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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
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幕間 字野津の千珠姫

前話で予告した通り、幕間です。




 (こよみ)の上では春と言えど、空は未だ春に相応しい温かな風とは縁遠い色をして白く霞んでいる。


 冷えて乾いた昼夜にずっと晒されてきた草は白茶けて、かつて持っていた夏の青を欠片も感じさせない。

 元は雪だった氷の塊に根元を固められながら、風に吹かれ、人や獣に踏み折られ、その度律儀に酷く軽い音で返事をした。


 山の合間に横たわる枯野を、一本まっすぐに横断する太い交易路を、四、五十人ほどの集団が行く。

 ふたつの駕籠(かご)を中心に、徒歩の者、牛が()く荷車が進み、更に外を護衛と馬に乗る者が行く。


 常は静まった冬野には獣の四つ足と人の二つ足の音だけでも騒がしいのに、人のざわめきの上、それぞれが必ずひとつはぶら下げている鈴の音色が人数分もじゃらんじゃらん響くものだから、褪せた色の原野に相応しい静寂など消え失せてしまった。


 一団の騒音から逃げようと走り出した野ネズミと追って飛び出したキツネでさえも、心なしか迷惑そうに一瞥をくれて去る。


 時刻は昼時を少し過ぎている。

 彼らは休み処と言う名の付いたささやかな広場に差し掛かって、先頭が合図を出すのに合わせて立ち止まった。


 並んで下ろされた駕籠のうち、ひとつの覆いが丁寧に上げられて、従僕が中から目の覚めるような美しい少女をそっと抱き上げた。


 長旅に少しくすんでしまっているが日の光を弾く黒髪はほんの少しうねりながらも長く、寒さに上気した頬とふっくらとした唇の薄紅(うすくれない)が白い肌に映える。

 年は十五にも届かないのは明らかながら、既に充分に人の目を惹く整った顔立ちをしていた。


 衣は早春の寒さに備えた装いで、何枚も綿の厚手の着物を重ねた上からなめし革の外套を巻き付けているのだが、その質素でやや無骨な装いは彼女の雰囲気にはとても似合わなかった。

 しかし本人は何も気にしない様子で首元を冷気から守るように前を掻き合せると、周囲を興味深そうに眺めた。




千珠(せんじゅ)さま。少しでもゆっくりなさってくだせ」


 道のわきに準備された敷物へとそっと下ろされて、千珠と呼ばれた少女はほっと息を吐いた。

 出てしまってから、自分の口が勝手に溜息を吐いたことに気付いて、内心でおっとり『あらあら』と呟く。


「おつかれさんです」


 ささやかな溜息に気付いているともいないとも取れる言葉選びは気遣いだと彼女は知っている。

 小さな疲れの欠片を見て見ぬふりをしてくれるのを有難いと思う。

 微笑む形を自然に取る顔の中、けぶるような長いまつ毛の下でほんの少し垂れ気味の目をやや細め、明確に笑みを作った。


 小さな頃から世話をしてくれて、いつの間か壮年になっていた侍従の笑みは、いつも通りほっこりと温かくて、慣れない旅で緊張しがちな気持ちを緩めてくれた。

 何もできないがせめて、目尻の皺を眺めながら頷けば、彼は更に皺を深めて一礼すると忙しそうに離れて行った。


(ひい)さま。お体は大事ございませんか」

 急いでやってきた乳母(うば)こそ、駕籠から降りるのにもよろけていたというのに、真っ先に千珠を案じてくれる。相変わらずの過保護だった。


「大丈夫よ、とよ。わたくしはずぅっと座っているのだもの」

「姫さま、とよも駕籠の中でずぅっと座ってございますからわかりますよ。お疲れじゃないはずがございません。お体がかちこち(・・・・)になっておられるでしょう」


 じとりとした視線にも面白そうに、千珠は手で口元を隠してみせた。

「まぁあ、とよは体が"かちこち"なのね。なら少し動いた方が良いわ」


 いくつかの車に載せた荷物を点検し、背負った荷もそのままに座り込んで脚絆(きゃはん)を巻き直す人足(にんそく)たち、車を曳く牛の間を走り回って水をやっている雑色(ぞうしき)、数人しかいない侍女(まかたち)も、荷の括り直しや擦り切れた草履(ぞうり)の直しをして、自分の割り当てが終わった者から火を起こしている。


 誰もが役目をこなして動き回っていた。

 千珠ととよを除いて。


「いけません!姫さまをおひとりになんてとんでもない!!」

 思った通りのことを悲鳴のように叫ぶ乳母は、表情から声の高さまで予想の通りで、『お立場が』だの『高貴な女人が』だの、ひとりでいるのが如何に常識外れなのかを訴えるのを、千珠はとよの気が済むまで苦笑したまま聞き流した。


「のう、とよ。おまえがわたくしを案じて言うてくれるのは解っています。今までならばおまえの言うことは正しかったでしょう。でもご覧」


 手を差し延べて辺りを示した。

 目の前を行き交う人々と、その外側に広々と続いている、寒々とした冬枯れの原を。


「ここは東都(みやこ)ではない。今までのやり方がここにそぐわないのは、いかにわたくしでもわかります」

「姫さま…」

「みな、手に手に仕事を分けて出来る限りのことをしているのだもの。案じてくれるのは嬉しいけれど、おまえが手を貸せばみなとても楽になるのが解っているのに、引き留めているのは落ち着かぬ。…わたくしを休ませるために、みなに手を貸してあげてほしい」


 とよの瞳が揺れるのを覗き込んで、ね?と首を傾げれば、乳母は悔し気に唇を噛みながら頷いてくれた。


「千珠!」

「父上さま」


 とよと入れ替わりに、かぽかぽと蹄を鳴らす馬を引いて、そして三つも腰に下げた鈴をしゃらんしゃらんと軽快に鳴らしてやってきた父を、千珠はにこりと笑って見上げた。

 途端、くすんでいた顔色が変わるぐらいにぱっと父の表情が明るくなる。


「姫よ、具合は悪くなっておらぬか?足らぬものはないか?」


 問いかけてから、足りないものだらけなのを思い出してはっとする。その様子がおかしくて千珠はくすくす笑ってしまった。

 凛々しいとは対極にあるような、朴訥とした人柄をそのまま形にしたような父は、十人が見れば十人ともが平凡だと言うだろうが、それでも千珠は父は充分に素晴らしい人だと思う。


「大事ございませんわ。父上さまが気にかけてくださっているのですもの。それに、みながよく気遣ってくれますから、欠片も辛いこともなくてわたくし、驚いているのです」


「そうか、そうか」


 父が頷いて、鈴が陽気な音を立てた。

 笑っていながら眉を下げて、あまり口が上手くない彼が、「あー…」と言いながら、つい癖で狩衣(かりぎぬ)の袖から手を出してきて、(しゃく)を持っていないことにぎくりと一瞬固まる。


「まあ父上さま、お手が真っ赤であられますのね」


 おっとりと笑う娘をはっと見て、父親は誤魔化すように右手で無精ひげが浮いた頬をさらりと撫でた。


「ああ、うむ。だいぶ長く手綱を握っていた故な、そう、風も冷たいしのぅ。まぁ夕刻には着こうからもう少しの辛抱だが…あ、千珠よ、寒うないか」

「ええ、千珠はとよにあれもこれも着せられていますもの。きっと今なら転んでもひとつも痛くはありませんわ」


 鬼気迫る顔でころころに丸くなるまで着込ませて、動けなくなってしまった千珠に気づいてあっと声を上げた顔を思い出すと、千珠はくすくすと笑った。


 父も、和らいだ顔でつられて笑った。

「そうか、そうか。だがのぅ、寒うないと思うておっても、実は冷えていることもあろうしのぅ。よし、父が湯を持ってきてやろうなぁ」

「まあ!ありがとうございます父上さま。あら、あちらの焚火ではお餅を焼いていますよ」


 示した先では何ヶ所かで焚火が熾され、今まさに次々に串に刺した餅や干物が周りに並べられていくところである。


「おお、そうじゃな。どれ、餅も持って来てやろ。共に食べようなぁ」


 千珠がはいと頷くのを合図に離れていく父。その背を見送って、用意が始まったばかりの餅を確認する。


――――ああ、串を通すのにあんなに苦労している。


 下男が顔を真っ赤にして、ぐりぐりと(きり)を使うようにしなければ刺せない餅は、やはり硬く冷えて乾いているようで好都合だ――焼けるまで時がかかるほど、父は長く火の傍で温まってくれるだろう。


 乳母がきびきびと歩き回り、あちこちに指示を飛ばしているのを眺める。


 山積みの荷の中から必要なものをさっと取り出し、他に手を貸し、自分でもてきぱきとその器用な手先で用事を片付けていく。

 鍋と味噌煮の蔓まで出してきて、素早く汁物まで作り始めているのには感嘆してしまう。

 長居を咎める立場の護衛頭(ごえいがしら)も何も言えない速さで昼餉の椀は出来上がるに違いない。


――――とよは働くのが好きよ。

 知っているわ、と少しばかり誇らしく思った。


 千珠はふと敷物の上で座り直した。大きく吐き出した息が白くほかりと昇っていく。


 頭上は変わらず明るくもなければ暗くなりもしない、均等にぼやけた曇天。

 千珠の低い視点では空も広くはない。歩いている護衛の肩を超すほどの丈の草が、広場を囲っているからだ。


 真っ直ぐ立った茎は何段も真横へ枝を伸ばしているが、全ての枝は途中で方向を真上に変えている。

 天を目指して伸び上がり、腕まで精一杯に伸ばして――結果そこに残るのは折れそうな茎とくしゃりと縮れた枯れ葉だけ。

 この野原にはそんなものばかりが群れを成して立ち尽くしている。


 千珠はまた微笑む。僅かばかり眉を下げたその笑みはぐっと大人びて、珍しく少しばかり苦みが混じっていた。


――――そなたらはわたくしたちに似ているね。


 口に出せない呟きを心の中に落とした。


――――いいえ、わたくしたちがそなたらに似なければならないわ。枯れようとも、まっすぐにしゃんとしていなければ。


 影のような姿を見ないよう顔を上げて、高く遠いところを滑っていく(とび)を目で追う。

 その様が実に気持ちよさそうで、羨ましく思ってしまいそうだった。




 そのときだった。


 ひゅん、と乾いた音を立てて何かが宙を飛んだ。


 目で追った先で千珠と焚火の間に突き立ったのは一本の矢。

 風を裂く音と共に二本目、三本目が千珠を飛び越えていく。


 目を見開いて息を飲んだ見知った顔たち、わっと草の間から飛び込んでくる男たち。ぼろぼろの鎧と裸足に括りつけられた草履、おそろいのむさくるしい髭面(ひげづら)。刃がこぼれ錆が浮いた刀と折れた槍が振り上げられる。

 きぃん!と金属同士がぶつかる高い音が連なった。護衛たちの鬼気迫る顔、怒号、悲鳴、時折舞う血しぶきに乱れ鳴る鈴の音があっという間に場を滅茶苦茶にする。


――――野盗…?

 そう気付いたときにも(うつつ)のこととも思えないままで、血相を変えた父が脇差(わきざし)を片手に駆けてくるのもふわふわとした心のままで呆然と見返した。


「千珠!!!!!」


――――ああ、父上さま、そんな大きなお声を出したらお喉が痛くなりますよ。


 彼女自身も何を考えているのかわからないまま、父親をいつものように案じて。

 視界の端に熊のような男がにやけた目でごつごつとした手を伸ばす。

 閃くとはこのことか。千珠はここに至って光がはじけるように自分の危機を理解した。


「ぁっ…」

 閉ざすこともできない視界を占める手のひら。隙間から覗く血走った目。脳裏に重なるは白い冬空。ささやき揺れる丈高い草。遠く彼方を滑る高空の翼。


――――わたくしも飛べたらいいのに。


 見つめることしかできない目の前で、ぴたりと手が止まった。

 にやけていた賊の顔は強張り、その向こうの父もが見たこともない驚愕の顔をしている。千珠へ向いていた彼らの目線はいつの間にか少しばかり上へずれて――


「うわぁああああああ!!!!!」

 賊の男が濁った悲鳴を上げて飛び退いた。気付けば周囲の混乱は途切れ、死闘を演じていた者たちもまた千珠を――いや、そのやや上を向いていた。


「ああ?」

 背後から低い声が降ると共に、こつんと腰の辺りを何かに小突かれるのを感じたときには、千珠は影の中にいた。


「おっとぉ!?」

 唐突に背後から千珠の右側に現れ、どんと地を叩いた何か。それは、千珠の胴回りほどもある、太い太い右足であった。


「あん?おいお前、んなとこに座ってたら踏むだろが」


 (ようや)く振り返った千珠はしかし、見たものが何かを悟るより先に、ひょいと無造作に拾い上げられた。

 ぽんと置かれたのは大きな手のひら。座らされて、そのまま千珠はぐんと持ち上げられていた。


 唐突に高くなった視界は、ぽかんと見上げる父たちより更に上。


 どこもかしこも太くて大きな体躯、ざんばらな髪から覗く橙に底光りする茶色の目、少しはみ出した牙が目立つ口元は引き結ばれている。何より目を惹くのは、鋭く天を指す、真珠のような輝きの一本の角。


「鬼だぁああああ!!!!!」


 叫び声を皮切りに、この場は先より酷い混沌へと変じた。

 近い者たちは手の物を放り出してわっと散った。我先に途中の者も物も踏み倒して逃げ出す野盗、甲高い悲鳴を上げて逃げ惑う人々、座り込んだまま後ずさる者、頭を抱えて震える者。敵も味方も関わりなく、全ての人が色濃い恐怖を浮かべて惑乱する。


「姫さま!!」

 そんな中でも懸命に叫ぶ声が聞こえる。蒼白な顔でよろけながら泳ぐように走る乳母。震える手に得物を構え、立ち向かおうとする男たち。

 鬼もまた顔をしかめて牙を向き、向けられた敵意に不愉快そうに睨んだ。


 そんな中。


「まぁあ」


 手を口元に当てて、おっとりと驚いた声はあまりにも軽やかだった。


「わたくし、鬼の御方には初めてまみえました。思っていたよりずぅっと大きいのですねぇ」

「あ?」


 出鼻をくじかれた鬼が思わず見たときには、千珠はひとりでさすがにいっぱいになる手の上で、なんとか姿勢を正して座り直したところだった。


「この度はわたくしどもをお助けいただき、誠にありがとうございます」


 しとやかに捧げられた礼にぽかんと口を開けたのは鬼も人もであった。


「はァ…?」

 思わず漏れた困惑に意図が伝わっていないと悟った千珠は、きちんと丁寧に説明した。


「何をなさろうとのお考えがなくとも、あなたさまがおいでになったことで、賊が退散しました。わたくしどもがあなたさまのお蔭をもって生き繋いだのは確かでございます」


 高いところから見ているから、この鬼を恐れて野盗たちがすべて逃げ散ったのは見えた。

 加えて手傷を負った者はいるが、倒れたまま動かない者はいないようだ。血を流しながらも少なくとも上体を起こしている。

 全員が命を持ったまま、絶体絶命の危機から脱したのが何よりありがたい。それをもたらしてくれたのは、間違いなくこの鬼なのだった。

 自然に湧いた感謝のままに、少女はふわりとほほ笑んだ。


「わたくしは千珠と申します。御名は何と言われますの?」

祥助(しょうすけ)…」


 鬼の祥助はぼんやりと名乗ってしまってからはっと口を引き結んだ。


「な、何を言わせてんだ!!おれが良いって言うまで呼ぶな!良いか!呼ぶなよ!!」

「まあ、心得ましたわ」


 勢い込んでがなってもおっとりと返されて鬼は毒気を抜かれたように口を閉じた。何も抵抗出来るはずもないか弱い少女に怒鳴った気まずさと、欠片も怯えない様子に怯んだともいう。

 鬼の手の中の少女は変わらず口元に笑みを置いて、茶色の眼をまっすぐ見返している。

 それがまた鬼をどぎまぎとさせた。


「つきましては、何かお礼をしとうございます。されどわたくし、鬼の御方のことをとんと存じ上げませんの…。何が良うございますかしら。何ぞお困りごとなどはございませぬか?」


 美しい少女が微笑んで礼をと言ってくることがあるなど、夢にも見ないし思いもしなかった鬼は酷く混乱した。

 あーとかうーとか言う浅黒い顔は心なしか少し赤らんで見える。


「ここは、どこだ…?」


 ぱっと千珠は明るく笑った。

 自分がきちんと答えられることを問われて嬉しかったのである。


「ここは字野津(あざのつ)。東領は北端の地でございます」






長らくお待たせしてすみません!&待っててくださってありがとうございます!

何があったのか等は活動報告で

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3099458/


次回は本編です。


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