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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
37/131

三十三 嵐の予兆 中

9/6 誤字脱字修正と、ちょこちょこ表現を手直ししました。

話の流れは変わっていません。


「おい!!」

 焦ったような大声が、耳に入って、反対側の耳から抜けて行った。


 遠い川沿いにあった煌めきが―――構えられた刀の照り返しが何度も何度も脳裏で繰り返される。

 目に映っている像は意識に届かず、オレは繰り返される幻だけを見つめて息を詰めた。

 手足が震える。嫌な汗が滴る。目に焼き付いた光から逃れようと後退った。


「三太朗!!」


 鋭い声が頭を揺さぶり、浅い眠りから覚めるように、ふっと目前の光景が実感を伴って迫る。


「あ、ああああああああああああああ!!!」

 同時に自分が宙に投げ出されているのに気付いた。

 目の前には空。幾つもの枝が張り出してそれを隠す。振り返って目を見開いた紀伊さんを下から見上げる姿勢で落ちていく。


 思わず目をいっぱいに見開いて手を上へ伸ばした。意味のない行為。混乱した頭に降り注ぐ木漏れ日と刀の幻が錯綜する。

 耳を(つんざ)く風の音とオレの悲鳴が競合した。

 (はらわた)が持ち上げられるような感覚と、殊更にゆっくりと離れて行く空。通り過ぎる枝々。


 落ちる!!


 (ようや)く追いついた理解。湧き上がる新たな恐怖。葉の間を縫って到達した陽の光が直撃して視界を白く塗り替える。

 落ちることは分かっても、だからといって何もできない。

 そういえば木の上にいたのだったとかろうじて思い出す。そこから後退ろうとして足を踏み外したのだ。


 そのとき、眩い光が遮られる。

 影に包まれたのを感じるとともに、目の前に迫ったものに鼻をぶつけ、力強く背を支えられる感触がした。それが何かが分かる前に、がくっと全身に衝撃が伝わる。

 ばさりと一度耳に届いた音が、風音ではなく羽音だったと気付くと同時に、ざふっと草を踏む音、次いでまた軽く衝撃が来て、落下が完全に止まったことが分かった。


「三太朗!しっかりしろよ!!」

 胸に押し付けていたオレの頭を離して顔を覗き込んだのは武蔵さんだった。

 彼が落ちるオレを宙で抱え込んで、落下の速度を翼で緩めてくれたのだと、じわりと沁み込むように理解する。


 オレが何かを言う前に「武蔵!!」と枝から下りなかった紀伊さんが声を張った。


「鬼だ!行く!!報せてから来い!!」

「ああ!!」


 此方を見ずに東の方を向いたまま、単語だけを並べる呼びかけに、武蔵さんが叫び返す。

 返事が返るやいなや、吹き抜ける風の速度で、樹上の紀伊さんが一直線に飛び去ったのが見えた。


「弦さんのとこまで行くから、じっとしてろよ。暴れたら落っことしちまうぞ」

 張り詰めたものを緩めた声で言って、安心させるように笑って見せた武蔵さんに、かけようとした声を飲み込んで、オレはなんとか頷いた。


 それに頷き返すと、しっかりとオレを抱えなおして、彼は低い姿勢のまま走り出した。

 足音はすれどもあまり振動はなく、まるで滑るように進んで行く。

 オレに見えるのは武蔵さんの肩越しに恐ろしい勢いで通り過ぎる景色と、半ば開いた形でそれを遮り、時折調整するようにその角度を変える黒い翼だけだ。

 進む先から吹き付ける風に速度を感じて、反射的に身を竦めたら、先輩の口元が僅かに緩んだのが見えた。


「鬼……?」

 張り詰めた気が笑みにつられて無意識に緩んだのか、半分放心したまま意図せず呟きが零れ落ちる。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、まだ整然と質問を組み上げることなどできず、意識にひっかかった言葉に疑問符を付けて音にすることしかできなかった。


「心配いらねえよ」

 返ったのは疑問の答えではなかった。

 前を見たまま発された声は、不敵かつ力強く響いた。


 不安の曇りが欠片もない声に押されるように、混乱が少し鎮まって、遅れ馳せながら少しだけ頭が動き始める。

 何が起こっているのか。

 なんとかひとつの疑問を絞り出したそのとき、ざざっと地を擦る音がして、過ぎ続けていた森林の天蓋が静止した。



「弦さん!!」

 声に応えたのは、戸の開く音だった。


「おう…しー坊?それに三太朗…か?」「敵襲。外に鬼だ。多分うろついてた下っ端天狗が接敵してる」

 (いぶか)る声に殆ど被さる早口を聞いて、途端に鬼の顔が引き締まる。


「数は」

「わからん。多くはないだろ。紀伊が先行した。一体は生け捕りたいから俺も直ぐ行く。弦さんは館に報せてくれ。あとこいつ頼むわ」


 最後は何事かと家から出てきたお篠さんに向けた言葉だ。

 そっと下ろされたのにも関わらずよろめいて転びそうになったオレを素早く支えて、武蔵さんがにっと笑った。


「良い子にしてろよ?」

 からかう様に言うのは、オレを極力怖がらせない配慮なのは明らかだ。片割れは心配いらないと思っているのか、武蔵さんからはオレに向いた気遣いだけが感じ取れた。

 それがオレを少し冷静にする。反射的に心配させたままではいけないと感じた。


「…子ども扱い、しないでくれます?」

 応えて(わざ)と唇を尖らせ、掠れる声を励まして不服そうに聞こえるように声を作った。オレの髪をぐしゃぐしゃかき回すのが答え。そして直ぐに背が向けられる。


 彼はぐっと膝を溜めてから、勢いよく跳躍した。

 いつかの師匠のように、信じられない程の高さまで軽々と跳んだ武蔵さんは、鬼の家の屋根より高い位置の枝を踏んで更に上へ跳び、ひとつ羽音を響かせると、一直線に頭上の枝葉を突き破って飛び去った。






「段差、気ぃつけな」

 足元の覚束ないオレの肘辺りを支えて、お篠さんが気遣ってくれる。

 オレは促されるままに、鬼夫婦の家の敷居をまたいだ。


「顔が青いよ。構わないから辛いなら横になんな。今湯冷ましを持って来るからね」

 火が消えた囲炉裏の脇にある藁座(わらざ)にオレを座らせたお篠さんは、きびきびと動いて板間の隅に置かれた食器の、埃避けの布を捲って湯呑みを取り出す。


 いつも通りに動くお篠さんを眺めながら、オレは体中の力が残らず流れ出ていくような感覚を覚えて、半ば倒れ込むように横になった。

 助かった。ぽつりとそんな言葉が思い浮かぶ。

 まるで死地を脱したかのような安堵を感じた。

 …よく考えたら危機でも何でもなかったんだけど。


 オレを害することが出来る位置に敵が居たわけでもないし、今見ても木に登る時に出来た擦り傷以外の傷もない。

 木から落ちたとはいえ、武蔵さんが手際よく動いてきちんと地面に下ろしてくれたのだ。

 今から思うと、武蔵さんが一段下の枝にいたのだって、オレが落ちたときに備えてのことだったのだろう。敵影を見た彼らの対応も、迷いのないものだった。恐らく、そういう事態にも備えがあったのだろう。

 彼らにとっては想定済みのことだったのだ。オレが勝手に怯えていただけで、何の問題もありはしなかった。


 怖かった。

 情けない限りだが、遠くとはいえ刃物を…それも最悪の記憶そのものの、刀を見たのだろう。そして前後不覚に陥って、現状を忘れて逃げようとしたというところ。

 だろう、というのは、なにぶん一瞬のことで、しかも目で見えるぎりぎりの遠さだったから、あまりはっきりしないのだ。

 姿がはっきりしない程遠くてもまだ怖いのかと、自分で自分が嫌になる。


 段々、考える余裕が戻ってきた。それと共に、焦る。

 一番に考えるのはやはり、何が起こっているのかということ。オレに分かることはとても少なくて、敵だ、と思うものの訳が分からない。敵そのものよりも、置かれた状況が分からないことが怖い。


 先輩たちが外へ向かった。

 混乱の最中(さなか)だったからはっきりしないけど、鬼、とか、敵襲、とかいう言葉を聞いたはずだ。

 あの刀を持っていた者は敵だったのか、それに応戦している者だったのかはわからないが、あそこに闘いがあったのは確かだ。

 その相手は、鬼だ。非力ではあるまい。

 相手が何かを知りながら、彼らは飛び込んで行った。―――丸腰で。


「…お篠さん…!」

 堪らなくなって、オレはついに声を上げた。


「どうしたんだい?」

 土間の方から湯呑みを持って振り返ったお篠さんは、いつも通りの顔をしている。


「どうしよう…紀伊さんも、武蔵さんも、武器持ってない…オレの所為で…っ」

 彼女に向かって訴える内に、腹の底から震えが湧き上がってきた。

「刀が…刀を持ってるやつが、いて、なのにっっ」


 彼らは…というか皆は、オレが居る所で、刃物を持たない。

 鉈も鋏も、必要な時だけ出してきて直ぐに片づけているのだと知っている。オレも極力、刃物がありそうな場所を避けていた。

 この家にも、刃物はひとつも見当たらない。オレが最初に訪れたときに、全て続きの部屋へ片づけたに違いない。


 オレの前では、師匠も先輩たちも小刀ひとつ身に着けていない。

 木登りに付き合っていた紀伊さんも武蔵さんも、勿論無手だった。そしてそのまま二羽は飛び出して行ったのだ。

 オレと一緒にいたばっかりに、彼らは身ひとつで凶器を持った敵に向かって行った。


 刃に立ち向かう彼らを思い描くと、首を討たれた僧侶に容易く置き換わる。

 地に伏し、目は虚ろで、赤にまみれた…。


 嫌だ。そんなのは嫌だ。

 オレはその幻を振り払うように大きく首を振った。


 そんなことになるぐらいなら、オレが怯えている方が遥かにましだった。

 どうしてオレの周りはこんなにオレに甘いのか。それとこれとは話が別だと、自分に危険があれば不味いからと武器を手元に置く無情さを、少しでも持っていてくれたら良かったのに。


 湧いてくる恐怖に身を震わせながら、身を起こして鬼の女に「オレは良いから助けに行って」と訴えた。


「ほら、これを飲んで、先ずは落ち着きな。大丈夫だから」

 彼女は傍らに膝を突いて、手で包み込むようにして、温かい湯呑みをオレの手に持たせた。


「うちの人が報せに行ったし、ヤタさんとこのカラスもちゃんと気付いてる。それにうちの大将がいるんじゃ、例え百人も鬼がいたって敵やしないさ」


 その声は全く平静で柔らかく、凝り固まった思考が少し(ほぐ)れた。

 そうだ。ここは師匠の山で、決して先輩たちは彼らだけで対処に向かわないといけない訳じゃない。そんなことさえ頭から抜け落ちていた。慌てすぎだオレ。…怯え過ぎだ。

 促されるままに少し熱めの湯冷ましに口を付ければ、夏だというのに体が冷えているのに気付いた。


「それにね、あの子らの実力はうちの大将も頼りにする程のもんなんだよ。上位の天狗は素手で武器に対抗するなんて訳ないことさね」

 さらりと告げられたことに、はたとオレが目指していることを思い出した。


――――素手で刀に対抗できる術を身に着けて、刃物を克服するんだった。

 落ち着こうと、意識して呼吸を深く保つ。


 あの二羽は、オレより前から修行してる弟子で、実年齢は少なくとも六十を超えてるはずの大先輩だ。見た目は十五とかその辺りなのに、偶に師匠と話しているのを見る限り、殆ど対等なところから意見を出してるように見えた。

 なら、師匠に認められる程の実力を持ってるはずだ。だよな?そうであってほしい。


 ていうかあの見た目で人間にしたら老人ってどうなの?詐欺もいいところじゃないか。見た目は全く老いてないし、年齢的には子どもってことはないだろうから、あれで立派な大人ってことなんだろうか。…頼りなく見せて油断を誘う作戦か?

 だとしたら結構狡猾だ。そしてオレが引っかかってる。ああ、見事に引っかかったね。心配して青ざめるぐらいにはしっかり引っかかりましたとも。

 笑いたきゃ笑えばいい。―――無事に帰ってきて、笑ってくれるなら、笑いものにでもなんでもなっていいさ。


「…もし、もしも、思ったより相手が強かったら?数が、多かったら?」

 もっと安心したくて、懸念を声に出したら、お篠さんは得意気にふふんと胸を張った。


「いいかい、この山はね、なんでもないように見えるけど、実はしっかり見張りが立ってるんだよ。山に近づく者、(あやかし)は特にちゃんと監視してる。それが何もしないで静かに通り過ぎるはぐれ者なら別にこっちも何もしやしないけど、大勢なら話は別さね。直ぐに報せが来て、対応するようになってる。それが無いってことは、相手はいても一人か二人ってことさ。それでも見張りはちゃんと見てたはずだからね、相手が動いたときに直ぐ行ってるよ」


 まるで自分の手柄だというように、誇らしげに山の防備について教えてくれるが…。

「…はず(・・)…ですか」

 思わずぽろっと零れた声が思いがけず胡乱げな響きを帯びていて、気付いて慌てる。これじゃ疑ってるみたいじゃないか。


 ただ、お篠さんは気にすることなく、にこやかに「根拠はあるさ」と言う。

「あんたが目で見える程の近くまで来てたんだろ?だったらもうそこは術の範囲内だからね。万が一にも見逃してるなんてことはないよ。それに若しも見張りが苦戦するような相手だったら、真っ先にヤタさんとこのカラスが騒ぐからね。外のカラスが大人しいなら、問題はないってこと。そこにきー坊としー坊が行ったんなら間違いはないさ。あの子らなら楽勝だね、楽勝!」


 きー坊にしー坊…っていうのはひょっとして、紀伊さんに武蔵さんのことだろうか。

 気安い口調からは、彼らに対する信頼が見え隠れしていた。しかもそれを語る様子は、まるで我が子を自慢する親のようだ。その顔を見ていると、胸の奥がほっこりと温かくなるようだった。

 説明には一応筋が通っているようにも思えた。

 耳を澄ませてみたけれど、カラスの声は聞こえない。


「じゃあ…大丈夫なんですね?」

「勿論さ!」

 念を押す問いに、即座に返る快活な声。

 明瞭な答えに、取り敢えずの安心を得て、強張っていた肩の力がふっと抜ける。

 …ついでに手の力も抜ける。


「え、わっ」

 手から抜け落ちそうになった湯呑みを慌てて掴みなおすも、強く掴み過ぎて却って手から滑った。

「とっ、とぉっっ」

 つるりつるりと前方に二、三回滑って、漸く両手で捕らえたものの、身を乗り出し過ぎてそのまま前のめりに転ぶ。

「ほぐっ」

 両手でしっかり掴んだ湯呑みは頭上に掲げて死守したものの、体を支える手がなくて、板間に鼻を打った。

 …残りが僅かとはいえ、湯の残りが零れなかったのは奇跡だ。


「あっはっはっは、大丈夫かい?」

 開けっ広げに笑いながら湯飲みを持ってくれたお篠さんを、恨めしく見る。

 横から支えるなり、湯飲みを押さえるなりできたはずなのに、この鬼はただ笑っていたのだ。凄く面白そうに。


 オレの自業自得ではあるし、立場が逆ならオレもにやにやするだろうから、別にいいのだけど。

 そう思いながらもまだ半笑いのお篠さんをじと目で見るのを止められない。

 鼻血が出ていないことを確認しがてら鼻を擦り、手を突いて身を起こしたその手元に、軽いものが落ちた。


 同時にかつんかつんと軽くて硬い音がした。

「あっ…」

 見れば、肌身離さず持ち歩いている巾着が懐から落ちて、中身の数珠玉が床に転がっている。

 慌てて目につくのを全て拾い上げて、数を数えた。

 ひいふうみ…よかった。全部ある。


「おや、そりゃ何だい?」

 不思議そうな声にちらりと視線を返して、直ぐ懐に仕舞い込んだ。

「…数珠の玉です。母がくれたもので」

 付け足した言葉が我ながら言い訳じみて聞こえて、罰が悪い気分で目を逸らす。


 数珠玉と妖怪は相性が悪い気がしてのことだったけれど、そういえば師匠もぎんじろうさんも平気だった。なら、鬼も数珠玉は平気かもしれない。

 あ、平気とかそんなことより、今のすごく感じ悪いよな!?


 はっとしておずおずとお篠さんを窺う。

「数珠なら、穴は開いてるね。今みたいに落っことしたら失くしちまうよ。連ねて腕にでも通せるように、輪にしてあげようね」

 特に気にした風も無い様子に、ほっとすると同時に後ろめたく感じた。




「ねえ、お篠さん…」

「何だい?」

 オレはするすると糸に通されていく数珠を見ながら、逡巡の末に口を開いた。


「…外に来たの、鬼だって言ってませんでしたか」

「そう聞こえたね」

 眉ひとつ動かさず、鬼は手を動かしている。

 無事な玉を全て通し―――といっても、僅か三つでしかなかった。他の玉は五つあったが、どれもひび割れたり欠けたりしている―――束ねて通していた赤い糸を二つに分けて、片方を結んで止め、もう片方を淀みなく編んで行く。


「鬼と…天狗は、仲が悪いんですか…?」

 言った瞬間に、もっと言い方があったような気がして後悔したけど「ここいらじゃあ、そうさねぇ…」と呟く彼女は、思うところは無いようだった。


「…敵が、いるんですね」

 殆ど囁くような声。(はばか)る調子に、安心させるような笑みが向けられた。

「大丈夫だよ。うちのもんはみんな強い。独りでいてさえ強いのに、みんなで合わさって事に当たるんだから、そりゃ強いよ。だから、安心しておきな」

「はい…。それは、良いんですけど…」


 歯切れ悪く続く言葉に、うん?と促すように首を傾けながら、目は手元に戻っている。

 編んでいた方を結び、置いておいたもう一方の結び目を解いて、同じように編み始める。


「いると…思ってなくて」

「うん…?ああ、敵がかい」


 今日までこの山は、安全で平和な場所だと思っていた。だから驚いたのだ。

 師匠たちに敵対している勢力があることが。


 館には様々な種の妖がいるから、人間と違って相争うことは無いんだと思っていた。

 だけど、実際には敵が居る。武器を持って唐突にやってくる。

 一見して平和そうに暮らしている山のモノたちは、オレが知らないところでは外を警戒して、変事があれば直ぐに動けるように段取りを決めていたのだ。


 それを、山に居ながら、知らされなかった。

 思った以上に、それがこたえている自分が居る。


「どこにでも争いはあるもんさ」

 晴れの日は洗濯物は良く乾くよ、と言うのと同じ調子での言葉だった。


「同じ種族だって、いくつも部族に分かれて暮らしてるのはザラだしね。場所によっちゃ、良い土地を巡って同種同士で殺し合いしてるのもいる。それに比べて天狗はよく纏まってるよ。だから、天狗を相手にしようってのは、あんまり居ないんだよ」

 ちょっかい掛けたら集団で対抗されるからね。そう言いながら、手は迷いなく動いて、先のと同じぐらいの長さになった。

 今度はその両方をひとつに束ねて、くるくると幾らか編んでから複雑な形に結び始める。


「でも、来ましたよ…?」

「そうだね。この山はそれだけ豊かだから」

「豊か?」

「そう、なんて言ったっけか。確か、大将はてんりゅう?が太いとかなんとか言ってたかね」


 続く声は、流れるようだった。

「白鳴山は力が強い山だ。この辺りで一番さ。豊芦原を見渡したって、上から数えた方が早い程だよ。そういう山は、妖にとっては喉から手が出る程欲しいものなんだ。だから色んな種族がずっと狙ってる。それを、大将はずっと守り続けているんだよ。ずっとずっと、長い間さ。それが出来るぐらい強い。あいつらもそれを知ってるから、そう簡単に、本気では来ないよ」


 本気で来ても返り討ちだけどね、と言ってお篠さんはうっそりと嗤った。


――――このひとも、戦うんだ。

 そう直感する。きっと、お篠さんだけではなく、この山に居る全員が、それこそおさんどんのキツネとタヌキでさえ、いざとなれば何らかの役目を負って戦場に立つのだ。


 天狗は実力主義だと言われた。その意味。

 それは、力に価値があるということ。力が求められている、そういう世界であるということ。

 牧歌的な、呑気に遊び暮らせる世界ではない。そういう、ことだ。


 ぶちぶちと言う音が聞こえて我に返った。

 え、あの、お篠さん、長さが余ったところなんだろうけど、丈夫そうな太めの糸を平然と指で引き千切ってますよね!?え!?指の力どんだけあるの!?


「さ、できたよ」

「あ、ありがとうございます…ってすごっ!」

 にこやかに差し出された組み紐の腕輪は、美しい編み目の捩り編みで、赤い糸に一束だけ混じった黒い糸で模様が織り込まれていた。そして端を始末した結び目は小さな花の形をしていて、店に出しても売れそうな一品に仕上がっていた。


「実はこういうのは得意なんだよね。さ、付けてごらん。ちょっと伸び縮みする編み方だから、解かなくても大丈夫だよ」

 満足げににっこりする顔と見比べて、もう一度お礼を言いながら、左手首に通した。


「そろそろ落ち着いただろ。ぼちぼち、館へ行こうかね」

 はい、と口にして、前半がオレの様子を語ったものではないのを悟った。彼女の感情は、オレに向くには不自然な硬さがあったのだ。

 外が(・・)落ち着いただろうから、ということだろう。

 事が終わるまで待っていた、そういうことだ。


 こんな風に、自然に遠ざけられていたのだ。

 それが今分かった。

 同時に、これか、と思う。皆がオレに隠していることがあると、察してはいた。その一端は恐らく、これなのだ。


 敵対するモノのことか、それに類する何か。


――――それが何でも、関係ないじゃないか。


 何にせよ、何かを守る為には、力が必要なのだということに変わりは無い。

 なら、オレの目指す処は、変わらないのだ。


 ただ、察したからには、今まで通りでいて良いとは思えなかった。




お篠さんは手芸が得意です。主に編んだり作ったりする方。

ユミさんも細々したのが得意だけど、刺繍とか、縫う方が好き。



高遠さんのラフ仕上がりませんでした。。。もうしばしお待ち下さい:(;゛゜'ω゜'):

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