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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
110/131

九十四 機微を知る

会話回




「あれ、誰だったんです?」


 三太朗が、座った武蔵の背中に負ぶさって訊いた。

 もやっとしたものが残ったまま、なんとなくまだ心細さと落ちつかなさがあって、誰かにくっついていたいのだ。

 案内するという名目で、よく知らない不審者に高遠を取られてしまったから拗ねているとも言える。


 武蔵を選んだのは、べたべたしてつんと臭う薬を(あかぎれ)に塗られてしまったから、両手を広げて待っているとしても今は弓の方に行きたくなかったのと、武蔵が一番近くにいたから。

 弓はちょっと肩を落とした。


「足柄さまは、お師匠の一番のお仲間の内のおひと方だよ」

 そんな弟に笑って、武蔵が言った。


「いちばん?」


「ああ。"長位(おさい)"だけどすごく気さくで、下もよく気をかけてくださる。うちにはたまに土産を持って遊びに来たり、『たまには外に出ろ』とかってお師匠を引っ張り出しに来る。頭がよく回るって評判だし、周りから尊敬されてる」


 物陰から注がれたあの目線を思い出して、三太朗はまだ足柄のことをあまり好きではなかったけれど、武蔵は取り繕うようにそう言って「すごい方なんだぞ」と小さい頭を撫でた。


「……師匠よりすごい?」

「「いや」」


 即答である。

 白鳴山に於いて師は弟子を溺愛するのが当たり前だったが、弟子たちもまた、なんだかんだ言って高遠が一番だと思っている。

『やっぱり』と密かに納得した三太朗も同じ穴の貉、もとい同じ山の天狗であった。


「えっと、お師匠には特別親しいお仲間がお三方いらっしゃるんだけどな」

 紀伊が気を取り直して話を戻す。


「元々四羽で"(れん)"を組んでらっしゃって、たくさん手柄を立てて全員で長位にまでなったっていうすごい方々なんだぞ」

「今でもすごく仲が良くて、ちょくちょく連絡を取り合ってるんだ」


 三太朗はなでなでが気持ち良かったのでちょっと手に頭を寄せた。


「れん、って何です?」

「連ってぇのは、つるんで動くやつらのことだ」


 次朗がめんどくさそうな態度をとりながら、嬉しそうに話に加わった。


「大体が五羽か六羽で組む。面子(めんつ)は好きなやつを選べば良いんだが、仕事も一緒にやるから気が合う上に相性が良いやつとじゃねーと上手くいかねえ。連をどんどん変えるやつもいるが、普通はがちっと嵌まったらずっと同じやつらと組んでるもんだな」


 部隊の最小単位だな、と紀伊が補足した。


「まあ、"()天狗"や"(からす)天狗"なら、仕事って言ってもそこまで難しいもんじゃない。戦闘召集のときも『小天狗全員で来い』とかだし、先輩が世話役に付くからそこまで深く考えなくて良いけどな」

「"色"位になると連単位で動くことが増えるから、連員の相性はすごく大事だ。足手まといがいなくて全員が過不足なく助け合えるのが良い連だな」

「お前も良い仲間を見つけるんだぞー」


 三太朗は目をぱちぱちした。


「オレも?山を下りて?」

 兄たちは『そうだよ』と笑う。


「お師匠は経験を重く見てらっしゃるから、お前もいつか山を下りることになる」

「弟子を下山させない山もあるけど、いざ召集がかかったときに他のやつらと動いてるの見てると、合わせるのに苦労してるのが多いしな。他のやつに混ざって動くのは絶対経験するべきだ」


 想像がつかなくて、三太朗は眉を寄せた。

 "見つける"と言うからには他の天狗という意味なのだろうが、ここには師匠と兄たち以外の天狗は居ないのだ。

 しかし三太朗にとって山の外は未知であり、想像できない世界だ。


「えっ、えっ…ひとりで?」


 誰かついてきてくれないかと思ったが、三羽の兄たちは笑った。


「おいおい、ひとりってなんだよ。仲間のとこに行くんだぜ?行った先にいんのは全部身内だぞ?」


「ぜんぶ?」

 三太朗にとっては豪快な極論に思えたが、他の二羽も「一理はあるな」と同意したので、そういうものかと思っておくことにした。


「それでも怖いか?」


「うー…ん?」


 三太朗は考え込む。

 あの記憶が戻った以上は、恐怖とはどんなものかを解るようになっていた――今まで恐怖を理解していなかったのも自覚した――しかし、兄たち曰く"仲間ばかりの場所"に危機感はない。ただなんとなくの不安感は付きまとっていて、それをどう言い表せば良いのか悩む。


「わかんないです。…どんなとこか、知らないから?」


 そう結論付けた。

 山の外に出ている自分を想像しようにも、『山じゃないところ』という認識でしかないので、何ひとつ思い浮かべることができないのだ。

 それは捉え処がない不安をもたらしていた。


 どうにかこうにか捻り出し、たくさんの天狗が居るところを想像したが、風景は見当もつかない上に天狗は全員のっぺらぼうだった。

 しかし豊かな想像力は、その真ん中で困惑している自分も描き出した。

 負けず劣らず困惑しながら、三太朗はしかめっ面で首を捻った。


「どんなの思い浮かべてるんだ?」

「うーん…なんか…平らなとこ?」

「大まか過ぎる…」


 更に困った顔で考え込んだ三太朗に、兄三羽もどう説明しようかと思案を始めた。

 仲が良い四羽ににこにこして、弓が茶を淹れて配った。

 説明に加わるつもりは一切なく、ほっこりするのに忙しいようである。


「あ、てめー確か外に友達(ダチ)居んだろ?そいつが居るとこだよ」

「…あ、よしかず!」


 ぱっ、とのっぺらぼうの一羽が宜和に変わった。

 立ち尽くしていた自分も楽しそうに駆け寄って行く。


「そっか、書いてあったとこのことかぁ」

 閃いて、宜和からの便りの内容を思い浮かべた。


 たくさんの建物が建ち並び、長屋や広場、井戸や高い塔がある場所を想像する。

 立ち尽くしていたたくさんの天狗も動き出した。


 忙しそうに走っていたり、何かを運んでいたり、座って休憩したり。と思えば楽しげに喋っていたり、食事をしていたり。厳めしく武装して門の辺りに立っているのもいた。

 宜和の周りはひときわ賑やかで、その中に三太朗は交じった。


「"たぬきじじい"のしぶちょうがいて、腕が太い料理番の"じょけつ"がいて、怒ってても笑ってる"こわいいむかん"がいるとこ!」


「すげぇ範囲(せめ)ぇ」

「しかも殆ど悪口だろ」

「余所でそんなこと言っちゃダメだぞー」

「?」


 何も解っていない三太朗が首を傾げても、兄たちは笑うばかりだった。


「…宜和が居るのは東都支部だな。"えなさま"がよく顔を出されるところだ」


 そう紀伊が呟いた。武蔵が肩にかかる小さな手を軽く叩いて、隣に座るよう促す。


「あのな、お師匠の連員は綮梛山主(けいださんしゅ)恵奈(えな)さま。畔端佐岳主(はんはざだけしゅ)(とき)さま。そして、足柄山主(あしがらさんしゅ)足柄さま」


 武蔵が宙をなぞると、光る軌跡が残り、山と名前が記された。


「おおー」


 三太朗は無邪気に歓声を上げた。

 指を伸ばして触ってみたら、ふわりと一度ゆらいでまた戻る。

 何も触った感じがしないのに、日溜まりに触れたような仄かな温もりが不思議で、目を丸くして手を見た。


 ちょっと力を入れて唸ってみたが、光の線は引けなかった。

 兄たちはそれを温かく見守っていた。全員通った道である。


「…恵奈さま以外は全員、人から成った天狗なんだぞ。お師匠たちが長位に就いた頃は、人成り(・・・)の天狗が上位になるのは珍しかったから、三羽も同時に選ばれるのは快挙だったんだってさ」


 名前の辺りから武蔵が線を引き、"人成"の字を加える。


「オレと同じ?人からの天狗?」


「そうだぞー。今じゃ人成りだの生え抜きだの言うのは少なくなったんだけどな、それはお師匠たちの実力が認められてからなんだ」


「師匠すごい!」


 この場では同意以外が出ることはない。


「晨サンは術が半端ねえ、足柄サンは術寄りだけど何でもできる。んでもって恵奈サンとししょーは内経(ないけい)がすげーんだぜ!あとやっぱししょーが最強な!」


「さいきょー!」


 横に大きく"師匠"が書き込まれ、"術"や"内径"や"無双"なんかが増える。


「恵奈さまは女性なんだけど、すごく強いんだよなー」

「弟子もたくさん持ってて、全員女性なんだ。綺麗な方だぞ」

「…おれさまあの山苦手」

「そんなこと言うなよ。恵奈さまの親派はそこいら中に居るんだから」

「人気あるもんなー」


 "女"や"美形"、"怖い"が加わって、最後が少しの間を置いて消された。


「そうそう、晨さまは奥さまがいて、小さいご息女が居られる」

「晨さまはいっつも仏頂面で、苛立ったらすげえ低い声で『ああ?』って言うから怖いんだよな」

「まあでも、話がわかる方だよ。娘さんは可愛いんだけどお転婆でさ」

「父親譲りの術の才能があるんだ」

「すぐ泣きやがるから気ぃ付けろよ」


 "娘"や"注意"が。


「綮梛山は東都から北東の方角。畔端佐岳は、それよりは白鳴山に近いんだけど、南の方」

「ここからだと足柄山が一番近いかな。白鳴山の南東の方だ」

「ここが白鳴山だ!」


 大まかな地図が描き出され、幾つかの山と東都が描き込まれる。


「支部とか他の山は…まぁ今は置いとくか。よし!うちの北西の方は余越(よごし)って言うとこなんだけど、水が綺麗で魚とか貝が美味いんだよなー」

「南のこの辺!輪才羽(わさいば)の縁日はすげーんだぞ!見上げるぐらいでっけえ太鼓を四人がかりで鳴らすんだ!」

歩芭垣(ほばがき)の染め物は有名だな。女衆が川に並んで、染めたばっかの(にしき)を流し洗うんだ。色とりどりの布が広がってさ、綺麗だぞー」


 観光案内めいた名所情報が加えられ、


「南の竹倉(たけくら)の国の方は河童がすげー居るんだぜ」

「北部の方は妖狐が多いな」

「鬼はけっこう、色んなとこに群が散らばってる。東領は鬼が多いんだ」


 幾らかの妖魔の縄張りが足され、


「北の領境は山になってる。天を衝くとはこのことかって思うぐらい高い山が連なってる山脈で…こういう形を、して、るっ」

「南から西の領境は川だ。ものすごい幅広い大河。真ん中に行くほど深くなって、流れも速いんだ。こんなー、風にー流れてるーっと」

「東の端は海だ。ちょっとの間は(あせ)えんだが、じきにがーっと深くなりやがる。上から見たら色がすぱっと違うからよく分かんぜ。海岸はこーなってこーだ!!」

「海岸線すげぇ歪んでるぞー」

「こっちはもっと張り出してるだろー」

「大体でいーじゃんか大体で!」

「ふおお…」


 三つの筆跡が奔放に跳ね回る、落書きめいて宙を埋めた"外の世界"を、三太朗はきらきらした目で見つめた。

 兄たちが描き出したものは知らないものばかりだった。その未知そのものが、彼らの弾む口振りの効果か、たまらなく楽しげに思えたのだった。


「…外にはいつ行くのかなぁ」

「ふふ、お修行を頑張っていたら直ぐですよ」


 弓がいとおしげに微笑んで言った。


「どんな修行?」

「そうですね…お外に行くなら、きちんと飛べるようにならなくては。あと、お外のお仲間方に三太朗どのは賢いと思って頂いた方がよろしいでしょうし、恥ずかしくないように学問もなさいましょうね」


 途端に不安になってきた三太朗は、情けなく眉を下げた顔で弓を見上げた。


「出来るかな?飛べるようになって、それで、賢くなって…」


 目の前できらきら光る未知の塊を、少し難しそうに見上げた。


「…これもぜんぶ、知ってた方が良い?」


 一度に覚えられるか不安だったけれど、丁寧に読み返して、今聞いた説明を最初から思い出そうとしてみる。


「おいおい、まじかよ」

 次朗が信じられないものを見るような目で凝視した。


「真面目だなー」

「な、さんたろ。丸覚えすることはないぞ。地図はもっとちゃんとしたのが書庫にあるし、それに飛べるようになったら自分で行ってみたら良い」

「そうだな。そしたらただ絵図を見てるだけよりちゃんと覚えられるし、どうせ今日明日の話じゃないんだからゆっくりやってったらいい」

「慌てずとも、高遠さまが良いように計らってくださいますよ」


 宥めるように口々に言われて、そうだろうかとちょっと思い直したところで大きな手のひらが落ちてきた。


「まずは身を守れるようになってからだ。ってことはでっかくなるとこからだろーが。ちんちくりんの癖に気が早ぇんだよ」


 次朗に髪をぐしゃぐしゃにされてしまったが、それが三太朗は嫌いではなかった。


「はぁい」


 返事をしてそれでも横目でちらちらと見上げる三太朗に、紀伊と武蔵が笑って言う。


「この中で覚えておかなきゃいけないのは、少しだけさ」

「綮梛山、畔端佐岳、足柄山の場所と、山主(やまぬし)の名前だ」

「他はいいんです?」

「他は別に忘れてもいいよ」


 どうしてだろうと不思議に思いながら、言い付け通りに地図を見る。


――――師匠のなかまと、その山。


「お師匠や俺らに何かあったら、この方々を頼るんだぞ」

「必ず、助けてくれるからな」


 はっとして思わず兄たちを見た。変わらず笑っている。

 けれど、彼らの目の底に深い色を見つけて、どういうことなのかをきちんと飲み込んだ。


「…はぁい」


 山の位置と主の名前、それと注釈を忘れないように目に焼き付ける。


 いざというときの備えは、絶対に必要だ。

 当たり前の日々は、見えないところから伸びてきた手が唐突に打ち砕こうとするものだから。それに抗うためには、備えが要る。


――――変わるときは急に変わるんだ。


 なんとなくひらひらと翼を動かしてみて、ふと、あの子は大丈夫だろうかと思った。





















「怖がるから来るなと言っただろう」


 自室に足柄を招き入れ、高遠は未だ不機嫌を隠さずに言った。

 他の者はいない。いつも懐にいる太刀(タチ)さえも。


 足柄は高遠にとって気心の知れた相手だが、同時に絶対に軽んじてはならない立場の者だ。

 従者を連れずに来た足柄を、下位者を排した場で同格の高遠が応対することで一応の礼儀は守ったということにして済ませ、高遠は文句を我慢するつもりは一切なかった。


 部屋は閉め切られており、外は見えない。

 雪の色の光が白い障子紙を仄かに輝かせている。

 いつもは季節を問わず来客の目を楽しませる桜の庭も隠されているのが、高遠の苛立ちを表しているようだった。


 これは本気で不味かったかと内心で思いながら、足柄は土産の酒を取り出した。

「怖がらすつもりはなかったし、会う気はそもそもなかったって」


 高遠は不愉快そうな顔のまま、当然のようにふたつの盃を取り出して並べる。

「つもりはなくとも見つかっていれば世話はなかろう。結果としてあいつを怖がらせたのだから同じことだ。違うか」


 ふたつともに正確に等量の吟醸を注ぎ入れた足柄は、気不味く口元を歪めた。

「…違わねえ。悪かった。お前に任せるってことにはなってたが、どうしても一度見ておきたかったんだ。けど無断で来たのは浅慮だった」


 全面降伏した足柄に、溜息ひとつでひとまず矛を納めることにした。

 吸う息で豊かな酒精の香りを楽しみ、どちらからともなく器を掲げて触れ合わせ、同時に(あお)った。


「――何故ばれたのか、正直わからん。心当たりはあるか?」


 口を拭って足柄が口を開く。その顔はやや険しい。


「お前ほどの遁術(とんじゅつ)の名手が感付かれるとは俺も驚いた。…うちの探知の術にかからなかったのだから手を抜いた訳ではないだろう?」


「いやー、そりゃ全然全力じゃなかったさ?」


「…そうか」


 ちょっとの間憮然とした高遠ににやにやしたが「まあ、お前の術を知ってるからだ」と種明かしをした。


「術の形式も知ってるから、すり抜ける方法を思い付いたってだけだ。けど、"雛"に見抜かれるほど気を抜いてもいない。見つかったとき、いつから気付かれてたのか分からなかった。あのちびは俺を(あざむ)こうとしていたんだ…あれは、雛とかそんな可愛らしいもんじゃない」

「何言ってる。可愛いだろう」


 すぱんと話をぶった切って真顔で言い切った友が大真面目である、と判ってしまった足柄は、米神を押さえて首を振った。『違うそうじゃない』と言っても取り合わないであろうと予想が立っているから尚更頭が痛い。


「…これがなかったらなぁ」


「うん?」


「…何でもない。問題は、雛が気付くはずがないのに俺に気が付いてたことだ。確かに本気じゃあなかったが、術も内経も使えない雛が見つけられるはずがない…これは」

「待った。それを"あれ"と結びつけるのは早とちりだ」


 足柄は眉根を寄せる。言葉尻に半ば被せるように言った高遠は平静で、不確かなことを勢いで口走った様子ではない。

 それに、こういうことで見栄を張ったり誤魔化したりする男ではないと、彼は良く知っていた。


「言い切ったな?何を掴んでる」


 ふたつの器に二杯目を注ぎながら高遠を窺う。

 足柄の探るような眼差しに対し、黒い瞳は真っ直ぐ見返した。


 顔つきは真剣そのもの。力みもなく、侮りも、誤魔化しも一切ない様子に、足柄は友が以前と何も変わらないことを察して密かに喜び、安堵した。


「ああ、丁度"隠れん坊"と"当て物"をやったところでな」

「は?」

「その結果、"黒天狗"の可能性を得た」

「………………うん、そうか。"外経(がいけい)"か」


 かなり色々なものを飲み込んで、足柄は話をさっさと進めることにした。

 何も変わらない友の様子は喜ばしかったのだが、ちょっとこの辺はなんとかなっていれば良いとは思う。数百年の付き合いで治らなかったものだから望み薄も甚だしいが。


「なるほど、随分珍しいがあり得ないことじゃない、か」

「ああ。先の様子を見ていても、指差した方向は少々ずれていたようだから…お前、気散法を使ったな」


「当たり」


 短くそう返した足柄の気配が急に薄まり、ぼやけるように広がるのを感じて高遠は目を細める。


 目の前で酒を舐めているのは変わらずはっきりと見えているが、その気配は薄く伸びたと言うべきか、掴み所がない。

 焦点をずらすようにするとなんとなく感じ取れるのに、彼そのものに意識を向けると途端にあやふやになってしまう。

 これが、周囲の"()"と"()"に溶け込み隠れる技のひとつ。"気散法"だった。


「相変わらず見事だな。目の前だから良いが、(ひそ)まれていれば俺も気付くかどうか」

「お、白鳴山主どののお褒めに預かるとは光栄の至り…だが、お前なら別の手段で気付くだろ?」


 黙って酒を口にするのが答えだ。

 今日の出来事でも、あの雛に指差される前から何かおかしいと感付いていたに違いないと足柄は思っている。

 高遠は弟子を可愛がってやまないが、無闇矢鱈に抱き上げたりはしない。来て直ぐに抱えたのは、不測の事態が起こっても対処するためだと睨んでいる。


 だが訊いても答えることはないだろう。確かめるのも馬鹿馬鹿しい事実というのは、この友に答えを期待してはいけない。

 だから足柄はにやっと笑って器を空にした。


「ま、お前が問題なしとしてるんなら、俺の懸念も無意味なんだろうな」

「懸念?ああ、あいつがお前に気付いた上で黙っていたことか」

「ああ。あれぐらいの雛なら、不審な気配に気付いたらすぐ何がしか反応する。こっちに目も向けなかったのはおかしいだろう」


 無意味と言いながら、やはり難しい顔でそう言う。そこに幼い見た目に惑わされまいという気負いを見て、高遠は逆に柔らかく笑った。


「何もおかしいことはないさ。あいつはこの上なく怖がっていた。あの大泣きを見たろう」

「だから、怖かったら騒ぐだろう?」

「いいや。あいつは危機に在って敵を刺激するのは悪手だと教えられずとも知っているだけだ。おそらくだが、お前に気付いていることを気付かれぬように、俺の元へ来ようとしたんだろう…気負い過ぎて転んでしまったようだが」


 修行が必要だな、と笑みを深くする高遠は紛うかたなき上機嫌であるが、足柄は盛大に顔をしかめた。


「お前な、何暢気なことを。普通の雛の考えじゃあないだろうが」

「…うちに来る前、苦労していたようだからな」


 足柄は口を開きかけて、閉じた。

 考え方が普通ではないというところを、自然に彼の異常性に結び付けていたことに気付いたのである。

 これがあの雛でなければ、まず育ち方に疑問を持つはずだ、と自分でも思ってがしがしと頭を掻いた。


「…偏見だったな。異常を見極めるつもりで来たのに、知らず決めつけていたみたいだ。悪い」


 いや、と答えながら、高遠は内心満足を覚えて目を細めた。友が変わっていないことに安堵を覚えているのは足柄だけではなかった。


 足柄はそんな高遠に目を遣って、少し目を逸らして鼻を鳴らしたものの、すぐに気恥ずかしさを投げ捨てて、切り替えた顔で向き直った。


「お前の考えは分かったし、納得はした。晨や恵奈には、俺から今のところは平気だと伝えておこう」

「助かる」

「だがな、お前これから先も気を抜けないのは分かっているんだろうな?気を許し過ぎるなよ」


 真剣な忠告に、高遠は口元に笑みを残したまま、手の中の器に目を落とす。

 透明な酒を一度揺らして、ぐっと呷った。


「…情で俺の手が鈍るとは思ってくれるな。足柄」


 呟きは静かで、古い友は自嘲するような響きを聞き取った。


「そんな甘っちょろいやつだとは思ってやしない。逆だ。高遠」


 高い酒だというのに、この上なく苦い顔でそう返す。


 そうかと穏やかに返すこの小柄な友が、どんなに可愛がっていたとしても、処理(・・)に躊躇うことがないだろうとは重々承知だった。

 冷血なのではない。高遠は情が深い。ただ、行動の基準に情を入れることはけしてしない男だ。


 だというのに、気にかけていた相手を躊躇せず手に掛けたとして、情ゆえに、真っ当に傷付く。

 それで倒れることがない驚くほどの強靭さと、痛みを避けることを考えられない不器用さもまた、足柄は良く知っていた。

 慕われれば気に掛け、つい懐に入れてしまう甘さも。


 高遠の弟子たちはこの、愚直で不器用で変なところで真面目な、腕っぷしだけが取り柄のどうしようもない馬鹿を完璧だと信じてやまないが、足柄に言わせれば酷く危うい。


「…ちっ、手遅れか。もう少し早く来て釘を刺せば良かった。拾ったって聞いたのはいつだったか…。まだ一年経ってないだろ?そのとき知ってればなぁ」

 足柄が大袈裟に嘆いてなみなみと酒を注げば、当然の顔でもうひとつの器が突き出された。


「ああ…そうだな。随分経ったように思ったが、まだその程度か。拾ったのはお前の山の酒盛りに引っ張り出された帰りだったから」

「…本当かそれ」

「ああ」


 春も深まった満月の夜、足柄は懇意の長位と大位を二十ばかり集め、花と月見の会という名の酒盛りを個人的に開催するのが恒例である。

 他から地理的に孤立している高遠は、そういった機会がなければ他の同族と交流することがないため、毎回必ず招待している。


 一方で高遠は情勢が厳しいだとかなんとか言って断るのが常だったが、ただ面倒なだけなのが透けて見えるので、数年に一度は白鳴山まで乗り込んで引っ張り出すことにしていた。

 去年もそういう訳で、高遠は会に出席し、帰り道に追われている子どもを助けたのである。


 足柄は「俺の所為…」と唸って突っ伏した。傷は浅いが衝撃は大きい。


「畜生、お前が厄介事を抱え込むんなら呼ぶの止めれば良かった!」

「色々と酷いな。俺は感謝しているというのに」

「…酔ってもねえのに真顔でさらっとそういうこと言うな!」

「本当のことだ。いつもお前が秘密裏の会を企画してくれるから、他の連中とも辛うじて繋がっていられる。それに、あの日出掛けていなければあいつに会うことはなかっただろうし。本当に感謝している」

「止めろぉお!真っ直ぐ見つめながら真剣にそういうこと言うな!痒くなるだろうが!!」

「いつもすまない。お前のお蔭でいつも助かっている」

「お前実は面白がって遊んでるだろ!!」

「だが本当のことだ」

「否定しねぇこいつ!!」


 率直な感謝に弱い天狗は、そっぽを向いて悶えていたが、やがてじろりと高遠を横目で睨んだ。


「…で、あいつは来るべき時(・・・・・)に役に立ちそうか?」


 打って変わった口調。鋭い眼差しと静かな問いは、変わらない笑みに受け止められた。


「ああ。素養は充分。あとはどう育ててやるかだが…"黒"のことは正直わからんから、調べて来てくれると有り難い」


 まじまじと友の顔を見つめて、足柄は大きく息を吐いて肩の力を抜いた。


「りょーかいりょーかい。お前がもう本気で弟子として育てるつもりで、気を変えることはないってのはよーく分かった。俺もまあ、お前なら(ぎょ)せるだろうと思ったし、そんな警戒しなくて良いって。ったく」

「そうか。何よりだ。お前が問題なしとしてくれるとやはり心強い。頼りにしている」

「だーから止めろぉお!!」


 うおお、と頭を抱えた足柄は、本気で身悶えした。弱点を知り尽くした馴染み相手には部が悪い。


「畜生俺がこんな目に遭うのはあいつの所為だ!!って会わせた切欠は俺…ええい!ほいほい拾ってくるお前の所為だ!全部お前の所為!土産だなんだ知るか!俺が持ってきた酒だたらふく呑んでやる!!呑まずにやってられっか!!」


 突き出された盃に苦笑の高遠が注ぐ。だが器の半分もいかない辺りで、落ちる透明な流れが止まる。


「残念。空だ」

「あぁもうううう」


 がくりと肩を落とした足柄にひとしきり笑って、「そういえば」と高遠が切り出した。


「今日はどうする?泊まっていくか?」

「ん?あー、そうしたいのは山々だが、様子を見たい場所が他にもあるんでね、ひと休みしたらぼちぼち帰らせてもらう」

「そうか…久々に来たのに、仕方がないな」


 残念そうな高遠に「子どもみたいだぞ」と呆れて、どこからともなく取り出した紙束を差し出す。


「という訳で、悪いが口頭で細かく説明してる暇はない」

「これは」

「ここのところの情勢報告と、いつかお前が言っていた、東から鬼が逃げて来た件についてと、怪しい術者について今のところ分かったことを纏めておいた」


 高遠は直ぐに紙を開いて目を落とした。その難しい顔を眺めながら、足柄は残りの酒を一気に喉に流し込んだ。


「他のことはそこに書いてある以上はないから飛ばすとして、情勢については落ち着いてくる見込みだ。中位から上位が駆り出されて支部が荒れてきてたところへ、少しずつ防衛要員を戻せるようになったから、徐々に落ち着いてきてる。まだ中央と大きい支部しか手が回ってないのが現状だが、久那(クナ)にも奏上申し上げて、全天狗は纏まるようにご下命戴いた」


「…なるほど。久那の号令が出たのなら、滅多なことはないだろうが…小天狗が一気に増えたし、騒動は避けられんだろうな。手伝えず、すまない」


 歯痒そうに顔をしかめた高遠に、足柄はからからと笑った。


「俺もお前も、己の役目を果たすのみ、だ。白鳴山が抜けるときついのは見えてる。こっちの手伝いよりよっぽど大事な役目だ」


 よっ、と掛け声をかけ、酒の気配を感じさせない身軽さで足柄が立ち上がる。


「じゃ、そろそろ行くわ」

「ああ…と、待て足柄。三太朗にもう一度会っておけ」

「えぇえ…」


 泣く子どもを思い出せば気が進まないのは道理。それに分別がつかない雛を相手するのは、足柄は苦手だ。

 もう少し大きい、例えば十歳ぐらいの子どもなら遊んでやっても構わないが。


「…今のままだとお前、覗きの怪しい奴だと思われたままだが」

「うぐっ」


 その事実は足柄の心の柔らかいところにぐっさり刺さった。

 彼は長位であるが、結構下の目を気にするたちだった。「足柄さまってさー」とかこそこそ話が聞こえてきたらつい耳を傍立ててしまう程度には。


 下に配慮することに繋がる長所ではあったが、仲間内では『細かい』とよく言われる。高遠はこれだが恵奈などは前に『男の癖に』が付くし、晨に至っては『ケツの穴が小せえ』とまあ率直な罵倒になる。

 足柄に言わせれば他三羽が無神経でがさつに過ぎるのだが、まあつまり彼は一番繊細な心を持っているのである。


「…口添えしてくれよ?」

「案ずるな。それとなくあいつらが言い聞かせているはずだし、三太朗は賢いから問題ないさ…今どこだ?」


 高遠の問いに直ぐに壁は応えた。

 浮かぶ文字を目でなぞり、二羽は瞬いた。


「外へ出ていった?」








師匠ズは酒豪

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