四十 弟弟子
まるっと武蔵兄さん視点。
彼から見た三太朗はこんな感じの子。
「お前オレよりガキだな!!」
年相応の叫び声に、武蔵は手の甲で口元を押さえ、笑いの波に肩を震わせた。
よりにもよって、大人を叱りつける文句にこれを選ぶとは、我が弟弟子ながら、中々どうして意地が悪い。案の定、相対する男は顔を真っ赤にしてなお二の句が継げないでいる。これを言われて、子どもと同じく叫び返せば大人げない。さりとて、大人らしく落ち着いて言い諭すには、この男は辛抱が無い上に余裕も威厳も無い。そもそも仮に今から気を取り直して落ち着いて振る舞えたとしても、散々に無様を晒したこの状況では手遅れというものだ。
大人びた子どもとだらしない大人を並べれば、子どもの方がしっかりしているとはこれいかに。
――――宜和が不甲斐ないと憤るべきか、三太朗がすごく良く出来て賢い偉いと誇るべきか、さてどっちか…どっちもかな。
些か身内贔屓目に評しながら、最後の焦燥の欠片をそっと吐息とともに吐き出した。
目の前の口論…いや、口喧嘩は、勢いに任せて言い合っているように見えてその実、正論で武装した三太朗が宜和に反撃を許さず完封している。その追い詰め方は的確で、理性的だ。言葉選びは年相応の少年らしい荒っぽさだが、宜和にとって一番の弱みである昨夜の奇行や先ほどの暴言を避けて話を進める三太朗は、あれでも相手を気遣っている様子がある。
我を忘れる様子は、無い。
慎重に術視を使って観察すれば、火気はもう殆ど治まって、今は水気の方が濃い。
もう大丈夫そうだと心中で呟きながらも、武蔵は油断なく弟弟子を見守り続ける。
警戒を緩めることは暫くできそうにない。つい先ほど三太朗から発せられた火気は、それほど強烈なものだった。
思い出すだけで溜息が出る。現実に炎が立った訳ではないのに、熱波に炙られる幻覚を視た。膨れ上がり、猛り狂ったそれは、以前火気が高まった時の比ではない。危機を感じて双子の片割れが師の許へ報せに向かい、自身は何が起ころうとも耐えられるよう、結界を強固に編み上げ、直ぐに発動できるよう備えた。
しかし、今にも発火しそうに張り詰め高まった"気"は、弾けることなく緩み、弱まった。拍子抜けするほど呆気なく、あっさりと。
それと同時に始まったのが、この子どもがやるような口喧嘩である。
火気を漲らせながらも不気味なほど静かだった口調は、見た目に相応しく勢いに乗って高まるものに変わり、対する天狗の言葉からも、不愉快な侮りと驕りが消え去っていたものだから、同年代の子どもが言い合いをしているような錯覚を覚える。…階級が下の下といえど、仮にも成年に達した者が、十年そこそこの子どもと同等、しかも手も足も出ずに言い負かされているのは流石にどうかとは思うが。
まあ弟分が飛びぬけて賢いことの証左であろう、と武蔵はごく自然にその部分を流した。
火気が高まるだけならばまだ良い。だが、何かのはずみで気から火が顕現すれば、あれだけの強さである。大惨事を招く恐れが濃い。そうでなくても三太朗の火気が高まる、というのは、どうしても最悪の未来を想起させる。
彼以外の者であったとしても、唐突にあれ程の火気を発する者には、何らかの対処が必要だ。強固に封呪を掛け、警戒を怠らず、常に監視が必要だ。場合によっては軟禁、または処分。と、普通の者ならば考える。
――――とんでもないことだ。
即座にその可能性は武蔵の中から消え去った。彼の中には恐れも警戒も、ましてや敵意など欠片もない。顔を合わせた当初はあったかもしれないが、そんなものは、三太朗と接する内に消え去った。
普段は表情が薄く、何を考えているやら分からないその顔に、誰かが話しかけてやれば、様々な表情が現れる。
言動は素直で、素行は真面目で、小さなことで悩み、早合点しては恥じらい、少しの気遣いにも喜ぶ。そこには誰に対しての悪意も無い。爪先立って背伸びして、少しでも大人びようとしているけれど、子どもらしいやんちゃな面が隠しきれずに覗くのを、誰もが微笑ましく見守った。少し遠慮が過ぎるところは物足りないものの、何より一心に周りを慕う子どもは、長きに渡って敵を睨み、戦い続けたこの山の面々の心を和ませていたのだ。
様々な種族の者が居るこの館で、彼我の差異など存在しないように懐く彼を、守りこそすれ害することなど考える者は居ない。
現に、一歩間違えれば災禍を呼ぶ、まさしく火種であると確かめた今でも、恐れも警戒も湧いては来ない。
火気を高まらせるのは怒りであろう、と今回のことで確信を持った所為だろう。
三太朗には悪いが、口元に笑みが浮かぶのを止められない。
見下されても我慢して、下手に出ようとさえした彼が、館の者を役僕だの、他種族は下賤だ野蛮だのと言われて憤り、師を弱い癖になどと言われてとうとう切れた。己よりも仲間を謗られるのを耐え難きとするその気性が好ましい。
そして、鈍い下っ端でも流石に高まる火気に勘付いたか、気圧される様子を見せたその時から、その火気はすっと鎮まっていったのだ。
――――恐ろしく、勘が鋭い。
かつて師に言った言葉を胸中で繰り返す。
ほんの少しの仕草から、相手の敵意が目減りしたことを察したこの子どもは、この目でもって格上である紀伊の攻めを躱し切ったのだろうか。
怒りに囚われているならば、相手が屈したとしても止まることなど出来はしまい。しかし彼は、直ぐに矛を収めてみせたのだ。どんなときでも冷静に、己の内を掌握するなど容易くできることではない。
予想以上の化け物なのかもしれない。その血以上にその心が。
そんな予感が脳裏を過る。
『不公平と不平等はこの世の摂理だ』
ただ、暗い眼をして、淡々と紡がれた言葉が耳から離れない。
『……人は、汚い』
かつて聞いたことがあるあの沈んだ口調。
生まれてやっと十年を超えたばかりの、武蔵からしてみれば赤子とそう変わりない子どもが、一体どんな道筋を歩めばあんなことを言うようになるのだろうか。
他では見たことがない灰白の髪に、褐色がかった灰色の瞳。異端を疎んじる、人という種に生まれて、彼はどんな目に遭ってきたのか。
人であることを棄て、天狗になりたいと望む程の何かがあったのだろう。
父を喪ったのだと弱々しく泣いた様子が思い出される。武蔵と紀伊が親と死に別れるのではないかと、会いに行けと怒ったこともあった。自分の身には危険が無いと信じて、見ず知らずの天狗を助けようと敵の前に立ったと、当たり前のように言った声。
生きる世界が汚いものだと知りながらも、他者へ目を向けるのを止めない。そう在るためには、察しが良くなければ生きてこれなかったのかもしれない。
察しが良いだけでなく、彼は賢い。
昨夜は師共々、参ったと思わされた。
色々と答えてもらうと、不機嫌そうに宣言した子どもに、宥めるつもりで応じたが、繰り出されたものは、事態の核心を問うもの。『なぜ直ぐに助けなかったのか』『なんで山の周りに鬼がいたのか』など、その辺りを問われるだろうと思っていた彼らを驚かせるに充分だった。
よくよく話を聞けば、予想した問いの答えは最早彼の中に出ていたのを知って舌を巻いた。彼は問う前に己で推測し、考え抜いて、それでも分からなかったことを問うたのだ。
その明晰さが、却って哀れだ。察しよく、周囲に目を配ることを忘れぬ彼の周りには、外見を眺めて偏見を持った人の群れが取り巻いていたのだろう。賢い彼は、それを余さず知ってしまったに違いない。だからこそ、あんな暗い眼をして、子どもにそぐわぬことを悟って語る。それでも猶、他者を信じ懐くことができる彼が在るのは、奇跡に近いに違いない。
普段、恨み言のひとつも言うことがない三太朗を思い遣って、せめてこの先の力になろうと決意を新たにする。
最後まで、自分たちは彼の味方で在ろう。
「しかし…あんなに小柄なのに、そんなに強いとは…その…」
「まだそんなこと言ってるのか。お前が頭の中に作り上げた十割思い込みで出来た妄想を一回捨てろよ。先ず事実だけ思い出せ、それから組み立てろ。そこに自分の希望とか想像とか入れるんじゃねえよ」
「む…十割思い込み…」
いつの間にか彼らの話題は移り、今は宜和の思い込みを修正しに掛かっているようだ。
敬語を止めた三太朗は、まだ少々怒っているのもあるのか口調が辛辣だ。しかし相手は言い返せない様子。年齢差があろうと目線が同じ…いや、三太朗の方が上か。
情報を訊き出しに来たのだろうに、会話はもう雑談である。気分が向けば容易に目的から脱線するところがやはり子どもだ。いや、しっかり訊き出してはいたし、もう目的は達したと思っている可能性もあるのが三太朗らしさというものか。
「お前さ、あの鬼が先輩たちに倒されるの見たんだろ?強かったろ?先輩たち」
「む…うむ」
最早言い聞かせ始める子どもに、不承不承しかめっ面で頷く男。見た目が逆なら何も可笑しくないが、この絵面は不自然を通り越して滑稽だ。彼らが真剣な様子なのが更に可笑しい。
「あの先輩たちの師匠なんだぞ?弱い訳ないと思わないか?」
「…しかし、教え子が優れていると言って、師がすごいということにはならんのではないか」
頭を使ってなんとか絞り出した反撃は「確かに確定するには弱い理由だけどな、だからって弱いに違いないって結論に飛ぶかよ普通」と返されて沈黙する。
「お前は考え方がおかしいんだって話だよ。そもそも、なんで強そうな鬼を従えて階級が上がるって思ったんだよ?」
「え、それは…あれ?」
これには三太朗も呆れた溜息を吐いた。
「あのな…多分だけど、天狗は強い奴ほど偉いってことになってるんじゃないの」
「うむ。そうだ。我らは実力こそ絶対であるから…」
「だったら、お前は自分より強い鬼に、無意識に自分より上の階級だと当てはめて考えたんだろ。そして、自分たちは強い奴に従ってる。それで、鬼が従うんだから、従えてる師匠は鬼より強いと推測できる。強いことは階級が上だと言うこと。つまり、強い鬼を従えれば階級が上がる…って感じの流れがまあ妥当だよな」
「ああ…確かに」
「それでお前はさぁ、その真ん中のところに強引に思い込みをねじ込んで、自分を入れようとしたんだろ」
「え…」
戸惑う男に呆れながらも、更に説明を続ける三太朗。この山で一番下の立場だから表には出ないが、彼は下に対して面倒見が良いようだ。
これはいよいよ上に立つのに向いているのじゃないだろうか、と思い始めた武蔵は、自然に宜和を三太朗の下と見ているのに気付いていない。
「あいつは弱いに違いない、なのに強い鬼を従えてる。だから、弱い自分も強い者を従えれば上に行けるかもしれない、きっとそうに違いない。だから、あいつと同じことをしてやる」
それを聞いた男は絶句した。解り易く、図星を刺されたようである。
「あのな、それ前提間違ってるの、わかるな?」
「え…でも…」
「……あくまで、鬼が自分より強いものに従っているって考えが下地だろ!なんで弱い奴が強いのを従えられるって思い込みを前提に組み込んでんだよ!!」
「ぬぁ!?」
「それに、そもそも最初から間違ってるんだよ!天狗って試験に受からないと駄目なんだろ!?なんで強い配下が居たら階級上がるんだよ!!」
「え、あ!」
「だからお前の考えは全部妄想で、十割思い込みで出来てるって言ってんだよ!!」
「…いやしかし、特例ということも…」
「ばっかそこで自分の希望を入れ込むんじゃねえ!!お前の考え方を採用したって無理があるんだよ!特例ってことは普通はできないすごいことだと認められて与えられてるってことだろ!!お前普通よりすごいこと自分で出来る自信ある訳!?」
「…」
「そこで黙るなよ!!」
武蔵は堪らなくなってまた手の甲を口元に押し当てる。強烈だ。これはあの小天狗にはきつかろう。
思考を全てなぞられた上で次々繰り出される怒涛の駄目出しは容赦がないが、相変わらず同じ目線に立って、相手が絶対的に反論がきかない線は越えようとしない。気遣われているとこの男が分かるようになれば赤面することだろう。分かるようになるかは怪しいが。
ここまでされては可笑しさも滑稽も通り越していっそ爽快だ。同程度の相手にやればやり過ぎだと言わざるを得ないが、相手は仮にも上である。下の者にこてんぱんにされて手も足も出ないのがそもそも間違っている。自業自得が充分当て嵌まるのだから、同情の余地は全くない。
笑いを堪えて顔を逸らせた方向に、いつの間にか戻っていた己の片割れが、同じく肩を震わせているのを見つけた。
「だって…」
「でももだってももう良いって!!黙るってことは自分が凄いと思えてないんだろ!!いい加減認めろよ!お前が準備万端整えたって勝てるかもしれないのはこの白鳴山にはオレしか居ないっての!!」
ここでしっかり可能性を拾って自分を入れてくるのが三太朗らしい。本人は大真面目なのだろうが、ぼろぼろに言い負かしながら言うのだ。端から見れば皮肉か冗談だ。
尤も、身内贔屓を差し引いても、武器なしで相対すれば勝つのは恐らく三太朗だ。相手の攻め手を全て躱し、隙を衝いて一撃を中てる。その戦法が充分通じる相手であろう。
ただ、体格の小ささから当て身の威力は低いため、どうしても持久戦は免れ得ないだろうし、刀を抜かれてはそもそも前に立つことはできないだろう。
だが今はそれで充分だ。彼には伸び代がある。刃の克服も目途が立っているのだから、翼が生えて本格的な修行が始まれば、直ぐに宜和程度の者は圧倒できることだろう。
「どうした?…え、ごめん言い過ぎた…?」
弟弟子の狼狽えた声に、場の異常が知れた。
宜和が、目を見開いて固まっていたのだ。
「い、いま、何と言った…?」
「え?お前が勝てるかもしれないのは「そこではない!!白鳴山!?白鳴山と言わなかったか!?」
切羽詰った顔で迫られて、少年はたじたじと引く。
「言ったぞ…?」
「ここは、箕樫山ではなかったのか!?」
「…はいぃ?」
場は、一羽を除いて全員の目が点になった。白鳴山勢の心はそのときひとつになっていた。
即ち、『こいつ、何言ってんの?』と。
その唖然と固まった空気に構わず、その一羽は頭を抱えて叫んだ。
「はく、白鳴山と言えば…長天狗の山ではないかぁああ!!」
「……お前…知らずにふた月も見張ってたの…?」
ぽつりと三太朗が呟いた言葉は、三名の心を余さず要約していた。
だが、衝撃で呆然と青くなった天狗からの答えは得られず、その問いは宙に浮いた。
明かされた衝撃の事実()
お蔭さまで3000pvを超えたので、活動報告にラフ画第三段を上げました^^宜しければご覧下さいませ。
それと、更新頻度についてのお知らせを、ラフ画とは別記事にて上げております。そちらもお読み下さい。