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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
42/131

幕外参 柚葉ノ二

術者の戦闘回。鬼退治です。


 ぎぃ、と扉が軋む音が夜に響き、楼閣に溜まった闇が口を開いた。

 昼間は気にならないその小さな音が酷く耳について、小雛はその細い眉を微かに動かした。

 中には何の気配もなく、静まり返っているが、今までに否応なく鍛えられた気配を読む術を以てしても、この静かな闇が見せかけでないとは言い切れない。妖相手に絶対は無いのだ。


 ここには今、小雛は独り。他の面々は先に行った。

 今回の任務において小雛の役どころは殿(しんがり)であり後詰(ごづめ)。突入した彼らが背後から襲われぬように、時をずらして後を追い、追いついた後は戦いに加わらず隠伏(いんぷく)の術で身を潜めて、いざというときに敵の背後を衝く。

 小雛に役目が回ってこないのが最上。侃爾(りょうや)などは「お前の出る幕はない」などと言って行ったが、それが現実であれば一番面倒がない。


 慎重に慎重を期したこの策は、決して臆病に過ぎる訳ではないと皆了解している。

 今回討伐する鬼は何人も人を喰っていると考えられるからだ。

 人を喰らった妖魔は力を増すのだ。その魂を取り込み、血肉を喰らい、獲物の恐怖と慟哭でさえ力に変える。

 橘家が今日一日で調べ上げただけでも犠牲者は十人以上。数日前から洛下に出没していたという噂もあり、その日数から考えれば、最悪その倍以上を喰らっている。

 どれだけ育っているか分からないのが現状。ならば、六人という人数を生かして二段構えで隙を衝くのが確実に仕留められるだろうとの判断だった。


 柚葉という囮を立て、それに食らいついたところを襲撃する本隊でさえ囮とする。最善は囮の柚葉が逃げおおせ、班員が仕掛けた攻撃が決まって鬼を滅することだが、最悪は先二方の囮が全滅しても、不意を衝いた後詰の小雛で(たお)すか手傷なり負わせること。自分たちが戻らなければ、明日には橘家が本腰を入れて動く手筈。

 小雛の、少しのことでは動じない気性と、今まで(ほふ)ってきた妖の数を評価して立てられた策。

 これを成功させるためには、小雛が敵に見つからないことが最重要だった。


 じっと耳を澄ませて、何も聞こえないことを確かめてから、足音を殺して淀んだ空気の中へ一歩踏み込んだ。念を入れて、入口で禹歩(うほ)を踏む。魔から身を隠す術のひとつだ。特殊な踏み方で地を踏み、場の空気の中に気配を溶かし込む。

 ありったけの術を掛けてあるが、出来ることは全てやるべきだと今までの三月(みつき)そこそこで嫌と言う程身に染みていた。



 景地門(けいちもん)の内部は、門扉の大きさに合わせて天井が高く造られている。大の男を縦に三人並べてどうにか届くか届かないかという高さを、等間隔に並んだ丸柱(まるばしら)が支える。

 一つ目の大門を潜って、中にある広間で役人から荷物や人数等の取り調べを受け、もうひとつの門を潜って出る。そのような役目がある場所だから、大八車(だいはちぐるま)等の大きな荷車が入っても余裕がある程度に広く造られている。


 小雛が入ったのは、勿論大門ではなく、役人が出入りするための裏戸だ。

 入ったそこは役人の控えの部屋で、一段高くなった四畳程の畳の壇には、文机や書棚が置かれ、その脇の格子窓からは広間が見える。その窓の横、壇の下にある通路の突き当りには広間への扉があった。…流石に全て見通せる訳ではないが、広間も深閑として、何の気配もない。


 小雛は夜目が利く。夜に活動するようになって研ぎ澄まされ、更に訓練を積んで闇に慣れた目には、暗く感じはするが部屋の様子は問題なく見通せた。

 慌てて出て行ったように、書類が置かれ、乾いた硯の脇に筆が転がっている机。畳の上に置き去られた横倒しの湯飲み。当時の恐慌を色濃く残す部屋はしかし、見たところそれ以上に妙なものは無いようだった。…見た目だけは。


――――鉄臭い…。

 小雛は歩を進めながら口元を引き締める。

 そこに満ちていたのは、鉄気(かなけ)を含んだ(なまぐさ)い臭気―――血の匂い。

 一瞬、その場で誰かやられたのかと思ったが、その臭気のもとが近くにないことは直ぐに分かった。


 畳の壇には上らずに、真正面にあるもうひとつの扉へ進む。扉の脇、壁の武具掛けの横に貼ってある霊符(れいふ)がその証拠。

 仲間がこの場を清め、結界を張って行った証である。


 札は破れも汚れも無く、闇の中で薄く白光を帯びて、そこから発された清らかな霊力の波動が結界の一部を成している。闇を透かし見れば、広間に通じる扉の横、そして広間にも手筈通りに結界符が淡く燐光を発していた。


 この札が無事ということは、ここには妖魔は来ていないということだ。外で見張る小雛の目をすり抜けて後を追った敵は居なかったらしい。

 部屋には戦闘の跡もない。

 では、この臭いの出元は、もっと先だ。


 引き開いた扉の先には、短い廊下が現れた。

 廊下を進めば右手に二階への階段、左右に部屋への引き戸、その先の突き当りにはまた扉があって、視界にある三枚の戸の全てには札の燐光が視えた。


 全ての霊符に異常がないのを確かめて、上への階段を躊躇なく上る。

 足を動かす内に、奇妙なことに気付いた。


――――音がしない。

 接敵しているなら戦闘音が、討伐が終わったなら場を清める祭文の詠唱が聞こえるはず。そもそも鬼が居なかったなら、降りてくる班員と合流できていなければ可笑しい。

 しかし、全滅したにしても時間が短すぎる。

 班員が入ってから小雛が追うまで、然程の時間は経ってはいない。何事もなく一階を探索して、二階へ上がったならば掛かるだろう程度の時間を置いただけ。多少のずれはあるだろうが、小雛が踏み込んだときには他の者は階段を上がって直ぐの筈。予想より早く彼らが上階へ向かったのにしても、五人全員がやられたなら、殆ど何の抵抗も出来なかったということになる。

 彼らが無事にしろ、討たれたにしろ、上で何事かが起きているのは間違いない。

 小雛は、一層神経を尖らせて先を急いだ。






 階段を上がったその先、二階に至る数段下に身を潜めて、強まる異臭に閉口しながらそっと先を覗いた小雛は、軽い混乱に襲われた。

 そこでは今まさに、戦いが繰り広げられている最中(さなか)だった。

 瘴気を纏い、四方の闇から湧き立つ悪霊が群れを成して襲い掛かり、術師たちは強固な結界でそれを苦も無く防ぐ。そして内から術を飛ばして払っていく。

 術光が奔り、霊が霧散して消える。だが早口に唱えられる呪文も、霊が口々に叫ぶ苦痛の声も、何か一枚膜を隔てたように遠くくぐもって聞こえた。それも奇妙だが、より小雛を混乱させたのは別のことである。


――――広間?

 目の前にあるのは高い天井を支える丸柱。床には硬い石畳。

 そこに広がっている景色は、大門の間にある広間に酷似していた。いや、下階のものよりずっと広い。目を凝らしても壁は見えず、柱の列は闇の中に消える。任務の前に確かめた見取り図では、無論こんな部屋のことは書いてはいなかった。


――――異界か。

 驚いたのは一瞬。この光景が何であるかに目星を付けて、小雛は微かに眉を(ひそ)めた。

 場に濃い妖気が溜まったとき、その場所が変質することがある。或いは強大な妖が場を捻じ曲げて作り出すとも言われる。その奇妙な空間を術者は異界と呼んでいた。異界は妖魔の棲家。どのようにも形を変える空間は、広さは無限だと言う者もある。何にせよ、知っている場所に似ていても、そこは現世(うつしよ)(ことわり)から外れた場所。何が起こっても不思議ではないと聞いた。

 そういえば、霊光以外の灯りが無い闇の筈なのに、遠くまで見通せるのも奇妙だ。

 異界を見るのは初めてだが、間違いないだろう。


 即座に混乱から抜け出して、注意深く周囲を観察する。

 まず、霊の数が多い。柱の陰や天井近くに溜まった闇が蠢き、まるでそこから生まれてくるように這い出し、次々に襲い掛かってくる。だが、それらの殆どが実体を持たない霞のような弱々しい霊。九字を切り霊符を翳せばか細い悲鳴を上げて消えていく。多く(こご)り、ひとつに混ぜ合わさったなら強大な力を持つ別物に変じる可能性はあるが、固まる前に上手く処理できている。

 しかし、対する者たちの顔は険しい。如何に弱くとも、際限なく湧いて出てくる。数は力、多いという事はそれだけで脅威だ。


 彼らの更に奥の床には、何体かの遺体が転がっている。四肢のどれかか頭が欠けた、変わり果てた姿の武者。先制で倒された屍鬼だろうか。よくよく注目すれば、亡骸にも燐光が纏わりついている。悪霊に憑かれてまた起きないように、誰かが術を掛けて護ったのだろう。


――――鬼が、居ない。

 全員が無事である限り最悪の事態ではないが、状況はあまり思わしくなかった。

 鬼を討伐出来た様子は無いのに、柚葉と班員が合流している。当初予定していた手順は棄てたと見て間違いない。奥の骸は鬼に襲われた兵衛(ひょうえ)だろう。それに、そこいら中に飛び散った血痕と濃厚な血の匂いは、ここで繰り広げられた惨劇の名残。無数の霊は此処に満ちた瘴気に引き寄せられて集まったのだろうが、こんなに霊が溜まっているのを小雛は見たことが無かった。

 それだけの瘴気。その源は、鬼であろうと思う。まだ景地門に鬼が現れてから一昼夜。なのに異界が口を開ける程の歪みがある。自然に生じた訳はない。なら、近くに居るはずだ。この闇に身を隠し、襲撃者の様子を窺っている。


――――厄介だ。

 普段小雛が相手している死霊や屍鬼は、生者に取り憑き喰らおうとはするが、身を隠して隙を窺うことはない。

 この鬼は、人の命の残滓などではない、もう一段高位の物の怪だと直感する。知能があり、策を弄する、油断ならない相手。

 加えて異界の発生が、更に事態を難しくしていた。

 恐らく向こうの音が極端に小さいのは、今小雛がいるのが異界の外だからだろう。中を見通せるのは僥倖だが、ここから術が通るとは思えない。現に、今放たれた阿弥彦(あやひこ)の九字印に込められた霊力の波動が、遮られてここまで伝わって来なかった。


 どこが境目なのか。見極めようと見回すと、階段の最後の段と、その戸口の柱に淡い光を放つ札を見つけた。この霊符が異界を堰き止め、また閉じないように押さえているのか。

 なら、仲間たちもこの現状を把握している。むざと誘いこまれた訳ではないだろう。飛び込むより他に手が無かったか。


 ここに潜み、鬼が姿を現したところで強襲するのは無理だと判断して、小雛は動き出した。

 水が流れるように前進し、異界との境を跨ぎ越す。

 途端に音が近くなる。蠢く霊の気配が濃く、鼻をつく腥さもまた強まったが、もうその白い(おもて)を動かすことはない。身を低くしたまま柱伝いに移動して、班員たちの結界を視界の中央に、周囲を広く見渡せる位置に(うずくま)る。周りの霊たちは、術が効いていて小雛にまるで気付かない。


瑞女(みずめ)広亮(ひろと)はまだか!」

「まだです!もう少し!!」

 結界の端に立った阿弥彦が、目の前の霊を祓い尚も睨みながら、背に庇った仲間と叫び交わす声が聞こえる。


「…()()にして()にして()(おや)にして(いしずえ)にして(おおもと)たる万象(つかさど)り給う双祖神(ふたおやがみ)天津宮(あまつみや)神留(かむづ)まり()天輝光火大神あまてるひかりびのおおかみ常夜宮(とこよみや)神留(かむづ)まり()闇満鎮水大神やみみつしずみのおおかみ()(こえ)を聞き給い応え給えと畏み畏み(もう)す…」

 低く静かに、目を瞑った広亮の声が朗々と()す声に、何をしようとしているのかを察して、小雛は身構えた。霊力を練り、()り合せて身の内に満たす。


 極限まで張り詰めた糸が切れ弾けるような音がして、骸に張られた結界が破られた。

「屍鬼が来ます!」

「対処する!」

 符を構えて柚葉が発した警告に、護り刀を構えた侃爾(りょうや)が答える。


「…死に(つい)を得ぬ者を()ち、(うつつ)(のこ)した念を絶ち、双祖神の命を以て、太祝詞事(ふとのりとごと)()れ…」

 広亮の周りに、高まる霊力(ちから)が揺らめく。

 術の完成が近いのを察して、小雛は掌に素早く指で『天』と書き、握り込む。―――『日』『月』。心の中に二文字を念じた。力を高め、精神を統一する。


「百鬼降伏(こうぶく)急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!!」

 結界に到達した屍鬼に、気合と共に侃爾が得物を叩き込む。刃は白い燐光の尾を引いて進み、物の怪に突き立つと同時に光が弾けた。

 言葉にならない濁った叫びを発して、他の屍鬼が恐れるように後退る。その間隙を埋めて、逆に周囲の死霊が殺到した。

 結界が(たわ)む。それを支えようと瑞女が勾玉を翳して呪言を紡ぐのが聞こえた。


――――まだか。

「まだかっ!!」

 小雛が思うと同時に、阿弥彦が荒く叫んだ。


「…天地(きよ)らに汚濁有らじと()く宣らば、罪という罪、咎という咎は在らじ物をと…」

 唱える広亮が顔を上げた。胸の前で印を組み、満ちる闇をひたりと見据える。普段の気弱な様子は消え、その(おもて)には何の感情も浮かんではいない。

 ゆらり。

 溢れる燐光がその輪郭に沿って揺れ、闇に姿が浮かび上がる。


 耳を(つんざ)く音が弾けた。

 撓む結界が限界を迎え、ついに割れ歪んで砕け散った。必死に術を組んでいた瑞女が崩れ落ちた。

(バク)ッ!!」

(メツ)ッッ!!」

 押し寄せる死霊に柚葉の札が飛んで死霊を紫電が絡め捕り、阿弥彦の発した術が逆側の霊を消し飛ばす。それを免れた死霊が一時、躊躇するように止まるが、その合間を縫って、更に後ろから新手が迫る。

鬼魅留止(きみりゅうし)!急急如律令ッ!!」

 間一髪で、身を起こした瑞女が、結界を展開して防ぐ。その向こう側では侃爾が二体の屍鬼を相手に刀を振るっていた。


 黙して潜みながら、小雛は周囲を()続ける。その眼がある一点で止まった。

 班員たちを挟んで向こう側、柱の陰が、霊光に照らされて僅かに揺らいで見えたのだ。

――――見つけた。

 すっと身を引き、大回りする道を取って、身を低めたまま黒の布衣(ほい)を翻して駆けだす。間に合うか。



(はら)い給い 清め給え」



 その場の喧騒を貫き、凛とした声が響いた。

 永遠のような刹那(せつな)、あらゆる闇、影という影が蹂躙され、塗り潰され、犇く死霊と瘴気が蒸発し、屍鬼をも浄化して、ただ何の音も無くすっと視界が白一色に染まる。

 何もかもの輪郭がぼやけ、等しく白に均されて消えた。


 やがて光が弱まり、世界に色が戻る。

 柱が立ち並ぶ広間には、静寂が落ちた。

 あれだけ湧いた死霊は全て消え去り、屍は地に伏せて、立っているのは術師たちのみだった。


「…やった、か?」

 空気を壊すのを(はばか)るように、小声で侃爾が呟く。

 それに重なるようにして、重いものが落ちるような音がした。


「広亮!」

 木の実が落ちるように、精根尽き果てた広亮が崩れ落ちていた。近くに居た瑞女が咄嗟に手を差し出して石畳に叩きつけられるのを防いだ。

 面々が仲間を心配して駆け寄る。口々に倒れた者の名を呼び、案じる言葉を上げた。


 抱えた広亮の様子を見て、瑞女は安堵の表情を浮かべた。

 酷く消耗しているようだが、連れ帰って休ませれば良くなるだろう。

 心配して覗き込む仲間たちに、そう告げようと顔を上げた、その顔が引き攣った。


 迫るのは巨大な腕。

 纏わりつく瘴気で膨れ上がり、真っ黒に染まったその握り拳が轟と音を立てて、一箇所に固まった術者たちの頭上に振り下ろされる。


()ッ!!」

 鋭い声が響き、瞬きの間腕が静止する。だが何かが割れるような高い音と共に、倍する勢いで振り抜かれた。


 だがその拳は石畳を叩き割る。

 稼がれた一瞬の時間は、確かに彼らの命を繋いでいた。身を捻り、飛び退き、その直下を辛うじて全員が退いていた。

 咄嗟に全員が避けられたのは奇跡に近い。しかしその距離は近すぎた。


 振り抜かれた巨腕に打ち砕かれた石の欠片が飛び散り、腕に絡み付いていた瘴気が炸裂して、衝撃が彼らに襲い掛かった。

 五つの体が吹き飛ばされて転がり、点々と散らばった。


 呻く声のひとつに向かって、地響きを立てて一歩を踏み出したのは、巨大な影。

 靄のような瘴気を纏う、見上げるような巨躯。二本の脚、二本の腕、頭がひとつ。それと額に一本の角があるのがかろうじて判る。


「鬼だっ…!!」

 何とか腕を立てて頭を起こし、起き上ろうと足掻きながら阿弥彦が苦しげに叫ぶ。

 それに応えて侃爾が膝を突いて立ち上がる。

「瑞女!!広亮!!」

 鬼が向かう先に転がる二人は未だ立ち上がれない。脚を引き摺って、侃爾はよろめきつつも走り出した。


 だが、間に合わない。

 鬼は二人の許へ到達し、力なく横たわる広亮を掴みあげる。

 獲物をかかげ、鬼の頭がばっくりと二つに割れた。そう錯覚する程巨大な(あぎと)が開いたのだ。


 丸呑みにしようと、掴んだものをその口へ運ぼうとしたその時、彗星の如く輝く何かが、その横面に直撃した。

 破裂するように広がる霊光、だが束の間纏いついた瘴気が晴れて、黒い肌の人に似た顔が覗くだけに終わる。


「…こっちだよ!」

 食事の邪魔をされた鬼が、黒い顔の中で目立つ紅い眼を離れて立つ人影に向けた。

 にたり、と顔が歪む。その顔にまたぞわぞわと瘴気が這い上り、覆い隠す。隠れる前に、気付いた様子を見せた…注意を引く声が、拳の一撃を止めたそれと同じであることを。


 吠えるような嗤うような、獰猛な雄叫びを上げ、鬼が柚葉に向き直り、突進しようとしたまさにその時。


(りん)(びょう)(とう)(じゃ)(かい)(ぢん)(れつ)(ぜん)(ぎょう)!!」

 裂帛の気合と共に白光が閃き、四縦五横に振り抜かれ、瘴気が飛び散る。


 背後から九字を浴びせた黒衣の影が、即座に横へ跳んだ。

 一瞬の差でその場を通った鬼の腕が空を切る。


――――効かないか。

 小雛は冷静に鬼の挙動を把握していた。印を振り抜いた手応えが硬過ぎた。多少の衝撃は受けたようだが、手傷を負わせるまでに至っていない。

 だが、腕を避けた方向が良かった。まだ小雛は鬼の背後を取っている。


――――だが、これなら。

 小雛は立ち止まった。右手に宿った光をそのままに、左の腰元へ伸ばしてそこにあるものを掴む。

()ァッ!!」

 腕が動き、光が弧を描く。


 鬼が身を捻り、視界に小雛を捉えた。怒りの声を発して、腕を振り上げる。

 その両腕が、半ばから断ち切られて、落ちた。


 一拍の静寂。

 次いで激痛と混乱の叫びが場を揺るがせた。

 何故自分の腕が無いのか理解できないというように、その断面を覗き込む鬼、その俯いた首に、白い線が一筋走った。


 どす黒い体液を撒き散らし、重い音を立ててその首が落ち、転がった。

 それを追う様に、頭を失くした体もまた、地響きをたてて崩れ落ちる。残ったのは、そこに立って右腕を振り上げている小雛のみ。


 その手には、研ぎ澄まされた一振りの直刀が在った。


 それは小雛の功績を認め、橘本家がもっと励めと小雛に与えた一振りの刀。小雛の三月(みつき)の成果、新たな力だった。


「…やった…!」

 侃爾が思わずというように歓声を上げて、そのまま座り込む。

 漸く起き上れた瑞女が、横たわったまま呻いている阿弥彦へ近寄って行くのが見える。

 柚葉もまた、大きく息を吐いて蹲っていた。


 完全に鬼が動かなくなったのを確かめて、小雛は漸く肩の力を抜く。さしもの小雛も、強敵との戦いに気疲れを感じていた。


「柚葉、よく咄嗟にあの一撃を止められたな、正直助かった…」

 安堵と疲れの滲む声で侃爾が柚葉に声を掛けている。

「うん、間に合わないかと思ったけど…ほんとに、良かった…」

 泣きそうな声で柚葉が答えるのを聞いて、ふと、彼女が鬼の注意を惹いたからこそ、小雛が隙を衝けたのだということを思い出した。


――――帰ったら、礼を言うべきか。

 ただ、今はまだ敵地。責めて異界から脱するまでは気を抜くつもりはない。

 先ずは落ちた腕に捕まれたままだった広亮の安否を確かめるべきか。

 やるべきことを片づけようと、歩き出した。


 ちり、と何かが意識の隅に引っかかる。鼻を衝く、何かが焦げたような臭いを感じ取ったそのとき。

「…小雛ちゃんっ!」

 柚葉の警告、それに瞬時に反応して、咄嗟に収めかけた刀を振り抜いていた。


 ぎん、と鋼がぶつかり合う音がして、腕が痺れた。

 白刃の先に居たモノが、身軽に飛び退いて距離を取る。


 一瞬鬼が縮んで起き上ったのかと思った。

 だが、そんなことはありえない。焦げた臭いは結界を無理やり通ったときに立つもの。このモノは外から、結界を通り抜けてやって来た侵入者だ。


 まるで瘴気を纏ったかのような黒い衣装。黒い手袋に黒い足袋。黒い髪の頭に黒い布を巻きつけた、人に似た手足を持つ、大人の男と変わりない程の体躯の何か。

「狐…!?」

 ただ、鬼と違ってただ一点、白い狐の面を付けた顔だけが、浮かび上がって見えた。

 それ以上のことを把握する前に、それは流れるように動いた。そこに侃爾の一撃が空を切る。

「外したっ!」

 侃爾の声を尻目に、それは転がる鬼の頭を掴むと、ぽんと軽業のように跳び上がった。


 空間が歪む。異界が開いて、黒衣の狐面がその中へ滑り込んだ。

「待てっ!!」

 小雛が声を上げたときには、鬼の頭も、乱入者も、消え失せていた。


侃爾=前衛アタッカー

阿弥彦=中衛補助役兼司令塔

柚葉=中衛補助兼囮

瑞女=後衛ディフェンダー

広亮=後衛アタッカー(秘密兵器)

小雛=遊撃

パーティとしてはこんな感じですね^^


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