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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
一章  人
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四 思い出す

12/4 表現修正。

 オレには親が五人いる。

 父親ひとりに母親が四人。もちろん生みの母はひとりだが、父には他に三人の妻がいる。故に母は四人。

 妻が四人もいれば上手くいかないこともあるだろう事は漠然と想像できるけど、そんなことはおくびにも出さず、母たちは良い関係を保っていて、子供から見ても結託して父を尻に敷いている感があった。

 母たち相手には父上の立場は…まあ、幸せそうだったし良いだろう。


 一番目の母は二番目の姉と一番上の兄の生みの母。

 しっかり者で豪快に笑い、盛大に怒鳴り、家事も育児も厄介ごとも、率先して飛び込んで片付けてしまう。

 家人も他の母たちも、もちろん父も一番頼りにするのはこの人だ。

 二の方さまは一番上の姉と二番目の兄の生みの母。

 いつもおっとりと構え、何があっても、まあまあ大変ね、と丸顔に笑みを絶やすことはない。この方にかかれば大事も瑣末事に思えてしまう。

 三番目がオレの母上。オレと妹の生みの母。

 都の下級貴族の長女らしいけど、なぜこんな田舎領主の妻をやっているのかは知らない。

 濃やかな気配りができる物静かな思慮深い人で、常に他の母たちや父、兄たちを立てて裏方に徹する。

 必要なものをそっと差し入れるのはいつも母上で、お前がいるから家が滞りなく回る。と父も褒める、自慢の母だ。

 四の方さまは都の古い貴族家の三女だと聞いている。三番、四番目の姉上と、三番目の兄の実母。

 母たちの中では実家の家格が一番高く、四番目に迎えられたにも関わらず正室に納まった。

 深い教養を備えた上品な女性で、歌や楽器、刺繍を好み、趣味もとても良い。


 そして我が父は地方武家の当主。叔父たちが亡くなってしまって、今から二十年前に三男でありながら家督を継いだ。

 勤勉で剛毅。竹を割ったような性格で、有言実行の人。ただ少し抜けたところもある。

 周りの言葉に耳を傾ける柔軟さを持っているけれど、特に聡明でも、飛びぬけて勇猛でもなく、美男と言う訳でもない。しかしなぜか人を不思議と惹きつける。

 今俺がいるのはお前たちがいてくれるからだ、と家の者に言って憚らず、身内を何より大事にする、オレの尊敬する父上だ。


 これが、オレの大好きな親たち。











「……を………しょ」

「そっち……て…」

「…ても、酷いあざになって」

「ああ痛そうだ」


 霞がかかった頭に、聞こえる音が言葉として意味を結び始める。


「こっちにも打ち身が」

「こっちには擦り傷も」


 夢うつつにそっと触られているのを感じる。

 そっとそっと、確かめるように。

 細心の注意を払っているのは伝わるけど、残念ながら触られる度に軽く痛む。


「ああこんなに腫れて」

「冷やさなくちゃですねぇ」

「貼り薬ももうすぐ出来ますから、その後にしましょ」

「お湯がもうすぐ沸きますね、拭ってあげましょ」


 軽快に交わされる声。

 裏なんかなさそうな調子が心地よくて、少し切なくなる。

 最近は、気楽に交わされる言葉なんて聞いた覚えがない。


「ああそうだ、着替えも出してきた方が」

「そうですね!丈の合った着物だったらこんなあざをこしらえることはなかったかもしれません」

「ですねですね!ぴったりの着物だったらたくさん走っても転んだりしなかったかもしれません」

「履物があれば足が真っ赤にはならなかったでしょうし」


――――そもそも走らせるなと言いたい。なんで走る前提で話が進んでるんだ。


 うちでは廊下を走ったら、走るどころか立てなくなるまで正座の刑に処されるんだぞ?

 あれは鬼だぞ鬼。

 なにが鬼かって、小鹿のように震える脚をわれ先につんつんしてくる兄姉とか、たまに混ざってる二の方さまとかが。

 もちろんオレも機会を逃さず同じことをやり返すわけなんだが。

 うん?というかこんな声のひと、うちにいただろうか?

 あれ?その前に、なんでオレは走っていたんだったっけ?


 心が揺れる。

 底知れない淵に突き落とされたような不安が、背中をじわりと這い上る。


「こんなになるまで走るなんて、混乱していたんでしょうなぁ」

「もしかして、寝てる間に怖い夢でも見たのかも」


「無理もあるまい」


 第三の声が、静かに会話に差し挟まれる。

 なんだかどこかで、聞き覚えのある気がする声。

 温かい手がゆったりと、かかる髪をかき上げて、額を優しく撫でる。

 ざわめく心が少しだけ静まった。

 

「幼い身で、あのような目にあったのだから、さぞかし怖かったことだろう」


――――こわかった…?怖い、目?

 …こわい、こと。


 ざわり、と心の奥底が蠢く。沸き立つどす黒い恐怖が、脈動する。

 ゆったりと撫でる手が、はたと止まる。じんわりと伝わる温もりに、溢れ出さんとしていた黒い波が少し凪いだ。


「じゃあ、こんなになるまで逃げなきゃいけないほど怖いものがあったんですねぇ」


――――こわくて、逃げた。


 反射的に、吸いかけた息が止まる。

 凪いだはずの恐怖が、一気に限界を超えて膨張する。

 黒く塗りつぶされた瞼の裏に、ぽっかりと丸く、月が、ただ白く。


 走る。獣道。夜。山。木々。ざわめく。背後。足音。怒声。痛み。見上げた。きらめき。白刃。――風を切る音。振り下ろされた、やいば。そして振り返った…


 一気に意識が覚醒して、目を見開いた。瞼の裏の幻から逃げるように。

 屋敷で目覚めたときには思い出さなかった、これまでのことが全部ぜんぶ蘇って押し寄せる。記憶の波に溺れて、釣り上げられた魚のように、口をぱくぱく動かしてぎこちなく喘いだ。


「大丈夫だ」


 聞こえた声に、なだめるように撫でる手の感触に縋るまま、焦点の合わない目でその主を見上げた。


『もう大丈夫だ』


 記憶の中の声が蘇る。

 覚えているのは黒い面。奇妙な格好の人物。あの存在が発した声と、今目の前にいる男の声が一致した。


 白い広袖の着物に、赤い袖なしの上着を重ねて、黒い布の手甲に内着も袴も黒という変わった居出立ち。

 白い顔、まっすぐに見つめる黒い目に、長い黒髪を後ろで束ねた若い男。


 さっき庭に落ちそうになったところを受け止めてくれた人。

 そして

「あの、とき」

 思ったより随分掠れた声が出て、一度唾を飲み込んだ。


「あの夜に、助けてくれたのは、貴方ですか?」


 オレの様子を窺うように見ていた目が、なぜか少し驚いたように一度瞬いた。

「ああ、よくわかったな」

 最初から変わらず穏やかな調子の声が、不安と混乱でいっぱいいっぱいの心を宥めてくれる。


「どうして…」

 どうして助けたのかとか、ここはどこなんだとか、どうしてここにいるんだとか、そもそも貴方はなにものなんだとか。

 際限なく湧き出す疑問が口から出る寸前に、はっと我に返った。


 この人は今、枕元に座ってて、多分オレが庭で気絶してから起きるまで付いてくれてた訳で。

 危ないところを助けてくれた恩人だと確定した上、つい今さっきも落っこちそうになったところを助けてくれた訳で。

 ……オレはというと今、どこか覚えのあるふかふかの布団で仰向けに寝転んだまま起き抜け一発目に不躾に質問をぶちかました訳で!!


――――恩人になんつー失礼なことを!!


 思わずがばっと飛び起きた。

 それでもって急いで向き直って頭を下げる。両手もつく。これぞお詫びの伝統姿勢。

 つまり土下座である。


「た、大変失礼致しました!!ご恩にお礼も申し上げず名乗りもせずに寝たまま尋ねごとなどと重ね重ねの無礼まことに申し訳なく存じ…ま…す……」

 焦って捲し立てるオレの口上が、朗らかな笑い声に会って尻すぼみになる。


――――え?え?なんかおかしかっただろうか!?失礼をしたんだから誠心誠意謝るのは当然として、あ、もしかして焦ってどこか変に言い間違っただろうか!?


 恩義には礼を持ってこれを返すのだ、恨みは三倍、だが恩は十倍にして返せ。と父上も言っていた。オレは恩を返す前に礼を守るのに失敗したんだろうか?

 

 土下座のまま固まってしまったオレの頭にぽん、と手が置かれて、そのままわしょわしょと撫で回される。


「思ったより元気だな。よかった。疑問が沸くのは仕方のないことだ。それと、無礼だ恩だのと子供が気にすることではない」


 頭を撫でられてる。家族でも滅多にオレの頭なんて触らなかったのに。うわ、なんか新鮮だ。

 とりあえず、オレの精一杯のお詫びは受け入れられたみたいだ。よかった。

 だけど、十一にもなった男なのに、このさらっといとも容易く行われる幼い子供にするみたいな扱いがオレの心をさりげなく傷つけてくる。

 これでも大人たちには、歳のわりに大人びて見えると評判だったのに。解せぬ。


 オレがちょっと憮然としていると、気が済んだのか頭から手が退けられた。


「あと、ここではお前は名乗ってはならない」

 そして不思議なことを言い始めた。

――――自分の名を聞いてはいけない、とかならまだわかるけど、オレが名乗ってはいけない?


「……なぜです?」

 我慢できずに顔を上げて訊いてしまったけど、これは仕方がないと思う。さっきこの人も、疑問があるのは仕方ない事だって言ってくれたし。


「お前が、名乗ってはいけない理由をわかっていないから、かな」

 返って来た答えがこれまた謎かけみたいで、答えになってない。というかこれは、はぐらかされたのだろうか?

 思わず口を尖らせかけて、慌てて口元を引き締めたが、苦笑されてしまった。

「そう不満そうな顔をするな。あとで教えてやろう。だが今はこいつらの用が先だな」


 こいつら、と左右に動いた目線を追って、布団の左右を交互に見た。


 右。作務衣を着て赤い前掛けをした、どんぐり色のタヌキが両手を空中でわたわたさせていた。

 左。作務衣を着て赤い前掛けをした、たんぽぽ色のキツネが両手で口元を覆ってぷるぷるしていた。

「だだだだだダメですよぅそんな脚で正座なんてしたら痛いですよ…」

「そそそそそそんな膝してるのに曲げたら絶対痛いでしょう止めましょうそんな無茶は…」


 しかも喋った。



『こんなになるまで逃げなきゃいけないほど怖いもの』それキミやでぇ。

 あと恩人さんが笑ったのは、変だからじゃなくて、ぼろぼろになるまで逃げ惑ったのにも関わらず、元気よく飛び起きたことに安心したのと、子供が精一杯背伸びして肩肘張ったお礼の言葉を述べたのが微笑ましかったから。

 つまり完璧に子ども扱いですね。

 少年がんばれ。

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