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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
126/131

百八 顔見合わせて泣き笑い

なろうさんアップデート後で勝手が変わっていて、おっかなびっくり投稿します。

何かおかしくなってたらすみません。






「ええ!?そんなことあるわけないじゃない!!」


 (ツテ)は思わず大声を出して、思った以上の声量に自分でびっくりした。

 ついでに言葉と一緒に思い切りカラス本来の鳴き声が出たのと、ばさっと翼を広げてしまってひっくり返りそうになったのにもびっくりした。


 しかし一番驚いたのは間違いなく、突然間近でカラスの大声を浴びた三太朗だろう。

 目を見開き、肩が上がり、ついでに翼の羽毛がぶわっぶわに膨らんで、勢い倍ほど大きく見えていた。


 伝は自分もぶわわ、と羽毛を膨らませていることに気付いて、慌ててぶるぶると身を震わせて落ち着けた。

 咳払いをすると、仕切り直して三太朗の目の前に回り込む。


「いいこと?三太朗さん」


 真剣にお姉さんカラスは言い聞かせた。


「本当に嫌いなら、嫌いかもしれないって落ち込んだりしないわ!」


 雛がはっとして何度も瞬いた。

 カラスは大きく頷く。

 

「そもそも、嫌いなもののために悩んだりなんかしないの。嫌いなことを思うといらいらするとか、考えたくなくてむっすりしたり、不愉快でうんざりして、うがー!ってなっちゃうなら分かるけれども!ええ!嫌なやつのことなんて考えるのも無理!ってものよ!!」


 灰色の頭が傾いて「うがー…?」とちいさく呟いたのに気付いて咳払いをひとつ。


「…とにかくねっ、嫌いな相手のことを嫌いだなって考えてるときには、三太朗さんみたいに暗くなって悩んで泣いちゃったりなんてしないものなのよ!」


 ふいっとそっぽを向いて、小さく「泣いてないもん」と言った雛に、「あらぁそうだったかしらー?」とお姉さんは身を乗り出した。

 彼の頬や耳の辺りが少し赤くなっていることに、良い兆しを読み取って彼女はほっとした。


「――大丈夫よ、三太朗さん。あなたはちゃんと鶸黄(ひわき)ちゃんのことが好きだわ。仲良くしたいと思ってなきゃ、『嫌いかもしれない』なんてことを怖がって悩んだりなんかしないのよ。だから、その心配はいらないわ」


 ね?とカラスが見上げた先で、ゆるゆると向き直った三太朗は、徐ろに肩の力を抜いてこっくりと頷いた。


 三太朗の強張っていた顔からも力が抜けていて、言いたかったことがちゃんと伝わったのが分かった。

 伝は心からほっとした。


「三太朗さん、どうしてあの子を嫌いかもしれないって思っちゃったの?」


 三太朗はぐっと詰まったが、じっと気遣わしげに見上げる眼差しに負けてぽつぽつと白状した。

 曰く


「ひわのこと見たり考えたら、昨日のことばっかり考えちゃう」

「ひわが"()"のことわかるって思ったら、オレは出来ないんだなってばっかりになっちゃって」

「そしたら、もやもやして苦しくなって」

「お腹のとこが重たくなって」

「毎回だよ?ひわを見たりするだけで思い出してもやもやってなるし、考えないようにって思っても勝手に考えちゃうの…」

「ひわを見たらもやもやーってなって…それが()で…」


 うんうん、と聞いていた伝はさっくりとまとめた。


「先を越されちゃって目茶苦茶悔しいのと、気がわかるようになった鶸黄ちゃんがすっごく羨ましくなっちゃうのねえ」


 伝にもとても覚えがある感情である。

 何かしたくてもどうにもできない切なさを思い出して、かぁと鳴く。


「わかるわぁー!あたしもずっと変転(へんてん)が来なかったとき、そんなだったもの。同輩がどんどん占鴉(ウラガラス)染鴉(ソメガラス)なんかに成っていくのが羨ましくって仕方なかった。なんであたしは成れないんだろってばっかり考えて焦っちゃうのよね。どうにかしたいのにどうにもならなくて、このまま一生できないのかって思うと辛くて苦しくって、みんなと同じとこにいるのも気が重くってねぇ……どうしたの?」


 三太朗が段々と目を見開いて、ぽかんと口を開けているのに気付いて、カラスは首を傾げた。


「…オレ、くやしかったの?」

「?あ、ちがったかしら?」

「ううん………わかんない」


 きょとんとしてしまった伝の沈黙をどう思ったのか、三太朗は眉根に小さなしわを作った。


「えっと、羽が生えなくて、いらいらして、あせる…のはあったよ?……うらやましいって、ことばは、しってるよ」


 伝は今日一番の気付きに、はっと羽毛を寝かせた。


――――ああ!そっか!三太朗さんって同じ立場の同輩と競ったりしたことないものね!あの方々相手に悔しいも何もないわよね。


 そうなのだ。三太朗は現在、白鳴山でたった一羽の雛。

 兄弟子たちはもうとっくに位階を得た立派な天狗であり、同輩と競い合い抜きつ抜かれつ切磋琢磨するなんていう経験は皆無。


 山のモノに範囲を広げてみたとしても、皆が皆それぞれ立派な実力者揃い。

 成されることを見聞きして、自分には手が届かないと思っても、本気で悔しく思うことすらなく、羨ましいというより憧れが先に立つ。


 つまり、三太朗にとって鶸黄相手の今回が『先を越されて悔しい』も『自分に出来ないことが出来る相手が羨ましい』も実質初めての体験だ。


「ああ、なるほど」

 手があればぽんと打っていたであろう気持ちで納得した。


「初めてだから、悔しくてもどうしたら良いのか解らなかったのね」


 初めてのことは、誰であろうと正体も対処法も解らないものである。

 戸惑い、混乱し、不安な中でも、苛立ちを鶸黄にぶつけて傷つけてしまうことを恐れ、独りで耐えようとしたのだろう。

 いつ終わるのかも分からないのに。


 その優しさと、正しくあろうとする真っ直ぐさが、伝は誇らしかった。


「――三太朗さん、最初に言っておくわね。一歩抜かされて悔しいとか、羨ましく思うのは、悪いことじゃあないの。むしろ普通のことよ」


「えっ…」


 いつの間にか角度が変わっていた顔がもう一度上がり、不安に揺れる眼差しがあらわになった。


「…こんな、やなのが?」


「そうよ。悔しいが強いのは、やろうと頑張ったってことだもの。羨ましいって感じるのは、本気だってことだわ。三太朗さんが真剣にやりたい気持ちがあるのが、悪いことな訳ないのよ」


 涙を溜めた目に向かって、「大事なのはね」と続けた。


「大事なのは、誤解しないことよ。今もやもやして、やだなってなってるのはね、一歩出遅れちゃったことに対してよ。負けた気になるのが嫌だからで、鶸黄ちゃんをやだって思ってるんじゃないの。そこをちゃんと分けておかないといけないわ」


「…わかんないよ。ひわのこと見たら、こんなにやな気分になるのに」


 強張って悲しげな子どもに「それはそうね、その通りだわ。今は悔しいのが鶸黄ちゃんにくっついて思えてるのよ。嫌で当たり前なの。わかんないわよね」と頷いた。


「じゃあ三太朗さん、全部一度置いといて、今から言うことを思い浮かべてみて。そうね、そう、蒸かしたてのおまんじゅう。すっごく美味しそうなのを!あなたの手のひらの倍も大きくって、白い薄皮で、中身はあんこがたっぷり!どう?」


「…こしあんがいいな。くだいた栗が入ってるの」


「あら良いわね!じゃあずっしりこしあんが入ってて、栗もごろごろで、ほかほか湯気が立っていて、割るとふわって甘い匂いがするおまんじゅうよ」


 細い喉が、湧いてきた唾をごくりと飲み込む動きをする。


「そのおまんじゅうを持ってるのは三太朗さんと鶸黄ちゃんね」


 ぴくりと肩が跳ねるのを見ないふりして、カラスは朗々と続けた。


「あなたたちは隣同士で座ってて、鶸黄ちゃんは小さく割ったおまんじゅうを一生懸命ふうふうして冷ますの。三太朗さんは先に大きなお口でかぶり付く!甘くてあったかくてとっても美味しい!!慌ててひと口齧った鶸黄ちゃんも美味しくってびっくりしちゃった。それで、お互いに『美味しいね』って言うのよ」


 灰色の目は何度も瞬いて、確かにその場面を脳裏に見ていた。


「ねえ三太朗さん。そのときどんな気持ちかしら?楽しい?嬉しい?悲しい?いらいらしちゃう?」


 優しく問う声に一度息を止めてから、三太朗はそっと吐息を零した。


「――おいしくて、うれしくて、すごく……しあわせ」


「そう!素敵ね!じゃあ、そのときの鶸黄ちゃんのことは嫌かしら?」


「…………や、じゃ、ない」


 たっぷり時間はかかったが望みの答えを得て、伝は「でしょ」と満足した。


「三太朗さんは鶸黄ちゃんのこと、自分と比べちゃわないときには嫌じゃないのよ。それは、あの子のことを嫌いな訳じゃないからだわ。相手のことが大好きでも、競って負けたら悔しいし、されたことが嫌だったり、言われたことが嫌なのって案外たくさんあるの。もちろんそれが許せないぐらい酷かったら嫌いになっちゃうんだけど、大概は好きなままなのよ」


 わかるかしら?と首を傾げた伝に、三太朗は何度も頷いた。

「わかった。オレ、ひわのこと嫌いになってない!」

「そうよ!ああ、分かってくれて良かったー!」


 幼い顔にぱっと輝いた笑顔は、しかしすぐに萎れてしまった。


「でも、今もひわに…くやしくなってもやもやするでしょ…そうしたらまた、ひわもやな気分にさせちゃう…ひわも泣く?泣かせちゃう……」


 思い悩む彼は泣きそうだ。

 鶸黄を嫌いではなくても、嫉妬して意地悪や八つ当たりをするような気性ではなかったとしても、内心を隠して卒なく振る舞うには三太朗は幼すぎた。


「大丈夫!」

 だからお姉さんカラスは殊更明るく、大きな声で言った。


「みんなよくなる普通のことだって言ったでしょ。普通のことだから、当然上手いやり方もあるのよ。ちゃんと教えてあげるわ!!」





















 ごろんごろんと何度もでんぐり返って、最後に横向きでずざーっと滑った鶸黄は、しばらく土まみれのまま横たわっていた。


 掘り返され掻き立てられた、むせ返るほどの土の臭いを感じ、生い茂るシダを潰しながら落ちた所為か、青い臭いにも気がついて、故郷にはない香りになぜか腹の底へと冷たい風が吹き込む心地がする。


 ただ、幸いにしてそれほどの痛みはない。

 歩こうと思えば歩けるだろうと思ったけれど、ここから立ち上がって、斜面をよじ登って、山道を歩いて戻る。そんなことをしないといけないと思えば途方もなかった。


 ぼんやりとしたまま、動かなければと思う気持ちが萎えていく。


 がたっ。


 突然聞こえた異音に肩が跳ねた。


 先の音を追うように、ずーっ、かたん、と山で聞くはずかない音が続いて、臆病な子鬼はすっかり固まってしまった。


 ざく、ざく、と何者かが地を踏む音がする。

 正体を確かめなければと思いながら、結局顔を伏せ、気付かれないようにという無茶な願いを抱えて息を潜める。


 しかし、願い虚しく鶸黄を影が包む。


「おい」


 地獄の底から聞こえるような重低音にびくりと慄き、ぎぎぎ、と音がしそうなぎこちなさで、ようやっと顔を上げた。


 彼はそのとき初めて、そこが民家の裏であり、先の音が、木戸が開け放たれた音だということに気が付いた。

 そして、戸が開いた家を背景に、殆ど視界いっぱいに、巨大な()が聳え立っていた。


 丁度相手は木々の合間から斜めに射し込む光を背負っていて、落ちる影が濃かった。

 さらに、相手は鶸黄を良く見ようと凝視しており、その眼光が普段より一層強かった。


 顔は遥か高くから見下ろし、何もなくても厳つい顔は影に沈み、カッと開いたまなこが影の中でくっきりと浮かび上がる様は実に…恐ろしかった。


「ぴゃああああああ…ああ、あ」


 彼は恐怖のあまりにか細い悲鳴を上げて、かくりと地面に伸びた。


 白鳴山の怖い顔代表。迫力満点だが常識と人情を備えた巨躯の鬼、弦造(げんぞう)さんは、慌てて小さいのを拾い上げ、汚れているだけで大きな傷もなく息もしっかりしているのを確かめた。

 ざっと調べてほっと息を吐くと、重い足取りでのろのろ家に引き返す。


「おーい、お(しの)よお…ちいと来てくれねえか…」


 いつもは豪放磊落を絵に描いたような夫の、実に情けない声に驚き、お篠はすわ天変地異かと部屋から飛び出した。


 泥だらけの子鬼を見て顔色を変えかけたが、所在なさげに佇む情けない顔をした夫の、哀愁漂う影を背負った姿から瞬時に全てを察した。


 そうして、慌てず騒がず、遠慮なく、思い切り噴き出した。






「ごごご、ごめんなしあ…ご、ごめんなしあ…」


 しばらくして無事に目覚めた子鬼は、寝かされていた座布団から即座に飛び起き、板間に額を擦り付けていた。


「んなこたぁいい。それより、もうちっと明るいとこへ座れ」


 どっかりと胡座をかく鬼は、鶸黄も挨拶をしたことがある、山主の配下の戦鬼…鶸黄など足元にも及ばない格上の鬼である。


 例え懐いた雛に膝の上で遊ばれて満更でもなさそうであったり、でっかい手でちまちまと木を削って小さな玩具を(こしら)えてはしばしば持ってきてくれたりしていようと、格上は格上なのである。


「ボ、ボクあ、げんぞうさまに、と、とんだ失礼を…」

「良いっつってんだ。チビがんなこと気にすんじゃあねえ」

「ぴゃっ」


 ひょい、と持ち上げられて、ぽんと膝に置かれてしまう。

 ごつごつとして熱い鬼の胡座の上で目を白黒していると、近くで(たらい)の水気を拭っていたお篠がにこにこと頭を撫でた。


 その手つきが優しくて、鶸黄は自然と体中の力が抜けてしまう。

 すると、大人の広い胡座の上は、存外に居心地が良いことに気がついた。


「よしよし、綺麗にするときにひと通り確かめたけど、怪我も殆ど塞がってたよ。坊やもちっちゃくても鬼だね」

「痛みは残ってねえか」


 子鬼は気を失っている間に着替えさせられていた。髪も洗われたのかしっとりしているが、お篠の指先が撫でる度にさらさらと毛先が動く。


 ちなみに、外で酷く汚したり破ったりしても着替えられるようにと、子どもたちの着物は元から鬼夫婦の家にも常備されている。

 そのお陰で、今回着せてもらったものも、着丈は鶸黄にぴったりだった。


 全身あちこち確かめても、ざらついた土の不快感はどこにもない。頭から手足の指に至るまで、打ち身や捻挫の疼痛も感じなかった。


 袖を肘まで捲ってみると細い切り傷が何本かあったが、もう瘡蓋(かさぶた)も殆ど取れて新しい皮膚が張っている。


「だ、だいじょうぶ、でし」


「あんたが無事で良かったよ。でも後から何か気がついたら、誰でも良いからすぐに言うんだよ」


「引っ掛けたりぶつけたりするもんはあの坂にはねえから、あっても虫刺されか擦り傷ぐらいだろうがよ……おい、どうした」


 前髪が上げられ、顔を覗き込まれて、子どもは「ひぅっ」と引き攣れた息とともに、また涙を零した。


「おやおや、安心したのかねえ」


 心配そうに頬を拭ってくれるお篠を見上げれば、雫がもうひとつ転がり落ちた。


 焦って止めようとするのに、余計に喉が詰まって、ひっひっとしゃくり上げながらぼろぼろ泣いてしまうのを止められない。


 乗った繊手が頭を撫で、前に回った広い手がゆったりと腹を叩く。

 それに促されるように、昨日から(こら)えてきた、胸の内の揺れが止めようもないほど酷くなっていく。


 温かい手が撫でてくれるのも、大きな膝に抱えられるのも、優しい声が心配してくれるのも、酷くしみて、どこかがじんじんして、温かくて、受け止めきれないほど増えたそれらが涙に変わり止めどなく溢れていった。


「昨日あったことだけに無理はねえな」

「そうだねぇ」


――――昨日。


 随分たくさん泣いて、少し落ち着いたときに偶然届いた言葉。

 ぽろりと落とされたそれが偶然耳に残り、子鬼はふと息を詰めた。

 お篠と話す弦造を見上げ、じわりと胸に広がる何かもやもやとしたものを感じて顎に力が入った。


 さっきまで何もかも弛みきっていたのに、自らに起こった急な異変に戸惑う。呆然としたところに「災難だったな」と声が降ってきた。


――――さいなん…?


 災難とは悪いことだ。降りかかる悪い運命。

 何がだ?彼らは昨日の話をしなかったか?悪いとは昨日の何を、誰、を。


「ちがっ、ちがう!!」


 ぱし、という乾いた音も、驚いたふたつの顔も、子鬼の意識には上らなかった。


「ぬしさまはわるくない!!ぬしさまあっ、ぬしさまあつらくて!くるしくて!!だから、ぬしさまをわうく、いったら、だめえ!!!!」


 かっかと頭が熱かった。

 目は見ているはずのものが見えず、鬼夫婦の手を振り払ったのもまるで無意識だった。


 最近少しずつ良くなってきた滑舌が、また舌足らずに逆戻りしているのも、初めて勢いに任せて他者を(なじ)り責めているのも頭になく、ただただ大切な主が悪者にされることに我慢がならなかった。


「ボク、ボクが、ボクだから!」


 思い浮かべた主は暗い顔をしている。

 落ち込んだ彼はそれでも、配下を悪く言うことはなかった。――それがとても悔しくて悲しい。


「ボクあっ、ボクがっ、やくっぅ、たたずで……!」


 他ならぬ主がそうして気持ちが上向くなら、悪く言ってくれれば良かった。当たってくれても良かったのに、主はそうしなかった。

 してくれなかった。


「なんにも、できうこと、なくてっ」


 誰よりも何よりも、許せなかったのは自分自身。

 唯一無二の主に、至らなさゆえに暗い顔をさせてしまった不甲斐なさ。


「ボクが、ぬしさまに、あんなかお、さした!!!」


 何の役にも立てず、気分を害するだけの存在など――故郷の里にいた自分と、安く売り捨てられた頃と、何も変わらない。


 変わらず無価値なのだという実感が胸に突き刺さる。


「ボクが…ボクがぁ、あああ、ああぁ゙ぁ゙あ゙!!」


 何かの声を遮ってわあわあ(わめ)き、掴まえる手に抗ってじたばた暴れ、終いには言葉はただの音になって、息も絶え絶えに身悶えしながら濁点だらけの声を上げた。


「よしよし。良い子だね。――ほんとうに、良い子」


 子鬼はふわりと温かなものに包まれた。

 ぎゅっと少し窮屈な力加減で全身を締め付けられ、顔を何か柔らかなものに押し付けられる。

 遮られた泣き声がくぐもった。


「大丈夫。大丈夫。誰もあんたたちのことを悪いなんて思ってないよ。あんたのことも、もちろん三太朗のこともだよ」


 子鬼は大丈夫、大丈夫と繰り返される声の中で背を撫でられていた。

 泣きじゃくる声は、次第に唸り声に変わっていき、やがて、しゃくり上げながらのすすり泣きになっていった。


 お篠は、その合間に小さく繰り返される謝罪の言葉を耳にして、膝の上に抱きしめた子どもを見下ろした。


「ひわ坊、何も悪いことをしてない子は、謝んなくてもいいんだよ」


 子鬼は首を横に振った。力なく何度も、頑なに否定する。


「ボク、ぅあ、ぬししゃ、あんなっかお…!」


「――そうだね、あの子が酷く落ち込んじまったのは聞いてるよ。でもね、そりゃあの子の問題だ。それは別として、あんたは悪いことをしてないだろ?」


 子鬼は驚いて顔を上げた。

 お篠は、そこから何を読み取ったのか、仕方がない子を見る顔をした。


「ねえひわ坊、先に新しいことができるようになるってのは、悪いことなのかい?」


 彼は何か答えようとして口を開け、ひくっとひとつしゃくり上げ、結局恐る恐る横に首を振った。


「じゃあ、あんたはあの子に、昨日のことをネタにして嫌がらせでもしたのかい?」


「……ええ?」


 そんなことを言われて、子鬼は想像さえできずに呆けたが、お篠は全て解っているように笑った。


「おや、だったらあんたは悪くないだろ?それともあの子はあんたが悪いって言ったのかい?」


 小さな鬼また首を振ったが、泣きそうに顔を歪めた。

 確かに三太朗は配下を悪く言うことはなかったが、内心でどう思っているのか知る術は鶸黄子鬼にはない。


――――そう、もしかしたら、本音は……。


「――あの子を見くびっちゃあいけないよ。あんたの主はね、自分の未熟を他のせいにして恨むような性根の曲がった子じゃあない」


 彼ははっと背筋を伸ばした。


「なあチビ助、てめえは主の役に立ちてえんじゃねえのか?」


 振り返った子どもにぎょろりと目を合わせて、弦造は「どうなんだ」と訊いた。


 泣く子に太刀打ちできず、おろおろしている間に嫁に取られて憮然としていたのを取り繕い、今はなるべく平静な顔を作っていたので怖さは少しだけましだったのが幸い、鶸黄は恐る恐る答えることができた。


「あ、あい。ボ、ボクあ、ぬしさまのお役に、立ちたいでし…」


「だったら、あいつより出来ることがあんのは願ってもねえだろうが」


「えっ……?」


 思ってもみないことを言われて、子鬼の思考は空白になってしまう。


「良ぉく考えろ。何もかも主より劣ってる奴がどう役に立つつもりだ。自分でやった方が上手くいくなら、手下を持つ意味はねえ。違うか?」


 鶸黄はその通りだ、と思った。しかし、ぐるぐると主の暗い顔と固い態度が思い浮かんで混乱が深まる。


「でも、でもボクあ…ぬしさまのごきげんを、そこねて……」


「鶸黄坊」


 呼びかけた大人たちは、怖いほど真剣な顔をしていて、鶸黄は思わず肩を揺らした。


「あんたが三太朗にいつもご機嫌でいて欲しいって思ってるのは解ったけどね、大事なのはそこじゃないだろ?あんたは主のご機嫌取りなんかをするために傍にいるのかい?」


 鶸黄は呆然と息を吸って、目を見開いた。


「ボク、あ…」


 降ってきた巨大な手のひらが、髪を乱雑に搔き回す。


「うちの大将も、お前の三の(ボン)も、他の手が必要だから部下を持つんだ。何もかも自分で出来るんなら部下なんぞいらん。…お前からどう見えるかは知らんが、こっちから見りゃ、あいつぁ子どもで未熟なんだ。支えてやれ。そうできるようになるのが、お前のやるべきことなんじゃあねえのか」


 口調も顔も厳しくて怖いが、その言葉は怯むよりも先に鶸黄にすんなりと染み込んで馴染んだ。


 深く飲み込んだ言葉は、それまで闇雲に『役に立ちたい』とだけ漠然と思い続けていた彼に、向かうべき方向を探す手掛かりとなった。


「ボク…そう、したい、でし!ぬしさまに、ひつようだって…!…なにを、何を、したら…どう言ったら……ボク、ボク!」


 鶸黄はぼろぼろ涙を零しながら必死に訴えた。

 新米の配下は心を動かし、考え、言葉を伝えることがまだまだ覚束ないが、鬼の両親は、苦手でも不得手でも、主のために悩み苦しんでいる子鬼に密かに安堵した。


 この子は頼りなく臆病だが、壁に当たるとすぐ諦めて座り込むような気質ではないのだ、と。


「…そうだな、まずは落ち込んでる相手にしてやるべきなのは、そんな顔させたくなかったってえ女々しく泣くことじゃあねえ」


 おずおずと頷く頭を、変わらず優しい手がさらさらと撫でる。


「昨日や今朝は冷静に話せなかったんだろうけど、そろそろあの子も落ち着いた頃さ。あの子は真剣に話す相手が言うことをちゃんと聞くのを、あんたは良く知ってるだろ?」

「心配なら、言うこと全部決めてから帰りゃあいい」


 心細そうに頷く鶸黄を見ていた弦造は、思案気に眉を顰めて子鬼にびくつかれた。

 何とも臆病な様子に益々心配を募らせ、それが顔に出て息が止まるほど怖がられながらも、面倒見が良い鬼は申し出た。


「……てめえは何も言えんで終わりそうだ。今後、あいつの役に立ちてえなら、言いてえことも言えねえのは不味い。真に主を想うなら、意に反する助言だろうが言えるようにならねえといかん。今回は手伝ってやるから、練習のつもりでやってみろ」


 鶸黄は慄きながら、時間をかけて先輩鬼の言葉をきちんと理解すると、居住まいを正して頷いた。


















 何かが動く気配がして、三太朗はそちらに意識を向けた。


 館の壁に預けていた背を浮かせ、じっと小道の方を凝視する。

 すると、夕闇が迫る中、繁みの向こうから大股に上がってくる大きな鬼と、細い鬼の姿が表れ、天狗の優れた目は、巨大な腕にちんまりと収まっている小さな鬼を捉えた。


「ひわ!」


 駆け寄ってくる三太朗の前に下ろされた鶸黄は、何だか少しよれよれとしているようだった。


「ぬしさま…」


 しかしその目は、少しばかり据わっていた。

 小さな体は汚れてはいなかったが、全体的にどこか草臥れている。


 心配で目を凝らした三太朗は、僅かに見える目元が腫れているのを見つけた。

 泣いたのだろうか、と思うと胸が痛む。しかし、前髪の下から何やら強い眼差しがびんびんと突き刺さってくるのに、三太朗は戸惑った。


 不安に揺れるでもなく緊張に震えるでもない、感じた覚えがないその感情(こころ)。彼らしくない目つき。ふらつく足元に泣き腫らした目元。

 様子がおかしいというに充分。

 しかし、鶸黄の様子をおかしくさせてしまった原因は明白なのだ。


「ごめんひわ!」


 唐突にがばりと頭を下げた主に、鶸黄が驚く気配がする。


「何でも話そって約束したけど、昨日オレ、自分で自分がどう思ってるのかわかんなくって、今までかかっちゃった!だからごめん!」


「あ…ぬしさ……」


 どうか分かって欲しい、反省していると雄弁に語る姿に胸を打たれ、よれり、と鶸黄の決意が体ごとよろめいた。

 が、傍に黙って立っている鬼をちらっと見て、寸でのところでぐっと持ち堪えた。


 鶸黄は、全て許して自分も謝ってしまう方へ振れかけた気持ちを立て直し、真っ直ぐ三太朗を見据える。

 そこにある精神(こころ)に"決意"という名がつくものが宿っていて、三太朗は目を丸くした。


「――ぬしさま、は」


「ひわ…?」


「ぬしさま、ぬしさまはっ、ずるいでし!!!」


 ぱん!と弾けるような勢いでぶつけられた主張を、主は硬直したまま受け止めた。


「ずるいでし!ずるいでし!ずるいでし!!ぬしさまはずるいでし!!なんこもボクよりできることあるのに、いっこぐらい良いではないでしか!!ぜんぶボクよりできないといやなんて、わがままでし!ずるいでし!!」

 対する鶸黄は言い始めると頭に血が上るままに捲し立てた。


「なっ、一個だけってなんだよそれ!!」

 三太朗は思わず口走った。


「一個ってなんだよ!オレはずっと操気術(そうきじゅつ)覚えるのたのしみにしてたんだぞ!!ずっとずっと一番やりたかったの!!他とはちがうの!!トクベツなの!!ひわこそできてずるい!!」

「ずるくないでし!ボクだって!ぬしさまよりできうこと!ほしいでし!!ぬしさまは他はいっぱいできてうでし!!」

「ちがうもん!!そうきじゅつはトクベツだって言ってるでしょ!!それに負けたの悔しいんだもん!!ちょっとぐらい落ち込んだっていいでしょ!!!!」


『悔しい』の言葉に驚いた鶸黄に構わず、三太朗は苛立つまま拳を振り上げ振り下ろす。

 お姉さんカラスに教わった通り、気持ちを隠さず思い切り悔しがり、羨ましがるべく、合わせて片足もたんたん踏み鳴らした。

「悔しい悔しい悔しい!!!ひわが先にできたの悔しいし羨ましいのっ!!!ぜったいぜーーったい次は負けないしそうきじゅつだってできるようになるんだからな!!!!」


 鶸黄もつられて白い頬を真っ赤っ赤にし、不器用に全身を屈伸しながら両足跳びの地団駄を踏んだ。

「や、やでし!やぁでし!!ボク、つぎもさきにできうようにがんばりまし!!そえで、そうきじゅつもがんばって、他もがんばって、ぬしさまよりできうこといっぱいいっぱいいーーっぱいふやすんでし!!」


 そえで!と反論を掻き消すほどの大声が響く。


「ぬしさまが苦手なことあ、ぜんぶ代わりにボクがやるんでし!!!!」


 始めての大声は裏返ったが、ひとつ言ってしまえば堰を切ったように止まらなかった。


「ぬしさまが苦手なことあボクの方がじょうずにやれば良いんでし!!いやなことも、ボクが代わればいいんでし!!ぬしさまあとくいなことをいっぱいやってたらいいんでし!!!!」


 二の句が継げなかった三太朗は、鶸黄がそんなことを思っているなんてと、片隅の冷静な部分で考えた。

 何をするにも一緒で力を借りられる相手。でも一歩前に出て引っ張って行かなければならない存在だと思っていたのだ。


 それを逸脱したいだなんて。三太朗の隣や前にも立って、負担を減らしたいと思ってくれていただなんて、信じられない気持ちと、それだけ大事に思ってくれている実感から少しの照れがある。嬉しくないと言ったら嘘だ。

――でも、しかし、だからこそ。


 三太朗は、鶸黄が言い終えて大きく息をした隙に、負けない大声で「なんだよそれ!!!!」と叫んだ。


「オレはやなこと全部ひわに押し付けるなんてしない!!苦手なことだって出来るようになるんだ!!オレは苦手とかやだとかで諦めたりしない!!そんなかっこわるいことしないもん!!」

 だって!!と今度は三太朗が鶸黄を遮って叫ぶ。


「立派な主はそんなことしないでしょ!!!!」


 新米主は配下が目を丸くするのに構わず捲し立てた。


「やりたくないこと何でもひわにやらせて?好きなことしかしなくて?それに何も思わないで頑張りもやめて?そんな主を誰が立派だって思うの!!従えてる家来が上手にやって当たり前!?そうなったらきっと『配下にふさわしくない主』って言われるんだ!!ひわだって嫌になるでしょ!!!そんなのやだから頑(・・・・・・・・・・)張ってるのに(・・・・・・)やめろなんて言うな!!!!」


 耐えられないと嘆き、嫌だと叫び、取り乱し睨みつける主を、鶸黄は半ば呆然と見返した。


 出会った頃から優秀な彼の主。強者の素質を持ち、皆から認められ、鶸黄の小さな手に余ることも当たり前のようにこなす。

 脚も速く、聡明で、言葉の切り返しだって上手く、周りから可愛がられる、鶸黄の完璧な(ゆいいつ)


 そんな彼が、実は努力でその姿を保っていたという。

 しかも理由が、他ならぬ自分に愛想を尽かされるのが嫌だから。

 そんな度肝を抜かれる暴露、かっかと血が上っていなくても、なんと理解すれば良いのか分からない。じわりと鶸黄の胸を満たす温かさは何なのかだって分からない。


「そうきじゅつも出来ないままなら飛べもしないんだよ!!オレはそんな出来損ないは嫌だ!!オレは ひわにも師匠たちにも『立派だ』って思って欲しいの!!ひわに主で良かったって思われるひとかどの天狗になりたいの!!!!だから頑張りたいの!!!!」

「が、がんばったらいいでし!!でも、ボクもまけないでし!!次のなにかも、ぬしさまより先にできうようになるんでし!!」

「言ってろよ!!じゃあ先越されてもいいもん!!オレは絶対最後はひわより気の使い方も上手くなるんだからな!!!」

「!?ボク、ボクだって、できうようになったことも、もっともっとじょうずになるようにがんばりまし!!そえでぬしさまのおやくにたつんでし!!!!」


「はい、そこまで」


 いつの間にか間近にやってきていた高遠が、それぞれの肩を掴んで、優しいながらも力強く二者を押し分けた。

 はっと見上げた彼らを交互に確かめ、とても上機嫌に微笑む。


「よしよし、互いが互いに大事だと伝え合うのは良い事だが、そろそろ風呂に入って夕餉にしろ。続きはそれからすれば良い」


 よしよし、と別け隔てなくかいぐりかいぐり撫でられて、新米の主従はそれぞれ頬を膨らませたり、首を竦めて固まった。


 照れ隠しなのか、周囲に無言で彼にしては粗っぽく会釈する三太朗と、それに一拍遅れで続いた鶸黄は、やっぱり黙ったまま足早に去った。


 にこやかに――ごく一部はにやにやと――見守っていた面々は、もう日も沈み切った薄暗い中で顔を見合わせた。

 自分たちが見ているのに気づいて流石に恥ずかしかったのだろうな、と。

 それもそのはず、高遠をはじめ、騒ぎを聞きつけて、山にいる高遠の配下全員と、三羽の兄弟子がそこに集まっていたのだった。


 全員がもう大丈夫そうだと結論して、それぞれ微笑みや呆れなんかの、思い思いの安堵を(おもて)に浮かべた。

 去った彼らは仲良く連れ立っていたし、高遠への反論はついぞなかったのだから。


「全く、人騒がせなものよ…」

「ああ、高遠さま。もうしばし見ていとうございましたのに…」

(ユミ)さん、でもそれじゃあご飯が遅くなっちゃいますよう」

「子どもたちがお腹を空かせてしまったら可哀そうですからなあ」

「まあま、あいつらが『大好きだ』って叫び合うのは確かに面白かったけどなー」

「そうそ、あいつら喧嘩できないんだなー」

「っとにしゃーねー奴ら」

「すまんな大将。あんのチビ助、言うこと言うこと全部あんなんだもんでよ。本音が他にねえのか探って遅くなっちまった」

「弦造さま!三太朗さんもちゃんと立ち直るまですっごくかかっちゃったから、あたしは丁度良かったと思います」

「もう引き摺らないといいんだけどねえ」


 わいわいと意見交換した大人たちは、高遠の「まあ、あの様子なら何とかなるさ」のひと声でその日は解散した。




 それぞれが気にかけて見守る翌日。


 子どもたちは互いを見るときはぎこちなく不機嫌そうな顔こそしていた。

 しかし起きてくるのも一緒なら食事も風呂も一緒だったし、おやすみなさいと寝に行くのまでずっと一緒だったので、周りの者は密かに笑って見守っていた。


 恥ずかしがってどんな顔をするべきか決めかねているだけなら、これはもう何も心配はないだろうと。


 余談だが、おやつの蒸したての栗入りまんじゅうを頬張るときは顔を作るのも忘れ、満面の笑みを見合わせていたという話は、その日の内に全員に共有された。


仲直りのターン。

白鳴山では全員で子育てをします。

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