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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
128/131

幕外玖 班と客人




 風をも切り裂いて白刃が舞う。

 斬りつけ、切り裂き、ごとりと落ちる重い音が背後で鳴ったときには、既に次を見据えて駆けていた。


 狙い定めた先にいる、ふわりと結んでは霞む不定形の影は、足音を聞きつけてかゆらりとこちらに顔のようなものを向ける。

 ぽっかりと大きく開いたままの口には歯も舌もなく、ただ(ほら)に風が吹き込むような叫びを上げた。

 もやりと崩れては現れる眼窩は、よく見える距離に寄っても眼球は見当たらぬただの穴だった。


 斬!


 最後の一歩を半ば跳躍しながら踏み込み、輝く(やいば)をひと息に薙げば、幽かな手ごたえと共に(もや)のような悪霊は、斬り口が拡がり千切れ、霧散した。


(バク)!!」


 構えなおす前に、すぐ傍から鋭い短呪(たんじゅ)が聞こえた。

 目で辿れば、瑞女(みずめ)(いん)を組んだ指の先に、泥から這い出した格好で動きを止められた化け蛙を見つける。


()っ!!!」

 瞬きひとつの間もなく、飛び掛かった侃爾(りょうや)がひと太刀で斬り払い、夜闇に断末魔と瘴気(しょうき)が散った。


(ハツ)!!」

 どん、と腹に響く振動と共に、阿弥彦(あやひこ)が放った霊符(れいふ)が炸裂し、広亮(ひろと)に手を伸ばした怨霊を後退せしめる。


 その決着を見届けることなく、視界の端に捉えたものへ瞬時に駆け寄り、今にも突進しかかっていた不格好な肉の塊を、すり抜け様に真っ二つにした。

 同時にぶしゃっと水けの音が弾け、多量の濁った汁が飛び散った。一気に走る速度を上げ、飛沫のすれすれを間一髪離脱する。


 近くに縮こまっていた、ひと塊の人間たちが引き攣った叫びを上げるのを聞きつつ、案じる必要がないので無視して次を探した。


(ヘキ)!!」

 柚葉(ゆずは)が人との間に滑り込み、降りかかる汚水を結界で受け止めるのが視界の端に映る。

 びしゃりと防がれた飛沫がてんでに弾けてまき散らされ、じゅわりと焼けるような音とともに、土や雑草、今年新しく生えてきた若木も、汚液を浴びた全てが等しく悪臭と茶色の煙を上げた。


「――地に満ちたる(けがれ)(はらい)清め給え」


 凛とした声音の祝詞。

 続いて柏手(かしわで)が、ぱん、とひとつ。


 周囲を薄っすらと煙らせるほどに充満した瘴気が、震える。

 もうひとつ乾いた音が響けば、広亮を中心に渦を巻いていた霊光が、同心円状に清浄な気配と共に広がり、拭い去られるようにして瘴気が消えていった。


 清浄な波動は波紋のようにのびのびと広がって、周囲を飛び回っていた悪霊や雑霊もまた、か細い悲鳴を上げて浄化されていき、体のどこかしらを引き摺ってふらふらと歩いていた屍鬼(しき)が膝を折る。

 すぐさま、もがくそれらをもう一度眠らせるために駆けた。


 ほどなく(おびただ)しい数の物の怪が犇いていた池の(はた)は、夜更けに相応しい静寂を取り戻した。


 小雛(こひな)は周囲の静けさをじっくりと確かめた。

 瘴気も敵の気配もないが、気を抜くわけにはいかない。それは解っている。

 保護した人の安否を問う仲間の声を聴きながら、ただ少し長く息を吐いた。






「疲れたぁ…」


 帰り道、歩きながらぽつりと柚葉が呟いた。

 柄にもないぼやきになんとなく目線を流せば、同じく他の班員たちも、図らずも同時に目線を投げていたらしい。

 はっと柚葉が両手で口を塞いだ。


 和と空気を大事にする柚葉が、負の言葉を吐くのは珍しかった。

 当人も口に出すつもりはなかったのか、注目を集めてしまって目を白黒させる。


「ご、ごめんなさい!広亮さんの方が疲れてるのに、あたし…」

「え、ぼ僕?」


 大きな術を使った疲労から、足取り重く俯き加減で歩いていた広亮がびくりと肩を揺らした。

 広範囲を浄化する術は広亮の得意分野だが、強力な分使う力も大きい。今夜の池はそれなりに広く、(あやかし)も多く、さらに妖気が湧き出すようだったあの水の中まで届く浄化を施すのは中々に負担が大きいのだろう。


「いや、みんな疲れてて当たり前だから、そんな、謝ることじゃないよ…」

 若干青白い顔で広亮が微笑む。

 安心させたかったのだろうが、疲れがにじむ笑みは弱々しく見えて、儚い。

 逆に柚葉が少し眉を下げた。


 それを見遣って、小雛はまた視界を前方へ移し、黙々と歩くことに戻った。

 話しかけられたのは自分ではないようだから、いつまでも見ている必要はないと判断した。


「…そうねえ。疲れるわ」

 瑞女が素っ気なく言った。


「去年は平和に暮れたというのに、なぜ急にこんなに酷くなったんだか。あんなに大仰に手助けまでさせておいて、効き目は春までしかもたないのねえ。大祓いなんて言いながら大した体たらくだこと」

「瑞女」


 流れるような皮肉にさすがに班長の阿弥彦が口を挟むが、ひと言名を呼んで言葉が止まれば続けて咎め立てもせず黙っている。

 立場上不敬を見逃せないという義務感で止めただけなのは明白だった。


「……ま、疲れるのも無理はないな。本当にここ半月は異常だ。状況が悪化するのが急すぎて、無警戒な一般人が巻き込まれるのが多い。ある意味大祓い前より厄介だ」

 侃爾が気を取り直すように口を挟んだ。

 ぼやきに近かったが、誰も異を唱えることはなかった。


 昨年の大祓いで一度は怪異の全てがきれいに鎮まった。

 訪れた静かな日々は半年を超え、平穏に過ごせる夜が当たり前になった今頃になって、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が蠢きだしたのである。


 寒さも和らいで野外で過ごしても凍え死ぬことがなくなった時期というのも事態を悪かった。

 旅人や貧民が外で夜を明かそうとして、闇夜と共に湧き出た物の怪に喰われる事件が頻発したのだ。


 以前は、魔除け札や安全な方角を確かめるなどの、出来るだけの用心をして尚、野宿では見張りを立てた上で、全員が熟睡せずに夜を明かしたものだ。

 なのに、平和になったと浮かれた民衆は、大祓いで物の怪(もののけ)は全ていなくなったのだからと油断し、清めや魔除けやまじないをせず、あまつさえ見張りの者も気を緩めて寝込むという、考えられないお目出度(めでた)い頭になってしまった。


 護符を用意していなくても起きてさえいれば、少なくとも周囲の様子がおかしければ気づくし、逃げるなり大声を出すなり、とにかく生きようと気をしっかりと持つだけでもそれなりに防御となる。

 その少しのことだけで、少なくとも無抵抗に(ほふ)られることはない。


 だというのに、今や行方知れずの人探しが絶えることはなく、無残な遺骸があちこちで見つかり、殆ど恐慌状態になった民衆が大騒ぎをしている。


 噂が伝わるにつれて用心を思い出す者も増えてきたが、依然として外からの旅人は都の騒ぎを知らず、毎夜犠牲者は増えていく。


「そうですね…でも、今回は助けられて良かったです」

 柚葉がほんの少し声に安堵を滲ませれば、班員の是という相槌が連なった。


「あの人たちも怪我がなかったし、何よりあの死霊の数、あの場はもう何度も人が襲われてるみたいだった。今夜清められて本当に、良かった……」

「そうね。日暮れ頃に門について、宿が見つからなかった者が行きやすい池だったもの。川はもう少し遠いし、見通しも良いからあそこで夜を明かそうと思ってしまうのねえ」

「俺たちが間に合って彼らは運が良かった。流れがゆるい水場は溜まりやすい(・・・・・・)っていうのに、そんなことまで忘れちまうもんなんだな」

「覚えてはいるんでしょうよ。必要がないと思い込んでいるだけで――なんて愚かしいのかしら」


 瑞女が辛辣に吐き捨てた。

 侃爾も息と苦笑の境目のようなものを吐き出したが、さすがに口に出して同意はしかねたようで――否定もしなかったが――口を噤む。

 代わりに今度は柚葉が「まあまあ」と瑞女を宥めにかかった。


「これからみんなまた気をつけるようになりますから今だけですよ!国も毎月の月次祭(つきなみのまつり)に祓いと鎮めを念入りにするつもりみたいだし、きっとどんどん良くなりますよ!」


 殊更に明るく言った柚葉から遅れて数呼吸。

 はあ、と大きく嘆息して、瑞女は不本意そうながら、宥められてやることにしたらしい。


「そぅねぇえ。まあ、取り繕いも出来ずに夜警の下知(げち)を下したぐらい焦っているのだから、朝廷も全力で巻き返しにかかるんでしょうし。月毎の儀式でどれほどのことができるのか、お手並みを見せてもらおうじゃないの」


 民衆も馬鹿ではない。

 なくなったはずの怪異が戻れば、大祓いの効力への疑問がわき上がるのは当然で、それはつまり祭祀を執り行った国への不審感が強まるということ。


 事態を重く見た朝廷は慌てて術師各家に夜の警邏(みまわり)をせよと命じたのである。

 そうして駆り出された小雛たちは、毎夜こうして魔祓いに勤しんでいるのだ。


「こんなに苦労しているのだから、何とかしてもらわないと困るというものよ」と肩を怒らせる瑞女に、「…そうだね。多分、収まるよ」と広亮が言ったことが意外で、小雛はちらりと広亮を見た。

 普段話に相槌を打ち、同意はするが、彼が意見を自ら言うのは珍しい。


「ふぅん?何か確信があるの?」

 瑞女も意外そうに問う。それに広亮は眉を寄せて考える様子ながら、ゆっくりと頷いた。


「……どうも、瘴気の濃さとか悪霊や物の怪の数なんかは、大祓い以前ほどじゃないと思うんだ。それに、野盗のたぐいの被害も混じってると思うし…だから…多分、その、民が前と同じぐらいに気を付けるようになれば、むしろ前より全体の被害は減ると、思う…よ…?」

「――は?」

「ええ!?」


 瑞女は「そんなこと……」と言いかけて考え込むように口を閉じ、驚きの声を上げた柚葉はぽかんと驚いた顔で振り向いた。


 瘴気を感じ取れはするが、あることは解っても感覚的なもの。

 濃さなど、こちらとあちらを感じ比べてこちらが薄いと判定するならできるかもしれないが、記憶の中のそれと比べてどちらがどう、というのは難しい。

 ましてや、積みあがっていく被害と連日の任務では瘴気の濃い場所ばかり巡っているせいで、危険な水準に達した箇所ばかり思い浮かぶ。

 すべてひっくるめて以前とどう、と判断するのは小雛も、おそらく柚葉たちにも難しい。


「瘴気が前より薄いって、それは確かなのか?こんな被害が多いってのに」

 侃爾が驚きを隠しきれない顔を広亮に向けた。


「え、あの、た、たぶん…?」

 途端に自信なさげにうろたえた広亮に眉を跳ね上げたものの、侃爾は首をひとつ振って小雛を見た。


「物の怪の数、少ないと思うか」

 一瞬、息を詰めた。

 前を向いて歩いていたはずなのに、いつの間にか自分が班員たちの方を見ていたことに自分で驚いたからだ。

 いつもは任務以外のことに顔を向けてまで聞き入ったりしないのだ。

 完全に無意識で、しかも質問が飛んでくるなどとは思ってもみず、不意を突かれた形だった。

 侃爾にすれば珍しくこちらに目を向けている小雛を会話に混ぜるのは当たり前のことだったのだが。


「……現場毎に出る数は、同じほど。ただ、瘴気を感じる場所に着くまでの距離は長い」

 いつものように無表情だったからか、侃爾は小雛の動揺に気づかずに「ああ、なるほど」と頷いた。


「確かに現場から現場までは遠い気がするな。そうか、瘴気が(こご)る場所が前より少ない…ってより、問題になるほど溜まる場所の数は少なくなってるってことか」

「…そうね。わたしもそう思うわ」


 ふぅ、と息を吐いて瑞女が言う。

 考えを纏めるように、夜明けが近付きつつある色の浅い夜空を睨んだ。


「小雛が言うように、霊が溜まる場所は前より少なくなっている。広亮が言うように、瘴気も…前はただ普通の場所を歩いていても気持ち悪く感じることもあったものだけれど、今はそれもないわ。ただひと月前に比べて濃いのは確かだし、被害が多いということは悪霊が前より凶暴だということ。これから増えていかない保証もないのだから、けして楽観はできないわ」


 そんな話をよそに、小雛は機械的に足を動かしながら目を細める。

 予想が真実で、以前ほどに数がないとしても被害は同等。ましてや、それはここ半つきのことでしかない。

 まだ続く。この状況が。


 ゆるい坂を下りながら、道の脇の石垣が高くなっていくのを視線でなぞり、内心で『(いや)』と呟く。

――――これが、始まりなのかも。


 大祓いは過去として遠ざかるばかりなのだから、これから先事態が悪化していくというのは、充分に考えられる。


「大丈夫ですよ」


 鮮やかな声音が夜に鳴る。

 柚葉は少しばかり埃っぽい顔で、しかしいつもと同じように朗らかに明るく笑った。


「きっと、大丈夫です!だって、来月の祭祀で神祇省(じんぎしょう)が主催でお清めをするんですよ?それに、蒼竜京(みやこ)払魔師(ふつまし)が総出で働くんだから、また平和になります。それに、あたしたちだって伊達に大祓い前の大忙しをやってません。手際だってよくなったし、妖の対処法の情報もいっぱい新しいのが纏まっているし、この半年で護符も術具もたくさん用意できているんです。もしかしたら前より余裕で乗り越えられるかもしれない!」


 笑顔でとんでもなく楽観的な希望をぶちかました。


「沢山の人が頑張ってるんだから、きっと大丈夫ですよ!」

「あんたねえ、楽観できないって言ったそばから楽観的すぎるわよ!」

「え、えええーー!でも瑞女さん!悪いことばっかり考えてたらほんとに悪い方に行っちゃうっておばあちゃんが言ってました!」

「おバカ!悪い方にならないように備えないといけないのよ!そんなお気楽なことばっかり言ってどうするっていうの!」

「それはそうですけど、悪い方を考えるなら良い方も考えなくちゃ!じゃないとどんどん暗くなっちゃいますよ。それに、疲れていらいらしちゃうときこそ良い方をたくさん考えなくちゃ!」


 瑞女がぐっと言葉に詰まった。

 そういえばやたらと刺々しい物言いが多かったな、と小雛は遅ればせながら気付いた。疲れから怒りっぽくなっていたらしい。


「べ、別にいらいらなんてしていないわ!今は気を引き締めないといけないときだからよ。そもそも、国朝廷主導とはいえ、祭祀を少し念入りにするだけで被害が綺麗になくなるなんていう上手い話がある気がしないのよ!前だって大祓いをしてやっとあれ(・・)なのよ!終わりが見えないんだから気楽に構えてなんていられないわ」


 硬い表情で横を向いた瑞女。

 小雛は相変わらずの無表情の内で首を傾げた。

 確かに、毎月朝廷で行われている祭祀である月次祭を、短期間の準備で少し念入りにした程度で、昨年の大祓いのような効果が出る訳はない。


 だが、それがなんだという(・・・・・・・・・)のだろうか(・・・・・)


 侃爾の眉に力が入っているのも、広亮が目を伏せているのも、阿弥彦の気配が硬いのも、終わりが見えない現実を理解した上で心情的に受け入れがたいと思っているからだというのを、小雛は察することができるようになった。

 だが、察することができたとして、理解も同意もできはしない。


――――いくら(いと)うても現実は決まっている。なら、受け入れられないとか嫌だとか、なぜ考えるのか。


 そもそも、どうせいつもと同じことを忙しく繰り返すだけ。それができている限りずっと続くだけ。何を嫌だと思っているのか。

 そこが小雛は理解ができない。

 だとしても、小雛は役目を(こな)していくだけ。

 いつも通りそう思う。

 淡々とするべきことをしていればいい。何も迷うこともない。


 なのに、なぜか踏み出す足が、霊具を収めた箱を持つ腕が、背筋を伸ばして前を向いた頭が、ずんと重くなった気がした。


 疲れている、というのは解る。

 だが、小雛にとっては疲れているという状態がそこにあるというだけで、それが嫌だとか、疲れているから不機嫌になる、ということに結び付ける思考を持たなかった。


 心の動きは考えて辿り着くものではないのだというのを知らないまま、小雛はただぼんやりと思考の上を転がした。


「もう、瑞女さんたら。終わりはちゃんと来ますよ」


 おかしくなり始めた空気はないもののように、柚葉は全くいつもと変わらない顔と声をしていた。


「あたしたちが解ることは、きっとみんな解ってます。朝廷なんて賢い人ばっかりだと思うし。だったらきっと、夏越(なご)しの(はらえ)の準備をもう始めていると思うんですよ!」


 あっ、と声を上げたのは広亮だった。

「なるほど、去年は準備に日が足りなかったから、夏越しとは別に大祓いが行われたけど、本来は夏越しの祓が一等強い穢れ祓いの儀だ…そっか、確かにそうだ…なんで気が付かなかったんだろう」

「でしょうでしょう?夏越しは盛大になって、終わればきっと去年の大祓い後ぐらい平和になります!」


 はたと目が覚めたようになったのは広亮だけではなかった。

 得意満面の柚葉の笑顔を振り返って、今まで話に加わらなかった阿弥彦さえも「一理ある」とぽつりと呟いた。


「ああ……」

 瑞女は気が抜けたような顔をして、ため息につい声が乗ったようなものを吐き出した。


「そう、ね。その通りだわ……先のことを言っておきながら、近くしか見えてなかったなんて…どうしたことなの……」

 はあぁ、ともう一度深く息を吐く。深く深く、上体を折るほどに吐き切ると、一気に体を起こして柚葉に人差し指を突き付けた。


「けれどよ!本当にそれできれいに浄化できるのかは決まっていないのだし、そもそも夏まで持ちこたえないといけないのだから、油断するのは言語道断というものよ!気を引き締めなさいな!!」

 きつく言われてもどこ吹く風。柚葉は「ふっふっふ」と不敵に笑う。


「やだなぁ瑞女さん。これは油断してるんじゃなくって楽しみにしてるんですよ!だって、夏越しのお祓いの次は夏祭りですよ!」

「なっ、油断するなって言った傍からそんな浮かれてるんじゃないわよ!!ちゃんと状況が改善するかは確かじゃないって言ってるでしょう!?」

「ちがいますよぉ。なにも完全に収まらなくたって、浄化されれば今よりもましにはなるでしょう?そして夏祭りはみんなで楽しく賑やかにして命の力を高め、厄を払うものなんですから、夏祭りで更に良くなること間違いなし!楽しめば楽しむほど良いんですからお祭りを楽しみにして頑張って乗り切りましょ」

「…一応筋が通ってるのがなんか腹立たしいわっっ!!」


 夏越しの祓と夏祭りが本当にそこまでの効果があるのか、保証は全くない。畢竟(ひっきょう)、柚葉の言は能天気に過ぎる。

 不測の事態にいくら備えても、現実は予想の上を行くことを、小雛は知っている。


――――けれど、あれを聞いてると少し、足が軽く感じるのはなぜ。


 彼女らの後ろで、少し遅れていた広亮にそっと侃爾が寄った。


「……なあ、(もっと)もらしいこと言ってるけど、本当か?」

「うーん、そうだね…。嘘は言ってないよ。夏越しの祓は大晦日の祓と並んで、大きな厄落としの儀式だ。今年は念入りだろうし、少なくとも全く効果がないってことはないと思う。夏祭りだって柚葉が言った通り厄払いだから、祭りの後は蒼竜京(みやこ)の気がさらに整うはずなんだ――でも」


 広亮はそっと言葉を切って、いつのまにかきゃあきゃあと楽しそうに騒いでいる二人の方を眺めた。

「……柚葉はただ遊びたいだけかもね」

「……やっぱそうか」

「ねえねえ!」


 大げさにびくつく男二人の滑稽な有り様に、柚葉は不思議そうに首を傾げたが、気にしないことにしたようだった。

「夏祭り、今年はみんなで行きましょうよ!夜もたくさん出店もあるし小雛ちゃんも一緒にいっぱい遊ぼうね!」


 小雛はぱちりと瞬きをした。


「……近くなったらまた言って」


 ついそう答えてから、小雛は唇を嚙む。

 これでは少しでも行く気があるようではないか。


 今までなら当然、遊びよりも修行を優先し、少しでも力を付けることしか頭になかったはずだ。

 今も発言を撤回して断るべきだと思う。

 なのになぜか、夏祭りに誘われたことに浮き立つような気持ちを感じてしまっていた。


 小雛の戸惑いに気づかず、嬉しそうに歓声を上げる柚葉の、その顔が曇るところがすっと脳裏に浮かぶ。

 怒りはするまい。ただ脳裏の柚葉は、残念そうに、悲しそうに受け入れて、それでも微笑んで見せるのだ。


――――まあ、次に誘われたら断れば良いだけ。


「わかった!また近づいたら誘うね!!――あ、他人事みたいな顔してますけど、阿弥彦班長もですからね!」

「…空いていればな」

「できるだけ空けといてください!」

「小雛が、夏祭り…一緒に…だと……?」

「侃爾…?侃爾しっかりして。動揺してるとこ悪いけど、僕らもいるからね?」

「あぁらぁ?これは見逃せないわねえ?絶対に休みをもらわないとだわ」

「ですねー!頑張っちゃいましょう!!」

「……張り切るのは良いが、任務の前には気を引き締めよ」

「班長!?なんで俺を見てるんです!?お、俺は浮かれてなど!!」


 先頭を歩いていた阿弥彦が不意に立ち止まった。

 後ろに続いていた班員たちもすぐに口を閉じて止まり、前方を注視する。


 場所は橘の屋敷の塀が続くところまで差し掛かり、時刻は移動の分だけ進んで、東の空がほのかに明るい。

 薄くなり始めた闇の中で、灯りがゆらゆらと揺れていた。

 鬼火や狐火(きつねび)のたぐいではない、あたたかな燈火色をした提灯の光である。――人が、歩いてくる。


 ほどなく踏み固められた土を踏む音が耳に届いた。

 立ち込めはじめた朝靄の向こうからやってくる人を見つけて、小雛は意外な思いで一歩を踏み出した。


春馬(はるま)さま」

「おかえりコヒナ…コヒナの同輩も、遅くまでお疲れさま」


 そこにいたのは、小雛の主治医である春馬蔵人(はるまくらと)その人であった。

 怜悧な(かお)に柔和な笑みを浮かべ、高い位置にある頭を傾けて会釈をした。

 煌めく髪がさらりと揺れる。

 灯りに照らされているのを差し引いても、小雛には彼が明るく輝いているように見えた。


「医師どの、何事かあられたか」

 会釈を返して問うた阿弥彦に、春馬はゆるりと首を振った。

「いいや、アヤヒコが気にするようなことは。ただ、わたしの客たちがコヒナと話をしたがってね。君たちも顔を知っておいた方が良いだろうから、皆で出迎えることにしたのさ」


 すっと半身を避ける仕草に促され、小雛は渋々春馬から視線を外したが、そこにあったふたつの人影を、さすがにじっと見てしまった。

あまりに奇異だったからだ。


「紹介するよ。彼は薬や材料を売っているキバ。わたしの仕事では彼の薬が大活躍さ」

「どぉもぉ!お勤めご苦労さんですぅー。ご紹介に預かりました薬屋の木場(きば)いうもんです。みなさんどうもよろしゅう!いやあ、話に聞いてましたが、ほんまにえらい別嬪(べっぴん)さんやなあ!」


 やたらと陽気に進み出た人物は、聞き覚えがない喋り方でぺらぺらとまくし立てた。

 頭から目の上までもに帯を巻きつけ、目元まで影が下りて顔の半分が見えない。

 提灯の光が黄みが強いことを差し引いても、おそらく帯は黄色か、それに類する明るい色をしている。

 そしてその隙間からあちこちはみ出している髪は、闇が濃くては黒っぽく見えるが恐らくは赤。

 総合して奇抜で怪しい。


「彼女はケラ。見聞を広げる旅をし(・・・・・・・・・)ている(・・・)ヒトだよ。外のことをよく教えてくれる」

「ふぇひひ。介良と、もうしまぁす。どうぞよろしぃく」


 介良と名乗った女は木場とちがって顔が見えるが、負けず劣らず奇妙な人物だった。

 きんきんと耳に響く高い声は子供のようにも聞こえるが、背丈は大人のそれ。

 どちらかと言えば小柄な体は細く、肌は白く、顔は小さい。

 いや、小作りな顔なのは確かだが、巨大な玻璃(はり)がふたつ繋がった道具――確か眼鏡といったか――が顔にくっついているせいで余計に顔が小さく見える。

 その顔を取り巻くのは老人のように真っ白な髪は艶がないせいで、顔の輪郭をぼかす。

 光を受けて輝くふたつの円盤が邪魔して目の表情がわからないことといい、こちらもまた得体が知れない。


「そして彼女がコヒナ。わたしの患者でとても優秀な術師だ。その周りは彼女の班の仲間だよ。彼らは協力して仕事をしているんだ」

「……小雛です」

 他ならぬ春馬に紹介されたから仕方なく名乗ったが、不愛想な名乗りにも関わらず二人は気分を損ねた様子もなくそれぞれ一礼し、班員たちもとりあえずこの奇妙な客人(まろうど)たちへ戸惑いながらも会釈を返した。


 満足そうに頷いた春馬は、客ではなく術師たちの方へ向き直った。

「彼らの用というのはね、コヒナの治療のことがひとつだけど、もうひとつはショウキについて知りたいというものなんだ」


「瘴気?」

 術師たちの眼差しが厳しくなった。

 全員の――小雛は僅かに目を細めただけだったので、初対面では表情の変化は解らなかったが――険しい顔を向けられ、客人たちは空気が変わったことに気づいたらしい。戸惑ったように見回した。


「あのようなもの、只人(ただびと)が興味を持つようなものではない。あれは穢れの塊。身を滅ぼしたくなくば、瘴気には近寄らぬことだ」

 

 代表して口を開いた阿弥彦だったが、語調はその眼光と同じく強く、一応は忠告の体を成していながら責めるようだった。


「いやいやいや、お兄さん、ちょっと待ってや。うちらかてただの好奇心で言うてるんとちゃうねん」

 一歩出た木場が焦って訴える。


「うちらはあっちこっちに旅をしてるのやけど、旅先で瘴気に出会うこともあるやろ。そら恐ろしい話ばっかり聞くんでできるだけ迂回するんやけど、詳しいことを知っといたら対処できることもあるかもしれんやないですか」

「その対応で合っている。あとは護符を携え、良き方位を確かめて旅をなさるがよろしかろう。貴殿らができるのはそれがすべてだ」

「いやいや、そういう話やありません。瘴気の性質を知っといたら、いざ出会ったときに逃げ切ることもできるかもわかりませんやろ」

「性質…?」


 阿弥彦が瞬いた。術師たちは顔を見合わせる。

 そんな彼らを見て、木場がにんまりと口の両端を吊り上げた。


「例えば水は上から下に落ちますやろ。対して風は横にも吹いていきます。場合によっては吹き上がることもありますやん。瘴気はどうなんやろ、と思いましてな。たとえば炎のように上に立ち昇るのやったら、身を低くすればええ。下に溜まるのやったら、出来るだけ上に逃げたらええんとちゃうんか、と」

「正しい対処ができるように、どういうものなのかを教えてほしい、ということなのだよアヤヒコ」


 にこり、と春馬が場を和ませるように微笑んだ。

「もちろん、一般人が君たちのような方法でショウキと戦えないのは分かっているよ。でも、出来る限り知識を付けておけば、それが武器になることもある」


 まぁ、ここで立ち話もなんだし、一度帰ろうじゃないか。

 そんな風に場を収め、歩き出した春馬に続いて歩き出しながら、小雛はほうと息を吐いた。

 小雛には考えもしないような発想が、まぶしく思えたのだ。






 春馬とその客人、そのすぐ後ろに続く小雛の背を追う形で、術師たちもまた歩き出していた。


「侃爾、元気出しなさいよ」

「……なんのことだ」


 いつも通りを装った仲間の平静が、ただの張りぼてだというのを、小雛以外の者にはお見通しであった。


「…小雛ちゃん、春馬さんしか見てないもんねぇ」

 一番後ろを歩きながら、柚葉が小さく呟いた。

 やや肩を落とした侃爾が瑞女に構われながら歩く背が、若干しおれて見えて、そっと合掌した。




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