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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
115/131

九十八 真っすぐな眼差し 下

前回に引き続き授業回。


お待たせしました。




「さて階級証の見分けだが、これは紐の色と飾り玉を見る」

 ちょっとの間(ほう)けてしまった弟子を前にしても、何も変わらない速度で淡々と高遠は続けた。壁に記した階級の横に、さらさらと階級の証を書きこんでいく。

 それで三太朗は『あ、さっきの話は終わったんだな』と了解して、よいしょと兄弟子の胡坐の上で座り直した。


 三太朗は白鳴山の高遠の弟子をやっていく上で一番重要な技能"細かいことは気にしない"の熟練度がどんどん上がって来ていることが明らかになって来た今日この頃である。


「小位は(あかがね)の玉を、鴉位は銅玉と共に(くろがね)の玉を下げる。色位は鉄玉ふたつ。飛位は鋼の玉をひとつ下げる。それまでの玉は外しても良い。大位は鋼をふたつ、長は五の鋼玉。玻璃(はり)の玉を幾つか足してもかまわない」


 しゃらり、と高遠が揺らした紐には五つの鋼の玉と、ふたつの透明な玉がきらめいている。


「次に紐と帯の色だが、これは"色位"の(ためし)に合格すると、適正によってことなる色の物を授けられる」


「適正、です?」


「そう。適正だ。その者がどのようなことに向いているのか、何に習熟しているのかの大まかな区分。この色分けがなされているお蔭で、その者が何を得意としているのかがひと目で解る。部隊の編制に役立つ上、(つね)のときも、手が足りぬときに用向きに適した者に頼みやすい。まあ、大位以上は適正に関わらずある程度は全般に出来ねばならんし、その鍛錬の過程で他色の奥儀を得る者も少数居るが、一度授かった色はずっと使い続ける。…まあそのような事由から、色位を得るのがひとつの節目のようになっている」


 先ずは色位が目標だな、とさらりと言われ、三太朗は「なるほど」とかしこまって頷いた。

 最初の目標として色位を指定されるのは一般論で言えば驚かれる程度に高い目標だが、それを指摘する者はここには居らず、三太朗は当たり前のこととして受け止めた。


「では次朗、色分けの適正について知る限り述べよ」

「うっ…」


 次朗は急に当てられて怯んだ!

 咄嗟に逃げ道を探して目が泳ぐ。しかし見上げてくる純真な眼差しが見上げてくる!逃げられなかった!!


「…赤紐はぁ、"()"ぃ使って強化とか得意なヤツ、青紐はぁ、"術"得意なヤツ…。あと黒紐…は"外経(がいけい)"…?」

 普段大声で喋るのに、授業では声が極端に小さくなる系生徒の次朗だった。

 それでも、黒紐について昨日聞いたことを必死に思い返して付け足す辺り、とても頑張っているので高遠は機嫌よく頷いた。


「そうだ。赤は"内経(ないけい)"。体内の"気"を用いる技に長けた者の色。青は"術"。自在に様々な術を組み上げるのが得手な者の色。そして最後は黒。これは"外経"――内経に対し、体外を流れる"()"を用いた技に適正がある者の色だ」


 次朗に言わせた言葉を言い換えて、高遠は丁寧に情報を付け足す。

 黒について触れるときに目を合わせられて、三太朗はちょっと首を傾げた。


「オレ、黒?」

「そうだな、その素質がある」


 三太朗は更に反対側にこてんと首を倒した。

 将来黒色の紐を与えられることが、何を意味するのかが良く解らなかったのだ。

 大好きな師匠と同じ赤色じゃなかったのがほんの少しがっかりしたが、高遠に暗かったり残念そうだったりという後ろ向きなものを何ひとつ感じなかったので、特に不安に思ったりはしなかった。


――――『素質がある』って、すごく良い方の言い方だよね!


 と思えば何だか良いことがあるような気もしてくる。


「内経は、体を整えたり強くしたりするんですよね?外経ってどんなやつです?霊を使った技って?」


 霊とはこの世を流れる力だと教わったことを思い出しながら、三太朗は考えてみた。

 体に対する血のように、隈なく巡り流れ、種々の自然現象を起こす源となる力。


 そんなものを使う技というと。


「雨を止ませたり?」


 あまりにも鮮烈に焼きついた、三太朗が最初に出会った奇跡の技。師が、止まない雨を止めた光景は、彼の拾い集めた思い出の中にあってもなお強烈に輝いていた。


 期待に満ちて目を輝かせる弟子に、師は喉の奥でくくっと笑った。


「そうだな、天候に関するものは外経に近い。だが、黒でなくとも、飛位…いや色ぐらいになれば自在に雨を止められる者は多い」


 だから、雨や風を操りたいからと黒天狗を選ぶことはないのだと、師は優しく言った。


「選べるんです?」

「無論だ。あくまで素質。例えばお前が赤や青になりたいなら、それが務まるほどに鍛えれば良いだけのこと。なりたいと欲することこそが、その者に備わった最も大切な才覚だ。次朗も素質は赤に傾いていたが、青が良いというのでそのように鍛錬を積み、青紐を得た」

「え!」


 驚いて振り返ると、上の方にある顔はなんとも得意気にふふんと鼻を鳴らした。


「素質と適正は異なる。生まれ持って習得に容易なものや身に付けるに努力を要するものはそれぞれあるが、不得手であろうと興味を持って楽しみを見出しているならば、容易に出来るというだけのものを選ぶより行く行くは上達する」


 案ずるな、と高遠はいつも通り言う。

 良いように育ててやるから、やりたい方を向いて懸命に進めと。

 なんだかそれがとても嬉しくて、三太朗は口元をむずむずさせながら良い子の返事をした。


「じゃあ、じゃあ黒天狗ってどんななんです?」


 ふむ、と師は少し言葉を探すように目を壁に向けた。


「どこから話すか…そうだな…黒は他より数が少なく、現在では、ほぼ全てが外経術を用いる役目を専任していると聞いている」

 高遠は話しどころを決めた様子で、きょとんとした弟子二羽に目を戻す。


「そも、外経の術は拠点を(ひら)き維持するに必須の技だと言うに過言ではない。重要な役目を持つものだ」

「拠点っつーと、支部っすか?」

「支部"も"だ。山も含む天狗の拠点全て――」


 言いながら、壁に新たに印を付けていく。

 いや、印だと思ったものは、出来上がってみれば大小の四角がいくつか並んだだけの簡単な図。

 まず大きい四角があり、その周りに小さな四角が三、四配置されたそれは、見ようによっては簡略化された何かの配置図にも見えた。


「――小さい方が支部や山。中央にあるのが"本部"だと思え」

「ほんぶ…」

 今まで話にも出てこなかった単語を繰り返して、三太朗はこの話の流れでどうして本部が出てきたのかはとんと解らないままだったが、確かに支部があるなら本部がないとおかしいことに思い当たって頷いた。


「天狗の領域としての拠点は、ただの土地ではない。これら全ては"()"が豊かな場を選んで造られ、場に満ちる力の一部を本部へ流す(・・・・・)役目を負う。本部は集められた霊を用いた術を編み上げて護られている。更に、本部は集められた霊を足りない地へ平等に分配する」


 周囲の"拠点"から線を引き、"本部"から少し細くした線を"拠点"へ戻す。

 全ての拠点と本部がそれぞれ輪で繋がれていった。


「常に霊の満ちる白鳴山(ここ)にいるとわからんだろうが、支部や小さな山はうちに比すれば格段に霊が薄い。霊が濃いと体は癒えるのが早く、更に過ごすだけで力を蓄えることができる。つまり、霊を満たせばは同胞の力となる。拠点は言わば補給の(かなめ)だ」


 三太朗は少し解った気がして何度も瞬きをした。


「それで、霊を送るのが」


 師はそう、と実に満足気に頷いた。


「外経術だ」


 えぇえ?と次朗が怪訝な顔で首を傾げた。


「拠点に外経必須だったら支部とか山に黒が居るはずっしょ?つっても、おれ支部で黒見たことねーけど」


「ああそれは、維持だけならば黒天狗でなくとも足りるゆえだ。支部を預かる支部の長と山主(やまぬし)はどちらも大位以上と決まっているが、それは霊を送り受け取る"(みち)"を維持する程度の外経を習得している必要があるからだ。黒でなければ出来んのは、拠点を造る際に編む術式の設置と、その修復。特に設置は黒が何羽も集まって行う大掛かりなものになる。黒天狗は路に何事かあれば出向くために、報を受け易い本部に約半数が常駐しているそうだ。他は各地の大きな支部に居たり、山にいたりとまちまちだが、拠点を拓く際に声を掛けられ易い場になるべく留まっているようだな」


「はえー…そりゃ見ないはずだ」


 ちょこんと座っていた三太朗は、話が進んでいくにつれて気分が沈んで行った。


 外経というのは、とても大事な術だというのは解ったし、数が少ないというのであれば多分仲間から大事にしてもらえるのではないかと思う。しかし、なんだか、こう


――――かっこよくない。


「おう、どーしたよ」

 むぅと膨れかけた頬を指先で潰されて、ふしゅぅと息が抜けた。


「だって、だって、黒って普段は出番を待ってて、呼ばれたらお仕事するんですよね?だったら黒はやめる。オレ師匠とかにーさんたちみたいに強くなりたいもん」


 三太朗の憧れはあくまで白鳴山の兄弟子と師。憧れは幾多の敵を前にしても一歩も引かずに渡り合う武力にあるのだ。

 今は守られるばかりであるけれども、将来は共に肩を並べて山を守っていくのだと、誰に言われず、口に出さずとも当たり前として思っていた。


「待て待て、黒になったとしても後に控える者になるかどうかはお前次第だぞ」

「はえ…?」


 むくれていた顔を緩めて、いつもの微笑む黒い目を見返した。


「今現在の黒天狗はそのような仕事をしている様子だ、というだけだ。そもそも強制される訳でなし、お前が前衛に出たいと感じ、そうできる力を付けるならば俺は否とは言わん」

「…決まってない?」


 問いに師はあっさりと頷いた。

「ああ。ただし、昔から黒は数が少なく、今言ったような仕事をするのが当たり前になっている。その所為で戦闘に向かんと自然と思っている向きはあるな。俺も黒がどのように戦うのかは知らん…が、逆に言えば、黒の能力を織り込んだ全く新しい戦術を編み出して、皆の度肝を抜けるやもしれん」


 それはもう楽しい悪戯(いたずら)を思いついたように笑う師に、弟子二人もつられてにやりとした。


「やりたい!それやりたいです!やりた、出来るかな?」

 はいはいはい!と元気よく手を挙げてみたものの、全く新しい、と言われると少し考えてしまう。

 誰もやってことがないものが自分に出来るだろうか。


「まあ、やってみよう。なに、お前も白鳴山の者だ。戦うときに全くの独りになることはない。何か出来ぬなら補って貰えば良い」

「?はい。頼りになる連の仲間を見付けます…?」


 文脈からして違うだろうと思いながらの言葉は、高遠と次朗に揃って首を横に振らせた。


「それは是非にもしておけ。しかし、今の話は別だ。俺が言っているのは、こういうこと(・・・・・・)

 とん、と自分の胸――懐を叩いた高遠の人差し指の先を、その内側から顔をのぞかせた白いヘビの舌先がしるると舐めた。

 徐に目の前に突き出された次朗の指先に、身軽く飛び乗った苔木色のネズミが片方の前足をあげて見せた。


「お前も知る通り、我らが山は他の山から遠く、同族に気軽に頼れぬ地。ゆえに他種の者を従えて(・・・・・・・・)戦う(・・)。それが白鳴山流の(いくさ)だ」


「…ふえっ!?」

 理解が及ぶまでに瞬きをふたつして、三太朗は目を見張った。


「それって、それって、オレも配下を持つってことです…?」

「無論だ。お前も白鳴山の天狗なのだから。配下を得、短所を補い長所を伸ばすような使い方を学ばねばならん。一羽であっても孤立せず、だ」


 天狗的にはそういうものなのか、と思う。けれども、納得もし切れない。

 確か、どこかで、天狗は他種族と馴れ合わないというようなことを聞いたのではなかっただろうか。

 確かに白鳴山ではみんな仲良く暮らしているけれども、それが普通のことではないと、前に思ったような気がする。


 釈然としないで傾いた灰色の頭を次朗がわしわしとかき混ぜた。解っていると言うように溜息を吐いて「おれさまも外出てびびったんだが」と前置きをした。


「他のとこじゃやんねえよ。うちの山がふつーだと思ってたら腰抜かすぞ」

「あ、やっぱり?」

「そーだぜ、うちのししょーはすごくて特別変わってるかんな!」


 おいそれは褒めているつもりなのか、と呟いている高遠を後目に、次朗は三太朗を覗き込んだ。


「山にゃそれぞれ違うやり方ってのがあるもんなんだぜ。あそこは集団戦法が得意で、こっちの山じゃ奇襲が得意、みたいなやつだ。それぞれの山主の得意なやつを下に仕込んでんだ。そんな感じで、うちのししょーは他の奴らが知らねえやり方で使役の術(・・・・)を使うようになって、おれらもそれを教わんだ」


 高遠が編み出した白鳴山のやり方なのだというのは納得だった。

 仲間を頼れないのならば、それ以外を頼れるようになれば良い。なるほどこの師匠らしい発想だと三太朗は思う。

 天狗に出来ないことも、出来る者を味方にすれば可能になる。そう考えれば、信頼できるならば他種族を配下にするのはなるほど理に適ったことである。


 白鳴山は力の強い、"霊"に満ちた山であり、天狗としては失えない拠点だろうというのも、今の話を聞いて知った。

 ならば、"普通"という枠を取り払うのも、山の重要性をしてみれば自然に辿り着いたのだろう。

 今までにあったいくつかの疑問に答えを得ていく。


 裏を返せば、普通というものを捨てなくてはやっては来れなかったのかもしれないと思い至ったが、それには口をつぐんでおいた。


 三太朗は、その生い立ちから"普通"というものを無意識に気にしている。だがここに来て、天狗としての普通から外れる道筋に居ることを理解した。

 そしてそれを拒むことなく受け入れることにした。

 普通ではないということを理解しながら、自ら異端を受け入れた。


 真剣に頷いた三太朗は幼げで、見た目は小さな子が大真面目に大人ぶっているだけに見えてただ可愛らしい。

 聞いた知識を掘り下げて考え、自らの立ち位置を見定めているなどとは、三太朗を眺めて微笑む二羽の天狗は思いもしなかった。


「――えっと、紀伊さんと武蔵さんに次朗さんも赤と青の帯してるってことは、色位より上なんですね。みんなどれなんです?」

 例え"普通"の枠に嵌らない者でも、どのくらい上に行けるものなのか知りたくて、三太朗は言ってみた。山の兄弟子たちは皆いつも略証だけを付けているので、尋ねなくては位階が判らない。

 因みに高遠は三太朗の中で当たり前のように別格なので、基準として考えないものとしている。


 伸びあがって見上げるようにして次朗に言えば、兄弟子はふふん、と鼻を鳴らした

「おうよ。おれさまは色天狗。だがなぁさんたろ、ふつー色天狗は"色"なんつーかたっくるしい呼び方はしねーぞ。青紐持ちだったら"青天狗"赤紐持ちだったら"赤天狗"っつって、色で呼び分けんだよ。だからおれさまは青天狗だ」

「おおー!」

 一般に広く使われている呼び方を教えてもらって、その"(ツウ)っぽさ"がそこはかとなくかっこよく思えた三太朗は歓声を上げた。


 それともうひとつ。

「すごい!!二回も試験合格したんだ!!」

「ふっはっは!そーだぜ!」

「すごい!えらい!!」


 三太朗はいたく感心して称賛した。

 今までの次朗の行状からして、試験勉強はあんまり得意ではない――どころかすごく苦手で、試験勉強などあまりしそうではないと、次朗のことをとても正確に捉えていた。

 だから、苦手なことを二回もすごく頑張ったのだろうと、更には頑張っただけでなくそれで結果を出したのだと、そこが次朗にとっては(・・・・・・・)偉くてすごいと、ある意味とても素直かつ一歩引いた、相対的でなく絶対的な見方で感心していたのである。


 次朗はそんなことを考えているとはさっぱり思わず、三太朗は色位の自分がすごいと目を輝かせているのだと鼻高々に胸を張った。そこには小さいがとても大きな認識の食い違いがあった。


「紀伊さんと武蔵さんは?」


 だから、その有頂天は長く続かないのである。



「ああ、去年二羽揃って大位になった」



「すごーい!上から二番目!さすがにーさんたち!!」

 歓声を上げて喜ぶ三太朗に、高遠は「そうだろう」と(おの)がことのように誇らしげに目を細めて笑う。


「飛位までならまだしも大位とは、誰でもなれるものではない。あいつらは元から才もあるが、それに甘えず俺も驚くほど直向(ひたむ)きに鍛錬に打ち込んでいたし、昇試の推薦を目指してそれは必死に励んでな、俺が(とき)足柄(あしがら)大試(だいし)の許しを打診したときにはもう皆が認めていたほどだ。お前も是非に見習って…ん?次朗?」


 三太朗が振り返ったとき、次朗は口を半開きにしたまま石のように固まっていた。


「じろーさん?にーさん?どしたの?」

 膝の上で上下に跳ねるようにして気を惹こうとしてみたものの、次朗は「は」とか「あ」とか短く言うばかりで様子がおかしい。


「大位…?え…大位んなった…?え?」

 壊れたっぽいからちょっと叩いてみようかと思ったら動き出したので、振り上げかけた手はそっと下ろしておく。


「ん?知らなんだか。そうだ。紀伊と武蔵は現在大位だ」


 高遠があっさりと肯定すると、座り心地が悪くなったので三太朗は次朗を見上げた。

 微振動をやめてほしいが貧乏ゆすりでもなさそうだし、他全部を塗り潰す驚愕が感じ取れるので、原因はおそらくこれ。ならやめてと言って止まるものでもなさそうだったので黙っている。


「…え、ええええええええ!?兄貴たちが大位ぃい!!?」

「わっ」


 間近の叫び声にぱっと耳を塞いで首をすくめたが、次朗はそんな弟の様子は目に入っていない。


「は?だってこないだ飛位になったばっかで…!!」

「そうだな。飛位に上がってから大位まで十年は短い。とはいえあいつらほどの者が十年必死に励んだのだから、昇位しても不思議ではあるまい?」

「そりゃ、兄貴たちはすげーけど!でも、大位って!そんなすぐなれるもんじゃねーだろ!?」

「次朗」


 ほとんど悲鳴のような驚きの声に、少し落ち着けと言って、高遠はごく普通の様子で言った。


「それほど懸命に励んだということだ。あの努力を見ていれば、何も不思議なことではないさ」




 次朗はそのとき、全身を打たれたと感じるほどの衝撃を受けて呆然とした。

 絶対にぴしゃーんと雷が落ちる音がしたはずだと、後日振り返ってみても思うほどの衝撃だった。


 自分が家出をしてあちこちで好き勝手している間に、元から優秀だった兄弟子たちは才能の上に胡坐をかくこともなく努力して成果を出していたのだ。

 しかも大位。自力でたどり着ける最高位である。

 どう頑張ってもなれない者もいる中で、たったの十年でそこまで上り詰めるのに、血反吐を吐くような努力をしたはずだ。

 それがただ師匠である高遠の役に立ちたい一心でのことだっただろうと、次朗にも容易に予想が付く。


 普段好き勝手することを全く悪いと思わないし、そもそも善悪など考えることなどない次朗にも、何もしてこなかった自分とのあまりの違いに罪悪感がむくむくと湧いてくる。


 そのとき、くいくいと袖を引かれた。


「じろさん、大丈夫?」

 年端も行かない弟分が、心配そうに眉を寄せていた。

 その眼差しに少し落ち着いてきて「おう」と小さい声で返せば、安心したように笑ってくれた。


「あのね、次朗さんは次朗さんだと思うよ」

 そのままでも大丈夫だと、今の次朗を肯定してくれたのだときちんと伝わった。

 次朗を気遣って言ってくれたことに、正直に言って救われた。


「色位になったのだから、別に無理に上を目指せとは言わん」

 高遠も以前と全く同じことを、全く普通の顔で言うので、次朗は内心ほっとした。


 他の山主だと、弟子を無理にでも上位にしようと躍起になるものなのだがしかし、高遠は『色位にまではなっておけ』というのが方針であり、兄弟子たちが大位に就いた後もそれは変わらないのが解って安心したのだ。


――――そうだよな、別に無理して上んなんなくって良いよな…。


 高遠もうるさく言いはしないし、紀伊や武蔵も次朗に努力を強要しようとする性格ではない。そう平静を取り戻した直後であった。


「ねえねえ師匠!」

「なんだ、三太朗?」


 雛が雛なりに大真面目に師を呼び、師は嬉し気にそれに応えた。

 白鳴山では日常的に見られるその光景。いつも次朗の心を和ませるそこに、最大の罠が待っていた。


「あのね、オレも大天狗なれる?」

「ああ。無論だ」


 どっかーーん!とどこかが爆発したにちがいないと思ったと、後日の次朗はそう振り返る。


「学ぶことは多いぞ」

「はい!いっぱい勉強します!!」

「その意気だ。お前は覚えが早いし、武術の筋も上々。そこに努力があれば、これはすぐに駆け上がっていくだろうな」

「頑張ります!!」


 そんな会話が繰り広げられるのを、またしても次朗はがちんと固まって聞いているしかなかった。


 三太朗の利発さは次朗も知るところである。

 勉強が好きで覚えも早く、頭は回るし機転も利く。稽古では天狗に成る前に何度も紐を取ったし、あの夜は猿を相手に一歩も退かず渡り合い、一頭を仕留める大金星。

 弟弟子が優秀であることは次朗も認めるところである。


 そこに、型破りだが弟子を育てることにかけては巧者である高遠が本気で教育に当たれば。


――――すぐ、追い抜かれる…!!


 ぞわっと体中の産毛どころか、今は隠してある翼の羽毛まで逆立ったような感覚が足先から脳天まで駆け上った。

 次朗は想像した。弟に位階で追い抜かれるという、このままではまず間違いなく実現するであろう未来を。


 ちらっと、断じてほんの戯れだったが『滅茶苦茶しんどいからやめとけよ』と、言おうかと一瞬だけ思った。

 しかし、やる気になっている三太朗の意気を挫くようなこと、ひいては可愛い弟分の成功の道の邪魔をする言葉だと次朗自身解っている。

 そんなことを言えば流石に高遠も怒るだろう。双子の兄弟子もだ。それにやる気になっているのに応援してくれないとなれば三太朗も嫌な顔をするだろう。

 何より次朗も、ただ位階を追い抜かれたくないというだけの手前勝手な気持ちで三太朗のやる気を削ごうとするのは正しくないのを知っている。そして次朗は、大事な身内にそんなことを出来ない、真っすぐな気性を持っていた。

 言葉は吐息さえも形にならずに、心の中で溶けて消えた。


 膝の上の小さな雛を凝視していると、それに気づいた灰色が振り返った。


「?次朗さん?」


 かわいらしく純粋で、何より真っすぐなその眼差しが、努力から逃げ回り続けてきた次朗天狗の胸にぐっさりと深く刺さった。




 なんでもねえよ、とそっぽを向かれて、三太朗はちょっと困ったがまあ良いかと思いなおした。


――――何か言いたいと思ってそうだったんだけどな。


 言うのを迷ってやめるなんて、いつもの次朗からは考えにくい振る舞いだったが、先ほどから驚いたり焦ったりと忙しいようだし、落ち着くまでそっとしておこうと思ったのである。


 ふと高遠が横を向いた。障子越しの光はだいぶ傾いて、黄身が強い。


「ああ、だいぶ長く話したな。今回はここまでとしておこうか」

「あ、はぁい。ありがとうございました…」


 そう答えたものの、三太朗は煮え切らないものがあった。

 まだ何色の紐を目指すのかを決めていないのを思い出したのだ。

 高遠の話を聞いてみれば、新しい戦術を使えるなら黒を目指しても良いような気がする。しかし、本当にそんなことが出来るのかというのも解らない。なら、下手なことを考えるより赤か青を目指した方が良いような気もする。

 つまるところ、何を選べばいいのか解らなかったのである。


 そんな微妙な顔の彼を見て高遠は、何を考えているのかお見通しだという風に破顔した。


「そんなに悩むな。色紐を得るまでには時がある。術も内経も外経も、やってみねば解らぬだろうし、どの色を得るかは追々考えよう。配下についても、初めての者は良いように見繕って今度連れて来よう――そうだ、明日行って来よう」

「はい…はい?」


 悩むように考え込んだ三太朗に、高遠がさらりととんでもないことを言い出した。


「ぅえ?…えっと、え?配下って、え?将来、とかじゃなく?明日?」

「ああ。早い方が良かろう」

「え、あの…え?」


 えっえっとしか言えなくなった、混乱しきった雛の様子を一切合切気にも留めず、高遠はにこにこと自分の調子を一切崩さずに「いつも夕餉の前に風呂に行くのだろう?そろそろ行ってきたらどうだ」と宣うた。

 この男、もう話は終わったことにしている。


 当たり前のことのように言われた当たり前のことは、ちょっと考えてみても当たり前だった上、いつも通りの落ち着きぶりの師匠の様子を目の当たりにすると、何を言えば良いのか解らなくなってしまった三太朗は、「はあ、じゃあそうします」と流された。


 廊下を歩きながら「あれ?」と首を傾げてみたけれども、やっぱり何を言えば良いのかが、特大の予想外を急に叩き込まれて麻痺した頭ではとんと思いつかなかった。






「…ししょー」

「うん?」

 首を捻りながら出て行く三太朗を見送った辺りで、次朗がさも苦渋の決断とでもいうような、悩みに悩んだ顔を上げた。


 どうした、と言われてもしばらく黙り込んでいた長身の弟子は、ある瞬間、がばっと前のめりに身を乗り出した。


「ししょー!おれ、昇試受けてえ!!!」


 その真剣な顔をまじまじと見て、師は満面の笑みを浮かべた。





















 ぺたぺたと、廊下を歩く自分の足音を聞きながら、三太朗はやっぱり何か間違っているような気しかしないのを確認して首を捻っていた。


「今日決めて明日連れてこれるようなものなの…?」


 新しい配下となるのなら、今まで住んでいたところからこの屋敷に移って来るということだろう。

 準備があるだろうしすぐには無理ではなかろうかということにやっと思い至ったのである。


「あ、でももしかして陣さんとかみたいに、荷物も何もない暮らししてるんだったら、準備ってないのかなぁ」


 天狗たちをはじめ、鬼のお(しの)弦造(げんぞう)のように、家族で家に暮らしている者ばかりではないのが(あやかし)である。

 次朗のネズミ、豪風や、いつもその辺にちんまり座っている(セキ)のような者ならば、行こうと思えば気ままにひょいっとやって来ることも可能だと思い直す。


 しかし、どんな者であっても、急に言われても困るはずだ。

 今回はただの引っ越しではない。三太朗という天狗の雛を主として、その下に仕えろという、未来を左右するとんでもない話なのである。


「会ったこともないし、オレこんななのに、配下になってくれるものなのかなぁ」


 三太朗自身に置き換えて考えてみたところで、見知らぬ他人、しかも何もできない子どもに急に仕えろと言われたって絶対に嫌だ。

 騙して連れてくるのならあり得る話だろうが、そういう狡い企みは高遠から縁遠いところにある気がした。


 そもそもこれから信頼関係を結ばねばならない相手に最初に不信行為から始めてどうするのだという話。それぐらいのことは三太朗でも解るのだ。高遠が解らないはずがない。

 

「前から師匠が約束してたとかかな?それならあるのかなぁ」


 高遠が『弟子を取ったらその子に仕えてくれ』と頼んでおいた説を考えてみる。名高い白鳴山の主の弟子ならば仕えよう、と了承されたとするならば。


「…滅茶苦茶立派な相手に仕えられると思ってたりして」


 高遠の信用を担保に空手形を切って、期待充分にやって来たのに、待っていたのが三太朗のような幼い雛だったら、がっかりされないだろうかと心配になる。

 がっかりした相手と上手くやっていけるのだろうか。


「…まぁでも、師匠が良いように見繕ってって言ってたから大丈夫だろ…ん?見繕って?」

 見繕ってとは、もう既に相手が決まっているときに使う言葉ではないんじゃないだろうか、はてこれ如何に。


 そんなことを考えながら角を曲がったら、外からの風を受けてひらりと前髪がそよいだ。

 その風に誘われるように顔を上げて、ほう、と三太朗は息を吐いた。


 そこにあったのは、巨大な光の柱(・・・・・・)だ。


 いや、目という器官に捉えられるものではないから、光と呼ぶのは正確ではないのを三太朗は知っている。

 それは、三太朗が他者の感情を感じ取る感覚と少し似ていた。

 目を閉じて、耳を塞いで、何にも触らないように身を丸めていても、そこに在ることが解る。大いなるもの。


 音に例えるならば、滝のような大雨を束ねたものと、穏やかにしんしんと降る雪の両方を兼ねれば近いだろう。

 色に例えるならば、何にも染まらぬ純白と、何をも塗り潰す漆黒と、他あらゆる色を具えれば近いだろう。

 温度に例えるなら、感触に例えるなら、味に例えるなら――。

 感覚の全てに例えることが出来るけれども、きっとどう例えても正確にはならない。捉えどころのない、しかし確かにそこに在る、巨大な流れ(・・)


 不思議なものだけれども、なんとなく他のものよりかは光に近いような気がして、三太朗は心中でそれを光に例えることにしていた。

 そうしようと思ったのは、この天の彼方まで立ち上がったこれが、酷く美しく思えたからかもしれない。

 まだ歩くだけで転んでしまうような、今よりもっと幼い体をした、成りたて(・・・・)だった頃でも、無心で高いところに登って手を伸ばしてしまったほどに。

 何度落っこちても、登るのをやめられなかったほどに。


 三太朗は立ち止まってぼんやりとそれ(・・)に意識を向けた。

 柱、と表現したがしかし、柱のような形で天地を繋いでいるのを感じ取っているだけだ。例え目に見えたとして、この場所からその形を見て取るのは叶わなかっただろう。

 その巨大なものは、正確には頭上(・・)に展開しているのだから。


 白鳴山の全てから沸き上がり、あるいは、白鳴山へ向けて降り注ぐその極太の流れの直径は、館を内包して、山の七合目から上全(・・・・・・・・・)てを覆う範囲に及ぶ(・・・・・・・・・)のだ。


 柱の内側から見上げ、伸びあがる先へ向かって意識を向ければ、その悠然とした存在に溜息しか出ない。


「あー、まあ、何とかなるよね」


 何となくそう思えて、三太朗は悩みを打ち切り、風呂へ向かう歩みを再開した。


 今日の座学は得るものが大きかったな、とふと考える。


 ただ美しいと思っていたこの柱が、天狗が重要視している"霊"の流れ――天から降り(きた)る"天流"なのだと気付くことが出来たのだから。







段々前と同じように複雑な考え方が出来るようになってきた三太朗。


活動報告を更新しましたー!

https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/2786342/

現在の状況をちょろっと書いてます。


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