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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
一章  人
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三 走る

12/4 表現修正。



 オレには兄が三人、姉が四人いた。下には二歳下の妹がひとり。

 他にも、小さい頃に亡くなったり、死産だった姉や兄がいたそうだが、そういう人を数えなければ、オレの兄弟は八人。

 九人兄弟の上から八番目の四男。それがオレ。


 一番目と二番目の姉はもうとっくに嫁ぎ、上二人の兄は立派に元服――大人と認められて、父の仕事を手伝っている。

 兄姉たちは皆面倒見がよくて、下の弟妹たちをそれはもう可愛がった。

 上のほうの人たちは物心が付いた時にはもう忙しくしていて、あまり長い時間一緒にいた記憶はないけど、代わりに下二人の姉とすぐ上の兄が力いっぱい相手をしてくれたので全く寂しいとは思わなかった。


 字の読み書きや算術なんかの学問のちょっとした考え方のコツをはじめ、薪の割り方、雑巾の絞り方、ちょっと破ってしまった服をばれない内に繕う技なんかも教わった。

 もちろん、里山に遊びに出るのに便利な垣根の穴も、独楽の上手い回し方に木登りのやり方、小魚の釣り方、甘い実の生る場所、虫やトカゲの捕まえ方、(くりや)から餅をかっぱらうときの連携の取り方、父上の機嫌の悪い時の見分け方までのありがたい知識もまた、上の兄姉たちから脈々と受け継がれてきた。


 子供らしく引っ張りまわしながら実地で叩き込まれるものだから生傷は絶えなかったが、彼らは子供なりに限界を見極めており、本当に危険なことは絶対にしなかったし、なぜしてはならないのかを例を挙げて下の者に昏々と言い諭した。

その逸話のほとんどに、上の兄たちやもう嫁いだ姉たちの実体験が出てきたのはご愛嬌だ。


 構いたがりの兄姉の中でも、特にすぐ上の兄は歳が近いせいか唯一の弟だからか、少し毛色の違うオレの面倒をいつも見てくれたし、オレも兄上を信頼してる。

 そしてオレもまた兄。例に漏れず下を守るという心構えをきちんと叩き込まれて育ったので、妹に持ち得る知識の全てを伝授するのを惜しむことはなく、まだまだ危なっかしい彼女に危険がないかいつも目を光らせていた。


 当然きょうだい間では口喧嘩に始まり、取っ組み合いや物の投げあい、果ては他の兄弟も巻き込んで集団戦までやらかしたことがあるが、喧嘩の数だけ仲直りをして、後引くことなんて一切なかった。


 文句なく、自他共に認める中の良いきょうだいだったのである。






 そうっとそうっと、廊下側の襖をほんの僅かにずらして様子を見る。

 音はない。気配もない。怪しい影も見当たらない。


 更にたっぷり三呼吸待って、ようやく廊下に出た。

 結局あの障子を開けるのは止めた。とてもじゃないが無理だ。

 妖怪がうろついてる庭にのこのこ出て行くなんて何の冗談だ。


 あれから考えて、悩んで、最後には巨大な狼より巨大な腕の方がまだ生存率は高かろうと判断したのである。全力で走ったら逃げ切れるのが決め手だ。


 動かないという選択肢は最初からなかった。

 奴らの話が本当なら、主とやらがもうすぐ帰ってくる。

 あんな化け物たちを従えているものがさらに加わる。

 そんなことになったら、ただでさえ絶望的な状況がもっと悪くなるじゃないか。


 それと『塗り壁がしくじった』と言っていたし、自分たちのことを『役立たず』と言った。

 ということは、今の状況はあいつらにとっては困った事態なのだ。


 オレを見失ったか、追うことが出来ない状況に陥ったと見ても良いのだろうか?

 何にしろ動くのは今しかないということだけはわかったのだ。

 行くしかないじゃないか。そうだ脱出しよ。

 そう自分に言い聞かせて足を一歩ずつ動かす。


――――本当はあの部屋に居たほうが良かったんじゃないか?部屋から出たことであいつらに見つかるかもしれないし。


――――実はもう見つかってしまっていて、捕まえる機会をうかがっているのかもしれない。


――――そもそもあの妖怪たちの言ったことを真に受けてよかったんだろうか?もしオレがあの部屋に居ることを知っていたとしたら?


――――主とやらは実は屋敷にいて、びくびくしながら歩いてるオレのことを知っていてほくそ笑んでいるんじゃないのか?


――――先に見えている曲がり角の向こうでは妖怪が手ぐすねひいて待ち構えてることはないって言い切れないよな?


 際限なく湧き出す悪い考えにくらくらしながら、廊下の角までやってきた。

 全神経を集中して角の向こうの気配を感じ取ろうと試みる――音はしない。

 向こうを覗くには恐ろしいほどの勇気が要った。

 決死の覚悟で見た通路には、何の影も形もなくて、それだけで思わずその場でへたり込みたくなるぐらいの安堵を覚えた。



 出来うる限り足音を殺して、歩数を数えるように進む。

 行く先などわからないのだから、焦りに任せて走ったって体力をなくすだけだし、足音を聞きつけて妖怪が寄ってくるかもしれない。


 これは戦略的な判断であり、決してさっき走ったときに裸足のまま全力疾走したせいで足の裏が熱持って痛いからとか、転んで打った膝がどんどん痛くなってきてるからとか、ぶつけた肩がじんじんして、ついでに脚を中心に筋肉が引きつったようにがくがくしてるからとかそういう理由ではない。ないったらないのだ。


 仮に、仮に!そういう理由だったとしても立ち止まることもできない。

 廊下の真ん中にいるのは怖すぎる。止まるとしたら適当に部屋に入るのが妥当だろう。

 例えその部屋に何も居なくても、廊下なら最低限曲がり角まで視界が確保できるのに対して、部屋に入ってしまえば壁一枚、襖一枚先に何がいても気付くのは難しい。

 不意打ちを避けたければ歩いている方がまだましだった。


 というか今不意打ちなんて喰らったら心臓が止まってしまうに違いない。

 あれ以来何とも出くわさない。状況を言ってしまえばただ廊下をゆっくり歩いているだけなのに、鼓動は全力疾走したときからずっと早鐘を打ってる。

 今でさえこれなのに、なにかあったらと思うと…考えたくない。


 それにしても広い屋敷だ。

 最初の部屋を飛び出してから随分走ったし、歩き始めてからもゆっくりとはいえかなりの歩数を数えた。なのにまだ外に着かない。玄関どころか渡り廊下さえない。

 延々と同じような廊下が続くだけ。

 こんなに長い廊下などありえるとは思えない。村ひとつ分の土地を全部使って建てたとかなら別だろうけど、そんな家屋敷があるなんて聞いたこともない。

 妖怪の力で、家の中を何倍にも大きくしているのだろうか。それとも化かされて幻でも見ているのだろうか。


 夜中に兄上と起き出して、姉上の部屋に忍び込んで飴をくすねたときのことをふと思い出した。

 あのときもめちゃくちゃ緊張して、鎮まった夜の屋敷が怖くてびくびくしながら兄の着物を握っていたが、あのときはまさかあれ以上に緊張することなんかないと思っていたな。

 因みにそんなオレを兄上はからかっていた。

 次の朝にも事あるごとにからかいまくっていた所為で悪さがバレて随分な時間正座させられた上、夕餉(ゆうげ)まで草むしりをさせられたが、それでも兄は時折こっちをみてにやっとしていた。

 兄上の所為でバレたことにオレはずっと怒ってたけど、にやにやするのを止めないので、喧嘩になったのだった。

 それで二人仲良く父上の拳骨を貰って目の前に星を散らした訳だが、それでもにやついていたので逆に感心してしまったものだ。

 今のオレを見ても兄上は弱虫だとか子供だとか言ってにやにや笑うのだろうか?


 ふと何か聞こえた気がして、足を止めて耳を澄ます。

 ほんの微かだったけれど、確かに何か聞こえる。

 何だろう。まだ小さすぎて何の音かは判断が付かないけど、大きいものが動く音とか、けたたましい笑い声とか、獣の唸り声とか、悲鳴とか怒号とか、今あなたの後ろにいるの、とかじゃないことは確かだ。

 一応ちょっと振り返ってみたけど、背後には何もいなかった。


 少し迷って、もう少し進んでみることにした。

 危険だとわかる音だったら即座に引き返すけど、今はそんな感じはしないし、別の道を行くには、もう随分戻らないといけなかった。

 一応いつでも逃げられる心構えをしておきつつ、次の角をそっと覗き込んだ。


 その先は今までの廊下とは少しだけ違っていた。

 板張りの床、白い土壁は同じ。いくらか先、左右の壁には襖が嵌まっていて、部屋になっているのも同じ。

 ただその先、まっすぐ行った正面も障子戸になっているのだけが今までと違った。

 それまでは分かれ道や角はあっても、行き止まりと言うものはなかったのに、他に枝分かれすることなくまっすぐな廊下は、どうやらあの部屋が終着点のようだった。


 そして、物音はその突き当りの部屋から聞こえていた。


 くつくつと何かが煮える音、とんとんと何かを刻む音に、ぱたぱたと歩き回る音、微かな話し声とかちゃかちゃと陶器が触れ合う音――日常的に聞き育った、台所の音だ。


 こんな異常な場所で、聞きなれた生活音がしているのはものすごく不自然だ。なのに、今あの戸を開ければうちの日常があるように思えて、あの日々に帰れるような気がした。――そんなはずはないのに。


 わかっているのに歩み寄るのを止められなかった。


 近づくにつれてはっきりと、聞き取れるようになってきた。

 調子を乱すことなくしゅっしゅっと続く、何かが擦れる音と、せわしく交わされる人の言葉。…言葉は人が喋るものだという常識は今日ついさっきぶち壊されたのだけど。


「ああいそがしい、忙しいですねぇ」

「まったくまったく、早く終わらせてご飯にしたいですなぁ」


 二つの声が話している。

 大人の男にしては高い声、でも女にしてはなんだか太い。強いて言うなら少年の声に少し似てるような気がするが、それにしたら少ししゃがれている。


「ええ、そうですねぇ。なにせ良いお肉が入りますからねぇ!みんなあれだけ張り切っているんですから」

「気に入ってくれますかなぁ」

「気に入ってもらえるように、美味しく料理するんでしょ」

「ええ、もちろんもちろん。腕によりをかけますよ」


――――肉が手に入る?

 なんとも嫌な予感がして、一歩後退る。

 そのとき、しゅっしゅっという音が止んだ。それと同時に何の音だったのか直感した。


 あれは…刃物を、砥ぐ音だ。


「ああ、終わりましたか」

「ええ、これで固い筋もどんどん切れますな」

「頃合いですね、肉のほうもそろそろ来ますから」



  喰 わ れ る 。



 気が付いたらオレは長い廊下をめちゃくちゃに走っていた。

 もう限界だった。

 目が覚めたら無限廊下の妖怪屋敷にいて、壁から生える巨大な手から逃げ、魔狼と妖鳥をやり過ごし、行き着いた先は調理場で、オレを待ち構えて美味しく料理しようとしてる何かが包丁を砥いでいる!!


 走って走って、息が切れても構わず駆けて。

 顔を上げたその先の襖が大きく開いている。

 部屋の中、正面の引き戸もまた開いていて、そのまたさらに先を見た。

 光満ちる昼間の庭。

 花咲き乱れる巨木と、その根元に立った


――――人!!


 中に飛び込む。


 そこにあったものを見もせずに踏んづけて、部屋を横切った。

 庭の人が振り返る。少し驚いたように目を見開いて。

 黒い目と目が合う。

 と同時にがくっと視界がぶれる。

 濡れ縁の段差を踏み外したのだ。

 咄嗟に伸ばした手が地面に触れる前に、反射的に目をつぶる。


 地面に落ちたにしては軽い衝撃。

 履物置きの石にしてはやわらかい何か。

 無機物にしては温かい。


「大事無いか」


 優しい声に、ぎゅっと閉じていた瞼をこじ開けた。

 目の前には着物の袖に包まれた腕。

 庭にいた人に受け止められていたのだと気付く。


「どこか痛むか?」


 女のように高くはない、男の中では低くはない、穏やかな声が、気遣いに満ちた色をして。


「顔が青い」


 そっと覗き込む顔。

 黒い髪の、白い肌の、黒い目の青年が、心配げに目を合わせて。


「悪い夢でも見たか」


 夢、夢?夢だったらどんなに良いか。

 そうだ、あいつらが追ってくる。あの化け物たちがオレを食いに!!

 ふいごのように荒い息を吐きながら、訴える言葉は咳になった。

 息も絶え絶えに咳き込むオレの背をなだめるようにさする手がある。


「慌てなくていい。今、水を」


 そんな暇なんかない。むちゃくちゃに首を振った。

 その勢いにも、受け止めた腕は揺るぐことはなくて、上げた目の先、にじんだ涙の膜の向こうで、落ち着いた目がこちらを向いている。


「……た…たすけ…て………っ!!」


 やっと絞り出した声に、彼は力強くうなずいた。


「ああ、勿論だ」


 もう、誰にも傷つけさせたりしないから。


 温かい声を聞きながら、オレの視界は真っ黒になった。




セルフ鬼ごっこ、やっとゴールです。


今気付いたんですがこのお話今のところタイトル詐欺ですね!うわやっべぇ。

少年が弟子になるまであと数話かかるだなんてまさかそんな・・・

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