表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
二章 蓋
16/131

十六 一夜明けて


「ぽぉぅ・・・」


 オレはぼんやりと目を開いた。体が泥のように重い。瞼もどうして開けられたのかと疑問に思う程重たい。


「ぽぉぉ・・・ぅ・・・」


 寂しげな響きが、静かな部屋に尾を引いて消えていく。

 これを聞いて目が覚めてしまったのだろうかと霧散しそうな意識でぼんやり考えた。あ、ダメだ眠い。寝ていい?

 父上だってこんなに体が重いときに無理に起きろだなんて言わないって。

 あ、そういえば夜に熱を出したんだった。病気に対しては人一倍心配性だったし、父上も絶対文句言ったりしない。というか安静にしていろと言って、熱も下がってもう動きたいのに布団に押し込まれたこともあったな。そして母上に怒られてた。あれはどうかと思う。うん、まあ今回はまだ治り切ってないということで、寝ててもいいよな。


「ぽぉ・・・ぅ・・・」

 それは非常に近いところから聞こえてくるようだった。そう、頭のすぐ近くで。


 いつの間にか閉じていた目をもう一度開く。聞き覚えのない音が至近距離でするのを流石に放っておけなかったからだ。


 もぞり、と布団の中で身じろぎする。寝返りを打って横向きの体を仰向けにした。

 ここ数日で見慣れた天井だ。あの右端の板の木目がひよこの形に見えるんだよな。


 まだ薄暗いけど、確かに自室が見える。まだ日の出にはちょっとあるみたいだ。

 その視界のギリギリ内側。見慣れた天井を背景に、見覚えのないものがちょろっと見えた。

 うつぶせに寝返りを打つのも億劫で、首を上に少し仰向けてそれを見る。

 

 丸っこい物体。そこから小さい丸い頭が、頭と同じぐらいの幅の首で繋がっている。色は暗くて分からないが、オレの髪よりは黒っぽい何か。

 頭のすぐ傍、敷き布団の端にのっしりと鎮座したそれは、何度かゆっくりと首を上下させて、口と思われる部分を開いた。


「ぽぉぉ・・・・・・ぅ…」


 梟と鳩を足して引き延ばしたような鳴き声が、長く尾を引く。

 この生き物が何かは分からなかったけど、特に危険は感じなかったオレは、何も考えないままになんとなく手を伸ばした。


 ふさっ。


 あ、すごく柔らかい。


 オレは衝動の赴くままにもう片方の手も伸ばして、そのもふもふを引き寄せた。布団の中で両手で抱えて、ふぅと息をつく。

 そいつは何の抵抗もせず、具合の良い姿勢を探すように少しの間もぞもぞしていたけど、すぐに動きを止めて「ぽぉぅ」と鳴いた。

 オレはなんとなく一仕事終えたような満足感を感じつつ、すとんと意識が眠りの底へ落ちて行くのに任せたのだった。











「撤収!」

日の光が夜の気配を消し去った頃、闇色の翼が逃げるように舞い上がった。小隊毎に纏まった天狗たちが順に飛び立っていく。

 数に任せて一晩で館を調査し終え、帰路に着いたのである。


 全ての部屋の押し入れから机の抽斗(ひきだし)、床下や天井裏に屋根瓦の隙間まで隈なく探り、目でも術でも確かめたが、分かったことと言えば、館が広い割に埃や害虫が一切見つからなかったことと、古そうな建物なのに全く痛みがなかったこと、驚愕の精度で編みこまれた精緻な術式による、見事な結界術が山全体に掛けられていたこと。そして家主とその配下の心の広さであった。


 彼は荒っぽい家探しに文句のひとつも言わなかった。

 何も見つからなくて焦りを募らせた者が高そうな壺を手を滑らせて落として割ってしまったのだが、割れる音を聞きつけてすぐにやって来ての最初の一言が「怪我はないか?」であった。

 派遣されたのは、議会の長が直々に編成した部隊の者。ある程度の実力があるのは当たり前。壺を落として怪我などするはずもない。

 すぐさま侮辱と捉えて噛みつきかかったのに対しても「怪我が無かったなら良いさ。しかし気をつけろよ、お前たちの上司は俺に借りを作りたくないだろうから、負い目となるようなことをすれば叱られるぞ」と笑ったのである。

 因みに壺は、話している間に家主について来ていたキツネとタヌキが片付けて床を綺麗に拭いていた。破片は塵取りの上に残されたままで、一応調べてみたが術や呪いの気配も何もなく、ただの上等の白磁の花瓶であった。

 ただの花瓶だが無価値(タダ)ではけしてない事実に気付いて、割った天狗は青ざめていた。


 また他の者たちは、木を隠すには森の中、書庫の本の中に怪しい書物があるかもしれぬと、抜き出しては読み散らかしていたのだが、次第にその手つきが丁寧になっていった。中にはぱらぱらとめくった本にいつの間にか没頭してしまう者もいた。

 非常に丁寧に書かれた、他には出回っていない新しい術形態の考察書や剣術、体術の指南書の数々が無造作に棚に突っ込んであったのだ。それは読んだ者たちにとっては目から鱗が落ちる思いのする、斬新な発想のものも多く、向上心が旺盛な者たちにとっては非常に魅力的な物だったのである。

 監視付きではあったが調査の様子を見て回っていた家主が通りかかったのでどこで手に入れたものか問い詰めると、彼は居心地悪そうに少し目を逸らして、暇な時に書き散らした物を書き直して纏めた物だと白状した。

 数人がその冊子を譲ってほしいと嘆願したが、やんわりとだがきっぱりと断られていた。


 館の主の部屋を担当した者たちの気合の入りようは他より一段上であった。

 何か隠してあるならまずはここだろうと考え、それこそ目を皿のようにして、隠された物はないかと入念に調べていた。

 部屋に置いてあった位牌もまた、天狗のひとりに無造作に掴みあげられ、仕掛けもなければ呪術の気配もないのを確かめられると、ぞんざいに放るように床に落とされ・・・

 その場の者たちの背に冷たい汗が流れ落ちた。空気が鉛のように重く感じられ、圧し潰されるような錯覚に誰ひとりとして身動きすることができない。

 それほど濃い、殺気にも似た怒気を発して、家主がゆっくりと放り出されて横倒しになった位牌へ近づき、拾い上げる。

「・・・・・・」

 それを放り出した天狗を数秒間じっと見つめると、何も言わないまま、踵を返した。

 その場の時間が流れ出したのは、襖が静かに閉まる音がしてからもう少し後だった。



 上司から裏切り者の(ねぐら)を漁るとしか聞いていなかった部隊の天狗たちは、それこそ罪人に接するのに等しい態度で、片づけなど考えもせずに物を引っくり返して調べていたのだが、空が白んで来る頃には、自分たちがやらかした惨状を見渡す青い顔が並ぶこととなった。

 裏切りの証拠など一切見つからず、敵方の術の気配も全くなく、更には文箱に残っていた手紙の中には、非常に位の高い天狗たちからのものが多く、中身は気の置けない親しい友に宛てた砕けた文面で書かれてあった。


 この山の主、白鴉(ハクア)天狗は、中央の一部では、闘うことが少々得意なだけの乱暴者で頭の方はいまひとつだとか、虎視眈々と天狗の現体制の転覆を狙う極悪人だとか、尊き頂点のお方を弑して自分が成り変わろうとしているだとか、汚い手を使い候補者を蹴落として霊山の主の座を奪い取っただとか、果ては実は人間の術者が天狗に成りすましているのだとかいう話が実しやかに噂されている者であった。

 当の本人は滅多に中央へと顔を出すことはなく、噂だけがどんどんと一人歩きしている状態が数十年続いていた結果である。


 だからこそ、彼の天狗が裏切りを働いているという嫌疑がかかるとすぐに多くの者が排斥を唱え、その下準備として彼所縁の場所の調査が秘密裏に行われ、目ぼしい成果がないと見るや根城の調査が電撃的に決行されたのである。その目的は裏切りの証拠の捜索と、白鴉天狗の素行調査・・・彼自身について出回っていた情報も噂でしかなかったために、報告書に載せるよう求められたのである。

 事態を重く見た、議会の長たる青柳(あおやぎ)天狗直々に自ら編成した部隊を率いての調査という事実もまた、他の者たちの疑惑を加速させた。


 しかし、蓋を開けてみれば裏切りの証拠どころかその黒い噂を裏付ける物もなにひとつ見つからなかったのである。それどころか、実際に会った白鴉天狗は温厚で乱暴なところなど無く、受け答えは真摯でかつ、理不尽な己の扱いにも「疑いがあるなら仕方がないことだ」と苦笑して許した。

 唯一怒りを露わにしたのは、部屋の位牌を乱暴に扱われたときぐらいで、それでも苦情の言葉や手を上げることは一切なかった。


 数々の書物は教養の高さを示し、その中の自筆の書は、自己鍛錬と新術の研究に余念がないことを感じさせる。渋い顔をした配下の獣どもも手振りひとつで黙らせ、自らが危うい立場だというのに部下の鳥女の心情を慮って配慮を願い出る。主として命令を断固として守らせながらも下の者を護る姿勢には、疑いの目で見ている者たちもその為人(ひととなり)を認めない訳にはいかなかった。


 屋敷こそ広くて立派なものだったが、家財は丈夫で上等な物が揃えられてはいたもののどれも質素で、山主となった他の天狗のように、手下を侍らせ宝物(ほうもつ)を溜め込むなどという様子は全くなかった。高価そうなものと言えば、とある部屋に仕舞われていた武具の類に、座敷に飾られていた竜の鱗。武具はすぐにも使用に耐える実用的な物ばかり、鱗は山の結界の要として置かれたものであり、威張り散らした態度できんきらしている中央の上位天狗や、優越感に浸った流し目で薄ら笑いを向けてくるそこらの山主天狗とは雲泥の差であると皆の意見が一致した。

 ついでに言うと、物を壊したり汚したりした者がちょこちょこ居たのだが「青柳どのには黙っていよう」と片目を瞑って見せたのも一部の者の印象に残ることになる。


 この時点で調査隊の面々は非常に嫌な予感がしていたのだが、極めつけに交友関係も非常に不味い。なにせ中央でも名を知られた実力者の何名かから送られた手紙が見つかったのである。それも明らかに仲の良い友人に宛てた文面で、情勢悪化を懸念して白鴉の身を案じる文書だったり、術の研究についての意見だったり、飲み会の誘いだったりした。


 調査を終えて残ったものは、山の護りを任される程の上位の真面目な天狗に、百人単位で押しかけて事実無根の疑惑を掛け、罪人扱いの上家探しを断行して家の中を滅茶苦茶にした挙句、その本人に「お前たちも役目だったのだから仕方がない。こちらこそ手間を掛けたな」との言葉を貰ったという事実のみ。


 自宅とは別の場所に隠したのではないかという声もあるにはあったが、それも上の方々が既に調査して空振りだったからこそ、本拠地に乗り込むことになったのを他の者が思い出させて、じきに鎮まる。


 青柳天狗は堂々としたものだったが、その他の者には、見送りに出てきた白鴉を真っ直ぐに見ることが出来ない者が大勢いた。

 かくして彼らは中央へと帰路に着いたのだが、役目を果たしての凱旋帰国というより、尻尾を巻いて逃げ帰る負け犬の風情であった。










「うーん・・・」

 オレは目を開くなり唸った。

 体は非常に怠いが、頭痛は治まり、熱も無さそうだ。瞼がまだまだ重くて、目を開けているのに苦労するのは、寝過ぎで眠いというあれだ。眠気はないのに体が勝手に寝ようとする、暇人とか赤ん坊とか病人の特権的なあれ。


 オレは今現在、病み上がりという準病人の位置付けなので、その怠惰な状態は許されて然るべきであり、この状態に苦悩して唸った訳ではない。

「・・・・・・流石に、寝過ぎか・・・?」


 障子に遮られて、柔らかに差し込む光は黄色い。というか赤に近い。寝過ぎた感覚として、朝焼けではないのは間違いない。

「夕方まで寝てるとか・・・どんなだよ・・・」

 眠りについたのは、昨日の夕食後直ぐ。夕食は、日没後直ぐだったはずだから、殆ど丸一日爆睡していたことになる。

 思わず頭を抱えようとして、頭より先に何か抱えていたのに気付いた。


 ふさふさしてもふもふした、丸っこい何か。…あ、なんか動いてる。え?生き物!?

 布団を剥いで起き上り、目の高さまで持ち上げてみてみると、黒玉のような丸い小さな目と目が合った。

「なんだこいつ・・・?」


 体の大きさは小さ目の鶏ぐらい。握りこぶし程の頭が、太い首に支えられてゆっくり上下している。頭の両横には、ちょっと不釣り合いなぐらい小さい目がちんまり付いていて、顔の前方にはこれまた小さい嘴がちょこんと羽毛の間から突き出している。頭から背中にかけては茶色地に黒と白の(ぶち)模様が散り、腹は白い。丸っこい体の下側からはこれで立てるのか疑問に思う程細くてちっこい足がぶら下がっていて、体の後方には短い尾羽があった。


「鳥・・・?」

 掛け布団の上に下ろして、体の両脇を探ると、明らかに空を飛ぶには足りない短い翼がひょこっと摘み上げられて、そいつは無抵抗に万歳した。

 そういえば昨夜、寝ぼけて何か柔らかいものを引き寄せて抱き枕にしたような記憶がおぼろげにある。それがこいつなんだろうか。結構な長時間オレにつかまってた訳なんだけど、嫌だとかは思わなかったのかな。

 というか、こいつからは何の感情も読み取れない。感情が無い・・・?いや、石や草木のように無感情なのとも何か違う。


 その鳥からは泰然自若とした揺らぎのない精神が感じられた。だからこそ深い深淵を覗き込んだかのように何もなく感じてしまうのだ。何をされようとも無の境地に至っているこの鳥には瑣事。反応するに足らぬものなのであろう。だからこそこんなにもふもふしたりふわふわしたりわしゃわしゃしても感情に一切の揺らぎが無い。とかなんとか大仰に考えてみたが・・・平たく言うとこいつは何も考えてないのである。


 これぐらい何も考えずに生きていけたら楽かもなぁ、なんて益体もないことをぼんやり考えながら、見つめ合ったままひたすらもふもふしていると、ふいに廊下側の襖が引き開けられた。


「三太朗、よく寝たようだが具合はどうだ」

 顔を覗かせた高遠が、穏やかに声をかけてくれる。迷わず襖を開けてくる辺り、オレが起きてたことを知ってたみたいだ。知ってたんだろうな。この家自体が家主に教えたとしても不思議じゃない。


「おはようございます。もう熱も下がりましたし、大分良いです。あの、高遠さま」

 鳥を持ち上げて見せる。

「起きたらこんなのがいたんですけど、何なんでしょう?」

 ああ、と高遠がにこやかに答えた。

「こいつはな、閑古鳥(かんこどり)だ。名はセキという」

「・・・へ?閑古鳥?閑古鳥って妖怪だったんですか」


 オレは改めて茶色の地味な鳥を見下ろした。真っ黒な真ん丸な目とばっちり合った。というかどの向きからでも目が合うような気がする、焦点の定まっていない目をしている。

(あやかし)かどうかはよくわからんが、こいつが鳴いている場所には誰も来なくなる。何故なのかは解明されてはいないが、その場所が意識に上らなくなるんだ。戦う力は無いが、そうやって身を護る生き物だ。一羽いると居留守を使うのに便利だぞ」

「使い道それで良いんですか!?」


 あんまりな言い方に咄嗟に突っ込んでしまってから、お前もそれで良いの?とセキを見下ろしたが、相変わらず何も考えていない顔でゆっくり首を上下している。

「敵は鳴き声でそもそも来ない所為か、危機感が薄くてぼんやりしているから、帰ることを思い出さない限り戻ってこない困ったやつでな」


 やれやれと苦笑した青年を見上げてオレは小首を傾げた。

「閑古鳥・・・セキはどうしてオレのところに?」

「昨日ジンに山を探させて、連れ戻した」


 熱を出したら静かに寝るのが一番だと聞いたから、と彼は笑った。

「よく眠れたろう?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ