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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
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幕間 長雨

高遠さんが雨を止ませた一方その頃、人間の村で。

 ざああ…

 強まり、少し弱まり、しかし次には更に強まって、途切れることなく降り続く雨。耳の裏にこびり付いていつまでも離れない雨音を避けるように、屋根の下に幾つもの顔が額を突き合わせていた。


 その中央に光るたったひとつの光源は、家々から持ち寄った貴重な灯火だ。ひとつが燃え尽きかければ次をひとつ。それが弱まればさらにひとつと、弱々しくとも繋ぎ繋ぎ夜通し灯され続けた灯に浮かび上がるのは、疲れきり、怯えた陰気な顔ばかりである。

 一晩中話し合っても、悲惨な現状の突破口が、出来れば避けたいひとつしかないことを確認しただけに終わり、そのひとつも藁に縋るような頼りない話でしかない。それをここにいる者はひとり残らず分かっていて、暗く重い空気の中で皆肩を落としている。


「……まだ、止まん。田植え前だというに、もう苗が腐る」

「川の水嵩も増すばっかだ。下の方の畑はもう水に浸かっとる。平次んとこの家も、そろそろ危ねえ」

「菜物ももう限界じゃあ。種まいたばっかの土もみんな流れちまう」


 ぼそぼそと、分かり切った現状を力なく報告し合う。

 どうしようもないということをもう一度確認する。それが無意味だとわかっていても、せずにはいられなかった。


 話し合われるのは、季節外れの長雨が齎した害。

 この時期の種や苗には水が要る。例年であれば、待ち望みこそすれ厭うことなど無いはずの恵みの雨が、今年に限っては牙を剥いていたのだ。

 普通であれば三日続けて雨が降っても、全くとは言えないが問題はそれほど無い。だが、今回の雨は普通ではなかった。


 降り始めの日は、しとしとと長く降り続くだけのものだったのだが、それが段々と大粒になり、水滴の数も増し、一晩明ける頃には出てすぐの井戸さえ霞む程の大雨となっていった。

 さらに雨は度々勢いを増し、水桶を引っくり返したかのような豪雨となった。畑や川を案じて見守る者らが、やがて少々弱まる雨に胸をなでおろすと、安堵をあざ笑うかのように、屋根が落ちるのではないかと思えるような勢いでまた降るのだ。


 作物が駄目になるというのは、農業を営むこの集落にとっては生きるか死ぬかの問題である。

 今は備蓄があったとしても、寝ても覚めても降り続ける雨は、夏に秋に食糧へ変わるはずの種や苗を押し流し、貯蔵していた食糧さえも腐らせてしまう。

 それどころか、降った雨は川で束なり、空恐ろしい程の濁流となって渦巻き、今にも溢れそうなほどに荒れ狂っていた。

 このままでは飢えて死ぬことになる。悪くすれば、水に流される恐れもあった。だから、最後の手段を講じるか否かを話し合うために、寄り合いが設けられたのだった。


「もう、自然に止むのを待ってはおれん」


 村の長が、重い口を開いた。次の言葉を待って生まれた静寂を、降り続く雨音が埋めていく。

 どこかで雷が雲の中で唸るのが聞こえた。


「人身御供を立てる」


 ああ、と同意とも溜息ともつかぬ呟きが場を漂った。

 仕方がない、と言う者。ただ呻く者。首を振る者。その中から、不安げな声が上がった。


「でも長。お山さまは祭の夜以外に供物は取らねってうちのばっちゃが言ってたぞ。下手してもっと悪いことになんねえもんかな」

 お山さま、というのは、この一帯で古くから信じられている土地神だ。この村からもよく見える、どんな日でも晴れない霧を纏いつかせた山。その(いただき)に棲むと言われ、若しくはその山自体であるとも言われる、災害と怪異から守ってくれる神。


 この村では、災害が起きる度にお山さまに鎮めてくれるよう願ってきた。言い伝えられた話では、願いが聞き届けられれば、たちまちのうちに日照りの空が掻き曇って雨が降り、吹雪は和らぎ、山火事には神風が吹きつけてそれを消し、長雨はたちどころに止んで晴天をもたらしたという。そうして、天災を鎮めてくれたお礼として、その年の秋祭りには、村外れにある祠に供物を捧げてきたのである。


 今回の雨でも、土砂降りの中祠へ祈願に行く者は多いが、物を捧げて願うことはない。

 そして、未だに雨が止む気配などかけらもなかった。

 ならば、一か八か祠へ供物―――生贄を捧げて、今すぐに雨を止めてほしいと願おうというのである。


 その声を聞いた村長は、重々しく頷いた。

「そうだ。下手をしたら、お山さまの機嫌を損ねて罰が当たるかもしれん。だから今度ばっかりは水神さまに祈る。そんで大水(おおみず)が止まったことがあると聞いた」


 場がざわめいた。即効性があるから、という噂を当てにして、代々大切にしてきた土地神以外の神へ縋ろうというのだ。

 戸惑う顔が見合わせられ、それこそ神罰が下るのではないかと不安げに囁き交わす声がそこここで聞こえてくる。


「ちっと言わせてもらうがね」

 声を上げたのは、集落を回って商いをする行商人で、今回運悪く雨で村に閉じ込められていた男だった。


「余所では、雨の害があるなら大概は水神さまに祈るもんさ。他にも、豊作を祈念するならお天道さまだとか、勉強の神さまやら戦いの神さまやらもいて、それぞれ場合に合わせて祈る神さまを変えるもんなんだ。ここみたいに全部の願いごとをひとりの神さまに祈念するなんて聞いたことがねえや」


 男の言葉に、村人の中から声が上がる。

「そん場所では、沢山の神さんに祈っても、罰が当たったりしねえんか」

「そんな話は聞かんね。というか、この村の神さまは他の神に祈ったからとかいう理由で罰を下すのかね?」


 村人たちは顔を見合わせた。そんな話は聞いたことが無い。というより、やってみたことがないので分からないのである。

 

「そういうわけだ。こんままじゃ、どっちみちこの村は終わりじゃ。なら出来る限りのことは試してみようと思う。それより何かいい方法があるなら、遠慮なく言ってくれ」

 村長の言葉に、答える声はなかった。






 暗闇の中、衣織(いおり)は冷や汗をかいて飛び起きた。

 胸を突き破るのではないかと思う程心臓が激しく拍を打って、自分の耳にもどくどくと音が響く。

 苦しさに大きく息を吸えば、拍動の向こうで聞こえていた音が止む。無くなって初めてあったことに気付いたその音は、自分の喉から迸っていた叫び声だったことに、そのときになって漸く気付いた。


 寝ながら発した叫び声にも、家は静まり返ったまま、動くものが居る気配はない。

 それも当たり前だ。衣織を引き取った老夫婦は、先月流行病(はやりやまい)でこの世を去った。今この家には衣織以外住んではいない。

 声が外に聞こえたならば近所の人が様子を見に来そうなものだが、その心配はそもそもする必要が無いだろう。

 中々盛大に叫んでしまったけれど、隣近所までは畑を挟んでかなりの距離があるし、普段ならともかく今なら衣織の声が届いているとは思わなかった。

 

 まるで滝の下にでもいるかのような音は、雨が屋根を叩く音。

 まだ梅雨ではないはずなのに、少し弱まることはあっても、決して途切れることなくこの三日間降り続いているこの雨。いや、もう朝が来るのならばもう四日目だ。

 その音は轟音と言える程のものだけど、もう聞き慣れてしまって眠ることには問題ない。ただ、幸いなことに衣織の叫び声がかき消される程度の音量はありそうだった。


 暗い家の中で、起き上って薄い掛布ごと膝を抱きしめた。

「夢だ…夢。夢に決まってる…」

 どくどくと脈打つ心臓に沈まれと念じながら、膝頭に額を付けて目を瞑った。

 ぎゅっと瞑った瞼の裏に、不気味なほど鮮やかに、飛び起きる羽目になった夢の情景が浮かび上がる。

 


 まず聞こえるのは不気味な音。何か恐ろしく巨大な獣がうなるような、家さえ吹き飛ばす程の大風が吹き荒れるような、寒気を催す音だ。

 何事かと外へ出た者たちは、一様に一方を指さして叫ぶ。その先にあるのは山だ。村を囲む内の西側の山。薪を拾い、栗を拾い、茸や山菜を採りに入る、村の者も良く知った山。雨にけぶる中で影そのもののように真っ黒に聳えたそれは、村人が見ている前で身震いをするのだ。


 そうして始まる破壊。


 轟音を立てて山を駆け下りてくる巨大なものは、さながら茶色の巨大な竜。(あぎと)は三つに割れて、近い順に田も畑も納屋も家も人々も容赦なく飲み込み、噛み砕き、吹き飛ばす。

 そしてそれが通り過ぎた後には何も残らない。家も畑も人々も。


 そうして、衣織の住む村は、消えるのだ。



 やっと鼓動が落ち着いてきて、大きく息を吐いた。

「夢よ。夢なの」

 しっかりした声を心掛けて言ってみるが、耳に入った声はいかにも弱々しかった。言った自分自身が一番信じていないのだから仕方がない。


 衣織にはこういうことがよくあった。寝ている間に見る夢や、真昼にもふとしたときに白昼夢として垣間見る。立ち上がったときにくらりと目の前に一瞬だけ(よぎ)ることもあった。


 そういう時に決まって見るのは、少し先の未来、それも(わざわい)の類のみだった。自分にふりかかるものだけでなく、見たことも無い町に疫病が流行るのも、遥か彼方の蒼竜京(みやこ)を大火が襲うのさえも見た。


 幼い頃、まだ両親と町に住んでいた頃に、地震で家が潰れるのを幻視して泣き叫んだことがある。あまりに切羽詰った声で泣くものだから、両親は冗談交じりに親子三人で散歩に出て、その先で本当に地が揺れたのだ。揺れが収まり、まさかと思って取って返した先、家はものの見事に崩れて、しかも火の手が迫っていた。

 命は助かったけれど、家を含めた財産の全てを失くして呆然とした父と母が、気味の悪いものを見る目で衣織を見たのがもう五年も前だ。


 行商として家族三人で旅をして半年。立ち寄った先の村で、老後の面倒を見てもらおうと子どもを欲していた壮年の夫婦の下に置いて行かれた。

 それから三年と少し。十二歳になった衣織は、夢のことは誰にも言うまいと固く誓って、とりあえずの平穏を手に入れて暮らしていた。平穏には孤独が当たり前のように付き纏っていはしたが、平穏で無事なのは確かだった。




 それから暫くして、分厚い雲の所為で薄暗いが、完全に日は昇っただろうと思われた頃。やっと動く気になって、のろのろと身支度をした。

 飛び起きてから一睡もできなかったが、なんとなく気分が重くて寝床から出られなかったのだ。


「やることなんて、それほど無いんだけどね…」

 裏の畑の世話はもちろん出来ない。水汲みは、(たらい)と桶を外へ出せば事足りるだろう。拭き掃除をして、大根と芋で嵩増しした稗の粥を炊いて、あとは繕いものでもしようか。


 いや、そんなことより逃げるべきだろうか。それも他の村人に報せて回って…。

「…信じてもらえるわけないじゃない」

 話半分にはいはいと流されるか、滅多なことを言うなと怒られて終わり。現実に起これば、まるで化け物でも見るような目で衣織を見て、そして、衣織がその災害を起こした元凶だと実しやかに噂するのだ。


 どうせ良かれと思って教えたとしても、全部衣織の所為になるのだ。

 だったら、一人でこの里を離れても良いような気がしていた。


 衣織は身の周りの物をまとめ始めた。

 あまり時間はないかもしれない。今となっては布団でぼんやりしていたのが悔やまれる。

 音が聞こえはしないかと、時折耳を傍立てながら、とりあえず必要そうなものを油紙で包んで、背嚢と蓑を出したところで、何人かの足音と話声が聞こえてきた。


 よもや、一人で逃げ出そうとしているのがばれたのではないだろうか。そう一瞬思ったが、そんなことは他人には分かるはずはないのだ。では、どうしてこの家に人が集まるのか。


「衣織よう、いるか」

 そのとき、外から隣に住む吉佐の声が聞こえてきた。

「……はあい、今開けます」

 少し躊躇ったものの、やはり駄目で元々でもあの山津波のことを教えてみようと思い直し、戸に交いでいたつっかえ棒を外しに出た。


 戸を開けると、吉佐を先頭に、びしょ濡れになった男たちがずらりと並んでいた。

 思っていたよりも多く、十人以上の村人がいるのに、驚いて目を丸くする。


「皆さんお揃いで、どうしました」

「いや、お前にちと話が…おい、あれはなんだ」


 衣織越しに家の中を見た吉佐の声が尖る。はっとして振り向くと、そこには纏め途中の荷物が転がっていた。

「まさかお前、逃げるつもりか」

 聞いたことも無いような冷淡な声で、しかも図星をさされてぎくりとした少女を見て、みるみる内に怒りの形相に変わった男が、がしっと細い両肩を掴んだ。


「誰から聞いた!」

「え、何を…?」

 その剣幕に、夢の話をすることも忘れて、ぽかんと聞き返した。それに男は更に声を荒らげる。


「恍けるんじゃねえ!聞いたんだろう!お前が贄に選ばれたことを!!だから逃げようなんて思ってたんだろうが!!」

「は…?」

 寝耳に水の話に呆けた隙に、何本もの腕が衣織へと伸びた。


「え、嫌!離して!!」

 雨の中へ引っ張り出されそうになって初めて、はっと気づいてもがくが、腕はびくともしない。衣織が暴れるのを見て、更に足が掴まれて、持ち上げられるようにして外へ連れ出される。


「可愛そうだが、村の為なんだ。すまんが、水神さまをお慰めしてくれ」


 外で待っていた村長の声に、水神への生贄に自分が選ばれたことを知る。その静かな声に、暗い穴のような目に、彼らの本気が垣間見えて、恐怖が身を駆け巡る。

「どうして、嫌です!!嫌なの、私…!!」

 とにかく声を上げて身を捩るが、当然抜け出すことなど出来ない。逃れようと無我夢中で肩口を抑えていた手の一つに噛みついた。


 不意打ちに、ぎゃあ!と悲鳴を上げた男が慌てて手を放し、それに気を取られた周りの者の手が緩んだ隙に腕一本をもぎ離して、無茶苦茶に腕を振り回し、脚をばたつかせて暴れる。


 しかし、男たちの力には敵わず、泥の中に抑えつけられ、のしかかられて頭も押さえつけられる。頬を水たまりに浸したまま、離して、と泣きながら訴えた。


「すまんが、柱が必要なんだ」

「このままでは村が滅ぶ。人の為だと思って勘忍してくれ」

「墓は立派なのを立ててやる。…すまん」


 勝手な都合を押し付けてくる村人たちに、これはもう決まってしまったことなのだと、悟ってしまった。絶望が心を黒く塗りつぶしていく。


 もう、いい。何をしたってどうせこの村を山津波が襲うだろう。衣織ひとりを犠牲にして、助かろうとした者たちは、衣織が黙っていれば、逃げることもできずに根こそぎ死ぬのだ。


別に、教えてやる義理なんてないのだし。もうそれで良いじゃないか。


 抵抗を止めて力を抜いた衣織に、聞き届けてくれたか、と嬉しげに村長が安堵の声を上げた。



「それでは、川へ向かおう…なんだ?」

 腕を引かれて立たされて、いざ連れていかれようとしたとき、一条の光が空を走った。


 はっとして顔を上げたその先で、光が雲に覆われた空を一文字に横切って行く。

 光の線は、引かれると雲を切り裂き、細切れに砕いて、どんどんと太くなる。


 線と思えた光は、暗い雲から覗いた、光あふれる青空だったことにふと気づく。そのときには、もう雲は千切れて殆どなくなり、先ほどまでの大雨が嘘のように、さんさんと降り注ぐ日の光が、そこここの水たまりを煌めかせていた。


「お山さまじゃあ…!」

 跪いた村長が、光の線が始まった方向を拝む。

 ばらばらとそれに続いた男たちを眺めて、衣織はゆるゆると同じ方へと顔を向けた。


 途中までをまるで衣を纏うかのように霧に隠れた、ひと際高いそれ。

 お山さまの住まう霊峰とされる山。白鳴山(はくめいざん)が聳えていた。



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