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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
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二十 天狗の実態

まるっと授業回。


「申し訳ありませんでしたあああ!!」

 両手両膝を床につき、ついでに額も床につけて、オレは叫んだ。全力の土下座謝罪である。


 館に返ってきて、着替えて直ぐに師匠の部屋へ向かったオレは、今日あったことの全部を洗いざらい白状して、全身全霊で謝っていた。

 父上の教え曰く「何か相手に求めるなら、先ずは自分の非を清算してからだ」とのこと。これは、父上が四人の妻に愛想を尽かされないために編み出した秘技だ。

 何かやらかしてしまって困った時に、まず自分から平身低頭謝り倒して、それから「宜しければ願いを聞いていただけないだろうか」とお伺いを立てるのだ。


 父上が実行したときの威力は流石のひとことに尽きる。なにせオレが知っている限りではこの手で許してもらえなかったことはない。

 この技が発動する度に、父上は妻たちの許しと、子どもたちの生暖かい眼差しを獲得し、オレたちは将来こんな人になるまいという決意を新たにして、我が家の平穏な日常と子どもたちの健やかな成長が守られていたのである。


 まあ父上の名誉のために言うが、そんなに頻繁ではなかったし、すごい悪事があった訳じゃない。

 出先で色っぽいお姉さんに鼻の下を伸ばしただとか、四の方さまの大事にしてた茶碗を割っただとか、密かに手に入れた好物の干し柿を隠れて自分ひとりで全部食べてしまおうとしたとかそういう小さなことが稀に良くあったのである。

 因みに最後の例で言えば、干し柿は妻筆頭の一の方さまとオレたちきょうだいの好物でもあり、初期段階で勘付いた子ども連合との間で熾烈な争奪戦を繰り広げて、その勝率は決して高くは無く、オレたちが獲得した干し柿(せんりひん)の幾らかは一の方さまに献上していたので、父上の土下座の回数を減らしたのは子どもたち(オレたち)の功績と言えるだろう。子ども心に親の土下座なんてものは見たくなかったしな!


 とまあ、父上の全部を見習いたいとは全く思わないのだけど、今回オレが無実の師匠を疑ってしまったのは確かなので、本題を尋ねる前にまずは謝らなくては気が済まなかった。例え歴代の弟子が全員通る道だったとしても誤解したのはオレで、師匠を信じ切れていなかったオレが悪い。説明不足は言い訳だ。


「別に構わないさ。俺の言葉足らずが原因なのだしな」

 オレが言い終えるまで黙ったまま聞いていた師匠が、顔を上げるように促して、予想通りのことを言った。体を起こして視界に現れた顔は少し困っていた。


「まったくもってその通りだ。三太朗よ、お前があまり気に病むことではないぞ。そしてあるじはもう少し反省したらどうだ」

 師の傍らにいる大烏もまた、その大きな嘴を挟んで来た。

 その声は隠しようもなく忌々しげで、師匠はその諫言に「あー、善処する」ときまり悪げに明後日の方を見た。どうやらヤタさんもなにがしか経験があるみたいだ。


 そうして「よし」と呟くと、「とりあえずは誤解を解くところから始めようか」と切り出した。三つの目がまだ何か言いたげにじっとりと見上げているが、それを気にした様子はもうない。切り替え早っ。


「お前自身は、天狗になるのに何をするものだと思っていた?」

 ちょっと呆れていたオレは急に問われて困ってしまった。

 オレなんかの知識は、知識なんて呼べないあやふやなもので、噂を元に想像を膨らませた代物なんだけど…問われたなら答えるしかないよな。多分正解は期待されてないんだろうし。


「え…と、山奥に籠って滝に打たれたり、五穀を絶って断食をしたり?…昼夜問わず山を走り回って体を鍛えたりとか?」

 なんか人里離れたところで修行をする、みたいな印象しかなかったので、なんとか具体的に膨らませてそう答えてみた。


「あー…なるほどな…。人間はそういう風に思っているのか…」

 オレの回答に対する反応は微妙だった。納得半分に感心半分みたいな顔をしてる。というか、オレの意見が人全体の代弁みたいに考えられても困るんだけど…。まあ、その辺りは今は問題じゃないよな。


「あるじよ。もしや若天狗の修行を勘違いしているのではないか。幾らかはそちらに似ていよう?」

「ん、いや、強ち間違いとは言い切れんさ。うん、よし」


 ふたりで何か相談していたと思ったら、三太朗、と声が掛かった。向き直った師匠はいつも通りに微笑んでいた。

「結論を言えば、お前の言う修行をしても天狗にはなれる」

 一応正解みたいだけど、含みを持った言い方にオレは首を捻る。そこへただし、と言葉が続いた。


「俺はそのようなものを課す気はない。山に籠るというのはまあ、今やっているから置いておくとして、滝に打たれるというのは季節柄許可できないな。水が冷たすぎて体調を崩すぞ。それに育ち盛りで五穀を絶つだの断食だのというのはもっと駄目だ。心身の成長を妨げるし、物を食わねば病にも罹りやすい。それに体力も減り、並行して武術の訓練も出来なくなる。同じ理由で夜はきちんと眠る時間が必要だし、人は夜目が利かんから夜の山に出るのは危ない」


 うーん…言われていることは正論中の正論なんだけど…そもそも修行ってそういう体の色々を超越するために行うものなんじゃないのか。それが必要ない…?てか山籠もり、今してたの?今は山に住んでるって言わないか?山籠もりって山から出ないだけでいいの?衣食住の充実したこんな至れり尽くせりの生活で山籠もりしてますなんて言ったら他の山岳修行者の皆さんにぼこぼこにされそうなんですけど!?


「あの、師匠。ということは、天狗になるには、たくさん食べて、きちんと寝て、無理なことはせずに健康体でいる…のが必要って聞こえるんですが。あれ?でもさっきのでも天狗になれるって…?」

 混乱してきたオレに、師匠は順を追って話そう、と言った。


「先ず、天狗というのはな、地に棲みながら天の"()"をも扱える種族だ。地のものは地の、天のものは天の属性を持つ中で、地に生まれながら天地のどちらにも属する存在なのが、我らだ」


 天と地、なんていう世界規模の話をされても、いきなりは理解が追いつかない。目を回す思いをしながら、なんとか話を咀嚼しようと試みた。


「天と地に属する…?地のものは地…ええと、天狗以外のものは、例えば人は、地に属する?」

 師はそうだ、と頷いた。

「人は地に生まれ、地に属する。他の獣も、魚も木々も同じく。ただ、鳥は少しばかり天の霊を持つが、それも微々たるもので、地の方が比べるべくもなく強い。まあ、天から降りてきたモノの末裔などはその限りではないが、地に生きているものは地に属すると見てほぼ間違いはない。ところで、地に属する人が天狗になるには何が必要だと思う?」


 おっと、またもや不意打ちの質問だ。オレは必死に考えた。

「え、と、天の属性を、獲得する?」

 その通りだ、と師匠はすごく嬉しそうに微笑う。

「つまりはそれが、天狗になるのに必要な要素という訳だ。大まかに言えば、だけどな」


 オレは戸惑って目を(しばたた)いた。

 オレが言った修行法でも、天狗にはなれるって師匠は言ったけど…天の力を得る為にしてる修行なのかというと、そうではない気がして仕方がない。

「天に属するって、あの、つまりどうしたら良いんでしょう」

 手がかりは今までの話で示された気がしたけど、結局さっぱり分からなくて眉が寄る。


 困った顔を見ても師は穏やかに微笑ったまま、慌てなくていい、と言った。

 そして(おもむろ)に横を向くと、ヤタが差し出した筆を手に取った。

「まずは、天地の霊の流れの話かな。それぞれそのままだが、"天流(てんりゅう)""地流(ちりゅう)"と呼ぶ」


「はい、…あの」

 するすると筆を走らせて『天流』『地流』と書かれた文字を目で追う。しっかりした読みやすい字だ。けどちょっと待ってほしい。


「天流は、空を流れる霊のこと。太い流れから細く枝分かれして、(あまね)豊芦原(とよあしはら)中に降り注いでいる。だがその枝流は、太さがそれぞれ異なる」

 すっと真横に線が引かれた。そこから、細い線がすっすっと下へ伸びる。よく見ればちゃんとそれぞれ太さを変えてあった。

「図解…わかりやすいです。でも、あの」

「それは良かった。地流は、大地を流れる霊。地の底から太い流れとなって湧き上がり、地表近くに溜まってそこから分かれた細い流れが網の目のように地の(おもて)を走っている」


 今度は下から太い線をいくつか引いて、細い横線をいくつも重ねて蓋をした。今気づいたんだけど、筆に含んだ墨が切れない。多すぎず少なすぎない量が常に筆から湧くように現れて、自在に白地に黒い線を引いていく。

「ええと…はい…」

「湧きあがった地流の直上には、霊の溜まりができるんだが、これを"地穴(ちけつ)"と言い、地流の交差するところを"交点(こうてん)"又は"結節点(けっせつてん)"と呼ぶ」

 『地穴』『交点 結節点』と書き込まれる。その黒々とした文字を見てオレは、もう手遅れかな、と思いながらも言葉を差し挟む隙を窺う。



「地を這う流れはやがて、降り注いだ天流に行きつき、その流れを伝うようにして、天へ向かう。これを呼んで"流穴(りゅうけつ)"。これが面白いことに、天流と地流の太さは等しい」

 上から伸びた線に、同じぐらいの太さの線が下から沿うように書き加えられていく。更にその横に『流穴』と文字が添えられた。


「この流穴のある場は、天地が混じるところ。地でありながら天に近い。その所為か、地が高くなっている」

 図の縦線が並ぶ場所に、への字型に曲線を描いて、師匠は振り向いた。

「つまりはこれが山だ…どうした?解せぬことがあったか」


 何とも言えない顔をしたオレに対して、師匠はなんだがすごく嬉しそうだ。

「いえ、説明はとっても解り易かったんで、内容について質問はないんですが…あの、壁に書いてよかったんですか…しかも墨で」


 そうなのだ。師匠は筆を取ると、真横の白壁に図を描いて説明をしてくれていたのである。

 いや普通はこんなこと言うのは立場が逆じゃないかと思うんだけど。大人が壁に悪戯書きをしている子どもを叱ることはあっても、逆ってなんだよ。何とも言えない気分になるが、言わずに居れなかった。


 実家では壁に墨で落書きしたら、腫れる程尻を叩かれて次の食事が抜きになった。いや、やったのはオレじゃなくて一の兄上で、下の弟妹を集めて昏々と言い諭していた。「俺はめちゃくちゃ後悔したからお前たちは絶対にやるな」とありがたい忠告を最後に付け加えて、ふっと寂しげに笑ったものだ。

 そりゃ消そうとした全部の努力虚しく、ちっちゃい頃に書いた『す`れちいきよう』なんていう文字を大人になって眺める羽目になれば誰だって後悔するものだろう。眺めるだけならまだしも、下の弟たちが面白がってずっとからかいのネタにしてくるのだし。いやだってすげぇ解り易く絶望顔になるんだもん。


 まあそれは置いといて、とにかく書くなら壁ではなく紙、というのは、オレにとって最早刷り込みに近い。というか常識ではなかろうか。

 だがオレと壁を見て、師は「ああ、問題ない」と言った。


「ここまでの説明でお前なら分かるかもしれんが…」

「ってしれっと授業に戻るんですか!?」

「そうだぞ、あるじよ」


 師の言葉を遮るなんて、弟子にあるまじきことだと直ぐにはっと固まったけど、文机に飛び乗ったヤタさんが、逆に高遠を責めた。

「人の常識とは違うところがあるなら、最初に言葉を惜しんでは尾を引くぞ。こやつはあの馬鹿者と違う。同じに扱うべきではない…あるじはこういうところが抜けておるのだ」

 あの馬鹿者?気になって首を傾げている間に、むう、と黙った主人を尻目に、カラスはくるりとこちらに向き直った。


「三太朗よ、今のは良かったぞ。もっと言ってやれ。遠慮などいらぬ」

「そんな扱いで良いんですか!?」

 まさかの後押しである。師匠も気分を害したとかより「あーやってしまった」みたいな感じで苦笑いしている。…え?ほんとにいいんだろうか。


「うちの壁は墨の文字を消すことができるから、帳面替わりに壁を使っても別に構わない。紙が勿体ないとか言って壁に漢字の書き取りをしていたやつもいたからな」

「書き取り!?」


 壁に漢字の書き取りとか悪戯書きとは次元が違う。堂々と何やってるんだそのひとは…。と呆れかけてちょっと思い直す。確かに書いても消せるんなら、紙の節約になると言えばなるような。…うん、オレの今までの常識というものは天狗になるには余計な物なのかもしれない。


「余所ではやるなよ?流石に行儀が悪いからな」

 行儀が悪いっていう感覚はあるみたいで、変な話ちょっと安心する。行儀とかそういう問題なのかとか、細かいことは丸っと全部置いておくことにした。

 こちらの常識を身に着けるんだから、あっちの常識は置いておいても問題ない。ないったらないのだ。もし問題になるとしても今じゃないのは確かだ。未来のオレ、頑張れ。


「わかりました。中断して済みませんでした。えっと、山に流穴があって、天に近い。ということは、山に籠るというのが要点なんですか」

 問題を全部未来にぶん投げて、やや強引に話を戻す。


「その通り。山にて天流に触れ霊を身に取り込めば、上手くいけば天狗に変じる。といったところか」

「上手くいけば、ですか」

 何やら不穏な言い回しである。失敗する場合もある、みたいな。


「そう、上手くいけば、だ。山に籠って己が帯びた地の属性の気を抜き、代わりに山に満ちた天の霊を取り込む。地の霊を入れぬように食を絶ち、天の霊を取り込むために山の高所を駆けて身を馴染ませ、降り来る天流に(なぞら)えて滝に打たれる。そうしたとしても、地の気が抜けるのが不足ならば、鬼の類か影魔(えいま)に、天の霊が多すぎれば身を離れて精霊の類に、また山に馴染み過ぎれば木霊(こだま)やらそういう山に住まうモノになってしまう。そして、そういうものになれば自我もほぼ抜けてしまうから、自分が何か分からなかったり、生前の(・・・)一番強い想いに引きずられる」


 オレはぎょっと身を引いた。自分が何か分からない?生前?って、え?

「生前って、死ぬってことですか!?」

 人でなくなるのを望んでいても、死にたくないんですけど!?


 返ってきたのは、珍しくうーん、と悩むような声。

「まあ、物の怪に変じるということは、死ぬとは言えんが、生きている、というのも言いきれんな。なんというかこう、別の存在になるんだ。天狗に上手く成れれば、自我も記憶もそのまま持って行けるが…変じた瞬間から別物の生が始まると言えばいいか。言い替えれば、死を挟まずに生まれ変わる、という感じだ。だから、人から成った天狗は、変じた日から年を数える風習がある」


「生まれ、変わる…」

 オレは思わず小さく呟いた。

 別物の人生。今までの自分でなくなる。

 それは先から知っていたものだ。とっくに納得して飲み込んだ上で弟子にしてくれと乞うた。生半可な覚悟で天狗に弟子入りなんてしない。

 だけど改めて聞くと、途端に渦巻きはじめる様々な想いと感情はどういうことだ。そんな自分に苛立って、もやもやと曇っていく混沌とした心から、強引に希望と喜びと決意だけ掴み出して、他全部に強引に蓋をした。


 オレは、決めたんだ。何に迷ったってそれだけは迷わない。


「…では、オレも天狗になれないかも知れないんでしょうか」

 黙った時間は一呼吸に満たなかった。高遠師匠もヤタさんも、不審に思うことはなかったようだ。師匠が大丈夫だ、と口を引き結んだオレの頭をぽんぽんと撫でた。


「昔はそういう方法で修行をしていたがな、時間がかかる割に成功率が低いということで、もうそういうのは下火だ。今の主流はこれだな」

 天狗が懐から取り出したのは、小ぶりの銚子(ちょうし)に似た容器だ。

 ことりと音をたてて机に置かれたそれは、口のところに白革で蓋をされて、黒い紐で封をされているのだが、その白革にはびっしりと細かく黒い文字が書き込まれていて、おどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。


「なんですか、これ」

 恐る恐るちょっと近づいて見てみる。文字は見たことが無いものばかりで全く読めない。

「これはな、平たく言えば天狗に成る薬だ。これを使うなら修行などいらん。他の何かになる恐れもない。ただ飲むだけで天狗に成れる」

「そんなお手軽に成っていいものなんですか!?」


 仰天して思わず叫んだオレの目の前から、薬がひょいと摘み上げられた。「あー」と、無意識に物欲しそうな声が出てしまって赤面した。

「ただし、充分に天の霊に慣れる必要がある。でなくば、変じる際に多大な苦痛を伴う。下手をすれば頭が狂って廃人になる。悪くすれば死ぬ」

「全然手軽じゃなかった!?」

 ってかこええ!!気が狂って死ぬほど痛いってどんなだよ!!そんな死に方絶対嫌だ!!


 引きつった顔をつついて、「大丈夫だと言うのに」と天狗は面白そうに笑った。

「時期は俺が計る。不足な内は飲みたいと言っても許しはしないから、お前は心配せずとも良い」

「…はあ、分かりました。ほんっっとうにお願いしますね」

 任せておけ、と頷く師匠には、全く気負いも危機感も伝わってこない。全くの自然体に、強張っていた体から力が抜けていった。


「これで分かりました。天狗になる修行について教えてくれなかったのは、そんなのは必要無かったからなんですね」

 薬について教えてくれなかったことには思うところも無いではないが、多分今までも薬を飲めるかどうか見てくれていたんだろう。

 好意的すぎる解釈だとはもう思わない。オレは、師匠を疑うことに懲りた。だからもうとことん信じてやる。その代わり、納得できないことがあれば全部はっきりさせるまで訊くと決めた。


 密かにそんな決意をしているなんて気付かずに、師はまた筆を取った。

「まあ、そうだな。天狗に成るに修行は必要ないが、成った以後は必要になる」

 するすると書かれる文字を、オレはきょとんと見た。


「長、大、飛…?」

「これは天狗の階級だ。上から順に『(おさ)』『(だい)』『()』『(いろ)』『(からす)』『()』『(つばめ)』『(すずめ)』。それぞれに敬称として、天狗、と付けて呼ぶのが普通だ。大位なら『大天狗(だいてんぐ)』飛位なら『飛天狗(ひてんぐ)』とな。だがまあ、最後の燕と雀は、雛のことだな。最初は雀で、術やら内経で何か出来ることがあれば、燕と呼ばれて褒められる。その程度のことだから、最初は実質小天狗(こてんぐ)からだな」


「へえ…あの、師匠。こっちに書いたのはどういう位なんです?」

 今まで説明のなかった最後のひとつを指さして訊いてみた。それは、ずらっと縦一列に書かれた文字群から外れた斜め上にぽつんと置かれている。


「これは、久那(クナ)。天狗の(かしら)だ」

 どこか恭しくその文字を指でなぞり、噛み締めるようにゆっくりと静かに口にされる言葉。


「全ての天狗の(おや)にして導き手。中央にして頂点。神にも等しい至尊の位だ」


 見たことが無い種類の笑みを浮かべた師匠は、こちらを見ない。ただ一点だけを見て言葉を続ける様子は…知らない他人のように見えて、何だか心細いような変な気分を掻き起こす。


「久那の一族の長が『久那』だ。成り立ちは逆で、久那が率いる血族だから、久那の一族と呼ばれている。どう頑張っても、血を引かぬ者には成ることができない位だから、お前が成るとしたら最高位で『長』だな」


 そう言ってちらりとこちらを見た師匠は、もういつもと同じ顔に戻っていた。…何だったんだ一体。

 なんとなく目を合わせるのを避けて文字を眺めながら、不安の残り香を誤魔化したくて口を開いた。

「師匠はどの位なんですか?」

「ああ、俺は…長だ」

「ふぁ!?え!一番上!?すっげぇ!!」

 思わず驚いて見上げれば、師匠がちょっと照れたみたいに目を逸らして頬を掻いていた。

 このひとが一番上か!いや確かに実力者っぽいし、考えてみれば納得だよな!

 なんだか少し誇らしい気分になって、壁に書かれた階級表をもう一度見上げる。


「天狗にも階級制度があるなんてびっくりしました。やっぱり上に行くほど偉いんですか?何か特権的な物があるとか」

 なんだか人間と似てるな、と思いながら呟いたそのとき、ふと師から負の感情を感じた気がして、思わず振り返った。


 高遠師匠はさっきと一転して眉を顰めて、苦い顔で文字を見ていた。いや、(はた)から見るとほんの少ししか普段とは変わらない顔なんだけど、漂い出てくる感情を伴って見れば、いつも朗らかなこのひとに似つかわしくない苦々しい表情を確かに見つけた。


 落差に呆然としながら、半ば無意識に伝わってくる感情を分類する。

 これは、何だ?悔しさ?苛立ち…怒りと、あとは……

 そこまで読み取って、ぞくりと背筋を冷たい何かが走った気がした。オレがかつて触れたことが無い、真っ黒な何かが、潜んでいる。


「…天狗は実力主義で、力が認められれば上の階級が与えられる。上の言うことは絶対服従を求められるから、出来るならなるべく上を目指せ。上になるほど真面(まとも)なやつは増えるが、中には力に驕って権を振りかざす者もいる…」


 そこまで言ってふとオレが見ていることに気が付くと、「不安がることはないさ」といつもの微笑を湛えてオレの頭を撫でた。同時に暗い感情は霧散して、もういつもの師匠に戻っていた。さっきのが、夢だったかのように。


「俺はこれでも、教えるのには一日の長がある。試験については良く知っているから、お前は心配せずに真面目に励めばいいんだ。(じき)に、妙なやつより高い位に合格できるさ」

「あ、はい…って、試験?合格?」

 動揺を隠すのに懸命で聞き逃しかけたけど、なんか天狗に似つかわしくない単語が混じっているぞ?


「そう、試験だ。一年に一度、飛天狗までの階級の昇格試験が行われる。正式には『天狗協会昇位てんぐきょうかいしょうい(ためし)』と言う。受験資格は師が許すかどうかで決まるから、充分に鍛えてから受けさせてやる。だから安心して励め」

「は…え?試験に合格したら階級が上がるっていうことですか?ていうか協会!?そんなのがあるんですか!?」

「ああ」


 たくさんの疑問全部をひとつの肯定で片づけて、ほら、と沢山の本を目の前の床に広げ始める。

「え…何ですこれ。『これさえ出来れば怖くない 鴉天狗試験』『要点集中 小天狗試験のすゝめ』『一問一答 飛天狗筆記完全対策』『色天狗試験実技~希望の色紐を得る為の早道~』『まずはここから 応用に繋がる術式基礎』ぉお?」


 そこにあったのは、受験対策必読書の数々であった。


 目が点になりながら、本をただ眺めていると「三太朗よ」としわがれた声が聞こえた。

「これらは余所から手に入れた物ではない。あるじが書いたものであるぞ」

「はい!?」


 ばっと師匠を振り返れば、少し自慢げにまあな、と笑った。

「これで中々売れているんだ。本当は師が合格まで導いてやるものなんだが、自身は優秀でも教えるのが不得手な者もいるし、受験生は今は師がいても大体こういう本を参考にしながら一年程度は必死に勉強するみたいだな。まあお前には直接指導してやれるから、そんな詰め込みは必要ないようにやっていくので恐れることは…どうした?」


 オレは頭を抱えていた。想像と現実の落差が激しすぎて。


 山伏のような装束で赤ら顔に長い鼻、見上げるような体躯に加えて一本歯の高下駄。手には葉団扇背には翼。空を駆け山に棲み、風を起こして雲を呼び雨を降らす、金剛力を持つ破天荒。恐ろしくも大きな力を持った妖。

 この山に来てから段々と変わりつつあったけれど、確かにあった威厳溢れる天狗の想像図。


 だけど現実は、修行なしで薬ひとつで成れる。協会でまとまった縦社会に、階級を上げるために受験…。

 オレの想像力は、忠実に聞いた情報を取り入れて、天狗像に付け足していく。教科書を片手に必死に机にかじりついて勉強をしている鼻の長い、赤ら顔の天狗。額には『必勝』と書かれた鉢巻を巻いて、傍らの壁には『あと四十三日』とか書いた紙が貼ってある。


 溢れる残念感。逃げていく威厳。想像図はやはり想像上にしかいなかった。

 ひしひしと感じるコレジャナイ感と闘いながら、やっとオレは顔を上げた。

「なんでもないです…」


 そう答えるしか出来なかったオレを、どうかそっとしておいてほしい。



活動報告に、三太郎のラフイラストを載せています。

あくまで作者イメージですので、興味がある、見てやんよ!という方はどうぞご覧下さいませ( ´▽`)

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