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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
48/131

四十二 悩み

本日二話投稿、一話目です。

途中で視点変更あります。


 天井を見上げている自分を自覚したのは、何が切っ掛けだったかとんとわからない。

 放心していた時間は長く、なくなってしまったように思い出せなかったが、意識はそのまま溶けてしまわずに、いつか醒めるものであったらしい。


 仰臥した体は柔らかな布団に寝て、薄い布団の僅かな重みだけを感じている。

 傷から来る鈍痛は、泣きたいぐらい辛く感じていたはずなのに、今はそれさえ一枚膜を隔てたようにどこかぼんやりと霞んで思えた。


 部屋には障子越しの穏やかな昼の光が満ちている。夏の昼間に障子を締め切っているというのに、どういう術が掛かっているのか、暑さは感じず快適だったが、今はそんなことは意識に上らなかった。

 ぼうと明るい天井の、木目模様から視線を下げて、静かな室内を見渡した。


 青々とした畳は日焼けもなく、継ぎの当たっていない真っ白な障子紙には透かし模様が入っている。押し入れの襖にさえ、美しい亀甲紋が入って、どこも剥げがない黒漆塗りの枠は艶やか。

 目に映るものは全て上等で、落ち着いて品があるものばかり。とても自分が使う部屋だとは思えない。そんなところに独りで寝ていると、美しく整えられた中に在る異物になったような気がして、気後れから手足が冷たくなる。

 その場にある静けさからさえ、拒絶を感じ取った。


――――孤独だ。ここに居場所はない。

 ぽつりとそんなことを考えて、宜和(よしかず)は身震いをした。

――――では、どこに居場所があるというのだ。


 心中は嵐が過ぎ去った後のように荒れ果てている。まだ荒れ狂う風が音を立てて逆巻いていても、それが打ち壊すものは最早残っていない。破壊は終わり、荒涼とした気分だけが残った。

 従うべき上位者に騙されていた。その事実は、彼をこれ以上なく打ちのめしたのだ。


 言いたいことも思うところも無い訳ではなかったが、逆らうことなく命令に従い、それなりに真面目にやってきた。特段親しいという訳ではないが、疎まれる程の何かもなかった。


 理由は全く分からない。なのに彼らは、騙していた。


 私事で嘘を吐くのならまだ分かる。だが彼らは言い渡す任務にさえ偽りを混ぜた。

 今から思えば、白鳴山まで先導した鴉天狗が地図を見せようとしなかったのは、自分を騙すためだったのだ。

 そしてその後は全く不審な素振りは見せなかった。

 いや、物音に敏感になり、緊張感が漂っていたようには思ったが、それは山に不審な動きがないかを見張るという任務の内容上不思議ではないと思っていた。だが、今になってみると、白鳴山の近くに居るということを知っていたが上だったのではないかと思えてくる。


 白鳴山は天狗の縄張りの境界を支える山。この山の向こうは、虎視眈々と此方を狙う妖が犇いているのだ。だからこその警戒。接敵してもおかしくない状況を知っていたが為の用心。


 そんな危険を孕んだ大事を隠していた。そしていざ危険が迫ったときには、自分を囮にして逃げ出したのだ。

 その為に連れてきたのか。外敵の心配がない場所にある別の山だと思わせておいて、心構えも出来ていない、自力でどうにかできる実力もない宜和を、敵を引きつけさせて自分たちは逃げる為に騙して連れてきたのか。


 彼の不信と嘆きは深まっていく。湧き上がるものが絶望に変わる程に。

 上位者に従うことを、疑うなどと思うことがない程自然に思っていた彼は、言い渡される任務はそのまま受け取ることもまた当然であった。それは偽られるなどと思うことが無かったからこそだ。

 拠り所とも言える『当然』が崩れた今、彼が強い衝撃を受けるのは必然だった。

 衝撃は波及し、信じていた何もかもが揺らぎ、思考は暗闇に閉ざされたように重く沈んで行く。やがて動揺の波の下からひとつの結論が泡のようにぽかりと浮かび上がった。


――――上位者は、下位者(じぶん)を取るに足らないものだと思っているのだ。死んでも構わないと思う程に。


 宜和の知る上位者は、時折やってきてはぞんざいに命令を投げるだけの者たちだった。話す程の接点が無いがために、彼が思い浮かべる上位者は、殆どが得体のしれない影に過ぎない。その灰色の存在たちの中で色がついているのは、己を騙した鴉天狗たちだけだった。

 上位の中で一番見知っているのが、ここふた月共に任務に就いていた鴉天狗だったからだ。

 彼らは二羽で時折交代を挟み、ふた月全てを共にした訳ではないが、二羽の内一羽が元々知った顔だったこともあり、上位者といえば真っ先に顔が浮かぶ程度には馴染んだ。


 他の者を良く知らないが故に、個々の区別はなく、必然的に『上位者』という区分全てに今回成された仕打ちが投射されていく。無情で残酷だという印象と共に。


 同時に彼は途方に暮れた。

 今まではただ、下される命令に従っていれば良かった。だがもう、その命令が信じられない。ならばどうすれば良いのか。

 それを考えたときに、彼は自分が拠って立つものがないことに気付いてしまったのである。

 己自身で考えることは不慣れで覚束なく、考えを持っても実行する程の気概もなく、もしあったとしても、自分の立場では実行する権限もなければ、そもそも何をする実力も、案を思いつく知識もない。

 足元の全てが崩れ去り、暗闇に放り出されたような気がした。


 世界の全てが余所余所しく、陰で何もかもが自分を嘲笑っている錯覚に襲われた。

 ああ自分には、どこにも味方がいないのだ。

 そんなことまで思い始めたそのときに、不意に思い出す声があった。


『もう、大丈夫ですから』


 それは、この部屋に訪ねてきた、奇妙な少年の言葉だった。

 思えば、顔を合わせたその時から、敵方だと思い込んで濡れ衣以外の何物でもない言葉を浴びせたというのに、彼は穏やかに微笑んでいた。

 傷の具合を尋ねてくれた。取り乱した自分の言葉をきちんと聴いて、答えて、そうして不安を思い遣って、思い違いを正して、もう危険は去ったのだと、落ち着けと言ってくれた。

 この館で一番、いや、この二カ月で一番温かかった存在は、彼であろうと思えた。


 宜和はいつしかあの少年のことを、懸命に記憶の中から拾い出していた。少しでも優しかったあの存在に縋るように。もう一度温かく接して貰えはしないかと、その可能性を探して。


 そう、優しかった(・・・)だ。

 微笑みながら丁寧に接していた彼は、途中で表情を一変させたのだ。そこからは、宜和を追い詰める刺々しい言葉の嵐だった。

 ただそれが、傷つけようと発されたという気がしないのは、少年が無表情に、かつ声を荒らげることなく語っていたからだろうか。その冷静さが、己の動揺を浮き彫りにして更に苛立ったのは事実だが、敵意を示すことはなく淡々としていた。

 いや、最後は冷静さをかなぐり捨てた大声が返ってきたのだが、それよりも印象に残っているのはやはり、静かに語っていたあのときのこと。


 怒りを燃やしていた相貌。脈打つ力の気配。一回り以上も年下であろう存在に、敵わないと自然に感じ取った。それはもう、生意気だとか小癪だとか、そういう考えも持てなくなる程自然で、かつ衝撃だった。子どもを前にしているだなどと思えなかった。

 怪我をして弱っていた自分に不当だ、もっと労わっても良かったのに、と思いかけて、最初は望む通りの丁寧さだったことを思い出す。それを変えたのは他ならぬ自分だったのだという事実が、膨らみかけた怒りを萎ませ、後ろめたさを掻き立てる。


 そうして、あれだけ怒りながら、その後はあの威圧感が無くなり、言い合いになったことを思い出した。言い合いというより、一方的にやり込められて怒られた感があったが。

 それもなんだか嫌な感じはしなかった。

 あの感じは覚えがある。まだ位階など気にすることのなかった時分に、友としばしば他愛のないことでああいう口喧嘩すれすれの言い合いをした。その思い出は、温かな懐かしさと共にあった。

 あの頃はけして良いものだとは思えなかったけれど、今思えば全力で言い返した言葉にも、相手への憎しみなどは込めていなかった。嘲りも、見下す心もなく、根底に互いへの気安さが流れていた。思い返せば、凍えた手を(かざ)熾火(おきび)のように、温かく慕わしいように思えてならない。

 相手が下だの下等だの、そんなことを考えもしなかったあの頃。


 自分が変わったのはいつだっただろうか。始めて触れた蔑視が向かった方向は、相手へではなく自分へだったのは覚えている。

 痛かった。傷ついた。だからこそ、自分も相手に向けるようになった。それが自分に出来る数少ない攻撃だったからだ。

 いつしかそれが当然になっていた。


――――あいつも、傷ついたのだろうか。

 今更ながらに後悔を覚えた。

――――でも…。


『でももだってももう良いって!!』


 言い訳を考えだそうとした思考が止まる。

 今朝がた放たれたこの一言は、否応なく自分を甘やかす悪癖を自覚させる。

 図星を刺されたあのとき、自分を正当化して現実から逃げようとばかりしていたことに気付いた。

 気付いてしまえば、その癖は見苦しく情けなく『オレよりガキだな』と少年が叫んだことも頷けた。彼の言葉は真っ直ぐで、自分を偽り言い訳に逃げることはしなかったのだ。


 子どもの頃ならまだしも、最近は自分以外に自分を守り慰める相手など望めなかった。そんな中で、無意識に自分を正当化し、言い訳で己が傷つくことから逃げ続けていた宜和は、漸くその事実に気付き、受け止めた。

 さりとて、急に考え方が変わるものではない。言い訳を考えるのを止めた頭は、一時完全に止まってしまって、思考の合間に空白を生んだ。


 ふと、その隙間に微かな音が聞こえることに気付いた。

 いや、声だ。何者かが叫んでいる声。


 そういえば山を見張っている間に、毎日のように叫び声が聞こえていたことを思い出す。

 もぞもぞと布団から起き出して、そろりと障子を開いた。


『うおあああああああああ!!!』


 微かに山彦を伴って、腹の底から発された大声が夏の山に響く。

 先ほどよりはっきり聞こえるようになった声に、宜和は首を捻った。

「はて…?もしかしてこの声は…」

 聞き覚えがある。もしかして、というより今まで考えていた相手の声だ。ほぼ間違いない。

 そう思うと俄然、何をしているのか気になって、宜和はそうっと障子の隙間を拡げた。


「…別に、部屋から出るなとは、言われておらんし…」

 そういえば、昨夜抜け出したことも、何も言われはしなかった。気を失っている間に手当てされ、この部屋で気が付いてから訪ねてきたのはあの少年のみだ。他の者とは声を交わすどころか、顔を見ることさえなかった。

 その対応からもまた、山主の拒絶を感じて身の竦む思いがするが、ともかくしてはいけないことならば、一言あっても良い筈だ。特に禁じられているでもないし、なにも悪いことをしようというのでもない。

 されたくないことがあるなら止めればいいのだ。そしたら止まってやるとも。そう自棄糞気味に開き直って、彼は部屋を抜け出した。




 獣道を辿るのは、あちこち怪我をした上に、折れて左腕を固定された状態では中々難行事で、何度も転びそうになり、一度は危ういところで急な坂を転げ落ちそうになった。その度出てきたことを後悔しそうになりつつ、尚も必死に張り上げているかのような大声に、なぜだかそこへ行かねばならないような気がした。

 重たく感じる体を動かして、声のする方へ歩いて暫し。


 声が上からしているのに気付いて見上げた先に、他の木々よりも飛びぬけて高い木が、枝葉の隙間から垣間見えた。

 そのとき息継ぐ間以外は常に聞こえていた声がぱたりと止んだ。

 唐突な道しるべの喪失に、慌てて目を凝らすと、目当ての人物があの背の高い木の梢に座っているのを見つけた。


 やはりあの声は少年が発していたのだ。

 納得と共に見上げたその後ろ姿は、背景の青い空に黒々とした影になって、ぽつんとただひとつだけ小さく浮かび上がって見えた。

 それがやけに寂しそうに見えて、宜和は足を速める。


 やがて見えてくる巨木の根元。

 もう一度その姿を確認しようと見上げたとき、見下ろしてくる目があることに気付いてぎょっとした。

 少年ではない。巨木の周囲にある木々の内のひとつ、その枝から女が見下ろしている。渋緑色の着物の袖で口元を隠し、冷たい眼差しで宜和を射るその女は、枝にがしり(・・・)と留まっていた。


 上半身は女、だがその脚は巨大な鳥のもの。その太く鋭い爪を持つ足で、太い枝を力強く掴み締め、その女は高みから見下ろしていたのだ。

 自分が今まで下等だ、と見下(みくだ)していた異種族の妖であるのは間違いない。

 だが、宜和はその目に浮かぶ冷たい色に、見下す心が急に萎んで、手が小刻みに震えるのを止められなかった。湧き上がるのは怯えである。


――――何か余計なことをすれば殺される。



 宜和が震えあがるのも仕方がないと言えば仕方がない話。

 そこにいたのは、木登りする三太朗を見守っていたユミである。彼女は白鳴山にて戦力の一端に数えられる妖。木っ端天狗など敵ではない。それにユミはこの天狗が三太朗を侮り見下し、あまつさえ彼女の主を馬鹿にしていたのをしっかり聞いていたのだ。宜和に対する印象はどん底に悪い。目線も鋭くなろうというものだった。

 目障りな余所者が、呼ばれてもいないのにこの場に現れ、必死に頑張っている三太朗の邪魔をしようというのなら、それなりの対応をし(痛い目を見せ)てやろうと考えていた。

 

 だが、完全に臆した様子の相手を見て、そんな気も失せた。見るからに大したことは出来そうにない。

 何かしようというなら容赦はしないが、今排除する理由も無い。何よりこんな奴でも三太朗が身を挺して助けようとした者だということが、忌々しいと思いながらもユミに僅かな寛大さを与えていた。



 目線が興味を失ったかのようにふいと逸らされた。どうやら自分は生きているのを許されたらしいと察して、詰めていた息を吐き出す。

 全くこの山はとんでもない。昨日山主が従えていた鬼は、見るからに恐ろしかったが、この鳥女も相当の実力者に違いない。これらを従えて、しかもあの少年を弟子にしているのだから、山主たる長天狗は、少年が言うように相当強いのだろう。

 しかしこんなところで一体何をしているのか、と訝しんで、女が逸らした目線が上を向いているのに気付いた。


 視線の先にはあの少年がいた。


 




 オレはすっかり高くなった視界に、荒い息を吐きかけた。

 ここは昨日やっと攻略に成功した、山で一番背の高い木の枝の上。前に師匠が長雨を止ませたあの杉の木である。

 この木は呼んで『背高杉(せいたかすぎ)』。

 元々は、師匠が知り合いと、どれだけ高く跳べるかを競う遊びをしていて、その鍛錬に跳び越える物を作ろうと植えたらしい。

 だが、見た通りさしもの天狗も跳躍で越えることが出来ない程に伸び伸びと育ってしまった。

 背が高過ぎなのである。駄洒落か。


 はあああ。

 荒い息を収めがてら、吐き出せるだけの息を全部吐き出した。

 もう、敵がいるという恐怖は薄れた。焦りもない。だけど、気分が重たかった。


「師匠、凄いんだもんな」

 想像以上にすごかった。だって二百年だ。途方もない年月、敵に囲まれたまま、山を護り抜いたすごい方だった。それを知った今になると、館のモノたちから聞いた突拍子もない武勇伝が、全部本当のように思えてくる。

 師匠はきっと、オレが弟子に相応しくないなんて思ってない。だけど、仮にオレじゃない誰かが、オレの今居る位置に居たとしたら、きっともっとずっと順調に色んなことが進んでる。そんな気がして仕方がない。


「――直ぐに羽も生えて、刃物が怖いなんてことなくて、もう術とか内経(ないけい)の修行始めてるかな…。あー…くそぅ…もやもやする」

 考えるだけ無駄。仮定の話は現実じゃない。そもそも、オレはオレの速度でしか成長できないんだし、焦るだけ無駄だ。師匠も今はこれで良いって言ってくれてるし、オレもそう思う。だけど、理屈じゃない部分で納得できてないのは確かだ。

 オレは自分の気持ちを持て余して、重く溜息を吐いた。

 幹に横ざまに凭れ掛かったそのとき、微かな違和感が下から届いた。


 遠くて良くは感じ取れなかったけど、オレに向けた心だと思った。悪いものではない。

「あれ?」

 見下ろした先に、館で寝てるはずの余所者がこちらを見上げてるのを見つけて、小首を傾げた。なんでこんなとこに居るんだろう。


 遠慮がちに手を振ってきたので、振り返せば、何やら嬉しそうな感情(こころ)が遠く響いてきた。

「そっちに、行っても、良いか」

 怪我に響くのだろう。細目(こまめ)に区切った声がかかる。

 別に良いよ、と返したけど、あいつはあの体で登ってくるつもりなのだろうかと後で気付いた。


 その答えは直ぐに出た。

 宜和は背の翼を広げると、飛び上がった。のだが。

「え、ちょ!危ない!そこ枝!もっと右寄れ!!左見ろ左!!!」

 あっちこっちによろよろとぶつかりかけながら、ばさばさと不格好に羽ばたいて、なんとかここまで飛んで…いや這い上がってきた。


「無理すんなよ怪我人!見てるこっちも疲れたわ!!」

「む、うぅ。済まん…」

 しおらしく謝られて、気勢が()がれた。驚いたと言ってもいい。

 今朝の様子から、てっきり言い訳を並べて反論してくると思っていたのだ。よくよく探ってみたが、オレに向いた何か焦りのようなものは弱々しく感じるけど、それ以外はよく分からなかった。


「で、また怪我してないだろうな?」

 何しろ危なっかしいことこの上なかったし、どっか擦り傷やら打撲やらあってもおかしくない。オレにとっては当然の言葉だったんだけど…なんで目をかっ広げて驚いてるんだ。


「…まだ、案じてくれるのだな」

「は?」

「あ、いや…その、随分とワシは、酷いことを言ったものだったから」

 居心地悪そうにぼそぼそと言われて初めて思い出した。

「あー、確かに」

 ぽんと手を打って相槌を打ったら、露骨に天狗の肩が跳ねた。

 同時に強い不安が感じ取れた。そういえば今宜和には味方が居ない状態なんだった。

 色々失礼なことは言われたし、師匠も館の方たちのことも悪く言われた。…だけど。


 オレはとっくりと宜和を上から下まで見た。

 色んな所に包帯を巻いて、腕は折れて、頭に葉っぱをくっつけた上にどこか迷子みたいな顔をしてる…ように思うのは、発される不安を感じ取った錯覚だ。相変わらず羽毛に覆われた顔の表情は分からない。

 控えめに言って、哀れだ。もっと言うと惨めだ。

 オレはかしかし頭を掻いて、溜息を吐いた。


「今もさ、前言ったみたいなこと本気で思ってるのかよ」

「いや、そんなことはもう、思っておらんとも」

 嘘か真か、少々曖昧な印象を受けて、オレは「ほんとかよ」と宜和を見る。

 それを受けて、天狗の目が気不味げに泳ぐ。


「その…実は、余り深く考えていなかったことに気付いてだな…」

 オレはまたもや意外な想いで目を(しばたた)いた。今朝と随分印象が違う。そんなに山の名前で嘘を吐かれていたのが衝撃だったのだろうか。

「考えなかった?何を」

 それはそれとして、嫌いに傾いた天秤は容易に戻らない。容赦なく問うてみると、宜和は言い難そうに呻いた。


「うぅ…その、お前が怒るだろうとか、そういうことを考えてなかった、済まんと…え、と」

 見る見るうちにオレの顔が歪む。こいつはまだ、何も解っちゃいないのだ。宜和から焦りが感じられたが、そんなの構うものか。


「あのな、そこじゃないだろ?問題はさ」

「え、あの…」

「一番大事なのは、オレがなんで怒るかだろ?そこ分かってからだろ、謝るのは」

 はっとしたように天狗は翼を畳みなおした。


「勿論分かっているとも!ワシが、その…お前の師を(けな)したからだ」

「十点満点中、四点」

「はぅあ!?」

 オレははああ、と大きく息を吐いた。これは溜息じゃない。吐いた後大きく息を吸うためだ。

 目を閉じ、すぅ、と大きく大きく吸い込んで、たっぷりと溜めを作る。


 充分力を溜めた後、かっと眼を開き睨みつけると同時に、絶叫木登りで鍛えられた声でもって力いっぱい怒鳴りつけた。


「なんで見ず知らずの奴に知らないことがあるだけで見下されなきゃいけないんだよ!一個勝ってると自分の存在自体が上みたいにふんぞり返る態度が先ずムカッと来たね!次には何?師匠の配下の方たちが下賤だの野蛮だの使い捨てだの失礼極まりないだろうが!!お前のどこがあの方たちより優れてると思ってんだ!同じ仕事任せられて完璧に代わりに(こな)せる訳!?それに加えて師匠が見た目で弱そう?自分と同じ?自分より上位って解ってる上で妄想ばっか転がしてそっちの方が正しいって思ってる上に、間違いだって言われた途端に自分は悪くないだのなんだの、でもだってと言い訳ばかりぐだぐだぐだぐだ!!」


 雷に打たれたみたいに硬直して涙目になった宜和に構わず、そもそも!とその嘴に向けて指を突きつけた。


「オレは!見た目で!決めつける奴が!だいっっっ嫌いなんだよ!!!」


 オレは目いっぱいの大声で怒鳴った。

 眼下で驚いた鳥が慌てて飛び立つ音が聞こえ、山彦が何度も何度も返ってくる。

 ずっと言いたかったことを全部吐き出した心は、この大空のように清々しかった。ああすっきりした。


 宜和は、対照的にがっくりと肩を落とし、頭まで下がり、ついでに翼もだらんと垂れ下がった上で手で顔を覆った。

 彼にとってみれば、言いたいことは多くある。例えば役僕(えきぼく)を軽視するのは、彼だけではなく周りの風潮であり、上層部にも他種族を見下す者は多く居る。だから目の前の少年を世間知らずと言い返すこともできた。他のいくつかのことについても同様の言い訳が立つ。

 だが、それは上位の者が正しいと思えなくなった今の宜和にとって、その言い分は正当だと思えないものであり、言い訳を捏ねる悪癖を自覚したばかりな上、それが相手を不快にさせるのが分かっていては、何も言い返すことが出来なくなったのである。

 そして相手は宜和自身が自分より上だと認めてしまった少年で、この場で唯一気兼ねなく会話してくれる存在だ。加えて並べられた言葉は身に覚えがあるものばかり。

 言い訳と自己正当化という防御手段を躊躇(ためら)っている今、少年の怒りは甘えた大人に真っ直ぐ突き刺っていたのである。


「あぁあ…その、うぅ…済まん、としか言えん」

 後悔と反省、恥を感じ取って、オレは三度(みたび)驚いた。

 三度目の正直、と言うけど、二度あることは三度だった。本当にこの天狗は、反省して謝っているように思える。


「…じゃあこれから、考えを改めろよ?」

「ああ、ワシの"名"にかけて約束する。もう、見た目で相手を決めつけたり、天狗じゃないからと言って悪く言ったりせん…」

 きっぱり言い切る、とまではいかなかったものの、その言葉に嘘は感じられなかった。特に『"名"にかけて』という文言は、怖い程の真剣さで紡がれて、これを疑うことの方が難しい。

 おかしい、今朝までこいつは思い込みが激しい上に人の話を聞かず、道理の通ってない言い訳を捏ねて自分を上だと思いこみたがるいけ好かない奴だったはずだ。この豹変はどこから来たんだ。

 これじゃ、実は根が良い奴だった、みたいな感じじゃないか。


「…何があったんだよ」

 その疑問は抵抗なく出た。こいつのことをよく知りたいなんて、ついさっきまで思ったこともなかったのに、だ。

 それを聞いた天狗は、いきなり話が変わったのに驚いたのか、きょとんとした後まじまじとオレの顔を見て、それからくしゃっと顔を歪めて俯いた。「聞いてくれるか」と言った震え声には、不安と悲しみと、それから安堵と少しの喜びが感じられた。何か不安を抱えているのに気付いて、話してごらんと促した時の妹を思い出した。

 つまり子どもみたいな声だったということだ。…大人の癖に。



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