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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
36/131

三十二 嵐の予兆 前


「うおおおりゃあああ!!」

 オレは自棄糞(やけくそ)気味に掛け声をかけて、目の前の固い樹皮を駆け上った。とはいっても精々二歩。それ以降は推進力を得る程力強く蹴ることはできない。しかしその頃には、目測通り、一番下の枝に手が届いている。

 オレは枝を掴んで腕に力を込めながら、ざらざらした木を蹴って、体を枝の上に引き上げた。


「たぁあああああああ!!」

 無駄にでかい声を張り上げながら、休むことなく幹に手がかりを探して取りつき、登り、次の枝を掴んで更によじ登る。

 腕を伸ばし、脚を振り上げ、一心不乱に上を目指して突き進む。


 はじける汗は陽の光を浴びてきらめき、上げる雄叫びは蝉に負けじと青空高く響き渡ってついでに微かな山彦が返ってきた。


 場所はお馴染み、天狗の霊峰『白鳴山(はくめいざん)』。季節はからりと晴れた夏真っ盛り。

 空にもくもくと(そび)える入道雲に見下ろされ、強い日差しがちらちら踊る木漏れ日を浴びて、上がる息よ更に乱れよとばかりに叫びながら、オレは―――


――――木登りしていた。



 オレはどうして木に登るのか?

 なぜならば、そこに木があるからだ。天高く(こずえ)伸ばせし巨木を踏みしめ、天を臨み高みに至らんいざ行かん…ではなく、なぜ夏真っ盛りに木登りなんぞに精を出しているのかというと、理由は単純だ。

 話は遡ることひと月と少し。梅雨が終わりを迎えた頃。


 師匠に、木に登れと言われたからに他ならない。



「だぁああありゃああああ!!!」

 鬱憤を晴らすように声を張り上げながらがしがしとよじ登る。

 気分は猿というより虫である。僅かな手がかり足がかりを目敏く見つけて遠慮なく使う。無ければ木の幹に爪を立て、足で蹴って跳び上がる。幹にぴったり張り付いて、形振り構わず上を目指す。

 途中、幹にしがみついていた、高らかに夏を叫ぶ蝉も、オレの気迫に負けを認めて新天地へ飛び去った。

 完全勝利である。



 あの頃のオレは塞ぎ込んでいた。

 なぜなら…待てど暮らせど、翼が生える兆しが無かったからである。

 天狗に成るというのは、翼が生える変化であると言っても過言ではないと聞いている。厳密には体の構造も違うそうなのだが、翼が生え始めると同時に体の中も変わり始め、生え切ると同時に終わるので、翼の生え具合が目安になるのだとか。

 それがいつまで経っても生えてこないということは、変化が始まっていないということである。


 これには、師も兄弟子も首を捻った。

 普通は二日か三日もすれば、何かしらの予兆があるはずなのだ。

 実際、前に居た弟子は、薬を飲んで二日で体に違和感が生じ、四日目の夜には翼が生えたという。

 しかしオレには、十日を過ぎてもとんと何の変化もなかった。


 これでは、洒落でなく死ぬほど不味い薬を耐え抜いた意味がないじゃないかと、天狗に成れないならあれを耐え抜いたのはなんだったのかと、愕然とした。呆然自失とはあのことであった。



「とあああああああああ!!!」

 幹に空いた(うろ)に手を掛け、折れ欠いた枝跡に足を掛けて、段々重くなってきた体を引き上げる。

 疲れはある。だがオレの勢いは衰えることはない。疲れ如きに今のオレは止められはしないのだ。

 思いきり叫ぶと、余計な考えは叫び声と共にかっ飛んで行くようで、オレは今、この木の頂に辿りつくことのみに意識を凝らし、煩悩なんぞに揺らぐことはないのである。

 次第に細くなってくる幹に、終着が近いことを知ったからでもある。

 オレは更に力を込めて枝を掴むと、また一段高くへと乗り上がった。



 師と先輩は、オレに言った。諦めるのは早いと。

 オレは水の属性が強い気を生まれ持っているのだと教え、水気は地に属するものだから、天の()を取り込むのを阻害し、オレの変化を緩やかにしているのかもしれないと言った。

 このままであっても、(いず)れは翼を得て天狗に至る可能性は大いにある。

 ただし変化には時間が必要だろうと。それは、どれ程かかるのか、わからないとも…。


 変化を増進するにはどうすれば良いのか、と問うたオレに、師は目線を合わせてこう言った。


「変化を促すには、より多く天の霊を取り込む他なかろう。霊は天流に乗り、天より降り来る。それ(すなわ)ちより高所であれば濃く在るということ。地から遠ければ地の霊も薄くなり、天の霊を取り込む助けとなる。つまり、より高いところへ身を置くのが良いだろう。よって、木に登ってみろ。それと―――」



「ふおおおおおああああああ!!」

 オレはより一層声を励まして、最後の数枝に取り掛かる。

 汗が飛び散る。手足が怠い。

 だが、上がる息に乗せて声を発するのは、奇妙に気分を高揚させ、思い切り体を動かすのは、純粋に楽しい。

 知らず知らずの内に笑みが浮かぶ。

 今この瞬間、全ての悩みやしがらみから解き放たれたような解放感を感じていた。



 それと、と師は言葉を続ける。

「―――天狗と違って、人が霊を取り込むには、呼吸で身の内に入れる他はない。そして、()が満ちた者より少々消耗した者の方が、霊を取り込むに易い。であるから、呼気に乗せて気を排出し、吸気と共に霊を取り入れるのが良いだろう」


 つまりどうすれば良いのかと首を傾げた目の先で、兄弟子二羽も疑問符を浮かべて目を瞬かせているのが見て取れた。

 あまり一般的ではない方法なのかと恐々としながら師を見れば、彼はその場の誰も正解に辿りつけないのを見て、即ち、と言葉が続いた。


「叫べ」


 何の冗談かと思った。



「はあああああああああああああああ!!!」

 こうしてオレは木登りをするようになった。気が触れたかのごとく叫び散らしながらである。何の罰かと言いたい。出来ることなら小一時間問い詰めたい気持ちはある。だがオレは叫ぶ。



 言い渡されたときには、流石に叫ぶのは勘弁してもらおうと思っていたのだが、黙って一本登ったときに、師匠がまた「叫べ」と言った。真顔であった。怖かった。


 叫べば良いんだろう叫べば、と心中で反抗しながらも、仕方なく二本目の木は叫びながら登った。皆が見上げていてすごく恥ずかしかった。そしたら足を踏み外して中程から落っこちた。

 下で待機していたジンさんが跳び上がって受け止めてくれたので、大事には至らなかったものの、これで高遠ももう叫べとは言わないのではないかと期待を込めて師を見れば、満面の笑みであった。その脇に居た双子弟子は対照的に驚愕を隠さずに口をぽかっと開けていた。寒気がした。


 どうしたのかと恐る恐る尋ねたら、天の霊がオレに引き寄せられていたのを感じたのだという。つまりはそれだけ吸収できていたということである。

 死刑宣告であった。

 


 一心不乱に山中の高い木を手当たり次第に攻略する日々を始めて、早ひと月以上。

 掻き傷も衣装のほつれも、ついでに自分の叫び声もお馴染みになって、今はもう気にならなくなった。自分が野生化してきた予感がする今日この頃である。

 ちなみに服が破れても怒られるということは無い。むしろ嬉しそうに「男の子はやんちゃなぐらいが宜しいのです」とユミさんがかがってくれる。

 オレが完全に野生の三太朗にならずに小奇麗でいられるのは、館のモノたちがオレにものすごく甘いからである。何やっても怒られたことはない。そんな悪いことしてはないけど、汚しても破ってもちょっと悪戯(いたずら)しても怒られない。

 甘過ぎではないのか。逆に教育に悪いのではないかと逆に自分で心配することが偶にある。


 翼が生える予兆云々は別にして、木登りを始めてから、いくつか良い影響がある。

 体の調子がすこぶる良いのだ。絶好調と言っても過言ではない。身は軽く、意識は明瞭で、学問の時間も教師役に褒められることが増えた。

 増えたと言うか褒められるばかりである。ていうか彼らはオレが文字を書くだけで褒めるんじゃなかろうか。どこまでオレは幼く見えているのだろうか。大人扱いされる日は来るのだろうか。来ないような気がする。

 いや、諦めるのは早い。何時の日か必ず立派な天狗になって、一人前と認めさせてみせよう。


 それにこの頃飯が美味い。何杯もお代わりしてしまう程だ。体を動かす分腹が減るのだ。そして夜はぐっすりと眠れる。有り難いことに夢も見ずにすとんと眠りに落ちて、朝日を浴びてしゃっきりと目が覚める。お蔭でこの頃悪夢は見てない。快眠である。


 朝餉をしっかりと頂き、昼までは武術の稽古を付けてもらって、昼餉を頂いて、それから木登り、日暮れ前に帰って湯を浴びて夕餉。と、つまりこの木登りが終わればご飯だ。


 今日の夕飯は何だろう。

 昨日は浅蜊(あさり)の味噌汁に山菜入りのおこわ、それと干した牡丹の炙り煮と菜物のお浸し、茄子の浅漬けだった。滅茶苦茶美味かった。ごんたろうさんとぎんじろうさんは料理が相変わらず上手だ。

 因みに薬にやられた味覚は、五日かかったが完治した。

 その間は地獄だった。食欲が減衰して、三日目ぐらいにはげっそりとやつれた程に辛く厳しかった。

 健康な味覚が戻ってきた時には涙を流して喜んだ。食べ物が美味しい。正常な味がするというのはそれだけで尊いのだということを知った。オレは朝日に五体投地して感謝と歓喜を表した。


 それからというもの、毎回の食事はオレの最大の楽しみである。


 前日が肉だったから次は魚が良い。

 一昨日に岩名(いわな)を食べたから、次は海の物があれば嬉しいな。

 因みに、山奥にも関わらず、白鳴山の食卓には三日に一度は海産物が乗る。美味いので細かいことは気にしない。


「うらあああああああああ!!!」

 勢いをつけて最後の枝に捕まる。

 もう腕はがくがくして、足はぶるぶるしている。威勢よく上げた声だけは元気よく、しかし無心で、はっきり言うと捨て鉢な響きである。



 館の誰もオレが叫びまくっていても気にしないのは知っている。ていうか「さんたろさんは毎日元気ですねぇ」なんてほっこりされているのを知っている。

 ならもう良いや、と結論したのが叫び倒して三日目。人里は遠い。だがもし誰か山の外で聞いてたとしても、そんな見知らぬ他人がどう思おうと気にしない。何故ならオレに接触することはないからだ。気違いだとか狂人だとか言われる心配はないのだ。

 もしあったら?その時はその時だ。どうにでもなーれ。頑張れ未来のオレ。



 これを登り切ったら今日はお終いだ。登り切ったら木の上でちょっと休憩して、それから日暮れに間に合うように降りる。

 木登りが終わったら夕餉だ。

 ご飯、ご飯。魚がいい。


 焼き魚がいいかな。程よい塩味で、こんがりと焼き色がついて、香ばしい香りがする焼き魚。

 生の魚は流石に手に入らないから、塩漬けか干し物か…うん、今日は干し魚の気分だ。

 一夜干しぐらいが良い。七輪で網焼きにして、脂がじゅうじゅう言ってる間にほんの少しの醤油を付けて食べる。二口目は白いご飯をかっ込む。最高だ。

 では今の季節の一夜干しといえば―――


「めざしいいいいいいいい!!!」

 最後の枝によじ登ると同時に、食べ盛りの食い気が爆発した。

 


「……ぷっ、あはははははは」

 肩で息をしながら見上げると、一段高い枝の、とても乗れそうに思えない細い細い先に、兄弟子天狗の紀伊さんがしゃがんで笑っていた。

 枝は指程に細いというのに、大してしなりもせずに天狗を乗せて揺れている。そんな不安定な足場なのに、遠慮も配慮もなく、彼は腹を抱えて笑っていた。

 同じくやや下方からも、同じように笑い声が聞こえてくる。あれは紀伊さんの双子の片割れの武蔵さんである。


 落ちると危ないので、木登りをするときには必ず誰かが付いて来るという暗黙の了解があった。今日は紀伊さんと武蔵さんが付いて来てくれているのだが、紀伊さんは上で、武蔵さんは少し下の枝にいて、笑い転げていた。あ、落ちかけて慌ててる。

 オレの心の(たかぶ)りが迸り、兄弟子たちこの高所から落としそうになったのだ。

 オレは堂々と胸を張った。ちょっと罪悪感もあったけれど、別にこの二羽ならば枝から落っこちたとしても無事だろうし、それより山で一番高い木を自力で制覇したのが誇らしかったのである。


「あー、ふふっ、三太朗それ、良い考えかもな」

 目尻の涙を拭いながら紀伊さんが言うやいなや、すっくと枝の上に立ち上がり、両拳を握って肘を腰に据え、やや身を反らして息を吸った。


「しいたけええええええええ!!!」

「どわぁっ」

 じーわじーわと蝉の声が響く夏山に、食欲という名の煩悩が再び迸った。

 驚いて落っこちそうになり、慌てて幹にしがみついたところに、下からの追撃が襲う。


「さといもおおおおおおおお!!!」


 目を瞬かせて、暫く兄弟子たちを見比べてしまった。

 いや、しかし、ここで負けてはいられぬと、対抗心を燃やしてオレは再度大きく息を吸った。


「めざしいいいいいいいいいい!!!」


 三つの声が同時に途切れ、オレたちは耐えきれなくなって爆笑した。

 後から思い返すとなんのこっちゃ分からん出来事であった。






「三太朗、あっちが東だ」

 

 紀伊さんがひとつの方向を指刺す。

「東に幾つも山を越えた先に、東都(とうと)がある。ほら見えるか?川の向こうに道があるんだけど」

「東都…東領(とうりょう)蒼竜京(そうりゅうきょう)ですね」

 オレは目を凝らして示された方向を凝視した。川の煌めきは僅かに見えるけど、その向こうの道は、オレにはわからなくて、ちょっと肩をすくめて首を傾げて答えた。


「へえ、ちゃんと都の名前が言えるんだな。じゃあ他の三首都はどうだ?」

 感心したような…っていうか感心して武蔵さんが言う。


「うちでは小さい頃に教わりましたよ。他三首都は、西領(さいりょう)黄麟京(おうりんきょう)南領(なんりょう)赤鳳京(せきほうきょう)北領(ほくりょう)玄亀京(げんききょう)ですよね?」


 オレは豊芦原(とよあしはら)の略図を思い浮かべながらすらすらと答えた。


 豊芦原は、四方を海に囲まれた国である。

 その大地は四つの領地に分かれ、それぞれ東領、西領、南領、北領と言って、ひとつの領土にひとりの(すめらぎ)を頂いている。

 そして皇が住まう都もまたそれぞれに存在するのである。正式名もあるが、領の名をもじって『東都』や『南都』などという言い方もある。後者の方が簡単なので、下々の者は略称の方を主に使う傾向にあった。


「そうそう!へえ、自分の住んでる領以外の(みやこ)までちゃんと言えるなんて、この歳じゃそうは居ないぞ」

 にっこりと武蔵さんが褒める。

 オレにとっては当たり前のことなんだけど…やっぱ褒められると気分が良いよな。


「じゃあお前、東都に行ったことはあるか?」

「いえ、残念ながら…綺麗なところだとは聞いていますけど、オレはまだ行ったことは」


 都は遠く、話に聞くだけの場所である。

 皇のお膝元で、皆豊かで、貴族が(みやび)やかに暮らし、下男でさえも地方の領主よりも立派な装いをしているんだとか。

 富み栄え、戦火も無く平穏で、(がく)()が響き流れ、人が集い賑わう美しい都、蒼竜京。

 人に聞いたその話から、朧気(おぼろげ)に理想郷を思い浮かべて、東の山々を見渡す。

――――そんな場所が、これを越えた先に、本当に存在しているのだろうか。


 そこでふっと気が付いて双子を交互に見た。

「お二方は行ったんですか?」

「ああ、行ったぞ」

「東都も南都も、西都も北都もなー」

「え、全部行ったことがあるんですか!?」


 こんな話を振ってくるのだからまさかと思えば、やはり彼らは訪れたのだという。それも、四つの都を全て。

 驚いて聞き返すオレに、二羽は笑って頷いて見せる。


「それぞれ個性があって、面白いぞ。食い物も特色があって、食べ比べはやってみるべきだな」

「食い物だけじゃないぞ?東領は木工細工、西領は反物、南領は螺鈿(らでん)と北領は宝玉と金銀が特産だ。地に生きるモノの暮らしぶりもそれぞれ違うし、同じ種でも気性が違うね」

「いつかお前も行こうぜ。案内してやるよ」

「本当ですか!やった!」


 誘いの言葉に歓声を上げるオレを、微笑ましげに見ながら、二羽は「翼が生えてからな」と釘を刺す。

 それでもオレの気分はうきうきだ。

 翼が生えてからだとしても、先輩たちとの旅行はきっと楽しいに違いない。


「ただ――東都よりも南都の方が活気があって、西都の方が色鮮やかだな。北都の方が落ち着いて趣がある…何れにしても、東都よりも他三都の方が栄えているんだ」


 先の楽しみに思いを馳せているオレに、ぽつりと武蔵さんが落とした呟きが届く。

「え?」


 行ったことはなくても生まれ育った領の都。それを比べて他の方が優れていると言われると、なんだかもやっとする物がある。

 思わず先輩を見下ろした。

 彼からは、間違っても東都を(そし)るような色は無くて、ただ淡々と静かだ。その気配に、言おうとしていた言葉が霧散する。


「なあ、都の名前の由来を知ってるか?」

 代わって上から紀伊さんがこちらを見た。

「都の由来…?確か、守り神に因んで名づけられたんですよね。東領は青竜、西領は麒麟、南領は鳳凰で北領は霊亀」


 流石だな、と頷かれたけれど、なんだか褒められた気がしなかった。

「四柱の守護獣を合わせて四瑞獣(しずいじゅう)、四都を四瑞京って言う」

 そう言って、彼は東を見た。鋭い目は、眺めるというより、睨んでいるようだ。


「今は、お前が言ったので正解なんだけどな。…三百年前は、東領の都は緑竜京って言ったんだと」

 オレはぽかんと兄弟子を見上げて固まった。


「え…?緑竜…?青竜じゃなくて?」

 都の名は守護獣に由来する。それは先ほど肯定されたばかりだ。

 なら、三百年前に都の名が違ったというのは…守護獣が替わったということなのだろうか。


「でも、守り神は、国が出来たときに、国津神(くにつかみ)が皇に遣わした…って」

 オレは自分の知る国生みの神話を思い浮かべて呟いた。

 それに返ったのは苦笑である。


「人間はそんな風に思ってるんだな。…天狗流に言うと、逆だ。国津神が四瑞獣に豊芦原の護りを命じて、人間の皇がそれぞれの守護獣の世話を受け持ったのさ」


 んでもって三百年前、と今度は下から声が届く。


「東領の守護瑞獣、応竜(おうりゅう)に、当時の皇が、何をとち狂ったのか自分の方が上だとか、永遠の命を寄越せだとか無茶苦茶ばっかり言いだした。東領の他の人間も、応竜が温厚なのをいいことに、皇を諌めることもしないでいい気になって乗っかる始末。呆れ果てた応竜は、天の国へ去って行ったとさ」


 オレは呆然とそれを聞いた。

 今の話が本当なら、なんて、人は恩知らずなのだろう。


「応竜の去った東領は荒れた。守るものが居なくなった大地は、地流が狂い、天流が途切れ、人心は乱れて天変地異が多発した。それを見かねたのが今の守護獣の青竜でな、皇と約定を交わして新しく柱になった」


「一応の平安は訪れたんだけど、やはり国津神が命じた正当な守護じゃないからか、東領は他に比べて不安定だ。それで他との差ができたんだってさ」


 話し終わった双子の視線がオレに集中する。


「三太朗?」

 オレの様子を探るように、紀伊さんが声をかけた。


 オレはというと黙りこくって、ただただ東を見つめていた。

 その胸中には、嵐が渦巻いている。

 三百年前の話だと、オレの関わりない遠い昔の話だと、そういう前振りであったけれど、オレには他人事に思えなかった。


 だって、東領と他の領には、差があるという。今も当時の事件が尾を引いている証拠だ。

 それに、守護してくれる応竜に、感謝の代わりに要求を、与えてくれるもので満足しないで更に搾取しようとした、恩を仇で返すその強欲。

 自己を中心として、周りを己に合わせようとするその行い。他者を踏みつけて己の欲を満たさんとするその(さが)は…。


 瞬きの瞬間に、瞼の裏で、夕刻の山道がちらりと見えた。山道を登ってくる男たち。その卑しい顔。


「……人は、汚い」


 無意識に零れた呟きに、兄弟子たちがどんな顔をしたのかは、気が付かなかった。



 只々遠くを眺めていた視界に、不意にきらりと光るものが見えたのは、その時だった。

 反射的にその場所に視線を向ける。


 白鳴山の裾野を覆う霧の外。鬱蒼とした森に走る川の辺りで、また一度何かがきらりと日差しを反射した。


 それが何か、思い当たると同時に、すっと血の気が引いて、手足の感覚がなくなる。脂汗が噴き出した。



 あれは―――刀だ。




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