百一 手を取り
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長くなったのでキリの良いところで分けました。
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戸惑って黙る三太朗の顔を見上げ、一度躊躇いはしたが、子鬼は潔く続けた。
「ながいあいだ、ずっとボクあ、小しゃいままでした。角が生えて…そえから、止まってしまいました。できうことあ、あまりありましぇん。氷も吹けましぇん。見た目もよくないし、お役に立つはたらきもできましぇん。だから、食べらえうの、仕方ないでし――それくらいしか、お役に立てないでし」
床に置かれた両手、深く下がる頭。
「ごめんなしあ、ぬしさま。せっかくもらってくえたのに、ボクにあ価値がありましぇん。ごめんなしあ…」
舌足らずでゆっくりとではあるものの、震えながらも止まらず言い切った子鬼は、体を小さく折り畳んで額づいたまま静止した。
言うべきことを言い終わった安堵からか、ほんの少し体の強張りが抜ける。
諦念、申し訳なさ。そしてほんの少しの安堵。
小さな姿そのままのような弱々しさで、それでも三太朗に伝わってくる精神はそれで全部だった。
「お前…」
――――いらいらする。
三太朗の苛立ちは身の底から火気を呼び、微かに宙をゆらめかせる。
――――なんで価値がないって自分で言って、悔しいとか悲しいとか、なんで思ってない?
「見た目が良くない、っていうのは、どうして…?」
「――…ボクあ、目が変でし。一族の目を持ってましぇん」
「見せて」
子鬼はぴたりと固まった。
やがてのろのろと座り直し、上体を起こす。
目を隠すために伸ばされた前髪に手をやって、また止まってしまう。
重い葛藤を表すように震える指先が彷徨う。
目が変だという理由で、周りに疎まれてきたことを察して余りある、その仕草。
それでもなお、抗おうとする気概もなく、受け入れて諦めている、その心。
それがなぜか苛立ちを増幅し、三太朗の胸の底をちりちりと焦がした。
――――色なんか気にして何か役に立つ?
三太朗は、一族と違うところがあるからと、子鬼を爪弾きにしたであろう者たちに腹が立った。
同じく、それに屈して小さくなって、こんなに弱々しくしか感じ取れないほどに心を鈍くした目の前の子鬼にも苛立った。
――――そんなことが大事?
一族がいないこの場所で、未だに一族の色とやらを気にするのも気に入らない。
――――オレもそいつらと同類だって言うの。
外面を見て嘲ると思われているのかと思うだけで不愉快に思う。
――――今何も出来ないから役立たずだって決めつけるって?
未来の可能性を考えない愚かを、自身を棚に上げて声高にあげつらう滑稽者だと言うのかと。
――――オレを主だと言うならなぜ。
思い込んで、決めつけたまま、俯き、耳を塞ぎ。
――――なぜ、オレを見ない…!
委細構わず、三太朗は手を伸ばして邪魔な髪を掻き上げた。
「――!!」
初めて彼らの視線が交わった。
見開いたまま見返す瞳を、三太朗はつぶさに観察した。
「なんだ、変な形してるとか、数が違うとかじゃない普通の目だな。ちゃんと見えてる?」
「あの、あの、えっと、あぃ…」
隠されていた目は、数が多いわけでもなく、極端な大きさや奇形でもない。少し涙ぐんでいるだけの目だ。
ただ、鮮やかな明るい黄色をしていた。
そんなことは、当然三太朗が気にするものではない。色以外に目につく異常もなくて、なんだか拍子抜けしてしまった。
目が見えているなら、今すぐしなければいけないことはないと判断しながら、三太朗は見分を終えても片手を外さない。
「見えるなら別に何色でも良いだろ」
子鬼は、くゆる熱を纏う強い眼差しに串刺しにされる錯覚を起こして身震いし、ひぅっと喉を鳴らした。
どうやら目の前の存在は怒っているようだと思ったのだ。自分が原因なのはわかる。
周囲の苛立ちは大体が彼の所為だから、そう考えればいつでも当たりだ。
だけど何を怒っているのかは判らなくて困惑する。
「でも、でも、一族はふつうあ、青がかって黒っぽい色をして――」
「ねえ、さっき"ぬしさま"って言ったよね」
「…あい」
おどおどと泳ぐ黄色を、三太朗が覗き込む。
子鬼は、どうして良いかわからない。なぜ相手が苛立っているのかわからない。
自分などが『ぬしさま』と呼んだのがいけなかったのかと、何拍も後から思い至る。配下に欲しいと言われて連れられてきたのだからと、深く考えず呼んだから。
――――怒ってる。怒ってる。怒ってる!どうしたら、どうしたら…!
ぎぎぎ、とぎこちなく、永い停滞に錆び付き凍り付いた思考が、焦りと共に廻ろうとした。
当然のこととして喰われることを諾々と受け入れたときも動かなかったのに、そんなことより、目の前の天狗の雛が苛立っていることの方が、彼を急き立てた。
「ここには"一族"はいないから"普通"がどうとかどうでもいい。それで、ぬしさまは別に、その目を気にしない。オレだけじゃなくて、ここではみんな、そんなこと気にしない。その上で、その目に何か問題はある?」
「…ぃ、ぃいえ…」
前髪を上げた手と、いつの間にか顎に添えられた手は、視線だけであれ逃げることを許さない。
さほど力は入っていないが、明確な意図を持って向き合うことを強要する。
子鬼は気が付く。底の底に眠っていた本能が身動ぎする。
目の前の存在を、何か途方もない強大なもののように感じていることを。その感覚がずっと彼の中にあったことを。
感じていながら、知覚していなかった愚を。
「オレの目は何色をしてる?」
「ぁ、ぅ…は、灰色…」
「そう、灰色。目も、ついでに髪も、オレと同じ色の天狗は聞いたこともない。書庫の本にも載ってない。仲間と色が違うオレは『見た目が良くない』の?」
「ひぅっ…」
子鬼は自分の言ったことの意味を正確に理解した。
捕らえられた子鬼は、ぎりぎりとぎこちなく廻り出した感覚と思考で、とんでもない失敗をしたことを理解して震えあがった。
自分を貶める言葉が、目の前の存在をも侮辱していたのだと。
凄まじい失礼をしていたのだと。
「羽が生えるまで普通は五日ぐらい。なのにオレは四月もかかった。生えたけど見た通り体もちっちゃくてまだ飛べない。この頃やっと転ぶ数が減ってきたぐらいで、何も仕事もできない。なあ、変わるのも育つのも遅いオレって『価値がない』の?」
「っ…!ぁ…」
「オレは『食べられるぐらいしか役に立たない』の?今何もできないと『価値がない』のか?それって、そう思われてるのって『仕方ない』のか?お前もそう思ってるのか?」
矢継ぎ早に畳みかけられ、力が入っていない手よりも、強い目に貫かれて、俯くどころか目を逸らすこともできない。
子鬼は声もなく、震えるように首を振った。一生懸命に、何かに憑かれたように横に振った。
――――この存在に価値がないなんて馬鹿なことはあり得ない。
――――そんなことを僅かでも思わせることさえしてはいけない。
子鬼は声も出なかった。
言うべき言葉など見当もつかない。酷い吹雪の中で道を探すように、無駄と知りながら、それでも見つけなくてはと焦るばかり。
焦る。焦る。子鬼は焦る。
そうして、何に焦っているのかという、肝心なところが自分で解っていないことに気が付いた。
ぎぎぎと廻る。氷がひび割れて溶けかけていた。錆が僅かに削げて落ちた。
やっと、目の前の存在、強者の種の、その傍にいられなくなるのではないかという焦りの元を拾い出した。
芽吹いて大樹に育っていくその傍らに、いられないのではないかと。喰われるはずだったのになぜか傍に居られるはずだと思っている自分をも見つけて、鈍いままでも一丁前に混乱した頭で、それでもなお驚いた。
「そうか。なるほど、目は普通じゃない色をしてる。育つのが遅いのも本当なんだろ。だとしても、なあお前は、そんなことを言い訳にしてオレが訊いたことに答えないの?」
「きい、た、こと…」
見開いた黄色の目に涙が浮かぶ。何かを求められていて、それを差し出していないことを理解すると同時に、焦って焦って血の気が引く。
底で様々な感情がぐるぐると渦巻き暴れる。廻るほどに鮮やかになっていくその様を、小さな主が余さず見ていることも知らず。
子鬼の肩を震わさせた戸惑いは、うろりと一度彷徨いかけて瞬きひとつ、そうしてすっと戻ってきた目線からは消えていた。
子鬼はどうにか思い出した。『きみはうちに来ること、どう思ってる?』と問われていたことを。
ぐるり、と廻った。ぎりぎりと軋みながら、ごりごりと錆と氷を落としながら、それでも随分と、途方もなく久しぶりに――もしかしたら生まれて初めて――彼の思考は回転を始めた。
求められていることを理解した。問いの答えを、主がずっと待っているのだと。
すべきことを理解した。だから"主"の問いに答えんがため、自然に口を開いた。
何を言うべきかなどわからないまま。
「ボク、あ、ここに来るの――おまねき、いただいたこと、とても…そう、とても…」
実に慣れないことで、つっかえながらそこまで言った子鬼は、灰色のまなざしを食い入るように見つめた。嫌悪も侮蔑もない、代わりに底に苛立ちを含んだその目を、魅せられたように凝視した。
ゆらりと漏れ出るごく薄い陽炎が、唐突に視界の中に知覚された。見えていたのに見ていなかった、そのゆらぎ。
風の属性を持つはずの天狗が纏う熱なんて常識外れに過ぎたが、驚きもなく受け入れていた。
そう、そんなものは何も問題ではなかった。
「とても、光栄でし」
子鬼は悟りのままにそう答えた。
顔から手が離れた。
掻き上げられた髪のいくらかがぱらぱらと戻ってきて、その分顔を隠したが、それでも黄色の目は鮮やかに主を映した。
「お前が自分のこと、色々足りないって思ってるのはわかった」
「あい」
「オレがお前の気にしてたこと、どうでもいいと思ってるのもわかったな?」
「あい」
うん、よし、と言われ、子鬼は何か、じんと痺れるような心地に酔った。
小さな呟きは、とてもとても些細なものだったが、確かに子鬼が初めて手に入れた、主からの肯定だった。
「お前、これからどうしたい」
この問いは、子鬼が答える前に「違った」と撤回された。
「お前は、これからどうなりたい?」
子鬼は従順に口を開き、しばらくの間、はくはくと空を噛むように動かした。
「ボク、あ」
――――傍にいたい。
先ほど気付いたのは、傍にいられなくなるのが嫌だということ。だったら自分は傍に居たいのだろうと思う。
望むことに不慣れな子鬼は、そんな風に遠回りに思考を手繰る。
――――こんな自分が傍に居ても良いのだろうか。
――――周りの不興を買ってしまわないだろうか。
――――邪魔になってしまわないだろうか。
――――邪魔になったら、疎まれて、嫌われて、しまわないだろうか…。
ぐるぐる、ぐるぐると、動き出した思考は、歯止めが利かない速度で後ろ向きに転がっていく。
こんなことを望んではいけないのでは、とまで考えて、子鬼は根本的な間違いに気付く。
訊かれたのは"どうしたい"のかではなくて、"どうなりたい"のか。
子鬼の頭は、考えることを止めていたがゆえに単純で、何もないがゆえに整然としていたのに、自分で散らかして、あっちこっちと引っ掻き回して、必死に言葉を探した。
「大きくなりたい」
気が付けば、するりと言葉にしていた。
「ボクあ、大きくなって、つよくなって、いろんなことが、できうようになって、そうしたら、そうしたら…」
大きくなりたいという血がにじむような切望には、大きくなったらという希望が絡む。
大きく、強く、有能で、と描くほどに希望が煌めき、覆っていた諦めを消していく。
まるで火に焙られた氷が溶けるように。
同時にちりちりと燃えるのは痛み、悲しみ、怒り。そして大きな悔しさ。
そう、子鬼は悔しかったのを思い出した。悲しかったのを思い出した。
成長が止まってから、使えない者だと疎まれ誹られ始めた当初、自分が何をしたのかと、苛立って怒ったこともまた思い出し――大きく強くなれば、彼らの鼻を明かせることにも当然のように気が付いた。
いつしか強張っていた小さな体から、ゆっくりと力が抜けていった。
「そうしたら、ぬしさまのお役にたちたいでし」
仲間に仲間と思われないのは辛かった。だから何も感じないように、考えないようになっていったことを思い出したのだ。
それほど辛くなるぐらい、あの一族が大事だったのだろうと思ったのだ――もう、そんな気持ちは風化して欠片も残さず消えてしまっていたけれど。
「ボクあ、どういってもらっても、いまあ何もできない役立たずでし。けど、こんなボクにぬしさまあ『来てくれて嬉しい』って、いってくえました」
今になってじわじわと感じる嬉しさに、子鬼は震えた。
自分を受け入れてくれる存在とは、立場の上下はあるとしてもそれは、仲間になれるということではないのかと気付いたら、自分をどうでもいいと捨てた一族なんて、それこそどうでもいいものになってしまった。
どれだけ記憶を探っても間違いなく初めての、自分を歓迎してくれる言葉は甘美で、どうでもいいだれそれを全部合わせて比べたとしても、考えるのもばかばかしくなるほど重かった。
あのひと言だけで、もう何もかも充分だと思った。
「ボクあ、大きくなって、つよくなって、いろんなことを出来うようになって――ぬしさまをお傍でお助けしたいでし」
日に当たった灰のような髪に、髪より暗めの灰色の目。
そんな、奇妙と言われるだろう外見でも、真っすぐに強く伸びようとしている彼のことが、とても眩しく感じたから、もし大きくなれるなら、彼の傍で、彼の役に立てるように育ちたいと願った。
――――きっと、そうしたら、こんな自分だって素晴らしく眩い存在になれるだろう。
「大きくなえたら、こえからさきの、全部を使って、おつかえしまし」
子鬼は、生まれて初めて自分を受け入れてくれた、この風変わりな天狗の雛を自分の運命に決めた。
三太朗がじっと子鬼を見ていた。
少し前と同じ無表情に戻っていたが、子鬼はまっすぐ視線を返した。
戸惑うことも、怯えることも、気後れすることもなく、館に来てから初めて、心が落ち着いていた。
いつの間にか、陽炎は見えない。
「師匠ー!オレの一番目はこの子がいい!!」
子鬼のセリフが読みにくくてすみません(;´∀`)まだ小さいせいで舌っ足らずなのです。
広い心で許してあげてくださると助かります。