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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
25/131

幕外弐 春馬

小雛回。本日投稿二話目です。どちらから読んでも大丈夫ですが、一応こちらが後です。


8/2 ちょこちょこ表現を修正しました。


「こーひーなーちゃーん!」

 弾むような明るい声がして、唐突に掛布を引っぺがされた。

「夕方ですよー!起きる時間だよ!」


 薄らと目を開けると、目の前で柚葉(ゆずは)がにこにこと笑っていた。それと対照的に小雛(こひな)の機嫌は急降下していく。起こされるのは嫌いだし、起き抜けは頭がふらついて嫌だ。

 しかめっ面で睨みつけても、柚葉は気にした様子もないのが更に腹立だしい。

 

 小雛は、黙ったままゆっくりと起き上って、日が沈んだばかりの赤い空が覗く格子窓を見上げて、忌々しげに舌打ちをする。


「おはよう!ほらほら、お水ここに置いておくから顔洗いなよ。今日は春馬(はるま)さまと会う日なんでしょう?着る物は決めた?お化粧は?髪型はどうするの?なんだったらお手伝いするよ!」

「…いい」

 都は未だに落ち着かず、小雛たちもここ四日間休みなく都中を飛び回って妖を退治し続けている。囮役の柚葉の疲労は調伏(ちょうぶく)役の小雛に比べても勝るとも劣らないほど深いはず…なのになんでこの娘はこんなに元気なんだと更に不機嫌になりながら、枕元に揃えておいたいつもの黒の一式を身に着けていく。


「小雛ちゃんー、好きな人に会うんだから、もうちょっと華やかなのを着ればいいのにー」

「春馬さまは、そんなのじゃない」

 つっけんどんな言い方で、思わず反応してしまって、口をへの字に引き結んだ。興味津々で嘴を突っ込んでくるときの柚葉は、相手をしないに限るのだ。

 改めてそっぽを向きかけて、小雛ははたと手を止めた。


「なぜ、知っているの」

 柚葉には、春馬と会うことは言っていない。というか、同僚の誰にも言ってはいないはずだった。

 冷たい声音に疑いを乗せて、不機嫌も何もかもをかき消した無表情で振り返った。

 大抵の者は怖気づく圧は、年若くとも幾多の妖魔を葬り去ってきた、力ある術者のもの。


…ただ目の前の少女は動じた様子もなく、えへんと胸を張った。

「小雛ちゃん、春馬さまに会うときは前の日からご機嫌だから、あたしにはお見通しなんだよ!」

 だから、ちゃんと準備出来る時間に起こしたんだよ!と得意気に(のたま)う能天気な顔に、水をかけてやりたくなって、手元にある水桶をしばし凝視した。…掃除が面倒なので結局止めたが。


「ねえねえ、良かったらこの髪飾り付けてかない?絶対似合うと思うんだよ!可愛い小雛ちゃんがもっと可愛くなったら、きっと春馬さまも嬉しいと思うんだよね!」

 まるで自分が思い人に会うかのような浮かれようで、自分の箱から出した椿の花を模した髪飾りを小雛の頭に当ててはしゃぐ柚葉に、もう目も向けずに「そういうのじゃない」と呟いた。


「…春馬さまは、お世話になってるお医者さま。それだけ」

 今日とて単なる検診だ。それ以上でもそれ以下でもない。…少なくとも、春馬にとってはそのはずだ。


「嘘ばっかり。春馬さまは、小雛ちゃんにとってはかけがえのない人でしょう。助けてくれた人なのに、恥ずかしいからって単なる他人みたいなこと言っちゃダメだよ…自分に嘘を、ついちゃだめ」


 気が付けば、先ほどまでのふざけた態度を消した柚葉が、優しい笑顔ながらも真っ直ぐな目で、小雛の黒い目を覗き込んでいた。

 柚葉が偶にする、この目が小雛にはどうにも苦手だった。この目の柚葉は、心の奥底まで見通しているようなことを言う。


 柚葉が口にしたことは、真実だ。


 小雛は、小さな商家の娘だった。それなりに幸せに暮らしていたのに、その日々はもう過去にしかない。

 流行病(はやりやまい)で父母も祖父母も倒れた。病がうつることを恐れた周囲の者たちは小雛たちから離れて行った。

 必死の看病虚しく家族は死に絶え、孤独の中小雛もまた病に蝕まれていた。そのときに助けてくれたのが、春馬久良人(はるまくらと)という医者だった。

 彼は遠い異国からやってきたらしく、この地の病についての研究をしていた。そして偶々見つけた小雛(患者)に、祖国の医術を施してくれたのだ。

 それだけではなく、一命を取り留めた小雛に身寄りがないのを知ると、手元に引き取って面倒を見てくれた。

 家族を殺した流行病が、妖魔が撒き散らしたものだと知った小雛が、払魔師を目指したいと言えば、伝手を使って術師の大家(たいか)、橘家に話を付けてくれたのも春馬だ。

 病の後遺症か、日の光にめっきり弱くなってしまって、昼間は出歩けなくなった小雛を案じ、度々診察までしてくれる。


 これだけ良くしてもらって、慕わないのは不自然というものだ。


 ただ、それが真実であっても、他人の口から聞きたくないことというものはある。


「……昔のことは、思い出したくない」

 顔を背けて逃げるように論点をずらした小雛に、一瞬はっとした顔で固まってから、柚葉は途端に狼狽えはじめた。


「ごめんね!そんなつもりじゃなかったの!ごめんなさい!」

 ほとんど泣いている顔で平謝りに謝り倒す柚葉に、先ほど一瞬疑いの目を向けたこともあって、今度は逆に後ろめたい気分が湧き出して、思わず口を引き結んだ。


「もう、いい。気にしてない」

 つい直ぐに許しを口にすれば、柚葉は眉の辺りに申し訳なさを残しながらも、ほっとしたように微笑んだ。


「ほんとにごめんね。でも、小雛ちゃんはもうちょっと自分に素直になった方がいいって思うのは、ほんとなんだよ?」

 偶には気分を変えてみたらどうかな、と言って、遠慮勝ちに髪飾りが差し出された。






「あぁああああ!!すごいよ小雛ちゃん!まるで小雛ちゃんのために(あつら)えたみたいだよ!!すっごくすっごく綺麗だよ!!」

 興奮して褒めちぎる同僚を前に、小雛はげんなりした。


 結局押し負けて、髪飾りを付けた。それだけではなく、柚葉の私物の露草色の付け下げを着せられて、藍海松茶(あいみるちゃ)色の帯を締めることになった。帯留めは髪飾りに合わせて椿。紐は藍色と、いくつもある品の中からこれを選び出すのにものの五秒もかからなかった。恐ろしい手際である。…あれよあれよと乗せられてしまった感が半端ない。

 もしや目覚めてからずっと、この無邪気で能天気に見えている同僚の掌の上で転がされているのではないか。そんなうすら寒い想像さえ浮かんで来る程の素早さだった。


「紺色か…思い切って黒地に、椿の花を入れた着物とかだともっと良かったかもしれないねぇ…」

 うんうん唸ってまだぶつぶつと何やら言っている柚葉を見遣るが、疑いの眼差しは三秒もたなかった。阿呆らしい。この娘はただ単に浮かれているだけだ。他人の好いた惚れたが大好物な、はた迷惑な善意の塊。


「もう、行く」

 ちらりと見た窓の外は、まだ薄明るいものの、いつの間にか空は星が現れ始めていて、小雛は踵を返して戸口へ向かう。


 戸を引き開けて、思い付いて一瞬逡巡してから、首だけ少し振り返った。

「…起こしてくれてありがとう」


 ぽつりと落とした言葉に、きょとんとした柚葉を尻目に、前を向いて後ろ手に戸を閉める。

 数歩廊下を歩いたところで、背後でどたばたと騒音がして、次いで今しがた閉められた引き戸が勢いよく滑る音が聞こえた。


「行ってらっしゃい!」

 追いかけてきた声は騒々しく、いつものように弾んでいた。










「小雛、参りました」

 橘屋敷の離れの障子の前で、膝を揃えて名乗れば「入りなさい」と柔らかな声が返る。

 らしくなく心が浮き立つような感覚を押さえつけて、「失礼します」と声を掛けてから、丁寧に戸を開いて頭を下げた。


「おや、今日はとても綺麗だね。もちろん、いつも綺麗なのだけど、こうして見るとお姫様のようだ」

「…勿体ないお言葉です」


 入るように促されて、入室し、戸を閉めてから改めて向き直る。顔を上げたそこには、男がひとり、柔和な顔で小雛を眺めていた。


 背が高く、色白。身長で言えばその辺りの武人よりも高い、すらりと長い手足をしているけれど、軟弱な印象がないのは、がっしりとはしていないながらしなやかに肉が付いているからだろう。

 顔立ちはすっと鼻筋が通っており、切れ長の目は怜悧とも取れるが、それは無表情だったらだ。微笑みを絶やさない目元は優しげで、印象はとても柔らかい。

 けれどもやや近づきがたいと人が言うのは、淡い白金の髪に深い蒼い目という、異国の色彩の所為だろう。


 この異人が春馬久良人。数年前に小雛を救った医者であり学者である。


「元気そうで何よりだ、コヒナ。君も年頃になったのだね」

 しみじみと頭の先からつま先までを眺められて、小雛は身じろぎした。

「…これは、同僚の私物です。必要ないと言ったのですが…」

 あまり褒められるのは得意ではない。言い訳のように言ってしまって、視線を畳に落としてしまう。


「それは君の友達を称えなくてはいけないな」などと茶目っ気たっぷりに笑う春馬を上目づかいに見て、むず痒い気分になる。初めて柚葉に感謝した。…今度、甘味でも奢ってやろう。


「寮にはもう慣れたかい?」

「ええ、同室の娘がよくしてくれますので」

「それは良かった、今度お礼を言わなくてはね」

「…彼女も喜ぶでしょう」

「ふふ、では暇を見つけて会いに行くよ。そのときは紹介してくれるかな、コヒナ?」

「はい、春馬さま」


 他愛のない会話に安らぎを覚える。これまでずっと張り詰めていた気持ちが解れていくのを感じていた。

 口元が緩んでいる自覚はなく、珍しい微笑みに久良人が「良い物を見たね」と呟いたのに小首を傾げた。「なんでもないよ」と笑って誤魔化す相手に、違和感を覚えて凝視する。


…何が誤魔化そうとしている態度は気づいていたが、もちろんそんなことではない。何かが小雛の感覚に引っかかる。


「春馬さま…どこか、出かけられましたか。例えば、都の外に」

 唐突に尋ねた小雛に、今度は男が首を傾げる。

「ああ、今朝まで西の方へ行っていたんだよ。よく分かったね」


 その答えに口元を引き締める。自分の直感を信じて、改めて春馬の気配を探る。

――――間違いない。なにかが憑いている。


 確かめるや否や、袂を探って、肌身離さず持ち歩いている、呪力を込めた札を数枚取り出して立ち上がる。


「そこを動かないでください」


 そう言った娘からは、もう初々しく照れていた様子は微塵も感じられない。

 張り詰めた弓弦のような、研ぎ澄ませた気配を纏う、払魔師がひとりそこにいた。


 驚いたように一時目を見開いたものの、素直に頷いた春馬を確かめると、徐に弾指した。指を鳴らす略式の祓い。

 続いて、たんたん、と決まった順で足を鳴らす。地を鳴らして場を整える、簡易の結界。


 霊力を宿した文言を唇に乗せようとしたそのとき、春馬の影がにわかに濃くなり、黒い何かが猛烈な勢いで飛び出して小雛に飛び掛かった。


「…っ!」

 息を詰める。だが怖気づいた訳ではない。息を凝らして集中し、指に挟んだ霊符に力を込めると、妖魔へと投げた。

 彗星のように輝きながら宙を舞った札は、避けようと身を捩じった黒いものに吸い寄せられるようにひたりと張り付く。


「があ゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」 

 途端、耳が壊れるのではないかと思えるような濁った絶叫が発せられ、影はそれ以上動けずに床にぼとりと落ちた。

 動きを止めたそれを改めてじっくりと見るも、正体は窺い知れない。妖魔は不定形な黒い靄を身に纏っていて、その中身の細部は見て取ることは出来なかった。かろうじて、腕と脚が二本ずつあるのが分かるだけ。いや、背にも突起がある。あれは翼だろうか。


「何者。何故この方に憑いた」

 気を抜かずに札を構えたまま歩み寄ろうと一歩踏み出す。と同時に、動けないかと思われた妖魔は片腕を跳ね上げて、その掌を壁際に下がった春馬へと向けた。


――――させない!!!

 瞬時に目の前が真っ赤に染まり、激情のままに残りの霊符を突きつける。


鬼魔駆逐(きまくちく)天神百鬼(てんしんひゃっき)退(しりぞ)兇災(きょうさい)(はら)う!急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう!!」


 唱えると共に二枚の霊符が光を放ち、場の隅々までを真っ白に塗り変える。

 暴力的なまでの光がおさまると、黒い妖魔は札を突きつけられた姿勢のまま固まっていた。と、不意にぼろぼろと欠片になって毀れ、すぐに灰のようになって崩れ去った。その欠片も、全て溶けるように消えていく。


 完全に消えてしまって数呼吸後、どうやらこの部屋の中には、もう怪しいものはいないと確信して、小雛はぱしりと指を鳴らして、春馬に向き直った。


「お怪我はありませんか」

 尋ねながら、目を皿のようにして彼の状態を探る。


「…ああ、なんともないよ。驚いたな」

 そう言った青年の言葉に嘘が無いことを確かめて、「申し訳ございません」と頭を垂れた。


 恐ろしい目に遭わせてしまったことが心底申し訳なかった。

 小雛が払魔師になったのは、春馬に危険な目に遭うのを防ぎたかったからだ。

 絶望と孤独の中から救い上げてくれた温かい手を、今度は自分が護るのだと、たとえ妖魔が撒き散らしたのが原因だとしても、病と聞けば患者の許へ出かけていく春馬を想って死にもの狂いで修行したのだ。

 もちろん、妖避けの呪具も渡してあった。それがきちんと効かなかったからこそ、こんなことが起こったのだと小雛は考える。


 消える前の刹那、靄が晴れて黒い妖魔の正体を垣間見た。

 特徴的な嘴と、黒い鳥のような翼を持つ妖。人の大人より随分小柄だったが、間違いなくあれは、天狗と呼ばれる妖魔だ。

 高位になれば土地神として祀られることもある妖だ。


 強い力を持つ妖魔だ。

 だが、そんなことは関係が無いと、湧き出しかけた甘えを切って捨てる。小雛にとって大切なのは、春馬が無事か否かだけだった。


 今回無事だったから良かったものの、次も無事だとは限らない。


――――もう、こんなことは許されない。

 鍛えなおして、もっともっと力をつけなくては。


 春馬に見えないように拳を握った小雛の歯がぎりっと鳴った。


「ああ、謝ることではないよコヒナ」

 柔らかな声が、張り詰めた心に触れる。


「驚いたのは、君が知らない間に大きく成長していたからだ。すごいね、流石はコヒナだ。タチバナの長老が褒めていたのも尤もだね」

 顔を上げたそこにある、柔和な顔を思わず凝視した。


「助けてくれてありがとうコヒナ。さあ、今度はわたしが君の健康を守る番だね」

 そう言って手招きする青年に、大人しく従いながら、娘は密かに決意を新たにした。


――――何があっても、何に代えても、この方を護る。





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