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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
47/131

四十一 現状把握

会話回。

半分授業回みたいなもの。



「と、いう訳で、あいつは何も知りませんでした。誤解と思い込みが激しくて挙動不審かもしれませんが、あいつ自身を警戒する意味は無いと思います」


 告げる言葉が気の毒そうな響きを帯びたのは、事情を訊いたときの最後の一幕の所為である。

 目的地の名前も誤魔化されてたとか、どう言う事情でそうなったのか。

 そもそも何も考えずに、同行した鴉天狗の後をただ付いてきただけというのがあいつの不精なのだが、自業自得の前に性質(たち)の悪い嘘である。意地悪をされたのかもっと悪い罠に嵌められたのかは分からないが、曲がりなりにも同僚に騙されて衝撃を受けた様子は、それまでの苛立ちを収めざるを得ない程度には哀れだった。

 まあ、途中から完全に気持ちで負けていたのが分かったので、それ以上追い込む気は最初から無かった。喧嘩はしても弱い者いじめは絶対にしない。それがオレの主義だ。


「…そうか」

 呟いたのは師匠だ。その顔は思案に暮れるそれ。感情は今は伝わっては来なくて、何を考えているのかを窺い知ることはできない。


「何か、引っかかることが…?」

「いや…ああ」

 反射の間合いで否定を返しかけて口籠る。後できちんと教えるという約束を思い出してくれたのだろう。


 にんまりしてしまったのは仕方ないと思う。

 何も知らずにふわふわと甘やかされて守られているのはどうにも慣れず、ずっと現状が知りたかった。それに情報をくれるというのは、それを知るにふさわしいと認められたということだ。その位置を勝ち取ったのはオレだと思えば、湧き上がって来るのは喜びと誇らしさだ。


「そろそろ、お願いします」

「…そうだな」

 気の進まなさそうな様子ながら、師匠は話し出した。この山の現状と、相対する敵について。




「白鳴山は、天狗の勢力圏の北西に突出した位置にある」

 目の前に広げられた近辺の略図には、中央に白鳴山が描かれている。山があり、川が流れ、平地に幾らか人里が散っているが、その大部分は空白。白鳴山の周囲に、四つの駒が置かれた。

 その何も書かれていない小さな木片は…見たことあると思ったら梅雨時に先輩たちと積み上げて玩具にしていたものだった。

 やたら沢山あると思っていたら、作戦説明に使う木駒だった。…これで遊んでたって言ったら怒られるだろうか。


「背後には同胞を負い、左右前方には現在、異種族がこちらを窺っている」

 オレの内心に構わず始められた説明は、驚くべき内容だった。


 置いた駒に天狗の指が触れると、そこに文字が浮かび上がる。

 山の南西に置かれた駒は『土鬼』北西に『蛇』北に『狐』。最後に示された南東の駒には『天狗』と読めた。

 天狗の駒は遠い。他の駒もそれなりに間を空けて置かれはしているものの、それより猶いっそう、友軍との距離は遠かった。


「今居る土鬼(どき)は、六十ほどの(むれ)。大柄な鬼で、単純に力に優れる。兎に角頑丈で打たれ強いが、術を使ってくることはない。蟒蛇(うわばみ)は数としては三十から四十か。毒を持ち、執念深くて狡猾だが、待ち伏せを好み、自ら攻めてくることはあまりない。妖孤(ようこ)は七十ほど。力は弱いが幻術の巧者。ただし、戦果よりも安全を採り、立ち回りは臆病」

 簡潔にだが敵の説明が入る。曖昧な記号でしかなかった想像上ののっぺらぼうに目鼻がついて形が定まった。

 握った手に汗が浮くのがわかった。

 何でもないことのように、師匠は敵について語るが、その内容は深刻だ。

孤軍(こぐん)かつ寡兵(かへい)

 そう言ったのは捕らえた鬼だったか。まさしくその通りだ。

 図を見下ろし、敵に囲まれた地に、取り残されたように在る山を凝視して、館の面々を思い出す。オレが知る以外にも、外に配下がいるのだろうか。だとしても百を超える手勢が居るようには思えない。ならば三つの勢力を相手取るには、余りに少ない。


 食い入るように略地図に置かれた駒を見る。

 なんとか平静を保ってはいるものの、ついさっきまでの浮き立つ気分は凍りついた。何も知らずに過ごしていたけれど、平和と見えたこの地は、二百もの敵に囲まれていた。その事実が衝撃を伴ってオレに迫る。

 これまで安穏と過ごして来れたのが不思議だった。


「…ただ、これらは隙を見せねばやっては来ない。それぞれが互いに牽制し合っているのもあるが、先だって少々威嚇しておいた故、今はあまり気にしなくとも良い」

 弟子の硬い表情を見て、安心させようと穏やかに言う声は、多分オレが必死に隠した怯えと不安を見抜いている。見抜いた上で許している。

 それに甘えて半ばは弱音で出来た疑問がするりと口から漏れ出た。

「…やっては来ないとそう仰いますけど、鬼が動いた今、他ふたつもどうなるか分からないのでは…?」

 そこに気付くか、と呟いた天狗は嬉しさ半分諦め半分の、なんとも複雑な顔をしていた。

 師として弟子が色々と考えるのは嬉しいが、あまりつつかれたくない箇所だったというところか。


「先だって捕らえた鬼は、南西の部族とは別口だろう。土鬼は二本角だが、奴は一本だ。それに充分にこちらの間合いを知る筈の奴らが、斥候を術が届く領域にまで踏み込ませるほど迂闊な真似をするはずがない。可能性としては囮とも考えられるが、今に至れど動きが無いのを見ても、それは無かろう」

「つまり…新手ですか」

「恐らくは」

 返った答えは誤魔化す気のない簡潔なものだった。

「どこからか流れてきた、住む地を探す者たちだろう。無策に近づいたことを見れば、元から居た土鬼と繋がっている様子は無い。攻める予定だとか言っていたからには、それなりに腕に覚えはあるのだろうが、拠点が無いなら数はそれほどではなかろう。精々三十か四十か」


 攻めてくるつもりだと思い出して反射で怯んだオレを覗き込み「三太朗」と穏やかな声が向けられた。


「案ずるな。珍しいことではない」

「…師匠、これが珍しくないことの方が怖いです」

 思わず真顔で言い返した。


 不安の根幹が分かっていない様子で首を傾げる師匠に、半眼になってしまった。本気なのか。この天狗は。

「では、こう言おうか。このようなことは珍しくもない。言い換えれば、このようなことはいつものことだ。問題にもならぬ。安心していると良いさ」

「問題にもならないって…」

 絶句とはこのことか。百単位で狙われた上に新しい敵勢力まで包囲に加わることが普段通りだと、ごく普通な顔で言うのだこの師匠は。

 オレが話に聞き書物に読んで構築した常識は、この山では通用しないというのだろうか。

 しかし、どう考えても数が多い方が有利であり、数を覆そうにも桁数がひとつ違うのに可能なのか。


「…でも、数が違いすぎます!援軍は、他の天狗に助けを頼むことは出来ないんですか」

 焦りに任せて言ってしまってから唇を噛んだ。

 数で負けているのは言わずもがな。オレが言わなくても百も承知に違いない。その上で大丈夫だと言われているのに、これでは師匠では力不足だと真っ向から言ったようなものだ。


「この山に、他の者を関わらせないために、俺がこの地を任されている」

 生意気だと眉を顰めるでもなく、ただ柔らかな口調で返された。

「援軍を求めず…守り抜くため…?」

 目を見開いたオレに、いいか、と合わせられた目は、どこまでも深く落ち着いていた。


「この山は天流が太く、"()"に充ちている。天狗にとってこの山が領域にある利は大きい。それは同時に他の勢力にとっても是非とも欲しい要地だということでもある。だからこそ、ここを護るには"長"位の者が要る。長であれば独自に判断を下し、あらゆる手段を使う権限があるからな。そして、此処を任されたということは、護り抜く力を認められた証でもある」

 どこか誇らしげに目を細めた師が、どうしてそんな顔が出来るのか解らない。

 仲間から離れた、常に敵に狙われた場所を、僅かな手勢だけで守らなければならない。そんな絶望的な立場に立たされているというのに、彼には絶望どころか、不安の翳りひとつない。


「でも…だからといってどうして…大切な場所なら大勢で守れば良いじゃないですか」

「場所が悪い。ここは天狗の領域の最果てだ。中央からは遠く、来るのに不便だ。それに多くの天狗が集まれば、周りの者たちを(いたずら)に刺激することとなる。我らに対抗するために、奴らも囲む数を増やすだろう。その結果、何かの拍子に戦が起こり、万が一この地が落ちたとしたら、他の種族も見てはいない。漁夫の利を狙い、勝者の足元を掬おうと参戦し、血で血を洗う混戦になるのは必定。戦いは拡大し、彼我に関わらず犠牲は増え、鬼も蛇も狐も、他からの援軍を請う。天狗も黙っては居られん。間違いなく増援を送り込む。山の奪還と仲間の敵討ちのためにな…そうなったときに、我らが同胞(はらから)の被害は如何ばかりか。たったひとつの山のために、一体何羽が命を落とすこととなろうか。そんなことは、絶対に起こってはならん」


 だから、個で抑える必要があるのだ、と締めくくられた。納得しきったことをただ口に出す、落ち着きに満ちた声。

 同胞…とつい呟いていた。

 師匠が見ている先は、そこなのか。

 此処に於いて、オレが目先のことしか見えていないのが露わだった。

 この方は、遥かに先を見据えている。助けに入った天狗の身命であり、その後に起こる波乱、そして引き起こされる悲劇。

 それは、全体を俯瞰して見る、広域の視界。見通した先にあるものが何であれ、それに揺らぐことなく、飄々と立ち向かう。それを成し得るのは、己への自信。実力に因って毅然と立つ、強者の姿。


 これがオレの師なのか、と思った。

 湧き上がる何かが心を満たした。ただその名前をオレは知らない。今までに感じたことが無い熱い湯に似た何かは、オレの中の恐怖と不安を洗い流し削り取って、硬く縮んでいた心を幾らか解した。


「なに、舐められなければ問題ないさ」

「…師匠が自信を持ってるんだから、オレが四の五の言う必要がないのは、わかりました」

 分かったことにした。納得できてはいないけど。

 いやだって、数百の敵に囲まれてるなんていうとんでもない状況の不利をなんとかする力があるなんて、ちょっと信じ難い。

 でも、こんなことがいつものことだなんて言うんだから、本当に何とかしてしまうんだろう。

 頭で理解しても、心で納得できない。葛藤に顔を顰めたら、息だけで笑う声がした。


「そう難しい顔をしなくとも良い。元から居る三種は、今のところ問題ない故、今対応すべきは新たにこの地に来た鬼だけだ。ただそれだけのこと。今日少し行って来よう。明日お前が目覚めた頃には全ていつも通りだ」

「なるほど…って、だけって規模じゃないでしょ!?こっちの何倍居るんですかそれ…って、え、えぇえ!?今日!?」

 ちょっと散歩に行ってくる、みたいな軽い調子で言うものだから、聞いたことを理解するのに一拍必要だった。

 ていうか戦いに行く前ってこんなのんびりゆったりしてるものなの!?あ、オレが我が儘言って話に時間取ってもらってるからか!え、オレ邪魔してるのもしかして!?


「オレ、あの、ご出陣の邪魔を…?」

 頭の中がぐるぐるし出したオレの様子に気付いてか気付かないでか、師匠は擽った気に笑った。

「出陣などという大仰なものではないさ。ただ少し、迷い込んできた獣を追い払いに行くというだけ。勿論、お前が邪魔などということは欠片もありはしない」

 事実としてオレは我が儘で師の時間を削っている。慈しむ目が気恥ずかしくもあり、居たたまれなくて顔を伏せたらいつも通りの重みが頭に乗った。

 なんかいつも撫でられて誤魔化されてしまうな、なんて思いながらも、温かな手が離れる頃には、不安と緊張でささくれ立っていた気持ちは鎮まっていた。



 瞬きをして、気を取り直した。もう一度略図を見下ろして考える。

 師匠は邪魔なんかじゃないと言ってくれるが、出陣前には準備もあるだろう。あまり時間を裂いてもらう訳にはいかない。だったら、いつまでもぐだぐだと問答を続けることはできない。そして師匠はもう自分から語る気が無いように見える。話してくれると言ったのに、と思いはするけど、これでも譲歩してくれてるのを知ってるから、文句を言うべきじゃないことも分かる。

 そう幾つも質問出来ないなら、どうしても訊きたいことはふたつある。どう切り出すか。




 真剣に思案を始めた弟子を、どこか満足げに天狗が見ていたことを、少年は気付かなかった。

 高遠は、自分の弟子が自ら求め動くことを是とする。末の弟子は山に入って日が浅いが、その資質を示し始めていた。

 最初は遠慮と気後ればかりが目立っていたが、この頃は己の意志で動くようになってきた。情勢の話だとて、まだする気は無かったものを聞き出したのは彼自身だ。


 白鳴山の周辺情勢は良いとは言えない。これを知って臆して取り乱し、委縮するなら武術を仕込んでも成長は弱まるだろう。何より、心の動揺は三太朗にとって良くない。

 だから、ある程度の力を付けさせてから、段階的に明かして行く心算(つもり)だった。

 そうして『翼が生えるまで待て』と言って聞かせ、待つように指示したのにも関わらず、三太朗は情報を吟味し、考え抜いて、知るべきことだと自ら判断して直談判してきたのだ。

 癇癪めいた言い方ではあったが、その中には自ら立とうという気概が見え隠れして、高遠を驚かせたものだ。だからこそ情報を与えた。この子なら、驚き怯えはしても、立ち止まることはないだろうと見込んでのこと。

 動揺はあるだろう。だが、己で求めたことを手に入れるのは、手に入れた物をどう扱うかも含めて貴重な経験になる。それは、心の病を気遣うよりも、彼の心を成長させるのに必要な肥しになるだろう。


 予想は的中し、今少年は師の期待に応え、怯懦(きょうだ)しながらも、思考を止めようとはしていない。

 見守る眼は嬉しげに細められていた。




「…人」

 やがて小さな呟きが、両者の間の沈黙を消した。

「人が…鬼と手を組んだというのはどう思われます…?」

 全身に緊張を漲らせて、意を決したように、どこか悲痛な目をした顔が上がる。


 まずはひとつ目だ。敵に回った『人』の勢力について。

 オレ自身、人なのだけど、妖怪なんて縁遠い場所で生まれ育った。こと此処に於いて、オレが持つ知識だけでは知らないことが多すぎる。妖怪から見た人はどんなものなのかを知らなければならない。


「あの鬼は人から貰った結界破りの道具を使って納屋から出てきました。師匠が、どんな対策をしてたのかはオレには分からないけど、それを突破してきた…。人は、そんなに強いんですか?天狗の敵なんですか?狐と蛇と鬼も敵なのに、人も、襲ってくるんですか?」


 オレは、汗ばむ手を握り締めて、必死に師匠を見上げた。その動揺も躊躇いも、勿論嘘も、見逃す心算はない。かつてない程に張り詰めて、オレは師匠の顔を凝視した。

 もし問いが肯定されたらと思うと、腹の底から震えが湧き上がる。どうしても…人に責められるのは、怖かった。

 おかしなことに、どんな強大な妖が襲ってくると言われるより、殺意を漲らせた鬼の目前に立つより、人に化け物と罵られることの方が恐ろしかった。その心配が無くなった今になって、人の間で必死になんでもない振りを続けていたあの頃が、何より酷い苦痛の只中だったような気がしていた。

 もう、あの頃に戻りたくない。そう思ってしまうと、人が敵に回ろうかという状況は、過去に重なって思えて、何より心を揺さぶった。


「なあ、三太朗。敵は少ない方が良いと思わんか」


「は…?」

 唐突な話題転換に、止める間もなく間の抜けた声が出た。

 何を思って言われたのか分からずに、取り敢えず「勿論思います」と答えてみたものの、この答えで良かったのか自信がない。


「なら、思い出すと良い。人は少し置いておくとして、先ずは狐に蛇に鬼だ。つまり、ぎんじろうにタチに弦造と篠だな」

 ふっと彼らの顔が頭に浮かぶと同時に、目が覚めるような気がした。狐、鬼、蛇、と一纏めに言ってそれを『敵』と呼んでいたけど、オレが大雑把に敵と称した中には、館のモノも入ってしまう。


「どんな種族も、完全に纏まっていることは有り得ない。不幸にして今、我らに相対している者らが居るが、その種族全てが敵に回った訳ではない。山を窺っているのは、全体からすればほんの一部。そこを、間違えてはならん」

 覚えておけ、と師は言った。


「此方が敵だと決めつけてしまえば、相手も此方を敵として見ざるを得ん。敵は少ない方が良い。そして、味方は多い方が良いに決まっている。敵でも味方でもない者は多く居り、その幾許(いくばく)かは、上手くすればいつか味方に転じるやもしれん。だが(いたずら)に敵意を振り撒けば、その芽は潰えて、全てが敵に回ろう。故に、明確に敵と決まった者以外は、敵と断じてはならん」


 言葉も無くただ目線を返す弟子を前に、次に人のことだが、と話は続く。

「これはお前もよく分かっているだろう。人は、妖のことを恐ろしいと思ってはいるが、積極的に狩ろうとは思わぬものだ」

 なぜか分かるか、と訊かれて、幾つかのことが思い浮かぶ。

「一般的に、妖を見たことが無いから、でしょうか。あと…挑んでもとても敵うとは思えないから…?」

「そう。人の間には、妖に関しては流言が多くあり、無闇に恐ろしいもののように思われている。その上、確かに妖による害と言えるものがほぼ無い。一ヶ所二ヶ所とあっても被害が広がることは滅多になく、当事者以外が伝聞で聞き知ったところで対岸の火事。直接の害が無い、見たこともないモノを狩りに出ようという酔狂な者は殆ど居らん。故に、人もまたその殆どは敵ではない(・・・・・)。一握りの、本当に妖を刈り取る力持つ者以外は脅威ではない」

「それが…術師?」


 答える代わりに肩を叩かれた。

「お前は相変わらず、察しが良い。他にも、技を(きわ)めた武芸者や武士(もののふ)であれば妖に抗しうるが、特に術師、あの連中は油断がならない。流派に分かれて研鑽し、それぞれ術式の組成も得意な分野も違う。流派を見極めるのは見た目からは難しい。技は多彩。連携も取る。だが、数が少ないために、こちらから手を出さぬ限りは人里を動かぬ」

 オレは眉をひそめた。

「でも、手を出してきたと…」

 鬼に手を貸しているのだ。人里を動かないまま、天狗の山を狙っているとも取れる。


 意外にも、師は首を横に振って見せた。

「それもまた、確かとは言えない。(あいつ)は人と言ったが、何を以て人と断じたものか知れん。そも人に化ける妖は多い」

 人に似た天狗は、両手を軽く広げて見せた。

「あの鬼が持っていた道具とやらを見てみたが、人の術師が使う呪具とは、似て非なる物だった。何某(なにがし)か、人に化けたモノを間違えているのやもしれん。それに、術師は人を(おびや)かすものに抗するために在る。鬼は人を襲う者も珍しくない。鬼を選んで手を組むなど、到底奴らのやり口に合わん。ここは辺境とはいえ人里もある。山で大人しくしている天狗をつつくとは思えんな」

「…そっか、敵は少ない方が良い、というのは人も同じということですね」

 術師は人を守る者で、数が少ないと言う。なら、妖を敵視して排除しようとしても不思議じゃないけど、大人しくしている妖に下手に手を出して、仲間が報復にでも来たら、妖に対抗する術がない人々を護りきれない。

 鬼をたき付けて自分たちは隠れていれば、ばれない内は矛先が向くことは無いだろうけど、そもそも人里が近いところで鬼に大暴れされたら、普通の人が巻き添えを食うかもしれない。それでは本末転倒もいいところだ。


 しかしそれでは疑問が残る。

「術師じゃないなら、鬼の背後に居るのは何者なんでしょう?」

 何か心当たりがあるかも知れないと問いかけてみれば、師匠は曖昧に首を傾げた。

「まだ、推測も出来ん段階だ。分かっているのは、どこからか来た鬼の一派が、白鳴山を狙って動こうとしていることと、鬼からは人だと思われている者が手を貸していて、術を使う。ということだけ」


 ここまで、師匠に動揺は欠片も無かった。嘘の気配もまた皆無。すべて真実。だとしたら、何者か分からない相手が敵に回っている。師匠の術を破る道具を作った者たちが。


――――そしてそいつらは、オレと同じような髪色をしてるんだ。

 ふと思い出したことに、嫌な気分になる。今まで生きてきて、自分と少しでも共通項を持った人を見たことがない。…こんなところで現れなくてもいいのに。

 相手が何者か、というのは師匠でも分からない。恐らくその判断の一端は、奇妙な髪色という情報も含んでいる。だから、もう一度言及する気にはなれない。もしかしたら何か心当たりぐらいは訊き出せるかもしれないけど、オレ自身もう一度蒸し返してまで聞きたいかどうかわからなかった。


「まあ兎に角、行ってみればわかることもあろう」


 はっとして、いつの間にか下がっていた目線を上げた。

 師匠はいつもの様子で茶を啜っている。

 目に映るのは平和な景色なのに、『行く』というのは、散歩などでは決してない。『戦いに』と頭に付くのだ。


「師匠はどうして、そんなに余裕があるんですか…」

 ぽろっと、言い出し口が見つからなかったふたつ目の質問がうっかり出た。


 戦う、というのは、命をやり取りするということ。敵に勝つ、というのは、相手を(たお)すということ。

 残酷な現実。(もたら)される結末。敵に相対した末の最悪の終着点をオレはありありと思いだすことが出来た。負ける、というのは、ああなるということ…命を失うということ。


 ずっと考えずにいた当たり前の事実は、今や忘れていられない程大きくなって、ふわふわと強さへの憧れに向いていた眼を否応なく現実に向けさせる。

 その冷たいものはずっとオレの心の一番暗いところに潜んでいた。そこから来る震えが、刀を見る度、戦うと聞く度、オレを恐怖に染め上げる。


「師匠が強くても、他の皆が強くても、ずっと勝ち続けていられるとは限りません。それに、敵は多いじゃないですか。ちょっとした隙間から、山を取られるかもしれないじゃないですか。何者かも分からない敵も出てきて、何が起こるか分からないんじゃないですか。なんで絶対に勝てると思っていられるんですか」

 知らず知らず荒く矢継ぎ早になっていた言葉を、口を閉じて無理やり止めた。

 こんな言い方するつもりじゃなかった。


 すみません、と小さく声に出して項垂れた。

「オレ昨日から少し、おかしいみたいです…師匠は大丈夫だって言ってるのに」

 しょんぼりと萎垂(しおた)れたオレに降ったのは、驚いたような声だった。

「何故謝る。そんな必要はないさ。少々気圧されるきらいはあるが、囚われ過ぎずにお前がよく考えているが故だろう。周りに流され、自分に都合の良いようにこじつけて大丈夫だと丸呑みする輩は居るが、安全の根拠を求めて不安になるなら素質がある」

 臆病さを素質だと言い、不信のままに狼狽え勘ぐるのを聡明さ故だとする。

 そんなに立派なものじゃないと言おうとしたが、それこそ師匠の見る目を疑うことだと思い直して「そうでしょうか」と小さく疑問を当てるに留めた。


「そうとも。お前の懸念は正当だ。なるほど彼我の数の差は明らか。周りには敵。四勢力の内ひとつが今にも攻めてくるやも知れん。正面を相手取っている間に後背を衝かれる恐れは成程順当だ。俺が敵方だったとしても、一手を囮に背後へ回って奇襲をかける。今出た情報が全てだとしたら、ではあるが」

 含みのある言い方に訝しむと、楽しげな感情(こころ)が漏れ出しているのが感じ取れた。


「だが、この山に奇襲は難しい。見張りはそこかしこに居る上、そもそも霧を越える(すべ)を外の者どもは持たん。だからこそ、奴らはずっと周りを囲みながらなにも出来ん。数を揃えても突破できる見通しが立たんから、多勢を集めようともしないという訳だ。そもそも、仮に霧を突破しても、今度は結界を破らねば攻め入ることは敵わん。霧の内側に結界があるのは朧げに察しているだろうが、それが何枚あるのか知るのは、実は俺だけだ」


 結界というのがどういう物かは知らないけど、何か不可視の壁を想像した。

 思い当たることは確かにあった。山に辿りつけないようにしているという霧の壁は、山を歩いているときに度々見下ろした。結界があると聞いて空に違和感を探した覚えもあった。それらの備えがあるのは、勿論外敵を防ぐためだ。師匠はその防備に絶対の自信を持っている。だからこんなに余裕を持っているのだ。

 納得すると同時に引っかかる単語があった。

「ずっと…?」

 さっきも、こんなことは普段からある、みたいなことを言ってなかったか。

「あの、師匠、そういえば…このみっつの敵って、いつから居るんです?」

 駒を示したオレににやりと笑ったその顔は、悪戯が成功した子どものようだった。


「さてな、これらはいつからだったか忘れたが、いつも何某か周りに居るのは確かだな。俺がこの山の護りに就いて以来二百余年は」

「にひゃっ!?」

 親より若く見える若々しい顔を凝視する。驚きってもんじゃない。驚愕だ。そういや長く生きてるみたいなことを聞いた覚えはあるけど!でも!若作りってもんじゃないぞ!?


「色々と防備は試してきたが、この霧の術と結界は作り上げてから百年余、一度も破られたことはない。あの鬼が持っていた呪具は、成程俺の施した封呪を破りはしたが、あの方向の術式では山の防壁を破ることは百年掛かっても無理だな」


 人生が五十年あるとして四人分の人生より長くこの山を護っている上に二人分以上防備は破られたことがなくてしかもその間ずっと狙われててでも護り抜いてきたんだしそういえば実力認められてるから任されたんだって言ってたこの人って人じゃなかった!…違う、オレが今考えるべきはえっと、なんだ!?


「~~~っ……師匠すごいですね」

 結局そう結論した。もういい。もうこれでいい。これで全部説明できる。うん。師匠すごい。

 オレは天啓を得たのだ。もう一々師匠のやることに驚いた時にあれこれ考えずにこれで行く。師匠はすごいから。だって師匠だし。思考停止上等だ。そろそろオレも疲れたのだ。


 オレが驚きのあまり披露した百面相の末に、全部一言で片づけたのを見守っていた天狗はついに噴き出した。

 笑いながらわしゃわしゃ髪を掻き回してくる。

「ああ、ああ。すごい、な。すごいとも。だから、何も案じずとも良い」


 紅い模様の(きわ)を拭って、笑い過ぎて目尻に浮いた涙を払う。


「色々と思うところはあるだろうが、お前の願うところは知っている。だから、任せておけ」


 笑いの名残を残したまま、穏やかに、しかし力強く言われた言葉は、今回の敵襲のことを言っているのではない。

 戦いに対する怯えを、度々信じ切れずに迷うことを、全て見通して安心しろと、言っている。


「…っはいっ!」


 熱い湯のような何かが満ちている。

 オレを注意深く見守って、頼りない所も、足りないところも、駄目なところもぜんぶ全部知った上で、それを是として、護り導こうと言われている。

 それが、それが、ただとても、泣きたいぐらい嬉しかった。


「オレ、今日まだ登ってないから木登りしてきます!」


 同時に、それを素直に認めるには照れくさく、そして、自分が師に見合う弟子でないという想いで心が重くて、オレは師匠の部屋を出た。


 せめて、早く翼が生えるように心から願った。





高遠さんは、さんたろさんのびっくりした顔が見たかったから、結界のこと黙ってた。

ちょっと意地悪ですね。


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