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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
123/131

百五 歩幅を揃えて







 鶸黄の種族"氷鬼(ひょうき)"は、その名の通り氷の属性を持つ鬼である。


 彼らは極寒の雪山に住まい、冷気と氷を操る。

 長ずれば少々の炎などなんのその。軽く吹き払い、逆に凍りつかせてしまう。


 …のだが、鶸黄にまだそこまで強い力があるわけがなく。

 炎どころか湯の熱が高すぎても、熱(すなわ)ち"火の気"に負けてしまい、苦痛を感じる…ということらしかった。


「え、じゃあ体をお湯で洗うとかはしないの?拭くだけ?」


 三太朗は湯船のへりに顎を乗せて、後ろで足と翼を湯面にぱしゃぱしゃと遊ばせた。


「えと、やあらかい雪で、こするでし」


 鶸黄は、雪を掴んで背中や首までしっかり擦ることや、里に数カ所の、風を遮る囲いに新しい雪を溜めること、毎日大人が持ち回りで雪溜めの表面の氷を剥がすことを身振り手振りで説明してくれた。


 身動きする度に、たらいの中のぬるま湯がぱちゃぱちゃと揺れている。


 湯に震え上がっていた鶸黄だったが、たらいに汲み上げ、ほんのり温かい程度まで水でうめたところ、浸かるのをすっかり気に入ったようだった。


 三太朗の体よりも少しだけ高い程度の、普通の者が浸かるには冷たいぐらいの温度であったが、鶸黄には適温で、気持ち良さそうに寛いでいる。

 痛そうだとか苦しそうだとかは全くない。


 火の気配とやらが残っていて、段々体調が悪くなるのではと心配していた三太朗は、ほっとした。

 胸元まで浸かってほんわりと力を抜いている様子を見ていると、氷だの火だのと言うので大袈裟だが、実のところ体がつめたい体質で、熱いものを普通より熱く感じるだけなのではと考えている。


 お風呂が怖くないと判明したお蔭で気分が軽くなったのか、鶸黄は気分よく色々なことを喋ってくれるようになったので、兎にも角にもお湯に浸かって気持ちを軽くすることは成功したのだった。


――――すぐたらいと水くれてほんとに良かった。


 語彙が少ないながら、故郷の山の高さをなんとか伝えようとして唸っている配下の次の言葉を待ちながら、三太朗は素早い対処をしてくれた権太郎と釿次郎に感謝をした。

 それはもう、持ってくるのを頼んで十秒経たずに差し入れられたので、三太朗の彼らに対する評価は跳ね上がったのである。


 実は、氷鬼の子どもが熱いものが苦手だというのは、三太朗以外の館の者は予想していたことだった。

 なので、彼らが風呂場に向かうと同時に準備を始めていたにすぎない。

 実際、先の昼餉の膳に供された品々も、鶸黄のものは三太朗のより冷まされていたのを彼らは気付いていない。


 それらの配慮を知らない三太朗は、彼らがものすごく素早く準備してくれたのだと思って『ごんたろさんとぎんじろさんすごい!』と無邪気に感心していたのである。

 閑話休題。


 そうして少しの間雑談する内に、彼らはお互いの育った環境のあまりの違いが浮き彫りになって、聞けば聞くほどそれぞれに驚きを重ねていった。

 それはもう、言わなくても分かるような、常識的な範囲のことまで食い違う有様なので、驚く以外にないのである。


 なにせ、鶸黄はお風呂どころか湯を見るのも初めてで、火はあるにしろ、雪を溶かして水にするためだけにしか使わないというのだ。

 そしてその役目は勿論大人がするものなので、彼自身はあまり見たこともない。


 大人が大袈裟に怖がらせて子どもが近寄らないように躾ていたこともあり、彼の中で火は『なんだか良くわからない怖いもの』として、湯と共にむやみに恐ろしいものになっていたのだった。


 当然、寒ければ火に当たり、温かいものを飲み食いし、囲炉裏の灰掻きや焚き付けを足す手伝いも日常的ににする三太朗には全く分からないことである。


 しかし、分からないのはお互い様のことだ。

 鶸黄もまた、緑豊かな白鳴山での、多種の(あやかし)たちとの暮らしの話に仰天した。


 無知なことで、相手が自分を悪く思っていないというのが確認できたのも良かったのだろう。

彼らは驚いた顔同士を見合わせ、相手も驚いていることになんとなく親近感を覚えて落ち着くことができた。


「ねえ、ひわ。お昼ご飯のときも、お風呂みたいに何か怖かったの?」


 だから、するっと出てきたその質問に鶸黄が口籠ったときの沈黙は、話し慣れないゆえに言葉を探す()でしかなかった。


 三太朗はすっかり心の余裕を取り戻し、浴槽の縁にかけた腕に顎を乗せて、ゆっくり最初からでいいよ、と落ち着いて待つことができた。


「あの、ボクあ、お昼っていうのあ、時間しか知らなくて…お昼たべうってなにか分からなかったでし…」


「うん」


「そえで、あの、食べものも、ボク、知らないのばっかで」


「…うん」


(あお)いのは、あざやかで、白っぽいのは、砂付き雪と似た色で、でもぜんぜんちがって、うすべにの平たいのは、よく分からなくて、そえで…あの、茶色のしる…口にいれたら…口のなか、火のけはい、びっくりしてその、いたくて…舌が、ぴりぴりして…そえ、そえで……」


「……」


 灰色の頭の中では、お昼ご飯の品々が駆け巡った。――"あおいの"は大根葉の煮浸し。"白っぽいの"はご飯であろうと見当を付ける。

 どちらも見慣れなくて敬遠したようだった。

 うすべにの平たい…薄紅色の鮭は例えも浮かばない奇妙なものに感じたらしい。

 そしてそんな中で選んだのはとろろ汁だった模様。


 食べた結果として出たのは"火のけはい"である。

 三太朗は、これは鶸黄流の"熱い"の言い方だと理解していた。


「とろろ汁、とろっとしてるし熱いのはとうぜ…あ!お湯見たことなかったって言った?あったかいの飲むのも初めてか!」


 こくこくと頷く鶸黄に、小さな主はううんと唸った。


「そっか、熱いのびっくりして零しちゃったのかー」

「えと、ぬしさま。あの、あつい?のもあったでし。でも、舌が…その、あのときはぴりぴりして、痛くて、えと…」


 もどかしそうに一生懸命話すのを見ていると『痛いのは熱かったからでしょ』とは言いにくくて、三太朗は首を傾げてもう一度考えた。


「舌…えっと、痛い…って、もしかして辛かった…?」

 言いながらそれはないかと思った彼は反対側に首を傾げ直したのだが、向かいでも黒い頭が傾いていた。


「あの、ぬしさま…からい?って分かりましぇ…」

「…ふぇっ!?」




 それまでの食事の話をよくよく聞いてみれば、鶸黄の里で食べ物といえば、米粒よりも小さな草の実だという。

 しかもそれ以外を食べた記憶がないらしい。雪や氷柱(つらら)は別としてだが。


 とにかく、鶸黄が育った里には米がなく、"ご飯"という言葉さえ存在しなかった。


 それを聞いてぽかんとした小さな天狗だが、その後を聞いて更に呆然としてしまった。


 火を使っての料理をしない彼らは、草の実を炊くでもなければ茹でるでもない。なんと、かりかりになるまで干してそのまま食べるというのだ。


「えっ!?ええっ!?せめて塩とかは?」

「しお…えっと、病気になったらなめうって聞いたことありまし…」


 高山では塩を手に入れるのは難しく、住むのに適さない場所たらしめる要因のひとつである。

 普通、人間であれば塩を摂らなければ確実に病気になるが、氷鬼は充分な"()"があれば、大体は問題なく生きていける種族であった。


 当然鶸黄も、特に塩を摂ることなく生きてきたのであり、"辛い"というよりむしろ"塩味"さえよく知らないという衝撃の事実が発覚した。


 想像もし得ない暮らしにただただ純粋に驚くばかりだった。


「そっかぁ、塩味も食べたことなかったのか…初めてあったかいもの食べて、しかも初めての味だもんな。そりゃびっくりするよな」


 納得感に脱力してしまう。

 こくん、と不安そうに頷く、自分よりも小さな頭を撫でて、新米の主は溜息を禁じ得なかった。


「何か始める前に、ひわの話を聞いてみれば良かったね。昼ご飯もお風呂も…びっくりさせてごめん」


「ぬしさま…あの、いいえ、いいえ。ボク、ボクも、あの、言えなかったでし…」


 しょんぼりしてしまった子鬼にはっとして、『オレの方が』と言おうとして言葉を飲み込んだ。


 相手のことを分からないままに、ひとりで考え決めつけ空回りしてしまうばかりだったけれど、自分の方がと言えば、言い合ってきりがなくなるのぐらいは分かった。


 そう、ひとりで考えたところで何もならない。

 相手と分かり合うには、相手と話すしかないのだ。答えは相手の中にしかないのだから。


――――師匠も今日言ってた。『訊いてみたらどうだ』って。


『あれこれと思いやってやるのは良いことだが、どのような者かを断ずるのは話してみてからでも遅くはあるまい?』

 高遠の言葉を思い返して、三太朗は一度目を閉じた。

 確かに全くその通りだった。


 三太朗は困った顔で笑った。


――――きっと師匠は、オレがこんな風になっちゃうのお見通しだったんだ。


 全くそんなことはないのだが、末の弟子は確信を持って師への尊敬を深くした。

 本当に全然そんな事実はないのだが、彼の中で揺るぎない確定的事実となって、真剣に反省した。


「あのね、オレ、分かったつもりになって、ひわのこと全然わかってなかった。だから、いっぱい喋ろう?それで、いっぱい訊くから、ひわもいっぱい教えて。それから、ひわも分からないことは訊いて欲しい。何かちがうと思ったら言って欲しい。嫌だも好きも、嬉しいも怒ったも、全部」


 冷たい肩をぺしっと叩いた。


「それで、息ぴったりぐらい分かり合って、強くなろうね。一緒に」


 明るい色の目はいちど見開かれ、すぐにくしゃっと歪んだ。


「……あいっ」

 初めて浮かんだ笑顔は下手くそだった。


 と、そのとき。どんどんと戸を叩く音が風呂場に何重かに反響した。


「こりゃ、さんたろさん!いつまで入ってるんですか!のぼせますよ!!」


「あっ、はあい!!もう上がるぅう、うう…」

 三太朗は慌てて立ち上がった。が、くらっときてふらふらっとして、湯船にへたり込んだ。

 その顔は真っ赤である。


「ぴゃああああーー!!ぬしさまああーー!!!」


 長湯し過ぎてのぼせた雛は、盛大な悲鳴を聞きながら『こんな大きい声も出るんだな』とぼんやり思った。




 その後、慌てて飛び込んできたキツネとタヌキに助け出され、珍しく怒られたのは言うまでもない。


 布団に伸びながら、小さな手に持つと大きく見えるうちわで扇ぐ真剣な顔の鶸黄を見上げて、初日からかっこ悪いところを見せてしまったのは恥ずかしく、それなりに忸怩たる思いを噛み締めたようである。


 そんなこんなで、死ぬほど思い詰め、すったもんだの末にどうにか良い具合に打ち解け始めた新米主従だった。


 彼らにとっては緊迫した事件であったが、大人たちにとっては『上手にご飯を食べられなくて泣いてしまった子鬼を、雛がちゃんとお風呂の面倒まで見た』『偉かったが風呂で長話し過ぎてのぼせてしまった。やはりまだまめに気を付けてやらねばならないようだ』

 …とまあ、そんな話でしかないのは、彼らは知らない。











 朝、未だ息が白く朝日に浮かぶ。そんな寒さを物ともせず、小さな気配がふたつ、元気に近づいてくる。

 このところ、暇な者がこの時刻に示し合わせもないのに顔を出すようになった、賑やかな囲炉裏端で耳を澄ませるのが山の者たちの日課になっていた。


 先行する気配が扉の前でまず止まり、遅れてきた方が追い付いてたっぷりふた呼吸。

 戸板が動くのはそれからだ。


「おはようございます!」

「おはよ、ごじゃ、まし!」


 開くと同時に、片方は楽しそうに、もう片方はまだ息を切らせながらの一生懸命な挨拶が揃って、皆で笑みを浮かべて返事をする。


 こうして、白鳴山の日常は少し形を変えて続いていくことになったのだった。






未熟な彼らの最初の一歩はこんな感じでした。

因みに、もし鶸黄がそのまま湯舟に入ろうとしてたら、壁が止めることになっていました。


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