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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
45/131

三十九 尋問

会話回。途中で視点変更が入ります。



 天狗は宜和(よしかず)と名乗った。一緒に任務に就いていた先輩天狗に鬼の前に囮として置き去られたらしい。大変でしたね、と当たり障りなく打った相槌が、物凄く喜ばれたのには正直引いた。

 彼が落ち着くまで宥めて、立ち話も良くないだろうと、床に就くように勧めるとついに泣かれた。嬉し涙というやつだった。

――――どれだけ理解者がいなかったんだ。

 ちょっとどころかすごく哀れだ。想像以上に寂しい奴だった。


「えっと…さっき、山が陥落って言ってましたけど、どういう意味なんです?」

 宜和が話せるようになるまで待って、オレは師匠の頼み通り情報収集を始めることにした。ただ好奇心に負けて、気になるところから訊いてしまったが。

「何?知らんのか?今年山がふたつ、敵襲に遭って奪われたのを?あれだけ大騒ぎだったのに知らんとは有り得ん…あ、いや、疑っているとかではないのだが…」

「ふたつ…」

 今年に入って、二。その数字が天狗にとってどうなのかは分からないが、人に置き換えれば、二つの拠点が陥落するというのは小事とは言えない。大騒ぎだったというのなら、恐らく天狗にとっても大きな出来事だったのだろう。

 事はオレが想像していたよりも悪い。山の外の情勢は厳しいものなのかもしれない。

――――そりゃ、刃物にさえ怖がる弟子に教えようと思わないよな。


 現実を垣間見て口を引き結んだオレを、おどおどとなぞる目線に気付く。

 宜和は、表情こそ羽毛に覆われて分かりにくいが、言葉を探すように嘴を開けたり閉めたりしている。此方の機嫌を気にして最後はごにょごにょと言葉を濁していたし、折角得た味方を失いたくないという心が隠しきれていない。

 気を損ねたのかと不安げにしている宜和に、気にしていないと返して苦味を残したまま微笑った。

「オレはまだ翼が無いので、色々なことを知らされていないんです。師がまだ早いと仰って…」

「む、それなら知らんのは仕方がない…えっ!?では、ワシが言ってしまうのは不味いのでは…」


 あれこれオレに明かしたことを思い出したのか、今更ながらに狼狽した様子で青くなっている。顔色とか羽毛で分からないから勿論比喩だけど。

「ああ、多分大丈夫ですよ。オレが宜和さんに会いに来てるのは師匠もご存知ですから。本当に知られたくないなら、外のことを知ってる方に会うのを許可なさいませんよ」

 寧ろ、この『頼みごと』は、多少なりと今の情勢を訊き出せという意図があるのではないかと思っている。都合の良い解釈かもしれないが、師匠に教わる前に少し自分で考える機会を持たせようとしているような気がしていた。


 宜和は「そ、そうか」と言いながらも、まだ少しびくびくしている。そういえば、師匠は宜和に冷たくしているんだったか。高遠が温厚だと知らない宜和にとっては、どのようなことで怒りだすか分からないのだから、神経質になっても仕方ないのかもしれない。


「任務…っていうのは、山を見張ることですか?」

 折角落ち着いたのに、また動揺させては話が進まない。仕方なく話し難い話題を避け、師匠に頼まれたことを訊き出すことにした。

 あからさまにほっとした様子で宜和は素直に頷いた。

「そうだ。小生たちは日夜、この山に怪しい出入りが無いかを見張っていたのだ」

 はっきりと返事をする、その様子は言葉に反してどこか気不味げだ。命令でやったが、その対象が只ののっぺらぼうの影ではなくなり、こうして名前と実態を持った今、罪悪感が湧いてきたというところか。

 今監視に対して(いきどお)れば、恐らく謝ってはくれるだろうが、宜和の謝るべき相手はオレではなく師匠だ。だからそこには触れずに流す。


「なぜ見張ってたんです?」

「知らん」

「…え?」

 返った答えは即答で、嘘ではなかった。


「ワシは、人数が足りんと声を掛けられただけで教えられなかったのだ。尤も、一緒に居た鴉天狗も、その上の色天狗に押し付けられた仕事だと愚痴っていたし、色天狗も上から命じられたらしいし、何故山を見張るなどという事になったのかを知っているのはどこからか、ワシにはわからん」

「…それじゃあ、命令の大元が何ていう方だとかは…?」

「飛天狗だということ以外、知らん」


 オレは思わず手を額に当てて天を仰いだ。宜和は嘘を言っていなかったからだ。

 師匠の読みは半分当たりで半分外れだった。

 宜和は確かに、誰かの手先だった。だけど本人はただ山を見ていただけで、そこには陰謀も何もなかったのだ。警戒して損、宜和も冷たくされ損、そしてオレは怯え損というやつだ。ああ、師匠たちが警戒して宜和に素っ気なくしたから、彼は抜け出したのだろうし、怪我し損も加わるんじゃないのこれ…って、あれ?

 オレはふと、不思議に思って首を傾げた。


「誰の命令でもなかったなら、なんで昨日鬼の所へ行ったんです?」

「…え゛。……何のことかな…」

 声が明らかに動揺した。

 直ぐに取り繕ってしらばっくれるが、その努力は空回りもいいところ。目線は宙に泳いで、手は神経質に包帯の端を(いじく)っている。あからさまに怪しい。

 後ろめたさと焦りを感じる。触れられたくないところのど真ん中を突っ込んだのだろう。だけど残念ながら、オレの本題はここなんだ。


「どうして、なんですか」

 昨日感じたどろどろした黒い感情を思い出して、思わず顔が強張る。繰り返して問う語気が少し強くなったのを自覚した。目を逸らしてこちらを見ない宜和の拒絶の色に頓着することなく、真っ直ぐ顔を視続けた。段々強くなる焦りに確信する。こいつは、確かに何かを隠している。


「そそ、それは…」

「師匠たちは、貴方が何か良からぬことを企んでいると疑いを持っています。ここで隠し事をされると、オレも執成(とりな)すことができません。大丈夫、怒ったりしませんから、言ってみましょう?」

 どもる宜和に、子どもにするように優しく促す。ただし優しいのは語調だけで、中身は脅しを含めた尋問だ。

 宜和は、今の待遇が何故なのかを悟って愕然としている。疑いは恐ろしい。腕も折れて脚も傷ついていては、疑いから誤解が生まれてもしも排除に動かれても、抵抗も逃走も出来ない。そして弁明しようにも山主は取りつく島も無いのだから、目の前の少年に頼る他に手はない。

 青ざめ、狼狽えて、恐る恐るこちらを窺うその仕草に、何を考えているのかが丸わかりだ。…やっぱ、こいつが何か深く考えて悪巧みしてるなんてことは有り得そうにない。


「鬼を…使役してやろうと思ったのだ…」

 葛藤の末、ついに天狗は白状し始めた。

「使役…?」

「使役の術だ。山主も鬼を使役してるではないか。妖魔や妖獣を逆らわないよう屈服させて下僕にし、意のままに操る技だ」

「下僕…ですか?」

 師匠を主として慕っている、館のモノたちを順に思い浮かべてオレはぽかんとした。下僕とか、屈服とか、意のままに操るとか…師匠と愉快な仲間たちに全くそぐわない。


「…何か、勘違いがあるような気がしますけど…」

 頭の中で、力の抜ける顔をしたタヌキとキツネが、ほけほけと団子を用意してお茶を淹れる様子が繰り広げられた。

 茹で上がったお団子をひとつお味見。もうひとつ。あ、少なくなったからもうちょっと小さいお皿に移しましょ。…うん。楽しそうに働いてる。

 多分、宜和が言っている鬼っていうのは弦造さんのことだろうけど、師匠との仲は良好で、よく一緒に晩酌してる。一応師匠を立てている様子は見受けられるのだけど、その態度は気安いもので、下僕というより部下…いや、仲間と言う方がしっくりくる。


「ええと、使役の術?は具体的には、どうするんです?」

 そもそもの原因が勘違いにある可能性を感じつつ、兎に角宜和が何をしようとしたのかを問うことにした。

「何、使役の術の仕方を知らんのか?ほうほう、それで、ワシに(・・・)説明して欲しいのか?このワシに(・・・)!」

 おどおどとしていた様子は何処へやら。途端に、にまにまと気持ち悪い笑みを浮かべ、勿体付けるようにちらちら見てくる。教えてほしい?えーどうしよっかなー?教えたいとかじゃないけど、どうしてもって言うなら…という言外の声が聞こえる。

 露骨な優越感に愉悦…相手の知らないことを知っているのが嬉しいらしい。


 どうでもいいけど視線がうざったい。なんかこいつに訊くの釈然としない。勝ち負けじゃないのは分かるんだけど、なんか負けた気分になる。…あとで師匠に訊くことにして『やっぱいいや』って言っちゃダメだろうか。

 つい訊くのを止める理由を探し始めて、本題がずれているのに気付いた。オレの目的はこいつの昨日の行動の意味を訊き出すことだ。考え方によっては、会話を誘導し易いのは助かることだと思い直した。

 この、小さいことで有頂天になっている様子を見れば、おだてて頼みごとをすればなんでも答えてくれそうである。

 協力しようという気を持続させるための必要な処置だ。


『協力を期待すると失敗する。しかし強要すれば(ひず)む。自然と力を貸したくなるように上手く導かなくてはならない。気分良く協力してくれるようにするためには、こちらが下手に出て頼み込むのも必要なのだ』とかって父上も言ってた。とても偉そうだったけど、そっと饅頭を差し出して、四の方さまのお気に入りの茶碗を割ったのを黙っててくれと言ってきたときだったから、よくもまあ尤もらしいことを言えたものだと呆れたが…言葉自体の正しさは認めるべきだろう。


「…ええ、是非(・・)教えて欲しいです」

 暫しの逡巡の後に、笑みを作り直して言った。ついに言った。言ってやったぞこら。これで満足かせっかく言ったんだから乗れよ!?


「ほほう!そんなに聞きたいか!是非にと頼まれたなら仕方がないな!」

 自分の方が上だと言わんばかりにふんぞり返って咳払いをする天狗に、教えを乞うのは慣れている筈なのに屈辱感と苛立ちが込み上げた。

 相手の口元が引き攣っているのに全く気付かない辺り、こいつは思い込みが激しい上に周囲への注意力が足りていない。…こいつに下だと思われるの、やだな。


「使役の術というのは、話の分からん妖獣や野蛮な妖魔を、天狗の力を見せつけて屈服させ、名を奪って下僕に置き従える術なのだ」

 妖獣や妖魔、というのは、天狗と別に言われているんだから、多分天狗とは異種の(あやかし)のことなんだろう。偏見を感じる言い回しに思わず眉を顰めてしまうのは、オレがお館で世話になっているのが、天狗で言う異種族が殆どだから。


「使役の術で従えたモノを役僕(えきぼく)と言うんだがな、役僕は使い捨てだ。長く持っていても、術を破って襲い掛かってくることもある。だから、使うとき以外は牢へ繋いでおいたり、封じを掛けておく。まあ大抵はさっさと棄てる。一時でも役に立てるなら、下賤の獣畜生も本望だろうよなあ」

 自分より下だと信じるモノを語るとき、心から見下(みくだ)した顔をする。それが不快だ。伝わる感情もとても分類なんてしたくないもので、漂い伝わるものは、昨夜のと同種の気色悪さを帯びている。

 こいつが思い浮かべたのは、過去に見た役僕とやらなんだろう。見ず知らずの誰かに決まってる。だけど、身内を貶されたように感じて、負の方向へ傾いていたこいつの印象が一気に普通と嫌いの境界線を振り切った。

 下を貶め、上にへつらい、他者を鑑みない奴に見下されるのを我慢する理由があろうか。いや、無い。


 オレは背筋を伸ばした。口元には先ほどよりも自然な笑みが浮かぶ。その内心は、さっきとは全く違うものだった。

「名を、奪う?」

 落ち着いた声で問いかければ、ほほーう、と喜色に彩られた声が返る。

名盗(なと)りも知らんのか。いや、お前がまだ人なのならまあ、無理もないのかも知れんなあ。天狗として知っておいて損は無い。良かったなあ、早く知れて」

「ええ全く。で?名盗りというのは?」

「名盗りというのはだな、相手の名を明かさせる術だ。難しい術でな、虚を突いたり、相手が弱っているときでないと中々成功しないのだ」


 ああそれで、と納得した。

 先輩たちにやられて傷ついた鬼なら、自分にも従えることが出来るかもしれないということだろう…でもそれは、実際に闘って勝ち取った他者の功績を、こっそり盗み出そうという考えに思えた。

 普通、助けてもらったならば、一言も無しに捕虜を自分のものにしようだなんて思う訳がない。

 自分の旨みのために他から奪うことに頓着しない、こいつはそういう奴なのか。

 心は決まった。やっぱりこいつに見下されるのは我慢ならない。オレは、少々やり返してやることに決めた。




「鬼が弱ってるから、今なら成功すると思った、と」

 宜和はむっとして相手を見た。まるで馬鹿にするような物言いではないか。折角教えてやっているというのに、敬う心というものが足りない。説教してやろうと少年を睨む。が、その微笑みに何か禍々しいものを感じて、言葉に詰まった。


「それで、見事に失敗した訳ですか。まあそれはもう良いです。で?」

 口籠っている間に、少年の子どもらしい高い声が、(うた)うように滑り込んだ。

「…で?とは?」

 その物言いは非常に不愉快だったが『もう良い』と言っているのに突っ掛れば、昨日の無様な失敗の話を続けなければならなくなるので何も言えない。だが、明らかに何かを促す調子の語尾の意味が分からず、已む無く聞き返す。

 もうやろうとしたことの話は済んだはずだ。

 首を捻る宜和を、不思議そうな灰色の目線が眺める。『こんなことも解らないの?』と言われているように感じて、気分が途端にざらつく。

 子どもの分際で生意気極まりない。そう考えたときには、もう彼の頭には、今の自分の状況のことなど欠片も残っていなかった。


「オレが訊いたのは、何故あんなことをしたか、ですよ?何を(・・)しようとしたかは分かりました。ですが、何故(・・)そんなことを思いついたんです?どうして夜に、手負いにも関わらず、しかも余所の館を勝手に彷徨(うろつ)いてまでやろうと思ったのかが分かりません。普通、客分なら大人しくしているものでしょう?」


 不思議そうに、如何にも無邪気な様子が気に障る。この子どもは自分が無礼だなど思いもしないに違いない。教えてやるのも大人の務めだ。

「…口が過ぎるぞ、小僧!」

 宜和は、たまに見かける怖い色天狗が、爆発する直前に発する、恐ろしくどすの効いた声を思い出しながら凄んだ。

 だが、普段自分は目上の者に睨まれるだけで縮み上がるというのに、少年は「何が?」と涼しい顔をしている。

 そういえば、昨日もこやつは鬼を前にして、平然と言葉を交わしていた。恐ろしく肝の据わった奴なのだ。

 心の隅で感心してしまったのが悔しく怒りが増すが、長い間に気持ちを圧し殺すのが習い性になっているせいか、怒鳴り付ける言葉が直ぐには出てこない。


「そんなことより、答えて欲しい。何故、勝手に捕虜を自分の(しもべ)にしようとしたのか。それが出来たとして、それからどうしようとしていたのか」

 言葉に詰まった間に、奇妙な色を纏った少年は、あくまで淡々と宜和を追い詰めに掛かる。

 生意気にも、最早敬語でさえない。益々膨れ上がる怒りを感じながらも、勝手に捕虜に手を出そうとしたと言われて、反論の余地が無いことに唖然とした。

 呆気にとられ、怒りが途切れた空白に、自分の行いが浮かび上がる。そして気づいてしまった。自分がやろうとしていたことが、山主に弓引こうとしたと捉えられ兼ねないということを。


 宜和は時が止まったように固まった。上位に逆らうというとんでもないことをしてしまったと自覚した途端に、反射的に逃げ道と言い訳を探し始める。だが、彼の(いびつ)な矜持が、自分より下の立場の癖に口答えをしてくる小癪なガキに弱味を見せるのを忌避した。しかし、直接山主に訴えることが出来ない今、自分が言い訳しなければならない相手はこの子どもなのだ。

 罪悪感と焦り、憤りが同時に高まった結果、彼は負荷に耐えきれなかった。


「しょうがないだろう!!ワシも出世したかったんだ!!」

 曲がりなりにも冷静だった思考は消え失せ、瞬時に沸騰した頭が、思ったことを吟味することなく言葉に変える。

「何故あいつばかり許されるのだ!弱い癖に上位になった上山主!?従えた役僕の強さで階級が上がった奴がいるならワシも同じ事をやろうとして何が悪い!!なぜあいつは良くてワシは悪いのだ!そんなの不公平だろうが!!天狗でもなく何も知らん癖に口を出すな!!!」

 自分は悪くないと繰り返し喚き散らす。

 身勝手な主張をただ聞く少年の目は、酷く冷たいものだった。


 宜和が息を切らして黙るまで、その場に響くのは半狂乱の叫びのみだった。

 叫び倒して少し冷静になり、やっと相手の様子に気がついた彼は、頭に上った熱が残らず冷めるような心地を味わうことになった。


 少年は変わらず微笑っていた。ただ、目の奥には深い影が溜まっていた。

 無邪気な微笑みに似合わず、その眼に暗く重い何か恐ろしいものを湛えて、今にも溢れ出しそうになっている。


「不公平?何を当たり前なことを」

 彼は(いとけな)く小首を傾げた。


「公平なんていうのは夢物語。生まれからして先ず格差があり、育ちで差が開き、何を成すかでそいつの価値が決まる。不公平と不平等はこの世の摂理だ」

 淡々と、激することなく吐き出される声は、その音のひとつひとつから、血の滴るような情念が充ちていた。

 自分は今何を聞いているのか。子どもが口にするとは思えない内容は、彼から語られると含まれた意味が深くなるような気がした。得体の知れない迫力に、反論も怒りも湧いてこない。

 宜和は完全に気圧された。


「生まれつきの差を埋めるには、足掻くしかない。今いる場所さえ、いつ崩れるかわからない。平穏を保つのでさえ、今いる場所に留まるのでさえ、何の努力もなしには成し得ないものなんだよ」

 暗い洞のような目に、ふっと力が籠る。火が灯る。いっそ酷薄に思える微笑みに、宜和は竦み上がった。


「あんたは今まで何をしてきたんだ?上を望み掴むためにどんなことを?上への差を詰める努力もせずに、ただ待ってるだけで幸運が降ってくるとでも思ってたんだろ。だから不公平とか狡いだとか言う言葉が出てくる。それは努力して己を磨いて成功した他人の成果を、その過程を見ずに羨む言葉だ」

 滔々と流れる声はあくまで乱れなく静か。いつの間にか表情も消え失せている。だが逆にその目は(つよ)い光を宿して宜和を責める。

 ちがう、となんとか絞り出した声は、弱々しく宙を漂って消えた。


「弱いのに、強いモノを従えて、上位になった?それは誰のことだよ?」

 波風立たなかった語調が強まる。その目の(ほのお)が燃え上がる。やっと宜和は、目の前の少年が激怒していることに気付いた。

 それは、と呟いて、二の句が継げない。例えその心算(つもり)がなかったとしても、山主は少年の師匠で、自分は彼の師匠を侮辱したのだと勘付いたが、それはあまりに遅かった。

 いやしかし、あの弱そうな山主が強い訳がない。自分は間違っていないのだ。

 この期に及んで予測を事実にすり替えてすがり、自信を持ち直しかけたそのとき、ばん!と少年が畳を平手で打った。


「…師匠はな、お前を軽く捻った鬼を、素手であっさり倒したぞ」

「なっ!?」

 最後の砦が崩れ去った。呆然とする天狗に構わず、灰の目は鋭さを失わない。


「師匠が弱くて?役僕とやらの強さに頼って偉くなった?同じことがしたかった?自分に都合が良い思い込みで世の中が出来てると思ってんのかよ。大人の癖に」

 大人の癖に、と言われて、目の前の相手が子どもだったことを思い出す。

 何の悪夢だ。これが子どもだなんて。

 小さな体から発される怒気が、まるで湯気のように宙を揺らめかせる錯覚さえ起こす。その覇気とも言える波動。

 鋭いとは言えない自分の感覚でも解る、強い力の片鱗。


 これが格の違いか、と沁みるように理解した。

 言い訳も思い込みも、思考が生すもの。もっとずっと奥、魂の近く、天狗として生まれ持った本能というべき部分で感じ取ったひとつの直感。

 それは、力あるものに従う、天狗の本能によるものなのかもしれない。

 宜和は、目の前の相手が上位者であると感じ取った。


 なるほど、不公平と不平等は、この世の摂理だ。

 納得しながらそれを認めたくなくて、天狗は喉を震わせた。










 高遠は、薄暗い空間に立っていた。

 目の前には捕らえた鬼が、縛られたまま転がっている。巨躯を誇る鬼の髪を掴んで容赦なく、そして軽々と頭を引き上げながら、全く平然とした様子で、黙して獲物を見下ろしていた。


 ここは、鬼を閉じ込めた納屋の中だ。

 だが、納屋は外から見れば二畳程の広さ。広く見積もっても三畳に届かない建物である。日用品を仕舞い込むには充分な広さではあるが、大柄な鬼を放り込んだ上にもう一人入るとなると、手狭どころか明らかに場所が足りない筈である。

 しかし、高遠のいるそこは、ゆうに見た目の五倍は広かった。

 勿論、納屋の中を広くしたのはこの天狗の妖術によるものだ。拡張されたこの場は、人の術師が異界と呼ぶ空間に変わっていたのだ。


 空間を捻じ曲げる大それた術を行いながら、涼しい顔で天狗は立っている。捕まれた鬼の喘鳴も、その苦しげな形相も、睨みつける眼光も、何もかもを無いものとしたかのように意識の外に置いて、軽く目を伏せて思案している。

「あるじよ」

 傍らに控えて、鬼を眺めていた大鴉が紅い眼をぎらつかせる。

「こやつと同種の鬼どもを見つけたぞ」

 その皺枯れた声が、場の静寂を震わせると同時に、鬼がかっと目を見開いて吠えた。

「貴様!部族に手を出すと、只では置かんぞ!!」

 それにちらりと一瞥をくれて、ふっと息を吐く。

「先に手出しをしたのはそちらだ。…どうやら間に合ったな」

 前半は鬼に、後半は配下に向かって言いながら、掴んでいた手を離して、踏み固めただけの土床にぶつかる鈍い音も知らぬ気に、やれやれと肩を回した。


「一晩か。当の鬼が居ても、案外手間取るものだな」

「仕方が無かろうよ。我が天眼を以てしても、組成も分からぬ結界を越えて見通せば、精度も落ちようというもの。更にはこの山の結界やら空間の歪みも越えねばならぬしな」 

 恨みがましくがあと鳴く、カラスが今言った通り、彼らは攻めてくるという敵を察知するために、鬼を手掛かりに術を使っていたのである。


 三太朗に、武術の修行を無しにすると言ったのは、半分は鬼の尋問が長引いたためでもあった…のだが、実のところは心労が溜まっているであろう弟子を労わる方が重要だと考えていた。当の高遠にその心算はないが、彼は一番下の弟子にやはりとても甘かった。

 因みに先ほどの発言の『間に合った』とは、三太朗に不審がられるより前に終わった、という意味だったりする。


 閑話休題。

 ひとつことを終えて、彼は手にした物をもう一度見た。鬼を掴み上げていたのと反対の手には、丸い乳白色の玉が下がった紐を持っている。鬼が隠し持っていた品であった。

「これについて何か付け足して言う気にはならんか」

「…」

 床に転がるモノへ向かった問いかけは、沈黙を以て返された。このやり取りも、一晩続いた攻防の末だ。もう訊き出せるものは搾り取った後のこと。別に答えなど期待してはいない。


「結界破りの呪具、か。よもや俺の封じが解かれるとは思わなんだ」

 高遠が三太朗に天狗の話を聞くように言ったのは、絶対の自信があった封呪が破られたが故に、こちらを優先せねばならないという理由があった。

 天狗の優先度は低いが、放っておく訳にもいかない。幸いあの天狗は階級は下の下。企みごとの疑いはあるにはあったが、あの者自身が害を成すとはほぼ思われず、館の中であれば弟子に任せても問題ないという判断。だが万が一があってはならないと、上の弟子二羽も行かせたのは、少々過保護とも言える。この場にそう思う者は居なかったが。

 春にあった裏切りの嫌疑は収束した筈であるのに、まだ手を出してくる者がいるのがきな臭い。時たま驚くほど勘の鋭いところを見せる三太朗ならば、もしかしたら何がしかの情報の欠片なりと引き出せるかもしれないとの期待もあった…まあ、まだ眠っているかもしれないがそれはそれで良い。良く眠れるのは良いことだ。子どもが育つには眠りが必要なのだから。


「…背後に、人か」

 磨き上げられた玉に指先で触れて、その感触を確かめる。この呪具を鬼に渡したのは人だという。それを思えば、釈然としないものがある。

 するり、と懐から顔を出した白い蛇が、手元を覗き込んでしゅるしゅると舌を閃かせた。

「お前も、分からんか」

 応えて見上げた配下は、何も言わないままに懐へ戻って行った。

「やはり、人の術の気配がせぬな。では何処(いづこ)かの神の仕業やもしれぬぞ」

 代わりに答えたカラスに頷き返して、天狗は表情を渋くした。

「だが、今の段階で結論するには早いさ。若しやとは思うが、俺が知らぬ技を持つ人がいるのやも知れん。どちらにしろ、俺ではこれの解析は出来んな。…(とき)に回そう…ん?」


 気配を感じて振り返った先で、納屋の壁が揺らいで穴が開く。そこを抜けて現れたのは、高遠の弟子の一羽。双子の片割れ、紀伊だった。

「師匠!三太朗の火気が増しています!!」

 何か問うより先に報告した紀伊の顔は厳しい。

「直ぐに行く。ヤタ、此処は頼む」

「相分かった」

 高遠の姿は、その場から忽然と消え失せた。




「ワシにどうしろというのだぁあああ!!」

「階級上げたきゃ真面目に受験勉強しろ!!!」

 三太朗の気配の近く、拾った天狗の病室のすぐ外に降り立った耳に、盛大な叫び声がふたつ飛び込んできた。


「教えてくれる師もおらぬのに!どうやって!!」

「今はいっぱい教本が出てるって聞いたぞ!買え!!」

「誰も勉強などしておらんのに、ワシだけ本でせこせこ勉強せよと!?」

「みんな陰でやってんだよ!!誰が自分勉強してますとか自己申告するもんかこの莫迦(ばか)!!」

「な、なにぃい!?」


 その随分と賑やかなやり取りに、思わず笑みが零れる。

 目上に対して敬語を崩さず、どこか固さが取れない弟子が、開けっ広げに口喧嘩をしているのを聞くとは思わなかった。

 どこか楽しげに聞こえる応酬を邪魔せぬように、外からそっと三太朗の気配を探る。


「でも、暇などないし…仕事も、いつ入るか分からぬし…」

「ほう?暇なら今めちゃくちゃあるだろ!良かったな!!」

「いや、でも…手元に教本が無くば…」

「有ればやるんだな?」

「…でも」

「さてはお前勉強が嫌なだけだろ!!!」


 火気は、確かに高めだろうか。だが、徐々に収まりつつある。紀伊が血相変えて飛んできたのだから、一時は異常に高まったのだろうが、どうやら何事もなく済みそうだ。


「じゃあ、教本あれば や る ん だ な ?」

「むぅう…やる、やるとも!」

「あー!聞いたぞ、言質を取ったからな!!」


 高遠は密やかに笑って、踵を返した。

 鴉天狗の試験本を、出しておいてやらねばならない。





三太朗さんのお説教炸裂。

さんたろさんは師匠とか館のみんなが大好きなので、彼らが馬鹿にされるとすごく怒ります。


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