十五 来訪者
友人におだてられたので投稿が一日早まりました。
高遠とお客さんの会話回。
「久しいな、青柳天狗」
夜半、月が中天に差し掛かった頃、高遠は客を迎えていた。
「確かに久しく会っていない。貴様が引き籠っている所為でな」
勧められた座布団にどっかりと腰を下ろして不機嫌を隠そうともせずに吐き捨てたのは男。
黒い髪に浅黒い肌の長身。体つきは弛みもなく良く鍛えられていて、目元も引き締まって鋭い。だが、その口元は人の口ではなく大きな嘴があり、背には黒色の翼を背負っている。
そこに居るのはまさしく天狗であった。
「ここらは変わらず気が抜けんからな。あまり遠出も出来ん。中央にも中々顔を出せんのは仕方なかろう。それともそんなに会いたかったのか?」
穏やかに微笑む家主に、青柳は眼光鋭くにらみつけた。
「そんなわけがあるか、気色の悪い。役目なくば好き好んで貴様に会うことなどせん」
殺気さえ籠った言葉にも高遠は、ん?そうか。とだけ返して朗らかに笑んでいる。
「失礼いたします」
鳥脚の美女がしとやかに頭を下げて入室し、客と主に給仕をする。手際よく並べられる茶器を横目で見て、青柳は更に眉根を寄せて忌々しげに舌打ちした。
「相変わらず畜生狂いは健在か。獣畜生ばかりを侍らせて同等に扱う様を見て、位に合う振る舞いと思う者がどれ程いるかな」
「青柳どの」
高遠の笑みが初めて消える。真っ直ぐに相手を見るその眼は静かだが底知れない深みがあった。
「俺をどう言おうが構わんが、我が配下を悪し様に言うのは止めてもらおう。配下に天狗がいないのは、元よりこの地に多くの同胞を置くのが不安だという議会の決定に従ってのこと。彼らは天狗に代わって俺の背を守ってくれる大事な部下だ」
見られた相手は、ふん、と鼻を鳴らした。
「貴様は変わらんな。少しは改善しても良いものを」
「まあ、貴殿も変わらんのだから、お相子というものだろう。そろそろ本題に入ったらどうだ、青柳どの。世間話をしにこの辺境くんだりまで遥々来たわけではあるまい?」
高遠がひとつ肩をすくめて、やれやれと苦笑して問うた。
「白々しい。己で分かっておるだろう。此度の貴様の暴挙の理由を問いに来たに決まっている」
「うん?ああ、もしかして山の周りを掃除したことを言っているのか。耳が早いな、今日終わったばかりなのに」
悪びれなくしれっと言われた言葉に、眉間のしわを深くして、青柳が睨みつけた。
「貴様何をしたのか分かっているのか。妖孤に蟒蛇、更には土鬼と。貴様ひとりが野垂れ死ぬは勝手。だがあれらの勢力が天狗を一括りにして我らが同胞に仇討を仕掛けると思わぬとでも言うつもりではあるまいな!」
飄々と茶を飲む青年に、ついに青柳が声を荒らげる。
それを尻目に湯飲みを下ろした高遠は苦笑を深めた。
「思わぬ」
言葉尻を取ったその一言に、今まで壁際で控えていた随従たちが眼光鋭くいきり立つ。
「控えろ!奴とは私が話している」
だが、青柳の静止の声に、目をぎらつかせながらも不承不承座りなおした。ただ、全員が手を武器に置いて、何時でも斬りかかれる体勢を保っている。
「…断言する理由は」
押し殺した短い問いかけに、高遠はひとつ頷く。
「貴殿自身も言うように、同種とはいえ一括りにしてはならない。俺の山にちょっかいをかけていた奴らは、大元の勢力から外れた者かもしくは末端だった。なに、首を届けに行った折に言質は取った。奴らが先走って勝手にやったことだから知らぬとな」
事もなげに言い切った相手を睨みつけて、青柳の声が低くなる。
「…百を越える屍を積み上げておいて、はぐれ者の先走りで片が付くとは面妖なことだな」
「そうは言ってもな、奴らの群の長がそう言ったのだからそういうことだろう。それにな、あれらを放置するのには少々問題が出来た」
真剣な面持ちに変わって高遠の黒い目が青柳に向く。
「この山の近くで、術師の傀儡が出た。橘か御狩かそれとも他か、出所は掴めていないが連中が動いているのは間違いない」
「ほう、人が動いていると?山の周りの敵に繋がるか、その戦いに乗じて仕掛けてくると踏んで先に邪魔なものを片づけたということか」
顎に手をやって思案の素振りを見せた青柳は、次の瞬間には更に鋭く高遠をねめつけた。
「ふざけるなよ若造が、今までつつかれても直接の手出しがないなら知らぬ顔を決め込んでいた貴様が前触れなく動く。そして敵方の長がそれ自体知らぬことにするという。ではお前が敵の頭と容易く会えたのは何故だ。その言が信用できるという保証はどこにある。結果として思う通りに事が運んだと言うなら、それが成されなければ大事だと分からぬ訳ではあるまい、確証なく何故動いた。それとも事態がどうなろうとも構わぬつもりだったか。正直に答えよ、さもなくばここを囲む精鋭二百が動く」
その明らかな脅しにも「俺だけを相手に二百とは張り込んだな」と警戒よりも寧ろ呆れたように呟く様子からは、全く効果がないのが見て取れたが、高遠には元から反抗する気は全くなかったので、素直に口を開く。
「長の居場所を調べてそこまで最短で突っ切っただけだ。それに、話し合いが上手くいかなくても心配はいらん。先頃始末した奴らは敵方にとっても戦略外の雑魚ばかり。それに他の同胞へ向かうようなら次は直接頭を潰すと言ってある。今の奴らでは俺に総攻撃を仕掛けるしか勝機が見えんだろうし、そうなったとしても少々手間だが俺が全て引き受けるのもまあなんとかなるだろう。それよりも術師だろう、あれの方が余程脅威だ」
敵本隊を突っ切って頭の元まで行き着いて話を付ける。そんなことが可能だと仮定するなら、敵に対して掛けた脅しも有効だろう。ただそれを頭から信じた者はこの場にはいなかった。先の件については何も問題ないとして、もう一方についての警戒を口にする高遠を前に、青柳天狗は冷たく目を細めた。
「術師、術師な。こちらもあれの動向は少しは把握しているぞ。尤も私の掴んだ情報では、妖退治もせずにこの山の方角へ急いでいるということだったが。面白いことに軽装で人数も少なく、闘いに行くようには見えなかったそうな。ところで今年に入ってから同胞の山がふたつ落ちたのは知っているか?攻めたのは土鬼の一派だが、生き残りが敵の背後に人らしい姿を見たと証言した」
高遠が訝しげに眉を顰める。
「何が言いたい」
対する男は冷ややかに嗤う。
「土鬼とはこの山を狙っていた勢力と同種。しかも此度の騒動では抵抗らしい抵抗もせず素直に引いたそうだな?しかも丁度術師がいたとぬかす。…貴様が敵方に通じているのではなかろうな。人かぶれが過ぎてあれを同族と思い直したのではないのか?自ら人間が居たと言ったのは、調べればすぐに残った気配が分かるからか。奴らの術は臭いからな」
裏切り者の嫌疑。不名誉極まりない疑いに、流石の高遠も不機嫌を禁じ得ない。
「ふざける場面ではないぞ、青柳どの。俺が人だったのなど遠い昔だ。もはや殆ど覚えてもいない。そもそも俺が敵方に通じる訳がないのは貴殿も良く知っているはず」
「ほう、ではなぜ奴らはここを目指す。妖の討伐でもない様子で引き寄せられるようにな。ここに何がある。貴様は何を隠している!」
場の緊張が高まる。
両者が睨みあって暫くの時が過ぎる。
ピリピリした空気の中、先に表情を緩めたのは高遠だった。その空気を無視してふっと苦笑を洩らしたのだ。
「なにも。疑うのなら好きなだけ調べて行けばいい」
「ほう、言ったな。では隅々まで調べさせてもらう。散れ者ども、館を探れ。此奴は私が尋問を続ける」
「高遠さま!」
空になった高遠の湯飲みにお代わりを注いでいたユミが、思わず小さく呼びかけた。この館には今、三太朗がいるのだ。彼の素性については既に配下に周知されていた。本人は知らないことだが、三太朗の血筋は少々特殊なのだ。探られれば正直に言えば痛い腹である。それに人に内通している疑いを掛けられている今、実際に館に人がいるなどと知られれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。何よりあの幼気な子どもが害されることが恐ろしい。なのに館を調べる許可を出した高遠に、ユミは信じられない想いだったのだ。主を信じてはいても、あの久々に安らかな顔で眠りについた子どもを心配する余り、思わず出た反応だった。
だが、次の瞬間には己の失敗を悟って顔を青くした。
立ち上がって座敷を出ようとしていた随従の天狗たちが足を止める。
「ほう、知られて何かまずいことでもあるというのか?」
青柳がユミに目を細めて問うた。
「それは…」
相手は主も認める力のある天狗だ。その目線には確かな威圧感があり、思わずたじろいでしまう。
青い顔で黙り込んでしまった配下を見遣って、高遠がああ、そうだったなと呟く。
「知られて不味いというか…配慮願いたいことがひとつだけあった」
「ほう、一応聞こうか?」
この期に及んで配慮などということを言い出した高遠に、随従のひとりが尊大に問う。もうすっかり裏切り者と決めつけ、相手に対する敬意などなく、舐めてかかった態度である。だが高遠は気にもしない様子で言葉を続けた。
「ああ、北側の棟の東の端の部屋なんだが、そこはこいつの部屋だ」
こいつ、と示したのはユミだ。
何が言いたいのか測りかねて、男たちは思わず首を傾げる。
あのなあ、と呆れた調子で高遠が初めて少し語気を強めた。
「女の部屋だぞ、男に見られたくないものもあろう。お前たちが見たいのもわかるが、女の部屋を荒らすのは男として褒められたものではない」
己が裏切りの疑いを掛けられているというのに、そちらの方が重要とばかりにそんなことを大真面目にのたまう主の横で、ユミも自分にとってどういうことなのかを漸く気づいて、顔を真っ赤にしてその場の無粋な男たちを涙目で睨んだのだった。
「高遠さま…見たいのですか…?」
己の主もその範囲に入っていた。
「いや、そのような気にはならないな」
真面目な顔で即答された言葉に、少し安心すると同時に女として釈然としない想いが湧いた。女心は難しいのである。
「…………まだ罪人だと決まった訳ではない。表の部隊から女を連れてこい」
たっぷり間を置いてから、初めて怒気を含まない青柳の声が命じた。怒気の代わりにその言葉に含まれているのは、その十割が呆れであった。
連れてきた部下が館中に散り、ユミも自分の部屋の調査に立ち会うために出て行ったのを見計らって、青柳は座布団に座りなおした。
「手間をかけたな」
今度は茶ではなく酒を杯に満たして手渡しながら、高遠が言う。今の騒動が無かったかのように自然体で。
「全くだ」
不機嫌に杯を受け取った男には、先ほどのような殺気めいた表情はない。だが、その分非常に苦々しげな様子で酒を干した。
「貴様は己の立場をもっと弁えよ。只でさえこの山を護る手際が良すぎると疑う者どもが居るというのに、この微妙な時期に問題を起こすな」
対する高遠はすまんすまん、と笑って誤魔化そうとして睨まれた。
「しかし、中央議会の頭が出張ってくるとは流石に思わなんだ。情報の早さといい、こちらに知らせが届かぬことといい、そんなに俺への疑いは深いか」
実のところ、高遠の山は天狗の勢力圏の端にある。だから中央からの情報が遅いのは仕方がないことなのだが、こと他の山が敵勢力に制圧されたなどという大事なら、彼の立場であれば優先的に知らされることになっている。しかし今回青柳に知らされるまで、天狗の領土が削られたという情報は入っていなかった。術師がこちらに向かっていることも含めて寝耳に水だったのである。
敵に繋がっている疑いのある者に味方の情報を与える者などいない。そして高遠の行動が直ぐに伝わったところを見ると、見張られているのはまず間違いがなかった。
「貴様に備える暇を与えぬように来たのはその為でもある。だが私が調べて何もなかったとなれば、奴らも表立っては何も言えぬだろうよ。二百も頭数を揃えれば、証人にも流石に足りるだろうからな」
天狗は実力社会だ。議会の長ともなればその権力はもとより、その力は明らか。その青柳が隅々まで調べたが何も無かったとなればその後高遠を疑うのは青柳を疑うことに他ならない。
実のところ青柳は目の前の男が裏切ったなどとは思ってはいない。ただ厄介ごとに首を突っ込んでいるかもしれないとは疑っていた。
高遠が注ごうとした濁酒を奪い取って手酌で飲みながら、その表情は憎々しげだ。気に食わないと顔に書いてあるのが可笑しくて、高遠は笑みを深める。目敏くそれを見咎めて「何が可笑しい」と突っかかってくるのを受けて、からかうように笑って言う。
「いや、二百の精鋭がいれば人の術者も手出しなどしては来ないとの読みも流石だな、と思ってな。連中は油断がならん。正直言うとやり合いたいとは思わない。助かったよ。流石は青柳天狗、一手でいくつも実を取る手腕は増々磨きがかかっているな」
術者に武装はあまり必要ではない。呪符や札、呪具は小さなものも多く、小さいからと言って効果が弱いという訳ではない。非武装で少人数だとしても、目立たずにそれらを身に着けているのなら、侮り難い相手と言えた。
朗らかに褒められた男は心の底から嫌そうに顔を歪めた。
「止めろ!貴様に褒められるなど寒気がする!!貴様などさっさと野垂れ死ねば良いものを、好き好んで助けたのではないわ!!」
激怒する相手を前にしても、高遠は「本心だ」と言って笑っている。青柳天狗は、無理やり気を抑えて怒りをやり過ごした。どれだけ怒ったとしても暖簾に腕押しなのは先刻承知なのである。この調子に乗せられると話がこちらの思う通りに全く進まなくなってしまうのは今までの付き合いで嫌という程分かっているのだ。
「それで白鴉よ、本当に何も隠してはおるまいな」
「……その名で呼ぶな」
気を取り直しての問いに返ってきたのは、一転して不機嫌そうな呟きのみ。その後は黙りこくって自分の杯に酒を注いでは空にする。
「わかったわかった、もう言わん。して、どうなのだ」
貝のように黙ったままだと話が進まない。名については何をどう言っても耳を貸さないのを知っているため、青柳は折れることにした。相手を煽って溜飲を下げるには、時間が無い今は間が悪い。黙られたまま時間を無駄にするより、さっさと帰りたいのである。
「言わぬさ」
「貴様な」
まだ子どものように意地を張るのかと呆れた青柳に、高遠は溜息をついた。
「貴殿が何も掴まずにここに来るとは思えん。だから俺が是と言えばやっぱりなと思うだろうし、否と言えばまだ何を隠しているのかと疑うだろう。己の中で結論が出ている上でかけられた問いに答えるのは無駄というものだ。…貴殿の頭が固いのは良く知っている」
最後に付け足された一言は、完全にぶすくれた子どものそれだった。
「そんな屁理屈が通ると思っているのか」
苛立ちを増した相手に、もう一方も少々機嫌悪げに手の中の空の杯をもてあそんだ。
「思わない。だから館を調べる許可も出した。納得するまで探れば良い。その上で付け加えるとしたらひとつしかない」
とん、と杯を置いて黒い目が真っ直ぐ青柳を射抜いた。
「俺が久那に害成すことはありえない」
目の前の相手は捉え所がなく、いつもへらへらして得体が知れない。本音がどこにあるのかが見えなくて苛々するし、とんでもない手段をしれっと実行しては、上手くいくはずがないという己の予想を覆して度々鮮やかに成果を上げるのが憎たらしい。緻密に計算を重ねて望む結果を導く青柳とは全く正反対の、経験から来る直感と実力に任せた破天荒。
正直相容れない存在だが、ただ一点だけは信用できる。
「…言わずもがなだな」
青柳はふん、と鼻を鳴らした。
その一点がある内は、完全に敵に回ることはないのを確信していた。
しんと静まった夜更け。天狗の館のとある一室。
そこには布団が敷かれ、中には子どもがひとり眠っている。
唐突に襖が開いて、感情の見えない瞳が一対、深い眠りの中にある子どもを捉えた。
高遠さんの面の皮の厚さがヤバい。