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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
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二十五 悪ふざけ

8/12 ちょこちょこ表現を修正しました。


 木漏れ日がきらきらと踊る。どこか近くで楽しげに小鳥が(さえず)り合っているのが耳に届くと、愛らしい様子を想像して思わず笑みが浮かんだ。

 オレは積もった落ち葉をさくさくと踏みながら、白鳴山(はくめいざん)の小道を軽い足取りで辿っていく。




 特に悩むことがなくなって後、オレは毎日山を歩き回っていた。

 気がかりなことが無くなればやはり、じっと大人しくしているなんて時間が勿体ないというもの。目の前に広がっているのは男の冒険心を擽る鬱蒼と深い山であるから猶更だ。


 それでも最初は、知識不足を補うために勉強をしようかと書庫に行った。知っていることは一握りなのに、未知の知識は呆然とするほど膨大に積み上がっていて、オレに焦りを齎していたのだ。

 しかも書庫には術を始め、天狗に関する知識も、その他の妖に関する書物もなかったから、身に着けるべき知識はここにあるものよりもっともっと多いに違いない。きっとここにない知識は、師匠の判断で然るべき時期に与えられるんだろう。なら、新しい分野に進むまでに、手に入るだけの情報を頭に入れておけば役に立つのではないかと考えた。

 そうしてオレは、書庫の机に書物を積み上げて読書に励んでいた。…のだが。


 独りで勉強していると、館の妖たちがやってきたのだ。

 どうしたのかと訝っているオレに、最初にユミさんが「良いお天気ですよ」と語りかけて外に目を向けさせ、次にヤタさんが「勉学が気になるなら夕餉の後にでも見てやる」と申し出て心配を軽減して、ごんたろうさんとぎんじろうさんが「新しい草鞋(わらじ)を用意しておきましたよ」と言ったところで最後に何事かと覗きに来た師匠が「勉強などより外で遊べ」とオレを書庫から追い出した。それで良いのか師匠。


 ……一生懸命ぼかしてやんわり外に出そうとしていた皆さんの努力を綺麗に無視した師匠にちょっと呆れたのは秘密だ。きっと皆さん、オレのやる気を削いじゃいけないと思ってのことだったんだと思う。いっそ清々しいと思えるほどすっぱり直球で言う師匠に、皆さん気を悪くしてなきゃいいけど。


 というか、勉強なんてしなくていいから遊んで来いなんて、修行に来た先で言われると思わなかった。普通は逆なんじゃなかろうか。

 まあ、その日に探検を満喫して帰った後に師匠にそれとなく訊いてみたら、山の"()"に慣れるには室内より屋外の方が良いんだと仰ったので納得したんだけど、外出を促すのに他に言い様があったのじゃないかと思うのはオレだけだろうか。


 とにかく、その日からオレは毎日、昼餉の後には山を駆けまわっている。



 白鳴山は大きな山で、流石にまだ全域を見て回ったとは言い難いけれど、それでも大体の方向感覚は掴んだので、今じゃもう殆ど迷うことを恐れず気楽に歩くことができるようになった。

 まあ、迷ったとしてもジンさんかヤタさんが見つけてくれるだろうから、特に恐れたことはないんだけれど、流石に格好悪いので、慣れるまでは目印を覚えながら慎重に歩いたものだ。


 山に出るにあたって言われたことはひとつだけ。『霧が掛かっているところへは行かないこと』だ。


 オレは木々の隙間から、下の景色を覗き見た。

 山の中ほどから下は、乳色の霧に覆われているのが見える。この濃霧はどんな天気でも晴れることがなく、いつでも山裾にあって来るものを拒み、まるで壁のように立ち塞がっている。

 師匠の施した山の護りの術のひとつだと言う話だから、言うなればあそこまでが師匠の庭なのだ。天狗の支配領域で、安全地帯の境目。もちろん、越えてみようと思ったことは一度もない。


 ふと、視界に動く物を見つけて、オレは足を止めた。

 霧の壁よりも少し登ったところの川べり。岩場を軽々と越えていく灰色の巨大な狼、ジンさんだ。

「見つけた!」

 オレは少し近道をするために、小道から外れて斜面を駆け下りた。



 オレには今、お気に入りの遊びがふたつある。

 ひとつは、山の中のどこかにいる閑古鳥のセキを探すこと。これはこの半月で大体五回か六回は成功している。見つけたら思いっきりもふもふして、館に連れて帰るのだ。そしたら次の日までにいつの間にか居なくなっているのでまた探す、という繰り返し。

 醍醐味はやっぱり、見つけたらご褒美(もふもふ)があることだよな。


 そしてもうひとつこそ、今始まったこれ。『巡回中のジンさんの追(おんみつ)跡ごっこ』である。

 見回り中のジンさんを追い、遮蔽物を駆使して忍び寄り、気付かれないように接近して跳び付くのだ!


 これがまたとても難しい。何度も成功している『セキ探し』に対して、成功したのはたったの一回。それもジンさんは途中から気付いていて、知らんふりをしていたんじゃないかと思う。

 だって、あのときの驚いた様子は嘘くさかった。とても演技くさかった。そう思ってジンさんに直接問い詰めたら目が泳いでいた。これはもう決定じゃないかと思う。んだけど、あの一回を無効にしてしまったら、成功回数が零になってしまう。それもそれでちょっとあれなもんで、今はまだ結論は出さずに保留してる。まあ、次ちゃんと成功したらまた考えようと思う。


 オレは徐々にジンさんの居る高さに降りて行きながら、樹の陰に隠れ、茂みに身を隠して、離れないように、尚且つ見失わないように追っていく。

 最初は少しも経たずに見失ったり、逆に見つけられてしまったりしたんだけど、この頃は結構長い間見つからないように追跡できるようになった。


 軽やかに川辺を行くジンさんは、やがて脇に逸れて斜面を登って行った。

 それを見計らって、オレは彼我の距離を慎重に詰めていく。


 気を付けるべきなのはまずは音。

 がさがさと枝葉を揺らして近づいては直ぐに気付かれてしまう。張り出した枝には極力触らないように身を低くして、落ち葉も踏まないように、木の根に足を置いて進む。これだけでも中々気づかれないでいられることに気付くのに余り時間はかからなかった。

 さっき岩場で接近しなかったのはこの為だ。水音がある程度の音はかき消してくれるかと思いきや、遮るものが無いので、水場では遠くまで物音が渡っていくのだ。下手に石を踏んで動かしたり、小石を落としたりすれば、鋭いジンさんには直ぐに見つかってしまう。山道の方がまだやり易いのだ。


 次には当たり前だが、見られないこと。

 巡回中のジンさんは、結構頻繁に首を巡らせて周りを警戒している。だから、見回した拍子に視界に入らないように、常に間に何か物を置くように移動することを心掛ける。

これが簡単に思えて結構難しい。山には樹とか岩とか、とにかく視界を遮るものが多いんだけど、じっとしているならともかく、移動しながら、ましてや近付いて行きつつ常に間に何かを挟むように動くのだ。

そう上手いように木が生えてる訳じゃないから、これまでの失敗は大概、遮蔽物が途切れたところで振り返られたことによる。

 これを克服するために、オレは毎日精力的に山を歩いて、途中の身を隠せそうな物を覚えて回った。そうすれば次の物陰を見極めて動くことができると考えたからだ。


 最後に、一番重要なのが、匂いである。

 ジンさんは鼻が利く。そりゃもうすごく鋭い。

 いつだったか、追跡を始めて直ぐに見つかってしまったことがあった。何もへまはしてないはずなのに、いきなり立ち止まってこちらを見るのだからすごく驚いた。だって、二十歩分ぐらいの距離が離れていたのに見つかるなんて思ってもみなかったのだから。

 思わずどうしてわかったのかを尋ねたら「青菜の漬物と味噌汁と海苔の匂いがした」と言われた。その日の昼餉の献立だった。

 それからオレは、風向きに注意を払い、風下を選んで近づくようになった。こうすれば、オレの方から昼ごはんの臭いが漂っていく心配はないのだ。


 素早く椎の木の陰へ身を隠し、低い体勢で相手の様子を窺う。

 羊歯をさくさくと踏み分けて、ジンさんがゆったりと、しかし用心深く歩み、上の獣道へ到達した。同時に、ふたりの丁度真ん中あたりにある岩が、ジンさんの姿を隠す。


 それと同時にオレは走り出した。勿論出来るだけ物音を立てない様に気を付けているから、全力疾走ではないけれど、それでも思い切った走りである。

 ジンさんが上って行った斜面を追って行ったとして、下生えを掻き分けながら尚且つ音を立てないのは不可能だ。だから、ジンさんがこちらを見えない位置に居る間に、この先の獣道の入口へと到達しておかなければ、今回も失敗は確定だ。


 ジンさんがいる辺りからは、結構下の景色が良く見える。油断したら見つかってしまう。

 オレは茂みの横を身を低くして駆け抜けて、さっと小道の脇にあるぶなの根元に膝を着いた。


 そっと上を窺い見ると、灰色の毛皮がゆったりと上の獣道を通って行くのがかろうじて見える。

 気付かれた様子は、ない。


 思わず口元が緩んだ。たまらない高揚感が湧き出して、自然と鼓動が早くなる。飛び出しそうになる体を努めて抑えて、対象が絶好の位置に差し掛かるまでじっと待った。


 ジンさんが悠々と歩いていく。頭は前を向いたままだが、木々の合間に見える耳は、忙しくあちらこちらに動いて、不穏な物は無いかを常に探っている。

 

 見つかるかも知れないこの緊張感と、今度こそ成功するかも知れないと言う期待感が高まって来る。

 気分はまさに隠密だ。そっと後を追い、相手の裏をかいて襲いかかる。凄腕の(しのび)

 正々堂々と戦う武士(もののふ)も勿論嫌いじゃないけど、誰にも見つからずに静かに使命を完遂するっていうのも格好良い。陰に生きて陰に死ぬ、みたいなのってすごく良い!!


 ジンさんが歩いていく、もうすぐ上の道が弧を描いている場所に差し掛かるはずだ。

 あと三歩、二歩、一歩…よし!


 オレは獣道を一直線に登り始める。

 あの位置からでは、茂みが邪魔をして、少しの間は下の様子が見えにくいはずだ。オレは顔を上げて先にある背の低い栗の木までの距離を測った。

 あそこまで行き着けば一先ずは安心。今は風があまり吹いていないが、咲き()めた栗の花の臭いが、オレの匂いも隠してくれている。


 栗の木の下へ滑り込むと同時に、巨狼が茂みの塊を越えるのが見えて、心臓が一度大きく跳ねる。

 ばくばくと鳴る心音を数えながら勝手に荒くなっていく呼吸を無理やり抑え、出来るだけ体を低く伏せた。



 灰色の狼は、ぴくりと耳を動かしてふっと足を止めた。

 すん、と鼻を鳴らして空気の匂いを嗅ぐ。次いで、ゆっくりと首を巡らせ、周囲を睥睨した。何かが潜んでいる、と見破ったかのように。

 

 ぴりりと張り詰めた空気を乱したのは、狼の左手前方だった。唐突に、がさ、と低木の枝葉が揺れた。


 ぱっと両耳をそちらに向けて鋭く注視する金の視線の先で、茂みから飛び出した若い牝鹿が、佇む狼に驚いて、川の方へと一目散に駆け下って行った。



 鹿を見送って、また歩き出したジンさんの後を駆ける。見つかったかと思ったけど、まだ見つかってない!今日はもしかしたらもしかするぞ!!


 オレは勝負に出ることにした。

 左手の斜面に目を走らせて、木の陰に殆ど埋まっている石を見つけると、下草に触れないように石を踏んで斜面の上へ向かう。

 石の次は樹の根を、その次は苔の密集したところを選んで跳び渡り、その先の腰程の高さの崖を越えた。


 素早くそこにある茂みに身を伏せて、慎重に反対側の段差へとにじり寄り、下をどきどきしながら覗く。下の獣道を歩いてくる狼の足取りに変化はない。どうやらジンさんにはこの大移動は気付かれていないようだ。

 大きく弧を描く獣道の内側にある小さい崖と、身を隠すにお(あつら)え向きの茂みを見つけたときに、これはいけるんじゃないかと考えていた道順だけど、初めて通ったにしては恐ろしく上手く行って、オレはジンさんの先回りに成功したのだった。


 高まる期待感に湧く手汗を拭いながら、ジンさんを待つ。後は、風向きが変わらないことを祈るだけだ。

 ジンさんがこの下に差し掛かったら、此処から背中に跳び付くのだ。


 第一声はどうしよう?気付かなかったでしょ、と笑って言うのはいいかもしれない。参ったか!とか、油断しましたね!とかも言ってみたい。オレの勝ちですね!って言うのはちょっと子どもっぽいだろうか。

 にやにやと緩む口元を押さえて、その瞬間を今か今かと待つ。


 あと四歩。かさりとジンさんの足元で枯葉が鳴る。


 三歩。頭上を覆う木の枝々が、緩やかな風にさやさやとあるなしかの音を奏でる。


 二歩。どこかで山鳥が鳴き騒ぐのが聞こえた。


 一歩――――不意にぴたりとジンさんの動きが止まる。地の匂いを嗅ぐためにか、いつもより少し下げられていた頭が高く持ち上がり、ひとつの方向を凝視した。

 …オレは茂みの下で固まったが、ジンさんが見ているのはこっちではないことに気付いて、深く静かに息を吐いた。よかった。


 改めてジンさんの様子を探ると、さっき鹿に気付いたときのように、どこかに何かがいるのに勘付いて探るような動きとは明らかに違った。

 向いている先に何かがあると確信しているかのように、じっと一方向を見つめている。


 あっちは、山頂?それか、高台の広場だろうか。


 目線の先にある場所を思い返して内心で首を捻ったとき、急に巨狼が動き出した。

 目にも止まらぬ速さで走り出し、灰色の残像が尾を引いて、まるで風のように道なき道を駆け上る。

そしてその姿はあっという間に木々の間に見えなくなってしまった。


 あまりの勢いに圧倒されて呆然と見送ったオレが、今回も失敗したことに気付くのには、たっぷり三呼吸必要だった。






 オレは、ゆっくりと陽の光の下へと足を踏み出した。

 ここは山頂付近の高台だ。鬱蒼とした山の中でここだけ木が一本もない。オレが知る限り、館の庭以外ではここだけが、みっしりと木々に埋められたこの山にできた隙間だ。


 さんさんと照りそそぐ日光の下で、短い草に覆われた広場を見渡す。

 涼しげにそよ風に揺れる葉、向こうに見える切り立った崖と、その更に先に広がる下界の景色の全てが平和そうに穏やかで、いつもと変わったところは一切無いように思われた。


「ジンさんが気にするようなものは…見当たらないけど」


 広場の中央まで来て、改めて辺りを見回すが、やはり怪しいものも、何かがあった痕跡もない。ついでに先に駆け上がって行った狼も、影も形も無かった。

 ジンさんの様子が気になって追ってきてしまったけど、どこかで辿る道を間違えただろうか。

 ここではないならどこだろう。


 はて、と腕組みして首を傾げたそのとき。


 すっと体を動かして、少し屈みながら一歩前へ出ると同時に、前へ出した足を軸に回転しながら、さらに一歩場を移す。

 同時に、今までオレが立っていた場所に鋭い手刀が空を切った。


 後ろからの攻撃の意志を無意識に読み取って反射的に体が動いたのだと気付いたのは、更に二歩距離を取って相手に向かい合ってからだった。


「誰だ!」

 オレの誰何(すいか)の声が鋭く場に響く。

 襲撃者はそれには答えずに、面白そうに小首を傾げてにやりと笑う。


 枯葉色の筒袖の着物に、紺色の袴。腰には紅い紐を巻いた、若い…少年と言っても通るだろう、オレより幾らか年上に見えるくせ毛の男。


――――侵入者!?

 この山で見たことのない顔に、オレがそう結論付けるのと同時に、不審者が再び襲いかかってきた。


結局三太朗さんのお話になりました。

次もこれの続きになる予定。衣織ちゃんの方はこっちがひと段落してからになります。

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