二十八 企み
8/16 高遠と昴がずっと立ちっぱなしで喋ってたので、座らせました。
あと、義人くんの数え年が設定に合わなかったので変更。十六→十五
チェックミス申し訳有りませんでした(;→д←)
「むー…」
オレは廊下の戸口に座り込んで、空を見上げて唸っていた。
上天には雲海が広がり、陽の光を遮って下界を影で覆っていた。
下に目を転じると、しっとりと濡れ、靄にけぶった深山幽谷が広がる。緩く山風が吹き来て、オレの前髪を乱した。
風に混じった水滴の冷たさに、拳で頬を擦って、天気と同じくどんよりと曇った気分のままに鼻から息を吐いた。
耳には静かな雨音が途切れることなく届いている。―――梅雨が来たのだ。
昨日、高遠が言った通りに、昨夜降り始めた雨は、控えめながらも途切れることなく降り続き、今朝も依然として止む気配はない。
もしかして万が一奇跡が起こって止んでやしないかと思ったんだけど、やっぱり降ってた。そうだよなぁ、天狗が天気を読み間違うなんてありえないもんな。それも師匠が翌日の雨を外すなんてないよなぁ。
未練がましく目を向けた庭も濡れていて、とても外へ出るなんてできない。
「あーあ…せっかく先輩たちもいるのに」
ついつい独り言を言ってしまうぐらいには、オレは不服だった。
昨日の感覚を忘れない内に、もう一度組手をしたかったからだ。
必死の想いで相手の動きを観察して、感覚を研ぎ澄ませたあの瞬間、相手の次手がまるで自分が動かしているように分かったあの感覚。
以前に一度、今回で二度目だ。一度なら気のせいかと思うが二度あるとそうは思えない。なら、毎回の手合せ毎にあれが出来るようになりたい。そう思いながら、昨日の事を思い返す。
昨日突然山にやってきた兄弟子と、オレは組手をする羽目になった。
原因は兄弟子…紀伊さんと武蔵さんが悪戯で軽くオレにちょっかいを掛けたことなんだけど、気の動転したオレは、軽く叩こうとした紀伊さんを本気で襲撃者だと思って応戦。といっても相手を打ち倒すなんて考えられずに無様に逃げ回った。
そこまでだけでも赤面ものなんだけど、その後姿を見せた武蔵さんが紀伊さんそっくりだったことから、同じ人物が二人に増えたと誤解してオレの頭は大混乱。形振り構わず背中を見せて逃走した。
極め付けが、逃げた先が崖で、思いっきり崖から飛び降りてしまった上、察知した師匠に受け止めてもらって半べそかいたという結末だった。ああ、穴があったら入りたい…。
師匠を始め周りの方々はそりゃあ心配して優しくしてくれて、紀伊さんに一発かましたのを褒めて下さったよ?だけどだよ?
天狗の実質最高位の『長天狗』の弟子が、兄弟子を敵と勘違いして、しかも迎撃どころか逃げ回り、挙句の果てに崖から落っこちるってどうなんだ?ありえない。恰好悪すぎる。本気でダメダメだ…。
オレははっとして頭を抱えた体勢を解いた。
いけないいけない。恥ずかしくて挙動不審になってしまった。
後ろ向きに落ち込んで行こうとする気持ちを立て直すために一度頭を振って切り替える。どんどん落ち込んで行くのはオレの悪い癖だ。
悪かった所は次から直して、良かった所を伸ばすのだ。
ひとかどの人物は、反省すれども落ち込まぬものなのだ!とかって父上も言ってたし。まあ父上はちょっと切り替えが早過ぎて、直後にもう一度怒られることが稀に良く有ったので、その辺りはさじ加減が必要だと思うけど。…よしよし、調子が戻ってきたな。
ちょっと強張っていた肩の力を抜いて、昨日の収穫について考えを巡らせる。
先ずは、紀伊さんの攻撃を殆ど全部避けられたこと。
ぶっちゃけ要らないと思ってた、感情を読む力。その意外な使い道を見つけたのだ。
感情とは、心の動きだ。なんというか、水に波紋が広がるのを感じるような、色が移り変わるのを見ているような、普通の感覚では例えて言えないものなんだけど、とにかく心が動き様子が変わるのが感情なのだ。
『怒り』とか『悲しみ』とかはっきり区別できるものではなくて、高く激しい波のような、赤く鮮やかな色に変わるような、そんな変化を感じ取って「あ、これは怒りだ」とかオレの方で判断する。
昨日の組手では、その感覚が大活躍したのだ。
何せ思考は心と切っても切れないものだ。そして、体を動かそうとすると、「こう動かそう」と思考する。それだけで心は少しだが動く。相手を攻撃しようとなると猶更、『攻撃の意志』と形容できる動き方をするのがオレには分かった。
昨日、心の動きを察知できるオレは、紀伊さんが行動に移る前に読み取って回避行動に移れたという訳だ。
後は此処半月の訓練で、どの位置に来る攻撃はどう避ければいいのかを習得していた成果が出たというところだろうか。往なしや受け流しの技が一切実践できなかったのは、できるだけ相手との間を取ろうと臆病に立ち回った結果っていうのが情けない限りではあるんだけど、回避はきちんと出来たのは進歩だな。
昨日は攻撃の意志に乗った感情を判定する程の余裕は全くなかったにしろ、とにかく精神の揺れを察知すれば攻撃の予知が可能だと分かったのは大きい。これは格闘戦においてかなりの強みじゃなかろうか。
……あとは、先輩たちに敵意も害意もなかったのをちゃんと読み取れていればよかったのに…。
いや、そうすると手合せする流れにならなかったから、あれで良かったのか?いやいや、読み取れていれば、師匠の手を煩わせずにいられたし、あんな無様に逃げ回って動転して崖から落ちるなんて失敗をしなかった。…でも、手加減してくれたとはいえ、天狗の方の体術を躱せるって分かったのは収穫じゃないか?
「うーー…ん、ん?」
無意識に腕組みしてうんうん唸っていたオレはふと我に返った。何か、ぴりぴりしたものを感じ取ったのだ。
オレに向かって発されている感情だ。密やかで静かではあるけど、良いものとは思えない。緊張を孕んだ何か。
ぴりぴり…これは、警戒…?疑念?
すっと頭の芯が冷えるような心地がする。いきなり冷水を浴びせられたような気分と同時に、心臓がおかしな感じに跳ねた。
久しく忘れていたこの感覚。けれどここに来るまでは馴染んでいたそれに、長年の習慣が働いて、オレは今までと同じように、腕組みをしたまま「むむぅー」と能天気に唸った。
こちらが気付いているのを気付かれないように。
――――不審に思われてはいけない。オレは普通。他人の感情なんて分からないし、警戒されてるなんてこれっぽっちも勘付いてない。オレは普通の、普通の人間。
反射的に心の中で言い聞かせ、全ての動揺を内側に押し隠して、流れてくるものへ慎重に意識を向けた。
気配はふたつ。
そのどちらもがこの山で馴染んだものとは違う。なら、これは先輩たちだ。
紀伊さんと武蔵さんが、オレを警戒している。オレの何かを疑っている。
目を閉じて感情の出所を探ろうと試みる。オレが感じ取れるってことは、そんなに遠くはない。
オレは今居る廊下の構造を頭に思い浮かべた。此処は曲がり角に挟まれた直線の中程。
漂ってくるのは左手後方。なら、距離的にも左側の曲がり角の向こうから、オレを窺っているのだろう。
何だ?何かやっただろうか?
昨日別れたときには、悪い感情は全く感じなくて、こちらが拍子抜けした想いだったというのに。
夕餉まで休もうと思ったら、体の疲れと精神的消耗に加えて、布団が気持ち良すぎて朝まで寝てしまったのが気に入らなかったんだろうか?いやいや、だったら不満や怒りは覚えるだろうけど、疑いとか警戒はないだろう。
それとも実は朝起きたら弟弟子は兄弟子に挨拶に行く決まりがあったとか?だとしたら、朝ご飯を携えてこれが使命とばかりにそれ食えやれ食えと餌付けしに来たごんたろさんとぎんじろさんにユミさんが教えてくれただろう。
それとも…オレが居ない間に何か、あったんだろうか…?
オレはふっと動きを止めた。
そういえば先輩たちは、あの後師匠にお説教されたと推測される。それが原因なんだとしたらどうだ。
怒られた要因はある意味オレ。だったら、逆恨み的に悪い感情を持っても不自然じゃないかもしれない。
こってり絞られた先輩たちは、オレがそれだけ師匠に気に入られてるんだろうと思い、師匠に気に入られるためにオレが何かやったに違いない的な疑いと、このままじゃ愛弟子の地位が脅かされると思った故の警戒を持って、出来損ないの癖に山の妖たちに目を掛けられている只の人間の子どもをいびってやろうと狙っているとか!?
むぅう、と今度は真剣に唸りながら、オレは自分の考えを吟味する。
オレは行ったことは無いけれど、大きな町にある武道の道場では、格上の者が下を苛めたり虐げたりするのは良く有る話だと、実家に雇われていた警護役のやっさん(本名は忘れた)が言ってた。
だとすると…
はっとオレは顔を上げた。
これが噂の 弟 弟 子 苛 め か ! !
カッと緊迫感漲る顔が光に照らされる。
間を置かずばりばりどしゃーんと響いた大音響!
「わぎゃあああー!!」
オレは不意打ちで間近に落ちた雷に、間抜けな声を上げてひっくり返った。ついでに後頭部と肘を強打して床に転がる。
あああ…丁度肘のじんじんするとこ打ったぁああ。
「え、ちょ、おい大丈夫か!?」
「今痛そうな音したぞ!どこ打った!?」
ばたばたと足音がして、心配の声と、驚きの心がオレに向けられた。
「ぅ、えぇ?」
涙目になりながら見上げたそこには、弟弟子苛めをしようとしていた(推定)兄弟子たちがオレを覗き込んでいた。
「どこ痛い?頭打ったか?」
「それとも肩か?昨日の怪我のとこか?」
「うぇ、いや、大丈夫です…?」
疑われて警戒されていた筈なのに、焦ったようにこちらを気遣ってくるふたりに目を白黒させる。
オレの様子を矯めつ眇めつ見て、どうやら大丈夫だと結論したのか、双子は揃ってほぅっと息を吐いた。
「ああ吃驚した。急にこけるなよな!」
「全くだよ…っくく、でも見事なこけっぷりだったな…ぷふっ」
「くっ…ふふっ…そんな雷怖かったか?…っははっ」
オレが笑われているのに気付くのに、一拍置く必要があった。
「えっ…い、今のはっ!考え事してたから、そう!いきなりでちょっと吃驚しただけです!!雷怖くない!!オレ雷大丈夫です!!」
「わかったわかった」と言いながら本格的に腹を抱えて笑い始めた兄弟子たちに「ほんとです!ほんとに平気なんです!!」と顔を真っ赤にして必死に訴えたけど、返事はひーひー言いながらの大笑い。
笑い続けるふたりを注意深く観察して、オレは気が緩んで行くのが分かった。
驚きが緩んだ後には、綺麗さっぱり負の感情は消え去っていた。
密かに胸を撫で下ろしたが、いつまでも笑い続ける双子に段々むっとしてくる。
何で警戒してたのかすごく気になるところだけどそれより…笑い過ぎじゃないか?
やがて涙を拭きながら笑い止んだ紀伊と武蔵の前には、そっぽを向いて頬を膨らませた弟弟子がいたのだった。
「あー、悪い悪い。流石に笑い過ぎた」
まだ半笑いで謝ってくる武蔵さんをジト目で見る。
「ごめんごめんって、そんな怒んないでくれよ」
軽い口調で手をひらひらさせる紀伊さんもちら見する。
ここは先輩の顔を立ててこちらが矛を収めるべきだろうな。オレも子どもっぽい言い訳をしてしまったことだし、ここは十一歳の大人っぷりを見せてやらねば。
「…もういいですよ。気にしてません」
うん、十一歳ってオレが思ってたより子どもだった。なんとか普通の顔になろうと思ったけど、思いっきりむすっとしてしまった。
そんなオレに苦笑いを浮かべて、さて困ったと顔を見合わせた先輩たちは、あ、そうだ。と手を打った。
「お詫びといっちゃあなんなんだけどさ、これから土産の箱を開けるんだ」
ちょっと耳貸せ、と強引に肩を組まれて、図らずも三人で円陣を組んだような恰好になる。
「…何なんです?」
「まあ聞け。甘いもの、好きか?土産の中に、南領の麦饅頭があるんだけどな…」
「お師匠は、今朝早く出かけたんだ」
「あの方、甘いもの好きだから、帰ってきてから饅頭を出すと、大幅に取り分が減るのは想像に難くない」
「そこでだ、三太朗よ」
「お前を見込んで、作戦の仲間に入れてやろうと思う」
「この極秘作戦を、お前がお師匠に黙っていられるならな」
にやにや笑いのお二方を交互に見て、オレも思わずにやっと口元が緩んだ。
「…勿論です」
「それじゃあ決まりだ」
「お師匠のいない間に、饅頭を山分けだ!」
作戦開始おー!と抑えめの歓声を揃って上げて、オレたちは意気揚々とその場を後にした。
高く低く、水琴の音色が豊かに響く。
微かな雨音の合間を縫って奔放な拍を打つ、高く低く軽やかに遊ぶ楽音を、鹿脅しの高い音が区切っていく。
竹倉の国。その主たる横山家が邸宅の奥座敷では、その日ひとりの客を迎えていた。
「よくいらっしゃいました、先生」
和やかに笑みを浮かべて立ち上がったのは、髪に白い物が混じった男。
柔和な顔は年相応に弛みを見せ、目元には笑い皺が寄っている。
ただ姿勢よく背筋は伸びて、若者のようにとはいかずとも、その動きは矍鑠としていると言って差し支えない。
「久しいな、昴。息災そうで何よりだ」
挨拶を受けて目を細めたのは、黒髪の青年。天狗の高遠だった。
「ふふ、お蔭様で、僕は元気です。ああ、本当にお久しぶりですね、奨先生…あ、今は高遠と名乗っておられるんでしたっけ」
「どちらで呼んでも構わんさ。玉も元気か」
「ええ、勿論です。家族みんな変わりありません。家督を譲ってまだ浅いので、玉は息子を気遣って表に出ていますけど、呼びましょうか?」
いや、変わりないなら良いさ。と更に微笑を深めた高遠に吊られるように、昴と呼ばれた男もにこにこと満面の笑みを浮かべた。
「さて、遠いところ来ていただいたのは、僕の家族を気遣ってのことじゃあないのでしょう?」
向かいの座布団をすすめて、手ずから茶を淹れる男は、あくまでも穏やかな様子を崩さないが、問いかける声には探るような調子が混じっていた。
「それもあるが、本題とは言えんな。…大炊との間で小競り合いがあったと聞いた」
胡坐をかきながら口火を切った高遠に、おや、と意外そうに小首を傾げて、男が瞬く。
「ええ、大炊さんは確かに去年あたりから、何やら難癖つけて度々ちくちくつっついて来ているみたいですね。ああ、若しかして、春先の国境でのことですか」
ああ、と答えて話し出そうとした相手を手で押しとどめて、昴は「当ててみましょうか」とにこりと微笑った。
「大炊領が南端、我が領との境近くに位置する、小瀬木領東芳沢。違います?」
その答えに、青年は目を見張る。
「…よく分かったな。というか良く知っていたな」
「ふふふ、戦場近くの領のことぐらいは下調べをするように教えたのは貴方でしょう?それに、僕もちょっと気にはなっていたんです」
そっと目を伏せて、男は「少し、似ていたものでね」と手元に湯呑みを置いた。
「先生も気にすると思ったんですよ。家族が亡くなって、まだ若く…下手をすると幼いながらに家を背負うことになった少年のこと。春の戦で主を失った小瀬木の新しい当主、義人くんは、当年とって数えで十五。実年齢で言えば十四にしかならない」
昔から、貴方はそういう子を放っておけないですもんね、と緩い顔で茶を啜った男に、思わずというように頬を掻いた高遠は「まあ、な」と呟いた。
「当たらずとも遠からず、かな。目当てで言えば大当たりではあるが…頼みたいことがあってな」
「おや、満点正解を狙ったのに。残念。それで、僕は何をしましょうか?貴方が仮にも敵国の一領主に肩入れするのは、流石にお止めしたいところではあるんですけど…」
歯切れ悪く言って眉を下げる教え子を見て、天狗は首を横に振る。
「心配せずとも、こちらも今は少々立て込んでいるから、そんな暇は残念ながら無いんだ。頼みというのは…お前にこんなことを頼むのは、如何なものかと正直思うのだが」
微かに表情を曇らせた相手に「そんなお気遣いは不要ですよ」と昴は胸を張る。
「大恩ある先生の頼みなら、何だってお聞きしますよ。どんな無理難題でもどんと来いって感じです」
胸を拳で叩いて見せる昴に、少し笑んでから、高遠は表情を引き締めた。
「東芳沢…いや、小瀬木の一族を、なんとか横山方に入れることはできないか」
「できますよ。やりましょう」
一考もせずにあっさりと、敵国の、小さいとは言え領主の家を引き入れることを了承した前竹倉国主に、珍しく高遠が唖然として動きを止めた。
それに笑い掛けた昴は、可笑しそうにふふっと笑みを零す。
「ああ、こちらとしてもそろそろ鬱陶しくなってきていたので、丁度良いんですよ。こちらから攻め入って、幾らかの領土を削り取って脅しを掛けます。それで講和に応じるなら良し。もし往生際悪く駄々をこねるようなら捻り潰します。都に通じる交易路沿いを重点的に落として回って、その幾つかを返すのを条件に、東芳沢と…そのひとつ向こうの中曾根辺りを寄越せと言えば、一も二も無く応じるでしょう。それまでに小瀬木さんにこっそり遣いをやって、根回しもしておきます」
澄ました顔で段取りを立てていく昴を、案じる目が見返した。
「確かに…その手なら上手く行くだろうが。お前の一存で決めても良いのか?」
「ええ。うちのものも皆中々鬱憤が溜まってきてましたし、否は言いませんよ。何より大炊さんにかかずらってる間に、他の処もなんだかうちを侮り始めているようだから、ここらで一度牽制しておくのが良いでしょう」
「…そうか、お前がそう言うなら、何も言うことはない。恩に着る。この礼は必ずしよう」
その言葉に、「じゃあ、ひとつお願いが!」と昴が顔を輝かせた。
「聞くところによると、先生のお山の近くには、先生を祀る社が在るらしいじゃないですか」
「…ああ、あるな。それが…?」
若干引き気味に聞き返した天狗に、元国主の男はふっふっふ。と何故か得意気に含み笑った。
「何、簡単なことですよ!うちの国にも、先生の神社の分社を作ろうと思いましてね!その許可を頂きたいんです。なに、一言『いいぞ』と仰って下されば、全てこちらでやりますので、何のご心配も要りません」
ぎょっとした顔を晒した天狗に、男はいっそ無邪気に「ね、簡単でしょ?」とどこか黒い笑顔を浮かべた。
「そうなれば先生もうちに遊びに来やすいでしょう?そしたら、また会いに行くとか言って八年も来て下さらないなんてことはまさか無いでしょうしね!いえいえ、お忙しいのは存じているんですよ。無理のないときで全く構いません。全然気になんてしてはないので、お時間が空いたときにでもちらっと気軽にお茶にでも来て下されば。ああ、心配なさらなくても、引退した身は暇なものでね。殆どの時間、用事なんて入ってませんから、いつなりとどうぞ」
あくまで和やかな様子を崩さないで、急ぐでもなくつらつらと出てくる言葉を、罰の悪そうな顔で聞いていた青年の口から、深い溜息が落ちる。
「…わかった、悪かった。これからはもう少し顔を出すから…。それで礼になるというなら、好きにすると良い」
やった!と子どものように拳を握った昴は、ふと思いついて「そういえば、先生」と首を傾げた。
「実のところ、どうして小瀬木さんを僕のところに置いて欲しいのかをお聞きしても?」
その問いに最初返ったのは、柔らかい笑みだった。
「うん?…そうだな。強いて言うなら、褒美かな」
水琴の音色が響く、小雨の庭に目をやって「なあ、昴」と凛とした声が呼びかけた。
「直向きに励む者から、目標を奪ってはならんとお前も思うだろう?」
高遠さん家のお弟子さんたちは、腕白揃いです。
ちょこちょこっと前に出てきた名前がいくつかあるような気がした方は、記憶力が良いですね!
気になるお名前がひとつあるって方は、そこまで拙作を読んで下さってありがとうございますww