば破ることは難しい。

 斥候に立った者に渡した道具は、汎用性の高さを求めた試作品だった。だが所詮試作は試作。強い結界なら太刀打ちできるか不安だし、破れはしても使用者への負担が高く、人が使うには適していない。

 自分が使えないなら無駄に頑丈なのが取り柄の彼らに使わせるのが良いだろうと持たせたのだが、彼が帰ってこなかったのを見ると、使用の機会はあったのやらなかったのやら。


 使用者の負担が高くなったのは、術を破るのに失敗すると自分に跳ね返ってくるためだ。あの玉は単純に、広い範囲に向けて数多くの対抗術を発する仕組みになっているので、その内ひとつが"当たり"だったとしても"外れ"の全てが自分に返ってくるという欠陥品だった。

 そうせねばならなかったのには理由がある。

 術式が違えば弱点も違う。その上術を作った者が破らせない工夫を凝らしているのが普通。

 初見の結界を戦闘中に破るには、一瞬で術式を看破する目と対抗する術を組む練度、何より緻密な制御が必要だ。

 思いつく限りの対抗術を、広い範囲にぶつけてそこに弱点があれば、小難しいあれこれを抜きにして結界を破ることができるんじゃないかなー、と考えた仲間の一人が作ってみた。というのがあの試作品の真実であった。


 その発想に呆れるが、しかし一応の筋は通っている。どうしても結界を破らなければならないときには有用である。

 使用者のその後を考えなければ。


「…ハイ、オサ。頑張ります」

 相手がどんな者なのか分からない時点では結局そう言うしかない。

 それをどう取ったのか、族長はこれで安心だとばかりにがははと笑って来栖の背を軽く叩いた。

 彼にとってはほんの軽いものだったが、栗栖は殆ど吹っ飛んで前のめりに三四歩よろけた。なんとか転ぶのは免れたものの、もう少しで焚火に突っ込みそうになってひやりとする。


「おう任せた!これで憂いはない!者ども!行くぞ!!」

 五十の鬼の咆哮が響き渡った。

 戦意は高く、自分と仲間の力量を信じて疑わない。陰りのない気勢を上げて、向かう先に不安などないと、武具と瞳が焚火の光を受けてぎらつく。


 見上げた来栖が思わず怖気(おじけ)る程の力強さで、鬼の一団は勝利を誓った。




 不意に、高く太い遠吠えが木霊した。


 声はひとつ。だがその大音声は鬼全ての声を圧して響き渡り、長く尾を引くよく通る声は、濃厚な敵意と害意を含んで険しい。


 渡る声からは発した主が巨大な獣であることを推察するに容易。来栖は声の主を思い描くより先に、その声の近さに愕然と眼を見開いた。

 周りの鬼も騒めいた。獣の声は、豪胆な彼らをして驚愕させるのに容易なほど―――数十歩と離れていないであろう近くから聞こえてきたのである。

 半ば恐慌をきたして火明(ほあ)かりの外の闇を見回し、その底に敵の姿を探す。闇雲に叫びを上げて威嚇する者もいる。その騒ぎの中に在って、流石と言うべきか、族長は揺るぎなく立っていた。


「お前ら落ち着け!敵襲だ!備えろ!!弓を取れ、矛を構えろ!奴はあっちだ!!見張りを呼び戻せ!!」


 飛ぶ激の効果は目覚ましいものだった。

 俄かに場は目的を取り戻して動き出す。矛を構えた戦士たちが、遠吠えが聞こえた方角へ向けて隊を組み、飛距離より取り回しを重視した短弓を構えた者らが一歩後ろからその合間を埋めた。


 戦略に造詣はなくとも鬼らは彼らなりに強者だ。その構えに隙はなく、表情に油断は見えず、先走る者なく彼らの(かしら)に従う様は、充分に歴戦を思わせる力強さがある。


――――だけど


 女は冷や汗を拭いながら無意識に後退っていた。

 懐から手の中に、指先程の大きさの、乳白色の水晶玉を取り出した。この野営地に張った簡易の結界、その核として用意したものである。

 それが、先の咆哮のときに、振動したのを感じたのだ。


――――まさか、そんな


 再び、遠吠えが高く響き渡った。

 長く長く尾を引くそれに、びりびりと大気が振動する。音が聴覚のみならず触覚までも刺激して、むき出しの顔と手に圧力を伴ってぶつかる。

 思わず顔を背けて手を顔の前に構えたそのとき、手の中に圧力が収束し、小さな衝撃が弾けた。


「ああッ!!」

 思わず驚きの声を上げた。慌てて広げた手の中の水晶玉は、砂より細かく砕け散った。

 来栖は今度こそ呆然と眼を見開いて固まる。

 弱点を探す?対抗の術式を組む?それは人間の常識だと鼻で嗤うように、遠吠えだけで襲撃者は来栖の結界を破って見せたのだ。


 来栖の声が合図であったかのように、前列で怒号が渦を巻いた。

 慌てて顔を上げた目に映ったのは、躍り上がる巨大な影。四つ足の獣。あれがあの声の主かと、反射的に思い至った。


()え!!」

 弓弦が鳴り、影に放たれた矢が吸い込まれるように突き立っていく。


 だが、その瞬間、白い球形の半透明の光壁が獣を包むように展開した。

 矢が結界に防がれる硬質な音が響き、獣の巨体が無傷で地に降り立つ。そして役目を終えたとばかりに、白光は砕けて霧散した。

 余りにも巨大な、それこそ熊と張り合っても勝つ程大きな(あやかし)―――狼が、眼を光らせて牙を剥き出した。


「今だ!掛かれええ!!」

 結界が消えたのを好機と見て、族長の号令がかかる。受けて鬼の戦士が一斉に飛び掛かった。

 磨き上げ研ぎ澄ませた刃を、恵まれた巨体に備えた怪力で叩き込む。迎え撃つ巨狼が、低く身を構え、先頭の一人に狙いを付けて大きく口を開いた。



 そのとき、悪夢が降ってきた。



「ぎゃあああああああ!!!!」

 前方の怒号より程近くから、ひとつの悲鳴が上がった。それを皮切りに、鬼の陣営は混乱の坩堝(るつぼ)と化していく。




 前方にばかり目を向けていた一人の戦士が、頭上からの強襲に気付いたのは、握った槍もそのままに、重い音をたてて利き腕が地に落ちてからだった。

 鬼の腕を切り飛ばした影は、振り向いた別の鬼の肩を足場に跳躍する。

 手には血刀。光を吸い込む黒衣。残像は髪の分長く尾を引いて、未だ何が起きたか分からずにいるまた別の鬼の頭上に落ちて行く。


 刃が閃き、鬼の首がひとつ飛んだ。

 漸く気付いて武器を向けた鬼の脇をすり抜け様、鎧の合間を返す刀で突く。刃を捻りながら引くと同時に、踊るような身のこなしで隣の者の手首を薙いだ。



「野郎!こっちが本命かッ!!」

 まるで草でも刈り取るように(なかま)が斬られていくのを目の当たりにして、鬼の族長が激昂して叫ぶ。

「下がれ!獣は囮だ!!戻れぇえ!!」

 二箇所で掻き回される戦況を変えようと、部下を纏め上げる族長から数歩引いて、栗栖は目を見開いて見ていた。その顔にはもう動揺はない。ただ食い入るようにその戦いを凝視した。


 人に似た容姿。だがその動きは人間では決してありえない。なら、この国流に言うならあれは妖だ。

 その額に角を探すが、目まぐるしく動き回るその者に、それらしい突起は見当たらない。顔面と頭の大半を覆う形の面を付けている所為で、顔まで人に似ているのかは分からない。


 一に驚くべきはその身のこなし。だが、二に目を(みは)るのは、切れ味を失わないその刃の鋭さ。

 もう四人は斬った。普通の刃物なら、血と脂で切れ味が鈍る。骨ごと斬れば刃毀(はこぼ)れは免れ得ないはず。なのに悲鳴の連鎖は止まらない。血飛沫が地を染め上げ、いっそ無造作に見える動きで振るわれる刃が、地に伏す者を増やしていく。


 槍や矛を持つ上に巨体を誇る鬼の方が、小柄でかつ刀を振るう襲撃者よりも間合いは広い。だが敵は振るわれる凶器を易々と掻い潜り、懐に踏み込んでは軽々と痛撃を加えてすっと引く。

 それを追って刃が振るわれたときには、もうその場には居ない。


「ええい!退け!者ども!!(わし)が出る!!来栖どのも下がるが良い、傷を負った者を頼む!」

「わかりました。オサ!」


 早くも前へ駆け出しながら言った声に応えて来栖が下がろうとしたそのとき、見つめ続けた妖が、こちらを振り向いた。

 面で隠れて分からない筈の目線が、確かに絡み合った。

 かろうじて面の合間から覗く口元が動くのが、犇く体の隙間を縫い、夜陰と揺れる炎の光を挟んでさえ、なぜかはっきりとわかった。


――――みつけた


 身に走った悪寒に咄嗟に飛び下がって、懐から新しい水晶を取り出す。

 同時に敵は、一気呵成に駆けだした。


「あああああああ!!」

 行く手を遮る者が、奇声を発して槍を薙ぐ。それを見もせず軽く避けて、脇に一撃入れつつすり抜ける。その先に立った巨体の顎を打ち上げて、倒れかけるその背を足場に更に跳んだ。


「貰ったあああ!!」

 高く跳んだ黒い妖に巨体を生かして槍を突き上げたのは族長。空中では避けることはできないと踏んで、その頬に獰猛な笑みを刻む。

 だが、次の瞬間その顔は歪み、目が大きく見開かれた。


 槍が届く寸前、襲撃者の背に黒い影が膨れ上がったのだ。いや、膨れ弾けるように広がったのは黒い翼。それはひとつ羽ばたくと、槍が届かぬ高度に体を浮かせ、肉壁を飛び越え一気に空を滑って来栖の方へ突っ込んだ。


「天狗だとッ!?」

 耳に飛び込んだ族長の叫びに、襲撃者の正体を知る。

 間近に迫る天狗を前に、来栖は手の中の水晶を掲げた。


「ッ…!」

 天狗が咄嗟に前へ羽ばたいて滑空に制動を掛けるのと、青い輝きが壁を成して来栖を包み込むのが同時だった。

 刀を翳して盾とし、正面衝突に備えた天狗は、岩がぶつかり合うような硬い音と共に結界に弾かれて吹き飛んだ。


「…お前が、術師か」

 ふわりと危なげなく着地して、始めて天狗が口を開いた。

「始めまして、テング。そうですと言えるしそうじゃないっても言えます」

 口調は少したどたどしく、笑みを浮かべて女が答える。


「おああああ!!!」

 動きを止めた天狗に向かい、好機とばかりに鬼が武器を振る。だが、突っ込んできた灰色の巨体がそれを吹き飛ばした。


「周りはお任せ下さい」

 一連の動きに反応せず、来栖を睨んでいた天狗が、初めて目線を、声を掛けた狼に移して小さく頷いた。

 それを合図に狼は咆哮すると、こちらに向かう鬼たちを目がけて突進した。


 同時に天狗もこちらへ踏み込む。

「無駄です!」

 結界が蒼く煌めき、駆けながら振るわれた刀を遮って弾いた。


「ワタシは、戦うの得意じゃないですが、防ぐのは得意です。無駄なことは止めたら良いです」

 一旦跳び離れた天狗に、女は戦場に似合わぬ笑みを向けた。


 天狗は無言のまま手に持つ刀を一度振る。

 纏わりついていた血と脂が振り飛ばされて、地面を赤く一列に染めた。

 それを見ながら来栖は、違和感に気が付いた。天狗は、刀以外汚れていないのだ。

 あれだけの乱闘の中で一太刀も受けていないのか、傷は無いのは勿論のこと、黒い衣装に幾ら目を凝らしても返り血どころか泥さえも飛んでいない。


 刀が揺らめくような光り方をした気がして、栗栖は眉を(ひそ)めた。

 その瞬間、ふっと天狗の姿が掻き消え、それとほぼ同時に黒い姿が目の前に現れた。


 凄まじい衝撃音と同時に結界がびりびりと震えた。天狗は赤い揺らめきを纏った刃を来栖の目の前で結界に切り込んでいた。

 総毛立って思わず息を飲み、結界の中で後退る。


「…何者だ」

 結界に刃を立てながら、場違いに落ち着いた声が来栖に掛けられた。

「妖に手を貸し天狗の山を襲撃し、お前たちは一体何を考えている」


 この天狗は、知っている。

 この天狗は、来栖たちが何をしているのかを知っていて、鬼を放って自分を標的にしてきているのだ。

 至近距離での質問は、来栖が鬼にはそれを伏せていると思ってのことか。

 女の顔に、笑みが戻る。


「教えて欲しい?知りたいですか?なら、ワタシの質問に、ふたつ答えたら教えてあげる」


 刃の存在を忘れたように、結界越しにその顔へ顔を近づけて行く。


「ひとつ目は、あなたたちの大事なもの。どこに居るのか、教えて」

 耳障りなきしる音を発する結界と刃のせめぎ合いを挟んで、天狗と女は程近くで対峙する。


「白い羽の、テング」


 睦言でも囁くように、柔らかく言われた途端、ぐっと天狗の腕の力が増した。同時に刀に纏わりついた赤い揺らめきが濃度を増す。

 結界から青白い火花が飛び散った。きしる音が大きくなり、その形も僅かずつ歪んでいく。

 それに怯えるどころか眼を爛々と輝かせて、女は堪えきれないように小さな笑声を上げた。


 天狗が鋭く息を吐く音と、弓弦が鳴る音が重なる。

 飛来した十数本の矢は、僅かに弧を描いて天狗の背後を襲う。だが、その全てが標的ではなく地に突き立ち、または来栖の結界に当たって落ちた。

 来栖は見た。狙い過たず飛んできた筈の矢が、天狗に到達する寸前で軌道を僅かに変えたのを。


「うおおおおお!!」

 裂帛の気合が聞こえて、矢にも構わず結界に向かっていた天狗が漸く退いた。一瞬前まで獲物が居た場所を、槍の穂先が唸りを上げて薙ぎ払った。


「オサ!」

「おう、来栖どのよ。遅うなって悪い!ちと手古摺っとる」

 鬼の族長は、大きな傷こそ無いものの、身に着けた防具はあちこち汚れ、左の肩当が丸ごと壊れて無くなっている。

 見回せば、鬼たちは明らかにその数を減らし、今では半数が地に伏している。


 鬼が睨む先では、無傷の天狗の傍らに、同じく無傷の巨狼が寄った。

 旗色は悪い。だが、族長を始め鬼たちは退く気など更々ないようだった。ただ明らかに攻めあぐねて、周りを取り囲むに留まっている。


 時間を稼ぎ、注意を惹いた上での不意打ちも空振りに終わった。このままでは埒が明かないのを見て取って、来栖は彼らの背を押すことにした。

「オサ、このテングはあの山に棲んでるですよ」


「何!?」

 女を見下ろした族長の顔に、獰猛な笑みが広がっていく。


「そうか。ではあれを(くだ)せば…」

 じりりと鬼の周りで大気が炙られるような音を立てた。


「あの山は我らのものだな!!」

 雄叫びと共に、手に持つ柄まで鉄拵(てつごしら)えの槍を紫電が這いまわる。同時に鬼の四肢からも(いかずち)が迸り出て、地を青白く照らし出した。


雷術(らいじゅつ)…お前、雷鬼(らいき)か」


 天狗が初めて鬼に言葉を向けた。それに応えるのは咆哮と電光を纏った刃。

 戦いが始まって以来初めて、鬼の刃は手応えと共に止められた。

 狼よりも一歩前へ出た天狗が、刀で槍の突きを受けたのだ。


 槍と刀が交差すると同時に、槍から雷が爆散し、周囲の地を抉り焦がす。

 即座に槍を引いて大きく跳び退き、鬼の(かしら)が吠えるように笑った。


「ひらひら避けるばかりに見えて、儂の槍を刀で受けるたあ中々どうしてやるな天狗!!」

 言いながら、新たにばちばちと凶悪な光が纏わりついた。


 跳ね回る光に浮かび上がった天狗は、構えた刀から片手を離す。

「あれが頭か…早く帰ると(やく)したからには、最短で終わらせるとしたものか」


 そこに出来た大きな隙を逃さず、鬼は裂帛の気合と共に槍を振り上げた。

 下から上へ逆袈裟(さかげさ)に振るった槍との間には、しかし数歩の距離がある。だがその空間を、斬撃自体(・・・・)が飛び迫る。

 槍に乗った雷光が、さながら横に落ちる雷のように宙を飛び、天狗に襲い掛かったのだ。

 対する天狗は、槍が振り抜かれるより先に、空いた右手で懐から白い蛇を掴み出し、そのまま前方へ振り抜く。

 そこへ雷が到達した。


 何かが弾け飛ぶような音が無数に重なり、視界を強い光が()く。避けることなく受けた黒衣の妖は見えなくなり、のたうつ紫電が周囲の地面をも舐める。

 勝利の確信から、族長は凶悪な笑みを浮かべ、囲んだ鬼たちにもじわりと粗暴な笑みがうつる。


 そのとき、天狗に襲い掛かった紫電が無数に分かたれて飛び散った。

 天狗を灼いていた筈の雷が、鬼の囲みに襲い掛かり、何人もの鬼が訳も分からない内に雷に舐められて声を上げ倒れていく。族長はそれに構うことは出来なかった。電光を切り裂き現れた天狗が、離れていたはずの距離を一瞬で縮めて刃を振るう。咄嗟に受け止められたのは奇跡に近かった。


 上げようとした声は音にならなかった。代わりに勢いよく血が噴き出す音が響く。白く輝く刃が、斬撃を受け止めた筈の槍の柄ごと、身を切り裂いていた。


 そのまま天狗は大きく一歩を跳んだ。その先にあるのは来栖が籠る結界。赤いゆらめきを纏う刃が術壁に打ち下ろされ火花が散る。先と同じ流れだが、その一撃を放ったのは左手一本に握った刀に過ぎない。強烈な斬撃を受けて(ひず)む結界に、右手の白い輝き纏う刃が時間差で繰り出された。


 悲鳴のような甲高(かんだか)い音を残して、ついに術が破られた。

 勢いそのまま襲い来る斬撃に、なぜか女は笑みを浮かべ、逃げることはしなかった。




 (ざん)、と切り裂く手応えに、密かに高遠は目を見開く。

 刀が食い込んだのは、女の肩口だった。切れ味鋭く袈裟がけに脇腹までを切り裂いて、両断された体が地に落ちた。


「お前…傀儡(くぐつ)か!!」

 珍しく声を荒らげた高遠に、女は狂ったように(わら)い出した。

 辺りに飛び散ったのは血肉ではなく細かく砕けた土塊(つちくれ)。渇いた土埃が幾らか舞い上がり、断面がぼろぼろと崩れていく。


「ああ、ああ、良いです、テング。ふふっ!まさかワタシの防御が砕けると思いませんでした。心配、必要ないですよ?ワタシはここには居ないです。ただちょっと、暫くふらふらしますねこれは」


 ずるり、と上半身が端から砕けながらも動き、天狗を見上げた。

 その顔もまた、細かくひびが入り、ばらばらと欠片を落としながらも笑みが消えない。


「ふたつ目、訊きたいことは、もしかしたら知ってるかもね?知らないかもね?」

 からかう様に小首を傾げて更に唇の両端が釣りあがった。



「白い?灰色の?髪の、男の子。知ってます?」



 天狗は土人形の胸ぐらをつかんで引き摺り上げた。

「何が狙いだ、何を企んでいる…答えろ!!」

 返ってきたのは、耳障りな雑音が混じった高い哄笑。


 それは、その身が全て壊れ砕けてただの土に変わるまで止まなかった。































 夜の山林を、一心不乱に駆ける影がひとつあった。

 木の上、その高所にある枝々を素早く跳び渡りながら、絶えず背後を気にしているそれは、人のように着物を纏ってはいたが、その頭部は茶色の毛で覆われ、顔面は塗ったように赤い。

 人ほどの大きな猿である。


 やがて、その速度が緩まり、止まる。

 息を整えながら、続いて辺りをせわしなく見回す目が、同じく樹上にある影に止まった。


「戻ったか」

「…ああ、千史(せんじ)さん」


 どこかほっとしたような声に、更に安堵が強い声が答えた。


「どうだった、あの声は。何の騒ぎだった」

 近寄ってくるのを待ちきれないように、千史が自らも近づきながら問いかけた。


 答える猿の声は震えていた。

「あれは、鬼でした。鬼が四、五十も集まって、大騒ぎしてたんです。武器も防具も揃えて、ありゃ戦支度に違いなかった。頭目(とうもく)は雷鬼で、他もでかかったが、飛び抜けてでかかった…」

 そこまで話して軽く咳き込み、息を整えようと大きく吸って吐く。


「鬼がそんなに…か。よく無事で戻った。至急長に伝えて何かしら対策を練らねばならんな」

 難しげな顔で踵を返しかけたのを、猿が呼び止めた。


「千史さん、もう鬼は、多分何もできねえ。頭目が斃されたのを、見てきました。頭目だけじゃない。鬼の半分以上は、斃されてた」

「何?」


 未だに肩で息をしている猿は、しきりに背後を気にしている。

「何が、鬼を?」

 千史は猿に向き直って、更に問いただす。猿は真剣な顔でまっすぐ見返した。


(いぬ)一匹だけを連れた、天狗が」


 反射的に千史はひとつの方向を振り向いた。

 林と山々に遮られて見える訳は無いが、夜の(とばり)の向こうに、白鳴山がある方角である。


「それは…やはり長に話さねばならんな」


 そう言いながらも、鋭い眼差しは夜闇を暫く見つめ続けた。




活動報告にも書いたとおり、一話の文量が長くなり、週二更新が少々きつくなってきたため、基本週一更新、書けた時には週二更新に切り替えます(;´・ω・`)

申し訳有りませんorz

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