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天狗の弟子になった少年の話  作者: たまむし
三章 身
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九十三 内に潜む

明けましておめでとうございます。2020年も拙作をどうぞ読んでやってください。




 ざっと血が下がって、三太朗はひとつ身震いした。


 冷たいものがざわざわと背筋を這い上り、身体中の毛が逆立つ。

 ぎゅうっと体の中身が小さく縮んで、腹の中に固まってしまったような気がする。すうっと手足が冷たくなり、鼓動が駆ける。しかし四肢は(いまし)められたかのように微動だにしなかった。


 なぜこんな風に固まってしまったのか、何が起こったのか分からなくて、三太朗は混乱した。


 初めての感覚に、前に一度経験した"心細さ"が沸き上がって、あのときのように師の元へいきたくなった。

 しかし、無闇に動いてはいけないと知っていた(・・・・・)


 景色は何も変わっていない。けれど、彼の中心が震えながら異常を叫ぶ。


――――なにか、ある。


 根拠のない確信。

 予感に従って、手探りするような気持ちで、嫌な方向を意識する――何かがある気がした。


 目を向けなくとも庭の木陰に、三太朗の世界(はくめいざん)にあり得ない異物が(たたず)んでいる、と思った。

 積もった雪に目を落としながら、どこか曖昧でぼやけたような気配を追って集中する。


 気配は奇妙だった。動いているわけではないのに、確かにここだと思った場所を探っても、何も居ないような気がする。

 しかしその周辺に気を向けたときには、確かにそこにいる何かを感じた。

 奇妙で、不気味だ。


――――これ、知ってる。


 寒気をもよおすようなぞわぞわした感覚は、最初は初めてだと思ったが、覚えがあることに気が付いた。彼にとっての遠い昔に。

 何者かから発されるものが、強烈に意識に染みを作っている、嫌な既視感。


 ざらつく不快感の向こうで、ざわざわと木々が鳴く音が聞こえた。確かに、聞こえると思った。


――――何だっけ…。


 震える喉に無理やり唾を送り込む音が耳の中で殊更(ことさら)明瞭に響いて、木々のざわめきが幻だと教えた。


 闇など瞬きの裏にしかない、昼日中(ひるひなか)の雪を見下ろしながら、しかし確かな闇夜の森を脳裏に見た。


 記憶を覆っていた霧が薄まる感覚。


――――あのときとおなじ。


 睨む目が、闇に光って。

 流れた涙が、月明かりに光って。


――――あれは…。


 弾けるように、数多(あまた)の追憶が意識を駆け巡った。

 昼の山、夜の森。罵倒の声、追い来る巨体。


 怯懦、驚愕、焦燥、狼狽、逃走、欺瞞、挫折、逼迫、決意――闘争。


 敵意、悪意、害意。


 僅かひと呼吸の間に、無数の実感が去来する。

 優しい日常に覆い隠されていた汚くて穢らわしいもの。かつて自分にも向けられ、そして自分も持っていたものが、薄皮の下から顔を出す。


――――ああ、そうだった。


 その瞬間、三太朗の知覚は一気に拡がった。


――――なんで忘れてたんだろう。


 言うなればそれはひとつの目覚めだった。

 大切に温かく柔らかく包み込まれて微睡んでいた彼が、夢から醒める。


――――油断をしないこと。


 瞑っていた目を開いたように、締め切った部屋を開け放つように、それまで感じながら意識に上らなかった何もかもが、精神の上に投影され、情報として形を結ぶ。


――――周りに気をつけておくこと。


 弱い風が衣擦れに似た音を立てて雪の舞いを乱している。

 僅かに雲が薄れ、ほんの少し雪の白に輝きが増していく。

 そして、白化粧の庭で、何者かが、こちらを見ている。


 掴み所のない、感情の乗らない存在。無造作に投げられる視線。酷く色の薄い気配の中から発され、三太朗に突き刺さる目線の中に、固くざらつく、無遠慮に、無配慮に、刺し貫き(えぐ)り抜こうとする嫌なものが潜んでいる。


 それを三太朗は、"敵意"と判断した。


 自分の手が細かく震えているのが(ようや)く分かった。

 見上げるばかりの巨体、毛むくじゃらの幻が脳裏に閃き、ひとつの直感が、今現在と掘り返した過去を引き比べ、得体の知れない強大な力を察して、その主が敵意を抱いてこちらを見ていることに更に震え上がる。

 

――――こわい。


 思い出したばかりの"恐怖"を噛み締める。

 かつて対した敵が霞むほどの底知れない存在がそこにいる。嘘のように小さく見せながら、力の全てを押し殺して、不気味なほど静かにただそこにいることが、恐ろしい。


 ヤタがなんとかしてこれ(・・)を教えようとしていたのが何故なのかを悟った。

 これは、生きていく上で必須のものだ。

 危機を速やかに察知し、逃げるか相対するか、隠れる。そうしようと思う源だ。

 それが出来なければ生き延びられない――安全で温かいこの山でさえ、安寧は不意に壊れてしまうのだから。


 彼は慄きながら、心の奇妙に冷静な部分で思考する自分を見つけた。


 雪を見つめたまま、忘れていた瞬きを再開する。

 廊下に座り込んでから、内面にはあまりに大きな変化があったが、時間はじれったいほどのったりと流れていた。

 まだ、回した独楽が倒れるほども経ってはいない。


 それは三太朗にとっては悪い報せだった。

 長くここに座っていたなら、不審に思って誰かが様子を見に来てくれただろうから。


 安全な場所まで逃げるか、味方を呼ぶか。どちらにしても対処は自分だけでしなくてはいけない。何が出来るだろう。


――――まずは、気付いていないふりをすること。相手を探り、油断を待つこと。


 危機的な場面にも関わらず、思考は止まることなく回り、呼吸は少しずつ落ち着いてきた。

 何度となく繰り返してきたように、精神と身体が備えている。

 かつての、危機に慣れていた(・・・・・・・・)頃に習い、何をすべきか、どう振る舞うべきかを考えた。


――――壁に言う?


 一番近くに在る味方を思い浮かべ、却下する。

 壁が"あれ"気付いていなかった場合、上手く説明出来る気がしなかった。

 手間取っている間に何をされるのかわからない。


――――あれが何かわからない。なんでここにいるのかも、師匠たちが知っているのかも。何をするつもりなのかも。


 もしかすれば、一向に危機感を思い出さない三太朗に手を焼いた高遠たちが、教えるために外から誰かを呼んだのではないかとふと思い付いた。


――――だからじっとこっちを見てる。襲ってこない。…でも、みんなに気付かれて、騒ぎにしたくないから静かにしてるってこともありえる。


 先の思いつきの通りなら危ないことは何もないだろうが、単なる希望に沿って動くのは馬鹿なことだ。

 幾つかの可能性の間で逡巡して、全部に気が付かなかったふりをしたまま立ち去ることを決めた。




 このときの三太朗は、全身全霊を傾けて、隠れ見ている不審者を警戒していた。

 慌てず、怖じ気ず、冷静に思考していたのは子どもにしては驚くべきことである。


 しかし、それだけで彼は手一杯であり、何をどうしたとしても、三太朗が子どもで、雛だという事実は変わらない。

 注意していること以外が疎かになってしまうのは仕方がないことだった。


 三太朗はまず、何気なく立とうとした。


 短い間ではあったが、硬い床の上で微動だにせず、ついでに言うと緊張して力が入ったまま座っていた体は強張って、関節はぎしぎしいって、動きはいかにもぎこちなかった。


「あっ」


 手から力が抜けて、持っていることさえすっかり忘れていた蜜柑が転がり落ちた。

 立ち上がりかけたまま、思わず手を伸ばしてしまったのが敗因だった。


 力の入り方がぎこちない体が危なっかしくぐらぐらと揺れる。

 三太朗が体勢を立て直そうと慌てて上体を起こして踏ん張るも、よろけて一歩、二歩とたたらを踏む。

 そこには、落とした蜜柑が。


「ああっ!?」


 踏んづけかけて、潰すまいと慌てて足を少し横へずらしたのがいけなかった。


 蜜柑の丸みに足が滑る。

 上体が後ろへ泳ぐ。

 立て直そうとしたが彼は雛である。背負った翼の重みに容易く均衡は崩れた。そして


 どったーん!ごつん!


 静かな廊下に痛そうな音が大きく響いた。


 三太朗はそれはもう痛かったけれど、大失敗をしたという焦りが強くて頭は真っ白だ。大慌てで起き上がろうと手を突いた。


 ぴしっ


 今度は、ほんの小さな音がした。

 三太朗も気のせいかと思ったほどだけれど、突いた手に走った感触は錯覚だとは思えなくて、三太朗は嫌な予感のままに恐る恐る目を向けた。


 黒っぽく腫れた霜焼けの手。天辺の、乾いてぱりぱりになってしまっていたところが裂けていた。

「ふぇ…」


 中々見事に、深くぱっくりと開いた(あかぎれ)から、じわっと血が滲み始める。

 思い出したように痛みが脳天までびびっと走って、子どもの目にぶわっと涙が湧いた。


「ふっ…ぅ…」

 泣いている場合ではないと分かっている。冷静に振る舞わなくてはいけないと知っている。


 ぎゅっと口を引き結び、よたよたとなんとか立ち上がるが、よろけたのを支えるために柱に手を突いたら、傷口がびりっと傷んだ。


「っく…ぅ」

 一生懸命我慢しようと唇を噛んで俯くが、とうとう大粒の涙が転がり落ちた。


「三太朗?」


 ぽたり、と雫が落ちるとほぼ時を同じく。唐突に傍らに現れた気配と落ちてきた声。三太朗はおずおずと顔を上げた。


「ししょう…?」

「どうした…ああ、裂けたか。これは痛そうだ」


 温かい手が、冷えた手を開かせて見分する。

 じわりとぬくもりが指先に広がって、ぷちんと緊張の糸が切れた音がした。


「あああああああああん!!!」

 三太朗はついに大泣きしながら高遠に遮二無二しがみついた。


 独りで変な気配を見つけてしまって怖かったし、転んでしまった失敗は悲しくて、ぶつけたあちこちに加えてばっくり開いたひび割れが痛い。

 何より蘇った記憶は鬱々としていて暗く、得たものは刺々しくて冷たく、受け入れるには大き過ぎる衝撃を幼い心に与えていた。


 諸々を我慢出来ていたのは緊張と恐怖ゆえであり、一度安心して気が弛んでしまったらもう止まらない。


 急に抱きついてきた子どもを危なげなく受け止めた高遠は、「どうした」ともう一度言いながら軽々と抱き上げる。


「さんたろ?」

「おーい、どうしたよ」

「また泣いてやがんのかぁ?」


 泣き声を聞き付けて双子と次朗がやってきた。

 向こうでは何事かと襖を開けて、ヤタが廊下を覗いた。


「まあまあ、どうなさったのです」

 弓が早足にやってくるのが見えて、その後ろにはお篠が続く。


「こわいぃいい!」

 三太朗は安心しきって大絶叫した。


「怖い?」

「怖いのがこっち見てるぅううやだぁああ!!」


 小さな指先を追って庭に顔を向けた一同は、なんの変哲もない庭の景色を目に映した。何者の影も見当たらなかった。


 次朗は直ぐに素早く宙を撫でて術を組み立て、紀伊と武蔵は目に力を込める。

 探知の術式に察知の技だ。

 何を感じた訳でもなかったが、三太朗を疑うこともなく、とりあえず確かめてみようと思ったのである。


 高遠は、ただ目を細めた。


「…そこで何をしている」


 普段聞かない高遠の低い声に、三太朗は驚いて思わず動きを止めた。

 幽かに伝わって来たのは苛立ちと怒気。


「早く出て来ねば考えがある。大人しく出てこい――足柄(あしがら)


 え、と上の弟子たちが驚いた声を上げる中、ぶわっと不審者の方から溢れてきたものを感じ取って、三太朗は瞬いた。


 焦りと気不味さ。それから少しの恐怖だ。


 高遠がすっと片手を前へ伸ばしかけ、

「わぁーー!!待った!!待ったぁああ!!」


 がさりと木立が揺れ、ひとつの影が飛び出して来た。


 獣の皮の上着と首巻き。中肉中背の、人に似た体躯。どこにでも居そうな、少し垂れ目の男。

 短い髪をがりがり引っ掻きながら、高遠以外からの驚きの眼差しを一身に浴びた男は、


「そんな怒るなよ。久しぶりだな、白鴉(ハクア)。悪ガキどもも随分元気そうで――」


 取り繕うように笑顔を浮かべて気さくに話しながら歩み寄ろうとしたが、集団の白い目に出会って賢明にも黙った。

 後ろの方で女性陣が横目でちらちら見ながらひそひそと囁き交わすのにちょっと傷付いた顔をした。


「それで、うちの警戒網を潜り抜けられるほど念入りに隠伏術を重ね忍び込み、雛を脅かして泣かせるとは一体何がしたいんだお前は」

「悪意ある状況描写!」

「事実だろう」

「脅かしたわけじゃねえよ!?」


 どこか親しげに言い合う二者を交互に見上げて、三太朗は首を傾げた。


「…だれ?」


 この小さな声に、言い合いを中断した高遠は弟子を見下ろした。


「あの急に入ってきた怖い不審者はな「怒ってるのは分かったから勘弁してください!」


 なあ、と呼び掛けて男は三太朗に向かって苦笑したが、小さい顔が引きつって、体を引いて距離を取ろうとするのにがっくりと肩を落とした。


「…俺は足柄山(あしがらやま)の長をやってる。山の名を取って"足柄"って名乗ってる。…お前の師匠の盟友だよ。おちびさん」

「腐れ縁だがな」


 だはぁ、と疲れた溜め息を吐いてから、足柄天狗はげんなりした顔で頬を掻いた。

「分かったよ、俺が悪かったって…」


 当たり前だ、とあからさまに不愉快そうに返す師を見上げながら、三太朗は高遠が不機嫌を顔に出すのに驚いていた。


――――でも、なんでだろう?ちょっと嬉しそう?


 不機嫌なのはどうやら確かなのに、消しようもなく親しげな空気を感じ取って、密かに困惑した。





壁「三太朗が泣いてるよ!」

師匠「何!?すぐ行かねば!!」

というやり取りが裏であった。


足柄さんがついに登場です。…覚えてる人いるんかな?

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