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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
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百四 振り返り

やっと書けました。お待たせしました。






 さて、そろそろちょうど良くお腹が空いてきた三太朗は、廊下を真っ直ぐ先導しながら、鶸黄(ひわき)のふるまいについて考えていた。


 もちろん、この一生懸命な子鬼が悪いことをしたのではないのだが、出会ってからの短い間でさえ、何度か感じた違和感を思い出していたのだ。


 いくつかの小さな引っ掛かりは、とらえどころがなく消えてしまったが、例えば『お昼を食べる』と言ったときなど、戸惑いと不安感がひと際強くなったことなど、変なところで酷く怯んでいた何回かは、流石にもやもやと記憶に残っている。


――――初めての場所で、今日会ったばかりの(オレ)とごはんなんだし、不安でも仕方ないね。

 …そう思ってもどうにも、三太朗の感じた捉えどころに困る引っ掛かりは消えないのだった。


 答えを見つけられないまま、いつもの昼食の部屋に到着した。

 襖を開いた途端に鼻先に漂ってくる美味しそうな匂いを嗅いで、明らかに雛の顔は輝いた。


「おや、来ましたねぇ。さあ座って座って」

「ちょうど準備できたとこですよ。すぐにお茶もいれましょうなぁ」

「はあい!」


 横並びのふたつの膳には、昼の定番の品が並んでいる。


 米の割合が多めの麦飯はほっかりと甘い湯気を上げていて、味噌の香りも豊かなとろろ汁には大葉が散っている。

 大根葉の煮浸しにはしっかりと出汁が効いているだろう。

 それと白味が強い塩鮭の焼き物は、じゅわっと唾が湧くたまらない香ばしさ。


 いそいそと座布団に向かいかけて、ふと小さな配下がいないのに気付いた三太朗が振り返ると、鶸黄はぽかんと廊下に立ったままだった。


 慌てた雛が手を引いてきて膳の前へ座らせたものの、子鬼は目の前のお昼ご飯を奇妙なもののようにまじまじと見ている。


 お昼ご飯とにらめっこする不思議な光景に、タヌキとキツネは首を傾げ、雛はうーんと考えた。


「もしかして、ひわはいつもはお昼にご飯食べない?」

「ふえっ」


 この館でも、昼食を欠かさないのは三太朗だけだ。

 兄弟子たちは食べるときもあれば食べないときもあるし、師の高遠はそもそも朝夕さえ気が向いたときにしか口にしない。

 鶸黄もそのような習慣ではないかと予想したのだった。


――――オレも、もうすぐ昼ご飯だと思ってて「うちは昼ご飯はないけど?」って言われたら、ええ!?ってなる。きっとなる。


 けっこうな確信を持った眼差しを受けて、やや間があったが、子鬼はこくんと頷いた。

 おやぁ、と権太郎と釿次郎が納得の声を上げる。


「それでびっくりしちゃったんですなぁ」

「うちではお子さん方は一日にかかさず三回ご飯を食べるんですよぅ」

「ふええ、ええ、えええと…さ、さんかい…?ごはん?」


 戸惑った鶸黄が見上げると、彼の主はうん、と頷いた。


「いっぱい食べていっぱい寝ていっぱい遊んだら大きくなるんだよ!いつも食べないんなら大変なのかもしれないけど、ひわも無理じゃないなら出来るだけ食べたら良いよ」

「あ、あいっ」


 途端に力が入る、緊迫感とやる気を漲らせるへの字口。

 髪の隙間から覗く目は意気込み過ぎて睨むよう。


 三太朗にとっては何気ない言葉選びだったのだが、そういえば『大きくなる』は鶸黄には重すぎたのだった。


――――うーん。あんま良くなかったかも。


 いただきます、と手を合わせて箸を取る三太朗を見て、続く鶸黄。


 三太朗としては、ご飯は美味しく食べてにこにこしたかった。

 けして、こんな決然とした顔で昼ごはんに取り組んで欲しい訳ではなかった。


――――むずかしい。

 

 こうじゃない、と思っても、どう挽回すればいいのか分からなくて、三太朗は困惑してしまう。


 本当のことだから、嘘だと言って前言を撤回するのは駄目だと思った。

 それに、望みを叶える希望を与えてから取り上げるようなものだ。そんなことはしたくなかった。


 さりとて『もっと力を抜いて』なんて声をかけたところで、意識してできるものでもないのもわかっていて…とぐるぐる考える内に、何も出来なくなってしまった。


 口にしてしまった言葉は無かったことにならない。

 三太朗は初めてもやもやしたまま口を閉ざすという経験をした。


 気まずさを誤魔化すように、煮浸しをひと口。

 塩味は薄く、しかしよく出汁が効いていて薄味には感じない。

 脂の乗った鮭をひと口。

 甘い脂と強めの塩味を感じる、口の中でふっかりと解れる身は、よく焼けているのに脂が多めなお陰でしっとりとしている。

 ご飯をひと口。焼き鮭の塩味とこれ以上なく合う。

 いやいや、ご飯と共に食べて初めて料理として完成されるのではと思わざるを得ない。


 いつの間にか三太朗は、ふにゃふにゃの笑顔でお昼ご飯をうまうま堪能していた。


 戸惑うようにどこか硬くなっていた表情が柔らかく解れ、それとなく見守っていた権太郎と釿次郎もほっと胸を撫で下ろした。


 そのとき


「――ごぶっ」


 濁った異音に振り向くと、鶸黄が口から汁をぼたぼたと滴らせながら呆然としていた。






「ごめんなしあ…ごめっ、ひくっ…なしあ…」


「いいよ、大丈夫。平気だからそんなに泣かなくていいよ。ひわ」


「ぬしさっ…ふくっ…ごめんなしあ…」


 三太朗はほとほと困り果てながら、ぼろぼろ泣いて謝り続ける子鬼と手をつないで歩いていた。


 こぼしてしまった膳は権太郎と釿次郎に任せておいたから大丈夫として、失敗してしまった上に後始末をふたりにさせてしまったことは、鶸黄をひどく打ちのめしてしまった。


――――慌てて食べちゃったのかなぁ?


 そんなことはないと、三太朗も分かっていた。

 隣同士でいて、(むせ)るほど詰め込みすぎるなんてことをしていたらすぐにわかる。

 むしろ鶸黄はゆっくり、恐る恐る動いていたはずだ。


――――なんでだろ?


 尋ねようにも、鶸黄は今は泣きながら謝ることしか出来なくなっている。


 幼い鶸黄は取り乱し切った様子で、彼の絶望と重い自責の念がひしひしと伝わってくる。

 三太朗は胸に砂を詰められたような気分に眉を下げた。


 実のところ、鶸黄から伝わってくるものは、のほほんと暮らして来た雛には刺激が強すぎた。

 やりたいことの全てが全て失敗する遣る瀬無さ。何も成せない無力感。未来が閉ざされていくような絶望感。


 何だか遠い所の“何か“がざわめく気がして、三太朗は密かに身震いした。


――――いけない、今はひわをなんとかしないと…。


 気を取り直し、鶸黄を盗み見るのだが、やはり途方に暮れた。

 自分自身を肯定的に思えないこの小さな配下は、どうすれば立ち直れるのか、そんな問題は、経験がまっさらに近い雛には難し過ぎた。


 結局、黙り込んだまま目的地に到着した。

 風呂場である。


 兎にも角にも、汚れてしまった着物を取り替えてやらねばならないのだ。

 うちに来てからたくさん泣いた鶸黄は、ついでにお風呂に入るのは決定事項だった。


 そしてお風呂の案内をするのは誰が適任か?

 そう、主になった三太朗である。


――――お風呂に入って…どうしよう。ひわがなんで失敗したのか、どうやってきこう…。


 非常に難しい問題だった。

 年上の、更に言うと大人ばかりとしか話した経験しかない三太朗は、ちんまい配下と上手に話す自信が全くなかった!


 基本的に、手に余ることは何でも相談するべきだと思っている三太朗だったが、保護者軍団に相談すべし!とは今回は思えない。


 鶸黄の現状を自分の口から広めるのが良くないのは明白である。

 どうせ塗り壁から伝えられているだろうけども、鶸黄はきっと、三太朗から他の誰かに直接言われると酷く気にすると思うのだ。


――――もうちょっと様子見ようかな。


 さっきの事件の原因も聞き出せていないことを(かんが)みて、三太朗は保留を決めた。

 お風呂に入ってから決めても遅くはないはずだと思ったのだ。


――――『打ち解けるには裸の付き合い』って次郎さんが言ってたし…。


 そこで、はて?と首を捻った。

 次郎は何羽も仲良しの天狗仲間がいると聞いたことがあるけれども、全員とお風呂に入ったのか?と。


――――大浴場でみんなで入ったとかかも。


 竹筒を持って大勢で潜ったのかもしれない。と考えて、密かに息を詰めた。


 なんと、今の三太朗は筒の持ち合わせがない!


――――ごめんひわ…!今度は用意する!


 今度必ず潜りっこ競争をするのだと、雛は記憶に刻み込んだ。


「こっちに脱いだ着物を入れるんだよ。手ぬぐいはこっちにあるから忘れずに持って入るんだよ」


 しゃくり上げて返事ができない子鬼をよしよしして、脱ぐのにも迷っている小さな手を手伝う。


 三太朗は注意深く鶸黄を観察していたから、鶸黄が浴室に繋がる戸を不安そうにちらっと振り返ったのに気付いた。

 それだけでなく、恐怖混じりの戸惑いが高まったのだ。


――――お風呂怖い?お風呂で失敗すること考えてるの?


 もしかしたら、と三太朗は閃いた。鶸黄のおうちはすごく厳しくて、些細なことでも怒られたのかもしれない、と。


 なにせ、幼い鶸黄を『食べられろ』と送り出すろくでもない家である。

 ならば、鶸黄が何をするにも自信がなくなるぐらい気弱になる何かをしても不思議ではないと、自然に想像できた。


 それならば、お風呂に入るのに失敗しなかったら、そしてひとつずつ成功を重ねていけば、ぎゅっと縮こまったようになっている鶸黄も、のびのびと過ごせるようになっていくだろう。


 ならば、と三太朗は一計を案じた。


――――背中や耳の裏の洗い残しとか、肩まで浸かるのとか、あとあと、髪ちゃんと拭くのとか…。


 気を付けてあげるべき、失敗しやすいところをいくつも思い浮かべて、密かに気合いを入れた。

 先ずはこのお風呂を滞りなく終えるのだと…!


「行こう行こう!気持ちいいよ!!」

 殊更に明るい声を上げて、裸の背中を支えるように浴室へ向かう。


 手に触れた肌はひんやりしているが、お風呂に入ると温かくなるだろう。

 寒いときほど体が温まるとほっとする。鶸黄もほっこりと心地よくなってくれたらいい。



 …そんな願いは的外れだったのだろうか。


 引き戸を開けると、温かな湿気に包まれ――怯んだように小さな背中は止まってしまった。


 なみなみと透明の湯を湛えた、木造の大きな浴槽と、石造りの床に簀子(すのこ)が置かれ、桶も壁際に重ねてある。

 湧き出す湯の静かな水音が室内を満たす。


 ゆったりと湯気が漂う空間が、小さな鬼の恐れと共に震えているような気がした。


「…ひわ、どうした?大丈夫?」


 ちょうど目の高さにある丸い頭がびくっと震え、ついでに喉がひくっと鳴った。


「あい…」

 全然大丈夫そうではなかった。


 肩のあたりががちがちに強張って細かく震えている。やっと止まってきた涙がまた零れ落ちそうだ。

 蒼白な顔、引き結んだ口元。


 全くもって、見るからに、全然大丈夫そうではないが、やけに決意を漲らせた顔をしている。


「――そう。床、濡れて滑りやすいから気を付けるんだよ」


 と、当たり障りなく言ってみたけれど、彼もまた泣きたくなってきた。

 癒しのほっこり時間であるはずのお風呂でなぜこうなっているのか、三太朗には全く理解できない。


 お風呂に入れば気分も解れると見込んでいたのに、違ったらどうすれば良いのだろう。

 打開策が何も思い浮かばずに、彼もまた追い込まれた気分になり始めた。


 その上、桶で湯を汲み上げるのにも息をこらして凝視され、動揺と共に緊張までしてきて指先が震える。


「…えーと、そう!こうやって汲んで、入る前に体にかけるんだよ!体冷えてるとき、そのまま入るとすっごい熱くてじんじんするんだよ!!先に手で熱さを確かめたら良いよ!!」


 何を当たり前のことを言ってるのかと自分で思ったりして、さらに三太朗は途方に暮れた。

 誤魔化すように桶に手を突っ込んで、霜焼けがぎゅっと染みて益々みじめな気持ちになってしまう。


 せめて顔には出さないようにして、内心では恐る恐る、振り返る。


「くんで…かけて…」

 しかし、目の前の子鬼は、どこまでも真剣な顔をして頷いていた。


――――あれ?


 振り向いて確かめても、ものすごく必死で、全神経を注ぐように、桶の中にある三太朗の手を固唾(かたず)を飲んで見つめている。


 たかがお風呂である。

 何も難しい作法などはないし、冷たい手足を湯に浸けるとどうなるかなど、言われなくても分かるはずだ。

 なのに、こんなに熱心に見て、緊張して怖がって、不安がっているのはもしかして――


 冷たそうな色の小さな手が、おっかなびっくりと桶で湯を掬う。

 たくさん掬って重かったのか、たぷんと揺れるのに慌てながら、慎重に床に置く。

 静かな風呂場に、やたらと響く音にまでびくびくして、それでもぎしぎしと軋むようなぎこちない動きで、桶の水面に手を伸ばしていく。


 怯えが震えている。

 明確な恐怖が転がり回り、凄まじい緊張が集って。

 目も眩むような決意に飲み込まれ。


 ぱし。


 小さな音は殊更(ことさら)に耳の中に響いた。


「ひわ、無理はしないでいいよ」


 びく、と。

 雛の手の中で子鬼の腕が、掴み取られた場所で跳ねた。

 鏡のような湯面に、その様子がはっきりと映し出されていた。


 湯気を浴びる手が、主によって引き戻され、遠ざけられ、そのまま下ろされた。


 手につられたように、ぺたんと鶸黄は座り込んだ。

 白くなった唇が、はく、と動いて、脂汗が頬の輪郭をなぞって伝い落ちる。


 はっと息を吸い、また吐く。

 いつの間にか止まっていて、今また再開されたそれは、せわしなく繰り返される内に大きくなり、肩も髪も揺らぐほど荒くなり、涙がぼろぼろと零れ落ちていった。


 もしかして、が強くなって、三太朗はゆっくりと声をかけた。


「――お風呂、初めて?」


 ひくっと喉が鳴り、おずおずと丸い頭が縦に揺れた。


 三太朗は思わず、ぱちっと目を瞬いた。

 一応訊いてみたものの、まさかの返答であった。


「えっと、じゃあ、じゃあ…お湯、そんなに怖い?」


 ゆるゆると鶸黄が顔を上げた。


「ボクあ…その、あい…。まだ…火のけはいがつよいのあ、ボク…まだ…まだ……」


「ひのけはい」


 三太朗はぱちぱちと瞬きをした。

 彼は、属性に関することは、まだよくわからない。

 ただ、考える頭と想像力はあった。


 お風呂を振り返り、桶を見て、もうもうと上がる湯気を確かめ、うむと大きく頷いて。


「ねえねえー!誰かたらいとお水持ってきて!」


 ぺしぺしと壁を叩いた。






長くなったので分割しました。

次話はもう書き上がってるので、明日か明後日辺りに誤字脱字チェック終わったら投稿します。

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